9 ☆
この章の折り返し地点になります。
実写版初代スパイダーマン三作品を久し振りに一気見しました。昔見たときは「スパイダーマン格好良いー!」だけだったのが、今ではピーターとハリーの思春期の葛藤と言う視点も見られて最高ですね。自分の巨大な力に葛藤しながらも戦う姿も、堪りません。
次はアイアンマン見ようかなー。作業のお供にアニメや映画や海外ドラマはもってこいです。
朝、鳥たちの鳴き声により、誠次は目を覚ます。入り口の方からはすでに朝日が差し込んでおり、体育座りのままの姿勢で閉じていた瞼を、そっと開ける。
「いつの間に、朝になっている……」
バキバキと音が鳴りそうな身体を限界まで伸ばせば、予想以上に気持ちがいい。
誠次は振り向き、横向きに寝ている火村の姿を確認する。まるで小鳥が眠っているように、火村は自分の身体を丸めて眠っていた。
「……」
昨夜に散々言い争った為か、悩み抱えていた事も忘れられた気がし、気分もスッキリしていた。その点でも、誠次は彼女に感謝していた。
「お陰で気分も晴れた。ありがとう、火村……」
起きているときに言っても、きっとまた喧嘩になるか、こちらが素直になれないと思うので、やや卑怯ではあるが、彼女が寝ているうちにちゃんと礼を言っておく。
そうして振り向いて、洞窟の外に出てみると、眩しい朝日が目元を挑発した。思わず腕で顔を覆い隠しながら、誠次は乾かした服を上から着ていた。
昨日の嵐が嘘のように水面は穏やかになっており、水も奇麗に澄んでいる。遠く地平線の彼方まで続いている青い水には、白い太陽の光が輝いていた。
「そうだ、綾奈から返信があったかもしれない」
誠次は思い至り、膝下丈のズボンのポケットから、電子タブレットを取り出す。
あれから綾奈からは何通もの受信記録が届いていた。
「ものすごく心配をかけたようだ……」
海水を浴びてべとつく髪をかきながら、誠次は洞窟の中へと戻る。
すると、火村がこちらの足音に気づき、上半身を起こしていた。
「おはよう、火村」
「……おはよ」
寝癖で髪がぼさぼさになってしまっており、ボーイッシュだったショーヘアがさらにつんつんと飛び跳ねている。
しかし、それはきっと自分も同じことだと思い、一々指摘するのは控えた。
何度も言おう。指摘したところで、絶対に口論になる……。
「火消えてる……」
ふわぁと大きなあくびをしながら、火村は消えた焚火の残骸を見つめていた。
「船、もう来てくれるっぽい」
寝ぼけ眼をくしくしと擦りながら、火村は自分の電子タブレットを確認する。
時間を置けば幾ばくか落ち着いて物事を考えることが出来、誠次は火村に「昨日はすまなかった」と言う。
「助けて貰っていたのに、怒鳴ってしまったりしていた」
「……まあ、結局ウチも言い返してたから、お相子様」
火村は誠次を見つめ、そんな言葉を返す。
「それに、ウチも結構すっきりしたし」
「も、って……起きてたのか?」
「……まあね。あんたに手出しされない為。言っとくけど、自惚れてるわけじゃないかんね!?」
「分かっている……」
手を出す気など毛頭もなかったが、やはり心の底から信頼されてないのだろう。こちらも、寝ている間に頭に石を投げつけられないか、少しは心配していた。
「すっきりしたのは俺の方もだ。肯定だけじゃなくて、ちゃんと否定の意見を言ってくれる相手もいると、意地でも負けられないって気持ちも出てくる。張り合いって言うのか、自分の意思を貫き通す覚悟。それが、俺には足りていなかった」
持ち上げた右手を握っていると、火村はきょとんとした面持ちを、こちらへ向けた。
「もしかして……あんたってドMなの? まあボロボロになるまで戦い続けたり、あの香月さんと一緒にいるくらいだから、そうか」
