7
今年も気づけばあと一か月。……相変わらずの時間のかけ具合で、単純計算で下手すれば完結まで大阪万博開幕の年になることに……。
ルーナの修行(?)は、夕暮れに至るまでに続いていた。
「ここは塩でしょ?」
「いいえ、砂糖です」
エプロン姿の篠上とクリシュティナに挟まれ、同じくエプロン姿のルーナは二つの白い粉が入った瓶を両手に、どうしたものかと気難しい表情を浮かべている。
「おかしい……。なぜ私は真逆の調味料を押しつけられているのだ……?」
目の前でぐつぐつと煮える鍋を前に、ルーナは困惑していた。
一方で、キッチンから離れたリビングでは、誠次と千尋がとあるRPGをしていた。
「そのレア武器……取得率が極端に低いのに、一発でドロップしただと……!?」
「そのようですね。またきらきら輝いています……」
隣に座る千尋の強運に、誠次は恐れすら感じる。本当、その気になればお金儲けが出来てしまいそうな勢いである。
千尋は複雑そうな表情を浮かべて、ホログラムテレビ画面と睨めっこをしていた。
「これがあるから、私、みんなとあまりゲームが出来ないのです……」
「確かに、これは恨まれてしまうかもな……」
本当はゲームをしたい様子の千尋に、誠次は同情していた。
「でも、協力プレイだったら頼もしいな」
「あ……はい! ゲームでも誠次くんと協力だなんて、光栄です!」
「そ、そっか。あれ……なんか焦げ臭くないか?」
微笑む千尋の視線を受けながら、やや顔を赤くした誠次が顔を顰める。
臭いを辿って振り向くと、キッチンより黒い煙とその奥から光る六つの眼光があった。
「……なんだか」「……楽しそう」「……ですね」
「三人ともそれより料理を見てくれないかっ!?」
背中からの冷たい視線をひしひしと感じながらも、しばし千尋と会話をしながらゲームをしていると、誠次にとある生理現象が起きる。
「う……」
ちらりと洗面所の方を見ても、普段ルーナとクリシュティナが使う事を考えると、とても気楽に行けそうにない。我慢しようかとも考えたが、もじもじしている姿を見られるのも恥ずかしい。
誠次は観念するように目を瞑り、軽く咳払いをしながら立ち上がる。
「す、すまない……。俺、いったん、男子寮棟に戻るよ……」
「どうされたのですか?」
立ち上がった誠次を、千尋が見上げる。
「生理現象が……」
誠次は言い辛そうに、後ろ髪をかきながら答える。
千尋もあっとなり、ほんのりと顔を赤くしていた。
「ご、ごめんなさい誠次くん……。誠次くんと遊んでいると、つい時間を忘れてしまって……」
「ここを使って構いませんよ?」
エプロンの裾で濡れた手を拭きながら、クリシュティナがキッチンから声をかけてくるが、誠次は断っていた。
「い、いや、さすがに他でするよ。女性が普段使うところを、汚すわけにはいかないし」
女子が普段使うトイレに入ることが、なんだかとても恥ずかしく思い、誠次は部屋の外へ出――ようかとも思ったが、ここは女子寮棟のど真ん中もいいところだ。
「う……っ」
男一人でなんて、迂闊に出歩けるはずがない。変な目で見られるのも嫌だった。
ドアノブに手をかけていた誠次は、ごくりと息を呑み、振り向いた。
「す、すまない……。やっぱり誰か、一緒に来てくれないか……?」
あと二十日で一七歳を迎える少年は、この歳になってトイレへの付き添いを女子に頼むのであった。
手が空いていたとのことで、付き添いはクリシュティナがついてきてくれる事になった。
「面倒くさいことをしてすまない……」
「いえ。そもそもはルーナの為に来てくれたのですから、これくらいは構いません」
クリシュティナは横を歩きながら、微笑んでいた。
七夕当日ではあるが、学生からすればクリスマスとは違って長期休暇の中の行事でなく、平日の行事の一つだ。それがたまたま今年は日曜日だっただけのことで、そこまで盛り上がってはいないのが実情でもある。同じような日にバレンタインがあるが、どちらかと言われればバレンタインの日の方が盛り上がっていた気がするのは、この年代ならではの性か。
やがて二人は、女子寮棟と男子寮棟を分け隔てるブロックにある、談話室に到着する。
「ここまで来れば平気だ。ありがとう」
