10 ☆
前回までのあらすじ
塔の天辺に囚われの身となった勇者を救うため、お姫様が竜に乗って戦っています。囚われの身のご主人様の為、メイドも戦っています。
ええ、誤字じゃないです。決して勇者とお姫様の立場逆じゃないです。
ギルシュが放った攻撃魔法が、クリシュティナの腕を掠め、魔法学園の体育館の壁に直撃する。向こうはすぐに勝負を決める気でいるのだろう、ハイレベルな魔法を次から次へと連発している。
対するクリシュティナは、薄暗闇の中、冷静に防御魔法を発動し、ギルシュの攻撃を受け流すようにして防いでいく。
「す、すごい……」
「凪さん! 貴女はここから離脱して、教師を呼んで下さい!」
クリシュティナの操る正確な魔法の操作を前に、呆気にとられていた七海は、彼女の言葉にはっとなる。
「く、クリシュティナさんは、一人で大丈夫なんですか!?」
「はい……っ! ですが、早くお願いします!」
「――忌々しいオルティギュアの生き残りが。国と共に滅びれば良かったものを!」
敵対する国際魔法教会幹部であるギルシュは、クリシュティナを執拗につけ狙う。
「私こそが、この私こそが、偉大なるヴァレエフ様の右腕となる存在。にも関わらず、貴様の兄はヴァレエフ様の寵愛を受けている!」
クリシュティナの兄、ミハイルへの恨みを妹へと向け、ギルシュは叫ぶ。
そんなギルシュの魔力が高まるのを空気で感じ、クリシュティナは自分の胸が早鐘を打ったことを自覚する。動物の本能の反応のように、自分よりも強大な敵である、と言うことを身体が実感したようだった。
「お兄様……!? あなたの狙いはなんですか!?」
降り注ぐ攻撃魔法を全て、防御魔法で防ぎきり、クリシュティナは叫び問う。
「何度も言わせるな。魔剣レーヴァテインの回収だ。……さっさと私に渡せば良かったものを、勝負の決着が着くまで待てなど、つくづく姫という身分は度し難いものだ。お陰でお前のような邪魔が来てしまったではないかっ!」
「姫……? あなたに、協力者がいるのですか?」
「協力者? はははは!」
クリシュティナの問い掛けに、ギルシュは腹の底から笑い声を上げる。
「我々国際魔法教会からすれば、あの娘など、都合の良い手駒に過ぎない。まさに向こうから舞い込んでくれたいい使い物でしたよ。クエレブレ帝国の皇女、ティエラ・エカテリーナ・ノーチェ」
「まさか、クエレブレ帝国の皇女である彼女を、利用したのですか……」
「今さら驚くまい」
ギルシュは肩を竦め、面白気な瞳で、クリシュティナを見る。
「国を失った貴女方とて、同じく国際魔法教会の道具だった。そうだろう? オルティギュアのメイド?」
「っ! 許しません!」
クリシュティナが攻撃魔法の魔法式を展開、構築するが、完成は僅かにギルシュの方が速かった。
「《フェルド》」
ギルシュが放った魔法の火炎が、クリシュティナに襲いかかると見せかけて――、
「この軌道は……七海さん!?」
赤い魔法式から放たれた炎が、クリシュティナの後ろの体育倉庫で隠れる七海の元へ、向かう。
「《プロト》!」
クリシュティナは咄嗟に、七海の前方へ防御魔法を発動する。
灼熱の火炎は防御魔法の障壁によって弾かれ、火花が舞う。少なくない火花を浴びる事になったクリシュティナの元へ、ギルシュが手早く発動した攻撃魔法が飛来し、クリシュティナはそれらをまともに受けることになる。
「かはっ!?」
ギルシュの魔法が身体に直撃した途端、途方もない痛みが全身を駆け巡り、一瞬だけ意識が飛びそうになり、クリシュティナは悲鳴を上げて床に膝をつく。
ギルシュはすかさず、拘束魔法をクリシュティナに向けて放つ。
すぐに立ち上がろうとしたクリシュティナの足場に、円形の魔法式が浮かんだかと思えば、そこから伸びた魔法の紐が、クリシュティナの手足を拘束していた。
「く、クリシュティナさん!?」
一方で、守られた七海は、二つのレヴァテイン・弐を身体の前でぎゅっと抱き締めながら、体育倉庫から顔を出す。
ギルシュは目ざとく、怯えきっている七海を見つけていた。
「小娘。さあ、それを大人しく渡しなさい。渡していただければ、貴女に危害は加えないと約束しましょう」
体育館中央に立つギルシュはにやりとほくそ笑み、七海へ向けて手を伸ばす。
「い、いやです……!」
七海は恐怖で全身を震わせながら、ギルシュの要求を拒む。
(動いて……私の足!)