「そういう事じゃないだろ!?」
ひとりでに納得しようとする火村の指摘に、誠次は熱くなった顔で否定する。
「……ただ、俺の命を助けてくれた恩人として感謝している。学園に戻っても、生徒会の仕事とか、張ってほしいのは本心だ」
誠次がそう言うと、今度は分かりやすく火村の方が俯いていた。
「……生徒会ね。……もう、辞めようかと思ってたのに」
「まさか、この時期に辞めるつもりだったのか? 弁論会もあると言うのに」
「迷惑だってのは分かってる。……でも、今の私が居続けた方が迷惑になると思ったから」
今の私と呟いた時には、火村は自分の腕をもう片方の腕でさすっていた。
「でも、あんたの話を聞いたら、ウチも頑張らないとっては思った」
「そんな。俺はただ、俺のことを話しただけだ」
「だったらあんたには、たとえ無意識でも一緒にいる人を勇気づけたり、笑顔にさせる才能があるのかもね。……その点は、認めるわ」
そんなことを火村に言われ、誠次は思わずどくんと音を立てて心臓が鳴ったのを感じた。波が岩にあたり、穏やかな水音を立てる。
言った当人である火村も、どこか恥ずかしそうに視線を逸らしていた。
「……俺は、火村の言う通り、そんな風に誰かのための力になりたい。それが例え自己満足だっとしても、多くの人が望むのであれば、俺のしてきたことは決して間違っていないはずだ」
朱里の言葉に納得しかけていた己は、この波の音と共に捨てる気で、誠次は眩しいほどの朝日を見つめて言い切った。夏の朝の涼しい潮風が、誠次の乾いた頬を撫でていく。
「……GWの時みたいに、戻ったじゃん」
「ああ。ありがとう火村。だからどうか、君も頑張ってほしい」
火村はほんの一瞬だけ嫌そうな顔を浮かべはしたが、それも洞窟の中を通る潮風に運ばれるように、すぐに無意味な敵対感情だとして、失せていく。
そうして、どこか割り切ったようなため息をこぼして、
「そうね。あんたが立ち直って、ウチだけがふさぎ込んでいるのも、なんだか割に合わないし」
火村はくすりと微笑むと、次にはいつも通り、不敵な表情を見せていた。
やがて、岩場の先の方から、一隻の白い小型漁船が汽笛を鳴らして近づいてくる。
誠次と火村は二人して手を振って、救助船の到着を待ち受けていた。
「遅れてすまんかったー二人ともーっ! 無事かーっ!?」
船長らしき立派な髭を生やした豪快な海の男が、船室から手を振っている。
そして、船の甲板には、見慣れた赤いポニーテールをした少女の姿があった。
「誠次ーっ!」
「綾奈ーっ」
彼女の姿をまた見れて、心の底から安堵が出来た。
手を振ってくれている彼女の姿を見つめ、誠次も思い切り手を振り返していた。よく見ると、彼女の後ろには、誠次と火村が救出した二人の男の子と女の子がいた。
「生きとった生きとった! なんて悪運の強い二人じゃ!」
岩場が広がっているので、浅瀬付近で止まった船の元へ、誠次と火村は駆け寄ろうとする。
「うわっ」
その途中、苔がついた岩場で誠次は足を滑らせ、見事に浅瀬で尻もちをついていた。
「何やってんのよ全くもう」
隣で急に視界から消えた誠次を起こしてやろうと、火村がくるぶし丈までの浅瀬の上を歩いて近づいてくるが。
「きゃっ」
彼女もまた、苔の生えた岩に足をとられてこけてしまう。彼女が至近距離で立てた水しぶきが誠次の顔にかかり、誠次は思わず大笑いをしていた。
「はははっ」
「わ、笑うなぁっ! アホ!」
どうやら水辺が得意な彼女でも、足に疲れが溜まっていたのだろう。
盛大に恥ずかしがる火村が尻もちをつく姿が、とても面白く感じてしまい、誠次は腹を抱えてまで笑っていた。
「何やってんだか二人とも……」
途中から、綾奈が船を飛び降り、膝丈ほどの海の上を歩いてやって来た。
