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魔法世界の剣術士 中  作者: 相會応
300マイルのカバジェロ
78/189

8 ☆

「構わないけれど、私のいないところで私の名前出過ぎでは!?」

               るーな

 光安は完全に、剣術士と彼を育てた魔女の策略に嵌められ、二の足を踏み続けていた。

 関西方面に向かわせたほぼ全員を集結させても尚、妖精シャナを網に捕らえることは出来なかった。


「周辺の監視カメラの映像を寄せ集めろ。コンビニに商業ビルのも、ありとあらゆるもの全部だ!」

「しかし、関係者にどう説明します?」

「警察手帳を見せつけて、適当に嘘でもついておけばいい! 下手をすれば名古屋をとっくに出た可能性もある! 急げよ!」

「はっ!」


 このホテルには内部を見る監視カメラはなく、下手をすればそのことも織り込み済みで、剣術士はこのホテルで休息をすると見せかける演技を行ったのか。

 (厳密にはただのではない、が)ただの子供相手にこうも遅れをとるとは、プライドも面子も、何もかもが音を立てて崩れ落ちていく。

 

「隊長。なずな総理から、状況を伝えよとの連絡が……」

「……クソっ!」


 汗ばんだ髪をかき上げ、ホテルの無人エントランスに集結した光安らは、消息を絶った剣術士と妖精の行方を追っていた。


        ※


 実際のところ、誠次せいじとティエラは、この時間も名古屋の市街地の中にいた。宿泊する場所を変えただけである。春に使った緊急避難用のシェルターでは、プライバシーも関係なく誰が使った顔認証で履歴が残ってしまうので、そこではない。


「――まあ……」


 ボタンを押すとランプが点滅し、緑色の液体が炭酸水と共に、セットされたグラスに落ちていく。液が溢れないように注意しながら手に取ると、グラスがひんやりと冷えて心地よい。


「日本にはこのようなところがあるのですね……」

「クエレブレ帝国やロシアにはなかったのか?」

「はい。ドリンクバー自体は知っていましたけれども、機会がなくて……」


 ティエラが室内を見渡している間に、誠次もグラスをドリンクバーにセットし、緑茶を注ぎ入れる。

 寝不足のまま夜を明かすのは危険なのと、どちらにせよ明日の朝まで飛行機は来ない。そして現在、二人は名古屋市の中心から少し離れた位置にある、ビルの中の漫画喫茶店ネットカフェにいた。完全個室で、プライベート空間も守られる少し高めなところであったが、それでもホテルよりは遥かにリーズナブルな価格である。


「すまないな。海外の皇女様を泊めるのには、少し場違いすぎる気もするが」

「そんなことはありませんわ。それに、自分の今置かれている立場も状況も、理解しておりますから」


 部屋を決めるときも、無人受付で済んだ。身柄の確認もされず、逃亡者の身の自分たちにとってみれば、今は、個室もきちんとある日本独自の施設でもある漫画喫茶ここが都合のいい場所であった。

 漫画喫茶の個室は二種類あり、一人用と二人用であるペアシートと呼ばれるもの。


「一人用と、二人用……」

「そ、その……また、襲撃された際に迅速に対応するには、やはりお互い近くにいる必要があると思うのですわ……。もう、逃げ場はないのでしょう……?」

「そ、そうだな……」


 最初にここに来た時に、ペアシートの部屋を選んでいた。最後まで、部屋の選択権は誠次にあったのだが、その右手の指先はそちらを選択していた。

 気をつかってくれているのだろうか。だとすれば少々悪い気がしていると、ティエラが目の前を横切って、興味津々そうに辺りを見渡している。


「この部屋の密度……凄いですわね……」


 幾つものドアがホテル以上の間隔の狭さで並んでいる事に、驚いているようだった。

 漫画の名を冠している以上、その昔よりもスペースは減ったが、きちんと紙の媒体による文庫本等も置いてある。ここら辺は全国共通、ホログラムが体質に合わない人や苦手な人向けだろう。

