3
その昔、百合への学園紹介の為に、一度は女子更衣室のドアを通過した事がある誠次。男性禁制の場であるので、入るには女子の学生証が必要だ。
それは逆に言えば、女子の学生証さえあれば、後はセキュリティもなく誰でも自由に出入りされてしまうのだ。
「案の定、なんだな……」
中へ入った途端、広がっていた予想出来すぎた光景に、誠次は思わず唖然とする。
今頃は水着に着替え、更衣室の奥の広いプールで優雅に泳いでいる最中の女子高生の制服や着替えを、三人組の男が鞄に詰め込もうとしているのだ。
《インビジブル》は使用者の発する声までも、周りの人間には聞こえなくする。よって、それはそれは息のあった動作と手つきで、お互いの犯罪行為を手際よくこなしている。この瞬間の為に、綿密に練られた犯行だろう。
誠次には丸見えなので、女子たちの着替えや制服を鬼のような形相で鞄に詰め込んでいる男たちの姿は、とてつもなく滑稽ではあった。
三人のうち二人が、プールサイドへと向かうためにドアを遠慮なく開けたところで、誠次は潜めていた身体を動かす。
「――動くな、俺にはお前たちが見えている」
一人で更衣室に残り、鞄が膨れ上がるまでに女子生徒の着るものを詰め込んだ男の背に近づき、背中からそっと声をかける。
「え、なにっ!?」
まさか目撃者がいるとは思っていなかったのだろう。《インビジブル》を解除して立ち上がろうとした男の背後から、誠次は背中から抜刀したレヴァテイン・弐を突き出し、右肩の上に添える。
視界の右端で黒と銀の光が煌めいたのを確認したのか、男は金縛りにあったかのように、立ち上がろうとした中腰の姿勢のまま、動かなくなる。
「下手に動くな。この剣はお前の身体を易々と斬り裂ける。左手は頭の上へ。泥棒だな?」
ゆっくりと持ち上げた男の左手から、ヴィザリウス魔法学園の女子制服の灰色のスカートがするりと落ちていく。
「う、嘘だろ!? 《インビジブル》は発動していたはずだぞ!?」
「聞いたことはないか? 魔法世界の剣術士、と」
「知らねーな……。クソダサいぜ?」
おちょくるように笑いかける男に、誠次は動じず、
「そうか。あまり学園を血で汚したくない。出来れば平和的な解決がしたいんだ」
「おもちゃの剣なんか向けられて、そうは問屋が卸すと思うか……?」
男が持ち上げた左手に見える、微かな魔法の光。それを左目だけでちらりと見た誠次は、軽くため息を溢す。
「おもちゃの剣、か……。それでも俺は、このレヴァテインと名付けた剣を使って、多くの戦いを乗り越えてきた――」
「けんじゅつしだか、なんじゅうしだか知らねえが……気取ってんじゃねえぞ餓鬼っ!」
咄嗟に振り向きながら、男が無属性の攻撃魔法を放つ。
至近距離の真正面で放たれた魔法であったが、それは誠次の身体に一切のダメージを与えることはなく、ただただ魔素と魔法元素による魔法反応が引き起こした微風が、茶色の髪を揺らすだけに終わる。
「はっ!? ま、魔法が、効いてない!?」
「――だから、これからもそうしていく」
首を軽く傾げ、誠次は男の腹部へ狙いを定め、半身となっているレヴァテイン・弐の尖端を突き刺す。
「ぐふっ!?」
分厚く柔らかい肉を貫いた感触を確認すると、誠次はすぐに手を引き、男の体から尖端が赤く染まったレヴァテインを離す。
「い、痛いっ! ゆ、許してくれっ!」
「大切な魔法学園に手出しはさせない。死にたくなければすぐに治癒魔法で治療しろ! 命に関わる。まだ刃向かう場合は、次は右腕だ」
レヴァテインを軽く払い、その尖端を再び、ずるずるとロッカーを背に倒れた男の右肩へと添える。
「わ、分かった! 頼む、許してくれっ!」
口で荒い呼吸を繰り返し、全身から汗を噴き出す男は、恐怖で震えているいようだった。
「許しはしないが、無駄に斬りもしない。そこでじっとしていろ」
「は、はいぃっ!」
これ以上何もされないように、誠次は証拠ともなる女子の制服が詰め込まれた鞄を足で蹴飛ばし、ぐったりと倒れ込む男の元から遠ざける。
