嘘つきはメガネの始まり……?(小話) ☆
エイプリルフールの起源は不明とのこと。四月一日からすれば好き放題に嘘つかれる日など作られて、なんとも迷惑な話でしょうね。
ド〇えもんが帰ってきてくれたので、個人的には嬉しい日です。
かたんかたんと、リズミカルなテンポを刻んで窓に大粒の雨が当たる。風も強いのか、時より大きな音も聞こえた。
列島には今、台風が接近してきているそうだ。すでに小笠原諸島を通過し、いよいよ本州にも上陸する頃合いだそうだ。
「――ただで食事が出来る?」
そんな夏のある日。寮室で呑気にソファに寝転がって本を読んでいた誠次は、そんなルームメイトの声に顔を上げる。
「夜ご飯の食べ放題だ。それに、夜だからそのまま宿で宿泊も出来る」
そんな謳い文句で誠次を誘うのは、夕島聡也である。黒髪に眼鏡姿の、ルームメイト兼クラスメイト兼友人だ。
水泳部の活動が終わったばかりで寮室に帰ってきて、黒髪を水に湿らせたまま、エナメルバックをリビングの隅に置いている。
「どう言うつてだ? この世の中、ただより怖いものなどないぞ……」
本を机の上に置き、姿勢を正した誠次は訝しんで問う。
「察しの通り、俺の兄だ」
聡也もまた、気難しい表情をして、自分の勉強机の椅子に腰掛けていた。
「……物凄くなにか裏がありそうなのだが」
誠次と聡也。ただで食べ放題の夕食が食べられるのは、食べ盛りの男子高校生たるもの魅惑の響きである。しかし、それと同時に、夕島聡也の兄である夕島伸也の奢りと言う点が、両者共に引っかかってしまう。……絶対に、なにか裏がある。
「俺もそうだと思う……。部活の休憩時間中に急に兄さんから電話が来て、今晩ただで飯奢ってやると言われて、男二人で来て欲しいそうなんだ」
「また急だな。それに男二人? 女子は駄目なのか?」
「駄目だそうだ。絶対に、らしい。そもそも俺に女性を誘うなんて真似は期待されてないだろうけど」
聡也はそう言うと、どこか遠くを見つめていた。
「恥を忍んで頼む……。水泳部の友だちを誘うべきかもしれなかったが、兄さんの事をよく知っているのは誠次、俺以外にはお前だけなんだ」
聡也は至極申し訳なさそうに、頭を下げてまで頼み込んでくる。
「ま、待て聡也。そもそも断れば良いんじゃないか? 誘ってきたのは向こうなんだからさ」
「最初はそうしようとしたさ……。でもそうした場合、俺の小学生時代の恥ずかしい写真をヴィザリウス魔法学園中にばらまくと言いだしたんだ!」
「最低な兄だな!」
誠次はソファから立ち上がりながらツッコむ。
「なんでそんなことまでして弟に飯を奢りたがっているんだあの兄は!?」
「俺も意味不明だ誠次! でも行かないと、俺の小学生時代の恥ずかしい写真をばらまかれてしまう!」
「その写真になにか心当たりがあるのか聡也!?」
「ああ! サンプルとして送られてきたのは、俺が兄さんに泣きながらおんぶをせがんでいる時の写真だった!」
「すこぶる可愛いな! ちょっと見たいぞその写真!」
大変な事態となった。このままでは、聡也少年期の恥ずかしい写真がヴィザリウス魔法学園中にばらまかれてしまいかねない。それはそれで興味がないと言えば嘘になるが、聡也の必死の様子を見れば、悠長な事は言えなくなってしまった。
それに、まだなにかがあるとは決まったわけではない。希望的観測ではあるが、本当に善意で「可愛い後輩たちめ、このこのーっ」的な感じで、飯を奢ってくれるだけなのかもしれない。
「……分かった聡也。俺は行く!」
「誠次。ありがとう、お前は命の恩人だ。学園生活生命と言う意味で」
誠次と聡也は握手をしていた。
どしゃ降りの雨を弾く車の四輪のタイヤが、一瞬で真横を通り過ぎ、遠くなっていく。それを目線で追いかければ、車は白い靄の彼方へと見えなくなっていく。
夏の台風が迫る雨の夕暮れ時。夏は冬よりは門限が長いとは言え、夜間外出禁止時間も近づき、人通りは疎らだ。
もし兄の話が全て嘘ならば、今日はどこかに泊まるか、シェルターで一夜を明かさなければならなくなる。
