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魔法世界の剣術士 中  作者: 相會応
300マイルのカバジェロ
77/189

ザギンでシースーをルーターべー (小話) ☆

「一応言っておくが……サブタイはスペイン語じゃないぞ」

       まさとし

 若い頃から、貧乏くじを引くのには慣れていた。いや、この世に生を受けた時から、その札はすでに手に握られていたようなものだ。

 一緒に生まれてきた、魔法と、共に。


 ――謎の人食い怪物に対し、魔法が有効であることが判明。

 ――国際連合は、夜間に現れる謎の人食い怪物の名称を、゛捕食者イーター゛と命名することを発表。

 ――世界各国の2050年以降生まれの子に、魔法が使用出来ることが判明。

 ――世界各国で魔法を専門に学ぶ、魔法学園の建設が急ピッチで行われる。

 ――親世代からは、子供を戦いに行かせるものだなどとの反発が相次ぐが、世界全体の声は変わらなかった。


 控えめに言ったとしても、それはまさに、激動の時代であり、人類にとって地獄の時代でもあった。

 生まれてきた時代が悪かった。とてもそうとしか、考えられないし、考えたくない。


「――俺の夢は、とにかく強い魔術師になって、゛捕食者イーター゛を倒して、世界を平和にすることです!」

「――大丈夫だ! お前のことは、俺が守る!」


 それでも自分が諦めずに、前を向こうとすればするほど、逆に状況は悪くなっていく。

 一向に好転しない時代の流れに、抗い続けたところで無駄だと悟り、減り続ける連絡先の欄を見てよくやく気が付いた。あまりにも、犠牲は多すぎたのだ。

 月日は流れ、人類もようやく無意味な抵抗に気が付き、夜の世界を怪物へ明け渡すという妥協点で満足しかけていた頃に、剣を背負った少年が現れた。 


「もう、逃げませんよ。俺は――」


 そう言った少年の横顔は、どこかで見覚えがあった気がする。

 ああ、そうだ。アイツはまるで、若い頃の――。


           ※

 

 夏休み中のとある日、寮室で一人読書をしていた誠次せいじの元へ、校内用の電子タブレットで職員室から呼び出しがあった。

 何事かと職員室に行くと、待っていたのは一仕事を終えた様子で、椅子に座って伸びをしている、誠次がいる2─A担任教師、林政俊はやしまさとしであった。


「失礼します。林先生。呼び出しとは、どうされました?」


 誠次はがらりと空いている職員室に入り、林の元まで歩み寄る。人がいないのは、夏季休暇を過ごしている教師が大半いるからだろう。


「おう剣術士。この後暇か?」

「いえ、暇ではないです」

「そっか。よし、ちょっと付き合え」

「暇ではないと言ったはずなのですけど……」


 首をボキボキと鳴らしながら、林は立ち上がる。いつものグレーのシャツと、だらしなく伸び切ったネクタイ姿。無精髭は今日も彼の顎先から茶髪のもみあげにかけて、じょりじょりと元気そうに生えている。

 そんな林に対する女子魔法生たちの評価は専ら、身なりをきちんと整えればイケメン、だそうだ。もっとも、本人にその気はないのだろうが。


「ついてこい」


 こつこつと足音を立てて、職員室を出ていく担任教師の後を、誠次は慌てて追っていた。


「ちょっと待ってください林先生! 草むしりはもう嫌です!」

「また随分と懐かしいな……。いつの話してんだよ……」


 ズボンのポケットに手を突っ込みながら歩く林は、誠次の言葉にもツッこむ。


「では、何をする気です?」

「うーむ……」


 廊下を歩く林は、顎先をぽりぽりとかき、上を向く。


「ザギンにシースーをルーターべー、しに行く」

「ざぎんにしーすーをるーたーべー?」


 意味不明の言葉を呟かれ、誠次は首を傾げる。

 目的が不明とあっては、どうしようもなく行きたくなく、誠次は最後の抵抗を試みた。


「俺は普段から、学級委員としての仕事を真面目に頑張り、ときに成績目当てだとか、やれ女子にモテたいからだとか言われながら、苦汁を味わいながらもその責務を全うしてきました! それも全て、貴方が普段からだらしないせいで俺や綾奈あやなさんに他のクラスの学級委員以上の仕事を押し付けられているせいです! これ以上俺に何をする気ですかっ!? 解放してくださいっ! お願いしますっ! ざぎんにしーすーをるーたーべーしたくありませんっ!」

