10 ☆
梅雨の雨により湿気る、日本の東京に残されたとある法科大学の講義室にて、この春魔法学園から進学した一人の青年が腕を組み、難儀していた。
彼の机の目の前には、最近新調したばかりの新型電子タブレットが一つ置かれている。
どういうわけか、目つきの凛々しい彼は、それと睨めっこをしているようだ。
「君……」
講義も終わり、引き上げようとしていた教授が、最前列に座る彼の姿に目がいかないわけもなく。
「さっきから何をしてるのかね……?」
視線を上げた青年は、悔しそうに髪をかいて答える。
「すみません。どうもデンバコの扱いに慣れていなくて」
「今時の若者だったら簡単に扱っているイメージだけど。むしろ我々の世代が使い辛いのでは……」
二の腕を大きく露出したタンクトップ姿でもある青年は、教授のみならずこの大学中でもちょっとした有名人となりつつある。見た目ももちろんそうであるが、何よりも—―。
「一流の魔術師は、やはりこういった科学技術の結晶は扱いづらいのかい? 兵頭賢吾くん」
「魔術師に対する偏見ですね。俺だけだと思います。うまく使えないのは悔しいですけど」
ヴィザリウス魔法学園の卒業生にして、元生徒会長である兵頭は、こうして日本の法科大学で新たな学生としての日々を過ごしていた。
「君ほどの魔術師ならば、普通は海外の魔法大学に進学するのがセオリーなのではないのかな?」
と、周囲からは何度も尋ねられるが、兵頭は強い意志を抱いていた。
「俺の将来の夢のためには、この選択が最良だと判断したんです。今この魔法世界は、魔術師と魔法が使えない人が共に生きる状況。魔術師と魔法が使えない人、両方の世界を知らなくてはいけないと考えたんです」
その野生児あふれる見た目とは裏腹に、とても思慮深い考え方をする姿は、なるほど他とは違うといった印象を、周囲に遺憾なく与えていた。
「立派な考えだな。さすがは、同年代魔術師のトップに立っている男の子と言うべきか」
「ご生憎、半分受け売りな考えなんです。とある面白い後輩がいまして、その後輩の影響によると言いましょうか」
兵頭はキーボード初心者のように、両手で電子タブレットのホログラム画面を拙く操作し、軽く微笑んで言う。
「魔法学園の後輩、か。ついさっきまで連絡を取っていたのが、その子だったり?」
いいえ、と兵頭は太い首を左右に振る。
「違います。先ほどのは、何と言いますか、手のかかる後輩です」
「問題児ということか?」
「優等生ですよ。俺とは違って、魔術師らしく冷静で、いつだって暴走しがちな俺を宥めて、最適な道を教えてくれた」
「魔術師にまず必要なのは知識と冷静さ。それが通説のようだな」
「はい。いかに強力な魔力を持っていても、それを扱う知識。そして、魔力の強さに溺れることのない状況を見極める冷静さ。……その後輩は、その点が二つとも秀でている」
「君よりもか?」
「ええ俺よりも。彼こそ、多くの魔法生が理想とするべき魔術師でしょう」
しかし、と兵頭はため息交じりに口を開く。
「ただ、アイツは人が良すぎるんです。その点では似た者同士だというのに、どういうわけか一人の女性の取り合いをしているようで。まったくもって女々しい!」
「そ、そうなのか……」
だん、と机の上に拳を叩きつけ、歯痒そうに言う兵頭に、三回りほども年上の教授はおっかなびっくりな反応をする。
「まどろっこしい考えは性に合わないんで、単純に言ってやりましたよ。彼女を年下の男子に取られてもいいのか!? とッ!」
「待て兵頭……。つい先ほどまでものすごく頭の良い会話をしていた気がするのだが、急に頭が悪くなっている気がするんだ……」
額に手を添えながら、教授が呻く。
※
「パパ……」
立ち塞がる父親—―博文の姿を見た途端、相村佐代子は力なく視線を落とす。
「貴方が、佐代子先輩さんのお父上!?」
立ち上がり、険しい表情をする千尋は、頬に跳ねた泥を拭うこともせず、博文を睨む。
「君も佐代子を連れ戻そうとする魔術師かね? 全く、揃いも揃って」
「貴方の考えることが、私には理解ができません。佐代子先輩さんは、絶対に取り戻します!」
千尋が攻撃魔法の魔法式を博文に向ける。
博文はスラックスのポケットに手を入れたまま、余裕の構えで立っている。
「年上に魔法を向けるなど、野蛮な真似を」
「誰が言いますかっ!」