一人目を剣で制圧した誠次は、残る二人の侵入者を追い、塩素の匂いが漂うプールサイドへ突入した。血が付いたレヴァテインを握ったままでは混乱を招くかもしれないので、それは背中へと一旦収める。
「――タイム下がってるよーっ! もっと足意識して!」
独特の反響音が響き渡るプールサイドでは、ヴィザリウス魔法学園の女子水泳部のユニフォームである、白地にそれぞれの学年カラーが入った競泳水着姿の女子たちが、真剣に部活動に打ち込んでいる最中だった。
今年度から上級生となった、緑色のラインの三学年生の女子が声を張り上げて、プールで泳ぐ少女たちを激励している。
「確か二人だった……でもどこへ?」
一通り見渡してみても、肌色が目立つ少女たちの中でもさらに目立つはずの、私服姿の男性二人組の姿は見えなかった。
――そして、この場において誰よりも目立つのが、ヴィザリウス魔法学園の白の制服姿の、天瀬誠次であった。
「せ、誠次くんっ!?」
驚いた様子で声をかけてきたのは、首にタオルを回した競泳水着姿のクラスメイト、本城千尋だった。ツインテール姿ではなく、水泳用のロングヘアー姿だ。
知人を真っ先に見つけられた事は幸運だと、誠次は千尋の元へ駆け寄る。
「千尋、落ち着いて聞いてほしい。顧問の祭田先生は?」
「い、今は席を外しております。ご用でしたら、部長の方へ。私が伝えましょうか?」
誠次がここにいることに驚いたまま、千尋は誠次に返答する。
「いや、ここに《インビジブル》を使った侵入者がいる。危険だ」
誠次は両手で、千尋の湿っている両肩を掴み、落ち着かせながら言う。
「え……」
至近距離で見つめ合い、顔をほんのりと赤く染めた千尋だったが、すぐに緊急事態を理解する。
「分かりました。誠次くんには、私たちが見えないものが見えるのですね」
誠次の左の黒い瞳を、信頼を込めた表情の緑色の瞳で見つめ、千尋は言う。
「ああ。一人は更衣室で、もう制圧した。残り二人がこの室内のどこかにいる。みんなを危険に晒すわけにはいかない。手を貸してくれるか?」
「かしこまりましたっ。私に出来ること、何でも仰って下さい、誠次くん」
千尋は確りとした芯のある強い気合いを、本来のその優しげな顔立ちに浮かべ、力強く頷いていた。
「ありがとう千尋。みんなの安全と、レヴァテインに付加魔法を――」
「――な、なんで男子がいるのっ!?」
千尋に付加魔法とみんなの避難誘導を頼もうとしたその瞬間、こちらをぷるぷると震える手で指差し、叫ぶ同級生の少女がいた。赤いショートヘアーをした、いかにもスポーツ系な少女である。確か火村と言った、生徒会執行部の書記の少女だった気がする。水泳部だったのだろうか、肌も少し日焼けしているようだが。
「お、落ち着いて下さい紅葉ちゃんさん!」
「へ、変態! 盗撮魔っ! どうせその眼帯に、隠しカメラ仕込んでるんでしょっ!?」
「どんな無駄使い極まりないハイテク技術だ!?」
びしびしと指を差し、火村紅葉と言う少女が、誠次を軽蔑の目で睨み付ける。
「中二病で変態で盗撮魔って、救いようないわね!」
「中二病なのは認めるし、変態なのもそうかもしれない! ……でも、俺は決して盗撮魔なんかじゃない!」
「否定するのはそこだけなのでしょうか……」
叫び返す誠次に、千尋が恐る恐るツッコんでいた。
「おっ、剣術士くんじゃん」
「そう言えばひむちゃん、前剣術士くんが来たとき、ちょうど風邪で休んでたんだよね」
「ま、前もって……常習犯!? しかも……受け入れられてる!?」
「根本が違う! 根本が!」
先輩も含め、次々と寄ってきた競泳水着姿の女子たち。
てんやわんやであり、火村から完全に誤解されてしまっているが、水泳部の女子を集めることには、ある意味成功している。
「君はここへ来る度に怪我をしていないかい? 色々な意味で」
三学年生の先輩が苦笑しながら、誠次の前まで歩み寄る。
「部長さんです」と言う千尋の声を受け、誠次は軽く頭を下げる。
「お騒がせしてしまい、申し訳ありません、先輩。今は千尋さんの指示に従って、ここから避難してください」
