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魔法世界の剣術士 中  作者: 相會応
蛍火の女傑
51/189

4

弓道部を題材としたアニメをつい最近まで京アニさんがやってくれてましたね。水泳男子の次は弓道男子。果たして、次は何が来るのだろうか……。

 誠次せいじは荷物の中から篠上しのかみが持ってきてくれたレヴァテイン・ウルを、背中と腰に装備していた。


「……」


 その間、道場の奥で相手役の朱梨しゅりは瞳を閉じて静かに正座をし、刻を待っているようだった。


「気をつけて天瀬。お祖母ちゃん、滅茶苦茶強いから」


 先ほどまでこの戦いをすること自体、納得していない様子の篠上は、渋々誠次にレヴァテインを手渡す。


「またすぐ戦って……せめて休んでからにすればいいのに」

「さすがに相手が七〇歳過ぎでは、根本的な身体能力の差もあるだろう。ハンデのようなものさ」


 和弓による遠距離、薙刀による中距離戦闘では、まだ向こうに分がある。しかしレヴァテイン・ウルの間合いに入れば、なによりこちらに有利なはずだ。

 決して舐めている、と言うわけではなく、誠次は冷静に分析していた。

 誠次がぼぞりとそんなことを言うと、篠上は呆れた様子で首を左右に振る。


「ハンデなんて……。むしろ、斬れると思っていたら大間違い。本当に手も足も出ない可能性だってある。私が、そうだったから」


 過去に対戦したことがあるという篠上は、もはや悔しさすらも感じないほどの完敗を喫しているようだった。


「でも、篠上は俺があの人に勝てると思ってここに呼んだのだろう?」

「ち、違うわ。私はあくまで、話し合いだったらって……」

「剣術士よ。本気で来い。さもなくば貫かれ、斬られる身になるのはそなただ」


 未だ瞳を閉じて正座をしたまま、朱梨はそう言ってくる。余程の自信があるようだ。

 誠次は篠上の肩に手を添えてから、彼女の前に立つ。


「分かりました。しかし、戦う前に一つ言っておきたいことがあります」

「申せ」

「この戦いはあくまでも、貴女の身を案じて行うものであると誓います。そして何よりも、貴女を思い心配する篠上綾奈さんの為に、今の俺はこの剣を振るう」

 

 朱梨は返答代わりとばかりに、正座からすっと立ち上がる。その歳にしては動きが軽い……のは、今の動作だけでもはっきりと分かった。


「良き威勢だ。そして、背中と腰に一振りづつの剣。なるほど、それが綾奈あやなが言っていたそなたの武器というわけだな剣術士」

「……」


 袴を軽く整え直し、朱梨は細めた目で誠次を見やる。

 

「私はそなたの事を知ってしまっている。だから私の事も少しだけ、そなたに教えよう。私は対等な戦いを望んでいる」


 篠上綾奈は道場の隅に正座をし、静かに二人の戦いを見守るようだ。


「まあ見た目通りで面白くはないだろうが、私は弓と薙刀と刀を扱う。中でもこの刀は、先祖代々伝わる無二の一品でな。一応言っておくが、私はもちろん魔法は使えぬぞ? そなたのようにな」


 微笑む朱梨はそう言うと、腰に帯刀する日本刀を誠次に見せつけるように、左手の袖を引く。


「綾奈との戦いではついにこの刀を引き抜くまでには至らなかった。そなたならば、戦いで私にこの刀を抜かせてくれること、願っているよ」

「勝敗の決定は、どのように?」

「大事な事を忘れていたな。さすがに神聖な道場を血で汚す真似は私とてしたくはない。どちらかが全ての得物を手放した時、或いは膝をついた場合と、自己申告及び綾奈の判断でどうだ?」