「では私はここで待っています。晩ご飯、ぜひ食べにいらしてくださいね」
「分かった。楽しみにする」
誠次は談話室内でクリシュティナと別れ、そのまま談話室内のトイレへと向かう。夜も近付く時間帯の談話室はそれなりに混雑しており、男子女子満遍なく話し声が聞こえてくる。
誠次は私服姿の魔法生たちの間を通り、男子トイレへ入った。外の喧騒が嘘のように、ここは静かだ。
手早く用を済ませ、手を洗っていたところであった。がちゃりと、男子トイレに他の人が入ってくる。
鏡の前で何気なく髪型をチェックしていた誠次は、そうは思われたくなく、気まずく手を洗う振りをしようとするが、黒い視線は鏡を注視したままだった。
「え……っ!?」
男子トイレに堂々と入ってきたのが、金髪の女性だったからだ。それも、先程までルーナの部屋でゲームをしていた謎の少女、ティエラであった。
「君は、ティエラ!?」
「剣術士! 貴方がルーナを惑わせたのですね!?」
ティエラは鏡の世界の中で誠次に真っ先に近付く。
咄嗟に振り向いた時にはすでに、ティエラの顔は目と鼻のすぐ先にあり、
「惑わせた!?」
なんの事だと反論する間もなく、誠次は自分の口になにかをティエラの手によって押しつけられる。若干の湿り気と、鼻を刺すような刺激臭。押し当てられたハンカチが、ただの水に濡れたものではないことは明白で。
「がっ!? げほっ、げほっ!」
強引にティエラの腕を振りほどくが、急激に視界は曇り初め、呼吸も苦しく重くなる。
とうとう誠次は、四つん這いの姿勢で、ティエラの足下に崩れ落ちる。
(身体が、動かない……っ!?)
「なに、を……!?」
「貴方に魔法が効かない事は聞きましたわ。ただの睡眠薬ですので、ご安心を――」
頭上のティエラの声が、まるで竜に話しかけられた時のように、頭の中でがんがんと響き、遠くなっていく。
「……なん、で――」
やがて、誠次自身の意識でさえ、遠くなっていく。全身に力が入らなくなり、誠次はとうとう、ティエラの目の前で意識を失った。
「なんで、ですって……? 貴男が、この私の運命の人を変えたというのに!」
誠次の意識を奪った事を確認したティエラは、誠次の目元を手で軽く触った後、外と繫がる男子トイレの窓を開ける。
「さあルーナ……。天の川で会いましょう」
吹き込む風を全身で浴びながら、ティエラは夜空に眷属魔法の巨大な魔法式を展開していた。
一方その頃。談話室で一人ぽつんと残っていたクリシュティナは、自分の髪を何気なく触ったり、周囲をきょろきょろと見てみたり、どこか落ち着かない様子でいた。
「誠次の好きな食べ物、訊いておくべきでしたね……」
思えば、初めてルーナ以外に個人を想って作るかもしれない。それで彼が喜んでくれるのならば、その姿を想像しただけで自然と頬が緩んでしまい、クリシュティナは慌てて首を左右に振る。
……もしも兄が見ていたら、呆れられるところだろう。
「――あれ、えっと、くり、くり……」
「クリシュティナです」
「そーそークリシュティナちゃん!」
クラスメイトならともかく、他クラスの魔法生には、相変わらず名前をよく噛まれたり、間違われたりする。
今日もまた、近付いてきた他クラスの男子に名前を噛まれていた。そんなに言い辛いのだろうか。
「一人でなにしてんの?」
「人を待っています」
「あーお姫様?」
「いえ、天瀬誠次です」
「なんだ、天瀬か」
男子はどこか決まりが悪そうに、髪をかいていた。
「男子トイレに向かったはずなのですけど、結構時間が経っているようでして……」
「そっか。俺、見に行ってやろうか? あんまり女の子待たせんなって」
「いえ、もう少し待ちたいと思います」
「健気だ……」
これくらいで健気と言われてしまうのかと、少しだけ驚きながらも、「お気遣い感謝します」とクリシュティナは頭を軽く下げていた。
声をかけてきた男子生徒が去り、またしてもクリシュティナは一人で誠次を待ち続ける。
「それにしても、随分と遅いですね……」
一向に姿を見せない誠次を見つけようと、談話室の中を見渡しても、彼の姿は見つからない。
今まではなかなか会えないでいた兄に対して抱いた、淋しいという感情も、今では彼を相手にした時に最も持つようになっていた。胸の前で束ねた髪をくるくると指で遊ぶようにして回し、クリシュティナは俯く。