決して剣が重たいからと言うわけでもなく、全力疾走を終えた七海の足はすでに、もう動かなくなってしまっていた。医者の言ったとおり、無理に動かしたため、壊れてしまったのだろう。
それでも七海は、跳び箱の陰に隠れたまま、必死に足を動かそうと手で何度も叩いていた。
「な、七海さん……! 早く逃げて……っ!」
両手足を拘束されてもなお、立ち上がろうと全身に力を込めるクリシュティナに、魔法の紐が首を絞めるように巻かれる。
呼吸困難に陥ったクリシュティナが、乾いた悲鳴を上げる。
「メイド風情が、うるさくなったものだ。お前の苦しむ顔を兄にも見せてやりたいな」
ギルシュはやや苛立ちながら、切れ長の視線を七海へと向ける。
「いずれヴァレエフ様はこの魔法世界の神となられるお方。そのお方のご意向に逆らうなど、愚の骨頂であると思い知るがいい」
「神様なんて……本当にいたら、この身体も、病気で困っている人も……治してあげて欲しい」
レヴァテインをぎゅっと握り締めながら、七海は殆ど腕の力だけで、跳び箱に手をついて立ち上がる。
「愚かな。偉大なる国際魔法教会の幹部であるこの私に比べ、ただのなんの取り柄もない魔法生ごときが、神を否定する気か」
「貴男のような人ばかりのお願いを叶える神様だったら……私は、いらない! あの人と同じように、自分に与えられたこの身体で、私は戦う! 戦うからっ!」
「あの人、だと……?」
七海の言葉に首を傾げるギルシュの直上。第二体育館に、天から降り注いだのは、怒りを孕んだ雷であった。
それは轟音と大きな衝撃で以て、第二体育館を蹂躙する。
「か、雷!? 怖いっ!」
怯えて両手で顔を抑えたギルシュは、雷に怯えていた。
それでも平常で立っていた七海は、レヴァテインを赤子のように抱えた左手ではなく、右手を咄嗟に伸ばす。
「《エクス》!」
「ぎゃっ!?」
次にギルシュの視界を真っ白に染め上げたのは、七海が放った攻撃魔法が、顔面に直撃したからだった。七海の魔法を喰らったギルシュの身体が宙に浮き、背中から床に墜落する。
「や、やった……」
自分がしたことだと言うのに、七海は信じられないような面持ちをしている。
「七海さん! 今のうちに、その剣を持ってここから離脱を!」
「お、おのれ……っ! 魔法生如きがっ!」
まだ終わってはいない。七海の活躍により、拘束魔法の呪縛から解放されたクリシュティナの叫び声に呼応するかのように、片手で頭を抑えながら、ギルシュが上半身を起こしている。
「い、今のはただ偶然でまぐれだっ! 誇り高き国際魔法教会幹部のこの私を倒せると思うな!」
たらたらと鼻血を流し、ギルシュは喚くように叫ぶ。
「白虎!」
対し、自由の身となったクリシュティナは、すぐに眷属魔法を発動した。
「私はここでこの人を足止めします! 貴女がそれを持って、行ってくださいっ!」
「はい!」
何処へ、と言いかけた口を噤み、七海は意を決して、本日二度目の全力疾走を開始する。不思議なことに、雷が落ちてから、足は再び言うことを聞いてくれるようになっていた。もっとも感触はすでに薄く、それがいつまで続くかは、分からないが。
「逃がすか! その剣は頂く!」
「させません! 白虎!」
七海を追いかけようとするギルシュに向け、クリシュティナは眷属魔法を発動する。
魔法式から飛び出した、白毛に黒縞の毛並みをした白虎が、ギルシュの前に立ち塞がり、唸り声をあげる。
「国を失った子虎め! 育ての親である国際魔法教会に、仇討つ気か!」
「群れから外れた虎の子は、一人でだって逞しく育つものです」
ギルシュの挑発に乗らず、クリシュティナは凜とした表情で、使い魔の白虎を従え、戦う。
「……いいえ違いました。今は、大切な人たちが、このヴィザリウス魔法学園とともにいてくださるのでした。そんな私とルーナにとっても大切なこの場所を……私は守ります!」