誠次が先に立ち上がり、火村に手を差し出す。
「ほら」
「……」
火村は誠次の手を掴もうと、水を伝う手を伸ばしかけるが、やはり途中で引っ込める。
誠次の元へ代わりに返ってきたのは、火村がかきあげた水だった。口中に海水の塩辛い味が、再び広がっていく。
「な、なに!?」
「冗談。誰があんたなんかの力を借りるもんか。ウチは平気じゃ!」
「そうかよ。なら、お互い様だ」
顔に水をかけられた誠次も思わず苦笑し、不敵に笑う火村から手を引き、綾奈を迎えた。
「ごめん誠次……。私の方がデンバコ見ててって言ったのに、私がすぐに返信できなくて」
「俺こそ、心配かけてすまなかった。綾奈の姿が見えたとき、嬉しかったんだ」
ふと、首筋に添えられた綾奈の指の感触に違和感を感じ、誠次は綾奈から身体を離して見てみる。
「指……怪我したのか? 絆創膏がついてる」
「え、う、うん……。電話でられなかったの、迷ってて、ずっと矢を射ってて……」
「ずっと矢を射るって……。泳いでいる私と同じじゃけぇ……」
横を歩く火村が、ぼそりと呟く。
膝下に波の往復を感じながら、誠次は篠上を見つめる。
「どうして、そんなになるまで……」
「お婆ちゃんから全て聞いたわ。そしたら、無性に悔しくなって……あんたも一人でどっか行っちゃうし……」
「すまなかった……」
「ううん……。お婆ちゃんは、あんたの事を分かっているようで、何も分かっていないわ……」
「あの人の言うことは確かに、一理あると思わせるものばかりだった。……でも、違和感があるんだ」
「違和感?」
誠次の頬に手を添える綾奈が、訊き返す。
誠次はそっと綾奈の手をとり、はっきりとした表情で頷いていた。
「人としての情が、感じられなかった。あの夜言った、あの人が綾奈を思う言葉は、あの人の中で片づけられた言葉だったんだ。いい意味でも、悪い意味でも、人としてあるべき他人を信じる心が抜け落ちてしまっている。……俺はあの人に一度負けて、あの人の言葉にも屈服してしまった。もしかしたら、俺が間違っているのかもしれない。けれどこれだけはまだはっきりと言える。綾奈を思う気持ちは、決してあの人に負けてはいないはずだ」
感情任せに火村と言い争った昨夜を思い出し、誠次は告げる。
「なにが朱梨さんをそうさせたのかは、今はまだ分からない……。でも俺は、正しいあの人の言うことに全てで頷くわけにはいかない。あの人の言葉を、考えを、変えたいんだ。……俺が戦うのは、決して自己満足の為なんかじゃない。俺が戦えば、救われる人がいる。だから俺は戦う!」
「誠次……」
「まだ手遅れでなければ綾奈……。俺に力を貸して欲しい。俺はなんとしても、朱梨さんに勝たなければならない。あの人の言葉の間違いを、戦いで勝って証明してみせる」
「そんなよ、勿論よ。あんたが必要なら、私は絶対にあんたに力を貸す。……そう言ったはずでしょ?」
「ありがとう綾奈。残りの日数で、必ず朱梨さんに勝ってみせる」
波が踊る上で約束を交わす二人に、漁船に乗る男が申し訳なさそうに声を掛ける。
「お熱いところすまんが、そろそろ帰らんか……? みんな心配しとるでえ」
「あ、ご、ごめんさない!」
綾奈と誠次は同時に反応し、やれやれ顔の火村が先に船に乗り込む。
「火村のお陰だ。火村が、この船を呼んでくれた。なによりも、溺れかけた俺を助けてくれたんだ」
「そ、そう……。お礼、言わなくちゃね」
綾奈はどこか気まずそうに、誠次の後に続いて船に乗り込んでいた。
「兄ちゃん……昨日はごめんなさい!」
「ありがとう、兄ちゃん!」
「お姉ちゃんも!」
子どもたちが船上で駆け寄り、誠次と火村に感謝をする。
「ウチはなんも。感謝するんなら、あのアホの兄さんに言いな」
「ありがとー! アホの兄さん!」