千尋の魔法式が光を増す。博文を威嚇するために、足元に向けて攻撃魔法を放つつもりであった。もともと人を相手に魔法を発動することに苦手意識を感じ、対人戦闘はあまり得意ではない千尋であったが、それでも今は抵抗しなければならなかった。
「《エクス》!」
「—―《パニッシュメント》!」
千尋が発動しかけた魔法は、博文の背後から放たれた妨害魔法により、無効化される。
「きゃっ!?」
崩され、粉々にされた魔法式の白い破片が、千尋へ襲い掛かり、千尋は悲鳴を出す。
「逃がさないよ、二人のおねーさん」
千尋の攻撃魔法を崩したのは、ラビットキャッスルで誠次と相村と対峙した、少年魔術師だった。
「あんたは!」
倒れた千尋を抱えてやりながら、相村が顔を上げる。
「失敗したら四季紫様に怒られちゃうんだ。だから、みんな逃がさない!」
何かにとり憑かれているかのように呟いた少年は、二人へ向け、幻影魔法の魔法式を発動、構築する。
「《プロト》っ!」
相村に抱えられながら千尋が放った防御魔法が、幻影魔法を遮断する。
「千尋ちゃん!?」
「無駄に抵抗するな、小娘。さもなければ佐代子と後ろの供物を差し出せ。そうすれば君は見逃そう」
驚く相村佐代子の前で、あくまで博文は冷酷に言い切る。
それでも、千尋が諦めることはない。
「私は、あなたのような人に佐代子先輩さんを返せません! セイジ様と決めたんです! 必ず、連れ戻すと!」
「まだ言うか。私は佐代子の父親だ。父親が子供の運命を決めるのは、当然あるべき権利だ。君にも父親がいるだろう? こんな時代で産んでもらったことに、感謝する気はないのかね?」
「当然、感謝しています……」
防御魔法で少年の幻影魔法を防ぎ切った千尋は、相村の手をそっと離し、ゆっくりと立ち上がる。
「私のお父様は、この魔法世界のルールを決めて、未来の人のために懸命に働いております」
「……所詮、魔法世界に魅入られた愚かな家族というわけか」
鼻で笑いかける博文を否定するように、千尋は懸命に首を横に振って、睨んでいた。
「違います! どうしてそんなに人の考えを踏みにじるような真似をするのですか!? あなたはただ、自分に魔法がないから、魔術師を妬んでいるだけです。あろうことか、魔術師である自分の娘さんまでも!」
ぴくりと、博文の白髪交じりの太い眉が動く。
「知ったようなことを! ほざくな魔術師が!」
「私の尊敬するお父様は、魔法が使えなくとも、その事実を呑み込んで、魔術師の為に頑張っておられます! そして、今もグラウンドで戦っている私の大好きな人も、魔法が使えなくとも、その事実を受け入れて、私のような魔術師とともにいることが出来ています—―!」
※
スタジアムライトに照らされる大粒の雨が降りしきるグラウンド。黒い影が人間の血肉を求めて暴れ狂い、全身から水を垂れ流す誠次は、片手のレヴァテインを振るい、迫りくる触手を薙ぎ払う。
「ハアハア! 千尋たちは、逃げれたのか!?」
゛捕食者゛を相手に、根本的な運動神経の差により、誠次は接近戦を仕掛けることもできずに、雑草だらけの外野を走り回り、攻撃から逃げ続けていた。
「このっ!」
目と鼻の先まで迫った触手を、誠次は一瞬だけ発振させた手元のレヴァテインの黄色い魔法の刃を添えるようにし、蒸発させるように斬り裂く。
「いくら斬っても次から次へと!」
外野と内野の中間点に突き刺したもう片方のレヴァテイン。その付近で戦う男も、多数の教徒を相手に引くことはない。それでも、このままでは埒が明かないだろう。
ぬかるんだ地面の泥に足がもつれかけ、慌てて姿勢を制御した誠次だが、見上げればスタジアムライトを隠すほどの大きさの腕を振り上げた゛捕食者゛が、こちらを潰そうと迫り来ている。
「っ!」
誠次はレヴァテインの魔素主力を上げ、黄色い刃を伸ばす。それを横薙ぎに振るい、゛捕食者゛の腹部を横に斬り裂いた。
人間の血飛沫に似た黒い液状のものが飛び散り、雑草に飛びかかる。
誠次はすぐにその場を離脱するが、待っていたのは教徒たちの怒りであった。
「よくも゛捕食者゛を!」
「正気に戻れ! 相手は人を喰う化け物だ! とても分かり合える相手ではない!」
誠次が叫ぶが、教徒たちは四季紫の語る言葉を信じて疑わない。
「せっかく供物を捧げ続け、私たちは゛捕食者゛と分かり合えると思ったのに! お前のせいで、また振り出しだ!」
「良いだろう! そんな妄執、今ここで終わらせてやるっ!」