「いやどんだけ行きたくねえんだよ!? 普通喜ぶだろ!? ザギンでシースーをルーターべーするのは! 滅多に味わえないぞ!」

「だからなんなのですか!? その意味不明の行為とは!?」


 誠次が腕を振り払って問うと、林は何やら、廊下の窓の外に広がる快晴の空を、見上げていた。

 そして、タバコでも吸っているかのようにふぅと息を吐き、「そうだな……」とぽつりと呟く。


「言うなればアレだ剣術士。……大人の階段を、一歩登るって言ったところか……」

「大人の階段を、登る……!?」


 

 全身に雷にでも撃たれたかのような衝撃を感じ、ゴクリと、誠次は息を飲む。それとはつまり、林の好みそうなことということであり、つまり、そのような、桃色なお店ではないだろう、か……?


「そこに行くのに必要なのは、そうだな……。心構えって、ところかな。決して何が来てもビビらずに、堂々と構える。そして、向こうが魅せる技に対して、素直な感情で答えりゃいい。……そうすりゃあきっと、向こうも自然と喜んでくれるさ」


 ふっ、と微笑み、林は愉しげに誠次を見やる。

 誠次は歩みを止めたまま、しばし呆然としていた。


「そんな……。俺は、そんなところに行くわけには……!」

「なんだ、ビビってんのか?」

「大体、紛いなりにも立派な教師が生徒をそのような場所に連れて行っては駄目ですよ!」

「紛いなりにもは余計だ……」


 そして、林は面倒臭そうに髪をかいてから、誠次の肩にシャツを捲くった腕を回してくる。


「まあいいじゃねえか気にすんなよ。俺とお前の仲、だろ?」

「し、しかし、行けません! そもそも俺の歳では、入れませんよ……」

「んなわけねえだろ。向こうもきっと、喜んでくれるぜ? まあ確かに、お前ぐらいの若いのは、珍しいかもしれないけどさ」

「それでも、俺は三〇歳までは……っ!」


 林に肩を組まされながら、誠次は未だ抵抗し続ける。


「悪いが、もう予約しちまってるんだ。三人分。それにドタキャンこそ、待ってくれている相手に失礼だろ」

「一方的過ぎませんか!?」

「悪いな剣術士。だが、お前はこうでもしないと一緒に来てくれないだろうからな。悪いが付き合ってもらう。さもないと成績下げるぞ、保健体育」

「また全然関係ない科目!? ――かと思いきや、もしかしたらちょっとだけ関係しているかもしれない科目ですか!」

「? よくわからねえが、ザギンでシースーをルーターべーは決定な?」


 にかっ、と普段からタバコを吸っているにも関わらず白い歯を見せて微笑み、林は誠次の背中をぽんと叩いて離れる。


「先程、三人と言いましたよね? もう一人、誰か一緒に来るのでしょうか?」


 誠次は恐る恐る、問う。

 林は「おう。教師だけどな」と頷いていた。


「教師……」


 それを聞いた誠次は、やや落ち着き、ほっとする。

 共に行く三人目の教師。その人が例えば、林先生のだらしなさを矯正している向原むかいはらや、魔法生時代からの腐れ縁の友人、森田もりただとしたら、林がわざわざそのような場所にも誘うまい。

 ――もしかしたら、自分の考え過ぎなのかもしれない。男子学生が妄想するような場所ではなくて、別のところなのかもしれない。自分は少々、林を疑いすぎていたきらいがある。


