9 ☆
黒の夜空から降り注ぐどしゃ降り雨の中、二人の少年少女は手を取り合い、徒歩でとある場所にたどり着く。
そこは八ノ夜から指定された、あるものを借りる場所だった。
「寒くはないか、千尋?」
せめてもとして、夜の都会の街の中、屋根がある場所を選んで進んでいくが、梅雨の激しい雨の前にはほぼ無意味であった。
それでも誠次は千尋の細い手を掴み、雨の音を聞きながら、彼女の息遣いを感じ、走り続けていた。
「は、はい! 私水泳部ですので、水は得意なんです!」
「か、関係あるのかそれ?」
本当は凍えるほどに寒く、怯えるほどに夜の雨は怖いはずだ。それでも千尋は、強がっているようだ。
ならば自分が千尋の道を作ると、誠次は雨降る街の中を進んでいく。当然、自分たち以外に通行人はおらず、信号機の光も何もない暗闇だ。右手に握る電子タブレットのライト機能を最大限に使い、誠次と千尋は懸命に走っていた。
やがて二人は、八ノ夜から指定された場所にたどり着く。何とも変哲のない、ただの一軒家ではあるが、明かりは点いていた。
「すみません」
誠次がチャイムを鳴らすと、間もなく家の住民は姿を見せた。
「—―はい」
若い男性で、彼は玄関扉を開けたまま、こちら二人の姿を驚いたように見て硬直している。
「まさか、本当に学生が来るなんて……」
「あの、八ノ夜さんがまずここに行けと……」
鼻先から雨の雫を垂らす誠次に、男は手招く。
「中に入りなさい。雨に濡れている。お嬢さんも」
やはり、自分も何処かで未だに恐れを感じているのだろうか。玄関の奥の暖かそうな光に誘われるように、誠次と千尋は大人しく従って家の中へと入る。
「今乾いたタオルを持ってくる。暖まって」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます。あら、わんちゃんです!」
玄関で靴を脱いでいたところ、男性のペットであろう犬が来客者の元へ近付き、尻尾を上げて軽く吠える。
「こそばゆいですね」
千尋がしゃがみ、駆け寄ってきた犬と戯れている間、水の雫を流す彼女の美しい首筋に気を取られそうになりながらも、首を左右に振った誠次は廊下に上がる。
「八ノ夜さんも相変わらず、なんて言うかぶっ飛んだ人だ。ほら」
協力者の男の声が廊下の先でしたかと思えば、魔法の光を受けた二枚のバスタオルが飛んできて、誠次はそれを二つともキャッチし、一つを千尋に差し出す。
「何から何まですみません。貴方は八ノ夜さんのお知合いですか?」
用意してくれていたのか、紙コップに入った暖めたお茶を差し出してくれる男性の姿を見つめる。見覚えはないが、当然八ノ夜の知り合いなのだろう。
「そういう君は八ノ夜さんの一番弟子の剣術士くん。俺は霧崎宗司。元特殊魔法治安維持組織なんだ。八ノ夜さんとはその時の同期」
「なるほど……。あ、初めまして、天瀬誠次です」
憧れの組織の元隊員であった霧崎に、誠次はやや緊張してしまうが、霧崎は優しそうに微笑んでいた。
「そう構えなくとも。何より俺は、特殊魔法治安維持組織から途中で逃げたような半人前だし」
「どうしてやめてしまったんですか?」
タオルで髪と顔を纏めて拭き、誠次は霧崎に尋ねる。
霧崎は、どこか疲れてしまったような笑顔を見せてから、ぎこちなく口を開く。
「……誰かの為になりたいとは思ったけど、実力がなかった、と言うべきかな。今は千葉に引っ越して、のんびり仕事しているよ」
「そうですか……」
「八ノ夜さんには現役時代に色々と借りがある。返さなくちゃって思ってね」
霧崎はところで、と未だに玄関で犬と戯れている千尋を見つめる。
「ペロンヌ軍曹が他の人に懐くなんて珍しい。動物によく好かれるんだね」
「ぺ、ペロンヌ軍曹って、このわんちゃんのお名前でしょうか?」
頬っぺたをペロペロと舐められながら、片目を閉じる千尋は霧崎に聞き返す。
「うん。俺は動物が好きで、他にもいっぱいいるよ。ハムスターのゴンザレス三世にインコのファーレン伯爵。そして金魚夫婦のダイナマイトとバクダン」
「「……」」
とてつもないネーミングセンスを発揮している霧崎に、誠次と千尋は濡れた身体を拭くことも忘れて絶句する。しかもこの霧崎と言う男性、自分のネーミングセンスに確かな自信を持っているようで、自慢気に悠々と語っている。しかし時より見せる優しい表情は、純粋に動物が好きなのであろう好青年感が、溢れている。
「っと、そうだった。時間がないんだったよね? はいこれ」
霧崎は思い出しかのように、ポケットからカードのようなものを取り出す。それは、車に差し込むタイプのカードキーだった。
「目的地は千葉ベースボールスタジアムに設定してある。後は乗って、自動運転に任せればいい。こんな時間だ。車も他には走ってないだろうし、すぐに着くよ」
