5 ☆
そう言えば持っていなかったと思い、先日任天堂スイッチを購入。一緒に買ったカセットは、スマブラでした。据え置き機なのにカセットの小ささに驚きながら起動して、さっそく使いたいキャラクターたちを解放していきます。
シュルク、男(ここ重要)カムイ、クラウド。見事なまでにイケメン剣士ばっかりを使うあたり、子供のころやっていた初代WII版でアイク、リンクを使っていた頃と変わっていないなあとしみじみ感じるこの頃。もはや私は人ではなく、剣が好きなのか……?
肝心のプレイの腕の方は……下手っぴですけどね。
――人間は昔、海の中で生きていたの。それじゃあ息が出来ないって? 大丈夫。お魚だったんだから、ずっと水の中にいても平気なのよ。気の遠くなるような年月を重ねて、お魚が人になっていったのよ?
「じゃあ、その前は? お魚はどこから生まれたの?」
母親らしき人に抱き抱えられ、日焼けした子どもが顔を上げる。目の前に広がる美しい海は、蛍島の砂浜から望むものだった。
膝の上に子どもを抱く女性は、やや困った表情をしているようだった。
――海の中から、神様が命を作ったのかも。良かったわね。蛍のように、たった一週間だけの命じゃなくて、神様が人間を丈夫に作ってくれて。
「たった一週間だけしか生きられないなんて……。蛍さん、可哀想……」
空を飛び回る蛍を眺め、子どもはぼんやりと呟く。
女性は、どこか憂いを帯びた表情で、抱き抱える子どもと同じ方を向いていた。
――人間だって、もしかしたら一週間も生きられないなんて人がいるかもしれない。だからせめて、あなたは長生きしてね。
「どうして? お母さんみたいに大人になるよ。人間は蛍と違って丈夫なんでしょ?」
母親が子どもを抱く手に、ぎゅっと力が入る。
やや痛みすら感じるその抱擁に、戸惑う子どもが母親を見つめ上げると、その瞳には涙が溜まっていた。
――だって、この魔法世界には”捕食者”って、人を喰う怪物が出るのだから……。
※
夢から覚め、戸惑う誠次の目の前で、一筋の光が瞬きを繰り返す。
「蛍……」
誠次は右手を伸ばしながら、光の後を追った。
生まれて初めて見る蛍は、誠次を誘うように、暗闇の中をゆらゆらと漂っていく。
「待って……っ!」
そうして光に追いついた時、誠次の右手に広がった感触は、思いのほか柔らかく、しっとりとしていて冷たかった。
「――ひやっ!?」
聞こえた女性の声に驚いて誠次が目を開けると、目の前に心配そうにこちらを見つめる綾奈の顔があった。
誠次が蛍を追いかけて伸ばした右手の行き先は、綾奈の左頬であった。
「だ、大丈夫誠次?」
誠次の右手をそっと触りつつ、綾奈が問いかける。
「す、すまない……。変な夢を見ていた……」
「でしょうね。うなされてて、心配したんだから」
寝ていたお腹周りには、綾奈がかけてくれたのか、ブランケットがあった。
周辺には他にも、腹を出して眠っている男や、いびきをかいて横になっている男たちが大勢いた。まだここは、宴会場の中であることと、綾奈がいてくれたことに心の底から安堵する。
「大丈夫? もしかしてお酒飲まされちゃった?」
綾奈は誠次を心配そうに見つめる。
「いいや、さすがに飲んではいない……と思う……」
「だったら、海鮮物がお腹に当たっちゃったとか?」
「そういうわけでも……」
ふと、今の自分の姿勢が気になった。
どうやら、綾奈が膝枕をしてくれていたようだ。
そう思うと、後頭部の感触が妙に増したような気がし、顔を赤く染めた誠次は上半身を起こす。
「あ、ありがとう……膝枕、とか……」
その言葉を聞いた綾奈も、思い出したかのように、顔をやや赤くしていた。
「べ、別に……二度目だし……」
「二度目、だったけか……?」
「な、何でもない! 私、お茶淹れてくるからっ!」
そう言って踵を返した綾奈の気遣いに感謝しつつ、誠次もゆっくりと立ち上がった。
時刻はすでに夜。宴会場の上部窓から射し込むのは、白くぼやけるような月光であった。