「ざぎんにしーすーをるーたーべーするもう一人は誰ですか?」


 ふぅと息を吐き、幾らか落ち着いた様子の誠次は、林に改めて訊く。

 林は済まし顔で、答えるのであった。


「ダニエル・岡崎おかざき先生だ」


 ――へるぷ、みー。


 ヴィザリウス魔法学園地下駐車場に、林の車は停めてある。国内で生産されている、高級車でもあったのだが。


「タバコの臭いすっから、ちょっと消臭しますわ」


 林はドアを全開にし、車内の消臭装置を起動していた。

 その間に、私服姿の魔法学園の養護教諭、ダニエル・岡崎が、逞しい身体付きをこれでもかと主張するピッチピチのTシャツ姿で、やって来る。


「おおッ! 天瀬誠次くんッ! 共にザギンにシースをルーターべー出来て、吾輩は嬉しいぞッ!」

「こんにちはダニエル先生。 早速ですが、共にってなんですか!? 何を共にするんですか!?」

「フム。何を共にするか、か……。中々哲学的ではあるが、敢えて言うとするとそうだな……」


 太い丸太のような腕を厚い胸の前で組み、ダニエルはむすう、と鼻を鳴らす。


「――共に、味わい尽くすのだッ!」

「ぎゃあああああ!?」


 ギラリ、と獲物を前にした鋭い眼光を見せるダニエルを前に、誠次は頭を両手で抱え、この世の終わりのような悲鳴を上げていた。


「よし、消臭完了。剣術士は助手席に、ダニエル先生は悪いですけど、後部座席へ乗ってください」

「すまぬな林先生ッ! この不肖ダニエル、感謝致します!」

 

 ダニエルはペコリと頭を下げると、窮屈そうに身を屈め、後部座席へと乗り込む。ダニエルが乗ったその時、車がぐわんと揺れていた……。


「や、やはり俺はっ!」

「いい加減抵抗するなや剣術士。アレルギーでもねえんだろ?」

「そういうことでは、ありませんが……」

「なら乗れ。ちったぁ俺たちに付き合えや」

「……っ」


 誠次は渋々な表情のまま、林の車の助手席に座る。

 林は隣の運転席に座り、自動運転オートドライブを早速起動する。


「ナビゲート起動。銀座まで」


 車に内蔵されているマップがすぐさま、東京都中央区にある、日本随一の商業街を示す。


「銀座、ですか。高級なイメージがありますが……」

「おう。わくわくどきどきしてきたろ?」


 尚もお気楽そうに言ってくる林に、誠次はそっぽを向く。


「俺のことをよく知っておきながら、それでも貴方は、そのような店に俺を無理矢理に連れて行くのですね……」

「阿呆が。知っているからだこそ、連れて行くんだろうが」


 走り出した車の中に乗るのは、二人の教師と、一人の生徒。極めて異質と、言えよう。

 ビルとビルの間から見える太陽を、今は恨みがましく睨みながら、誠次はうつらうつらとし始めていた。


「眠たいなら、眠っとけ。目的地に着いたら、起こしてやるよ」

「い、いえ……。ここで不用意に眠るわけには……」

「では、僭越ながら我輩が子守唄を歌ってしんぜようッ!」

「……ありがとうございます」

「いや待ってくれダニエル先生。それ、逆に目が覚めるやつだ」


 車はすいすいと進み、やがて、銀座へと入っていく。窓から覗く道行く人も、銀座が近づくに連れて、何処か落ち着いた大人らしい服を見つけた人や、スーツ姿の人ばかりが目立っていく。そう言えば今年は夏の世界大会がちょうど開催されている。もしもメダルを獲得した日本人がいるのであれば、このテレビでよく見るような大通りで、大所帯のパレードが開催されるのだろう。

 林とダニエルも、ちょうどその話題をしていたところだ。


「剣術士は誰か、注目している競技はあるか?」

「フェンシング、ですかね」

「イメージそのまんまであるなッ! 吾輩か!? 吾輩はもちろん、重量挙げウェイトリフティングであるッ!」


 そんなような会話をしながら、魔法科教師と養護教諭と剣術士を乗せた車は、銀座の中でも落ち着いた雰囲気がある、街路樹が立ち並ぶ道を通っていき、目的地へ到着したようだ。


「ここは……」


 趣ある装飾が施された街灯が昼間なのに光を灯し、砂利が敷かれた駐車場に停めた車から降りた誠次は、店構えを見て、思わず呆気にとられる。

 寿司屋。それも達筆な墨の字で書かれた店の名前は和のものであり、ここが格式高い高級店であることを物語っていた。学生のズボンに入っているような財布の中身では、間違いなく支払えないような値段がすること間違いなしだ。