 ペアシートとは言ってもやはり部屋は狭く、寝転がれたりするための平面リクライニングが出来る黒革のシートに、PCが二台埋め込まれている横長の机がある。


「ちょっと一回寝転がってみましょう!」

「なぜに!?」

「広さを調べませんとっ!」


 あくまで小声のぼそぼそ声であるが、ティエラは奥のシートの方にドリンクを机に置いてから寝転がる。


「さあ、誠次も早く!」

「あ、ああ」


 誠次もドリンクを机に置き、「失礼します……」となぜか断りを入れてから、ティエラの右隣に寝転ぶ。なんだろうか、この時間は……。


「……っ」

「……っ」


 互いに無言で豆電球の橙色の光が灯る天井を見つめていると、なんと同時のタイミングで視線を横にして見つめ合ってしまい、思わず上半身を起こす誠次。

 ティエラもまた、真っ赤に染まった顔で上半身を起こし、胸に手を添えて何度も呼吸を繰り返している。


「や、やはり部屋をもう一つ借りよう! 俺がうっかりしていた!」


 そう言って立ち上がろうとした誠次の服の袖を、


「――お、お待ちになって!」


 と叫んだティエラの左手が、ぎゅっと掴んでいた。

 誠次は立ち上がるに立ち上がれず、再びシートの上に尻餅をつく。

 ティエラは紫色の視線を合わすことができないようで、落ちつきなく視線をうろうろさせながら、言う。


「私は……貴男のことをもう信用しています……。です、ので……このままでも構いませんわ……。貴男がよろしければ、ですけれども……」

「そ、それは……しかし……」


 この狭い密室空間で、異性と二人きりで一夜を明かすと言う今までにない状況を前に狼狽する誠次に、ティエラは左手で服の袖を握る力をぎゅっと込め、殆ど服を引っ張るようにしていた。


「と言うよりも……これは私からのお願いです、誠次……。どうか今宵は、お傍にいて……下さいませんか……? 私は……っ」

「……ティエラ」


 ティエラの声音には、不安が混じっている。自分の命が狙われている状況で、自分の身体を守るためのその一部すら満足に使えず、ここは遠く離れた異国の地。そんな状況で一人で一夜を明かすのは、よくよく考えれば想像に難くない恐怖があるはずだ。

 自分がティエラの状況であったのならば、もっとも、女性の身になって見ないと分からないかも知れないだろうがそれでも、例え異性でも、一人よりは傍に誰かいて欲しいと思えた。

 そうすれば、変にティエラから逃げようとしていた自分を戒める事が出来、誠次は申し訳ない表情をして、ティエラの左手に自分の手を添えていた。


「すまない。俺もやっぱりここで夜を明かそう。君の傍できちんと君を守らなければ。……それが俺の使命だ」

「あ……ありがとうございますっ」


 ティエラも安心してくれたようで、ほっと安堵の息を吐いていた。

 疲れてはいたが、さすがにティエラよりも先に寝るわけにはいかない。ティエラもまだまだ眠れないようで、二人して漫画喫茶らしく漫画を読むことにし、明日のことについて等を話し合ったりした。


「ほら、枕にブランケット。冷房が効きすぎるかもしれないから、寝るときに使ってくれ」

「ありがとうございます、誠次」


 ティエラはお気に入りの漫画を見つけたようで、最終巻まで一気に読むつもりのようだ。


「……ナギのお気持ちが。分かりますわ。本なんて持ち運びが面倒で退屈だと思っていましたけれども、夢と希望がいっぱいで、良い物ですわね」

「ああ。自分の限られた知識しかない頭の中じゃ想像できない世界も、本は見せてくれる。映像とは違ってそれはまた、自分で自分らしくイメージすることが出来るんだ。自分のペースで」

「難しい事を仰いますのね」

「そうかな? 簡単に言うと……夢を見られると言った方が良いのかな……」


 壁に背中を預けて、文庫本を読んでいた誠次は呟く。


「では、貴男自身の夢は、なんですの……?」


 ページを捲る手を止め、うつ伏せで上半身を起こした姿勢で寝転がるティエラは誠次をじっと見つめてくる。透き通るような紫色の視線に一瞬でやられかけた誠次は、そこからぎこちなく視線を逸らしかけながら、言う。