エアコンではない夏の湿った温かい風、しかし不思議と心地よいその気配を感じれば、なんと宴会場の縁側に、今日の料理を作ってくれた島の大人の女性たちが並んで座り、夜の外の光景を眺めていた。当然、夜の外の世界と室内を分け隔てるものはなにもない。
誠次は呆気にとられつつ、女性たちの元に歩んだ。途中、大の字で寝ていた男の腕に足を取られそうになりながらも、月光を浴びるところまで辿り着く。
「おんや、起きたのかい? えーっと、天瀬くん」
眼鏡をかけたおばさんが振り向き、こちらを見つめて言う。
「はい。あの、ご馳走様でした。島の人じゃない俺にあんなご馳走を、ありがとうございました」
「えんよえんよ。綾奈ちゃんのこれって事は、将来この島に住むかもしれんし、今のうちに慣らしておかんとね?」
「島の料理は、美味しかったです。特にホタルイカが」
小指をくいと曲げ、にやにやと笑うおばさんに、誠次は微妙に笑って誤魔化していた。蛍島の名物は、そのまんまホタルイカである。
「起こしちゃったかい? 男たちのいびきがうるさくてごめんねぇ。根はみんないい奴らなんだよ」
おばさんの横にいた男勝りでタンクトップ姿の女性が、タバコをふかしながら言っている。
「そうだと思います」
「本州住まいの嫌味な奴だったら、毒貝でも食わせてやろうかって思ってたけど、綾奈ちゃんが見込んだ男に狂いはなかったようだね」
島ならではの方法で毒殺される寸前だったようだ。
「そ、そう言って貰えて、嬉しいです……」
しかしと誠次は、女性たちと合わせて目の前に広がる島の港町の光景を、細めた目で眺める。街の至る所に明かりは点いており、中には車まで走っている始末だ。
誠次が思っていたことを、眼鏡の女性が代弁した。
「そうだ。本州住まいには珍しいのかね、この光景」
「……はい。夜間外出禁止法は、例え本州から遠く離れているこの島にだって適用されているはずです。法律違反、では……」
誠次が慎重に問うと、タバコを吸っていた女性が、一際大きな煙を吐いた。
「蛍島に”捕食者”は出ないよ。蛍の光が、私たちを守ってくれるからさね」
吸っていた紙タバコを口から取り上げ、先端を遠くへ向け突き出す。
タバコに点いた火の先の草むらには。街の街灯の光に勝るとも劣らない蛍の光が、沢山灯っていた。
「……蛍の光が、人を守るのですか……」
「信じられないって感じだね。でも事実さ。この島に”捕食者”が出たことはない。三一年間、一度も」
「一度も……」
誠次が驚いていると、二人の女性は同時に頷いていた。
東京の夜の街に同じように出歩こうものならば、確実に”捕食者”に襲われるに違いない、無防備さであった。それでも”捕食者”による捕食事件が起きていないということは、本当にこの蛍島には”捕食者”は出現しないと言うことなのだろうか。
……だとすればそれは、この魔法世界に残された楽園と呼べるだろう。だが、そんなうまい話があるわけがないと否定する自分もおり、誠次は軽く首を横に振っていた。
「政府による家の工事も、あたしらの親の代はみんな反対していたのさ。この蛍島に”捕食者”はいないってね。最終的には工事は受け入れたけど、今もこうやって夜の外に出歩いている人もいる」
勿論全員と言うわけじゃないけどね、とタバコを消した女性は言う。
「篠上朱梨さんは、その中でも最後まで工事を行わなかったのですよね?」
「篠上さんはこの島の長みたいな人だからね。先祖代々、この島を守り続けていた士族の末裔だからね。あの人はもはや人じゃなくて、守り神様みたいなもんさ」
「神様だなんて……」
ふと持ち上げた視線の先に広がっていた光景に、誠次は釘つけとなった。
青黒い木々が広がる夜の森。それは何処か恐ろしくもあり、美しくもあった。確か、朱梨が住まう篠上家の屋敷がある山の中腹点にて、異常なほど眩い光が発生していたのだ。まるで照明器具を使っているかのような眩しさであったが、おそらく、全て蛍の光なのだろう。
「そんな人の孫によく手を出したね、アンタも」
ニヤリと笑いながら、二人の女性が誠次を見上げてくる。
試されている、と先ほどの会話からも感じた誠次は、口角を上げて微笑んでいた。