「……はい。ありがとうございます」
二重の法律違反を前に、誠次は固唾を呑む。それでも行動しなければ、相村は救えない。
誠次は元特殊魔法治安維持組織の霧崎から、カードキーを受け取っていた。
「はあ、昔はこう言うのを取り締まる立場だったのに。人生とは何が起きるか分からないもんだ。お前もそう思うよなー、ファーレン伯爵?」
「セヤナ! セヤナ!」
自嘲笑いを浮かべ、霧崎は嘆くようにインコと会話する。
「あ、ありがとうございます」
誠次が頭を下げると、霧崎は少し黙った後、「頑張って」と声を掛ける。
「正直何をしているのかよく分からないけど、責任は八ノ夜さんが全て取るって言ってるし、あの人の言うことはなぜか正しいから、つい従っちゃうんだよね」
「もしかして、特殊魔法治安維持組織を辞めた理由は、八ノ夜さんのパワハラですか?」
「あー今思えば確かに。それも一理あるかもね」
「……」
片手の腕にインコを乗せ、もう片手で顎に手を添える霧崎に、どこか申し訳なく頭を下げる誠次であった。
ガレージまで、霧崎は着いてきた。そこで車の自動運転の簡単な説明を受ける。千尋は助手席に乗り、シートベルトを締めていた。
「……本当に行く気かい? 何なら一晩泊まって、明日にでもすれば……」
ガレージの先の雨の夜を眺め、霧崎は窓の外から言ってくる。
形だけで運転席に座る誠次は、シートベルトを腰に回しながら、首を横に振る。
「ご心配、感謝します。ですけど、もう決めています」
「……そうか。車が壊れても請求書は八ノ夜さんに送るから、安心して行ってきて」
霧崎はそう言うと、窓から身体を離し、軽く手を振る。彼のペットであるペロンヌ軍曹もとことこ歩いてきて、わんと軽く吠え、彼の足下でこちらを見守っていた。
「すまない千尋。もう少し、付き合ってくれ」
誠次はぽつりと呟き、車のハンドルにあるスイッチに右手を添え、左手でレバーを引き自動運転を起動する。
千尋もまた、シートベルトを自分の身体の周りで固定させていた。
「ラビットパークも楽しかったですけれど、やっぱり私は、こういう風に静かに二人きりでデートが良いですね」
なんだか大人のデートみたいです、と助手席で千尋は言っている。
確かに、と誠次は苦笑して頷いた。状況が状況でなければ、このまま二人でどこかへドライブにでも行く前のようだった。
「俺もどちらかと言えば、映画館で静かに映画を見ている方が良いかも」
意味はないというのにハンドルを両手でぎゅっと握り締めながら、誠次は呟く。
「それもこれも全部、佐代子先輩さんを攫った人たちがいけないんです。そして、私を強引にダブルデートに攫った佐代子先輩さんも! これは、きちんと文句を言わないといけませんね」
千尋は濡れた自分の髪をそっと触りながら、不服そうに頬を膨らませていた。
「……俺も、相村先輩には振り回されてばかりだ。勘違いもしたくなる」
—―貴女にとっての男になるには、少し、遅すぎたようだから。
ティーカップで見せた彼女の様々な表情を思いだし、誠次はなんだか傷心したようなセンチメンタルな気分に浸るが、すぐに前を向く。
「あの人にちゃんと言わないと。あの人にはもう、ヴィザリウス魔法学園に大切な人たちがたくさんいるんだって」
夜の街中を走る車を遮るものは何もなく、数十分で車は千葉ベースボールスタジアムに到着する。二人とも疲れてはいるが、さすがに夜の外で眠る気はせず、起きたままドライブを終えることになる。
「照明が点いている。やはり、集会が行われているのか」
「こんな時間に外に集まるなんて、信じられません」
「行こう。何か手がかりでも掴めればいいけれど」
車から降りた誠次と千尋は、ずぶ濡れの砂利道を小走りで駆け、スタジアム内部へと侵入する。
昔は千葉県で一番大きなベースボールスタジアムとして賑わっていたようだが、今は新たに何を建てるのかも決まっていないようで、棄てられることが決まった当時のままのようだ。売店の看板や、ケース。野球選手の応援グッズやユニフォーム等、今となって古めかしいものでいっぱいだった。
「誰か来るようです」
スタジアムの売店通りで、千尋が潜めた声で誠次に告げる。進行方向上から、照明を浴びて伸びる二人組の黒い影があった。
「こっちだ!」
このままでは鉢合わせをしてしまう為、誠次は千尋の手を取り、咄嗟に横道へ。かき氷を提供していたらしい売店のカウンターを同時に飛び越え、カウンターに足をかけていた千尋の手を引き、共に物陰で息を潜める。
やがて、歩いてくる男たちの会話が聞こえた。
「今日は”捕食者”が出て来てくれるのだろうか……」
「”捕食者”が出て来てくれなければ、この集会の意味もない」
(”捕食者”が出現してくることを、待っているだと……?)