泥を跳ね、誠次は教徒たちを斧で足止めする男の元まで駆け寄り、地面に突き刺していたレヴァテインを引き抜く。
「押され始めている! どうする少年!?」
「すまない。こちらも゛捕食者゛の進行を食い止めるので手いっぱいだ……!」
何か状況を打破できる算段はないかと、激しく打ち付ける雨の中、誠次は顔を上げる。
「新手かっ!」
さんざん誠次に斬られた゛捕食者゛の背後から、新たに影が蠢き始める。間違いなく、更なる”捕食者”が出現していた。
「お前はもう逃げろ。このままでは喰われるぞ!」
内心で焦る誠次は、背後の男にそう声をかける。
「命令するな。俺は博文様を守らなければならない。それが俺の使命でもある。安全が確保できるまでは、ここを引く気はない」
「なぜあんな男に従う? 本当に金のためと言うのならば、ここまで命は張らないはずだ」
「……俺はあの人の途方もない苦労を知っているからな」
斧を肩に担ぎ上げ、男は背後でそんなことを言う。
「……」
「お前こそ、逃げたらどうだ?」
「冗談はよせ。俺はみすみす゛捕食者゛に人を喰わす気はない。俺の信念に関わる。人を守って……守り斬って、いつか平和な魔法世界を実現させる!」
軽く深呼吸をし、使い果たした息を吐いた誠次は、地面に突き刺すレヴァテインを入れ替え、再び゛捕食者゛に向け走り出す。
黒い影と黄色い光が接触した瞬間、吹き飛んだのは黒い影だった。
「゛捕食者゛。お前たちさえいなければ、この魔法世界は本当は平和で……本当は誰だって狂うこともなく、ありふれた日常を過ごすことだってできるはずだ。そこには幸せな家族もいて……愛し合う恋人もいて、普通の恋愛だって出来る……!」
振り向きざまに放った誠次の一撃は、雨粒を蒸発させながら、憎き仇である゛捕食者゛の胴体を斬り裂いた。
※
「—―世間知らずの子供が、この私に詭弁を垂れるかっ!」
千尋は胸に手を添え、負け時と声を張り上げる。
「確かに私は世間知らずかもしれません。けれども、佐代子先輩さんを理解しようとしない貴方に言われたくはありません! 自分の子供を道具にする貴方の方がよっぽどの常識外れです!」
「常識などこんな世界ではもう通用しない! 苦労して、若くしてせっかく立ち上げた会社も、魔法が生まれたせいで価値を失い、大赤字だ! これも何もかも、非常識な魔法が生まれたせいだ!」
博文は白髪交じりの髪をかき上げ、大きく息を吐きだしながら叫ぶ。
「だから私は魔法が憎い! それを扱う魔術師も……佐代子もっ!」
実の父親から放たれた決別の言葉に、相村佐代子の瞳は大きく揺れ動き、次には伏せる。
「憎いなんて……貴方は……最低です!」
後ろで力を失くす先輩女子を庇うように、千尋が攻撃魔法の魔法式を展開する。
「私の邪魔をするのであれば、もろとも消せ!」
「はーい」
博文の隣に立つ少年が、攻撃魔法の魔法式を千尋へ向ける。
向かい合う二人の魔法式がほぼ同時に完成し、攻撃魔法の魔法の光が、円形の魔法式の中心から放たれた。
互いの魔法の接触の瞬間、衝撃に備えて思わず目を瞑った千尋の目の前に、躍り出る人影が一つあった。
長身のそれは、千尋と相村佐代子の目の前で防御魔法を発動し、二人の少女を魔法の爆発による衝撃から守っていた。
千尋の咄嗟の行動で、守られるように千尋に抱き着かれていた相村佐代子が、千尋の腕から顔を上げる。
「—―ごめん佐代子。お待たせ」
後姿でも、眩い光の中でも、それが誰だか相村佐代子には分かった。
「な、何者だ!?」
腕で顔を覆う博文が、間に入った少年を睨みつける。
「ヴィザリウス魔法学園3-F所属、長谷川翔。危なっかしくて放っておけない魔術師、相村佐代子の彼氏だ」
風に靡くベージュ色の髪の奥の青い瞳は、今は迷いなく敵を睨みつける。
※
「沈めっ!」
手元で素早くレヴァテインを回転させ、誠次は”捕食者”の丸太のように太い腕を切り裂く。
”捕食者”は衝撃的な痛みを感じたのか、驚いたように腕を引っ込める。
黒い体液が誠次の顔に降りかかるが、雨によりそれはすぐに洗い流されていく。試しに舌で、流れてきたそれを舐めてみる誠次であったが、すぐに唾液ごとそれを吐き出す。
「く……せめて四季紫を止められれば、教徒も行動をやめるだろうが……!」
背後から聞こえる教徒たちの悲鳴や怒声が、次第に小さくなっていく。
