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リミックス勢ですが来年一月に発売予定の夢と魔法の国のRPGが心から楽しみで、ランドよりはシー派な作者の一言「ハッピーエンドだと嬉しいのと、ロ〇サス二刀流の格好良さは異常」
オルティギュア王国の名物がオーロラだった事と、ラスヴィエイト姫と、黒い竜……でも、起きている。
東京の夜空に、二体の竜が激しく舞う。一体は、少年を乗せた茶褐色の竜。そしてもう一体は、正体不明の黒竜。
黒竜が口で蓄えた目に見える青白い電流は、奴が顔を上げたと同時に、放たれる。ジグザグな軌道を描きながらそれは、ファフニール目がけて突き進んだ。
「来るぞ!」
「分カッテイル!」
ファフニールは誠次を背に乗せたまま、翼を閉じて急降下を開始する。
ジェットコースターなど比ではないほどの凄まじいGが、誠次の全身に容赦なく襲いかかる。
「ぐうっ!?」
後方の黒い竜から放たれた電流は、誠次とファフニールの頭上を掠めて行き、夜空に広がり始めていた分厚い雲を突き破って進んでいく。それはまるで、天に逆らうように向かう雷のようであった。
「無事カ小僧!」
「なんとか! あの黒竜はなんだ!?」
一瞬で蒸発した雲を見つめ、あの雷撃を喰らえばひとたまりもないだろうと、誠次の全身は強張る。
「マダ分カラヌ。ガ、我ト同ジ種デアルコトハ確カダ」
ファフニールは蛇のようにして身体を反らし、夜空を蛇行するように突き進む。
「シッカリ掴マッテイロ小僧!」
「ああ!」
一瞬でも気を抜いたり、手を滑らせてしまえば、自分の身体は高度何百の高さの世界から真っ逆さまに落ちていき、冷たい地上のコンクリートによって、間違いなく肉片となってしまうことだろう。
急に目の前にビルが迫ってきたかと思えば、ファフニールは両翼を大きく広げて急停止をし、右へ逸れて衝突を躱す。そのたびに誠次の全身には凄まじい量のGがかかり、誠次はうめき声を上げて堪え続ける。
一方で、こちらを襲う黒竜は、ファフニールが通ったルートをなぞり、急速で接近している。
「飛びにくそうだな!?」
「小賢シイ人間共ガ遠慮ナク建テテクレタビルノオ陰デナ」
忌々しそうに言うファフニールの影が、左右に聳えるビルに奔る。直後、後方の竜から放たれた雷撃が、誠次とファフニールの真横を通り過ぎていく。
真横を流れていった黒竜の雷撃は、日本の首都東京のタワーマンションの横を運良く通り、青黒い虚空へと消えていく。
しかし、このままこの高度で戦っていては、いずれ街に被害が出ることは明らかだ。
「……っ!」
”捕食者”の魔の手から逃れ、今も多くの人が強く生きる眼下の街を眺め、誠次はとある決断をする。
「このままじゃ街に被害が出るかも知れない。高度を上げてくれ! ビルよりも高く!」
「正気カ!? 狙イ撃チニサレルゾ! ソレニ雲ノ上ノマイナス温度デハ、脆弱ナ人ノ身ノ貴様ノ身モモタナイデアロウ!」
「心配は無用だ! 極北の竜騎士が乗れたんだ。極東の剣術士が乗れたって、おかしくはないだろう!?」
「……抜カセ小僧。ドウナッテモ知ラヌゾ?」
「上等だ!」
誠次はそう叫び返すと、今のうちに片手を背中に回し、レヴァテイン・弐を抜刀する。
直後、全身が千切れるかと思うほどの突風が吹き寄せ、誠次は歯を食い縛り、ファフニールの鱗に左手だけでどうにかしがみつく。
「ぐああああっ!」
「小僧ッ!?」
「構うなっ! 平気だ!」
すでにファフニールは星空目掛け、急上昇を開始していた。
それを見た後方の黒竜も、大きな口を開け、再び雷撃を発射する構えを見せる。