「最初に出会った時は、綾奈さんの家のこと、知らなくて……。でも、綾奈さんがどのような家だったかと知った今でも、俺が綾奈さんから必要とされるのであれば、期待に応え続けたいと思っています。それが綾奈さんの幸せに繋がるのであれば……今の俺は綾奈さんの為ならなんだって、します。それが、多くの女性に好意を持たれている俺が出来る、一人への最大の恩返しだと思うのです」
「そうかい伊達男。でも、まだキスもしたことないんだってさこの子たち!」
「ピュアすぎや! いやあ、最近の都会っ子は遅れとるのー」
などと、一気に笑い声をあげる島の女性陣を前に、誠次は困った顔をして、一気に何も言えなくなってしまった。
「……」
誠次たちの背後では、お茶を淹れ終えて水道水の蛇口をそっと閉める綾奈の姿があった。
※
この島に帰ってくるのが、まさかこんなにも早くなってしまうとは思わなかった。
見上げれば彼方まで続く青空と、そこを行き交うカモメの群れ。大きな雲は絶え間なく移動を続け、どこか遠くへ向かっていく。
――見慣れた光景だ。子供のころから変わっていない。
少しは大人になったかもと思っていた自分は、結局まだまだ子供であり、何一つとして成し遂げられないまま、この生まれた島に帰ってきてしまった。
柄入りのお気に入りのタンクトップから覗く小麦色に日焼けした肌から、少なくない汗を流し、キャリーケースに入った大きな荷物を転がしていく。
海面から覗く朝日を横に、時より通り過ぎる車が過ぎゆく風を浴び、赤毛のショートヘアーが揺れた。
「ただいま、私」
船着場から降りて実家に向かい、数十分。水泳で鍛えた体力が功を奏したのか、子供のころは不便だと感じた疲れもない。まず目につくのは、太平洋を一望できる蛍島の端に建てられた、白い灯台だ。その灯台の真下に、自分の実家はあった。
ぼそりと呟き、やや緊張した面持ちで、本州からの帰宅者は実家の玄関前のインターフォンを鳴らす。
やや間があって、柵の向こうにあった玄関ドアが開き、中から母親が姿を見せた。
「……ただいま、お母さん」
「……お帰りなさい、紅葉」
ぎこちなく緑色の瞳を上げ、火村紅葉は、港町から遠く離れた蛍島の先端にある灯台の家で、母親と実に一年以上ぶりに再会を果たしていた。
こう言うのもなんであるが、一年以上前に見ていた母親の面影は今は薄く、ひどく老けてしまっているように見えた。
※
翌朝。結局、公民館の宿で一夜を明かした誠次と綾奈は、朝から宴会場の片付けを手伝っていた。男たちは早朝から漁に出たり、それぞれの仕事に戻っていく。
「はっはっは! 俺は名もなき大魔王、ユキ=ダーニャン! この剣を使って、取り敢えずなにか成敗する!」
「魔王が剣持ってるー!」
「名前ちゃんとあって滅茶苦茶だーっ!」
宴会の片付けを手伝い終えた誠次は、島の子どもたちのいい遊び相手となっていた。まさか、ユキダニャンのアルバイトでの経験が、こんなところで役に立つとはである。
洗い物を終え、手についた水滴を布巾で拭きながら、綾奈がやって来る。
「こっちも終わったわ誠次。さ、行きましょ?」
「行くって、何処にだ?」
子どもたちの蹴りを食らいながら、誠次は綾奈に訊き返す。
「そうね。さしずめ、篠上綾奈さんによる蛍島観光ツアー、かしら?」
人差し指を顔の横で突き出し、綾奈は小首を傾げて悪戯っぽい笑顔で言ってくる。
その仕草と、昨夜の出来事を同時に思い出した誠次は、どきりとしながらも、「分かったよガイドさん」と頷いていた。
「俺たちも行くー!」
そう言って着いて来ようとする子どもたちであったが、それは親たちによって止められていた。
「こら、あなたたちは行っちゃ駄目」
「蛍以外なんもない島だけど、楽しんできてね二人ともー」
にやにや笑いが止まらない島の女性たちに見送られ、綾奈は顔を赤く染め「は、早く行きましょ!」と誠次の右手を掴んで引っ張る。改めて一週間を過ごす蛍島の観光が、綾奈の説明の元、始まった。
「もう分かってると思うけど、蛍島は真ん中に大きな山があって、そこの下に街が広がっているの。街って言っても、大きな街はこの港町だけだけどね」
「人が住んでいるのは、ここら辺だけなのか?」
