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こうも寒いと夏の風景描写が難しいことこの上なし。きちんと書ける人が羨ましいです……。
――どうして、彼はいつも前を向いて走り続けることが出来るのだろう。私だったら、こんな世界で魔法が使えないと言われたら、絶対に諦める。魔法しか効かない怪物がいて、魔法が必要とされる魔法世界。
それでも彼は魔法学園におり、剣を背負って、みんなと一緒にいる。苦しそうな顔をしても、辛そうな状況でも、彼は諦めずに前を向いて、あの日の朝も走り続けていた。
「――もう絶対に走っちゃ駄目だよ。君の身体が、壊れちゃうからね。治すから、今日からここで入院だ」
「――お医者さんもそう言っているんだから、分かった? 辛いでしょうけど、ここで治療するの……」
きっと先輩も、私と同じように真実を聞かされ、ショックを受けたことに違いない。目の前が真っ暗になる、と言う心情と言うべきか。
先輩が自分のように、魔法が使えないことを聞かされたときの事も、話を聞いてみたかった。もう少しだけ……例えば本を読みながらでも、他愛のない世間話をしながらでも。
私は、そんな先輩のようになりたい――それが私の――。
※
「こら、貴方たち。危ないから病室にいないと駄目でしょ!?」
自分の背丈の二倍はある大人の看護師に注意されて、男の子は「ごめんなさい!」と髪をかく。
未だに電力復旧が間に合っていない病院内では、魔術師が魔法の光を使うことで、平常時の夜の室内の明るさを取り戻してはいた。医療機具も非常電源の電力でどうにか持ち堪えているが、立て続けに停電を繰り返している現状では、いつ命の生命線が潰えてもおかしくない非常事態だった。
(今だぜ! 凪お姉ちゃん!)
(……ありがとう!)
怒られた男の子は、後ろ髪をかきながら、後ろの方でとある機会を窺っていた七海凪へ向け、後ろ手でピースサインをする。
合図の元、柱の影に隠れていた七海は、看護師や他の患者の目を盗んで、病院出入り口まで身を隠しながら移動する。大量の緑色のスリッパが並ぶ抗菌ロッカーを素通りし、夜の世界を前に、深呼吸をする。
地震にも似た地響きは、今も断続的に続いている。稲光は、尚も容赦なく地上に降り注いでいるようだった。
「――ナギお姉ちゃん……」
後ろから女の子の声がして、七海は振り向く。読書が大好きな、大人しい女の子だった。
「危ないよ。病室にいてね」
七海はしゃがみ、女の子の髪を撫でてやる。
「危ないのは、ナギお姉ちゃんこそ……。”捕食者”って、怖い生き物がでるんでしょう?」
「うん……。私も、本物は見たことないけど……」
ここから魔法学園までは、走ることが出来れば数分の距離ではある。しかし、その間に”捕食者”が出ないという保障はない。
「怖いけど……私もみんなを助けたいんだ……。ここだけじゃない……停電で困っている人は、いっぱいいるはずだから。もしかしたら、私にも出来るはずだから……」
私は決して、王子様の迎えを待つようなお姫様じゃないから……。
そう言いかけた口を噤み、数日前に出会ったとあるお姫様の立派な姿を思い出し、七海はやんわりと微笑む。
頭に響いた声を信じるのであれば、ヴィザリウス魔法学園の体育館に、なにかがあるはずだった。急に頻発するようになった頭痛が、この異常現象となにかの関係があると、七海は確信していた。
「凪お姉ちゃん……今、すっごく格好良いよ!」
病衣姿の女の子にそう言われ、七海は顔を赤く染めて、しかし前を向く。
「あ、ありがとう……。さあ、病室にいてね?」
胸にそっと手を添え、熱を帯びたその腕を、病院のドアに添える。
「い、行ってらっしゃい! 頑張って凪お姉ちゃん!」
「……うん」
女の子の声を背に、七海は夜の世界へと足を踏み入れる。夏のじめじめとした湿気を帯びた、生暖かい天然の夜風が、全身に降り注ぐ。
「……なにしてるんだろうな……私……。空から不思議な声が聞こえて、夜の外に出るなんて……」