「俺の夢は、平和な魔法世界の実現だ。こうして色んな本を読んでは、昔の人の何不自由ない夜の世界の生活を想像したり、こんな魔法世界だったら良いなって、妄想したりするんだ。そして、夜も平和な世界でみんなが笑顔でいてくれたら、嬉しいんだ」


 理想主義者が見がちな机上の空論だ、と言われればそれまでだけど、と誠次は自嘲気味に微笑んでいた。

 

「たとえ今はまだ、状況が良くなくとも、俺は信じている。いつか、人がみんな力を合わせれば、不可能な事なんかないって。誰かに力を借りて、その人を守る為に強くなれる俺がそう思うんだから、説得力はあるだろう?」


 誠次が微笑みかけると、ティエラもまた、微笑みを返す。


「ティエラの夢はなにかあるのか? ルーナに勝つこと以外で」

「そうですね……今の私の夢は――」


 誠次の隣に座るティエラは、ともすれば無機質な、しかし温かい光が照らすペアシートの部屋の中を見渡す。

 そして、その綺麗な瞳の終着点は、隣に座りじっと見つめる、誠次であった。


「貴方と共に、その光景を見てみたい、ですわ。平和な魔法世界を、人々が安心して夜の世界を出歩ける魔法世界を、私も見たいのです」


 ティエラの表情には、少なくとも絶望や、悲壮のようなものはなく、むしろ希望を抱いていた。

 なにもそれは、誠次も同じであったのだが。


「そのためにはやはり……生きてクエレブレ帝国へと帰らなくてはいけません」

「……任せてくれ。君は必ず、クエレブレ帝国へと送り返す」


 ティエラを見つめてそんなことを言えば、ティエラは顔をますます赤らめて、誠次の真っ直ぐな黒い瞳を見つめ返す。そうして、何かを口籠った後、思い切った様子で、こんなことを言い出すのだった。


「そこで、誠次……。もしも貴男がよろしければ、私と一緒に……その、クエレブレ帝国まで来て頂けませんか……っ!?」


 ……――。

 しゃー、と、シャワーのお湯が流れる音が、後ろの方で聞こえてくる。

 誠次はシャワー室がある洗面所の中に立ち、洗面台の鏡の横に立っていた。

 漫画喫茶の中でも中々値が張っているとあり、内装は綺麗なものだった。洗面所もそれなりの広さがあり、鏡も大きく、備品もきちんと揃っている。


「……」


 後ろの方のシャワー室では、ティエラがシャワーを浴びている。さすがに湯舟まではなかったが、お互いにゆっくりお湯に浸かる必要まではなかった。

 

「誠次……」


 水の音に紛れ、ティエラの声が聞こえてくる。

 誠次は鏡に映った横顔に向けていた視線を、正面へと戻す。


「ああ、ちゃんといるぞ」

「……先ほどの、言葉の答えは……」

「俺が、君と共にクエレブレ帝国まで行くということか」

「はい……。この国の国家組織を相手にしたとなれば、貴男の立場は危ういはずです。いくらあの魔女さんの言う事とはいっても、貴男の身の危険は残るはずです。ですので、私と共にクエレブレ帝国へと来てくださいませんか?」