「? 電子タブレットに連絡が……」
誠次かとも思ったが、違った。メールの差出人の欄を見たとき、クリシュティナは小さく動揺する。
「お兄様……?」
ミハイル・ラン・ヴェーチェル。国際魔法教会に務める幹部で、マンハッタンの戦いでの功績を認められ、また昇格したらしいというのは聞いていたが。普段ならば絶対に連絡を寄越しては来ない兄からの確かなメールに、クリシュティナはまず驚いていた。
なにか触れてはいけないものを触れるような繊細な手つきで、電子タブレットのホログラム画面をそっとタッチする。
「ギルシュ・オーンスタインに、注意しろ?」
ミハイルから送られてきたメールには、確かにそう書かれていた。
微かな笑みを湛えている彼の、国際魔法教会の制服姿の写真と共に。
※
夏の温い風に頬を撫でられたような気がして、誠次は意識を取り戻す。
茜空の下、周囲の状況が分からない程ではない。まず自分は外にいること。そして高いところ――ビルの上にいること。そして背中の後ろで手を縛られ、その紐さえ背後のなにかに固く結びつけられて解けない状況だ。その場で身体を動かすことは最低限出来るが、立って何処かに行くことも出来ない。
最悪の寝起きの気分と言ってもいい、がんがんと痛みが鳴る頭は、吹き付ける風によってはっきりと、気を失う直前の記憶を取り戻していく。
「ティエラか……。一体なにをする気だ!?」
懸命に手錠からの脱出を試みるが、縄に魔法を使ったのか、一ミリたりとも太い紐は動いてくれそうにない。
そして、腰と背中に装着していたレヴァテインも、鞘ごとなくなっていた。
「――まずは手荒な真似を謝罪いたしますわ、天瀬誠次」
ティエラの声はすぐ後ろから聞こえた。
首だけで振り向けば、ティエラはこちらを涼しげな表情で見下して、立っている。
その姿は、直前に見た姿とは、少し違っていた。
へそ周りが空いたアンダーウェアに、黒色のフード付きのローブマントを羽織っている。微かに見覚えがあると思えば、かつてルーナが敵として立ち塞がった際の戦闘装束に似ている。違うとすれば黒を基調とした色と、ルーナが騎士ならば、ティエラは死神の装束のようだ。
「なにが目的だ? 縄を解け!」
「ふ。貴方を捕らえた意味もなく縄は解きませんわ。でもご安心を、天瀬誠次。貴方に危害は加えませんわ。……ルーナが大人しく私の言うことに従って下さる限りは」
「ルーナ。……やはり、狙いはルーナか?」
「その通りですわ。貴方はルーナを誘き出すための餌になってもらいます」
「国際魔法教会の手の者か!?」
誠次が声を張り上げるが、ティエラはきょとんとした表情を見せていた。
「違いますわ。どうして国際魔法教会がルーナを誘き出さねばなりませんのか、甚だ理解出来ませんですけど」
「あの二人は国際魔法教会によって操られていた。国際魔法教会が二人を取り戻そうとするのは、おかしい話じゃない」
「国際魔法教会がそんな野蛮な真似をするはずがありませんわ!」
ティエラはビル風を浴びて、髪を軽く撫ではらう。闇夜に輝く紫色の瞳には、一切の迷いの色も含まれてはいないように、澄んだものだった。
この娘も国際魔法教会を心から信じている……。誠次は懸命に、首を左右に振る。
「かつてはルーナも、君のように国際魔法教会を信じていた! でも今は、ヴィザリウス魔法学園の一人の魔法生としての日々を望んでいる。頼む! 彼女に手出しはしないでくれ!」
「あり得ませんわっ!」
ティエラの叫び声が、誠次の鼓膜を震わせる。
「唯一私を倒した誇り高き竜騎士の彼女が、あのような学園生活を送る事を望むなんて……」
「彼女は国際魔法教会に操られてきた。君がガンダルヴル魔法学園で見ていたルーナは、本当のルーナではない。今のヴィザリウス魔法学園にいるルーナこそが、本来の彼女なんだ」
誠次は項垂れるようにして、呟いた。
「みんなと同じように日々を過ごし、怒ったり、笑ったり……。確かに彼女の身分は、例え国を失っていたとしても姫であることに変わりはないのかもしれない。けれど、同時に同じ魔法生として日々を過ごすことは出来るはずなんだ!」