まるで、よくあるおとぎ話の登場人物のようだ。
初めて背後に聳える病院に、わけも分からずに母親に手を繋がれて訪れたときは、まだ自分が小学生のときだった気がする。よく分からないまま病室に通され、今日から学校には行かず、ここで過ごすことになると言われたときは、とてもショックだった。
ひどいときは月に一度学校に行けたとしても、体育の授業は決まって見学だ。走るなんてもってのほかで、身体の負担を考えると、とても参加してはいけないと言うのが、医者の言葉だった。
「今度こそ、責任はちゃんと果たさないと……」
白いベッドの上で何度も何度も恨んだ自分の弱い身体に言い聞かせるように、瞳を閉じた七海は深呼吸をする。
こんな自分でも、まだ誰かの役に立てるような事が出来るというのなら、せめて優しくしてくれた病院の人たちや、退院の時を待ち侘びる子供のみんなの為に使いたい。生憎学園には、空から声が聞こえたからちょっと確かめてきて、なんて軽々しく頼めるような友だちも、連絡先もなかった。
「……もう、逃げたくないから」
七海は目を開け、およそ小学生時代以来に、走り出す。
「あっ……っく!」
心臓がきゅうと萎んだように、胸に激しい痛みを感じる。全身が走ることを今すぐやめるように、七海に対して警告を送るように、節々の関節も痛んだ。
……血の味がする。幼い頃は普通に出来た走ることが、こんなにも辛いことだとは……。
(先輩、朝いつも女子寮棟の前走ってたけど、やっぱり、凄いな……っ)
よく分からないけれど、剣もしっかり背負っていた。そんな彼を、学園の寮で迎えた朝の日は、窓からよく見ていた。いつか、先輩のように自分も走れる日が来れば良いなとは思っていたが、まさか夜の外を一人で走るなんて。
信号は何処も停止しており、昼の街を煌びやかに彩るホログラムもない。まるで別の世界に迷い込んだような、奇妙な感覚であった。通り慣れたはずの道も、その先に見える風景も、まったく違う街のように見える。
「っぐ!? ……けほっ、けほっ」
やっぱり、強い気持ちがあっても、弱い身体がついてきてくれない。目の前がぼやけ、肩を上下させる荒い呼吸を繰り返す七海は立ち止まってしまい、街路樹にもたれ掛かかってしまう。
「こんなところで……立ち止まっちゃ、駄目なのに……っ」
ばくばくと鳴る心臓がある左胸を右手で締め付けるように抑えつつ、殆ど引きずる足取りで、歩き出す。
歩道橋の下をくぐり抜けた時、目の前の車道で、影が立体的な動きを見せ始める。哀れにも夜の世界に迷い込んだ人間を襲う、”捕食者”だ。
「あ……あ……っ」
もし”捕食者”が出ても、走る。それか最悪は、魔法で戦う。
七海が想定していたことは、夜の支配者の前に、それら何一つとして出来なかった。
月の光を隠すほどの巨体による圧倒的な威圧感を前に、全身の身動きが取れなくなってしまった七海は、一歩、二歩と後退る。
「そんな……。やっぱり、駄目だったの……?」
逃げることも出来ないでいる華奢な身体めがけ、”捕食者”が腕を伸ばす。
手の平だけで全身がすっぽりと収まる程の巨大な黒い影が、七海の全身を覆った。
「――《ブレイズ》!」
真っ黒に染まった視界に、突如、風属性の攻撃魔法の刃が奔る。四筋の線を描くように、”捕食者”の手が外側から切り裂かれていく。まるで果物の皮を剥くように、”捕食者”の手が切り裂かれ、七海は再び新鮮な夜風を浴びる。
「……え?」
”捕食者”は両手を切り裂かれても、未だに目の前に存在している。平たい頭部は、まるで七海の後ろを凝視しているようだった。
後ろから、こつこつと足音がする。
「――夜間外出をする勇気は認める。……が、最低限自分の身は守ってほしい。魔法学園では、もう授業で教えたはずだが?」
凛々しい女性の声だった。そして聞き覚えのある声の持ち主は、驚き戸惑う七海の真横で立ち止まる。
「は、八ノ夜理事長!?」
魔法式を片手で展開し、もう片方の腕を腰に添え、八ノ夜は”捕食者”を睨みあげている。