「分かりました。よろしくお願いします」

「よろしく頼むよ、剣術士」


 互いに礼を交わし、ちょうど柱に挟まれる位置で、二人は向かい合う。


「綾奈。公平な審判をするんだ。偏りで生まれた勝敗の結果いかんで、この私の志が変わると思うな」

「……はい。お祖母ちゃん」


 正座をする篠上綾奈が、開戦の宣言を行った。


「始めっ!」


 言って、相手は高齢の身だ。例え技術があったとしても、身体の根本的な体力の差は、間違いなくこちらに分があるはずだ。

 そんなことを頭に思いながら、まずはと背中のレヴァテイン・ウルを抜刀するために、誠次は右手を背中に回す。

 ――そこに生まれた、肩と腕の三角形の空洞を、風を切る音と共に何かが駆け抜けた。


「えっ」


 風と音を感じた右耳が脳に緊急事態を知らせたとき、誠次の身動きはすでに取れなくなっていた。

 風音の終着点。そこであった誠次の背後の壁に突き刺さっていたのは、甲矢はやであった。


「急戦の為、そう言えば()()()()がまだであった。受け取ってくれないか、剣術士?」


 矢を放った朱梨はすでに、乙矢おとやを弓につがえていた。

 二射目がすぐに来る!? そうと理解した身体はようやく動き出し、誠次は咄嗟に横向きに飛び込む。

 朱梨が放った二射目は、誠次が元いた場所に正確に突き刺さる。

 痛みを感じたわけではないが、突き刺さっていてもおかしくはないと、誠次は思わず自分の足の安全を確認する。


「天瀬っ!?」


 遠くからかけられた篠上綾奈の声にはっとなると、朱梨は容赦なく、誠次へ向け三発目の矢を引き絞っていた。

 はっとなったのは、篠上綾奈の方でもあった。


「言ったはずだが、綾奈?」

「……申し訳ないです、お祖母ちゃん」


 篠上綾奈に助けられた誠次は、すぐに体勢を立て直すため、柱の陰に身を潜める。

 ここへ来てようやく背中からレヴァテイン・ウルを引き抜き、それを柱の陰からそっと出す。


「甘い」


 朱梨の声と共に放たれた矢は、レヴァテインの刃に命中。魔法も使えないはずだ。それでも感じたあまりの衝撃に、誠次は思わず右手からレヴァテインを離してしまっていた。


「っ!?」

「なにも私とて悪戯に怪我を負わすつもりはない。器用にやるさ」


 金属の音を立てて、板張りの床の上にレヴァテイン・ウルは落ちていく。

 一つ目の得物を、誠次は早くも失っていた。


(馬鹿な……!? まともに近付くことが出来ない……!)


 誠次は納めるものがなくなった背中の鞘を解き、それを再び柱の陰から出してみる。囮のようなものだ。

 直後、朱梨が放った矢が鞘をも貫き、誠次は殆ど反射的に手放す。握っていた右手に、微かに痺れが残っていた。


「足でも竦んだか?」


 背中の方から朱梨の声が聞こえる。敢えて、朱梨は誠次が突き出した囮を射抜いてみせたようだ。

 見たこともない弓捌きを前に、誠次は柱の陰から身動きがとれなくなっていた。そして、ようやく痺れが治まった自分の汗ばんだ右手を握ったり離したりを、繰り返す。

 間違いない。弓矢と言うかつて合戦の際に用いた人を殺しうる兵器としての能力を、朱梨は最大限に引き出している。


「私は待つのには慣れている。そなたがその気ならば、とことん付き合おう」

「……っく」


 髪の先から汗を垂らす誠次は、右腰からレヴァテイン・ウルを逆手に持って引き抜くと、それを手元で回転させ、鞘も腰から解く。このつるぎを失えば、こちらの敗北は確定する。


(二連射は出来ないはずだ。そしてあの異常なまでの動体視力は、見た瞬間にものを射貫く正確性もある。ならば……裏を返せば!)