ひとたび高度を上げれば、遮るものは何もなく、誠次とファフニールは文字通りただの的と化す。黒竜の口から放たれた雷撃が、一直線の軌道を描き、星空を背景にした誠次とファフニールに向け迫り来る。
「来タゾ!」
「分かっているっ!」
誠次は右手に握ったレヴァテインを構え、雷撃を受け止めようと試みる。
「ぐっ!?」
目の前まで迫った青白い電流が、誠次が振ったレヴァテイン・弐に直撃し、スパークを発生させた。
しかし、レヴァテインが押し負ける事はない。黒い竜が放った雷撃を、レヴァテインは切り裂き、星屑へと変えていく。金属でもなければ、一切の電気を遮断する物質であるレヴァテインが功を奏した。
しかし、そう何度も受け止めきれる自信はない。
「現状を打開する。ファフニール! あの竜へ近付いてくれ! 飛び移る!」
「正気カ小僧?」
「このまま逃げ回っても、俺を乗せている分不利なはずだ! だったらこちらから仕留める他ない! いずれにせよ向こうは諦めてくれる気はなさそうだ!」
何かの執念すら感じさせるほど、後ろをぴったりついてくる黒竜を睨み、誠次はファフニールに言う。
ファフニールは爬虫類のそれに似た瞳を誠次へ向けると、再び前を向く。雷撃はその際も容赦なく放たれ、誠次はそれらを全て弾き返していた。
「合図ヲ送ル。……上手ク行クトハ思ワヌゾ?」
「やらなきゃこっちがやられる!」
誠次は後ろを睨み、黒い竜との距離を確認する。
二体の竜が雲を突き破り、雲海の世界にまで上昇する。雲の水滴も浴びながら、体感温度はみるみるうちに下がり、真夏の夜に誠次は白い息を吐いていた。
ファフニールが雲の筋を両翼で描いて旋回し、黒い竜とここで初めて向き合う姿勢をとる。
「……若イナ。ソレデイテ我ヨリモ素早ク、力モアル……」
刺々しい口に火炎を滾らせ、それを黒い竜へ向けて放つ。
背中にいるのに熱を感じるほどの灼熱の炎は、水分を多いに含んだ雲を蒸散させながら突き進む。摂氏千度を優に超える炎もまた、喰らえばひとたまりもないだろう。かつて対峙したときにルーナはそれでも何ともなく乗りこなしていたあたりは、さすがと言うべきだ。
対する黒竜は、炎を避けるように身体を捻り、瞬く間にこちらまで接近してくる。
「ヨモヤアノ竜……」
「知り合いか?」
「マダ確証ハナイ」
その場で滞空するファフニールの横を素通りし、黒竜は更に高く上昇。かと思えば、急旋回を開始し、ミサイルのような挙動で真っ直ぐこちらに急降下しながら向かってくる。まるで、黒い流星が星と共に墜ちてくるようであった。
「来ルゾ!」
「速いな……!」
「一瞬ダケ奴ノ動キヲ封ジル!」
ファフニールからそんな事を言われれば、誠次は生唾を飲み干して頷く。
「俺はいつでも行ける! 頼むぞファフニール!」
誠次の返事を受け、ファフニールはその場で両翼を大きく広げ、扇ぐ。たちまち、漂っていた雲が動き出し、ファフニールと黒竜の間に靄を作り出す。
急速接近をしていた黒竜は、ファフニールのすぐ近くにまで到達すると、同じく両翼を広げて急停止し、何かを叫ぶように吠える。その姿形は違えど、大きさは同じくらいであった。
ファフニールは咄嗟に、翼の根元にある両腕を伸ばし、黒竜の胴を至近距離で鷲掴みにする。当然、ファフニールを振り解こうと黒竜は暴れまくる。
「今ダ!」
「――っ!」
強張る全身の力を強引に抜き、誠次はファフニールの背から飛び出す。
「そこだっ!」
雲の狭間で暴れまくる黒竜の巨大な身体を通過する直前で、誠次は右手で掴んでいたレヴァテインを黒竜の背中に突き刺す。