沸き立った怒りの熱情は、打ちつける雨によって冷めていく。ふと、背筋がぞくりと震えた。それは恐れではなく、確かな冷気によるもの。水とは違って、全てを凍てつかせる明確な氷の気配であった。
「……?」
やがて、降り注ぐ雨が、白い雪へと変わる。それは、季節外れにも程がある、梅雨の雪であった。
驚いて左手を持ち上げ、手の平の上に落ちる白い雪の結晶を見つめていると、すぐ横を冷たい何かが横切った。
「君は……?」
それは、美しい女性だった。着物のような衣装を身に纏い、青白い長い髪を雪の結晶のようなもので結わいた女性だ。そして彼女が歩くたび、足下から泥だらけの地面は氷に包まれていく。
誠次の問い掛けに、横に並んで立った着物の女性は嬉しそうな笑顔を覗かせる。
「――彼女の名前はシヴァ。私の使い魔」
落ち着いた女性の声が、後ろから聞こえる。こつこつと、氷づけの地面を歩く足音は、シヴァと誠次の間で止まる。
氷づけの世界、それは自分の為に用意された晴れ舞台か。青い髪を流し、ブルーフレームの眼鏡をかけた先輩少女にして、ヴィザリウス魔法学園の生徒会長、波沢香織であった。
「香織先輩!? どうしてここに!?」
予想外の援軍に、誠次は驚き戸惑う。
「長谷川くんが、みんなを集めたんだよ」
「長谷川先輩が、みんなって……」
香織の視線につられ、驚き振り向くと、そこには白い制服を身に纏ったヴィザリウス魔法学園の生徒が大量に駆け付けていた。緑色のネクタイやリボンばかりで、三学年生たちだ。
「佐代子とカラオケする約束してたからーっ!」「佐代子に貸したドライヤー、まだ返して貰ってないしーっ!」「なんか約束してた気がするーっ!」
などと、次々に相村の被害者たちが声をあげて、魔法を発動していく。そうでない者もおるが、等しく相村佐代子を助けたいと言う気持ちに変わりはないようだ。
「み、みなさん……」
俗に言えば、相村被害者の会、だろうか。
「はい、あとこれ。みんなが魔法使えなくて困るからって、誠次くんに止めてほしいって」
香織が持っていたのは、誠次が地面に突き刺していたレヴァテインであった。
「後ろはこっちに任せるのだ! 若者よ!」
渡嶋が広範囲に渡る風属性の魔法を放ち、教徒たちを巻き返す。
他にも、雨の夜の中、駆け付けたヴィザリウス魔法学園の三学年生たちは、圧倒的な魔法の力で、教徒たちを倒していく。スタジアム全体を使った、激しい魔法戦が、そこかしこで行われているのだ。騒音のレベルならば、このスタジアムがまだ使われていた時に行われていたであろう、野球の試合の応援や歓声に匹敵するほどだ。
「来てくれたのですね……」
「佐代子は、私たちにとっても大切な同級生だから」
香織は、真剣な表情で誠次と同じ方向を睨む。
「佐代子はいつも騒がしいけど、面倒見も良いところがちゃんとあって、みんなと仲良くなれる大切な友だち。そんな人が魔法学園からいなくなるのは、寂しいから」
うんと頷く香織から、誠次はレヴァテインを受け取る。
さらに香織は、渡しながら付加魔法を発動。香織の付加魔法である白い魔法の光が、レヴァテインの片方に纏わりついていた。
あっと驚く誠次と、確かな自信を抱いた様子の香織の目と目が合う。
「……必要、でしょ?」
「ありがとうございます」
香織の付加魔法が掛かったレヴァテインを手持ちのレヴァテインと合体させ、誠次は雪降るスタジアムの四階部を睨み上げる。
『どうして皆さんわかり合おうとしないのですか!? 人間と”捕食者”は共に歩むことが出来ます!』
「ねえセイジ。なに言ってるのよあの人……」
傍らの香織が、絶句している。
「自分の考えが正しいと信じ込んで、無関係な人を次々と巻き込んだ哀れな女性だ」
「そうなんだ。……まるで、昔の私みたい」
くすりと微笑む香織の言葉が、ぞくぞくと誠次の背中を這っていくようだった。
「貴女は違いますよ。少なくとも、人を”捕食者”に喰わせようとはしない。……久し振りに、絶対に許せない人間が今あの場所にいる」
合体させたレヴァテイン・弐を一旦、両手で持って腰の下に沈めて構える。
距離も高度もあり、なおかつ数名の信者が四季紫の周囲では防御魔法を展開している。
魔法による直接攻撃はとても届くことのできぬ間合い。剣など、もってのほかだ。
—―しかし、香織の付加魔法を受け取ったレヴァテインは、この状況をいとも簡単に覆す。
(防御魔法の壁をすり抜けろレヴァテイン・弐……! お前には、それが出来るはずだ!)