七海は体育館を抜け、女子寮棟を駆け抜ける。
まずは先生を呼んで、それから、この剣は――。
疾走する七海が抱えるレヴァテイン・弐は、持ち主を待ちわびるかのように、その重さをひしひしと伝えていた。
※
ティエラの振るう鎌が、ルーナの綺麗な鼻先を掠め、地面であるコンクリートを砕く。弾け飛んだ破片をものともせず、ティエラは鎌を振り回し、ルーナの身体を両断しようとつけ狙う。
後退を繰り返すルーナが反撃の魔法を繰り出そうにも、上空から雷撃を吐き出すニーズヘッグに邪魔をされ、反撃もままならない。
「っく、こうも一方的だとは……!」
ルーナは養った動体視力を限界まで使い、夜の闇で煌めく鎌の刃筋を捉え、攻撃を躱し続けていた。ニーズヘッグの攻撃に曝されぬよう、細長い裏路地へと駆け込む。
しかし、そこでさえもティエラは執拗に攻撃をしてきた。
「さあどうする気ですルーナ! この戦いは、どちらかが倒れるまで終わりませんわ!」
「《エクス》!」
距離をとったルーナが、攻撃魔法を発動。
ティエラは迫り来る魔法の弾を、素早い身のこなしで避け、直撃を回避する。流れた魔法の弾は、ティエラの後ろのゴミ箱に直撃し、中に入っていたごみくずが盛大に舞っていた。
怒りを露わに、ティエラがルーナの脳天めがけ、鎌を振り下ろす。
ルーナはそれをひらりと躱し、ティエラの目の前で魔法式を展開する。
「な、この至近距離で!?」
「貰ったっ!」
思わず怯んだティエラめがけ、魔法式を解除したルーナは、回し蹴りをお見舞いする。
視界の隅から伸びてきたルーナの靴底を、ティエラは左腕を掲げてガードする。骨を砕くほどの力強さに、ティエラは悲鳴をあげかけるが、反撃に鎌を振り上げ、ルーナの銀色の髪を何本か裂く。
「ニーズヘッグ!」
ティエラが頭上で舞う黒竜に声をかければ、すぐさま雷が正確な軌道を描き、ルーナめがけて墜ちる。
「《プロト》!」
ルーナは咄嗟に防御魔法を頭上で発動し、雷を傘のように受ける。
「くうっ!?」
視界が青白く染まったかと思えば、凄まじい威力の魔法の雷が、ルーナの全身に少なくない衝撃を味あわせてくる。雷の直撃は防ぐが、全身を貫くような痛みは据え置きのまま、悲鳴をあげるルーナへ襲いかかる。
「いい加減逃げないでくださいませ。リジルも貴女を斬りたがっていますわ」
「その鎌……普通の武器ではないようだな……」
「その通りですわ。国際魔法教会が私にこれを与えて下さったのです」
うっとりとした表情で、ティエラはリジルの柄をそっと指でなぞる。
「っ。やはり国際魔法教会か!」
かつて自分も、国際魔法教会から特別な武器を授かり、力任せに振るっていた記憶が蘇り、ルーナは首を左右に振る。
「悪いことは言わない。その鎌を今すぐ手放せ! 後戻りできなくなるぞ!」
「この期に及んで、この武器が怖くなったのでして?」
ティエラはこれ見よがしに自身の頭上で鎌を回転させ、ルーナへ向ける。
「違う! 私もかつては君のように国際魔法教会から強力な力を受け取り、私だったら祖国の復活も出来ると、信じ込まされていた! ……でも、それは間違いだと気付かされた。結果的に私は、またしても大切なものを失う直前まできてしまっていたんだ!」
「国を亡くした貴女が、それ以上に大切なものですって!?」
「オルティギュアの国民の事は大切だ。でも……もう取り戻せない! だから私は彼らの無念を背負い、それでも前に進むと決めた。ヴィザリウス魔法学園の仲間と共に!」
そう言い放ったルーナを前に、ティエラは分かりやすく不愉快そうな顔をしていた。
「ティエラ。その気持ちは分かる。身に余る強大な力を得た結果、何でもできそうだと思えてしまうだろう? かつては私もそうだった……」