レヴァテインは容易く黒竜の背中に突き刺さり、誠次はそれの柄に必死に掴まり、浮いた姿勢のまま左手を腰に回す。
黒竜への空を跨いだ無理やりの騎竜。黒竜からすれば、背中に衝撃的な痛みが突き刺さったのを感じたに違いない。悲鳴のような雄叫びを上げ、まるで背中の害虫を取り払うように、より激しく上下に動き出す。
これにはさすがのファフニールも抑えきれず、誠次を残して黒竜から一旦距離を取り、上昇する。
「暴れるなーっ!」
右手だけで黒竜と繫がる誠次は、何度か空を掴んだ左手でようやく、腰にあるもう片方のレヴァテインの柄を握る。すぐさまそれを抜刀すると、黒竜の鱗だらけの背中に、思い切り突き刺す。
二度目の衝撃が、黒竜の背に奔ったはずだ。
「うおおおおーっ!」
殆ど腕の力のみで全身を引き寄せ、誠次はとうとう、黒竜の背中に両足をつける。
「貴様は何者だ!? 何故俺たちを狙う!?」
ファフニールと同じく言葉が通じるかも知れないと、黒竜に向け声をかける誠次であったが、返ってきたのは頭が割れんばかりの頭痛であった。
「ぐあっ!? 頭がっ!」
顔を顰める誠次であったが、レヴァテインを掴む手を頭に添える余裕はない。おそらく、竜が何かを言って来ているのだろうが、ファフニールのように聞き取ることが出来ない。
散々暴れ回った黒竜は、誠次を振り払う事は不可能かと判断したのか、垂直の上昇を開始する。
「小僧! 気温ノ低下デ死ヌゾ!」
ファフニールの警告の声が耳朶を打ち、誠次は身震いを実感する。それは死への予感と、体感温度がすでにマイナスの世界へと至っている事によるもの、両方が原因であった。
「この、まま……! 貴様の、思い通りになるとは思うな!」
意を決した誠次は、両手で握っていたレヴァテイン・弐を、同時に黒竜から引き抜く。そして同時に、両脚で黒竜の背中に思い切り踏み付け、反動をつける。
身体が再び自由になったたった僅かな瞬間に、誠次は雲海上の世界でレヴァテイン・弐を連結させ、宙返りをする。
目を見開けば、上昇していく黒竜の下半身が、誠次から見て真下へ落ちるように進んで行っており――。
「喰らえっ!」
反転した姿勢のまま誠次は、レヴァテイン・弐を突き出し、黒竜の背を再び貫く。
黒竜は先ほどと同じような咆哮を上げ、天高くを目指していた躯を震わせる。
「今だ、ファフニール!」
「――喰ラエ!」
落下していく誠次の後方より、ファフニールが吐いた火炎が迫り来る。それは誠次の真横を通り過ぎ、躯を丸めるような動きを見せる黒竜に見事、直撃する。
焦げ臭い臭いに鼻を顰めていると、
「掴マレ!」
続けざまにファフニールがやって来て、誠次へ向け胴体と比べて短い腕を伸ばす。
白い息を吐ききった誠次は、弛緩しきった腕をどうにか伸ばし、ファフニールの手――指先一本をどうにか掴み返す。
「や、やったか……」
凍える誠次のレヴァテイン・弐とファフニールの炎の直撃を受けた黒竜は、断末魔の雄叫びをあげながら、満月を背景に魔素の粒子となって消滅する。
「マッタク。随分ト無茶ナ真似ヲスル」
「俺と、お前が力を合わせた結果だ……」
竜の熱を感じ、どうにか体温をとり戻した誠次がファフニールを見上げると、何処か満足そうに、ファフニールは鼻を鳴らしていた。
「シカシアノ竜……」
「最後は魔素になって消えていった。お前と同じ、誰かの使い魔だったのだと思う」
「竜使イガモウ一人カ?」
「おそらくな。この東京に、いる……」
そこまで言うと、誠次はぞわりと、ファフニールの腕に抱かれている身体を震わせる。再び、半袖の制服の身体に、尋常ではない寒気が襲いかかってきたのだ。