 ティエラの言葉を背中で受け、誠次は一瞬だけ、視線を落としかける。


「勿論、不自由な暮らしなどさせませんわ。帝国の人々もきっと、貴男の事を迎え入れてくれるはずです。私を守った、勇敢な騎士として、手厚いおもてなしを約束致します!」


 だからどうか、とティエラの声音が、シャワーの水圧が緩む音と共に、か細く震えてくる。


「お願いします誠次……。貴男の為にも私と共に、クエレブレ帝国へと、来てください……っ」


 その切なそうな声と思いに、誠次は再び胸を締め付けられる思いだった。

 ――それがどんなに無謀で、現実味を帯びてなどいない選択肢であるか、お互いに理解をしてしまっているからこそ。


「……俺も、先ほどのホテルでの電話で、八ノ夜さんに対してそのような事を伝えた。それが、先ほど君に言えなかった事なんだ」

「え……?」


 浴室にいるティエラの影が、ぴくりと動く。

 それに背を向けたまま誠次は、口を動かし続けた。


「君のことを、これからも俺が傍で守り続けたい。……だけど、すぐにそれがどれだけ甘い考えで、無茶なことだという事を、教えられた」

「あ、甘い考えだなんて、そんなことは……」

「大丈夫だ。……ただ、俺も君も、互いに背負ったものは大きい。俺はこの国で、君はクエレブレ帝国で、しなければならないことはある。皇女としての使命が、君には残されている。こう比べるべきではないが、ルーナとの明確な違いだ。君にはまだ、帰るべき国が残されている」

「で、ですので、貴男も一緒に……」

「わかっているだろう、ティエラ……。君は賢く、聡明な女性だ。それが、出来ないという事を……」


 誠次は遠くを見据えて、掠れかけそうになる声を、どうにか一定の感情で保たせながら、言葉で出す。


「はっきり言おう。君が最初に言った通り、家族を失った俺は行き場を失った正義感と愛情を、今度は君に注ごうとしてしまっている。それはおそらく、普通の人が普通に抱くありふれた感情の抱き方とは違っている。俺は君とたった数時間共に過ごしただけで、君に対して、こんなにも切ない気持ちを抱いてしまっているんだ……。そして、それは俺が今まで出会ってきた人……とりわけ、女性に対して同じように抱いた、本来はあり得てはいけない事なんだ……」


 ティエラ同様、震えかける誠次は、自分の右手を見つめ、そこを痛いほど、ぎゅっと握り締める。


「それに加え、レヴァテイン。かつて神話の時代で、女神によって九つの封印を施された魔剣の性質が、俺のこの歪んだ感情と合わさった……。ともすれば呪いとも言うべきそれは、ほぼ必然的な運命で、俺の手に握られた。……そう考えると、俺は……ちゃんと生きている君のことでさえ、封印された魔剣の力を開放する鍵のような扱いをしているんだ――」

「そんなこと、あり得ませんわ……!」


 背後から聞こえたティエラの声音は、誠次からすればよく分からずに、怒りを伴っているように感じた。


「え……」

「どうか勘違いしないでくださいませ、誠次……。あの時に私が言ったあの言葉は、決して貴男をそのような言葉で苦しめる意図ではありませんでした」


 シャワーを止めたのだろう。ぴとぴとと水が滴る音が、ティエラの力強い声音と共に、微かに聞こえてくる。


「もしも貴男がその考えを肯定してしまうのでしたら、私が貴男に抱いたこの感情でさえ、間違いだったと言う事になります……」

「わかってくれティエラ……。ティエラも今はただ、明確に頼る人が俺しかいないだけなんだ……!」

「どうして、そこまで辛そうにしてまで、私を突き放そうとするのです?」

「だって、そうしないと……ただ別れが辛くなるだけだっ!」


 思わず怒鳴ってしまった誠次は、再び八ノ夜に言われたことと、先ほどまでのホテルでのやり取りを思い出し、再び項垂れる。

 どうせなら、このままこの洗面所の床に力なく倒れて、目を閉じてしまいたい。しかし、そうすることなど出来ない現状が、最後まで誠次の両足を確りと立たせていた。

 馬鹿だおれは……。最初からこうなることは、なんとなく想像できていた……。それなのに構わないふりをして、ここまで誤魔化してきた……。

 ティエラを傍で、守りたい。そうすることでまたしても満たされようとしている己の空っぽな心を自覚し、誠次は鏡に映った自分の、どうしようもなく情けない姿を見つめ返す。

 自分の中では、そこからとても長い時間が経った気がする。

 未だ浴室にいるティエラは、言葉を返してきた。


「……誠次。貴男の言う通り、そうですわね……。私と貴男は今、お互いがお互いに強く依存し過ぎています。それはやはり、この今置かれた私たちの状況が、そうさせてしまっているのでしょう……」