「お寿司屋さん、ですか……!?」

「おう。ったく、何と勘違いしてたんだお前。銀座ザギン寿司シースー食べるルーターべー、だろ」

「なんですかその言い方……。皆目見当もつきませんでしたよ……」

「これだから青臭えお子ちゃまは。言っておくが、お子様ランチはないぞ?」

「ば、馬鹿にしないでください!」


 のっそりと後部座席から降り、その気になれば砂利を粉々にする勢いで大地に降り立ったダニエルは、豪快に笑っていた。


「林先生ッ! ご馳走になりますッ!」

「……ご馳走になります……」


 誠次もペコリと頭を下げれば、林はややドヤ顔を、浮かべていた。……間違いない。銀座の寿司を奢る俺格好いい、と思っているのだろう。

 誠次も誠次で、やや素直になれない一面を覗かせて、ここへ来て未だこんな事を言う。


「何故……急に奢るだなんて……」

「んー?」


 砂利の音を立て、店へと歩きながら、林はぼそりと答える。


「ダニエル先生との賭けに負けてな。もしも俺がその賭けに勝ってたら、ダニエル先生が俺に寿司を奢ることになっていた。悔しいが、仕方ねえ」

「はあ……。しかし、そこになぜ俺も含まれているのです? 二人の間の賭け事だったのですよね?」

「一々細かいところをうるせえな……女にモテねえぞ? お前は黙って俺に奢られればいいんだよ。それともなんだ? お前が奢ってくれるのか?」

「ムカ。……びた一文払う気もありませんし、そもそも払えないでしょうし」

「だしょ? だから、奢られろ」


 相変わらず釈然としない理由のまま、誠次は林の後を追っていた。


「……ウム」


 そんな二人の教師と生徒の背中を見守り、ダニエルは愉快げに、自慢のカイゼル髭をそっと整えていた。


「――いらっしゃい。お待ちしておりました、林さん」


 冷房が効いている店の中で出迎えたのは、和装姿の女将であった。銀座のマダムらしく、眉目麗しい貴人のような佇まいをした女性でもある。


「こんにちは。予約して来ました」

「承っております。あれ、まさか本当に先生だったなんて」


 口に手を添えて微笑む女将は、後ろに立つ誠次とダニエルを見つめてから、林に言う。

 口元の小じわほどしか目立たないはりの良い顔で笑みを向けられた林は、どこか気恥ずかしそうに、髪をかいていた。


「嘘は言っていませんよ」

「ごめんなさいね。さあ、こちらです。手荷物はありませんか?」


 女将に促され、林はカウンター席に着席する。

 誠次はと言うと、店が放つ圧倒的な目に見えないオーラのようなもの――すなわち、敷居の高さからくる学生の自分が居ていいような場所ではない、と言う、誰に言われているのでもない無意識に沸き立つオーラにやられ、思わず動けないでいてしまった。


「――そう緊張しなくとも。若い子も結構来られますよ?」


 女将に微笑され、誠次はどぎまぎとしてしまう。


「し……しゃす……」

「お前は高校球児か」


 林のツッコミを受けながら、ぎこちない歩き方のまま、誠次は林の隣の席へ座る。

 目の前のガラスのケースに収まっている新鮮な魚介類の数々に視線を奪われていると、右隣りにダニエルが座り、誠次は二人の男性教師に挟まれる事になった。


「それでは、悪いですな林先生殿ッ!」

「いえいえ。賭けに負けたんですから、遠慮なく食べてくださいよ」

「だから賭けとは一体……?」

「お前も遠慮すんじゃねえぞ? 最低でも三〇貫は食え」


 林に背中を叩かれ、誠次はそこを不満気な表情をしながらさすりつつ、改めて前を向く。

 所謂回転寿司には、八ノ夜や友人と何度も行ったことはあるが、このような所謂回転しない寿司は、初めてである。

 なので、勝手も何も分からなかった。確か、食べる順番とか、細かいルールのようなものがあったような気がする。

 そわそわした思いと身体のまま、とりあえずはおしぼりで手を拭いていると、左隣に座る林が、板前に声をかけていた。


「おすすめを三人分で」

「はい」


 短いやり取りの後、板前は早速、熟練された手つきで素早く魚を捌き始める。それを見ているだけでもお金が取れてしまいそうな、無駄のない手つきであった。


「……こういうお店、慣れているのですか?」


 目の前で繰り広げられる板前の手捌きを、どこか感動ものでじっと見つめながら、誠次は林に問う。


「数回だけだよ。俺、そんなお金あるように見える?」

「いえ」

「いやお世辞でもいいから、見えるー林先生ステキーとか言おうよ……」


 一方で、ダニエルはすでの生ジョッキを持っていた。


「では、失礼しますぞ二人ともッ!」


 ダニエルが黄色い液と白い泡をぐびぐび飲み始める。大人になればその美味さが分かるのだろうか、太い首の大きな喉仏が、上下に揺れる。

 なぜ林は飲まないのだろうかと思ったらそうだった。飲酒運転になるのだった。車の運転にも法律で定められたルールがあり、それにしっかりと従わなければ、捕まってしまう。乗り物の運転は本来、危険な行為であり、スピード違反や無免許での運転等しないよう、法律はしっかり守ろうと、誠次は心に決めていた。