「寒……っ」
両手で身体を抱き締めるようにしていた誠次に、ファフニールがぼそりと声をかける。
「口ノ中ニ入ルカ? 温カイゾ」
「勘弁してくれ……」
誠次はファフニールに運ばれ、ヴィザリウス魔法学園の中庭まで無事に帰還する。急な戦闘を乗り越えた身体はようやくまともな体温を取り戻し、怪我もなかった。
「先ホドノ竜ニツイテダガ、一ツダケココロアタリガアル」
誠次を降ろしたファフニールは、足下に立つ誠次を見下ろしながら言う。
月の明かりを背に、荘厳と立つファフニールを見上げ、誠次は目を瞬かせた。
「怒リニ燃エテウズクマル者。裏切リノ雷ヲ司ル黒竜――ニーズヘッグ」
「ニーズヘッグ?」
「左様。彼奴ハ竜ノ中デモ唯一、人間デハナク神ニ味方シタ裏切リモノダ」
「旧魔法世界では、竜は基本的に、人間側についていたのか?」
少々意外な気もしつつ、誠次はファフニールに訊く。主であるルーナを除く人間が嫌いなファフニールの性格からすれば、竜は神と共に戦うようなイメージがあるが。
「簡単ナ話ダ。人間ハ竜ト共ニ歩モウトシ、神ハ自分ノ種ノミノ繁栄ヲ望ンダ。竜ガドチラニツクカハ、明白ダロウ」
「そうだったのか」
人間と共に戦っていたという竜の中でも神についた裏切り者、それがニーズヘッグ。ファフニールの見解が当たっているとするのであれば……、
「やはりルーナと同じ、竜の使い魔を使役する魔術師が近くにいるということか」
「ソウナルナ。ソシテ、我ト小僧ノ命ヲ狙ッタ。身ニ覚エハナイカ?」
「竜に恨まれるような事なんて、身に覚えがなさすぎる」
「デアロウナ」
訊くまでもなかったか、とファフニールもやや顔を上げる。
「ともかく、またいつ襲われるかも分からない。俺はこのことを八ノ夜理事長に伝えておく。ファフニールはルーナへ今回の件を伝えておいてくれ」
「アイワカッタ」
ファフニールは軽く頷くと、次の瞬間。巨大な躰を白い魔素の粒子へと変えて、夜空の星の一部になるようにして消えていく。
「――小僧」
消滅の途中で、ファフニールが声をかけてくる。
「どうした?」
「今宵ハ助カッタ。我一体デハ危ウイトコロデアッタダロウ」
プライドが高い竜より送られた言葉は、まさかの感謝の言葉であった。
硬直しかけた誠次は、殆ど慌てて言葉を返す。
「い、いや。俺こそ助かったよ。逆に俺がいたから、戦いづらかっただろう?」
「……否。我ヒトリデハ、オソラク怪我デハスマナカッタデアロウ」
珍しく素直であったファフニールに、誠次は調子悪く、後ろ髪をかいていた。
「そうか。役に立てたようでよかった。一緒に戦ってくれてありがとうなファフニール」
「当然ダ。貴様ガ死ネバ姫ガ悲シム」
「やっぱりそっちだったかっ!」
何処までも主思いな竜に、誠次はずこっ、とよろめく。少しだけ、期待はしていたのだが、ぶれない竜である。
「相変わらずなんだな、お前は。言っておくが、俺だってルーナを守りたい気持ちは、お前にも負けていない」
「フ。人間ノ分際デホザクナ。姫ハ充分強イ」
「そうだったな。なら、一緒に助け合っていくよ」
「……デハマタ会オウ小僧」
「ああ、またなファフニール」
残っていたファフニールの凛々しき顔も、星屑となって夜空に溶けていく。
綺麗な光景に思わず見とれてしまっていた誠次は、すぐに我に返り、中央棟の理事長室へと向かうのであった。
「――堂々と夜の外に出て、謎の黒い竜に襲われるとは。何とも情報量が多すぎる話だな」
着崩した理事長服姿で、黒革の椅子に座っていた八ノ夜は、誠次の報告に頭に手を添える仕草をとる。
