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魔法世界の剣術士 中  作者: 相會応
蛍火の女傑
64/189

15

平成のうちにきりがよくしたいので、連続で投稿します。

平成最後の剣術士くんの戦いに相応しく出来ていれば、良いですね。

 ――それこそ人の生の終わりとは、まこと、蛍の光が消え失せる光景の如き儚さか。


 鳴り響く虫の声と、鳥のさえずり。

 海のほうから渡ってきた風が木の葉を揺らし、眩しいほどの日差しが瞼をそっと動かす。

 また、この季節がやって来た。その度どうしても、私と言う女は、その腰に添えた刀に伸ばした手を納めてしまう。


「――お祖母ちゃんっ! わたし! あやなだよーっ!? 遊びに来たんだっ!」


 夏になれば、必ずあの孫娘は遠い海を越え、山を登ってやって来る。その笑顔を見たいが為に、私という女は今日も生き続けなければならぬと思ってしまう。

 愛おしい孫娘の笑顔を見ると、取り繕うにもどうにも顔は綻んでしまうのだ。

 

「……よく来たな、綾奈」


 ――だから、どうか、許して欲しい……。

 本当に死すべきは、貴男でも、あの子でもなかったというのに……。

 そして今は、炎の中。誰かの為の血と、誰かの為の涙を流しながら、目の前に立ち、必死に私に手を差し伸べようとする男の子でも――。

 

           ※


 残り少ない僅かな命を燃やしてまで生きた蛍は、その小さな身体と命を燃え盛る炎に焼かれ、昇華させていく。絶命の瞬間、例え僅かでも自分が生きていた証を刻もうと、光を散らす。その時、力なき身体で生まれた彼らはなにを思い、なにを願って死んでいくのだろうか。

 目の前で散る一瞬だけの光。それが蛍によるものか、火の粉によるものか……或いは、別のなにかによるものか。


「はー……はー……っ!」


 大火に包まれる篠上家の道場に立つ誠次せいじには、分からなかった。

 右足と右肩。そして左腕の内部にまで深く突き刺さった矢の傷。満身創痍の状態であることに違いはなかったが、それでも、誠次は口で呼吸を続け、立ち続けてもいた。

 目の前で日本刀を携える女傑は、炎のただ中にあってもその威厳と表情を変えることはない。そんな彼女がもはや人ではないなにかに見えたとき、誠次は右手に握ったレヴァテイン・ウルを、ゆっくりと持ち上げる。


「もはやこの火は止まることはなく、お互いに逃げ場はない。戦いの果てに全てを焼き尽くし、灰の山となったここに残るのは間違いなく、互いのつるぎだろうな」

「貴女の言う通りになど……なるものかっ! 俺は生きて、貴女をも救ってみせる!」


 誠次の言葉に反応するかのように、道場に広がる火炎がその勢いを増す。もはやこの場に立っているだけでも、身を焦がすかと思うほどの熱であったが、引くわけにはいかなかった。

 それはずっと腰に添えていた不知火・蛍火を構える向こうも、同じであるはずだ。


「もうなにも喋るな剣術士。そなたの身体はすでに限界のはずだ」


 それでも彼女は、あくまでも涼しい顔をする。


「げほっ、げほっ。……それはお互い様のはずだ。貴女の身体こそすでに、もう戦うべき状態ではないはずだ……」

「ほう。そなたは私が、もう満足に動くことも出来ないと言うのか?」


 ぽたぽたと、身体のどこかからか流れ落ちる血が、誠次の足元に溜まりを作り、炎の光を反射して赤色が鮮明になる。落ち行く血の雫が弾けた時、誠次は朱梨へ向けて走っていた。