そんな危険性もあると言うのに、兄に言われたとおりこうして傘を差して私服で出掛けてしまうとは、自分もつくづく成長できていないなと否応にも実感してしまう。
(一度憧れを抱いてしまえば、すぐにそれを否定するのも難しいのかな……)
それほど、子どもの頃に見ていた兄の背中という者は、偉大に見えたのだろう。
ふと、大雨による白い靄の先に、兄の姿が見えたような気がする。眼鏡をかけた赤い瞳を何度も瞬きをして、そっと手を伸ばす。
傘から出た手が一気に雨に濡れ、気付けば白い靄の先には、何も見えなくなっていた。ひんやりと冷たくなった自分の左手を見つめ、なにを馬鹿なことをと、聡也は軽く微笑んでいた。
そんな自分の左手に巻いているリストバンドのような電子タブレットに着信が入り、聡也はすぐにそれを確認する。
誠次は、もうすぐ来てくれるそうだ。
私服姿の誠次は、聡也との待ち合わせ場所である店の前へと辿り着く。
「待たせた、聡也」
「大して待っていない。それにしても、凄い雨になってきたな……」
夏特有の生温かくじめじめとした湿気を存分に味わいながら、二人して雨模様を睨んでいた。
「兄さんはすでに中にいるらしい」
聡也が振り向き、大きな商業ビルとビルの間に挟まれるようにして建っている、食べ放題の飲食店を見上げる。
誠次も、店の詳細はここまで知らないままだったので、どんなものかとややわくわくしながら振り向いてみる。
店の名前は、赤い看板に横文字で堂々と書かれていた。【四月馬鹿】と言うのが店の名前である。
「面白い名前の店だな。和食店なのか?」
「和食の食べ放題は珍しいと思うが、兄さん曰く食べ放題らしい」
そうして中に入ろうとする二人の真横を、ちょうど店から出て来た二人組のスーツ姿の男が通り過ぎる。二人の男とも赤ら顔で、足取りもおぼつかない。
「課長飲み過ぎですよー!」
「二次会行くぞーっ!」
彼らから漂うのは、尋常ではない酒の臭い。思わず鼻元を押さえつつ、誠次と聡也は顔を見合わせた。
「間違いない。少なくとも俺たちのような高校生が入っちゃ駄目な場所だ……」
ここへ来て、ようやく二人は直感する。ここは……こってこての、居酒屋であると。
「そんなところに、どうして伸也さんが……」
「兄さんだって、まだ二十歳じゃないんだぞ……! そこまで落ちぶれたのか兄さんっ! 貴男と言う人はっ!」
訝しく顎に手を添える誠次に、怒りを露わに握り拳を作り出す聡也。
「未成年での飲酒は脳や身体の機能に深刻なダメージを与えかねない! こうなれば、なんとしても止めよう! あの人の魔法の才を失うのは惜しいっ!」
こうして意を決した二人は、折り畳んだ傘を傘立てに置きながら、人々の話し声や歓声がこだまする狭い室内へと入っていく。予想通り、黄色と白の泡立つ液体が入ったグラスを重ね合う若い男女の姿。大声で話したり、慌ててお手洗いへと向かったり。
何処からどう見ても居酒屋であったビルの中にて、聡也が従業員に、待ち合わせであることを伝える。すると、二人は店の奥である座敷の席に案内された。
木製の戸を開けると、そこで待っていたのは、誠次と聡也の二つ年上で、元ヴィザリウス魔法学園魔法生、夕島伸也であった。白いセーターに銀色のネックレスが眩しい、変わらない彼の姿があった。
「うぃっす! うわ久し振りじゃんあまっち!」
「お久し振りです、先輩」
誠次は険しい顔で挨拶を返す。
その間にも聡也は、なぜか下座に座っている伸也の向かいの上座の席に座ろうとするのだが、伸也がそれを制した。
「なにそっち座ろうとしてんのよ二人ともー。こっちこっち。一列に横に並んで!」
伸也はそう言って、自分の横の座布団ちょうど二つ分の席を指し示す。
なぜ下座に三人で横並びに座らなければならないのだろうかと、二人は不審に互いの顔を見合う。今思えば、用意された席は六人分と、広い座敷であった。
「他に誰か来るのですか?」
聡也が伸也に尋ねる。
それに対し、伸也はきょとんとした表情をしていた。