「え? ……国を、失っていた……?」
ティエラが動揺するように、一歩後退っている。
「ルーナの祖国でもあるオルティギュア王国の国民は、”捕食者”によってすでに全滅していた。ルーナもクリシュティナもそれを知って……それでも前を向くと決めたんだ」
「ルーナが、姫……!? いえそれよりも、なぜ貴男が……ルーナのそんなところまで知っているのです!? 貴方はルーナのなんなのですか!?」
ティエラが軽蔑するように、誠次を睨みつける。
「……っ」
誠次は視線を落とし、それでも逡巡した後、答える。
「クラスメイトで、大切な仲間の一人だ。君こそ、何者なんだ?」
「私は……クエレブレ帝国皇女にして、ルーナのライバルです。ルーナをこの手で倒さなければ、国へ帰れません!」
「それは恨みか?」
「違いますわ。誇りです!」
ティエラは胸を張り、宣言する。
なにも出来ないでいる誠次は、悔しく歯を噛み締める。
「私を説得しようとしても無意味ですわ、天瀬誠次。ここ、どこか分かって?」
「ビルの上、じゃないのか?」
見渡しても、微かに星が見え始める茜空が見渡せるだけで、それ以外はなにも見えない。
対し、ティエラは不敵に微笑んでいた。
「ここはヴィザリウス魔法学園。中央棟の屋上ですわ」
「なんだと……!?」
誠次は思わず身体を震わせる。ヴィザリウス魔法学園の敷地内で一番の高度を誇る棟の屋上。当然登ったことはなく、初めて来る場だ。せめて後ろ手で避雷針に縛り付けられている状態で、ここにいたくはない。
「逃げ場なんてありませんわ天瀬誠次。貴男には最高の舞台で、私とルーナの私闘を観戦してもらいます」
「よせ! ルーナがこんな戦いを望むはずがない!」
「それはルーナが決めることです! 姫だったというのであればそのプライド、彼女にもまだあるはずです!」
ティエラとの押し問答の最中でも、誠次はどうにかして拘束から逃げだそうと、手首を尻の後ろで懸命に動かす。しかし、どうにもなりそうにない。
ならばと誠次は、必死にティエラの説得を試みる。
「ただ争う事が国を治める者の誇りだと? プライドだと? そんなのは絶対に間違っている! 君も国際魔法教会に操られているんだろう!?」
「なにを仰っているんですの!? 国際魔法教会はこの魔法世界に平和と安定をもたらせる唯一無二の存在ですわ!」
それに、とティエラは、ほくそ笑む。
「私は何よりも、私の意思でここにおりますの。ルーナに勝利し、私は正真正銘無敵の皇女として、クエレブレ帝国に胸を張って戻りますわ」
「武力による争いの果ての勝者が治める国に、未来などない……。真に民を導くべきは、その威光を振りかざす者ではなく、共に歩もうとする者だけだ……」
誠次が自然と頭に浮かんだ言葉を述べると、ティエラは一瞬だけきょとんとした表情を見せる。
「……ふふ。皇女でもなければ王でもない、ただの一般人のくせに、まるで一国を治める王様のような事を言うのですね」
星と月の気配を感じる空からの風を浴びながら、ティエラは遙か遠くを臨んでいた。
「自分の誇りの為だけに戦うのか……」
「ええ。誇りこそが、私の、皇女の戦いの理由。……ルーナだって、きっと……」
ティエラは胸に手を添え、祈るように呟いていた。
このままでは埒が明かない。と誠次は、周囲を見渡す。
「俺の剣……レヴァテイン・弐は何処にやった?」
「貴方の武器は隠しましたわ。剣がなければ、貴方は魔法が使えないただの男の人と、あの方が仰っていましたから」
「あの方?」
「貴方が知る必要はありませんわ」
ティエラはそこまで言うと、瞳を閉じて髪を払う。洗礼された動作で、それを見た誠次のくちびるは硬直していた。
しばしの沈黙の後、そよいでいる程度であった生温い風が、一陣のつむじ風を伴って吹き起こる。まるで竜の怒りの咆哮のように、全身が吹き飛ばされるかとも思うほどの、衝撃であった。
「――誠次っ!?」
ルーナの声がしたかと思えば、彼女は屋上の縁の上に、白い月を背にして立っていた。さすがと言うべきか、すぐ後ろは八階建ての遙か下の地上だというのに、ルーナはまるで風を纏うようにして、悠然と立っている。
「ルーナ、すまない……!」