「え、避難? 僕にはよく分からないんだけど……」
困惑した様子で紫色の横髪をかき、部長は誠次と千尋を交互に見る。
「部長っ! こんなど変態の言うことなんて聞かないで下さい!」
「真面目な話だ!」
思わず苛立ってしまった誠次が、火村へ向け叫んでいた。
急に怒鳴られ、びくりと身体を震わせた火村であったが、すぐにむすっとした表情で誠次を睨み付ける。
「何で香織生徒会長は、こんな男の事を……」
小さな声で、何かが気に喰わないようにぶつぶつと、誠次には聞こえない言葉を火村は呟いていた。
「うーん。我が部が誇る゛人魚姫゛ちゃんは、彼の言うとおりにした方が良いと思うのかな?」
悩んでいた部長は、火村と誠次の間に立つ千尋に判断を仰ぐ。
「は、はいっ。誠次くんの言葉に、嘘偽りはないと信じれます!」
やや緊張した面持ちで、千尋は首を縦に振る。
「本城さん!? 部長っ!?」
火村が詰め寄ろうと身体を動かせたその後ろで、底の色がそれなため水色に見えるプールの水中から、不自然な水飛沫が上がる。
魔法による攻撃の合図。誠次がそれを見た瞬間、思わず声を発する。
「止せ、やめろっ!」
「は!? 急に何を叫んで――」
呆れる火村の背中に飛び出し、誠次は背中のレヴァテイン・弐を鞘から抜き放つ。水面から突き出た手より、攻撃魔法が放たれたのは、それと同時の瞬間だった。
誠次のレヴァテインが飛来した魔法の弾を斬り、弾き飛ばす。甲高い音と共に、異常事態を察した女子たちの悲鳴が重なる。場所が場所な為に、まるで鼓膜が破れるかと思えるほどの、耳鳴りがする悲鳴の反響だった。
「……ふぇっ?」
何が起こったのかよく分からないまま、ぺたんと、プールサイドに尻餅をついた火村の目の前で、誠次はレヴァテイン・弐を構える。
「攻撃を受けている! 早く逃げろ! ――っ!?」
続いて放たれた二発目の攻撃魔法の弾が、誠次の目の前まで飛来するが、
「《プロト》っ!」
後方より、千尋が得意とする強固な防御魔法が、誠次たちへの攻撃を防いでいた。
「助かった。さすがの防御魔法だ、千尋」
「詩音ちゃんさんとの特訓で深く習いました! 集団戦では、魔法名を言う行為の詠唱、が必要なんですよね!」
細長い綺麗な右手を伸ばし、千尋はどこか嬉しそうに、言っている。
「いつの間にそんな事を……ありがとう。……今はみんなを連れて避難してくれ」
「はい!」
「更衣室にはすでに無力化した男が一人いるはずだ。出来ればその男が逃げないよう、見張っていてくれ。篠上が先生を呼んですぐに来てくれているはずだ」
「綾奈ちゃんが!?」
篠上の名を聞き、強張っていた千尋の表情が、嬉しそうに解れる。やはり、お互いに友情は固いようでなによりだ。
「安心してくれ。更衣室には行かせはしない! 俺が守る!」
再び飛来する魔法の弾をレヴァテインで弾き飛ばし、誠次は顔だけ後ろを向く。そこには、背中から抜刀したレヴァテイン・弐を持つ誠次を、呆気に取られた表情で見上げる火村がいた。
「立て、君も早く逃げろ!」
「っ! え、偉そうにっ!」
誠次が伸ばした左手を掴んで立ち上がり、火村はよろよろと走り出す。
「みんな、こっち!」
「どうかご無事で、誠次くん!」
部長と千尋の誘導の元、女子水泳部員たちが更衣室へと逃げ込む。その間も、誠次は水中からの攻撃をレヴァテインで捌き続けていた。
「入学式の忙しさに乗じて学園に進入し、盗みと盗撮を狙ったか!」
水面へ向けて誠次は叫ぶ。
滑稽にも服のままプールに潜水し、高性能そうな水中ゴーグルとカメラを装着した侵入者二人組が、頭のゴーグルを持ち上げて、侵入を看破した誠次を見つめる。
「ぷはっ! な、何だってばれたんだ!?」
「ぷはっ! アイツがしくじったのか!?」
「大人しく降伏しろ! 無意味に怪我をすることはない!」
片割れのレヴァテイン・弐を両手で握り、誠次は叫ぶ。
「格好つけてるんじゃねえ! 魔法生がなんだ、やってやる!」