「……そう、だよな……」


 ティエラの冷静な指摘に、誠次もまた落ち着きを取り戻し、自嘲気味に微笑んだ。


「――ですが、仮にもしそうだとするのならば、貴男を信じて貴男に魔法の力エンチャントを託したルーナを初めとした、女性たちのことはどうなのです……?」

「どうなのです、って……?」

「貴男は貴男の言う、鍵という扱いで、その女性たちの事を見ていたのですか……? ルーナの事も、そのような思いだったのですか? だとすればやはりルーナは、私よりは全っ然、下の下です!」

「い、いや……そんなわけでは……っ!」


 急に妙に張り切りを持った声で、そのような事を言い出すティエラに、誠次は慌てて首を左右に振る。


「誠次。私はどちらにせよ、貴男の言う通り、クエレブレ帝国へと帰ります。ですが約束致しましょう。この今の感情以上にきっと強く、私は帝国に一人で帰ったとしてもずっとずっと、貴男の事を思い続けますわ」

「ティエラ……」

「貴男は、どうします……? 改めて、お聞きいたしますわ。どのような答えでも、それは正しく、私は決して悲しみません」


 そうして、再び問われる。選択肢は、今度は多くあった。視野も、広がっている。

 それは、ティエラが言ったルーナを初めとした彼女らが、自分から見たただの鍵であるという指摘を、挽回したいという強い思いをもって。

 そして、最初に自分を送り出した香月こうづきもまた、自分を信じて、七海ななみと共に送り出してくれたのだ。それを、裏切るわけにはいかない。


「……すまないが、やはり共には行けない。俺も君も、お互いにすべき使命を果たさなければ」

「そうですか……。申し訳ございませんでした誠次……。私の我が儘で、貴男を追い詰めてしまって……」


 誠次は首を横に振る。


「いいんだ。それに、俺が君に抱いた感情も、きっと間違いではないのだろう」

「……こう言っては不謹慎かもしれませんが、もしも私と貴男が、同じ国の生まれで、身分も同じものであったのならばと、考えてしまいます……」

「俺もさ。けれど、こうしなければ出会えなかったかもしれない可能性もある。いつか、お互いが使命を果たし終えたら、また会おう」

「はい……」


 遠回しに思いを伝えあった誠次とティエラは、互いに笑顔を零していた。

 ティエラのシャワーが終わった後で、誠次せいじもシャワーを浴び、今日一日分の汗を流した。水を一切使わないで洗濯が出来る洗濯機は、誠次がシャワーから出るとすでに全ての作業を終え、再び着用出来るようになっていた。もっとも、つい数時間前に買ったばかりだったが。

 先に洗面所にいたティエラは鏡の前に立ち、ドライヤーで髪を乾かし終えていた。


「リラックスできましたか、誠次?」

「ああ。服、畳んでおいてくれたのか?」

「ええ。左手だけでも、出来ることはちゃんとありますわ」

「ありがとう、ティエラ」


 タオルで髪をささっと乾かすと、誠次は眠るため、いくつか漫画を拝借して部屋に向かうことにした。

 ティエラにその旨を伝えると、


「では、私も何か借りますわ」


 と、一旦二人は別れて、それぞれ読みたい本を探すことに。誠次は熱血少年漫画、ティエラは恋する少女漫画を数冊借りていた。

 光安の追手の気配も感じず、二人はここへきてようやく、ゆったりとした休息の時を過ごすことが出来る。明日になれば、また激しい戦闘が行われる事だろう。それまでに、体力を回復しておかなければ。