捕まってしまっている状況が情けなく、誠次はルーナを見つめ、俯く。
「ファフニールが教えてくれた。誠次がここにいると……」
ルーナは細めたコバルトブルーの瞳を、誠次の横に立つティエラに向ける。
「せっかく作った晩ご飯が冷える! 冷めないうちに一緒に食べるため、誠次は返して貰うぞ!」
「ご飯って……まさか、貴方が手作りしたというのですの!?」
「ああその通りだ。だから私は今、エプロン姿なのだ!」
仁王立ちをするルーナは、制服の上にエプロンを着たままであった。
「あ、そんな……あのルーナが、殿方に料理を作るだなんて……」
「私の今の姿を見て羨望するのも幻滅するのも勝手だ。が、彼を巻き込まないでくれ!」
失敗続きの料理で汚れてしまったエプロンを身体から解きながら、ルーナは言う。
「ふふ。こうまでして無関係者なわけがないでしょう?」
ほくそ笑むティエラは、右手を誠次へ向け、雷属性の黄色い魔法式を発動する。
「やめろ!」
ティエラがなにをする気なのか、一瞬で悟った様子のルーナが、エプロンを空中に投げ捨て、ティエラと同じく攻撃魔法の魔法式を発動。照準は、誠次に右手を向けるティエラであった。
「では私と本気の勝負をいたしてくださいません、ルーナ? 断った場合は、この男を私が傷つけますわ」
「……卑怯なっ」
ルーナは歯軋りをするようにくちびるを歪ませ、誠次をちらりと見る。
「俺は平気だルーナ! 魔法は効かない!」
「し、しかし誠次……っ」
「残念ですが、属性魔法は効くと言うことはすでに知っていますわ」
「……っく」
ティエラにはこちらをよく知る協力者がいるようで、些細な嘘はすぐに看破される。
「ルーナ! 構わず八ノ夜理事長を呼べ! あの人ならこの状況をすぐに理解できる!」
「人質はお黙りなさい! 《パルス》!」
とうとうティエラが雷属性の魔法を発動し、誠次を中心に青白い電流を発生させる。空気が音を立て、その最中にいた誠次は、身を刺されたかのような猛烈な痛みを感じ、悲鳴をあげた。
「ぐあっ!」
「誠次!?」
ルーナが一歩前へと進み出るが、ティエラが前に出した左手が、それを制する。
「おわかりになって? ルーナ。下手な動きをすれば、この人質は――」
「……ルーナ、俺は――」
「なにも言うな誠次! 分かった! 勝負に勝てば、誠次は解放してくれるのだろう!?」
ルーナは誠次の言葉を遮り、大きな声でティエラに確認するように訊く。
「ええその通りですわ、ルーナ」
ティエラは誠次への魔法式を解除し、全身をルーナへと向ける。
「その勝負……受ける!」
決心したルーナは、見ただけで恐れを抱くほど鋭い眼差しで、ティエラを睨む。
「それでこそですわ、ルーナ!」
ティエラは嬉々とした表情で、天高く右腕を掲げる。
伸ばした細長い腕から、白く輝く超巨大な魔法式が、回転をしながら展開されていく。膨大な量の魔法元素が収束することにより発生した風が、この場の三人の髪を一斉に巻き上げていく。
「この魔法元素の量……これは普通じゃないっ!」
驚く誠次は、黒い目を大きく見開く。
「誠次! 今助ける!」
――彼女には、その魔法式がなにを意味するものなのか、分かっていたようだ。ルーナもまた、天高くへ向け、ティエラと同じく超巨大な魔法式を展開する。
「招来せよ、ニーズヘッグ!」
「飛翔せよ、ファフニール!」
両者の掛け声と共に、完成した魔法式から飛び出したのは、二体の竜であった。
「あの竜は……昨夜俺とファフニールを襲ってきた竜!?」
「貴様も竜使いだったのか!」
ルーナが吠え、ティエラは自信気に頷く。
「ええそうですわ! これでこそ、貴女のお相手に相応しいでしょう!?」
ティエラは後方へ高く跳躍し、ニーズヘッグの背中へと飛び乗る。
ルーナもまた、上空へ身を踊らせるようにバク宙をし、背後に控えていたファフニールの背に飛び乗る。
二体の竜が星空の下で睨み合う荘厳な光景を、誠次はまざまざと見せつけられる。
「人質を取っておいて、相応しいもあるものか!」
ルーナの乗るファフニールが、主人の心情を表すかのように、口内に怒りの火炎を滾らせる。
「ここで戦う気ですのルーナ?」
対し、ニーズヘッグに跨がるティエラは、余裕そうにほくそ笑む。