(なんだ、そこはちゃんと、しっかりしているんですね、林先生。やっぱり腐っても先生――)

「あ、俺も生ビール下さい」

「結局アンタも飲むんかいっ!」


 しれっと酒を頼みだす林に、誠次は座席から立ち上がりながらツッこむ。

 

「ちょっと待ってください林先生っ! 飲酒運転は法律違反ですっ!」

「いや、お前に言われたくないんだが……」

「ノンアルですよね!? 勿論ノンアルなんですよね!?」


 一縷の望みを抱き、誠次が林に問うが、林はふっとほくそ笑む。


「馬鹿野郎が……! インアルに決まってるだろうがっ!」

「なんで俺が怒られるんだーっ!?」


 酒を飲みだす担任教師に怒鳴られた誠次は頭を抱えながら、着席する。


「がっはっはっはッ!」


 右隣のダニエルはすでに二杯目に手を伸ばしており、終わった……と誠次は内心で天を仰ぐ。

 しかし、板前から次々と差し出される寿司は美味しく、それを林が奢っているという事を考えれば、下手には反発も出来なかった。

 となれば、なぜ、自分がこのような場所に呼ばれたのだろうか、二人の酔っぱらい男に囲まれた誠次は、もぐもぐと口を動かしながら必死に考える。

 しかし、そのような疑念さえ、板前が丹精込めて作った芸術品と言うべき寿司の味の良さによって、失せていく。ネタにはどれも脂がのっており、シャリが仄かに温かく、とても美味しい。