「こんなところで何をしている?」
「ご、ごめんなさい。でも……急いで魔法学園に戻らなくちゃって……」
言いかけた七海と八ノ夜の周辺で、雷が落ちる音が再びする。
「私なら、この雷を止められるかもって、思って……」
「ほう? 私もこの原因不明の異常気象の調査をしていたのだが、君に一歩遅れていたようだな」
八ノ夜は面白げに七海を見る。
「私が理事長さんよりなんて、お、おこがましいです……」
「魔法学園に何があるのだ?」
会話の途中、”捕食者”が背中の触手を全て二人の女性へ向け、突撃させる。
「”捕食者”がっ!」
それを見た七海が、頭を抱えて蹲りながら叫ぶ。
「落ち着け」
八ノ夜は伸ばした右腕で素早く破壊魔法を完成させると、”捕食者”を見ずに放つ。理事長服が、光る円形の魔法式から逆噴射した風になびき、八ノ夜の髪も豊かに舞う。
魔法式から放たれた魔法は、”捕食者”の触手を消滅させながら飛んでいき、”捕食者”の胴体に到達する。白い魔法の光が黒い胴体に着弾した瞬間、”捕食者”の身体は内部から膨れ上がるように膨張し、風船が破裂するように木っ端微塵に爆発していた。
「それで……えーと、何処まで話したっけか?」
右手の人差し指と親指を擦り、”捕食者”の残滓を忌々しそうに見つめていた八ノ夜は、次には何事もなかったかのように七海を見る。
「え、あ、はい! 私、声が聞こえたんです! 魔法学園の体育館に行けって」
「……本当か?」
「本当です。それで、もしかしたら、私でもみんなを助けることが出来るかもって、思って……」
次第に語気が弱くなる七海であった。自分でも、変なことを言っているとは思う。けれど、信じてほしいし信じるしかなかった。
「わかった。君の言うことを信じよう」
案外にも、八ノ夜はあっさりと頷く。まるで、手に余る生徒の扱いに慣れているような潔さである。
「め、迷惑かけて、ごめんなさい……」
「今はこの雷を止めないと、みんなが安心して夜を眠れないからな」
八ノ夜がそう言った矢先、二人の後ろの方で次ぎ次ぎと”捕食者”が出現する。さしずめ、活きのいい獲物を見つけたようである。
「立ち話が過ぎたようだ。七海。ここは私に任せて、君は先に行け!」
迫り来る”捕食者”に対し、破壊魔法の魔法式を次々と展開し、発動寸前のところでキープをしながら、八ノ夜は七海へ告げる。
「……はい!」
「良い返事だ!」
ごくりと息を呑みながら頷く七海に、八ノ夜は満足そうにほくそ笑んでいた。
「行け!」
八ノ夜の言葉を背に、七海は再び一目散に走りだす。
慣れない全力疾走で、何度も転びそうになるが、自分の事を信じて送りだしてくれた理事長の為にも、何よりも、病院のみんなの為にも。
口でぜえぜえと呼吸を繰り返し、七海はとうとう、ヴィザリウス魔法学園の正門までたどり着く。
「体育館……第一でいいのかな……!?」
休む間もなく、七海は魔法学園に三個もある体育館の存在に悩まされる。地味にそれぞれ離れた位置に建っている施設のため、しらみつぶしにするにも時間がかかる。
そもそもそこで何が待ち受けているのか、七海にはまだ、分からない。
※
談話室の男子トイレで用を済ませた志藤は、実家に居候しているとある女性と、電子タブレットで通話をしていた。
「はあ!? 室内で燻製作ったら警報が鳴ってる!?」
『ああ。やかましいんだ。どうやって止めるんだこれ?』
電話先の女性の声をかき消すほど、ピーピー、とけたたましい音が鳴っている。
「火災探知機っスよね!? だいたいなんで室内で燻製なんて作ってるんスか!?」
『決まってるだろ? 燻製が食いたかったからだ』
「欲望に忠実すぎるんスよっ!」
『悪かった――って、あれ? 真っ暗になったぞ』
居候の女性――エレーナが周囲を見渡しているような間を作り、そんなことを言ってくる。
『うるさいのも止まったし、これでいいか』
「いや開き直るなよくねーだろ!? ……ってか、そっちも停電なんスね」