「変な覚え方を吹き込むのはやめてくれないか!?」
潮風を浴びて何気なく言う火村に、誠次は慌ててツッこんでいた。
「でも、もう絶対に時化てる海に入っちゃ駄目。水を舐めてると、痛い目見るんだからね」
火村の忠告に、三人の子どもたちは黙って頷いた。
「あ。兄ちゃんの剣、返すね。ちゃんと預かってたんだ!」
そう言えばと、子どもたちの救助の際に砂浜に置いてきたレヴァテイン・弐の存在を思い出す。
重たそうなものを運ぶ表情をしながら、少女が持ってきてくれたのは、レヴァテイン・弐の片方だった。
「持っていてくれたのか、ありがとう。この花は?」
茶色い鞘の上には、紫色の花びらの形が特徴的な花が、添えられていた。
「この花、蛍島でよく咲いてる花なんだよ! 家に沢山生えとるの! オダマキの花!」
剣に添えられた花を見つめ、誠次は思わず微笑んでいた。
船の上でしゃがみ、女の子から剣を受け取る。
「お、お前。よくこんな重いの、持てたな!?」
「お、俺だって持ってやる!」
一方で、もう片方のレヴァテイン・弐を運ぶのに、二人の男の子は苦戦しているようだった。
「もう! 二人ともどんくさい! 私に任せなさい!」
「ま、待ってくれ!」「待ってよ……!」
割って入った女の子が一人でレヴァテイン・弐を持ち上げ、またしても誠次の元へ運んでいた。二人の男の子は、一人で必死に剣を運ぶ女の子の勇ましい姿を、はらはらしながら見守っていた。
「男の子ってみんなこうなんだから……」
船の両サイド、それぞれ左右の出っ張りに腰掛けていた綾奈と火村は、どちらかと言えば女の子よりは、二人の男の子の方を、何かと重ねるように、見つめていた。
数分後、船は初日に誠次と綾奈が島に降りた港まで到着する。港には、子どもたちの両親たちや、心配しに来てくれた島の人々もいた。
「おお、良かった良かった!」
「子どもたちをありがとな、坊主!」
「痛っ!?」
船を降りると、誠次は髪の毛をくしゃくしゃにされたり、大人たちから大袈裟にも感じるほどの感謝を受け取っていた。
元々明るかった島に、歓喜の声が渦巻いた瞬間であったが、それが一瞬のうちに静寂に包まれた。
揉みくちゃにされたまま、誠次が見たのは、遠くから一人、歩いてくる袴姿の女性だった。
七〇過ぎたにしては若すぎる容姿を纏う島の女傑、篠上朱里であった。
「まさか、篠上さんが、山を降りてきた……」
誠次に群がっていた男の誰かが、呆然とした様子で呟いている。
山に住む朱里が、港町で降りてきていたのだ。
「無事だったか、嬉しいよ、誠次」
彼女は、こちらの姿を見るなり、穏やかに微笑んでいた。周りの人の反応も、構いはしていないようだ。
一斉に動きが止まった島民たちの手を解きながら、誠次もまた、朱里の元へ歩み寄る。
心配そうな綾奈の視線を、背に受けながら。
「朱里さん。俺はやはり、貴女の言葉を全て受け入れることが出来ない」
「そうか。そうだろうと思ったよ」
やはり、孫娘を思うにしては彼女の言葉はどこか空虚で、怒りも驚きもそこにはなかった。相手の言葉を受け取り、それに対して非感情的な言葉を返すのみ。それは全て正しいことではあるが、情などは一切もなかった。
「俺は貴女に勝ちます。勝って、自分のやろうとしていることの正しさを証明してみせます。そして、貴女を変えてみせる」
「……承知した。その眼、昨日までのものではない。綾奈でもないな。なにがそなたをそうさせた?」
「もう一人、俺に力をくれた女性がいたんです。魔法でもなく、前を向く力を」
「良い威勢だ。ならば持てる力を全て使い、私に挑むが良い。私とて、大人しく負けるつもりはないよ」
向き合い、睨みあう二人を余所に、ここまで運んでくれた漁船の船長と話をする火村がいた。