 誠次は再び、柱の陰から鞘を出す。予想通り、朱梨は音速の矢にて、誠次が出した鞘を射貫いてみせた。

 鞘を出した方とは反対側、向かって外側から、誠次はすでに飛び出していた。鞘も全てなくなり、右手にレヴァテインのみを構えていた。


「素早いな」

 

 微かに微笑む朱里は、なんとすでに弓矢を引き絞り、接近する誠次へと向けていた。


「なに!?」

「二つ持ちだよ。そう驚くこともないだろう」


 ビュン、と言う音ともに放たれた矢。前進も後退も許されず、誠次はレヴァテインを振り抜く。

 刃に運良く接触した矢は、真っ二つに切断され、誠次の足元に散る。


「運が良いな」


 にやとほくそ笑む朱梨は、弓を下げる。

 

(まさか、敢えて俺の手元を狙ったのか……!?)


 その朱梨の思惑の底は知れず、誠次は踏ん張り抜いた足を突き動かし、再び朱梨の元まで接近する。

 真正面、直上。接触の瞬間、誠次は板張りの床を蹴り、上空から朱梨の右手、弓を狙う。

 朱梨は身体をさっと反らすと、およそ七〇過ぎとは思えない身軽な動きで、床に置いていた薙刀を拾い上げ、誠次に向け突き出す。

 すでに床の上に着地していた誠次は、朱梨の繰り出す薙刀の刃をレヴァテインで受け止め、弾く。

 

「力もある……!?」

「これでもババアなのだがな?」


 薙刀を両手で器用に扱い、取り回し、朱梨は誠次目がけ、攻撃を加える。

 視界の外から目にも留まらぬ速度で煌めく刃の襲来に、誠次は防戦一方となっていた。隙を見て薙刀の間合いから抜け出そうにも、朱梨は薙刀のリーチを最大限に生かしてくる。


「っく!」


 堪らずにバックステップで大きく距離をとった誠次に、朱梨は薙刀を抱いたまますぐさま弓矢をつがえ、放つ。

 真っ直ぐ飛来した矢は、身体を反らした誠次の背中を掠めて通り抜ける。


「距離をとっても勝ち目がない……!」


 ならば、再び接近戦に持ち込む他ないが、薙刀の扱いに長ける朱梨につけいる隙は、先程の接触の際はまったくなかった。

 誠次は再び柱の陰に隠れようとするが、朱梨がそれを許さない。進行方向の足場に、矢が突き刺さり、文字通り誠次の行動に釘を刺す。

 滴る汗が水の雫となって、誠次の髪から弾け飛ぶ。目の前の光景が霞んだかと思えば、なんと目と鼻の先で、矢が通過していった。

 

「ぬわっ!?」


 思わず身を引いた誠次目がけ、朱梨が弓を向ける。完全に腰が引けていた誠次は、なにも出来なかった。

 せめて、矢の一撃は躱そうと無理に身体を捻った誠次は、自分の足を足で絡めてしまい、滑るように、床に手をついてしまう。

 当然、朱梨がその隙を逃すはずもないが、彼女は弓の構えを解いていた。


「弾切れだ」

 

 見上げれば、朱梨の背中の矢筒は空になっていた。

 しかし、誠次の方も、床に手をついてしまっており、勝敗はすでに決していた。


「勝負あり。……お祖母ちゃんの、勝ちです」


 刀を抜かすことは愚か、懐に入り込むことさえろくに出来ず、誠次は朱梨に完敗を喫していた。

 

「まさか……完全に負けた……」

「見事だった剣術士。島の男どもでは秒ともたない。数分に渡って私の相手をしてくれた事、嬉しく思うよ」


 板張りの床に尻餅をつく誠次のもとへ、道場の奥から、朱梨がゆったりと近付く。


「……しかし結局、お主でもこの刀を引き抜くことは出来なかったか……」


 朱梨は、寂しそうに瞳を伏せ、自身の腰に帯刀している日本刀を眺めていた。どうやら扱う三つの得物のうち、もっとも大切にしているもののようだ。


「お祖母ちゃん……次は私が!」


 篠上綾奈が朱梨に楯突くが、朱梨は取り合う気がまるでなかった。


「無駄だよ綾奈。この子が駄目だったんだ。お前一人では到底敵うまい」

「そんな……っ」


 篠上綾奈は、そうして項垂れる誠次を見つめ、渋々引き下がる。

 朱梨は、続いて誠次に向け、微笑みかける。

 