二人の会話の耳を澄ませていた誠次は、思わず黒い瞳を大きく見開く。
隣の千尋もぞっとするのを感じたようで、身体を震わせていた。
「急ぎましょう誠次くん。なんだか、嫌な予感がします」
「ああ」
二人組の男が通路の角を曲がっていき、立ち上がろうとした誠次だが、腰に装着してあるレヴァテイン・弐が、背後にあった製氷機と接触。大きな金属の音を立ててしまう。
「何だ今の音は!?」
「四季紫様の演説の最中だというのに、こんなところにいていいと思っているのか?」
慌ててしゃがんだ誠次だが、二人組の男は駆け足で近付いてくる。
ごくりと息を呑んだ千尋は、幾分か落ち着いた様子で、とある魔法式を組み立てていた。
「お願いします!」
千尋が組み立てた眷属魔法の魔法式から、小さな子犬が元気よく飛び出す。
子犬は言われるまでもなく走り出し、戻ってきた二人組の男の前に飛び出し、小さな尻尾を懸命に振り回す。
「なんだ、犬か」
「っち、紛らわしい。どっか行きやがれ」
どうやら物音も犬がたてたものと勘違いし、二人の男は再び離れて行く。
「す、すまなかった。ありがとう千尋」
ほっと一息吐いた誠次は、背中のレヴァテイン・弐に伸ばしかけていた右腕を降ろす。
「上手くいってよかったです」
千尋もほっとしたようで、胸を撫で下ろしていた。
隠れていた売店の影から二人は出て、いよいよ大雨降りしきるグラウンドの方へ向かう。
想像よりも大分広く感じるグラウンドは、四方から降り注ぐ光が照らしあげていた。観客席とも言うべき座席には、八仙花会のローブを着た信者たちが、傘も差さずにグラウンドの様子を見守っていた。
そして、まるで天から降り注ぐ光によって裁きを受ける者のように、手足を縛られた状態で膝立ちの姿勢とされている相村佐代子らの姿が、茶色のマウンド上にあった。
「相村先輩っ!」「佐代子先輩さんっ!」
誠次と千尋が叫びながら、マウンドへ駆け寄る。頭上高くにあった照明が走る二人を追い、眩い光が二人の姿を鮮明にさせる。
相村たちマウンドに座らされている人々は皆ピクリとも動いておらず、何かの幻影魔法をかけられているようだった。
『これはこれは、迷い蝶が雨の中、雨宿りをする場を求めてやって来たようです』
ウグイス嬢用に使われていたであろうアナウンス放送が、誠次の耳朶をうつ。間違いなく、四季紫の声だ。
「八千花会会長、四季紫! 今すぐこの集会を中止にさせろ! ”捕食者”が出るぞ!?」
雨の音にも負けじと、誠次は何処かにいるであろう四季紫に向け、叫ぶ。
『ええ分かっていますとも。”捕食者”出現こそが、私たち儀式の第一段階なのです』
「儀式だと!?」
『そこにいる人たちは皆、”捕食者”に捧げる供物なのです。”捕食者”に供物を捧げればきっと、”捕食者”は人間と良きパートナーとなってくれるはずなのです』
「何を言っている……っ!」
無茶苦茶な持論を展開する四季紫に、誠次は背中のレヴァテインを雨に濡れた手で引き抜く。
「人間が”捕食者”に捧げる供物だと……? ふざけるなっ!」
「皆さんどうか目を覚まして下さいっ! こんなの絶対におかしいです!」
千尋も周囲へ向け叫ぶが、その声が届く事はない。
それもそのはずか。八仙花会にとって二人は、儀式を前に現れた異端者という存在なのだから。
「帰れ!」
「儀式の邪魔をしないで!」
ざわざわと、雨の音に混じり、耳障りな声がそこかしこから響き合う。
「……っぐ」
誠次は歯ぎしりをして、レヴァテインを握る右手にぎゅっと力を込める。
「千尋。悔しいが、今この場で何を言っても彼らの耳には届いてくれないだろう。彼らは完全に、四季紫に思考を支配されている」
「そのようですね……!」
「今はマウンドで捕らえられている相村先輩たちを救う。千尋。周囲に防御魔法を頼む!」
「かしこまりました!」
誠次と千尋。二人が動いたのは、同時のタイミングであった。