「お前の実力を認めてはいるが、好き勝手に夜の外に出ていいとは言っていない」
「申し訳ありません……」
竜に乗って夜空を飛ぶという体験に心を惹かれていたのは紛れもない事実であり、誠次は頭を下げる。
「まあ誰かに見られて問題になるよりはいい。しかし黒い竜か……」
八ノ夜はあごに手を添えて、考える。
「”捕食者”の変異体というわけでもないようです。ルーナさんの使い魔のファフニールによると、ニーズヘッグという竜の可能性が高いと」
「神話話のオンパレードだな」
八ノ夜は吐き捨てるようにして言う。そして次には、何かを値踏みする時のような真剣な眼差しで、八ノ夜は誠次をじっと見つめる。
……不思議だった。このサファイア色の瞳は、十年以上も見てきたというのに、まるで初めて見たときのような錯覚を味わっている。この目の前に立ち、自分に魔剣を与えた魔女は別人、ではないはずだ。
「天瀬。……本当に旧魔法世界なんて、この世にあったと信じているのか?」
「……ファフニールは、確かにあったと言っていました。その世界の文明では、今よりも魔法を使った技術が発展していて――!」
「冷静に考えろ天瀬!」
ぴしゃりと、言葉を師に遮られ、誠次は思わず口を噤む。これは、子供が親に大声で急に叱られた時の反応に近い。
「もしそんな世界があるとすれば、それは人間の歴史を大きく変える。あまつさえ今までの人の歴史を否定することになる。……お前は私たちが歩んだ人間の歴史を否定して、たった一体の竜の言葉を信じるのか?」
「……っ」
対し、誠次は持ち上げた右手で、自分の頬をさする。今でも、ルーナと戦い敗れた際に見た夢の感触は、微かに残っていた。
――そしてなによりも。今もある背中と腰の一対の剣の重みと存在が、誠次の思考に確信をもたらす。
「この俺が身につけた魔剣が、なによりもの証拠だと思います。この魔剣は異常で、この世のものとは思えません。そして……それを扱う俺も……」
「……」
今度は八ノ夜が押し黙る番であった。
誠次は黒い眼差しを、八ノ夜へ真っ直ぐと向ける。
「この魔剣レヴァテインは元々貴女が渡してきたものです。それを扱う事に今更迷いなんてありません。貴女こそ、知っているのではないのですか?」
「……そんな世界など、知らない。あってなるものか」
僅かばかりに怒気を纏った声音が、八ノ夜から発せられる。
しかし次には、八ノ夜は申し訳なさそうに、長いまつ毛の下の瞳の視線を落とす。
「……すまないな天瀬。つい、感情的になってしまう。これではお前の師失格だな」
「そ、そんなことは……。俺は、貴女に命を救われた身です。そして、今の俺がいるのも貴女のお陰です。貴女のことを、信じています。今までも、これからも……ずっと」
誠次は落ちそうになる黒い視線を持ち上げながら、答える。
気づけば、かつて自分を救ってくれた一〇歳上の偉大な魔女は、かつてはその憧れの姿を見上げるしか出来なかった女性は、今や同じ目の高さで、目と鼻の先にいた。手を伸ばせば、彼女の全てが今や、手の届くところにある。
「八ノ夜、さん……?」
そこにあった、いくつ歳をとっても変わらないような奇麗な顔立ちは、まるで自分が子供のころに戻ったような、妙な錯覚を味わう。
八ノ夜は、何か言いたげであった口を結び、誠次の髪の毛にぽんと頭を添える。
「も、もう子供ではありません……!」
「そうだな。お前は見事に立派な男に育ってくれた。私は嬉しいよ」
どういうわけか、身体は硬直して動かず、それこそ魔女に魔法をかけられたかのようだった。
そして、そんな誠次の状態を知ってか知らずか、八ノ夜は誠次の頭を撫で続ける。