『魔法で明るく出来るから何ともないが、いったい何なんだこれは?』
「魔法学園もなんスよ。さっきは地震みたいなのが起きてたんスけど、今は停電が繰り返してる感じっス」
志藤は周囲を見渡しながら答える。談話室にいる魔法生たちも、繰り返す停電に不安そうな面持ちをしている。女子は顕著であったが、その中では目立つ存在が一つあった。
「く、クリシュティナ?」
……なぜか、男子トイレをまんじりともせずに凝視しているクラスメイトがおり、志藤は軽く怯える。
『オルティギュアのメイドか?』
エレーナが反応している。
「颯介」
クリシュティナの方も、男子トイレから出て来たこちらのことを、発見したようだ。近くまで来ていた。
「あの、急にすみません。一つ訊きたい事があるのです」
「どうした?」
深刻そうな表情をしているクリシュティナの前で、志藤は何事かと首を傾げる。
クリシュティナは、頬を少し赤く染め、とても言い辛そうに、こんなことを言うのであった。
「男性の方は……その、お手洗いで……一時間掛かるものなのでしょうか?」
「男性、トイレ、一時間?」
各単語がバラバラになって志藤の頭の中で浮かび、それがくっつき、離れたりを繰り返し、ようやく理解に至る。
「い、いやいや。普通かかんねーと思うけど……」
「そう、ですよね。誠次の身体に異常がない限り、あり得ないことですよね……」
「? 天瀬?」
「はい。中にいませんでしたでしょうか? 待って、一時間になろうとしています」
クリシュティナが顔を上げ、少しばかり眠たそうな表情で、談話室の時計を見つめる。
「ちょっと待て……。まさか、トイレに行った天瀬を一時間近く待ってたのか!?」
「はい」
『ハッ。一時間とか、サムライボーイは完全な機能不全だったわけだ』
エレーナが小馬鹿にするような笑い声をあげている。
「いやそう言う意味じゃねーだろ!?」
ストレートなエレーナに、志藤は慌ててツっこむ。
案の定、目の前のクリシュティナは、真っ赤に染まった顔を隠すように、口元を抑えて後退りしている。変な意味で誤解されてしまったようだ。
「中には俺以外、いなかったぜ?」
「そんな。私は誠次が入ってから、ずっとそちらの方を見ていました。あり得ません」
『ずっと待ってるとか。完全に飼い主に飼われた小虎だな』
アンタが言えるのか、それ。と、さしずめ飼い主の身分と半分強制的になっている志藤は、心の中でエレーナにツっこむ。
「デンバコに連絡は?」
「しました。けれど、応答がありません」
「アイツからの返信がないと大抵なにか面倒ごとに引っかかってる気がするんだよな……」
志藤は髪をがしがしとかく。
「とにかく、停電やべーし、今日はもう帰ったら? 男子寮棟にいつの間にか戻ってるかもしれないし、俺がアイツのいる部屋見てくるよ。ワンチャン、寝てる可能性もある」
「誠次がそのような事をするはずが……」
「まあここにはいないことは確かだ」
「かしこまりました。ありがとうございます、颯介……」
志藤と談話室で別れたクリシュティナは、渋々談話室をあとにする。
この程度で今さら誠次への信頼が揺らいだりする事はないが、疑念は残る。自分は確かに、ずっと彼を待っていたはずなのに、忽然と姿を消しているなんて。
「ルーナの姿も見当たらない……」
とっくに夕食の時間だというのに。いつもだったらルーナはお腹を空かせて、寮室のテーブルの前に行儀良く座っている時間のはずだ。
「まさか、ルーナと誠次で二人きりで抜け駆けなんて……」
一瞬だけ想像してしまった展開に、クリシュティナは慌てて首を左右に振るう。――しかし、胸のもやもやはどうしても収まらない。今日が七夕という、行事の日でもあるせいなのだろうか。
「あっ、また停電……」
真っ暗になった廊下で、クリシュティナは明かりを求めて手を伸ばし、窓のカーテンを開けてみる。綺麗な星々が輝く夜空に、停電の原因とも言われる雷が落ちているなど、にわかには信じがたい事だった。