「後悔なんてしていませんわ! 私はリジルとニーズヘッグを用い、自分の強さを証明いたします!」
「駄目だティエラ! その強大すぎる力は、必ず自身の破滅を招く!」
「お説教はもう沢山ですわ!」
ティエラは、なにか苦いものを飲み込むように瞳を閉じると、前髪を軽く撫で払う。
「分かりましたわ、ルーナ」
「ティエラ」
構えを解き、ティエラは棒立ちの姿勢となる。
ルーナもまた、鎌の間合いから離れた位置で、展開していた魔法式を解除するが。
「――やはり、ヴィザリウス魔法学園と剣術士が貴女をおかしくさせた。そんな男と学園なんて、この私が潰してあげますわ!」
「な、なに!?」
「勝負はその後ですわルーナ。精々貴女は、愛する男を失った憎しみを宿して、この私にそれをぶつけなさい! そうでないと、本気のあなたとは戦えませんもの」
「よ、よせ! それだけはやめてくれっ!」
手を伸ばすルーナであったが、足が動くより早く、上空からニーズヘッグが舞い降り、それによる激しい風圧によって、逆に身体が吹き飛ばされそうになる。
両手で顔を抑えながら、辛うじて上げた瞳の視界が捉えたのは、ティエラがニーズヘッグに再び跨がる光景だった。
「さらばですわルーナ。私が、あの男を殺します」
明らかにリジルを握ってから様子が変貌したティエラは、冷酷に言い放つ。
「ティエラーっ!」
必死の叫び声も虚しく、星空を舞う黒い竜の影は、みるみるうちに小さくなっていく。間違いない、もはや復讐に近い彼女の歪んだ怒りは、ヴィザリウス魔法学園の魔術師たちにぶつけられようとしていた。
急いで後を追おうと、路地裏を出て大路地にルーナは出る。魔法学園のそれと同じく巨大な笹と竹のツリーがある、アーケード商店街だった。
「”捕食者”か! 邪魔するな!」
ヴィザリウス魔法学園がある方を見れば、蠢く影の姿を捉え、ルーナは攻撃魔法を展開して戦おうとする。
「――貫け、《アイシクルエッジ》!」
ルーナの魔法が発動するよりも早く、後方より、銀髪が舞い上がるほどの風圧と、無数の氷の刃が、”捕食者”目がけて襲いかかっていた。
まるで黒いサボテンのように身体を無数の氷のトゲで埋め尽くされた”捕食者”は、悲鳴をあげて、爆発するように消滅した。
「今のは!?」
驚き振り向いたルーナの元へ駆け付けたのは、白いバイクに跨がった八ノ夜美里であった。左手をこちらに向けて伸ばしており、おそらくバイクに乗りながら、氷属性の攻撃魔法を発動したのだろう。
「まったく。今日はよく迷子の女の子を見つけるものだな」
ルーナの姿を見た八ノ夜はふっと微笑み、しかし次には険しい表情を覗かせる。
「なにをしている!? ”捕食者”はまだ来るぞ!」
ルーナの周囲には、新たに数体の”捕食者”が出現しており、予断を許さない状況だ。
八ノ夜は静音エンジン仕様のバイクのアクセルを回し、ルーナの元へ近づきながら、立て続けに攻撃魔法を放つ。それらは全て正確な軌道で、”捕食者”にもれなく命中。瞬く間に夜の支配者たちを蹂躙していた。
「後ろに乗れ!」
「すみません!」
バイクに飛び乗って跨がったルーナと、それを諦めない”捕食者”。腕を伸ばしてバイクを叩きつけようと、ルーナの頭上に”捕食者”の手が掠った瞬間、最新式のバイクは商店街の道路を駆け抜けていた。
二人ともヘルメットは着けておらず、黒と白の長く綺麗な髪が混ざり合うように、風に靡く。商店街から抜け、無人無車の道路をお構いなく疾走するバイクの上で、八ノ夜は後ろのルーナへ顔の半分を向ける。
「さっき黒い竜が飛んでいくのを見た! ラスヴィエイトのものか!?」
「違います! 魔法学園へ早く! みんなが危険です!」
「だろうと思ったさ。しっかり掴まっていろ!」
道路左右の影が立体的な動きを見せ始める頃にはすでに、八ノ夜が運転するバイクはそこから駆け抜けていった。