「戦いは終わった。よって今からそなたは七日を共に過ごす客人だ。今日生まれて初めて天を飛んだ蛍の命が消え失せるその日まで、よろしく頼むぞ、天瀬誠次」

「……お世話に、なります……」


 器量も度胸も、実力も。なにもかもが上だった。

 誠次はただ、朱梨から向けられた言葉に、全てで頷くことしか出来なかった。


        ※


 ――早速で悪いが、綾奈が一年以上帰ってこなかったせいで屋敷の隅々が汚れてしまっている。勝負に負けた罰としても、屋敷の中を見ながら掃除を頼むよ。この屋敷は広くて私一人では手に余る。綾奈、案内をなさい。

 引っ越しを賭けての勝負に負けた直後、朱梨から屋敷の掃除を頼まれた誠次と篠上綾奈は、共に金属バケツと雑巾を持ち、みしみしと音が鳴る縁側を歩く。時刻は、昼を過ぎたあたりだ。風鈴がちりんちりんと音を鳴らし、旧式の蚊取り線香がぽつんと草色の畳の上に置いてある。


「つ、疲れた……。いくらなんでも広すぎる……」


 和室だけでも十はある屋敷は、とても一人で暮らすと言うには広すぎであると思う。

 島に上陸してから戦い終え、続けざまに掃除と、まるで何かの特殊部隊の訓練でもさせられている気分であった。

 くたくたの身で、誠次はぼやく。


「ごめん天瀬……」


 前を歩き、屋敷を紹介してくれていた篠上綾奈が、謝ってくる。


「……らしくないな。どうしたんだ?」


 誠次は肩にレヴァテインではなく箒を掲げ、篠上綾奈の後をついて行っていた。

 

「ここに無理やり連れてきて、戦わせて……。本当にごめん……っ」


 くるりと振り向き、篠上綾奈は深々と頭を下げてくる。持っていたバケツの中の水が、ちゃぷんと音を立てていた。

 誠次は擦りむいた為に貼った屋敷にあった絆創膏がある頬を、少しだけ触る。


「俺こそ、勝てなくてすまなかった。少し油断して……いや、あの人は強かった……」


 誠次は持っていた箒を剣のように握り締め、手元でくるくると回してみせる。


「けど、期間は一週間もあるんだ。朱梨さんと戦って勝つチャンスは、まだあるはずだ。俺だって、朱梨さんがこんな昔ながらの家に住み続けてしまっているのは心配だしな。一週間、よろしく頼むぞ篠上」


 その仕草と言葉を見聞きした篠上綾奈は、張り詰めていた表情から、くすりと微笑む。


「ば、馬鹿……。ちゃんと夏休みの宿題と勉強道具は持ってきたんでしょうね?」

「あ、ああ、一応。でもなんで?」

「決まってるでしょ!? 一緒に勉強するためよ! 遊び戦いも大切だけど勉強も大切! ビシバシ行くわよ!」

「勘弁……」


 張り切る篠上綾奈に、誠次はげんなりとしていた。

 こうして、今日から始まった一週間に渡る蛍島の滞在。再戦は受け付けているという朱里に対し、誠次は島に滞在する一週間以内の期間で勝たなければならなくなった。


「あ、そうだわ天瀬」

「どうした?」


 縁側のぞうきんがけを行う誠次に、篠上綾奈がややそわそわした様子で、声を掛けてくる。


「私の事、もう名前で呼びなさいよ。お祖母ちゃんと区別がつきづらいだろうし、なにより千尋だけ名前呼びとか、ずっと気になってたんだから」

「それは、すまなかった……」


 誠次は雑巾のカビの臭いがする手先で、鼻をかく。


「分かった。そうさせてもらう……綾奈」


 腰に両手を添えて立っていた綾奈は、どこか満足そうに、僅かに顔を綻ばせていた。


「うん……。今日から一週間、よろしくね誠次!」


 真昼の道場に、蛍が二匹迷い込み、正座をする朱梨の手に止まる。一週間よりも遥かに長く生きた手先は、様々なものに触れ、感じてきた割には、瑞々みずみずしく艶やかでもあった。