 朱梨は細身の刀を振るい、誠次のレヴァテインを斬り弾く。もはや腕に力が入らないでいる誠次の攻撃など、朱梨にとってはいとも容易く対処できていた。

 朱梨はそのまま、刀を頭上まで持ち上げ、一気に振り下ろす。満足に鍔迫り合うことなど出来ない誠次は、精々持ち上げたレヴァテインの刀身を盾にし、刃の直撃だけは防ぐ。


「ぐあっ!?」


 老体の身体からは想像も出来ない力がそこにはあり、誠次はレヴァテインごと吹き飛ばされ、背中から板張りの床に倒れる。

 背中にて発生した激痛が、瞬く間に身体全身に行き渡り、誠次の四肢は気が遠くなりそうなほどの激痛を頭に伝達する。そうして途切れかける意識を、もう戦うことをやめるように命じてきた脳がある顔を左右に振ることにより拒絶した誠次は、もう一度立ち上がった。


「ハアハア……っ」

「最後に謝罪をしてやろう、誠次。この最果ての島にはるばる来たそなたの命を絶つこと、すまないな。だが、戦いにしか生きらねぬ戦士の最期というものはいつの時代でも悲劇さ。私もそなたも、もうこの魔法世界で戦う理由などないだろう」


 怒りの火を放つ刀を、燃え盛る火炎の中に突き入れ、朱梨は言う。


「諦めてなど、いない……!」


 朱梨の言葉を否定するために、彼女に勝つために、誠次は腹から上ってきた言葉を赤黒い血とともに口から吐き出し、再びレヴァテインを構えて突撃する。

 すでに人としての感情を失いつつある朱梨の瞳は、近付く誠次を捉え続け、そこに炎により燃える刀を添える。

 互いの刃が交錯したとき、今までにないほどの火花が発生し、誠次は思わず顔をしかめる。そうして隙を見せた誠次の懐に、一瞬で朱梨は潜り込んだ。

 火炎の中で抱きつくようにして身体を寄せた朱梨の右手に握られた刀の先は、倒れ込んだ誠次の腹部を貫き、その身を炎で焼いた。

 貫かれた誠次の背から、身体を貫通して突き出た血染めの刃から、白い煙が発生していた。


「ぐあああああっ!?」


 じゅうと音を立て、身体を内から焼かれ、今までに経験したことのないような痛みを味わった誠次は、朱梨の耳元で絶叫する。それは身体から噴き出る血ですら蒸発させるほどの熱であった。

 一瞬だけ目の前がちかちかとした後、その光景が赤く染まっていき、誠次は悲鳴を上げ続ける。


「……」


 それでも朱梨は表情を一切変えることはなく、誠次の腹部から刀を引き抜くと、その先を容赦せず誠次の額に突き付ける。

 身体の中心を内側から損傷した誠次は、床に膝から折れるようにして崩れ、しかし右手に握ったレヴァテインを床に突き刺して、倒れることだけはしなかった。

 

「言ったはずだ剣術士。この魔法在る世界に生きる私とそなたは、箱舟に乗ることも出来ずにわらにしがみついて余生を穏便に生きていくしかない。激流に抗えば海に沈み、その身体はもたずに朽ちていくだけだ」