 しばし時間が経ち、教師陣の二人にも程よく酒が回っていた。

 誠次は女将と会話をしていた。


「それじゃあ君は、林先生のクラスの子ということね?」

「はい」


 なんだろう、よいしょしておいた方が良いのだろうか。

 お茶を啜りながら、ちらりと林の方を見れば、そこにはすでに赤ら顔で()()()()()()しまっている林がいた。

 説得力皆無だろうな……。


「ヒック。言ってやってくださいよ女将……こいつ、本気でまた夜の外に人が出歩けると思ってるんですよ」


 赤い顔で、林は冗談ぽく言ってくる。

 夢を馬鹿にされたような気がし、誠次はやや、苛立った。


「……俺は、出来ると思っています。諦めたら、それまででは、ないですか」

「馬鹿が……。人間、諦めも肝心なんだよ」


 林は薄っすらと微笑み、すぐ隣に未成年がいる状況にも関わらず、タバコに魔法で火をつける。


「それはただ、現状から逃げているだけではないでしょうか」


 誠次はすまし顔で応じると、林はやや無言となり、嫌味っぽく口を曲げた。


「言ってくれるじゃねえかよ剣術士サマ」


 そうして、嫌な臭いのするタバコの先端を、突き付けられる。

 火が灯ったその先を、誠次はじっと見つめていた。


「じゃ簡単な質問だ」


 林の声音は、一瞬にして冷静なものとなる。酒など飲んではいないかのように、顔立ちも神妙なものだった。

 その切り替えのあまりの早さに、誠次は内心でひやりとするものを感じた。


「なんでしょうか」

「仮に、てめえの命を代償に世界が平和になるって言ったら、てめえはどうする気だ?」

「命を代償?」

「簡単な話、お前が死んだら゛捕食者イーター゛も綺麗さっぱりいなくなるってやつだ」


 林が突き出したタバコの白煙の先。そこに確かに見える林の赤い眼光を見つめ返し、誠次は逡巡する。

 そして、誠次は目の前にある魚の切り身を見つめてから、口を開いた。


「……そうであるとすれば、未練は残るでしょうが、命を差し出す覚悟です」


 そう口走った誠次の左頬に、紛れもない強い衝撃が、痛みを伴って走った。身体を吹き飛ばされるほどの勢いで、林が誠次の頬を殴りつけたのだ。


「痛っ!? 一体何をっ!?」

「今のもういっぺん言ってみろ。俺が殺す」


 誠次はひりひりと痛む左頬を手で抑えながら、林を睨み返した。


「酔っているんですか……!?」

「クソシラフだクソ野郎!」

「やめたまえ、林先生殿ッ!」


 二人の間に割って入ったのは、すぐ隣で飲んでいたダニエルである。

 ダニエルほどの体躯に抑えられては、さすがに両者何もできずに、収まるしかない。それでも燻る心は納得できずに、ダニエルに抑えつけられながらも、誠次は反論する。


「俺はあくまで気概きがいを述べたまでです!」

「るせぇっ! んなの訊いちゃいねえ!」

「はあ!? 自分で言ったこともう忘れてるんですか!? 酔っぱらいもここまでくれば末ですよ!」

「だから酔っぱらってねえって言ってるんだろうが! クソ剣術士が!」


 口でやいやい言い合いながらも、身体はがっちりとダニエルによって抑えつけられ、誠次も林も一歩も動けない。


「ならばアンタはどうなんですか!? 自分の命を差し出して世界が平和になる状況で、アンタは逃げるのか!?」

「ああ逃げてやるよ。お前みたいな無駄な正義感を履き違えることもなく、我が身欲しさに逃げてやるよ!」

「「この、最低最悪のろくでなし男が!」」


 二人の声が寿司屋で重なったところまで、よく覚えている。


        ※


 ――二人とも馬鹿で、不器用な男の子……。

 ――それは、マサ先輩が、あまりにも無茶なこと言うから……。

 ――行きましょ? つよしはマサよろしくね。

 

 過ぎ去った花の香りがし、机に突っ伏して眠っていた林の目を覚ます。


「ここは……」


 ぼんやりとする意識を取り戻せば、右隣に座っていたのは、ひどく懐かしい顔立ちだった。


「お目覚めですか、マサ先輩。酒もタバコも控えた方が、身の為ですよ」

佐伯さえき……!?」


 特殊魔法治安維持組織シィスティムの第七分隊隊長、佐伯剛さえきつよしであった。

 

「お前、なんだって……――ああそうか、飲み過ぎたか……」


 すぐにこれが夢や幻である事に気が付いた林は、再びニヒルに微笑む。


「俺が酒とタバコ辞めたら、お前は帰ってくるのかよ……」

「残念ですが、それは出来ません。無念ですけど、俺もここでリタイアですよ……」


 林がタバコを差し出すが、佐伯は首を横に振り、受け取らない。

 こいつは昔からそうだった。学生時代から大真面目で、まさしく特殊魔法治安維持組織シィスティムになるべくしてなったような、正義の塊のような男。

 しかし、そうした奴こそ、こぞっていなくなっていく。ましてやこいつには家族がいたはずだ。守るべき人が。

 ――アイツと、同じように。


「無念か。やっぱお前も、死にたかなかったわな……」

「そりゃそうですよ……。ですが、こればかりは仕方がありませんよ」


 佐伯は林の背中をぽんと叩き、席から立ちあがる。

 追いかけようと席を立とうとした林であったが、まるで釘でも打たれているかのように、両足は椅子から離れなかった。


「待ってくれよ佐伯。久しぶりに会えたんだ。まだ話したいことが沢山あるんだ!」

「いいえマサ先輩。死人を追いかけても、意味などもうありません。重要なのは、今を生きる人でしょう?」


 それに、と佐伯は微笑む。


「無念はありますが、後悔はありません。なぜならば、やり遂げたことが、一つあるからです」

「やり遂げたこと……? なんだ、それは……」


 林が問うても、佐伯は首を横に振るだけだ。


「残念ですが、()()では教えられないことです。ですが俺は、最後までこの魔法世界が良くなることを思って、任務を全うしたと、誇りに思っています。そりゃあ、死んでしまったら元も子もありませんが、人は絶対にいつかは永遠に眠らなくちゃいけなくなる。その終着地点までに、なにか、歴史を変えるようなことが出来ていたとすれば、その眠りの時もいい夢が見れるんじゃないでしょうかね?」


 佐伯はそこまで言うと、どこか気恥ずかしそうに、鼻先をかいていた。


「……阿呆が。本当、お前ってやつは……」


 目頭にこみ上げた熱いものを隠しながら、林はそう返すと、空になっているジョッキを見る。


「悪いな、佐伯……。もう少ししたら、俺もそっちに行く。その時は今度こそ、あの世のお前の家を汚しに行ってやるよ。お前だって寂しいだろ、せっかく結婚したのに、一人だけはな」