 ドリンクバーでは少々手間がかかると言える紅茶を二人分用意し、ペアシートの部屋に戻った誠次は、そのうちの一つをティエラへと差し出してやる。


「冷房で冷えるかもしれないし、温かい飲み物も飲んでおいた方が良い」

「ありがとうございます、誠次」


 そうして二人は、シートに背を預け、互いに思い思いの時を過ごした。

 漫画の感想を言い合ったり、お互いに借りたものを交換し合ったり、ネットサーフィンをしたり……――。


「いや……満喫し過ぎではなくて……?」

「漫喫だからあながち間違いではないけどさ……」


 あまりの居心地の良さに、不用意に夜更かしをしかねない状況へと陥っていた。


「さすがに寝なければな……」

「そうですわね……。また明日も、よろしくお願いしますわ、誠次」

「こちらこそ、よろしく頼むよ、ティエラ」


 ライトを消し、薄暗い照明のみとなったペアシートの部屋の中。

 そうして誠次はシートの上に寝転がり、そっと目を閉じる。

 ティエラもまた、寝転がったのだろう。背中の方で、衣服が擦れる音だけが、聞こえていた。

 しかし、不思議なもので、いざ眠ろうとしても、互いの存在が互いに気になり、眠りにつくことが出来ない。


「誠次……?」

「起きてるよ、ティエラ……」

「眠れませんわね……」

「羊が、一匹、二匹――」

「子供かっ!」


 凄まじい勢いで上半身を起こしたティエラは、その口調すらおかしくなるほどのツッコミを、誠次に繰り出した。


「ティエラ!? 今の口調は一体っ!?」

「あ、あれ? お、おかしいですわ……」


 お陰で、誠次の方も眠気が少しだけ吹き飛んでしまう。二人とも、疲れて、眠たいのだろう。

 なのに眠れない、不思議な状況だ。

 こほんと咳ばらいをした誠次もまた、上半身を起こし、再び壁に背を預ける姿勢に戻る。

 