「たとえ、そうだったとしても、おれは……みんな、の為に……なか、まの、ために……」


 まだ喋るか、と朱梨は不知火・蛍火の先端を誠次の頭へ向ける。

 顔を持ち上げた誠次は、歯を食い縛り、途切れかけの意識を保っていた。せめて、あと数分でも保ってくれと、傷だらけの身体に言い聞かせながら。


「まだ、おれにも……貴女にも、この魔法世界で、やるべきことはあるはずだ……。あや、なを守ることは……きっと、あなたにだって……」


 最後の力を振り絞り、焦げ付いた血肉の嫌な臭いが鼻を刺す中、誠次は朱梨の握る不知火・蛍火を、矢が突き刺さったままの左手で持ち上げて刃ごと握りしめる。


「なに……」


 刃を鷲掴みにした誠次と、驚く朱梨。

 白い煙が、固く結んだ左手の指の隙間から発生し、肉が焼ける音が二人の間で響く。

 身体を後退させようと、床を蹴る朱梨であったが、誠次がぎゅっと掴んだ刃が動くことはなかった。

 朱梨を逃がさぬように引き寄せた誠次は、


「貴女が本当に綾奈を愛しているのならば……貴女こそ、生きろ……!」


 こうして、二度にたび立ち上がりながら振った誠次のレヴァテインを、朱梨は力を込めて弾き返す。

 レヴァテインは誠次の腕を離れ、道場の柱の一つに突き刺さる。そこにもすぐに火の手があがり、レヴァテインは業火に包まれた。


「もう一つは――そこか!」


 その光景を横目で一瞬だけ確認した朱梨は、未だに誠次の手元にレヴァテインが残っていることにも気がつく。

 レヴァテイン・ウルを分解させて連続攻撃をしかける手段であったが、それすらも、朱梨には見切られた。

 

「まだだ……!」


 しかし、だとしても。諦めるわけにはいかない。誠次は分離させたレヴァテインをそのまま、朱梨の右肩目がけて、振り下ろす。

 渾身の力を込めに込めた一撃であったが、朱梨は身体を引き、その一撃をかわす。

 誠次は尚も食い下がり、朱梨を追う。


「!?」


 一瞬だけ動きが鈍った朱梨の太刀筋が、レヴァテインの刃を受け止め損ねる。

 あと少しで、誠次の刃が朱梨の身体に到達する。しかし、朱梨は武人として、何枚も上手うわてのままだった。

 寸でのところでレヴァテインの刃を躱しきると、朱梨は誠次の背を不知火・蛍火の柄で殴りつける。

 がくんと姿勢を落とした誠次は、しかし床の上に這いつくばることはせず、残されたレヴァテインを投げ付ける。


「得物を二つとも手放したか。これがお前の最後の一撃だったようだな」


 勢いもなく投げ付けられたレヴァテインの刃は、とうとう朱梨の元へ届くことはなく、彼女によって斬り弾かれ、反対側の柱へと突き刺さる。

 最後の反撃の機会ですら失敗に終わり、無防備な血塗れの素手となった誠次は、朱梨が目の前で刀を振り上げる光景を見た。


「……今の一瞬だけ、そなたの姿が、私がただ一人愛していた男に見えたよ。……それが蛍の光が見せた幻だと分かった時、私はそなたに勝利した」

「おれ、は……――しゅ、り」


 紅蓮の色を反射させた刃が、炎が包む道場の天井を映す。その一部分が支えを焼き尽くされて崩れ、落ちてきた。落下地点はちょうど、向き合う誠次と朱梨の間であった。

 

         ※


 夕暮れが眩しい西日を照らす蛍島の港町。その中心地にある町役場にも、橙色の日射しが窓から射し込み、二人の少女の姿を照らした。

 火村紅葉ひむらもみじ篠上綾奈しのかみあやな。町役場で蛍島の過去を懸命に調べる二人の少女の周りには、ぐちゃぐちゃに開かれたままのファイルの山が至る所にあった。


「そっちはどう?」


 机の引き出しを開けて中をくまなく確認しつつ、綾奈は奥の部屋にいる火村に声をかける。

 火村も、倉庫らしき部屋の中は探し終えたようだった。


「ない……。もしかして、名簿すらないなんてあり得るの……?」


 呆然とした様子で、火村は呟く。

 

「これだけ探してないなんて……そんな……」


 ぽたぽたと全身から汗を流す綾奈は、愕然とする。

 もう、この町役場の中は探し尽くしたはずだ。それでも見つからない、十年前のこと。

 誠次が一瞬の判断で、私を信じて送り出してくれたのに、なにも見つからないなんて……。

 愕然とする身体と、今も頭上に聳える蛍山の山奥で最愛の人と親愛の人が戦いあうことを想像すれば、青い目に汗ではない水の塊が溜まってきていることを自覚した。必死に両手で受け止めて、堪えようとしてもそれは溢れ出て、気づけば綾奈は号泣してしまっていた。