「数年かけて計画したんだ……こんな所で頓挫させてたまるか!」
数年かける心意気は良いが、やっていることがやっている事だけに、いまいち拍子抜けしてしまう。
「喰らえ!」
誠次目掛けて飛来する、攻撃魔法の数々。
誠次は自分に直撃するコースの魔法を見極め、レヴァテイン・弐を振るい、それらのみを弾き飛ばす。残りの魔法は足元と後方に着弾。青いビート板と、黄色いコースロープが衝撃で飛び交う。
「っく。……やはり片目だけだと距離感が掴みにくい。感覚は戦いの中で掴み取るしかない……か」
ぼそりと呟いてから深呼吸をし、誠次は「今度はこちらから行くぞ!」と一気に声を荒げ、奔る。プールサイドで薄く伸びるように流れる水を靴で蹴り、水音を立てながらプールへ接近する。
接近する誠次を見るや、男たちはついさきほどまで女子生徒が優雅に泳いでいたプールへ深く潜水する。
「小癪な……」
水中深く潜った男たちを睨み、誠次は立ち止まる。
乱反射する水の果てより、魔法の光が見えた瞬間、それが誠次目掛けて高速で接近する。思わず身を引いた誠次の目と鼻の先を、水中より放たれた魔法が通過して行った。
魔法の発動に必要なのは、人の体内にある魔素と呼ばれる元素と、大気中にある魔法元素と呼ばれる元素だ。水中にも魔法元素の存在は確認されており、難度は高いが、魔法の発動は出来る事が分かっている。
「水中戦は不利だ。ここは大人しく、待たせてもらう」
どちらにせよ、こちらの優位に変わりはない。わざわざ敵の得意な土俵に入る事もせず、誠次はレヴァテイン・弐を右手に、静かに水面を見つめ、佇んでいた。
※
「ハアハア……。最後に、水着女子高生に囲まれるなんて、俺は幸せ者だ……」
「「「うわ、キモ……」」」
更衣室では、誠次に腹部を斬られた男が、治癒魔法で応急処置を施した身体のまま、女子生徒たちに囲まれていた。
「あれま。見事に僕の制服取られちゃってるな……。千尋ちゃんと紅葉ちゃんの制服は無事だったよ」
「ありがとうございます。さあ、紅葉ちゃんさんの制服です」
「あ、ありがと……」
ぼうっとしていた火村に、千尋は制服を手渡してやる。
「千尋ちゃんって、落ち着いてるね……」
千尋は無事であった自分の制服を見つめ、どこか懐かし気にしていた。
「……去年の秋ごろに、このような状況には誠次くんと共になっていましたので。紅葉ちゃんさんの、どうしたら良いのか分からなくて、咄嗟に身体が動かない状況も、私にはよく分かります……」
微笑む千尋はベンチに座っている紅葉の前でしゃがみ、震えている両手を優しく取ってやる。
「その時に私は、お友だちに守られたのです。その時のご恩は今も忘れていませんし、なにより私も、その時のお友だちのようになりたいのです」
黄緑色の瞳に決意を込め、千尋は言っていた。
「……」
火村は真っ直ぐな感情を伝える千尋を見つめ、少しだけ申し訳なさそうに、俯いていた。
「あれ、貴女は……?」
気落ちしている火村の後ろを駆けていく、桃色髪の少女が一人いた。
※
「いい加減にしたらどうだ? どちらにせよお前たちの負けは決まっている」
プールサイドにて、水中に向け声を掛ける誠次。息継ぎの為に時より顔を見せるのだが、どれもレヴァテイン・弐の間合いではない。せめて魔法のように遠距離攻撃が出来れば、決着は早く着くのだろうが、誠次には魔法が使えない。
「――ただ待ってるのは、性に合わないわ。だから、こっちから行くの。さっきだって」
水の前で立ち尽くす誠次の隣へ、一つ年下の後輩少女がたどり着く。
「また君か!? 篠上に言われただろ!? ここは危ない。早く戻れ!」
「……さすがにここまで気づかれないと、自分に自信がなくなるんですけど……」
「本当に危険だ! 遊びじゃないんだぞ!」
「危険だったら、あなたと一緒に乗り越えた!」
少女は誠次の元へ駆け寄ると、とある魔法式を展開する。魔法式自体はそれほど難しくはなく、どちらかと言えば簡単な分類だ。それでも、その必要性の薄さを指摘され、あまり扱われる事のなくなった魔法。