誠次の心の声に、白く光るレヴァテインは応えるように、溢れ出る魔素の輝きを増す。
心の中で念じ、白く光る魔法の刃を剣先から発振させた誠次は、腰から救い上げるように、レヴァテインを斬り上げた。
「貴様の歪んだ夢も、醜悪な理想も……終わらせてやる! もろとも沈めーっ!」
やや間を置き、誠次が放った目視の出来ぬ魔法の刃は、幾重にも積み重なった防御魔法をすり抜け、四季紫がいるであろう四階の個室に到達する。真っ白な閃光が四角い部屋に奔ったかと思えば、スライドするかのように個室がずれる。瞬く間に盛大な音を立てて鉄骨が崩れ、四階が瓦礫となり、そこに貯まった水ごと崩れ落ちていく。
マイクの電源は文字通り途中で切れ、聞こえた四季紫の悲鳴も、途中で消えうせた。
「次は貴様だ、”捕食者”!」
意気込む誠次がレヴァテインを構えるが、そんな誠次の前に、香織の使い魔であるシヴァがふわりと舞い、立つ。
「今度は私とシヴァの番。シヴァが見ててだって」
優秀な魔術師でもある香織は、体内の魔素を再び使い、眷属魔法を発動する。
「えっ、しかし!」
香織に引き留められ、戸惑う誠次の目の前で、シヴァがゆらゆらと漂うように、”捕食者”の目の前まで浮遊して到達する。
「あ、危ない!」
人間の女性に言うように、思わず叫んだ誠次だったが、シヴァは振り向かずに”捕食者”の目の前で停止する。
”捕食者”は使い魔であるシヴァには目もくれず、誠次と香織に背中の触手を伸ばすが、それが二人に到達することはない。”捕食者”の黒い体躯に、白い霜が纏わり付いていていたのだ。シヴァによって氷漬けにされた”捕食者”の動きは徐々に鈍化し、やがて完全に動かなくなる。固まった”捕食者”の前でシヴァがくるりと振り向くと、次の瞬間。”捕食者”はダイヤモンドダストの如く、粉々の粒子になって夜空に吸い込まれていく。
「す、すごい……」
驚く誠次の目の前にシヴァは降り立つと、ぺこりと綺麗なお辞儀をする。
「さっきから、シヴァは俺に対してなんと……?」
「え、えっとね……」
頬をかき、困り顔を浮かべる香織の後ろから、緑色の髪の少女がやって来る。
「この娘、かおりんの本性だから。今まで絶対に剣術士くんの前では出そうとはしなかったんだよー?」
渡嶋はにやにやと笑いかけ、赤面する香織の肩をぽんぽんと叩く。
一方でシヴァは、ようやく触れあうことが出来る愛しの存在である誠次の手を取り、うっとりとした表情で自分の頬に擦り合わせていた。ひんやりと肌は冷たく、それでいてしっとりとしている。
「これが、香織先輩の本性……?」
「そう! 真面目なふりして裏じゃ半端ないって!」
「もうっ! わーこうるさいっ!」
この上なく恥ずかしそうに俯く香織の目の前で、シヴァは誠次に甘えるように手をぎゅっと握り締めてくるのであった。
一方で、邪気はまだ完全に潰えてはいなかった。
「こんな剣の攻撃が、あり得ない……! あり得ない!」
雨の世界から一転、氷の世界となった瓦礫の中から、四季紫が這いつくばって出てくる。
「あ、あり得ないっ! たった一人の……なんの価値もない小娘のために、こんなにも大勢の魔術師が助けに来るなんて! 価値のない人間なんて、゛捕食者゛に喰われてしまえば良かったのです!」
自分の手駒である教徒たちが、駆け付けたヴィザリウス魔法学園の魔法生たちによって次々と敗走していく。そんな光景が、四季紫の視界には広がっていた。
氷の傘の下、香織が前に進み出て、這いつくばる四季紫を見下ろす。
「ヴィザリウス魔法学園の魔法生は、友だちを誰一人として見捨てはしないわ。生徒会長として、断言します」
芯から凍てつくほどの冷気を漂わせて、香織は誇り高き魔術師たちの女王の如く、宣言する。
「かおりん良いところ持って行きすぎ! でも、とーぜんじゃんね!」
香織が胸を張り、渡嶋も腕を組む。
「四季紫様! お逃げ下さい!」