「ですから、それは貴女のお陰だと……。……あと、友だちの、お陰で……」
「フ。その誠実さも含めて、私は好きだよ、お前のことが」
「……いつもそうやって……貴女は誤魔化すのですよね……」
「ばれたか」
八ノ夜は誠次の頭から手を離し、長い黒髪を靡かせ、こちらにくるりと背を向ける。
名残惜しい、と僅かにでも感じてしまった雑念を振り払い、誠次は八ノ夜の後姿をじっと見つめていた。
「その剣は、私が国際魔法教会から受け取ったものだ。魔法が使えないお前の為に、私が用意した」
同じ問答であった。
誠次はしばし口を結び、確認するように問いかける。
「貴女は個人的には、旧魔法世界の存在を信じてはいないのですね?」
「神話は神話であるべきだ。現実にあるわけがない」
「……俺も、そう思いたいです」
しかし、身の回りの環境が、かつてあった魔法世界の存在の可能性を、強く証明してくる。
「……ともかく、ニーズヘッグという竜については、私も充分留意しておく。お前もラスヴィエイトとファフニールに、注意するよう伝えてくれ」
「はい」
「現状のままでは、その黒竜とそれを扱う魔術師の狙いが不明だ。こちらでも調査はしておく」
腰に手を添え、八ノ夜は慎重に言っていた。
「ありがとうございます、八ノ夜理事長。俺は引き続き、ヴィザリウス魔法学園のみんなを守ります」
誠次は最後に、一礼をしていた。
現状判っている事は、何者かの使い魔である竜が突然、こちらとファフニールを攻撃してきた事だ。狙いは何だったのか、まだ釈然とはしない。
「取りあえず、ルーナに連絡をしておくか」
ファフニール伝いに頼んだが、自分からも忠告しておかねばと、誠次は制服の胸ポケットから取り出した電子タブレットを起動する。
見てみると、すでにルーナの方から連絡が来ていた。
【談話室にk】。
そんなメールが、デフォルトアイコンで送られてきている。
「? 談話室に、ケー?」
暗号文のようなアルファベットに誠次が首を傾げていると、ちょうど電子タブレットに着信が入る。またしてもルーナだ。
【キテほしい】。
おそらく、先ほどの中途半端な文章の続きなのだろう。Kの意味も何となく理解した誠次は、二文のメールを不思議に思いつつも、談話室まで向かった。
談話室には、夜遅くのこの時間でもそれなりに魔法生がいたりする。もちろん、門限はあるが。
「――誠次!」
ルーナは、締め切られたカーテンが並ぶ窓際の四人席に、一人で座って待っていたようだ。こちらを見かけると声をかけ、立ち上がる。
「ルーナ」
誠次も声をかけ、ルーナのいる席まで歩み寄る。
「ファフニールから話は聞いた。怪我はないか?」
「平気だ」
「良かった……」
ルーナは胸を撫で下ろし、ほっと一息つくが、すぐに真剣な表情になる。
「黒い竜に襲われたと聞いた」
「そうなんだ。心当たりはないか?」
誠次も着席し、ルーナに尋ねてみる。
ルーナは、銀色の髪を左右に振っていた。
「黒い竜など、見たこともない。ファフニールは、ニーズヘッグと言っていたが」
「八ノ夜理事長も懐疑的だった。でも襲われたのは確かだ。それに、術者はこの近くにいる。しばらくファフニールを散歩……ではなく、散飛させるのは避けた方がいいと思う」
「さ、散飛……?」
テーブルを挟んで向かいに座るルーナが、首を傾げていた。
「ファフニールがそう言ってたんだ……。歩くじゃなくて、飛ぶと言う意味で……」
綺麗なコバルトブルーの瞳に見つめられ、誠次は次第に全身が熱くなっていくのを感じた。
「そんなことをファフニールが君に言ったのか?」
「ルーナは知らなかったのか?」