しかしそれこそが、誠次が剣術士として、この魔法世界で魔術師と対等以上に戦う術であった。
「緑色の、付加魔法……」
色褪せない記憶に浮かぶのは、まだどこか子供っぽい印象のあった少女であった。ロングツインテールを、短くしていた影響もある。
「と、桃華か――!?」
誠次が驚いていると、少女は待ち詫びていたと言わんばかりに、赤いフレームの眼鏡を、何かのパフォーマンスのように投げ飛ばす。
「一応、今は結衣って名前だったけれど。今は特別にその名で呼んで良いわ――゛セイジ゛」
桃華は微笑むと、誠次の右手のレヴァテイン・弐に、緑色の付加魔法の光を浴びせる。
「あれ。やっぱりなんか……前と形が変わってる? 増えてるし」
未だ腰の鞘に納刀されているもう片方のレヴァテイン・弐を見つめ、桃華は面白げに言う。
「あれからも色んな事があったからな。今は、レヴァテイン・弐って言うんだ」
「ウル……?」
「八ノ夜理事長は、北欧ルーン文字の第二部と言っていた」
「……難しいわ。今はそれより、やることがあるんでしょう……セイジ?」
付加魔法中の相変わらずの傲慢さも、無邪気さも、ここまで来ればご愛嬌だ。
「そうだったな。剣の攻撃が届かないと思っている水中の相手に、文字通り泡を吹かせてやるさ!」
意気込む誠次は、腰の鞘からもレヴァテイン・弐を抜刀し、緑色の刀身を伸ばす片割と、内側同士を合わせて連結させる。片手で扱うには少々重たく、大きい。しかしこれこそ、レヴァテイン・弐の本来の姿と言えよう。
溢れ出す緑色の光は、眩い閃光となり、プールの深い水を緑色に染め上げる。
「流血はさせない。学園を汚してなるものか」
緑色の光を放つ左目で、水中を睨む。眼帯が付いている右目からも、白い生地の下から溢れんばかりの緑色の光が溢れている。
「剣は斬るものよ、セイジ?」
「俺なりのやり方がある!」
「相変わらずね。なら、見せて頂戴!」
「上等だ!」
顔を赤く染め上げる桃華が見守るなか、誠次は両手で握ったレヴァテイン・弐を、高々と頭上で掲げる。
桃華の付加魔法を受け、出力を高めたレヴァテイン・弐の緑色の刀身は、もはやプールサイドの天井に届くほどまで大きく伸びていた。
「そこはすでに、俺の間合いだ!」
誠次は限界まで伸ばしたレヴァテイン・弐を、思い切り降り下ろす。怒りの鉄槌を降り下ろしたかのような強力な一撃は、底深いプールの水を、激しい飛沫を上げて切り裂く。
「喰らえーっ!」
――そして、更には。レヴァテインから放たれた緑色の衝撃波が、プールの底まで到達する。衝撃で水はうねり、大波となってプールの両端へと溢れていった。
「「ぎゃあああ!?」」
浮かび上がった水から、情けなく二人組の男が飛び出し、プールサイドの床の上にずぶ濡れの全身を叩きつけられる。
「これ以上は無駄だ!」
再び分解したレヴァテイン・弐を左右の手で片方づつ持ち、プールサイドの上に打ち上げられた二人の男にそれぞれ向ける。
誠次に緑の剣と、緑の眼光を向けられた両者とも、身体を震え上がらせる。温水プールなので、それは長時間水中にいた為に起こる現象ではないだろう。
「「――侵入者めがーッ!」
突然、更衣室方面のドアが開かれたと思えば、突入して来たのは男子体育教師兼男子サッカー部顧問の岡本先生と、女子体育教師兼女子水泳部顧問の祭田先生であった。二人とも魔法が使えない年代の教師なのだが、その畏怖さえ感じる怒りは、魔法を悪へ使った魔術師への制裁へと使われる。
「うわ、これからの魔法生生活を送るに当たって、あれは見ない方が良いと思う……桃華」
「そうするわ」
桃華は床に落ちていた濡れた赤い眼鏡をさっと拭き取り、目元に掛け、結衣となる。
誠次もまた、教師が来たタイミングを見て、レヴァテイン・弐に掛かっていたエンチャントを任意解除していた。
「――今年も新学期早々から随分と盛大にやらかしたな、天瀬」
やや遅れてやって来たのは、このヴィザリウス魔法学園のトップに立つ女性、八ノ夜美里だ。