「こんなところで眠れないという……第二の敵が現れるとは」

「同じく私もですわ……」


 誠次は髪をかき、左隣で上半身を起こしたティエラも、俯いている。


「……誠次」


 そして、こちらをそっと見つめ、ティエラは身体を寄せてきた。

 とん、と身体の左側にティエラの体重を感じ、誠次は戸惑う。ずっと背中にあった感触が、ただ左側に移っただけなのに、受ける感覚は全く違っていた。


「もう一つだけ、私の我が儘を聞いてくださいますか?」

「なんだ?」

「眠れるまで、私の右手を握っていてくださいませんか? ……貴男に触られているときだけは、何故だか、右手の感触を感じるような気がして……」


 そうしてティエラは、動かなくなってしまった右手ごと、右肩を誠次の身体へと寄せてくる。

 それならばと誠次は、うんと頷き、左手をティエラの右手に絡ませた。

 すると、ティエラは穏やかな表情で微笑む。


「とても安心します。……ありがとうございます、誠次。やはり、温かいですわ……」

「そうか……。俺も、よく眠れそうだ。おやすみ、ティエラ」


 密着する姿勢の髪から漂う、仄かなシャンプーの香りを浴び、誠次は目を細めていた。


「おやすみなさい、誠次……」


 ティエラもまた、夢うつつな表情で、誠次にその身を委ねていく。

 ――そんな、彼女の動かないはずの右手が、微かな力を帯びて、誠次の左手に思いを伝えるべく握り返してきたのは、もう夢の中の世界での出来事だったのかもしれない。


       ※


 夜の首相官邸。沈んだ太陽の代わりに、昇った夜を照らす月が、日本屋敷の影を妖しく作り出す。

 和服姿のなずなの元へ、光安の男が報告をしに、馳せ参じる。しかし、男の表情は浮かないものだ。

 それもそのはずか――またしても、剣術士と妖精の確保に失敗したという報告なのだから。


「――以上、名古屋市内のホテルでの目撃を最後に、剣術士と妖精シャナの行方は不明であります……」


 襖の先の影が、ぴくりと動く。

 薺は脇息に乗せた小さな手で頬杖をついていた。


「……ここまで妾たちが下手したてになるとは。もはや怒りを通り越し、一周回って面白くなってきたぞ、剣術士……」

「総理……」

「分かっておる。そなたらからすれば、面白くはないだろうな」


 ごくりと、生唾を飲む光安の男。彼からしても、薺がその言葉の割りに一切笑ってなどいないことは、よく分かっていた。


「もはや、是非ぜひもなしか……」


 薺はそう呟くと、そっと、畳みに着物を擦る音を立てて立ち上がる。


「総理? 一体どこへ……」

「そなたらは引き続き、剣術士と妖精シャナを追え」


 そう言い残し、薺は和室の奥へと、背を向けて歩んでいく。

 もう、引き戻ることは出来ない。地獄の果てに、向かっていく。

 彼女の小さな背――しかし、大きな野心を秘めた怒りの童女の後ろ姿を見つめているしか出来なかった光安の男は、自身がその道を今まさに突き進んでいることを、わけもなく自覚していた。


         ※

 

 同時刻、東京台場にある、特殊魔法治安維持組織シィスティム本部。

 潮風と共に波の音が微かに漂うそこの最上階では、眼鏡を掛けた青年局長が、薺との会話をしていた。


「珍しいですね。貴女が私に貸しを作るなど」

新崎しんざき。お主をその地位にまでやった妾の恩、忘れたとは言わせぬぞ。その恩、今こそ返す時じゃ』

「そして、貴女のそこまでの怒りも珍しい。まるで大好きなおもちゃを何者かによって横取りされた子供のようですよ」

『新崎……っ!』


 震える声で怒鳴る薺に対し、特殊魔法治安維持組織シィスティム局長である新崎和真しんざきかずまはほくそ笑む。


「これは失礼、総理。貴女を揶揄からかう気などこれほどもありませんよ」


 しかし、と新崎は回転する椅子をくるりと回し、愉し気に台場の夜景を見つめる。この光の果てのどこかに、妖精がいる。

 それの羽を摘み取るゲームだと思えば、どこか楽しく思えたのだ。


「良いでしょう。特殊魔法治安維持組織シィスティムを動員させ、剣術士と妖精シャナを捕らえて見せましょう。ええ――数刻もあれば、妖精は網にかかりますよ」


 新崎は続けて、腹心の部下に命を下す。


「もしもし。まだ起きていますか、堂上どのうえ――?」


「――はーい。なんでしょー、隊長……じゃあなかった、今はもう局長さん」


 完全に本部自室で眠っていた堂上淳哉どのうえあつやは、ベッドからずり落ちながらも、寝ぼけ眼を擦り、突如かかってきた連絡に応じる。


「食事の誘いなら嬉しいんですけど……ザギンでシースーとか……まあ、そうじゃなさそうっすねー。俺、そう考えるとよく起きましたよね……給料上げてください」

『相変わらずお喋りが多いようで結構。極秘任務を、貴男に与えたいのです』

「……なんれすか」

 

 堂上は寝ぐせのついた髪の毛をぽりぽりとかき、あくびを一つする。

 虚ろ気であった瞳は、しかし新崎の言葉を聞いた瞬間、そっと力を入れる。


『剣術士と戦う、と言ったら、貴男は喜びますか?』

「……面倒臭そうですけど」


 Tシャツ姿の背中に突っ込んだ手で背をかきながら、堂上は再びあくびをする。

 そして、閉じた目を再度開いた時、彼は嗤っていた。


「でも、一度だけ戦ってみたかったんですよ。影塚かげつかお気に入りの、アイツとはね……」


挿絵(By みてみん)

〜実録、帝国に蔓延る闇の本〜


「こ、これは……っ!」

てぃえら

       「どうしたティエラ?」

              せいじ

       「読みたい漫画でも見つかったか?」

              せいじ

「間違いありません!」

てぃえら

「クエレブレ帝国で蔓延っている」

てぃえら

「ちょめちょめな本ですわっ!」

てぃえら

        「あ……。桃色な、本か……」

               せいじ

「帝国では、一冊万単位の値段で」

てぃえら

「闇取引されているのです」

てぃえら

         「一応、出回っているんだな……」

                せいじ

「ええ!」

てぃえら

「よく、海岸に漂着しているのですわ!」

てぃえら

          「よくそこまでたどり着けたな桃色な本っ!」

                せいじ

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