「申し訳ありませんマサ先輩。まだ貴男をここに来させるわけにはいきません。全力で追い返します。せめて、そのタバコ臭いのどうにかしてからです」


 佐伯の亡霊に諭され、林は肩を竦める。


「お前もなかなか辛辣だな……。分かったよ――」


                ※


 一通り酒を飲み干し、机の上に突っ伏してしまった林を横に、誠次は茶わん蒸しを食べ終える。


「――向原琴音むかいはらことねクンと連絡はついたッ! 迎えに来てくれるそうだッ!」


 ダニエルが電子タブレットを閉じ、誠次に告げる。


「……申し訳ございませんでした。喧嘩のようなことをしてしまって……」


 誠次は謝るが、ダニエルは首を横に振る。


「思えば、吾輩がここに呼ばれたのも、もしかすればこの争いごとを止めるためであったのかもしれぬな」


 ダニエルはそんなことを言う。


「林先生はあの質問に、俺がああ答えることを予期していたと言うのですか?」

「おそらくな。そして、吾輩も君の口のからあのような言葉を聞いた時、この上なく悲しく感じたぞッ!」


 ダニエルはホリの深い目元の奥の視線で、誠次を睨んで言う。


「あれは極論でしたが……そのような思いで、俺は戦う覚悟があると思ったまでです」


 ですが、と誠次も、やや気落ちしていた。


「心配かけてしまったのは、申し訳ないです……」

「――俺こそ、悪かったな、剣術士」


 テーブルに突っ伏していた林が、ゆっくりと顔を上げ、ぼさぼさの髪を触っていた。

 その姿は、なんと言えばいいのか……長い戦いを終えた後の戦士のような、物悲しさを漂わせているようだった。


「起きていたのですか」

「年下の子供相手にムキになって……手を出すなんて……俺も焼きが回ったな」 


 林は胸ポケットをちらりと見ると、そこに一本だけ残っていたタバコを見つけ、それを取り出し、口に咥える。


「俺こそ……。こうして今の俺がいられるのも、みんなのお陰だと言うのに、軽はずみな発言でした……」

「……こう言うのは嫌いだがよ」


 タバコを口に咥えたままの林はそう言いながら、テーブルの上に頬杖をつき、誠次に赤い目を向ける。


「約束しろ剣術士。せめて、俺より先にくたばんじゃねーぞ。これは俺からの宿題だ。永久的な、な」


 林の視線は、誠次に対し、有無を言わせない気迫であった。


「宿題は苦手ですが……」

「やれ。さもなきゃ成績落とす。魔法学」

「ここへ来て一番関係ある科目ですか……」


 ため息をつく誠次の隣で、林はカウンターの向こうを見上げる。


「申し訳ありませんでした、板長さん。みっともないところを見せてしまいました」


 最後の一品を作っている最中の板長は、出刃包丁を片手に、動作を一旦止め、微笑んでいた。


「いえ。私たちは魔法が使えませんからね。ですから、こうやって若い人たちに向けて、せめてもの癒やしや、また元気な姿で来て頂けるよう、ただただ丹精込めて寿司を握るだけですよ」


 板前の言葉を聞き、誠次も頭を下げていた。


「飲み直しますかな?」


 ダニエルがジョッキを片手に問うてくる。

 まさか、と誠次が恐ろしい思いで林とダニエルを交互に見る。


「そうっすね」


 林は苦笑して、女将にグラスを差し出す。


「ほれ剣術士。最後まで付き合ってもらうぞ」

「ま、まだ飲むのですか……?」

「当たり前だろー? 最後まで付き合えよ? もう逃げないんだろ?」


 誠次は二人の酒豪に囲まれ、お茶をちびちびと飲み始める。向原が迎えにくるまでは、試練の時間が続くようだ。


「ところで……いま大体幾らぐらい行ってる?」

「フム……下手をすれば十は行っているかもしれぬな……」

「払えませんよ」


        ※


 本来ならば夏季休暇の為、暇であったはずなのだが、理事長からの至急の案件が舞い込んできた。

 その内容は至って簡単なもの。愛知県名古屋市にあるホテルで一泊をしてほしいとのこと。


『すみません林先生、ダニエル先生。苦労をかけます』

「これくらい構いませんよ。それに、美味いひつまぶしも食えましたし、むしろ感謝するのはこっちですよ」


 一泊分の簡素な手荷物をベッドの上に放り、早速林は、ホテル自室内の冷蔵庫で冷やしておいた缶ビールを取り出す。502号室。ただそこで、()()()が来るのを待てばいい。