 瞳を閉じたまま朱梨は、指先を這う二つの感触に、頬を緩ませていた。


「……ええ。あの孫は一体、何処の誰に似たのやら……。あの子も、貴男そっくりですよ――」


          ※


 一通り屋敷の部屋案内兼掃除を終えた頃には、昼を過ぎたばかりのはずだった時間は、紫色の夜空が滲み始める夕方の時間帯となっていた。時の流れがこの上なく早く感じるものだ。


「一体、何個部屋があるんだ……!?」


 畳の上に大の字で倒れ込み、誠次は疲れた身から盛大に息を吐く。まるで迷路のように、朱梨の家は広大であった。

 綾奈も、汗ばんだおでこを拭いながら、誠次の隣にへたり込んでいた。


「私だって、いつ帰ってきても広すぎるって感じるもん……」


 下手をすればまだ私も知らない部屋もあるかも、などと綾奈は言っていた。

 

「二人ともご苦労。お茶を淹れてあげよう。ゆっくりお休み」


 ふすまの先から姿を見せたのは、ゆったりとした袴姿に戻った朱梨であった。完璧な掃除とはほど遠いが、朱梨は満足そうであった。

 朱梨はすぐに、歩いて行ってしまう。

 疲れ果てている様子の綾奈の横で、誠次は上半身を起こし、隣に座る。木々を越えて射し込む夕日は美しく、ここから見える縁側と中庭に残り日を照らしていた。


「本当に、こんな広い屋敷にたった一人で住んでいるのか、あの人は」


 服の胸元を持ち上げ、顎の下の汗を拭いながら、誠次は呟く。

 綾奈は、隣で体育座りをしていた。


「うん。……お祖父ちゃんが死んでからは、下の港街にも降りないようになって、ほぼここに籠もってるって感じ」

「お爺さんか。こんな屋敷を持てるなんて、大金持ちだったんだろうな」


 天井を見つめ上げながら誠次が呆然として呟くと、綾奈は膝に柔らかそうな頬をつけて、くすりと微笑みながら誠次を見つめてきた。


「お祖母ちゃん曰く、最低でろくでなしな人だったって」

「そ、そうなのか……」


 視線を戻した誠次は、綾奈と至近距離で見つめ合っていた。


「女を沢山作っては、みんなに良いように振りまいて。その気にさせられたり、散々振り回された人だって。……どっかの誰かさんみたいね?」

「勘弁してくれ……」


 急に火照った身体を冷ますように、誠次は服の胸元を持ち上げ、懸命に生温い風を送っていた。


「冗談よ。あんたはみんなことを考えてくれているわ」

「でも、武術の勝負の結果次第で引っ越すかどうかを決めるなんて、よほどこの家……と言うよりは、この家の今の形が大切なんだろうな……」

 

 年月をやや感じる変色しかけた足元の畳をそっと触り、誠次は呟く。それだけで歴史の重みを感じる……なんて殊勝なことも出来ずに、ただ漠然と、誠次はその感触を確かめていた。


「私が中学生の頃から何度も安全なところに引っ越して欲しいってお願いしても、この家と運命を共にするさ、とか言って聞かないの……。沈没船の船長が言うセリフよ、それは」


 くちびるを尖らせて呟いた綾奈に、誠次は苦笑していた。


「お祖母ちゃんの事、大切なんだな」


 そんなことを誠次が言えば、綾奈は顔を真っ赤に染め、体育座りの膝に顔を埋めるようにしていた。


「それは、私に弓道を教えてくれたり、料理を教えてくれたり……。大切、なんだから……」

「……」


 ”捕食者イーター”の脅威がある中、古き家に一人で住む女傑は、頑なにこの家を離れることを拒んでいた。それこそ、大切なはずの孫娘と、あのような戦いをしてまでも拒む理由が、朱梨にはあるのだろう。