※
「本当なんです、先生! 体育館に変な男の人がいてっ!」
「少し落ち着け七海……。それに、具合が悪そうだぞ。くちびるも青いし、少し休むんだ」
今まさに黒竜が向かっているヴィザリウス魔法学園の中央棟、職員室にて。
そこでは二つの鞘に収まったレヴァテイン・弐を抱き締める七海が、自分の担任教師の男性教師に、面と向かって叫んでいた。
「第一それ、Aクラスの天瀬くんのものだろう? どうして君が持っているんだ?」
「そ、それは……体育倉庫で拾って……」
「七海。俺はもう少し、大人しい娘だと思ってたんだけどな。クラスでいつも静かじゃないか? それが急にどうして……」
変なものでも食ったのか? とでも、担任の教師は言いたげである。
その通りではあった。いつも教室では大人しく、自分で挙手をしてなにかを発言することもない。一夏の思い出とばかりに、変な行動に出た高一の女子生徒、と思われてもおかしくはなかった。
七海は、誠次のレヴァテインをぎゅっと握りしめたまま、俯きかけるが。
「私にも、誰かを守ったり助けたりすることが出来るかもしれないって、思ったんですっ!」
真っ白になりそうな頭は、職員室中に響き渡る声量で、そんな言葉を放った。
不安定な停電を繰り返し、少なくない苛立ちが積もる環境の中で、血相を変えた様子の七海の言葉は、担任教師の身には深く入ってこない。
「その心がけは立派だよ。……あ、分かったぞ七海!」
急になにかを閃いた様子の担任教師に、七海は目を見開く。
「お前、読書好きだったろ? それでその登場人物の真似事してるのか!? 声が聞こえてくるのか?」
「ち、違いますっ!」
顔を真っ赤に染めて、七海は俯いてしまった。
……どうして、やることなすこと全て上手くいかないのだろう……。やっぱり、急にやる気を出しても、無理なのだろうか。
俯きかける七見であったが、ここでいつものように足踏みしているわけにはいかない。自分を送り出してくれたみんなの為にも、七海は今一度、顔を上げる。
「体育館に行ってくださいっ!」
七海は椅子に座ったままの担任教師を仰け反らす程の勢いで、詰め寄る。
「わっ、ち、ちょっと待て七海っ! 落ち着け!」
「落ち着いていられません!」
「――あれ、なんでケンジュツチちゃんの剣持ってるの?」
ヒック、としゃっくりの音がしたかと思えば、後ろには2―Aの担任教師である林が立っていた。職員室なのになぜか赤ら顔で。
「酒臭……っ」
思わず鼻を押さえる七海に、担任教師が苦笑する。
「またお酒飲んでたんですか? ほどほどにした方が良いですよ、林先生」
「うるせえわい。それよりなんで、君がそれ持ってんの?」
林は焦点が定まっているかどうか分からない目線で、七海の握るレヴァテイン・弐を指さす。
「これ、体育倉庫で見つけて、体育館に侵入者がいるんです! 今すぐ行かないと、クリシュティナさんが危ないんです!」
「そっか。でも俺酔っぱらってんだよなー」
なぜか自慢気に語る林に、七海は別の意味で落胆する。
そんな七海の前で、林は「心配するな」と肩を竦める。
「なに、この学園にはケンジュツチちゃん様がいる。困ったことはなんでもかんでもズバッと斬って解決、ってな!」
まるで自分のことのように、酔っ払っている林は大きな笑い声を上げて、剣で何かを斬るジェスチャーを繰り出す。
「行方不明です!」
「はあ!?」
素っ頓狂な声を林が出せば、酒臭い息が七海にまともにかかり、いよいよ気を失いそうになる。
「んっ? デンバコが鳴ってやがる……」
ふと林がグレーのシャツの胸ポケットに手を突っ込み、電子タブレットを起動した時だった。
「――っ!?」
七海の頭へ、再び頭痛が襲い掛かる。
しかし、今の状況でそれは好都合だと思い、七海は悲鳴と痛みを堪えながら、必死に声を聞こうとする。