「あれ? 言ってなかったっけ? 女の子たちも来るよ。合コンだよ、合コン」
慣れていることのように、お気楽そうに言ってくる伸也に、
「「……」」
周囲の喧騒がより一層耳に強く残るほど、伸也の言ったことは衝撃的で、女性が来るなど知らされていなかった二人はしばし硬直していた。
「「帰らせていただきます!」」
そうして呼吸を合わせて帰り支度を始める二人に、慌てて立ち上がった伸也は、入り口の戸に魔法をかけていた。
誠次が開けようとしたが、戸は固く閉ざされ、びくともしない。
「無駄無駄。お兄さんからは、そう簡単には逃げられないんだぜ?」
ニヤリと笑う伸也を余所に、幼気な男子高生二人はどうにかして、囚われの檻の中から逃げ出そうとする。
「っく、開かない! レヴァテインで斬り開くか!?」
「それは最後の手段だ誠次! 俺の魔法でこじ開ける!」
「いやちょっとは話聞こうよ二人とも! 必死だな! 全力で逃げようとしだすの早すぎないかな!?」
慌てる伸也の魔法は強力で、聡也の魔法をもってしても解除するのは不可能だった。
やむなく抵抗を諦め、一旦ニ人は伸也とテーブルで挟んだ席で対面する。
「元々、三対三で合コンするつもりだったんだ。それがこの雨でよ……来るはずの他の男二人が軒並み来られなくなっちまったんだ。今日の朝に急に連絡が来てさ」
窓の外の雨模様を睨み、伸也はやれやれと茶髪の髪を指でくねくねする。
「このどしゃ降りでは当然だと思います。女の人も来られないのでは?」
聡也が問う。
「いいや。女の子ちゃんたちはみんな都内の娘で、もうこっちに向かってきている。魔術師彼氏が欲しくて堪らないんだってさ」
伸也はどこか得意気に言っていた。
「魔術師彼氏?」
店員によって先に用意されたお茶を啜りながら、誠次が訊く。
「三人の女の子とも、普通科の娘なのよね。それで、将来を見据えた魔術師男子を彼氏にしたいんだとさ。魔法が使えるだけでモテるんだから、いい時代になったよな?」
至極複雑な面持ちでそれを聞いていた誠次の目の前で、ホログラム画像が出力される。
「これ。今日来る女の子たちの写真。こんな雨の中来てくれるんだから、ここへ来て中止とは言えないっしょ? 俺なりの優しさってわけ。女の子は幸せになって、お前らは腹がいっぱいになる、まさにウィンウィン」
「ですが、それで年下の、ましてや弟の俺やその友だちを代わりに連れて来るなんて……。酒も飲めませんし」
「お前も相変わらず堅いなー聡也。お前らはいてくれるだけでいいんだって。後は俺が何とかするから。飯も奢ってやるし。……まあ、若干一名は、女の子との会話も手伝って欲しい奴がいるけどな?」
そう言った伸也が面白気に誠次を見やるが、その誠次はと言うと、ホログラム画像を凝視して、戦慄している。
「どうしたの、あまっち?」
半透明な青い画像の先で、伸也が誠次の顔を覗き込むようにして見つめる。
「……し、知っている顔が、います……」
しかも二人。仲良さそうに手を繋いでピースサインをしている、二人の同い年の女子の髪型は、お団子とサイドポニー。そう。それはこの外で続く雨の音が思い出させた記憶。ちょうど一年前の雨の日、桜庭と弁論会前にデートをした際に出会った、二人の女子高生。
「お団子野田と、サイドポニー川島!?」
「「誰だそれ……」」
今度は誠次を除いた夕島兄弟が、絶句していた。
「ま、マズい! もしも二人が俺の事を覚えていたら、瞬く間にこの二人から桜庭の元に連絡が行ってしまうっ!」
そうなってしまえば、夏休み明けの教室で待っているものと言えば、「日焼けしたねー?」等と言った呑気なものではなく、「なにしているの?」と言った地獄の尋問だろう。そんなつもりではなかったが、のこのこと異性を求めて合コンに行ってしまった、と言う事として向こうは受け止めてしまいかねない。
「おいおい。どんだけ女の子の知り合いいるんだって。マジで尊敬するぜあまっち――」
「そんな悠長な事など言っている場合ではありませんっ! このままでは合コンに参加したなんて、みんなに誤解される……どうすれば……っ!」