「篠上さん!? 泣いてるの……?」


 火村はそんな篠上の様子に気が付き、そっと傍に寄る。


「そんな……私は……私はぁっ!」

「確りして! あなたが泣いてどうすんの!?」


 火村は篠上の両肩に手を添え、真正面から綾奈の顔を見据えた。赤い髪がべったりと張り付いてしまった顔を拭ってやり、声をかけ続ける。


「わかってる……泣いちゃダメだって……でも、涙が止まらなくて……!」

「確りしい! アイツだって今必死になって戦ってるんでしょ!? アイツを支えるアンタがここで泣いてどうするんじゃ!」

「わかってるってばぁ……っ!」


 綾奈は両手で顔をごしごしと擦ると、涙をぐっと堪えて再び立ち上がる。

 火村は日焼けしている顔の眉根を寄せ、首を左右に振る。


「二人で流れ着いた洞窟で、アイツの話は聞いた。魔法が使えないのに、無理に戦って。でもそれはみんなの為だって。あん時は半信半疑で聞いてたけど、今ならハッキリわかる。家族を亡くしたぶん、もう二度と繰り返したくないんだって! アイツはもう根っからの阿保じゃ!」

「そんなこと、言うなぁ……っ! 誠次は、誠次はぁ……!」

「だったら、またアイツのところに戻るの! 戻って、アイツのしていることは間違ってなんかないって、また言ってやんのよ! ウチだって、アイツのまだまだ気に入らないところとか、いろいろ言ってやるんだから! 阿保のアイツには負けられんし、諦めんっ!」

「だから、阿保って、言わないで……!」


 西日を受けて光輝く汗を弾き飛ばしながら、火村が綾奈を叱咤しったする。

 ぐすりと泣く綾奈の背後にあった、火村はとあるものに釘つけとなる。

 それは、古びた段ボールであった。


「その段ボール……」

「こ、これ? もう探したわよ。港町の落としものを置いておく箱みたい」


 涙を拭いた綾奈がそう言うが、しかし火村にはその段ボール箱自体に見覚えがあった。はげかかった外装は、自分がまだ幼い頃、昔の母親の思い出の品たちが入れられていた段ボール箱だ。

 今はその中身はどこかへ行き、両親が段ボール箱をこの町役場まで持って来たのだろう。

 火村がそのことを伝えると、綾奈は不思議そうに首を傾げていた。


「わざわざ段ボール箱だけ持ってくるの? そんなに大事な物を入れていたはずなのに、中身を取り出してまで、空きの段ボール箱を……?」

「確かに。そう考えると中身ごとこの町役場に運んで、段ボールだけを使ってるってこと?」


 火村も思い至り、必死に、当時の出来事を思い出そうとする。もう十年も前、自分が小学校に入る前の、多々僅かな会話だった。それでも、母親が水泳選手を目指しており、それが”捕食者イーター”によって夢を諦めなければならなくなったこと。そんな母親のためにもと、自分が水泳の後を継ぎ、母親が成し遂げられなかった夢を叶えるようと決めた日の、あの一瞬。