 林は缶を口につけ、ごくごくと喉音を鳴らし、ビールを胃に流し込む。


「……それに何より、光安の連中には貸しがある」


 開け放った窓の先に広がる名古屋の夜景を睨み、林は言う。


『……林先生。お気持ちはわかりますが、あくまで作戦は――』

「分かっていますよ。できる限りの足止め、ですよね。俺だって一応、多くの生徒を預かる魔法学園の教師だっていう自覚はあります。下手に動けば、それこそ学園の生徒にも影響が出る」


 心配そうに言う八ノ夜はちのやに、林は肩を竦めて応じていた。

 ただ、と林は部屋にあった鏡を見つめ、自分の姿を睨みながら、言う。


「……天瀬誠次だって、俺のクラスの魔法生の一人だ。いくらアイツだからって、これは危険すぎると思いますが」

『きっとやり遂げてくれますよ、天瀬は』

「そうまでする意味が、なんちゃら帝国のお姫様にはあるんでしょうか?」


 空になったビール缶をベッドデスクの上に置き、林はワイシャツのネクタイを解く。この赤いネクタイは……そうだ。希望と夢を胸に抱き、魔法を学んだ学生の頃の、証。今は亡き思い出たちが結ばれた、ヴィザリウス魔法学園初期入学生の、赤いネクタイだ。


『ただ人を守りたいから、守る。そしてそれは、もれなく正しいことである。私も……きっと天瀬も、同じそんな思いだと思います』

「……」

『貴男だって、同じ思いで、この役を引き受けてくれたのでしょう?』


 ハノ夜に指摘された林は、ハっとなり、鏡に映った自分の姿をじっと見つめる。

 ――妙なものだ。髪はぼさぼさに伸び、無精髭も生え散らかした顔立ちと身体が、みるみるうちに若返って見える。どうやら、魔女に魔法でもかけられてしまったようだ。

 軽く首を横に振ると、そこには、いつもの自分の姿があった。


「ご生憎、俺は性格が歪んでますんで。とてもアイツのようには振る舞えないっすよ。それこそ、誰かを守るだなんて、口が裂けても言えないですよ」


 林はそうほくそ笑み、そっと、鏡から視線を逸らす。


 ――昔、夢を見ていた。共にその夢を見て、いつかその光景にたどり着こうと、同じ道を歩んでいた足音は、今では随分と少なくなってしまった。

 やがて、自分もまた、進み続けることをめようとしていた。

 そんな時、自分の足跡を辿るようにして、剣を持った男の子が、後ろから追いついてきた。なんでも、魔法が使えないくせに、生意気にも、夜の世界を取り戻したいんだとか。

 生徒がそう言うのなら仕方がない。どのような場合でも、どのような夢でも、教師としては、応援せざるを得なかった。

 歪んでしまった自分なりの、歪んだ方法で。


「ダニエル先生。そっちは準備okですか?」


 すぐ隣の部屋にいるダニエルへ、林はデンバコで連絡を入れる。


『大丈夫ですぞッ! そちらこそ、抜かりはないですかな?』

「ええ。しばらくは室内待機ですよ」


 室内を一通り見渡した林は、ふと、とあることを思いついた。


「せっかくですし、賭けでもしませんか、ダニエル先生?」

『賭け事はあまり好きではありませんがな……』

「簡単な賭けですよ。そうですね……負けた方はザギンでシースーを奢るって言うのはどうですか?」

『ザギンでシースーとは、中々値が張りそうですな。しかし、いいでしょう。吾輩も寿司は大好きですからなッ!

「決まりですね。賭けの内容は、至ってシンプルです」


 林はニヤリと、笑みを零す。


「果たして剣術士が大切なものを守りきれるかどうか、です。――俺は当然、そんなのは不可能だって方に賭けますよ」


 賭けの結果は、すぐに出る事だろう。

 なに、貧乏くじを引くのには慣れている。悪運の強さは、折り紙つきだった。


挿絵(By みてみん)

林先生の学生時代のお話も書きたいけど、間違いなくどシリアスになる模様。

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