土壇場で逃げ帰ろうにも、それはそれで聡也との約束を破る真似になりかねない。友情と愛情の狭間で頭を抱えだす誠次に、更なる追い打ちが。
「お、もう店着いたって。今階段上がって来てるってよ」
そんな呑気な伸也の声の終わりに、通路の方から聞こえてくる、確かに聞き覚えのある声。
甦る淡い夏の記憶が今、誠次の全身から冷や汗を吹き出させていた。
「――誠次。ちょっと来てくれ!」
そんな誠次に声をかけたのは、立ち上がった聡也だった。
「帰るのは無しだぞ? どっちみちこの雨じゃ、無理そうだけど」
「分かっています兄さん。こうなったら、俺が誠次を助けます!」
誠次は聡也に連れられ、居酒屋の二階トイレに共に入る。
壁を背にした誠次の目の前に聡也は立ち、真剣な表情で口を開いた。
「よく聞くんだ誠次。今から、俺の魂をお前に託す」
「聡也の魂って……まさか!?」
驚く誠次の目の前で、聡也は自分の黒縁メガネを、目元からそっと外していく。
震える彼の右手を、誠次は咄嗟に伸ばした手で止めていた。
「駄目だ聡也っ! それだけは絶対に駄目だ! 自分を見失うなっ!」
「他に手段はない! お前だって分かっているだろう誠次!? 俺の代わりにお前がこれをかけるんだ」
聡也はそう言い切ると、とうとう自分のメガネを外し、それを誠次に押しつける。
「俺はもう、目の前のお前の顔でさえ、ぼやけて見えない……」
辛そうに、切れ長の赤い瞳の上にある眉間を寄せ、聡也は言ってくる。
「聡也……そんな……それではお前が……! しっかりしろ!」
誠次は聡也の肩を支えてやる。
しかしその目元に差し出されたのは、聡也が普段から使っている、黒縁メガネだ。彼は今や裸眼で、額から一筋の汗を流している。
「誠次! なにを迷っている!? 早くかけろ!」
「お前を犠牲にしてまで、俺はこのメガネをかけなければならないと言うのか!?」
「迷うな! それがお前の選んだ道ならば、突き進めっ!」
「うわぁぁぁぁぁっ!」
――すちゃ。
聡也のメガネをかけた誠次は、目の前でさえよく見えなくなった聡也に肩を貸し、共にお手洗いから出る。
空のビールジョッキを手に持った店員からは「大丈夫ですか!?」と声をかけられたが、誠次は「大丈夫です」と答える。店員からは、まるで新歓コンパの飲み会でお酒を飲み過ぎた大学生のような風に見られてしまっているのだろう。
誠次も誠次で、聡也の度の高いメガネが見せる歪な世界に苦戦し、何度か壁にぶつかりそうになってしまっていた。
「謝らないとな、誠次……。お前には、きちんと決闘で勝ってメガネをかけさせたかった……。こんな風にかけさせてしまうとは……」
「気にしないでくれ聡也。なにより、今は助かったんだ。お前の犠牲、決して無駄にはしない」
そして二人は伸也と到着した女性三人が待つ座敷席へ、舞い戻る。
戸を開けると、すでに伸也が三人の女性と談笑していた。
「おっ、おかえりー」
伸也が軽く顎をくしゃり、すぐに女性陣たちへ視線を戻す。
「「「初めましてー!」」」
机を挟んで壁沿いに座っていた三人の女性陣は、こちらを見ながら明るい挨拶をしてくる。
「「「え……」」」
そして、絶句される。
なぜならば簡単な話だった。聡也の腕を肩に回した状態で、誠次は戸を開けたからである。
肩に体重を預けている聡也は、不穏な雰囲気を感じたのか、「心配しないで下さい……」と言う。無理な話である。
「え、兄弟さんですか?」
女性のうち一人が、伸也と聡也の顔を見比べて言っている。
まさかメガネを付け替えて来るとは思っていなかったのであろう、何のことかと誠次と聡也の様子を確認した伸也は、慌てて伊達メガネを装着して、「まさかー」等と言っていた。
元からメガネをつけていた者がメガネを外して渡し、変装の為に二人がメガネをかけると言う奇妙な状況となった。
そして、やはり――。
「初めまして! 野田智恵美です。今年で二十歳でーす」
「川島佳恵でーす。二十歳になっちゃいました!」
(……ダウトッ!)