「お、おい七海?」
担任教師が心配そうに七海へ手を伸ばす。
「屋上……っ!?」
怒鳴りかけるような声は、確かに屋上と言っていた。
「もひもひ八ノ夜さん……」
「私、行きますっ!」
会話を始めた林の横を、七海は通り抜ける。
「おい七海っ! もうすぐ夏休みだからって羽目を外しすぎるなよな!?」
担任教師の声を振り切り、七海は本日三度目の全力疾走を行う。三度目の全力である。正直、足はもう木の棒のように硬くも脆く、疲れも困憊しているが、七海は止まらなかった。
※
屋上では、誠次が相変わらず避雷針に捕らえられていた。
すでに何度も縄を解こうと試みたが、無駄な骨折りに終わっていた。
季節は夏で生温い風が吹いているとはいえ、中央棟は八階建ての屋上だ。長時間放置されていれば、体力も消耗する。
「ルーナ……」
どうにも出来ずに項垂れていたところ、目の前で一際の風を感じ、誠次は顔を上げる。
見えたのは、ビル群を搔い潜るように飛行する黒竜であった。
まさか、ルーナが負けた? それに、その鎌は一体?
誠次は唖然として、黒竜の背から飛び降りてきた、リジルを持ったティエラを見上げる。黒竜は、誠次とティエラの頭上を旋回していた。
「剣術士。ガンダルヴル魔法学園でも噂には聞いておりましたけれど、その勇猛果敢な戦績を誇るとは思えない、滑稽な姿ですわね」
口答えをしていた最初の頃の気力すら微かになり、誠次は重たく感じる顔を上げる。
「まさか……ルーナが、負けたのか……? それに、その武器は……」
乾ききったくちびるを開き、誠次は驚く。
対するティエラからの返答は、こちらの首筋にリジルの刃をあてがう事だった。少しでも力が入れば、刃が喉肉をぷつりと斬る事だろう。
「亡国のお姫様の心配よりも、自分の身を心配するべきですわよ、天瀬誠次。認めたくありませんが、貴男の存在が、ルーナを変えた……。私ではなく、貴男が……」
刃の先で、ティエラが憎悪の感情を隠すことなく誠次へと向ける。
「だから私は、貴方を斬り、本当のルーナを取り戻しますわ!」
「斬る、か……。俺もここに至るまで、何百もの人々を斬ってきた……。その感触は全て、頭の片隅に残っている……」
鋭い刃の感触を受け止める喉を鳴らし、誠次は口答えをする。
びくんと、リジルを握るティエラの腕の震えを、刃越しに感じた。
「何百も……!? 貴男は……異常ですわ!」
ぐっと、ティエラがリジルを押しこむ。ぷつりと、誠次の喉肉の表皮が切れた。一筋の鮮血が、誠次の首から鎌の刃に沿うようにして流れ始める。
死神のそれのような鎌を持つティエラは、さしずめ人斬りへの断罪を行うかのようだった。
「異常……そうかもな……。剣を渡されて、他に戦う術がなかった俺は……剣を渡してきたある人の理念に従って、がむしゃらに戦った」
「魔法が使えないのでしたよね……。であれば、剣を受け取らず普通の人として生きていけば良いのですわ! それを人を斬ってまで……。貴男がしているのは、ただ剣で人を傷つけることですわ! 傲慢で、自分勝手で……! 私の目標であった女性まで変えて!」
「君の言いたいことも分かっているつもりだ……。俺が人と戦えばつまり、傷つく人は必ず生まれる。でも、それは魔術師も剣術士も同じはずだ。人と人が争えば、その結果には必ず勝利と敗北。栄光と挫折。生と死が付きまとう。俺はそこを見て見ぬふりをしていた、と言えばいいのか……」
「……っ! なんなのです貴男は! そこまで考えていながら、どうして貴男は剣で戦うのです!?」
誠次はクマが出来た顔を持ち上げ、ティエラを見上げる。