無傷でいた教徒たちが複数名、四季紫に駆け寄り、彼女を立たせる。
「お前たち、あの化け物たちの足止めをしなさいっ!」
彼女は足を引きずりながら、我先にと教徒たちを押し退け、瓦礫の山をよじ登っていく。
「四季紫待て! 逃がすものか!」
「ここは私に任せて、かおりんと剣術士くんは悪の親玉をお願い!」
誠次が叫ぶ中、渡嶋が魔法式を展開し、二人の前に出る。
「ありがとうございます渡嶋先輩! 行きましょう、香織先輩、シヴァ! あの女を見逃すわけにはいかない!」
「そうね。終わらせましょうセイジ」
誠次と、微笑む香織とシヴァは頷き合い、負傷し、血の跡を残す四季紫を追う。今後、このような事が行われない為にも、ここで彼女の全てを終わらせなければなるまい。
「かおりんが……かおりんじゃない……!?」
二人を見送った渡嶋は、おっかなびっくりに呟いていた。
「危ない!」
気を逸らしていた渡嶋に向かってきた攻撃魔法の光を、斧を担ぐ男が防御魔法で防ぎ、事なきを得る。
「馬鹿か! 戦場で棒立ちをする馬鹿がどこにいる!?」
「うわおっ!? オッサンナイス! 超助かった!」
渡嶋はすぐに得意な風属性の魔法を発動し、自身の周囲に目に見えるブーメランのような魔法の刃を形成する。
渡嶋を守った大男は、やれやれと肩を竦める。
「俺は……まだ二十歳だ」
「嘘でしょ!?」
※
彼氏と言い切った長谷川に、博文は怪訝な表情を隠そうとはしない。
「お前のような者が、私の佐代子の彼氏だと?」
「そうです。俺はただの平凡な魔法生です。特別な力もありませんし、率先して何かをやり遂げようとする意思も、そこまでありません」
千尋と、本来ならば彼女のすぐ傍にいるであろう少年の姿を思い返しながら、長谷川は言う。
「そして俺は、途中で逃げた半人前でもあります」
「翔くん……」
背後の相村が何かを言いたげに言葉を挟むが、長谷川は言葉を止めず。
「でも俺は、誰かの傍で人を支えることは出来ます。俺は、相村佐代子さんの傍にいて、いつまでも彼女を支えていきたいと思っています。相村佐代子は馬鹿で、無防備で、脳天気で、いつも近くにいてやらないと、ハラハラしますから」
「お、おのれ、人の娘を愚弄するかっ!」
「そうまで大事だったら、”捕食者”の供物になんてさせるな!」
激昂した長谷川は、目の前で展開した魔法式を、博文へ向ける。
「貴方に、相村佐代子の父親を名乗る資格なんてない! ……俺に彼氏を名乗る資格も、ないかもしれないけれど」
魔法の光が一瞬だけ弱まったのを見た博文は、長谷川に背中を向けて逃げるように走り出す。
「――でも、もしやり直せるのならば、俺は相村佐代子さんを取り戻す。俺の、力で」
きっと何処かで、俺は剣術士へ強い嫉妬でも持っていたのだろう。初めて彼に会ったときから、表向きは優しく接してきたけれど、裏では生徒会長に認められた彼が、彼の力がずっと、羨ましくて――。
「……何より、アイツにだけは、佐代子を取られたくない。もう十分なほど、いるだろうし」
震える右手を、長谷川は左手で押さえつけながら、魔法文字を魔法式に打ち込んでいく。円形の照準には、幾らか小さく見える相村博文の背中を捉えている。
「良いな? 佐代子?」
魔法発動の直前、長谷川は後ろにいる佐代子に訊く。
「やっと名前……。……お願い、翔ちゃん」
佐代子は、涙を必死に堪えながら、うんと頷いた。
「博文さん。俺は、佐代子の悩みとなるものを、俺と佐代子の未来のためにも、その障害を乗り越える!」
「おい、何とかしろ!」
慌てる博文が、傍らの少年に助けを求める。
「はーい。……って、あれ?」
「なにをしている!?」
「《フォトンアロー》!」
少年目掛けて降り注いだのは、物陰に隠れていた長谷川の同級生が放った攻撃魔法だ。
少年は咄嗟に手を引き、魔法の矢を放つ。
「――夜間外出って立派な犯罪じゃん。俺は就活中だってのに、こんなんじゃどこの企業にも雇って貰えねえぜ」