物凄い嘘をつきながら、知っている顔の二人が挨拶をしてくる。この分では、もう一人のゆるふわカール女子も、同い年だろう。
三人とも軽い化粧をしており、二十歳に見えなくもない。それかメガネによって視界がおかしくなっているか。
「んじゃ、俺も改めて。夕島伸也。二十歳だ」
(アンタも嘘かいっ!)
相変わらずなにも見えない聡也を端に座らせ、真ん中の席に座った誠次は、心の中で伸也にツッコむ。
しかも堂々と夕島という性を使ってしまったが為に、聡也が苗字を言えなくなってしまった。夕島など、珍しい苗字だと思うので、同性の別人というのは無理があるだろう。いくらメガネをかけているとは言え、兄弟とは似ているものだ。
「お、俺は……」
どこに焦点を合わせればいいのかも分からない様子であるが、聡也は机に腕を添え、言葉を振り絞る。
「天瀬聡也だ」
(俺の苗字盗られたーっ!?)
右隣から聞こえたまさかの発言に、誠次が心の中でツッコむ。
なにを隠そう、聡也はメガネと苗字をトレードしたのである。
「二一歳だ。よろしくお願いします」
(そしてなぜ更に一つ歳をかさ増しした!?)
耐え切れず、誠次は右隣に座る聡也を見て心の中でツッコむ。
真剣な表情をしている本人を見るに、おそらく嘘でもいいので一度は兄より年上になりたかったのかもしれない。兄より年上とは、存在しない言葉だろうが。
「よろしくねー。今日はありがとー!」
女の子たちが聡也に声をかけ終えると、次は次はいよいよ残された誠次の番だった。
しかも、目の前の席に座っているのはお団子野田である。一年前の喫茶店でも目の前の席だったような気がする。
「俺の名前は……八ノ夜誠次だ。二十歳です。よろしく頼みます」
「あはは硬すぎ硬すぎ! もっとリラックス!」
「え……」
この上ない既視感を感じる言葉を、目の前の野田に言われてしまった。
どうやら食べ放題というのは嘘ではなかったようで、先にドリンクを注文するシステムのようだ。そうでなくとも先に飲み物は頼むとのことで、早速机に埋め込まれている電子メニュー表にドリンクを注文する。
「じゃあ、私サワー」
「私は梅酒。あるかな?」
お団子野田とサイドポニー川島もメニューに手を伸ばしたところで、伸也は咄嗟に机の下で組み立てていたとある幻影魔法を発動する。
一瞬の光が座敷席を埋め尽くし、動けないでいる聡也を含めた誠次と伸也以外の四人の動きが、ぴたりと止まる。どこか呆けたような表情で、それぞれ席に座っていた。
伸也が得意とする、幻影魔法であった。それらの多くは法律で禁止されており、それを得意とする魔術師はあまりいい目を向けられないというのが、実情であった。
「伸也先輩。いったいなにを?」
「おっと。今は同い年だから、伸也だろ? あまっち」
誠次は無言で頷いた。
くつくつと微笑む伸也は、メガネを少しだけ持ち上げて、幻影魔法にかかった四人を見比べる。
「あまり使いたくなかったけど、内緒話をするためにやむなしだ。この女のたち、知り合いって言ったよな、あまっち」
「ああ。真ん中と右隣の女性は、本当は一七歳だ。一番左も、おそらく」
「マジかよ……。二十歳って聞いてたのに。さすがに俺でも未成年に酒を飲ますわけにはいかねーな。上手くかわして、会話で楽しますしかねえな」
「可能なのか?」
「任せとけってあまっち。こう見えて俺、ちゃんと女の子落とすときは魔法使わないんだぜ? それに、こんな雨の中で無理やり帰らせたくないしな」
「俺は目がよく見えていない聡也のフォローに徹する。そちらは頼んだ」
やがて、伸也がかけた幻影魔法の効き目が切れ始める。魔法式も小さく、構築時間もかなり短かったので、人体への影響も少なかったのだろう。
「なにをしたんだ……?」
顕著なのは、眉間に手を添えて正気に戻った聡也の反応だった。
魔法を学んだ魔術師であり、魔力に抵抗がある聡也は自身が幻影魔法による干渉を受けたという自覚が残った。
「えっと、なんで一旦座ったんだろ?」
「なんか、自然と?」
「なにそれウケる」
対する魔力に抵抗がなかった女子たちは、自分の身になにが起きたのかもよく分からず、また自分がそうしたかのように錯覚している。
ここまで来て言うまでもないが、誠次にはこの手の魔法は効かない。
再びメニューに手を伸ばそうとする女性陣を、宣言通り今度は言葉で、伸也は止めていた。