 その問題に、部外者の身である自分が介在する是非は置いておき、綾奈が頼ってくれた以上、期待には応えたかった。……結果は、惨敗であったが。

 幸いにも来訪者に優しく接してくれる朱梨は、お茶を二人に差し出すと、すぐに何処かへと行ってしまう。

 誠次と綾奈は、しばし互いになにも言わず、虫のさざめきを聞きながら、茜色に染まる空を眺めていた。

 篠上家がある山の下の方、遠くから、ガソリンを使った旧式エンジンのトラックの音が聞こえてきた。

 

「――こんばんわー。宴会の準備出来たから、呼びに来たぞー!」


 港町の方から、先程の漁師の男がやって来たようだ。

 しかし、もうすぐ日も落ちると言うのに、今から下山して宴会をするのは、にわかには信じがたい事だった。


「今から、か!?」

「この島の人たち、”捕食者イーター”を見たことないのよ。それに、何かあったらお祖母ちゃんが追いはらってくれるって信じ込んでるし」


 綾奈が立ち上がり、伸びをしながら言ってくる。

 ちらりと覗いたお腹周りに気をとられかけながらも、誠次はやや俯いた。


「そんな無茶苦茶な……」


 しかし、心の何処かでそうなのかもしれないと思える自分もいた。

 自然豊かな島の緩やかな雰囲気。そこに人を喰う怪物が現れるなど信じられず、緩やかで穏やかな時間が流れていっているようだった。幸いにも、港町は対”捕食者イーター”用に改築工事された建物が広がっていたが、きっと島民たちは工事自体には反対していたのだろう。

 誠次と綾奈は、迎えに来てくれた男を家の正門前で迎えた。


「おお坊主! 生きとったか!?」

「うちのお祖母ちゃんをなんだと思っているんですか」


 大層なこっちゃ、と歯を見せて笑う男に、綾奈がツッコんでいた。


「私も聞いているよ、瀬戸せと。二人をお願いする」


 三人の背後から歩いてやって来たのは、朱梨であった。

 瀬戸と呼ばれた男は、ぴんと背筋を伸ばしていた。


「は、はい。いやすみません……」


 まるで女性教師に叱られる男子生徒のように、瀬戸は頭をぺこぺこ下げていた。


「朱梨さんは……」


 続いて瀬戸は、朱梨を宴会場まで誘おうとするが。


()()()()()()()()()()()()()()()()()。楽しんでくれ」

「……分かりました」


 朱梨の視線を何処となく感じながら、誠次は二人の会話を聞いていた。

 なにが起きてもいいようにと、誠次はレヴァテイン・ウルを二つとも装備したまま、再びトラックの荷台に乗り、蛍の住まう山から下山した。


「あの……この島に゛捕食者イーター゛が出ないと言うのは、本当なんですか?」


 がたがたと揺れるトラックの荷台から運転席へ向け、誠次は瀬戸に問う。

 瀬戸は大袈裟に笑っていた。


「デカいタコなら見たことはあるが、人を喰う怪物なんざ、見たことはないな。なんなら一度、目の前で見てみたいほどだ!」

「本当、なんですか……」


 だとすればそれは……蛍島こここそが、人に残された安住の地なのだろうか……?

 今はまだにわかに信じられず、誠次は唖然とした面持ちで、再び運転席に背を向ける。


「本州はおっかねえな。夜に人を喰う怪物が出るってのは、おちおち寝られないだろう坊主?」

「……」

 