「後は所々に小さな家があるだけよ。漁業が一番だけど、他には港町と山の間には畑もあって、農家の家もあるわ」
真横から届く潮風を浴びながら、綾奈と誠次はきちんと整備された歩道を横並びに歩く。時より車が通り過ぎる時以外、聞こえてくるのは波のさざめきであり、ノースリーブの私服姿の綾奈は赤い横髪を手で触っていた。
絵になるな、なんて漠然と感じていると、何やら綾奈がこちらを見つめて、急に笑っていた。
「な、なんだよ?」
「ごめん。だってほら、髪の毛に蛍がついてるから」
綾奈が背伸びをして、誠次の立っている後ろ髪の先から、蛍を自分の手に乗っけて見せてくる。黒い身体に赤い頭をした蛍は、綾奈の手の平の上からすぐに飛んでいった。
「アンタの変てこな髪の毛が草に見えたのかもね」
「失礼な蛍だな……」
「くす。じゃあ次はこっち」
笑顔の綾奈は誠次を連れ、今度は島の中心部へと歩いていく。
ひとたび住宅街らしき港町を抜けると、中心の山に至るまでには畑が広がっていた。波の音は聞こえなくなり、代わりに聞こえてくるのは、蝉を初めとした夏の虫の音であった。
「さっきまでは海が近かったから忘れてたけど、やっぱり暑いな……」
半袖の服を扇ぎながら何気なく呟いていると、前を歩く綾奈が急に立ち止まっていた。
「瀬戸さん、来ましたよ。まだこのお店やっていたんですね?」
綾奈が声をかけたのは、本当に畑以外に周りがなにもない路地に建っていた、一軒の駄菓子屋の店主だった。小さな小屋の外に【氷】と書かれた色褪せた旗が昇っているのは、あまりにも風流すぎている。
「よく来てくれたなぁ綾奈ちゃん! 都会の伊達男くんも!」
「天瀬誠次です」
タンクトップ姿にて、昨日のトラックの運転手の瀬戸が、店の中から笑顔を見せていた。冗談抜きで、この島で出会った男の着ているものが、全てタンクトップのような気がする。そして同時に、これは老若男女なのだが、綾奈の姿を見たものはもれなく嬉しそうな笑顔をしていた。
「いつもの二つ下さいな!」
「あいよ! ちょっと待っててな」
店の外で待ち、中の様子を窺っていた誠次の元へ、綾奈が棒状のアイスが二本繫がった、昔ながらのシャーベットを持って戻ってくる。
「これよこれ。この島で食べるこれ、最高に美味しいんだから!」
そう言いながら綾奈は、片方を誠次へと渡すために、ポキッと真ん中を折っていた。
「これぞレヴァテイン・弐アイス付加魔法バージョン。……なんちゃってっ」
「ど、どうも……」
口では苦笑する誠次であったが、綾奈の可愛らしい仕草に翻弄され、火照った身体をアイス棒で冷やすために、そっと頬に添えていた。
「それで、次はどこかあるのか?」
そんなこんなで、綾奈と共に島巡りをするのが楽しくなってきて、誠次はシャーベットアイスを口に咥えながら訊く。
「ないわよ。もう終わり」
四方に平地が広がる畑道を共に歩きながら、綾奈もアイスを美味しそうに舐めながら、軽く言ってくる。
アイスを食べる身体に、寒気がした。
「早っ! 篠上綾奈さん観光ツアー短っ! ぼったくりか!」
「し、しょうがないじゃない! 蛍島、そんなに見所ないんだから!」
早々に蛍島のガイドを諦める綾奈であった。
と、確かに綾奈の言うとおり、蛍島での名物は蛍ぐらいで、他はのんびりとした田舎のような風景が続いている。肝心の蛍も、夜でなければそこまで輝くことはない。
他の見所と言えば……そこで何気なく綾奈を見ていた誠次は、慌てて前を向いていた。
「さっ。そうと分かったら家に戻って勉強しましょ? 成績がた落ちのアンタの為に、私がつきっきりで指導してあげるわ」
「人に偉そうにもの教えるのが好きなだけなんじゃ……」
「なんか言ったかしら、誠次?」
「なにも……」
誠次と綾奈は最後に瀬戸に挨拶をして、山の方へと帰っていった。
一方、瀬戸は二人を見送ると、やれやれ顔で振り向く。
「ありゃ見てるだけでわしらが暑くなりそうじゃ。ほら、もう行ったでえ」
駄菓子屋の奥の方からそっと顔を出したのは、火村紅葉である。
「本当……。ってか、なんであの二人がおるんじゃ!?」