振り向いた誠次が相村らを縛っていた鎖をレヴァテインで斬り裂き、千尋が周囲に半球型の防御魔法を展開する。
『おやおや。供物を逃がす気でしょうか? 無駄なことを……』
やや少しの怒り声で、四季紫は信者たちへ命を下す。
『逃がしてはなりません。皆さん、どうぞ異端者へ、裁きの魔法を』
それは圧倒的な光景だった。観客席にいた若い教徒らが一斉に魔法を発動し、グラウンドにいる誠次と千尋へその照準を向ける。
百戦錬磨のはずの誠次でさえ、スタジアムの照明に勝るとも劣らないその破壊の光に、尻込みをしかける。このまま強引に相村たちを逃がそうとも、狙い撃ちにされる。千尋の優秀な防御魔法があるとしても、この数相手ではすぐに崩されるだろう。
ならばと、誠次は腰から引き抜いたレヴァテイン・弐を連結させる。
「千尋、俺のレヴァテインに付加魔法してくれ!」
ひとまず相村らの救出は諦め、誠次は千尋にレヴァテインを向ける。
水の雫を顎先から光らせながら、千尋はこくりと頷き、誠次へ向け黄色の魔法式を向ける。
『まあ、なんとも。あの二人は私たちに歯向かう気でいる』
四季紫の余裕の声が、教徒たちを奮い立たせる。誠次千尋に向けられた魔法式が次々と完成を迎え、マウンド付近へ向け続々と放たれる。まるで、野球の応援の際に放たれる風船のように、それとは違った色とりどりの光を描いて、魔法の攻撃は雨と共に降り注いだ。
マウンドに魔法の光が到達した瞬間、新たな黄色の光がさく裂する。真夜中のオーロラのように広がった黄色い魔素粒子の光は、観客席から降り注ぐ魔法を次々と飲み込み、跡形もなく消滅していく。
その暴力的な黄色の魔素の発生源こそ、マウンド上に立つ誠次であった。
「—―セイジ様っ!」
ぎゅっと、千尋が誠次の腰にしがみつく。
「最大出力ならば! すべて斬り消す!」
連結させたレヴァテイン・弐を振り払い、誠次は黄色い光を周囲へまき散らす。観客席まで到達したそれは、魔術師たちの発動する魔法式を属性も種類も関係なく、ことごとく消滅させていた。
少年が振るう剣を見つめ、スタジアムの四階の個室に座り、状況を傍観していた博文は、動揺を隠せてはいなかった。
「四季紫! いったい何なんだ、あれは!?」
すぐ隣の席に座り、赤ワインを口にしていた四季紫も、初めて見るような光景を前に、厚化粧の眉間にしわを寄せていた。
「妨害魔法……? それにしては、広範囲すぎる……」
「これだから魔法というものは……!」
苛立つ博文は、放送用のマイクを握り締め、黄色い目を光らせるマウンド上の乱入者へ、大きな声を掛ける。
「忘れたのか少年! これは親と子の問題だ! 部外者が手出しをするなっ!」
すると、少年はこちらを見上げ、叫び返す。マウンドの下に設置されたマイクのお陰で、少年の声はこちらにも届いていた。
『部外者じゃない! ヴィザリウス魔法学園の生徒同士だ! そして、アンタの娘の被害者だ!』
「ひ、被害者だと!? これだから魔術師どもは、考えがおかしいんだ!」
『生憎、俺は魔術師ではない!』
博文は台を思い切り両手で叩きつける。机の上にあった、四季紫のワイングラスの中の血に似た液体が、ぐらぐらと揺れていた。
「倉本。始末しろ!」
胸ポケットに入れてある小型の連絡デバイスに息を吹き込み、腹心の部下に命を下す。社長として、時に命を狙われる事もある為に雇った、傭兵であった。
『了解しました』
返事はすぐにあり、間もなくグラウンドへ大柄の男が斧を持ち、入場していく。
「なぜだ……。こんな世界で子を育ててやっただけでも、充分に報われるべきであろう。当然、子は親に奉仕をするべきなのだ!」
喚き、博文は怒鳴り散らす。
そんな博文を横目で見つめていた四季紫は、くちびるに手を添え、微笑を覗かせる。
博文の放送が終わったかと思えば、野球選手たちが控えていた場所であろうベンチから、大柄の男が長い得物を携え、マウンドへ向かってくる。