「ちょっと待った三人とも。今日はお酒も飲まないで、ソフトドリンク縛りで楽しみたいと思うんだ。お酒は二次会でたくさん飲めればいい。ここは食事も美味いし、一次会はトーク中心でどうかな? ちゃんと楽しいって事は、保証する」
「えー……」
ふるふわカール女子が口を膨らませるが、お団子野田とサイドポニー川島は特に反論もしなかった。それどころか、どこかほっとしているようにも見える。
「賛成ーっ」
誠次の向かいに座るお団子野田が手を挙げて、サイドポニー川島も
その反応を見るに、どうやら初めてこのような場に来ているようだった。メガネ姿の誠次は、メガネを光らせ、冷静に分析していた。
(なんか、伸也さんがいい人そうに見えるけど……八割方居酒屋をチョイスしたあの人のせいでは……)
すぐ隣で「お水お水……」と机の上を手探りする聡也に、そっと水が入ったグラスを手渡しながら、誠次は相変わらず心の中でツッこみ続ける。
「きるけー魔法大学って凄いの?」
「もうマジ凄いぜ。昔で言うハーバード的な?」
「なにそれ凄ーい」
伸也の類い希なトーク力が女性陣を引き込んでいる間に、誠次は聡也の介護をしつつ、バレないように食事にありついていく。そうでもしなければ元も取れない気がした。
伸也もその動きを察知し、次から次へと料理を誠次の前へと運んでいく。
「聡也。アレルギーはないか?」
「とくにはない。強いて言えば、甘いものと、コンタクトかもな……」
「そうか。ならば食え」
「ありがとう、誠次」
誠次が聡也の皿に料理をよそってやる様子を、向かいに座る女性陣は唖然とした様子で見守っている。
そんなこんなで、一次会とやらは合コンと言う名の食事会で終わった。
「このビルの中にカラオケあるから、次はそこな?」
「賛成ーっ!」
すっかり伸也のペースに乗っている三人の女性の後ろで、聡也を担ぐ誠次はエレベーターまでついていく。完全に戦争映画の戦場で負傷兵を担ぐ衛生兵のそれである。
「待て誠次……。今兄さんは、カラオケと言ったのか……?」
「ああ……。確かに伸也さんは、カラオケと言っていた」
すると、聡也は苦しそうに、誠次の服の胸元をぎゅっと掴む。
「……誠次。意外かもしれないけど、俺は音痴らしい……」
「うん。知ってた」
昨年の林間学校のバスの時もだが、カラオケに遊びに行った際も聡也は無自覚な音痴を披露していた。
「ここで兄さんの前で恥を晒したくない……」
「聡也……」
肩に感じる聡也の熱い思いを受け取り、誠次は目を瞑って決心する。
「分かった。お前の分まで、俺は歌う――っ!」
そうして【ゆけ、ユキダニャン!】と言う雪だるまなのに熱いヒーローのテーマ曲を熱唱する誠次であった。当然、引かれていたが、聡也だけが合いの手を入れてくれることが唯一の救いだった。……そもそも、この歌知っていたのか、聡也よ。
時刻はすっかり夜となり、六人は男女で分かれて、ビルの中にあるそれぞれの宿泊施設へ。
部屋に入るなり、眼鏡を返却された聡也は、いつも通りの彼に戻り、兄へと詰め寄っていた。
「今後このようなことは、一切お断りです兄さん!」
「悪かったって。でも、楽しかっただろ? 美味いもんも食えたし!」
「楽しくありませんし、味なんかわかりませんでした!」
聡也はまったく、とため息をつく。
「俺もまさか女の子たちが全員未成年だったなんて思わなかったぜ。危ない危ない」
伸也はそう言うと、ベッドの上にごろんと寝転がる。
「大学も行かずに、就職もせず、何をしているかと思いきや合コンですか……」
頭痛を感じるように、聡也は頭に手を添えている。
伸也は寝返りをうち、含んだ笑みで聡也を見ていた。
「おいおいそんな言い方はないだろー可愛い弟よ。この世界で出会いを大切にするのはいいことだぜ? ちなこれ、名言な?」
「反面教師とさせていただきます」
「そりゃないぜ弟よ……」
兄と弟の言い合いは、夜通し続く様相を見せていた。
一方で誠次は、ビル内の自販機で水を買いに来ていた。ずっと眼鏡をかけ続けていたせいか、裸眼で違和感が残ってしまっている。
――だからだったのだろうか。すぐ背後に立っていた女性の存在に気が付かず、誠次は慌てて躱していた。
「あ、久しぶりー。あ、ま、せ、くん?」
「お、お団子野田!?」
「ちょっとなにその覚え方!?」
怒った様子のお団子野田と鉢合わせをしてしまい、誠次は慌てて後退る。
(しまった、眼鏡が!?)