「そりゃあ綾奈ちゃんは篠上さんのお孫さんだからな。しっかし二人が来るなり匿ってとか、なんかあるんかい?」
「い、いや別に……。匿わせてくれて、ありがとうございます……」
店で買ったラムネを飲んでいた火村は、空になった水色の瓶を、瀬戸に返却する。
「……最近の若い娘はようわからんな……」
赤い自転車に跨ぎ、さっさとこの場を後にする火村に、瀬戸は困惑した表情で首を傾げていた。
※
山を登り、誠次と綾奈は再び実家へと戻ってくる。
振り向けば、木々の向こうに先程まで自分たちがいたであろう畑が小さく見え、なんだか感慨深い心境で、そこを見つめていた。
「お帰り。楽しかったようだね」
門の前で箒を手に、朱梨は掃き掃除を行っていたようだ。戦っていたときほどの凛々しさはないが、それでも決して触れ合い易いと言った雰囲気はなく、あくまで少しだけ殺気を抜いているようなものだ。
「お祖母ちゃん、居間使える? 今から二人で勉強するの」
「ここはお前の家でもある綾奈。好きに使って構わないよ」
「ありがと」
昨日の戦いの雰囲気もそこには感じさせず、誠次もぺこりと頭を下げ、篠上の家に上がる。
改築をしていない家の中の家具も、電化製品も昔のもののままなので、首を忙しそうに左右に向ける扇風機が、二人に風を一生懸命送り込む。こうも広い室内では、クーラーなどあってないものだった。
風鈴の音が聞こえる中、誠次と綾奈は背丈の低いテーブルの上に広げた夏休みの宿題に、頑張って手をつけていた。学園の成績は中の上の綾奈であったが、どうやら勉強自体はそこまで好きではなかったようであり、正直言って集中力はそこまでなかったようだ。
時よりこちらに視線を送り、「暑いわねー……」などと言ってくる。
「そうだなー……」
こちらもこちらで、友だちと一緒に勉強をしても捗ることはないと知っているので、集中は出来ていなかった。
そんなだらけた二人の気を引き締めるのは、麦茶を運んでやって来た朱梨であった。
「勉強はだらだらやっていては意味がないぞ」
「分かっているけど……暑くて集中できないわ」
「何事も環境のせいにしては駄目さ、綾奈」
朱梨はそう言い残し、縁側を通って部屋を後にする。
今の何気ないお婆さんと孫の会話で、誠次は思い出した事が一つあった。シャーペンを動かす手を止め、誠次は向かいに座る綾奈を見る。
「そう言えば、ここに来る時のきっかけに、綾奈の弓道の腕が落ちているってあったよな。それはつまり、朱梨さんが原因か?」
「……周りの環境のせいにするなってついさっき言われたのに、今思い出すなんて、最悪のタイミングね……」
「す、すまない」
「ううん。腕が落ちているのは事実だし、認めるわ。弓を絞ると、決まってお祖母ちゃんの顔を思い出すの。元々弓道始めたのもお祖母ちゃんの影響だし……心配で……」
綾奈は落ち込んだように、青い目を俯かせる。
「ほら。春の魔法博士の件で、水中にも”捕食者”が出るって言ったじゃない? それで、もしかしたらこの島にも、って思っちゃって……。今までは大丈夫なはずだったのに」
「なるほど……」
ガブリール魔法博士の一件で、水中の”捕食者”と戦闘をした後に綾奈を運んでいる際に、自分が伝えていたことを思い出す。
「あ、アンタのせいじゃないんだからね!? どうやってもここを離れようとしないお祖母ちゃんがいけないのよ!」
気付けば、綾奈は慌てて、こちらをフォローするような事を言っていた。
気が利く綾奈にはいつも心から感謝しており、こちらが間違えそうな時も、道を正してくれるようだ。だから、そう言った信頼があるからこそ、こうして一週間も過ごすことも決して苦だとは思わないのかもしれない。願わくば向こうの同じ気持ちでいてくれればいいなと誠次が心の中で考えていると、向かいの座布団の上に座る綾奈は、ジト目を向けてきていた。
「なにニヤついてるのよ?」
「い、いやすまない……」
そこで誠次は、ふととあることを思い出す。昨夜夢で見たことが気になったのだ。
「急に重い話をするけど、すまない」
「? なに?」
「綾奈のお母さんの事だ」
誠次が切り出すと、やはり綾奈はやや悲しげに、瞳を伏せる。