ちょうど中庭方面であった窓の外には、魔法生たちの願いが込められた短冊が、夜風を受けて揺蕩う。この世界ではありきたりな世界平和。高校生の欲望剥き出しの下品な願いごと。色とりどりの思いが、そこでは交錯する。
「――え?」
中庭にあったあり得ない光景に、クリシュティナは目を瞬く。
一つ下の学年の魔法生の女の子が一人、向こうの方から走ってきたかと思えば、笹ツリーの下を通って走って行く。
「夜の外は危険です! 何をしているんですか!?」
当然、こちらの声が夜の外を走る黒髪の少女に聞こえるはずもない。締め切った窓は自動で鍵が掛かっており、こちらから開けることは出来ない。
まるで去りゆく電車を追いかける仕草のように、クリシュティナは気付けば、少女の後を追うように窓沿いを走っていた。
下へと続く階段を一段飛ばしで駆け下り、一階へ。昇降口をも少女は素通りし、尚も夜の外を走り続けている。クリシュティナも急いで後を追いかけ、再び窓沿いを走る。
七海が飛び込むようにして入ったのは、魔法学園の第二体育館だった。
「ハアハア……!」
すでに第一は見た。くまなく館内を探したのだが、なにもなかったし、誰もいなかった。声の主らしき存在もない。
「もしかして、本当は騙されているのかな……」
そうした決めつけから自信を無くしていくのは、いつものことだった。壇上に立ってステージを見渡しながら、七海は顔を左右に振る。
「皆の為になにかが出来る、これが最後のチャンスなのかもしれない……」
自分に期待してくれ、送り出してくれた病院の子たちの為にも、八ノ夜理事長の為にも、めげるわけにはいかない。
「照らして。《グィン》」
光源を生み出す汎用魔法を用い、体育館の中央にて、七海は鮮明になった第二体育館の内部を見渡す。普段は授業が被ったり、行事に第一体育館が使われる際に臨時に使われるだけで、滅多に訪れたこともない場所ではある。運動部でもないので、なおさらここに訪れる機会はない。
それでも、ただ一つの決定的な違和感を、七海は見つけていた。
「体育倉庫が、開いてる?」
第一ならば、体育倉庫の扉は締め切られ、鍵も掛かっているのが常のはずだ。体育授業などで教師が出入りする際に、電子キーで開けているのをよく見るからだ。
ごくりと息を飲み、七海は体育倉庫まで駆け寄る。そこには想像通り、跳び箱やらマットやら、昔ここが普通科の高校であった名残を残す体育器具が多く整列されていたのだが。
「これって……」
平均台の上に無造作に置かれていた、二つほどの物体を前に、七海は青い目を見開く。
「確か、天瀬先輩の剣……?」
茶色い鞘に収まった黒い剣が二本、平均台の足場に沿うようにして置かれていたのだ。
「どうして、こんなところに? いっつも学園で付けているのに……」
そして、もう一つ見覚えのあるものが、一対の剣の上に重ねて置いてあった。
「これは……私がなくしていた、本……!?」
ブックカバーは自分のもので、正真正銘中身も、自分が亡くしていた本で違いない。どうして、こんなところに、先輩の剣と一緒にあるのだろうか。
「――それは、レヴァテイン・弐では!?」
「うきゃあ!?」
背後から急に女性の声がして、七海は今まで出したことのないような悲鳴をあげ、前のめりになった体は平均台に躓いて倒れていた。
「あ、申し訳ございません!」
後ろにいた女性は慌てて、七海に手を差し出す。
「クリシュティナ・ラン・ヴェーチェルです」
「あ、七海凪、です……」
七海は顔をかーっと赤く染めながらも、クリシュティナの手を取り、立ち上がる。
「貴女は、どうしてこれを……。いえ、そもそもどうしてここにレヴァテイン・弐が……?」
七海の隣に立ち、クリシュティナは顎に手を添えて考える素振りをする。
「あの……ればていんうると言うのは……?」
「誠次の剣の名称です。神話の武器、レーヴァテインをもとにした名前です」
「は、はあ」
つらつらと説明をするクリシュティナに、七海は曖昧に頷いていた。
「わ、私は、声が聞こえて……。ここに行けって、言われて……」