 必死に思い出そうと、火村は両手を頭に押しつけ、俯く。


「記憶力の悪さには定評がありますって……肝心なことばかり忘れて……私は……っ!」


 なぜだか無性に悔しくなり、今度はこちらに目頭に熱いものが込み上げてくる。

 知らないうちに自分も、綾奈の涙を見て誘われてしまっていたようだ。


「だ、大丈夫火村さん?」


 汗と涙が混ざった水滴を落とした火村の様子を見た綾奈が心配そうに声を掛けるが、火村は「平気っ!」と声を振り絞る。


「アイツのことはやっぱり好きにはなれないけど……それでも、元気は貰えるわ。無駄に頑張ってるアイツには、負けられないって、心の底から思えるし。……だから」


 あの時、母親が言った言葉の中で、なにか引っかかるものがなかっただろうか。当時は幼かったから気がつかなかった、とある違和感が――。

 瞳をぎゅっと瞑って考える火村の目の前を、一瞬の閃光が奔った。それは、夜の気配を感じて光を灯した一匹の蛍であった。

 蛍は火村の足元に落ちるように飛んでいき、サンダルを履いた裸足の親指へと止まった。足元の先に広がっているのは、木目調の床だ。


「地下……。ウチの家に、地下室なんてない! なのにお母さんは、地下行きって言っとった!」


 無論綾奈にその意味が分かるわけもないのだが、思い出した火村は、顔をぱっと上げて綾奈に言う。

 目をしばたたいた綾奈は、次には火村を落ち着かせようと、うんと深く頷いていた。


「つまり、ここに地下室があるってこと?」

「そうかもしれない!」


 そうと決まれば早速、綾奈と火村は物が散乱している町役場室内の床を、手当たり次第に探し始める。

 散乱しているプリントを持ち上げ、それらしきなにかを引きずった跡が見つかる。そこで顔を見合わせた綾奈と火村は、火村の母親が普段作業をしている机を、共に引く。


「「あったっ!」」


 ようやく見つけた町役場のもう一つの、隠された部屋。それは、十年前の火村の記憶により、見つけることができた、地下室へ向かうと思わしきハッチだった。


「準備はいい!?」

「うん……」


 綾奈と火村は互いの顔を見合って慎重に頷いてから、ハッチを開ける。目に見えるほどの巻き上がった埃に咳を溢しかけるが、どうにか我慢をして、口元を抑えながら綾奈と火村は簡易階段を下っていく。

 カビくさにおいに顔を顰めながら、二人は明かりを灯す《グィン》と呼ばれる汎用魔法を使う。

 蝋燭のような矮小な光が灯り、目の前に広がったのは、博物館のようなショーケースが置いてある、倉庫のような場所だった。

 ファイルも所狭しと並べられているが、目立ったのは火村の母親の私物と思われるものが、多々あることか。古びた競泳水着や、昔のトロフィー。それらを勝手に見ることに躊躇はしたが、娘である紅葉は知っていると言うことを免罪符に、綾奈はなにかないか捜し物を続ける。


「昔のものばっかり……。これは、子どもの頃の火村さんかな……」

「こんなところに置かれているなんて知らんかった……。てっきり、全部捨てられていたかと……」

「本当に両親が貴女のことを嫌いだったら、実家の部屋なんか残しておかないわよ」


 思わず立ち止まっている火村に、綾奈が声をかけてやる。


「……」


 火村は複雑そうな表情を浮かべて、母親に殴られた頬をさすっていた。

 写真の年は二〇六四年。今から一六年前のものばかりだ。とても若く、また笑顔である火村の母親と父親の間に、一人の子どもがいる。おそらく火村紅葉だろう。

 しかし、違和感がある。

 当時は一歳か生まれたばかりだと言うのに、真ん中に立つ子どもは明らかに成長が早すぎる気がする。それこそ、幼稚園や保育園の年長組クラスのところまで、成長しており――。


「この子は……火村紅葉さんじゃ、ない……?」


 そこで綾奈は、灯台のあの祠のことを思い出す。紅葉のものではない、黒い未使用のランドセル。そこから道べき出される答えは、もう決まっていようなものだった。

 あとは、確信がいる。抜けかけた身体の力を入れ直し、綾奈は棚をくまなく見た。よく見ればファイルは、年代別に並べられている。

 そこで写真の年代と照らし合わせると、二〇六四年代の棚の中に、不可解な余白があった。そこの分のファイルだけ、一つ足りないのだ。


「どっかに隠されている。火村さんのお母さんのところ!?」


 約一五年前。それは、自分のお祖父ちゃんが亡くなった頃と一致する。

 嫌な予感がしながらも、綾奈は捜す手を止めず、火村の母親の隠しものを捜しだす。

 そして、ショーケースの奥の方に、封筒に収まった物を発見する。恐る恐るそれを手に取り、綾奈は中にあったものを取り出す。入っていたのは、資料記録用のホログラムデバイスであった。