 助手席に座っていた綾奈は、心配そうに荷台に座る誠次へ視線を送っていた。

 山を下り再び港町に来た頃には、太陽は地平線の彼方に半分沈んでいく時間であった。にも関わらず、蛍島の島民たちは呑気にそこらを歩いたりしている。

 宴会場の駐車場に止まったトラックの荷台から、誠次は下りた。すでに磯料理の良い匂いが漂っており、一抹の不安も忘れそうになってしまう。


「おばさん、私も手伝います」

「いいのよ綾奈ちゃん。島に親戚がやって来てくれたら、宴会をしてもてなすのがこの島の風習。都会暮らしで忘れちゃった?」


 綾奈が漁師の女性陣を手伝おうとしているが、突っ返されてしまっている。

 一方で、誠次は再び、島の年端もいかない子どもたちに好奇の目で見られていた。


「あんちゃん、その背中と腰のでっかい包丁なにー?」

「お魚切るのー?」

「こら。危ないからあまり触っては駄目だぞ」


 誠次は子供たちから逃れ、大人の男たちの元へ。


「なにか手伝えますか?」

「構わんって。蛍島は来るものは拒まず、去る者は引き留めず」


 筋骨隆々の漁師の男が振り向きながら豪快に笑うと、横から両手に新鮮な魚を持った漁師の男が、誠次の顔にずいとそれらを近づける。


「そして、来るものには最大限のもてなしを!」

「は、はあ……」


 目の前に魚の顔が広がり、びっくりした誠次は引きった顔で応じる。


 宴会場は、漁港に併設された公民館のような場所で行われる。旅館の大宴会場のように、長方形の広い部屋に、机の列が離れて二列、ずらっと並んでいた。男の列と女の列で別れているようだ。

 机の上にはすでに、海の幸を使った豪華絢爛な料理が並んでいた。


「それじゃあ、綾奈ちゃんが一年以上振りに帰ってきてくれた事を祝って、乾杯ーっ!」

「「「乾杯ーっ!」」」


 男たちの乾杯の音頭により、宴会は幕を上げる。

 グラスの触れあう音が響いたかと思えば、そこに入っているビールがそこら中で飲み干されていく。当然、誠次と綾奈は未成年なので、ソフトドリンクを飲む。


「坊主! 背中と腰のそりゃなんじゃ!? 釣り竿か!?」

「剣です」

「「「け、剣……?」」」


 海鮮丼をもぐもぐとご馳走になりながら、誠次が答えると、島民の男たちは一斉にこちらに注目する。お世辞にもあまり清潔感のある見た目とは言えない、潮の中で働いてきたばかりの男たちだが、しかし温かい笑顔と仄かに赤らんだ顔で、本州からの来訪者を迎えてくれていた。