「あ、今は八ノ夜くんだっけ?」
お団子野田はくすりと笑い、誠次に近づく。
「な、なぜばれた!?」
「い、いやいや。あれで誤魔化せると思っていたの……? 髪型特徴的すぎ」
「は!? そうか、そうだったのか……っ」
盲点だった、と誠次は水の入ったペットボトルを抱えたまま、項垂れる。
「……マジで? いや、それにしても、あんなことしてて良いと思ってんのー誠次くん?」
「それはお互い様だ。君こそ、酒を飲もうとしていた」
咄嗟に反論する誠次に、お団子野田は痛いところを突かれたような顔をする。
「う……。それもそうよね。じゃあ、莉緒にはなにも言わないでおいてあげる」
「お酒も飲まないように」
「は、は!? ……ちょっとした出来心だったんだけど、まあ、そうよね……」
誠次の忠告を、お団子野田は渋々とだが聞いていた。
「じゃあさ、交換条件!」
一瞬だけしょんぼりとしていたお団子野田であったが、次には開き直って、誠次に詰め寄った。
「また交換だと……」
苦い表情をする誠次の目の前で、お団子野田はどこかそわそわするような仕草で、口を開いた。
「君の右隣に座ってた、黒髪の聡也くんだっけ? ウチとかえちーめっちゃ良いじゃんって話してたの。君の知り合いでしょ?」
「そ、聡也?」
「そーそー! めっちゃイケメンで、ウチもかえちーも狙ってんの! だからさ、また今度遊ぶ約束してよ! 聡也くん連れてきて!」
お団子野田は、完全に恋する乙女のように、両手を胸の前に合わせてときめいていた。
聡也の性格を察するに、自分も含めてこのようなことはもう二度としないだろうと思い、誠次は首を左右に振っていた。
「いや、おそらく無理だと――」
「出来なかった場合、このこと、りおりーに言っちゃおうかなー?」
「それは困る!」
焦る誠次は、至極難しいミッションに挑むことになってしまっていた。
翌日。
寮室に戻ってきた誠次は、いつも通り部活から戻ってきた聡也に、声をかける。
「聡也。俺と、もう一度夜ご飯を食べに行かないか?」
「……なぜだ」
「い、いやぁ、なにか、奢りたい気分なんだ! ははは!」
誠次が後髪をかきながら答えると、聡也は黒縁のメガネを光らせていた。
「分かった」
「ほっ……」
ほっとする誠次であったが、聡也はそっと、自分がかけていたメガネを外す。
「ただし誠次。まだお前は、夏休みの宿題が終わっていないはずだ」
「あ、ああ。そうだけど?」
きょとんとする誠次の前で、聡也はふっと微笑む。
――その笑顔が、兄の伸也にとても似ているのは、二人が兄弟であることの何よりの証である。
「なら、それを全て終わらせたら、行ってやる。俺の奢りでだ」
「……待ってくれ聡也。全てって――」
「安心しろ誠次。わからないところは、俺が手伝ってやる」
「でも食事は、明日で……」
「なら、明日までに終わらせればいい話だ。さあやるぞ、誠次」
ピロリと鳴る、電子タブレット。
【もしもーし? 聡也クン誘えたー?】
「こんなの滅茶苦茶だーっ!?」
新学期や新生活は新元号と共に。いい年が流れていきますように!