 すぐに自分の電子タブレットにそれを接続し、中にあったデータを目の前に浮かび上がらせる。


【記録。二〇六四年。八月。蛍島で起きた”捕食者イーター”による捕食事件について】


 蛍島に出現しないと言われていた”捕食者イーター”。それはすでに、一五年前の夏にこの島に出現していた。

 心臓がどくんと音を立て、綾奈と火村は青と黄緑の目を大きく見開く。


【゛捕食者イーター゛の捕食による犠牲者以下二名。火村楓ひむらかえで篠上秋穂しのかみあきほ


 その時、地下室のハッチが音を立て、勢いよく開いた。


         ※


 ぱちっと、目を開ける。

 扇風機が送る風が涼しく、穏やかな空間が広がる和室に、二人の幼い子どもがいた。一人は五歳の、元気な日焼けした男の子。そしてもう一人は、まだ生まれて数ヶ月しか経っていない、赤ん坊である女の子だった。

 蛍は今日も元気よく、戸を開けっ放しの家の中を飛びまわり、やがて生まれたばかりの赤ん坊の頬にとまる。

 少年は慌てて、赤ん坊の頬にとまった蛍を手でそっとはらっていた。


「あ、目開けた……」


 少年は自分よりも幼く、生まれたばかりの命を前に、興味津々だった。

 まだ世間のせの字も知らないような年代の男の子にとって、毛布にくるまれ、生まれたばかりの女の子が、どんなに大切な存在なのかも、まだよく分からない。ただ、家族が増えるという事は、よく分かっていた。そして同時に、それは良いことだということも、漠然と分かった。


「ね、お母さん! 触っていいの?」


 産休中の少年の母親は、彼のうずうずとした言葉に笑って頷く。


「うん。優しくね」

「うん……」


 まだ短いがしっかりと男の子の形が出来上がっていく指で、少年は恐る恐る、生まれたばかりの妹の頬をつついた。


「柔らかい……」

「かえちゃんだって、こんな時があったのよ?」

「ふーん……。名前って、決まってるの?」

「ええ。紅葉もみじ。苗字と合わせて、火村紅葉ひむらもみじって言うのよ」


 ぷにぷにと、眠っている紅葉の頬を触りながら、男の子はどこか不思議な面持ちだった。


「ひむらもみじ……。俺はひむらかえで……。ひむらもみじって、なに?」

「かえちゃんがもう少し大きくなったら、きっとその名前の意味がわかるわ。それまでは我慢」

「うん……」


 火村楓ひむらかえではやや不満そうであったが、わずかに納得した風に、視線を落として再び紅葉を見守る。

 

「かえちゃんはこれからお兄ちゃんになるんだから、しっかりしないとね?」

「う、うん!」

「良い返事よ」


 母親に頭を撫でられ、楓は幸せそうにだが、どこか恥ずかしそうに、俯いていた。


「も、みじ……。おれ、お兄ちゃんだ!」


 幼いながらにも責任感は生まれ、楓は島の人のために一つしかない役場での仕事が忙しい母親と父親の代わりに、よく妹の紅葉の面倒を見ていた。また、家の手伝いも、小さいながら頑張ってやっていた。

 火村の両親も、妹のためにもと頑張ってお兄ちゃんを務めようとする楓に、無上の愛情を注いでいた。

 ただ、火村の両親にはその時、一つだけ気がかりなことがあった。

 それは、来年には別の島にある小学校に入学する予定でいる楓が、父親が買ってくれたランドセルを背中背負って鏡の前に立っている時の浮かなそうな表情で、見てとれた。


「……行きたくない」


 楓はランドセルを背負った自分の姿を見つめると、すぐに床の上に降ろす。島の外に出ることに、消極的だったのだ。


「駄目でしょうかえちゃん。小学校に行けば、同い年のお友だちもいっぱい出来るわ」

「……秋穂あきほおじさんと一緒にいた方が、楽しい」


 ぶつぶつと、ふて腐れたように楓は言う。


「篠上さんのおじさんは確かに物知りで面白い人だけど、同い年のお友だちと遊ぶのも、きっと楽しいわよ?」

「うん……」


 幼い頃から両親は仕事で忙しく、ずっと一人で遊んでいたような楓は極度の人見知りとなってしまっていた。たまに家族で外出するような事があっても、楓は島民の大人たちの明るいノリについては行けず、次第に見られるのまでもが怖いと思い、隠れたりするようになっていた。それは、半分隠れん坊のような楓なりの遊びであった。