「最近の若い学生は剣もっとんのか?」

「物騒な話やなー!」

「いえ、そういうわけではなくてですね……」


 勝手に話を完結させられ、すぐさま次の話題へ。東京での暮らしや、魔法学園についてなど。矢継ぎ早に質問攻めを食らい、誠次はどうにか受け答えしていた。

 ――そして、やはりと言うべきか、酒が回ってきた頃には、その手の話題が多くなっていた。


「んでだ! 俺たちの綾奈ちゃんとは何処まで行ってるんだ、坊主ぅー?」

「ありゃ蛍島が生んだ宝だ! それと一緒に来るなんて、覚悟できているんだろうなぁ?」


 ……前言撤回。全然、歓迎されていなかったようだ……。パキパキと、骨を鳴らす音まで聞こえ始める。


「う……」


 一生懸命蟹を食べていた誠次の手元でも、蟹の殻がぱきっと折れる音がする。


「男ども聞こえとるわ! 飯が不味くなるからあっしらがいないところでせい!」


 離れた席の女性陣の方から、ブーイングが起こる。

 そのただ中で、綺麗に正座をして会釈をしていた綾奈は、小っ恥ずかしそうに頭を下げていた。


「だってよう……一年振りに帰ってきてくれた俺たちの綾奈ちゃんが、知らねえ男連れて帰ってきたんだぜ……」


 男たちが次々と顔に腕を添え、滲む涙を拭っている。


「誰があんたらの綾奈ちゃんよ。毎日飯作ってやってるアタシじゃ不満だってのかい!」

「そ、そこまで言ってねえだろうがや!」


 男性陣と女性陣を分けていた見えない壁は、一気に崩れていた。


 酒の力で言い争い、一瞬で騒がしくなった宴会場内で、綾奈はハラハラしながらお茶を啜る。


「んでー、ぶっちゃけどうなのよ綾奈ちゃん?」


 ……酔っ払いはなにも、男だけではない。海に出る男たちを支え、時には自分たちすらも海で貝を取る女性陣からも、綾奈は誠次に関しての質問攻めを受けていた。

 向かいの席では、誠次が必死に蟹を食べている。


「あの朱梨さんに会いに行かせるほどってことは、本気なんかい綾奈ちゃん?」

「そ、それは……」


 綾奈が誠次をじっと見つめると、彼と目が合ったような気がして、胸が高鳴る。


「それとも、島に若い男がいないからって、お姉さんたちの為に連れてきてくれたのかい?」


 ニヤリと、本気なのだか冗談なのだか分からない発言をしてくる顔見知りの女性たちに対し、綾奈は首をぶんぶんと左右に振る。


「ち、違います! あいつは、渡しません! 私のものです!」

「「「どういう関係なの、それ……」」」 


 思わず言い切った綾奈に、女性陣は首を傾げる。

 まあまあと、女性陣たちを落ち着かせるのは、ずっと赤ん坊の世話をしていた女性だった。前に来たときはお腹が大きかったので、来ていない間に無事に産んだのだろう。


「こうやってまた元気にはるばる蛍島までやって来てくれただけでも、嬉しいじゃないの」

「ありがとうございます」


 色々な意味で助けられた綾奈は、にこりと微笑んでいた。


「そう言えば、綾奈ちゃんと同い年ぐらいの、もう一人いたわよね? 生粋の島生まれの娘」

「ああーおったねぇ」


 女性たちが上を見ながら、思い出すように呟く。

 少なくとも、綾奈には聞き覚えがなかった。


「そんないるんですか?」

「綾奈ちゃんが知らんのも無理ないて。滅多に集会とか、こういう宴会にも姿見せないし。十数年ぐらい前から、家族が島の端っこに引っ越しちゃってね」

「本人もこのど田舎の島生活から抜けて、早く本州行きたそうだったもんねー。確か……なんか赤かった気がする!」

「ふーん」

 

 言われ、綾奈は何気なく自分の赤い髪をそっと撫でていた。そうすれば、微かに手に当たった、誠次からの大切な黄色いリボンがある。

 思わず顔が綻びそうになってしまい、綾奈は慌ててお味噌汁に口をつけて顔を隠す。


(……誠次とこの島で過ごす一週間、楽しみだな……)


 なんだか身も心も温かくなった気がして、綾奈はそっと誠次の方を見る。


「お前の本気を見せてみろ坊主! 綾奈ちゃんを貰いたければこの島の男全員を倒すんじゃあ!」

「いいですよ! 受けてたちますともええっ!」


 ……なぜか上半身裸で、体格の良い男たちと相撲をしている大切な相方の姿があり、綾奈はお味噌汁を吹き出しかけていた。

~違う意味でお気の毒な冒険の書~


「あったこれ。見つけたわ」

あやな

      「ずいぶん昔のゲーム機だな」

             せいじ

「私が子供のころ、ここに来ると暇だからやってたゲームなの」

あやな

      「もはやゲーム好きを隠さなくなってきたな……」

             せいじ

「なにか言った? 誠次?」

あやな

       「いえ、なにも……」

             せいじ

「さっそく、つけてみましょ」

あやな

「あ、昔のセーブデータが残ってるわ!」

あやな

「懐かしいなぁ。このゲームの主人公の勇者、私大好きなのよね!」

あやな

「剣を使って、いっつも先頭で戦って、仲間思いで」

あやな

「ヒロインの女の子たちからもモテモテなのよ」

あやな

「特にほら、覚醒すると一気に強そうになるでしょ?」

あやな

「このツンツンした髪型も、個性的で格好いいなって!」

あやな

「あとねあとね――!」

あやな

        「名前ああああだけどな……」

             せいじ


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