ちょうど群がっていた島民が影となり、朱里からも誠次の言うもう一人の女性の姿は見えなかった。
「……あの、お母さんかお父さんは……?」
船から降り、船着場に船を固定させていた船長は、少しだけ残念そうな顔をしていた。
「ああ……。わしが船を出して迎えに行くと言ったら、二人とも頼みますってさ。もうちっとは心配してやってもいいと思ったんだが」
「……そう、ですか」
「元気だしな、嬢ちゃん」
「……はい。船、ありがとうございました」
島民の輪から外れていた火村がぼそりと告げ、帰ろうとする。
それを止めたのは、肩を軽く叩いた綾奈だった。
「ちょっと待って。誠次を助けてくれたお礼はさせて」
「気持ち悪いこと言わないでくれる? 私は泳いでたら偶然、溺れかけてる人を見つけただけ。助ける気なんかなかったけど、向こうが勝手に私の身体にしがみついてきたの」
「言い訳に無理ありすぎ……。そしてもしも仮にそれが本当だったら、違う意味で誠次と貴女を問い質さないといけなくなるわ」
綾奈は火村を逃がすまいと、棒立ちする彼女の手を掴んでいた。
火村はどうしていいのか分からなそうに、気まずそうな表情を浮かべて、綾奈が掴んだ自分の手を見つめる。
「……別に、お礼が欲しくてやったわけじゃない」
「分かってるわ。それでも、お礼はさせて。この島でこうやって会えたのも、きっと何かの縁よ」
「……」
火村は抵抗を諦め、微かに頷いていた。
綾奈が火村の手を引き、誠次と朱里の元へと戻る。
「綾奈。その娘は……?」
「火村さんです。誠次を助けてくれた女の子です」
「……」
無言の誠次を挟み、朱里は火村の姿をまじまじと見つめる。
朱里に凝視された火村は、どこか居心地が悪そうに、朱里から視線を逸らしかけていた。
「……そうか」
朱里の声音の僅かな変化を誠次は感じ取り、何事かと朱里の顔を見つめる。
皺の薄い凛々しくも美しい顔立ちに、ほんの僅かの感情が生まれている。それは……迷いに似ていると、誠次は感じた。
「そなたにも、感謝しないとな」
「いえ、別に……」
火村はべとべとしているであろう自分の髪を触りながら、ぎこちなく答えている。
「怖がらせないでよお祖母ちゃん。お礼がしたいの。家まで、いいですよね?」
「しかしその娘にも家族がおろう。まずは一度家に帰ってやるべきだ」
「……別に心配してないからいいですよ。お邪魔したい、です」
火村はそんなことを言うと、「火村……?」と驚く誠次を横に、進んでいた。
朱里は何か言いたげではあったが、最終的には「恩人はもてなさければな」と頷いていた。
「……みな、私の孫とその連れが迷惑をかけた。すまなかった。私も戻るよ」
島の人々はどうしていいのか、どんな声をかけていいのかわからない様子で、朱里が踵を返す様子を見守っていた。
その光景にひどい異質さを感じた誠次は、人知れず右手の拳を握り締めていた。
「坊主。悪いことは言わねえ。あの人と無理に戦おうとするな。そっとしておいてやれ」
一足先に車に乗り込んだ朱里と綾奈と火村を追いかけようと歩きだした誠次に、島民の男が声をかけてくる。
誠次は立ち止まって、島の人々が心配そうな表情をしているのに気が付いた。それは決して、こちらの身の事だけではない。長い間島に住む朱里を思ってもの、発言だったようだ。
「俺はあの人があのままでいいとは、とても思いません。確かにあの人は強いですが、孤独だ。人を信じることも、悪いことじゃないって、あの人に伝えたいんです」
「余計なお世話かもしれんぞ?」
「俺はあの人の事も助けたい。いつだってそうしてきました。今回も、同じことをするだけですよ」
誠次はそう言い残し、朱里が運転席に座った車に追いつく。
助手席に火村が座っており、誠次と綾奈は後部座席に座っていた。