誠次はレヴァテインを背中と腰に同時に納刀し、軽く頭を下げる。
「入学式の忙しさに乗じて、《インビジブル》を使用し、学園内に侵入されていました」
「それで下着泥棒か……。呆れて物も言えないよ……」
やれやれと、八ノ夜は連行される二人組の男を眺め、肩を竦める。
「昨年は美少女一人で、今年は野郎三人組ってわけか?」
「因縁、ですかね」
塩素の匂いが鼻に染み入るようで、誠次は苦笑しながら答えていた。
「君もよく天瀬に力を貸してくれた。私からも感謝する」
八ノ夜は結衣を見つめ、何かを察し、微笑んでいた。
「いえ。私が進んでやりたいと思っていましたし、久しぶりでドキドキしたけど、不埒者を捕まえられて良かったです」
「調子いいな……」
極めて真面目で優等生な女の子を演じている結衣を、誠次はジト目で見つめていた。
一方で、
「――天瀬お待たせっ! ……って、終わって、る……?」
プールサイドに駆け込んだ篠上は、すでに騒動が終息していたことに呆気にとられる。
「終わってますよ、先輩?」
戸惑う篠上に声を掛けたのは、プールサイドを後にしようとしていた、結衣であった。心なしか彼女は、不敵な笑みを浮かべているように、篠上には見えてしまい。
「危ないから外で待機してって、言ったわよね?」
「状況を判断して、先輩の加勢に来ただけです。結果的に私は天瀬先輩の力になれました」
「私だって……っ」
篠上が振り向くと、少女はすでに背を向けていた。
「……何なのよ、あの娘。私の方が……」
胸に手を添えて、不満気に呟いた篠上の声は、事件現場となったプールサイドに寂しく反響する。
※
「――保護者説明面倒臭っ!」
「頑張りましょう理事長っ!」
これまた昨年と同じく、入学式後に理事長室に呼ばれた誠次は、開口一番に悪態をつく八ノ夜の相手をさせられていた。
「まさか私の代になってからの最初の学園の侵入者が下着泥棒なんて……私が恥ずかしいわっ!」
皆の前では普段は凛々しい理事長としての顔を遺憾なく見せているが、二人きりになったとたんに、その理想的な魔女像は崩れ落ちる。
「私はもっとこう、大規模武装グループ的なのが来てほしかったんだ!」
「なにさらっと学園の危機を望んでいるんですか!?」
「可愛い生徒が人質にとられて……それを格好よく助けたいとは思わないのか!?」
「この理事長、生徒の危機にいざと言う時まで手出ししないつもりだ!」
思わず頷きかけたところを寸で止め、誠次はおっかなびっくりにツッコむ。
「ふ……。こうして理事長室で話していると……一年前を思い出すな」
一通り言いたいことは言えたのか、落ち着いた偉大な魔女を前に、僕である剣術士も軽く頷く。
「……そうですね。そこから、俺の剣術士としての全てが始まりましたよね」
誠次は周囲を見渡して、呟いていた。
「もう迷いはないか?」
理事長室の机に手を添える八ノ夜の問いに、誠次はすぐに首を縦に振る。そして、優しくも力強い意志を放つようになった黒い瞳を、八ノ夜に向ける。
「貴女こそ、もう迷いはありませんか?」
口角を上げる誠次に、八ノ夜はふっと微笑む。
「随分と言うようになったな。ここの理事長に……いや、お前を゛捕食者゛から助けたあの日から、そんな決まっているよ」
お互いに今更ではあった。
桜の花びらが舞う光景を背に、八ノ夜は誠次へ向け手を伸ばす。
脳裏に思わずフラッシュバックし、蘇るのは家族を一瞬で失ったあの日の夜。燃え盛る炎を背に、特殊魔法治安維持組織であった高校生時代の八ノ夜の手を死に物狂いで掴んだ、あの瞬間。家族に別れを告げ、この魔法世界でまだ生きる事を選んだ。
゛捕食者゛への復讐を誓い、闇雲に走ろうとしていた日々は、この学園に来たことで変わった。今は、この学園で心から信頼できる仲間と共に、歩んでいく。また、この春から。
「また一年、よろしく頼むな、天瀬」
「こちらこそ。よろしくお願いします、八ノ夜さん」
繋いだ手を固く結び、ヴィザリウス魔法学園を守る偉大な魔女と成長した剣術士の二人は、力強い握手を交わしていた。