「声?」
「おかしいかもしれませんけど、頭の中で響いたんです……。割れるほど、痛くて……」
「まさか、ルーナのファフニールと同じテレパシー……? いえ、あれは一部の人にしか……」
ぶつぶつと呟いているクリシュティナに、七海は再び首を傾げていた。
「天瀬誠次はどこにいるか、貴女は知りませんか?」
はっと思いついた様子のクリシュティナが、七海に訊く。
当然、知らない七海は首を横に振っていた。
「え、今は男子寮棟にいるんじゃ……?」
「……それが、行方不明なんです。ルーナも……」
七海とは接点が全くなかったクリシュティナと言う少女であったが、赤い瞳の視線を力なく落としている彼女の姿は、その二人のことを心から思い、心配しているように見えた。
「そもそもどうして、誠次はレヴァテイン・弐をここに置いて行ったのでしょうか……?」
「――そのそもそもから違いますよ、オルティギュアの生き残り、ラスヴィエイト家に仕えるメイド」
新たな男の声は、バスケットコートを挟んだ第二体育館の中央より、二人の元へ届く。揃って振り向けば、暗闇に溶けるように、全体的に黒い色合いの服を着た長身の男が一人、立っていた。
「私の事を知っている……貴方は何者ですか?」
薄暗闇の中で声をかけてきた男への恐怖から後退る七海を庇うように、一歩前へと進んだクリシュティナが、細めた目で男を睨む。
「私の名はギルシュ・オーンスタイン。その剣は、この私が回収する予定だったものだ。どうしてここにあると分かったのかは知らないが、大人しく渡して貰おう」
「ギルシュ・オーンスタイン……」
その名を聞いたクリシュティナは、はっとなる。体育館の上部窓から射し込んだ月光によってギルシュの姿が露わになったとき、確証は得た。
「お断りします。この剣は相応しい人……誠次が持つべきものです!」
クリシュティナは攻撃魔法の魔法式を起動し、男へ向ける。
男もまた、やれやれと肩を竦め、クリシュティナへ向け攻撃魔法の魔法式を向ける。
「この私と戦おうとは、困ったものです」
「誠次の為にも……私は負けません。剣を必ず届けます! 七海さん! 私の後ろに隠れていて下さい!」
「は、はい……っ」
二人の魔術師を見守る魔法生である七海はすでに、恐怖から体育倉庫の跳び箱の影に隠れていた。
咄嗟に自分がとった行動は、クリシュティナと共に戦うではなく、自分の身の安全だったのだ。
(また私は、なにも出来ないの……?)
隠すように預かった先輩の二つの剣をぎゅっと握り締め、七海は俯いていた。
レヴァテイン・弐の冷たい鞘に胸を押しつければ、か弱かった心臓は、今は力強く、鼓動を続けていた。
~まだ、二人は夢の途中~
「志藤は七夕のお願いになにを書いたんだ?」
せいじ
「俺か?」
そうすけ
「俺はやっぱり、みんなで一緒に魔法学園を卒業したい、だな」
そうすけ
「ちょっと恥ずいけど」
そうすけ
「そんなことはない。良い夢だ」
せいじ
「やっぱり俺の夢も世界平和だ」
せいじ
「いつか”捕食者”がいなくなって、みんなが心から安心して、他愛ない日々を過ごせれば良いなと思っている」
せいじ
「魔法が完全に人の生活に利便性だけを残してくれたら、きっとみんなが笑って、幸せな魔法世界になれると思うんだ」
せいじ
「……変わらないんだな、お前は」
そうすけ
「正直、初めてお前のそれを聞いたときは叶いっこないって思ってた」
そうすけ
「……でも、今はちょっとは成長して、もしかしたらそんな夢を見られるような目の高さになれるのかもな」
そうすけ
「……って、やっぱなんか恥ずかしいな」
そうすけ
「いや全然。嬉しいよ」
せいじ
「……やっぱしんみりとか真面目な話は苦手だ」
そうすけ
「なんか締めの言葉頼むぜ、魔法世界の剣術士殿?」
そうすけ
「任せてくれ!」
せいじ
「コホンっ」
せいじ
「来年も、魔法世界の剣術士を、どうぞよろしくお願いします!」
せいじ
「いやなんかの選挙だったのかっ!?」
そうすけ