嵐の後の天気は晴天となり、島の鳥や虫たちも一斉に鳴き声をあげる。車の後部座席に乗る誠次と綾奈の元には、木漏れ日が次々と当たっては消えていく。
「相当疲れたみたいね……」
誠次がうつらうつらとしていると、すぐ隣に座る綾奈が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「寝たとは言っても、岩の上だったしな……」
「髪も身体もベタベタしてるわ。帰ったらお風呂ね。火村さんも遠慮しないで」
助手席に座る火村が、どこか落ち着かない様子で、窓の外の過ぎゆく木々の群れを見つめていた。
「遠慮はする……」
運転席に座る朱里は、終始無言のまま、車を自宅へと向けて走らせていた。
やがて、三人の少年少女を乗せた朱里の車は、何度見ても立派な篠上家へと到着する。
「うわぁ……。立派な家……」
「篠上の家、見たことなかったのか?」
「噂には聞いてたけど、実際にここまで来たことはなかった」
誠次の問いに、火村は呆然とした面持ちで篠上家を見上げて答える。
「風呂は沸かしてある。綾奈。彼女を案内してやるんだ」
「はい。こっち」
綾奈が圧倒され続けている火村を連れていく。彼女は、「まるでお城じゃ……」と方言も相まってそれらしいことを言っていた。
綾奈と火村が縁側から家の中に入っていく。
夏の虫がそこかしこで唄を唄う中、誠次は今一度朱里に話しかけられた。
「誠次。私はそなたが生きていてくれて、本当に嬉しく思っている。今からでも遅くはない。その腰と背の剣を置くつもりはないか?」
まるで自分の母親かお祖母さんのような言葉をかけられるが、誠次は首を横に振っていた。
「まだ、置くつもりはありません。例え道が険しく困難であったとしても、この剣と共に前へと進み続けると決めたし、約束したのです。みんなや、この魔法世界を統べる王と」
「……わかったよ。それでもそなたが修羅の道を行こうとするのであれば、私も修羅となり、そなたを討とう。その時までは、またこの屋敷で過ごすが良い」
一瞬のうちに朱里から放たれた殺気にぞっとしつつ、頬に一筋の汗を流した誠次は、ごくりと生唾を飲み干す。
「お世話になります」
乾ききった口内のまま、誠次が頭を深く下げた。夏の風が二人の間を通り抜け、青空へと落ち葉を抱いて舞っていく。
楓の葉だろうか、紅葉を控え、これから黄と赤に染まるのであろう庭に生えている木々が風にそよいだところで、誠次はとあることを思い出す。
「そう言えば、火村紅葉さんのことは、ご存じなかったのでしょうか?」
「なぜそんなことを訊く?」
「火村さんを見た貴女の顔が、少しばかり曇ったような気がして。今まで迷いを一切見せることはなかった貴女の顔が、変わったのです」
誠次がそんなことを言うと、朱里は一瞬だけきょとんとした表情をしてから、口に手を添え、あくまで上品に笑い出した。
「あはははは。面白いことを言う。たった数日しか見ていない女の顔の変化を指摘するとは、やはりそなた、相当な数の女性を相手にしてきたのだな?」
「変な言い回しは勘弁願いたいのですが……」
「知っていたさ。あの子の事は、昔から、な。綾奈と同い年の、島育ちの元気な女の子だよ……」
ぽつりと呟いた朱里は、それきり無言となり、風に揺れる大きな楓の木を眺めていた。
「……」
今までにない、夏だというのに冷たく虚しい風がそこで吹いた気がし、誠次も無言で朱里を見つめていた。
結局この日は、風呂から上がった誠次と火村は共に疲れで眠ってしまい、起きたのは夕方になってからであった
その日の夜。
火村も交え、誠次と綾奈は三人で夕食を頂く。
風呂に入ってよく眠り。ようやく疲れも取れてさっぱりした誠次は、火村と机を挟んで目の前に座っていた。