「良いわ。なんでも訊いて」
「病気で亡くなられたんだよな」
「うん。私を産んで、物心つく前にね。だから、お母さんの顔は写真でしか見たことがないの」
「この島に一緒に来たことはないのか?」
「たぶんなかったと思うけど、どうして?」
綾奈がきょとんとして、誠次を見つめる。
「そっか……。夢で綾奈の母親を見たような気がして……不思議だったんだ」
「あんたが私のお母さんの夢を見る? 生き別れの兄妹じゃないんだし、あり得ないわよ」
「そうだよな……」
それきり、夏休みの宿題をほんの少しだけ進めたところで、
「そうだ」
「なあに?」
「もしよかったら、この後俺に弓道を教えてくれないか?」
「は、はい?」
青く大きな目をぱちくりとさせ、綾奈は首を傾げている。
「馬鹿にしてるわけじゃないが、綾奈はなんて言うか、教えたがりだろ? だから素人の俺に弓道を教えてくれれば、前の勘を取り戻せるかもと思ったんだ。それに、俺も朱梨さんを倒す手掛かりが見つかるかもしれないしな。敵の戦い方を知って対策するのは、戦闘において大切なことだ。まさに一石二鳥だ」
「……そうね、確かに、いい案かも」
綾奈もうんと頷いていた。
「でも、教えたがりって言われるのは、なんか複雑なんですけど」
「それは自覚がないだけだ」
「ぜ、絶対違うわよ! 違うってば!」
「いいや、絶対そうだ!」
結局、ぎゃあぎゃあと言い争いになってしまう二人であった。
そうと決まれば(そうでなくても勉強の集中力はとうに切れており)、誠次と綾奈は昨日の戦場であった道場へ、弓道道具を持ってやって来る。
「それじゃあ袴に着替えて。これ、アンタの」
折り畳まれた白と紺色の帯を、綾奈に手渡される。
「柔道着のようなものか?」
体育の授業で柔道着は着たことはあるが、袴は初めてであった。
「全然違うわ。……分かった。私が教えてあげる」
綾奈は誠次の目の前に立つと、私服の上から慣れた手つきで誠次の袴を着付けていく。後ろに回ったりしゃがみ込んだり。その間、変に身動きできない誠次は、どこかむずむずした思いで、綾奈による着付けが終わるのを待っていた。
「男と女で、着方は違うのか?」
「そうよ。男の着方を実際にやるのは初めてだけど、やり方は知ってるから。ちょっとここ押さえてて」
「了解」
腰に紐のようなものを巻き付けられ、誠次は思わず「うっ」と声をだす。
それを聞いたのか、誠次の目の前でしゃがむ綾奈は、くすりと笑っていた。
「完成ね」
やがて立ち上がり、綾奈は数歩ほど後ろに下がり、袴姿となった誠次をじっと見る。
誠次はどこか新鮮な気持ちで、自分の姿を見下ろしていた。
「ありがとう綾奈」
そして顔を上げると、何やら綾奈は、こちらをじっと見つめたまま動かなくなっていた。
「綾奈? どうしたんだ? どこか変か?」
「へ、変なわけないでしょ!? 私がやったんだから」
ただ、と綾奈は至極小さな声で、呟く。
「似合ってる、わよ……。すごく……格好良いわ……」
「あ、ありがとう。綾奈のお陰だな」
誠次はゆがけを付けた右手で頬をかく。
「それじゃあ私も着替えてくるから」
綾奈が道場から一旦出て行き、一人残った誠次は、道場内を見渡してみる。冷房がどこかからか効いているのか、夏なのにややひんやりとしており、少なくとも外よりはずっと涼しかった。
「この切り傷……レヴァテインの刃によるものではない。薙刀とも違うようだ……」
柱に残った刃による傷跡を見つけ、誠次は近くに寄って確かめる。傷の奥に見える木材はだいぶ傷んでおり、相当古い切り傷であった。
「あの、日本刀か……」
となれば、最後まで朱梨が抜くことはなかった腰の日本刀の存在を思い出し、誠次はそっと、切り傷に手を添えていた。
「お待たせ、どうしたの?」
綾奈も手早く着替え終えたようであり、後ろから声がした。
「なんでもない」
誠次が振り向くと、ずいと、綾奈は矢筒と和弓を手渡してきた。自分の背丈以上はある和弓は、少なくとも動きのある戦闘中に軽々しく取り扱える得物ではなかった。
「意外とそこまで重たくはないんだな」
「アンタはいつも剣持ってるからそう感じるんじゃない?