「仲がいいんだな。ファフニールが君にそんなことを言うとは」
くすりと微笑んだルーナに対し、誠次は何とも言えない恥ずかしさを覚え、後ろ髪をぎこちなくかく。
「は、話を戻そう。先生たちが今調べてくれているけど、充分に注意していてくれ」
「わかった。誠次も、私の付加魔法が必要なときは、遠慮なく言ってくれ」
「頼りにさせて貰う」
ひとまずルーナへの注意喚起も済み、誠次は落ち着くためにも緑茶を注文し、一口飲んで身体を冷やす。
ルーナもチョコレートケーキを注文し、フォークを使って上品に食べている。……なぜかいつもなんにでもつけているマヨネーズは、これにはつけないようだ。
「そうだルーナ。メール、焦ってたのか?」
「もぐ……?」
チョコレートケーキを口に入れていたルーナは、きょとんとした表情で首を傾げる。
「二回も送信してきたし、一つ目は文字がミスっている。何かの暗号かと思ったよ」
苦笑する誠次は電子タブレットを起動し、ルーナから送られてきた二文のメールを見せつける。
自分が送ったであろう文面をまじまじと見つめたルーナは、みるみるうちに顔を赤くして、全身を硬直させていた。
「そ、それはその……っ」
優雅にチョコレートケーキを口元まで運んでいた右手が、肩と共に力なく落とされる。
何やら様子がおかしいと誠次が首を傾げていると、やがてルーナは観念したように、口を開く。
「私はどうやら……俗に言う機械音痴みたいなんだ……」
「な……」
クリシュティナが方向音痴であれば、こっちは機械音痴であったようだ。夕方にクリシュティナが言っていた通り、本当に、二人で補い合うような関係性なのだろうなと、感じる。
「ぱそこん、も上手く使えないし。げーむ、も苦手だ……」
ルーナは悔しそうに、しょんぼりとしている。口端にも、いつの間にかついたのか、チョコレートケーキの破片がついてしまっている。ここへ来て、ルーナの属性がまた一つ増えたような気がする。
「……俺で良ければ、今度教えようか? 専門的な事までは分からないけど、基礎的な事なら分かると思うから」
「本当か誠次っ!」
コバルトブルーの瞳をきらきらと輝かせ、身を乗り出す勢いでルーナは喜ぶ。
しかしパソコンならともかく、ゲームを教えるとは一体どうすればいいのだろうか。隣に並んで座り、テレビ画面を前に二人でコントローラを持って行うのだろうか。目の前に座る元お姫様であるルーナと、隣同士に座ってゲームをするというほのぼのとした光景を思い描き、誠次は思わずお茶を吹き出しそうになる。
「けほっ、けほっ」
「だ、大丈夫か誠次?」
「あ、ああ……平気だ。さっそく、電子タブレットの使い方とか、アプリとか、説明しようか?」
「うん! よろしく頼む誠次!」
嬉々として張り切り、胸を張るルーナ。その姿が洗練されたもので、美しく凛々しく見えてしまうのは、やはり彼女が元お姫様であったことの名残なのだろうか。どうしても消えてはくれない過去を、彼女は背負い、乗り越えて前に進むことを決めていた。……その方向性の是非は、今は別として。
「これは、こうか……?」
「そう。アプリをここでインストールしてだな……」
七夕の日の前夜で起きた一騒動は、夜明けのお姫様と共に過ごす和やかな時間で、しばし頭の片隅に置くことが出来た。
※
凄まじい風が、寮室の窓を叩きつけるように、一瞬だけ吹いた瞬間のこと。ルームメイトたちはみんな、窓の外を気にするような素振りをしたものの、この時間にカーテンを開けるような真似をする事もなく、それぞれの時間へと戻っていく。
まるで誰かが怒って窓を叩いたような、大きな風だ。