「文句は剣術士に言ってくれ、ヤス」
長谷川の友人の、赤髪の魔法生だった。
「んな事言っても、怒ってやれ相村。こいつ、ヴィザ学に逃げ帰ってきたんだぜ? ださいよな」
ヤスと言われた三学年生は、少年へ油断なく魔法式を向けたまま、肩を竦める。
「んで、俺たちを集めやがった。みんな相村を助けるために来たんだ」
「みんなが……」
相村佐代子は感極まったように、再び大粒の涙を流し始める。
千尋もほっとしたように、佐代子の肩を優しく擦ってやっていた。
「……ありがとうヤス。借りは返す」
「別にいいぜ。いつも掃除とか家事とかして貰ってるし。礼だよ礼」
安田は鼻の下をかき、そう言葉を返す。
「お、おのれ……!」
勝ち目がないことを悟ったのか、博文は両手を上げ、早々に降参の意を示す。
それを見た長谷川は振り向き、まずは千尋に深々と頭を下げていた。
「ありがとう本城さん」
「いいんです。それよりも来て下さって、ありがとうございました」
千尋もぺこりとお辞儀を返す。
「最善の策、とはいきませんでしたね」
千尋が言うと、長谷川は頷く。
「確かにこれは無鉄砲な作戦だった。でも、最善の策がいつも上手くいくとは限らないし、無茶苦茶な作戦が成功することもある。そう思うことにしたよ」
「じゃあとは、誠次くんと仲直りですね?」
「それはちょっと恥ずかしいけど……そうしないとな」
長谷川は赤面しながら、しゃがみ込む。もちろん、相村佐代子に手を貸すためだ。
「お待たせ、佐代子。待たせて悪かった」
「翔ちゃん、来てくれてありがと……」
相村は長谷川の手を取り、立ち上がる。よろめいて飛び込んだ相村を、長谷川はぎゅっと抱き締めていた。
「天瀬に、ちゃんとお礼言わないとな。あいつのお陰でここにこうやって戻ってくることが出来たんだ。あと……兵頭先輩」
「翔ちゃんはやっぱりちゃんと来てくれた。やっぱりウチの、最高の彼氏だよ。ウチの目に狂いはなかった!」
相村も長谷川の背中に腕を回し、ぎゅっと抱き締めていた。
「本当に良かったです……」
二人を見守る千尋は胸に手を添え、ほっと一息ついていた。
「さ、佐代子……」
両手を上げたまま、博文が声を出す。
油断なく拘束魔法の魔法式を向ける安田には目もくれず、博文は相村を見つめていた。
「すまなかった、佐代子……だからどうか、もう一度父親としてやり直させてくれないか……?」
「パパ……」
相村は長谷川から身体を離し、しかし手は繋いだまま、博文を見下ろす。
「こんな時代に……私を産んで育ててくれて、ありがとう……」
「だったら……」
「私、馬鹿だし、こんなんだから……パパのところにはいられないよ。せめてもうちょっと大人になったら、その時は、胸を張って自分からパパに会いに行く。ヴィザリウス魔法学園は、ちゃんと卒業しないとね」
「佐代子……」
まるで床を見るように、がっくりと項垂れる博文は、悔しそうに右の手の拳を握り締める。
遠くからサイレンの音が聞こえてきたのは、その時だった。特殊魔法治安維持組織が駆け付けたのだろう。
「わ、じゃあ僕逃げるね。四季紫様が心配だから。バイバイ」
少年は、その音を聞くなり、走って行ってしまう。この場の全員、無理に追いかけることはしなかった。
「やべー。こりゃ確実にみんな纏めて前科一犯じゃん」
ぽりぽりと髪をかく安田に、相村佐代子は声をかける。
「特殊魔法治安維持組織には私がちゃんと説明する。みんなが私を助けようとしてくれたんだって、言えば分かってくれるはず!」
「無駄だ……」
そう言いきり、相村の言葉を遮ったのは、棒立ちのままくつくつと笑う博文であった。
「馬鹿な餓鬼どもが! 特殊魔法治安維持組織に全員捕まってしまえばいいんだ! そして、佐代子は貴様らがどう足掻こうが私の元に連れ戻す! それが普通なんだよ!」
「……っ!」
絶句する相村の前に、長谷川が進み出て、博文の目の前でしゃがむ。