「ただ、仲間を守りたかったんだ……。俺のことを信じてくれて、俺に魔法を貸してくれる人がいるんだ……。相手が人ならば、それを理解して、そして斬る。そこで相手が俺に憎しみを向けるのであれば、それはそれで受け入れ、納得しなければならない。特別で強大な力を手にした以上、常に責任と向き合わなければ、人々はやがて力を振るう者に愛想を尽かし、次第に心は離れていく。俺はもしかしたら、みんなに失望されるのが怖いのかもしれない。だから、みんなが頼りにする剣術士として戦い続けている。君を見ていると、もしかしたらそんな気もしてきたんだ……」
皇女としてのプライドから、民に失望される恐怖と圧力を感じ、誇りのためと言いながら、宿敵を倒す。そうすることで人々に認められ、力を誇示した実績を得、心の底から安心が出来る。
誠次にそんな指摘をされたティエラは、頬に一筋の汗を流していた。
「お、お黙りなさい! 私は、貴男とは違いますわ! 私は、クエレブレ帝国の皇女なのですわよ! 何万もの人々が、私の勝利を待ち望んでいるのですわ!」
「……違う。やはり君は、恐れているんだ。俺と同じだ。期待をかけられ、もしも逃げれば、周りから人が失望し、離れていく恐怖。それを感じたくないからと、必死に戦う。それこそが、俺と君……そして世界にいる特別な力を持った人の特権でもあり、呪いだ。一度大きな力を得て、それを示した者には、相応の責任と代償が伴う」
「違いますわ! 絶対に違いますわっ!」
ハアハアと、口で荒い呼吸を繰り返し、ティエラは必死に首を左右に振るう。
「いいや、違うのは人数ぐらいだろう。君が民からの信頼を感じ、その期待の眼差しを背に戦うならば、それは立派な事だ。対して俺は、今の俺を作った仲間たちの期待を背に、今日まで戦ってきた。それをここで終わらせるわけにはいかない。俺も君も、表では強いことを言えるが、本当は仲間を失いたくないだけの気弱な人間だ」
それはこの状況ではなく、心理からくるものだった。ティエラの心情はあまりにも軽薄すぎており、幼稚で、誠次はどちらかと言えば、拍子抜けしていた。拷問でなにかを引き出そうとするのならばともかく、殺害に至るまでの思惟が、彼女からは全くもって感じられなかった。
「だが剣術士としてまだ俺には、この世界でやるべき事が残っている。皆と約束し……夢に誓った。信念を果たすまで、死ぬわけにはいかない。この身を燃やしてでも、皆に平和な魔法世界を見せる為にも、戦い続ける。それが、俺が魔法を持たずに剣術士として特別な力を持ち、この魔法世界に生を受けた理由だと思っている。それが剣を持つ剣術士と、人としての天瀬誠次、二つが出した答えで、夢だ」
ぐったりとしていた誠次はそう呟くと、ゆっくりと顔を上げていく。射し込んだ月光が誠次の顔を徐々に光で濡らし、黒い瞳に力を宿す。
リジルを構えていたティエラは、確かに誠次の姿を見て、怯えるように全身を硬直させていた。
「改めて問うティエラ。君はなんのために戦う? なんのためにその力を使う? その力の使い方を誤れば、待ち受けるのは破滅に他ならない」
「なにを言って……」
「――魔法世界が平和になりますように、俺自身が戦い続ける。……それこそが、他の誰でもない俺自身が七夕に書いた、本当の願いなんだ」
だから、と誠次は力を取り戻した黒い瞳で、ティエラを睨みつける。
「俺のことを信じてくれる仲間たちがいる限り、俺は死なない。よりにもよって、俺の過去の亡霊のような貴様に殺されるわけにはいかないんだ!」
二人の頭上で静かに舞っていたニーズヘッグが咆哮を上げ、雷鳴を轟かせた。
※
「――屋上は、エレベーターを使えば理事長室まで行けるはず!」
各棟にある一階から最上階を繋ぐエレベーターへ、飛び込むようにして七海は入る。すぐにボタンを押せば、静音エレベーターは上昇を開始する。
ものの数秒で中央棟最上階である理事長室前に到達したエレベーターから、七海は滅多に使われることもないであろう階段を使い屋上まで向かう。