「確かに、言われてみれば」
綾奈の指導の元、早速誠次の弓道特訓が始まった。
「弓道は魔法式の組み立てみたいに、いくつかの構えをして弓を放つの」
「いや、俺にはその魔法式の組み立ても出来ないのだが……」
「あ、ごめんごめん。じゃあ、一から順に教えていくわ」
立ち方や姿勢、弓の構え方や矢のつがえ方。分かり易く、綾奈は熱心に全てを教えてくれた。
いざ矢を引き絞ると。綾奈は誠次の真後ろにぴったりとくっつき、伸ばした手で誠次の両手を支えていた。
「これ、少し怖いな……。はね返ったり、しないのか?」
「私も初めて矢を射った時は怖かったわ。でも、誠次なら大丈夫よ。ほら、人差し指を伸ばして」
誠次の手に自分の手を添え、綾奈は誠次と同じく、自分が設置していた遠くの的を睨む。
誠次もまた、首筋に綾奈の息遣いと胸の鼓動を感じながら、緊張の面持ちで矢を引き絞る。
「両目をしっかり開けて、リラックスリラックス……。でも、腕の力は抜かないで。的を見つめて」
「……っ」
綾奈が背中から、そっと離れていく。
彼女の残り香が漂う中、誠次は遠くに見える小さな的を、見据えていた。
「今」
「っ!」
びゅんっ。耳元で風が音を立てて、唸った。
誠次が放った矢は、的へは向かわず、右へ離れた柱にぶつかる。柱に突き刺さることもなく、床の上に転がった矢を見て、誠次はがっくしと肩を竦める。
「はあ……」
「ふふ。駄目駄目ね」
見事なへなちょこ弓術を披露した誠次に、綾奈は面白おかしく笑っていた。
「そんなに笑うなよ。お手本を見せてくれ」
「いいわ。しっかり見てなさいよね」
綾奈は物体浮遊の汎用魔法を使って、誠次が放った矢を手元まで持ってくる。それを右手で掴むと、一瞬だけ目を瞑り、表情を凛々しいものへと変えていた。
「……」
溢れ出る弓道中の綾奈の気品と美しさに、誠次は思わず固唾を呑んで、彼女が弓をつがえる姿を見つめていた。
「こうっ!」
綾奈が放った矢は、目に見えて誠次の放ったそれよりも素早く、また正確な軌道を描き、的へ垂直に向かう。
一瞬のうちに、円形の的に突き刺さった矢を見つめ、綾奈は微かなどや顔を浮かべて誠次を見やる。
「ふふん。どうよ誠次?」
「お、お見事です」
腰に両手を添えて胸を張る綾奈に、誠次は小さく拍手をしていた。
「やっぱり……アンタに見られてるとやる気出るかも……」
「え?」
小声で何かをぼそりと呟いた綾奈に、誠次は首を傾げる。
「な、なんでもないわ! それよりも、今日一日で最低でも的に当てられるようにまでするわよ!」
「ああ。綾奈を見ていたら、俄然やる気が出て来た。綾奈に負けるわけにはいかないからな!」
誠次が不敵に微笑めば、綾奈もやる気を出して腰に手を添える。
「望むところよ、誠次! 魔法と弓道と料理、勉強も絶対あんたには負けないんだから!」
今日は、時間を忘れるまで、弓道に打ち込む誠次と綾奈であった。
蛍島で過ごす二日目は、昨日と比べれば比較的ゆったりと過ぎていった。
「――最悪すぎる……。せっかく波沢生徒会長の勧めで実家に帰ってきたのに、なんでアイツがいるんじゃ……」
その裏では、この蛍島にやって来たもう一人の少女がいることに、気づかずに。
剣が好きと言っておきながら弓術士を描いていくこの有様である。あと、膝枕私にもお願いします篠上さんっ!