急に目が覚めた七海凪も、そうであった。二段ベッドの自分のスペースに座り、強い風が吹いた窓を見つめたのち、すぐに視線を落とす。頭の中では、ティエラの元に置き忘れていた本の事でいっぱいだった。今時誰も借りないような本であるが、七夕の日の返却期限を守れずにいるのは、彼女からすればどうしても忍びがなかった。
「――ルトッ! ――ニールッ!」
「えっ!?」
突然、頭がかち割れたと思うほどの何者かの声が、頭の中で響き渡る。
七海は悲鳴をあげて、両手で頭を抱える。
「な、なに……っ!?」
味わったことのない痛みを感じ、ジタバタともがいていた。こんなの病院の検査より、痛くて、嫌だ。
「七海ちゃん!?」
「大丈夫!?」
尋常ではない七海の様子に気付いたのか、ルームメイトたちが心配そうにして駆け寄ってくる。自分以外には、この頭の中に響く大声は聞こえていないのだろうか。
七海は全身から汗を吹き出し、悲鳴をあげ続ける。
「ちょっと、ヤバい! 先生! 先生呼んで!」
「どうしたの七海ちゃん!?」
周囲のルームメイトの声も聞こえないほどに、頭に響く声が悲鳴に似た叫び声となる。
「なにか……声が……っ!」
これ以上は耐え切れそうにない。気を失いかける次の瞬間。……ピタリと、急に声が止まる。
嘘のように、一瞬で消え失せた声に、七海は戸惑って顔を上げる。
「聞こえなくなった……」
「「「え?」」」
顔を見合わせるのは、三人のルームメイトたちだった。
「もうびっくりしたよー」
「普段めっちゃ大人しい七海ちゃんが急に悲鳴だすから」
「勘弁して……」
ほっと胸を撫で下ろした様子で、ルームメイトたちは再び自分の時間に戻ろうとする。
「ご、ごめんなさい……」
心臓が早鐘を打つ中、七海は確かに聞こえた声に、戸惑いを隠せなかった。
「すごく、怒ってた……」
カーテンによって閉ざされた窓を、じっと見上げる。”捕食者”が出現したことにより、窓はおろか、カーテンもきちんと閉めなければならなくなった世の中で、それは夜の星々の光を遮る障害ともなった。
何かに惹かれるように、七海は立ち上がり、窓へと近付く。そっと、カーテンに手をかけて、覗き見るように夜空を臨む。
生まれて始めて見る満天の星空に胸を打つのも少々に、七海は見つけていた。
「あれは……」
星空を背に、ぼんやりと浮かんでいた二つの黒いシルエットが、徐々に鮮明となる。
七海は、星を受けて輝く海のような青い二つの瞳を、揺らす。
「どら、ごん……?」
子供の頃、よく病室で読んだ本に出て来た怖い生き物。病室にいる自分を重ねた、とあるお姫様の物語。お城に囚われの身となっているお姫様を救いに来た王子を迎え撃つ、空飛ぶ生き物だ。
七海には、かつて旧魔法世界で生きていた、今となっては空想と伝説上の存在が、見えていた。
~魔女と夢見る召使い~
「朗報だ天瀬!」
みさと(20)
「なんですか八ノ夜さん?」
せいじ(10)
「お前でも魔法が使える方法があったんだ!」
みさと(20)
「本当ですか!?」
せいじ(10)
「これで俺も、゛捕食者゛とまともに戦えるようになる!」
せいじ(10)
「そのためにはまず、掃除洗濯私へのマッサージが必要だ……」
みさと(20)
「そうすれば、魔法が使えるようになる」
みさと(20)
「やってくれるな、天瀬?」
みさと(20)
「はいっ! 早速行います!」
せいじ(10)
※
「――今思えば、この時点からずっと騙されていたんだよな……っく……」
せいじ
「何回も信じるあなたもあなたね……」
しおん
「……あなたらしいけれど」
しおん