「あの男が捕らえられている場所をよくご覧になって?」
言われ、誠次も紐が括り付けられている背中の冷たい棒の存在を察知する。それは細長く、天に向かう槍のような建造物であった。
「避雷針か……!」
ルーナが直感して、呻く。
そして、ティエラが操るニーズヘッグの口内では、青白い電流が迸っていた。
「ここで戦えば、間違いなくあの男は感電しますわ。これは貴女にヴィザリウス魔法学園から援軍を寄せ付けない為の、私の作戦でもありますの。分かったのなら、場所を移して戦いましょう? 勿論、一竜討ちですわ」
「……っく!」
ルーナは悔しそうにくちびるを噛み締めていた。
「誠次! 私は必ず勝って、君の元へ戻ってくる! 私は必ず君を守るっ!」
「気をつけろルーナ! これは向こうの土俵の上だ!」
「心得ている!」
ルーナが乗るファフニールが翼を広げ、天高く舞い上がり、こちらに背を向ける。
それを追う形で、ティエラの乗るニーズヘッグも、漆黒の翼を大きく広げ、茶褐色の竜を追っていった。竜に乗る二人の姫が宙を舞う。
「っく、早くこの紐を何とかしないと。せめてレヴァテインさえあれば……!」
焦る誠次は、どうにかして紐を解こうと、躍起になって手首を動かす。頭上で煌々と輝く星たちが、夜の色に変わりつつある空中で舞う二体の竜を見守っているようだった。
※
「うーん。やっぱりどこにもありませんねえ」
東京都内の病院の三階の一室。そこでは看護師と七海が、必死に本を探していた。
「ごめんなさい。忙しそうなのに手伝わせてしまって……」
ティエラがいたはずの病室で、七海は申し訳なく頭を下げる。
「いいのいいの。七海ちゃんはここの病院で育った可愛い娘みたいなもんだから。お姉さんがよく貴女が寝るまで傍にいたこと、忘れちゃった?」
「お、覚えていますけど……」
昔の事を言われ、七海は思わず赤面し、目も合わせられずに俯く。
「それにしても、ティエラさんどこ行っちゃったのかねー? 療養中にいなくなるなんて前代未聞だわ」
「……きっと、私のせいなんです……」
七海は俯いたまま、力なく言う。
七海と知り合いの看護師は、そんな彼女の華奢な肩を、ぽんと叩いていた。
「奥手なところは昔から変わらないんだね、七海ちゃん。せっかく魔法学園に行って良いって事になったのに」
「……」
「私はそれでも、優しい貴女が大好きだけどな。病院でみんなのために本を配ったりしてくれて、みんな七海ちゃんの事が大好きだと思うよ」
七海は微かに視線を持ち上げる。
看護師の女性はにこりと、微笑んでいた。
「……一人で、もう少し探してみます。ティエラさんが、何も言わずにいなくなるような悪い人には、思えませんから……」
「うん。さてと、私もちゃんと働かないとなー」
そう言って顔見知りの看護師は、大きく伸びをする。普段から激務なのだろうか、よく見る光景であった。
「子供の頃は白馬の王子様が来ないものかと思ったけど、お姫様じゃないんだし、自分からがつがつ行かないとね!」
「……」
差し込む西日の最期の眩しさに目を細め、七海はここへ置いてきたはずの本の捜索を続けていた。
~一方その頃、雷の下では~
「ええと、お魚には下味を付けてと」
ちひろ
「このっ、こいつっ!」
あやな
「お野菜はあく抜きをして、と」
ちひろ
「はあっ!? NPCのくせに生意気ねっ!」
あやな
「ええと、この次はどうすれば良いのでしょうか綾奈ちゃん?」
ちひろ
「ええと……ローリング!」
あやな
「ろーりんぐ……? ハーブの一種でしょうか……?」
ちひろ
「ローリエは聞いたことがあるのですけれど……」
ちひろ
「そして、次に連撃!」
あやな
「れんげき、れんげき……レンコンですね!」
ちひろ
「……って、なんで私たちがルーナとクリシュティナの部屋にずっといるわけ!?」
あやな
「なんでみんないなくなってるの!?」
あやな
「そう言えば、みんな戻って来ませんね」
ちひろ
「一体なにしているのでしょうか……」
ちひろ
「あーもう集中できない! ……早く私と戦いなさいよねあの馬鹿……」
あやな
「こうなったら探しに行くわよ、千尋!」
あやな
「はい。今、鍋の電気落としますね!」
ちひろ