「す、凄い豪華……」
「私とお婆ちゃんの手作りよ。遠慮しないで食べて」
山の幸と海の幸をふんだんに使った料理の数々に、火村は緑色の目を大きくさせていた。
「そう言えば、ご両親に連絡はしたのか?」
隣に座る綾奈がよそってくれたご飯茶碗を片手に誠次が訊くと、火村はうんとー頷く。
「勿論。当然」
「ご両親はこの島でなにをしているんだ?」
「私も気になるわ。何回かこの島に来てるけど、顔も見たことないと思う」
「親は二人とも町役場の職員。まあ島のお爺ちゃんお婆ちゃんならともかく、私と同い年の娘が来るようなところじゃないし、知らないと思うわ。近所付き合いも殆どしてないし」
「どうして?」
誠次が問うが、火村は肩を竦める。
「さあね。職員として職務はちゃんとやってるけど、島の人とはあまり関わらなかったみたい」
火村はお刺身を食べながら、答えていた。
「ご馳走様。美味しかった」
「嬉しいわ。ありがとう」
夕食を食べ終えた火村は、皿をキッチンまで運んでいた。和式と言っても、なにも囲炉裏やかまどと言ったそこまで時代錯誤をしている内装ではなく、洋風の居間にシステムキッチンもある。
「じゃあそろそろ帰るから。本当にありがと」
「泊まってかないの? せっかくだから、泊まっていけばいいじゃん」
「は、はあ!?」
洗い物を自動洗浄機に入れていく綾奈の隣に立ち、綾奈に皿をパスしていく火村は、思わず後退る。
「な、なしてウチがあんたらの寝顔見ながら寝ないといかんのじゃ!?」
「私たちの、寝顔って……」
きゅーっ、と綾奈の頬が真っ赤になっていく。
手に持っていた皿を落としそうになり、慌てて火村と共にしゃがみ、皿をキャッチ。割ることは防げた。
「べ、別にあいつとは一緒に寝てるとか、そんな関係じゃないんだからね!?」
「嘘」
「嘘じゃないってば! そこまで行ってないわよ……」
綾奈はぶつぶつと呟くように、くちびるを尖らせていた。
「大体、なんであんたはそこまで誠次の事が嫌いなの? なにかされたの?」
綾奈は火村に背を向け、冷蔵庫に向かう。
「別に……。ただ、周りの人と違っていて、目立ってたから、かな……」
「……はあ? それだけ?」
冷蔵庫から振り向いた綾奈は、片手に小さなスイカの玉を一つ、持っていた。
誠次は一人で道場に行き、朱梨に勝つための戦術の特訓をしている。今日ぐらいは休んだ方がいいと綾奈が言ったが、平気だと断っていた。
綾奈と火村は縁側に腰掛け、夜の月の光の下で、切ったスイカを食べる。山の夜風は涼しく、時より風鈴が調べを奏でていた。
「波沢生徒会長だって、あいつを認めているようで、納得いかなかったんじゃ……」
しゃりしゃりと音を立て、スイカを食べていく綾奈の隣で、火村は俯いていた。そしてどこかうわの空で、手元のスイカに塩を振っていく。
赤が白にコーティングされていくような、明らかにかけ過ぎな量に、隣に座る綾奈は青冷めた表情をしている。
「よく分かんないわ、あいつ。人間の感情がどうとか言っておきながら、あいつが一番人間味が薄いというか」
そうして確実に濃い味付けとなっているスイカの先端をかじった火村は、言うまでもなく口を手で押さえて悶絶していた。
指摘しておいてやればよかったか、いや人それぞれの味付けがあるのだろうし……。綾奈はそっと、冷たいお茶を差し出していた。
「けほっ、けほっ……。だから、確かめてみたいわ。あいつがどんな人なのか、それを知れたら、少なくとも顔を合わせても嫌な気分にはならないんでしょうけど」
※
「……っ!」
一人、道場で素振りをしていた誠次は、そっとレヴァテイン・弐を腰の鞘に納める。
「……少なくとも、また弓矢を使われたら俺に勝機はない。接近戦に持ち込むしかないのだろうな」