「アンタはどこまで……佐代子さんを苦しめれば気が済むんだ!」
「知ったことか! 私の思い通りにならないのであれば、もう全員地獄に落ちろ!」
「こんの……くそ親父がーッ!」
長谷川は博文のスーツの胸ぐらをネクタイごと掴んで、突き放す。
博文は「ぎゃあ!」と悲鳴をあげて、再び床の上に倒れる。
「お、おい長谷川。まじか……」
「し、翔ちゃん……。いつの間にかそんな暴力的に……」
驚く二人の同級生に言われ、あっとなった長谷川は、肩でしていた呼吸を落ち着かせる。
「ご、ごめん相村……。つい、かっとなって……」
気まずそうにぽりぽりと頬をかく長谷川であったが、その一瞬だけ見せた鬼の形相に、博文は震え上がって後退りする。
間もなく、千葉ベースボールスタジアムに駆け付けた特殊魔法治安維持組織たちが、スタジアム内に突入する。
「特殊魔法治安維持組織か!? 助けてくれ! 魔術師に襲われているんだ!」
壁にもたれかかる博文が、ここぞとばかりに懸命に声を張り上げる。
「相村博文か?」
何人かは未だ戦闘が続くグラウンドに向かい、少数名が通路にて立ち止まる。
「そ、そうだ! アイツらにやられたんだ!」
立ち尽くす相村を含め、博文は指さしをして、歩いて近付いてくる特殊魔法治安維持組織に告げる。
ぎょっとする魔法生たちだが、特殊魔法治安維持組織は彼らに見向きもせずに、博文の両脇を抱えて無理やりに立たせる。
「痛いっ!? 何を!?」
「多額の脱税容疑だ。署までご同行願おう」
「ま、待て! こいつらはどうなる!? 夜間外出禁止法はどうした! こいつらも捕まえろっ!」
「一般人の分際で、我々特殊魔法治安維持組織に命令するな!」
「なぜだ!? 八仙花会はどうした!? なぜなんだっ!?」
喚き、引きずられるようにして、博文は特殊魔法治安維持組織に連行されて行く。
「どういう事だ……?」
自分たちは完全に無視されている状況に、長谷川は首を傾げる。特殊魔法治安維持組織は続々と突入してくるが、魔法生が補導される雰囲気はない。かといって、馴れ馴れしいという様子もなく、奇妙な違和感が現場に残っていた。
「ひとまずこの場は安心ですね。では私は、誠次くんのところに戻ります」
彼の身を心配し、千尋が走りだそうとするのを、長谷川が止めた。
「待ってくれ。俺も一緒に行く。アイツとはけじめをつけないと」
「だったらウチも。ちゃんと、みんなで帰ろ?」
寄り添い合うようにして立つ二人の先輩に、千尋は頭を下げる。
「ありがとうございます二人とも! こっちのはずです!」
特殊魔法治安維持組織の隊員たちに紛れ、千尋と長谷川と相村は、グラウンド方面へと向かっていった。
~大黒天さんと眷属さん~
「いよいよ私たちの出番だよシヴァ! 頑張ろうね!」
かおり
……コクリ!
シヴァ
「思えばこの娘、使役するのに苦労したな……」
かおり
「言うこと聞かなくて、勝手にどっか行ったりして……」
かおり
「いざ張り切ったと思ったら、なんでもかんでも氷漬けにしちゃったり……」
かおり
……しょぼん。
シヴァ
「わ、すっごいご立派なお姉さんがいる!」
ここは
「こんにちは心羽ちゃん」
かおり
「こんにちはかおりん先輩!」
ここは
「あれ?」
ここは
「心羽のイエティちゃんたちが、すごい勢いで出たがってる」
ここは
「このご立派なシヴァは別名大黒天」
かおり
「その使いがイエティって、言い伝えられてるんだよ?」
かおり
「そうなんだー」
ここは
「でも、今のご主人は心羽だからダメ!」
ここは
「私も勢いでシヴァって名前付けたけど、大丈夫かな……」
かおり
「バチとか、当たらないよね……?」
かおり
……っぐ!
シヴァ
「シヴァちゃんグーサインしてるから、大丈夫だと思う!」
ここは
「そっか。ならよかった! やっぱり貴女はシヴァよ!」
かおり
……ぶいっ!
シヴァ
「使い魔の判断基準は本人による承認が必要だったのか……」
せいじ