 そんな楓の遊び相手として、また唯一と言っていい、蛍島の島民の中で心を開いていたのが、山の奥の大きな家に住んでいた篠上秋穂だった。

 ある日のこと、いつも通り独りぼっちで山に登っていると、楓は夏の成長した木々によって迷ってしまった事がある。右も左も、元来た道を辿っても、幼い身体と頭では何処に行けば良いのか、なにを頼りにすれば良いのか、分からない。


「――坊主、迷子か?」


 そんな時に出会ったのは、腰に日本刀を携えた、一件怪しさ極まりないおじさんだった。


「うわ、で、出よった!」

「ぬわ、待て待て! わっちは人喰いちゃうわ!」


 盛大に尻餅をついた楓に、見知らぬおじさんは手を差し出す。


「篠上秋穂。わしの名前じゃ。見ない顔だな、坊主」

「ひ、火村楓……」

「楓と言うのか。良い名前だ。泥んこじゃないか? 迷っているのなら、来なさい」

「で、でも……」


 自然と、楓は秋穂の左腰にある日本刀を見つめる。


「お、これか? 触ってみるか? 引き抜いたらアカンけどな」


 秋穂は腰に下げていた日本刀を鞘に入れたまま、柄の方を楓に向けて突き出す。


「うわー。凄い……」

「そうじゃろ? 家に伝わる大事な刀や」


 そう言うと、秋穂はさっと日本刀を引く。

 もっと触ってみたかった楓は、少しだけ不満足に、秋穂を見上げる。


「そな泥んこな手でべとべと触ったらアカン。風呂と飯、あるで? 喉も渇いとう? そうだ、アイス食うか!?」

「……お母さんが変な人にはついていくなって、言ってた」

「いやあながち間違ってないっちゃな……」


 秋穂は勘弁してほしそうに、ぽりぽりと短い髪をかいていた。


「じゃあ、このままここに置いていくかのう? あー殺生殺生……」


 にやにやしながら、秋穂が背を向けると、楓は慌てて立ち上がっていた。


「ま、待ってよ!」

「冗談。安心せい。ウチの家内の作る飯は最高に美味いんじゃ!」


 それが楓と秋穂と、当時五十代だった朱梨との初めての出会いだった。


「朱梨! 戻ったで。迷子の男の子を拾ってきた!」

「また人助けかい、あなた」


 どうやらよくある事のようで、家の中庭で掃き掃除を行っていた朱梨は、くすくすと微笑んでいる。


「困っている人を見ると放っておけないのかい?」

「そんなの、山の中で腹を空かせた男の子を放っておくわけないじゃろう?」

「若い女なら尚良しかい?」

「そりゃあ勿論! ……って、いや別に、そんなわけではないぞ!?」


 歳は召しているが、二人の夫婦の仲睦まじい(?)やり取りを前に、楓は思わず緊張を解して笑っていた。

 お風呂に入れて貰い、美味しい食事も頂いたところで、連絡を受けた火村の母親が焦った様子で山を登ってきて、二人に頭を下げていた。


「本当にごめんなさい! そして、ありがとうございました! ほら楓も頭を下げなさい!」

「ありがとう、おじさん、おばさん……」

「構わん構わん! アンタも、そんなにその子を悪く思わないでくれ! 子どもなら遊んで当然だ!」


 秋穂は朗らかに笑い、楓をフォローしてやる。その傍でじっと控えている朱梨の姿が、楓にとっては印象的であった。


「そうだ楓。お前、大量の蛍は見たことあるか?」

「蛍ならこの島には沢山いるよ……」

「そじゃない。満開の花のような蛍の光じゃ! 興味があるんなら、今度見せてやるぞ!?」

「……うん。約束」

「約束じゃ」


 楓の目線の高さに合わせてしゃがみ、指切りをした秋穂の姿を、火村の母親はどこか不安そうに見つめていた。