夜間学園中を徘徊している掃除用ドローンのお陰か、埃のない階段の先に屋上へと続く扉はあった。
「っ、魔法障壁!?」
夜間の外出を禁止するために、教師が作った色鮮やかな魔法による壁が、七海の前に立ち塞がる。触れれば、たちまち術使用者の元に通知が入り、簡単な魔法では突破は出来ない。
「私の魔法じゃ、解除できない……」
ここまで来て、もう目の前なのに、最後の最後でどうしようもない壁が、文字通り立ちはだかっていた。
なにか、なにか打つ手はないかと、七海は周囲を見渡す。あるのは学園の備品ばかりで、どれも使えそうにない。
「……」
あるのは脆弱な魔法と、手元の魔剣であった。
そんな魔剣に、まるで目がついてあるかのように、七海はじっと視線を送る。
「確か……天瀬先輩は、この剣で不思議なことをするんだっけ……」
学園内外で有名である誠次の剣術士としての象徴であり、彼を剣術士たらしめる兵器。不思議とそれ二つの重量感が増したと感じた七海は、ごくりと息を呑み、一つを床に置き、もう一つのレヴァテイン・弐の柄に手を添える。
「私にも……せめてこの一瞬でも……!」
両手でしっかりと柄を握り締め、七海は鞘から刀身を引き抜く。鞘は床に音を立てて落ち、階段の下へ。勢いよく引き抜いた剣に引っ張られるように、七海は両腕を伸ばした姿勢のまま、数歩進み、ようやくレヴァテインを床に降ろす。
「あっ」
キンッ! と甲高い音がしたかと思えば、レヴァテイン・弐の刃が床の上で見事に弾かれ、七海はしまった、と言う表情となる。刃を傷つけて、後で、天瀬先輩に怒られたりしないだろうか。
恐る恐る床との刃の接触点を見れば、美しい銀色を刀身は保ったままだった。
いや、それ以上に驚くべきは、接触した床だった。強固な魔法学園の装甲の床は、ただ刃を振り下ろすと言った動作だけで、床にヒビを作りだしていた。
「こ、これが、天瀬先輩の剣……」
両手でどうにか持ち上げながら、七海は改めてその殺傷能力の高さにぞっとする。剣としての切れ味は見られないが、鈍器としても使えそうだった。
「こんな重たくて危ないもの、普段から天瀬先輩は持って走っているの?」
だとすればとても怖く、恐ろしかった。それも二つある。とても人間が扱える代物ではないようで、わけがわからない。
七海は槍のようにして構えたレヴァテインを、自分の腹の位置まで持ち上げ、尖端を魔法障壁へと向ける。
ただ持っているだけで手汗が吹き出てしまい、冷たかった刀身に、体温から伝わる以上の熱が籠もり始める。
「ハアハア……私の魔法じゃとても解除できない。だから、一か八かっ!」
目の前で輝く魔法障壁を睨み、七海は深呼吸をし、額から大量の汗を流す。呼吸は苦しく、全身は痛く、身体の限界はとうに超えている。
がくがくと震える腕と脚を無理やりにでも抑えつけ、青い目を見開く。
「やああああぁーっ!」
レヴァテインの半身を槍のように構えたまま、七海は光を放つ魔法障壁へ向け、突撃していた。
~それは、新年に起こるべき大人と子供の戦い※お酒は二十歳になってからです!~
「おっ、いいところにいるじゃないの剣術士~」
まさとし
「先生? なんでしょうか?」
せいじ
「ちょっと一緒に酒飲まね?」
まさとし
「生徒に酒進めないでくださいませんか!?」
せいじ
「良いじゃねえかよ」
まさとし
「大晦日とか正月とか、よくあるだろ。一杯ぐらい飲めよってやつ」
まさとし
「全然関係ない日ですけど!? まだ夏ですよ!?」
せいじ
「じゃあお年玉あげる」
まさとし
「幾らですか?」
せいじ
「いやだから正月関係ありませんよね……?」
みこと
「あ、明けましておめでとうございます!」
せいじ
「いやだから正月じゃないって……」
しんぺい
「挨拶したから下さい! お年玉!」
せいじ
「そういうもんじゃねーだろ……」
まさとし