夏の夜は蒸し暑い。顎先から滴り落ちる透明な汗の雫を手で拭い、誠次は瞳を閉じて呼吸を落ち着かせる。瞳を開けると、目の前には二匹ほどの蛍が、残光を描いて舞っていた。
「ここまで迷い込んだのか?」
目の前を漂う二匹の蛍にそっと手を伸ばしてみる。
誠次の手をひらりひらりと躱した二匹の蛍が、誠次を誘った先は、刀による傷痕がつけられた、道場の柱だった。
なにを思うでもなく、誠次は無意識に、冷たい木の感触が広がる柱に手を添えた。
さらさらとした感触の後に続いた、深く抉られた木の痛み。それは遙か昔からこの篠上家を守り抜いてきた魂の保管庫でもあり、誠次に底知れぬ緊張感を与えてきた。
剣の振りすぎというわけでもなく、右手が痺れたような錯覚を感じ、あっと驚いた誠次は柱からそっと手を離し、自分の右手の平を見つめる。
「誰かの悲鳴や、怒鳴り声が聞こえた気がする……」
確かにそんな気がした身体は、もはや自然と、その神聖な場に正座をすることを義務づけていたようなものだ。
月の光を背に、誠次は深く頭を下げる。
「あなた方がずっと守り続けていた歴史を変える若気の至りを、どうかお許し下さい。それでも俺は、あの人をこの場に縛り付けた呪いを断ち切りたいのです。それがあの人の……ひいては貴方方の宝であるでしょう、綾奈の幸せに繫がるのです。守られるべきは過去の遺産ではなく、未来への希望だと思います。それは同時に、貴方方の歩んだ歴史を部外者の俺が踏みにじる事となります。その事への罰は受けましょう。だからどうか、その時までは安らかに、俺とあの人との戦いを見届けて下さい」
静かに語った誠次のすぐ隣で、二匹の蛍がその光を消す。蛍の光が消える光景を、切ないものだとじっと見つめていた誠次は、特訓のために点けていた道場の松明の明かりを、全て消していた。
一人道場でレヴァテイン・弐を素振りしていた誠次が寝室に戻る途中、くしゃみが続く。
「ヤバいな……。俺は水に飛び込むと風邪でも引きやすい体質なのだろうか……」
ムズムズとする鼻先をかきながら歩いていると、目の前の廊下を火村が通り過ぎる。
「あ、ウチ今日泊まっていくから」
「え、あ、ああ」
立ち止まった火村に唐突に告げられ、誠次は返答に窮する。
「篠上さんの部屋で寝るけど、変な気起こさないでね」
「起こすかっ! 自分で言うのもなんだが、二人きりの洞窟で起こさなかった以上、もはや安全にもほどがあるだろう!?」
誠次は慌てて首を横に振る。いつの間にか、綾奈と仲良くなったのだろうか……。
「あっそ。居間にスイカあるから、篠上さんと一緒に食べてどうぞ」
「ちょっと待て。なぜ君が命令する……」
「ウチ、一応貴男の命の恩人な自覚があるんだけど?」
「……そ、そうでした」
救って貰ったことは確かなので、何も反論できず、誠次は妙な気分で受け入れる。
「あと、明日の朝は早いから」
「? どういうことだ?」
「中庭でお祖母さんと話してたのと、さっき篠上さんから聞いたわ。するんでしょ、特訓?」
小麦色に日焼けをした肌が借りている綾奈の私服から覗く中、火村は自信あり気に言っていた。
~夏のソナタ~
「朱梨さんの言葉遣いって、なんていうか、古風な感じだよな」
せいじ
「あんたがそれ言う……?」
あやな
「そなた、か。昔な感じで趣があって、俺は好きだな」
せいじ
「じゃあ試しにあんたが言ってみなさいよ」
あやな
「似合いそうよ?」
あやな
「そうだろうか……」
せいじ
「しかし、俺がやるには難易度が高い気がするんだ」
せいじ
「すまない。今回ばかりは、君の期待に応えられそうにない…」
せいじ
「べ、別にいいわよ。今の誠次のままでも」
あやな
「むしろこれ以上固くなったらこっちがついて行けんくならん……?」
もみじ