「大丈夫だよ。ふらふらしていると思うが、この男はやるときはしっかりとやってくれる。たまに天然なのが傷だがな」

「大きなお世話じゃ、朱梨!」


 火村の母親を見てぼそりと言った朱梨に、秋穂は慌てて頭を上げていた。

 それ以来、楓はちょくちょく山を登っては、篠上の家に遊びに行くことが多くなった。

 子どもながら引っこみがちだった楓が楽しそうだったのを見れば、火村の両親とも、悪くはないことだと思っていた。帰りが夕暮れ近くになっても、別に心配ではない。島の人たちは優しく、何よりもこの島に、”捕食者イーター”は出ないのだから。

 

「楓。お前はなぜに島の外に行きたがらないんじゃ?」

「だって……怖い……」


 防波堤の上から釣り糸を垂らし、楓は冷めた表情で秋穂に言う。


「俺……もみじのお兄ちゃんなんだ。だから、もみじの傍にいて、守らないと」

「阿呆」

 

 秋穂はそんな楓に、べえっと舌を出した。


「人間は蛍と違って、長生きするもんじゃ。色んな経験をして、大きくなって、家族以外にも好きな人を見つけて、子を残す。まあ人生、山あり谷ありじゃろうがな。この島の居心地がええことも認める」

 

 秋穂は次から次へと魚を釣り上げ、バケツに入れていく。

 そんな彼に強い憧れを抱く楓は、しばしバケツの中で跳ねまくる魚たちから目を離せなくなっていた。

 

「おじさんはどうなの? 島の外、行きたいの?」

「俺か? そりゃあ本州には若い娘とかがようさんいるんだろうけど、あいつを置いては行けないよ」

「あいつって……おばさんのこと?」

「おう。あいつにケツを引っぱたかれながらここまで生きて来られたんだ。こうなったら死ぬまで一緒におる」

「でも、それだったら一緒に島の外にお引越しすればいいんじゃないの……?」


 楓の言葉に、秋穂は少しだけ、寂しそうな表情をのぞかせた。いつも明るかったおじさんの初めて見るような表情に、楓は少しだけ、戸惑っていた。


「そうじゃと、いいな……」


 ぽつりと、そこまで言うと、秋穂は楓が小さな手で握っていた釣り竿がピクリと反応していることに気が付いた。


「魚、釣れてるで」

「えっ、うわっ。おじさん手伝って!?」

「勝負じゃろ? 相手を手伝ってどうする?」

「おじさんの意地悪っ!」

「かっかっか!」

  

 穏やかな蛍島に吹くそよ風に、秋穂の高笑いは響いた。

 ある日の夜。楓は家の玄関で、外出用の靴を履いているところだった。

 火村の母親は、すっかり活発になり、外出を楽しむ楓の背に向けて、声をかける。


「楓? 今から行くん?」

「うん! 山の蛍を見に行くの」

「篠上さんのところ?」

「うん!」


 何気ない会話だと思った。”捕食者イーター”無き蛍島の夜は、夜の街でも普通に人は歩いている。

 家の外では、甚平じんべえを着た秋穂が迎えに来ていた。

 サンダルを履き、火村の母親も玄関先まで楓を連れて歩く。


「篠上さん。楓をお願いしますね」

「おう。楓ももうすぐで島の外の学校に通うんだろ? その前に一度、この島の夜の蛍を見せてやりたくな」


 秋穂はそう言うと、楓と手を繋ぎ、山の方へと向かっていく。

 背を向けた二人の姿を見送った火村の母親にすれば、まさかこれが最後に見る最愛の息子の姿になるとは、想像もできないことだった。

 ゛捕食者イーター゛がいないと、ずっと言い伝えられていた、この島では。

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