レヴァテインで魔法攻撃を防ぎ続ける誠次は当然、その姿に見覚えを感じていた。
「来たか」
誠次は黄色く光る眼を、入場者へ向ける。
ラビットキャッスルで戦った斧使い。想定していた敵の登場ではあったが、だからといって楽に突破できるわけでもない強敵であった。
「千尋! 防御魔法を展開しながら、人質を連れて、ここから離脱してくれ! 車はすでに近くの緊急避難シェルターの場所にオートドライブをセットしてある!」
「はい! お気をつけて、セイジ様!」
『逃がしてはなりません! これは、”捕食者”に捧げる大事な供物なのです!』
「千尋とみんなが逃げる時間は稼がせて貰う!」
四季紫の言葉に怒りを滾らせる誠次だが、今は目の前の敵に集中しなければなるまい。
深呼吸をして、意識を研ぎます。雨粒交じりの空気は、熱量を上げる身体を落ち着かせた。
逃げ出す千尋たちを背中に、誠次は黄色く光る眼を滾らせ、マウンド上の守護神のごとく、人々の前に立ち塞がる。
「城の時と今の俺は……違うぞ」
どしゃ降りの雨の下、長年手入れさていなかったマウンドはぬかるみ、コンディションは最悪だ。ぼうぼうに生えた雑草の下も、ぐちゃぐちゃの泥が広がっているようだ。
それでも、雨天決行を決めた誠次は足を踏ん張らせ、これからの戦いに備える。
「正直、俺は驚いている」
信者たちの先頭。斧を両手に握り締めた男は、誠次に向け話しかける。
「恋人でもないお前が、なぜ他人の女の為にこうまでする?」
他人の女と言われ、誠次はやや、口角を上げる。
「確かにそうかもしれないな。俺は彼女に散々弄ばれて、もしかしたらとその気にさせられて、最終的には選ばれなかった哀れな男だ」
「傷心の男というわけか」
男も、誠次を鼻で笑う。
「だが何より……恋のキューピット役も悪くはない。こんな世界で、誰かが誰かを真剣に好きになることは、大切なことだと思っている」
黄色い光をまき散らしながら、誠次はレヴァテイン・弐の魔法の刃を男へ向ける。
時に禍禍しくも見えるその魔法の光を受けても、男は怯む素振りを見せない。魔法の刃の上に落ちていく雨は、刃に触れる直前に蒸発していく。
「愛の神か。俺には今のお前が、悪魔にも見えるがな」
「俺たちは”捕食者”に捕食されようとしている人たちを救う。そして、彼女を恋人の元へ連れ戻す。見逃す気はないか?」
人としての人情に訴かける誠次であったが、男の険しい顔立ちは変わらない。
「俺は金で雇われている。博文社長の命令だ。大人しく見逃すつもりはない」
「貴様ほどの男が……やむを得ない」
誠次は連結させたままのレヴァテイン・弐を両手で構え、その場で振り払う。
それが二人にとっての戦闘開始の合図だった。接近は同時に。泥と雨水をまき散らし、二つの凶器が接触する。一、二度斬り合い、後退し、再び接近する。
「……刃が重い!」
驚く男の目の前で、黄色い光を発振させるレヴァテインは、斧を押す。
「貴様は間違いなく優秀な戦士だ! その腕、失うのは惜しいが、邪魔するのならば斬り裂く!」
「調子に乗るな、剣術士!」
脳天目掛けて振り下ろされた斧を、誠次は宙返りをして躱す。身体を捻って着地しながら、レヴァテインをマウンドに突き立て、地面をかきだすようにして持ち上げる。
「なに!?」
男の顔向けて襲い掛かったのは、レヴァテインの魔法の刃ではなく、雨水によってぬかるんだマウンドの泥だった。男は反射的に、片手で顔を覆ってしまう。
「貰ったっ!」
すぐに足腰を踏ん張らせた誠次は、一瞬の溜めの後、トップスピードで男の真横を斬り抜ける。
吹き飛んだのは、斧の柄と、男の脇腹だった。
「がはぁっ!?」
「取った!」
くるりと振り向いた誠次は、レヴァテインを更に振るい上げ、男の斧の柄を真っ二つに一刀両断する。まるで何かのお菓子のように斧は折れ、男の得物は大幅にリーチを失う。
「沈めっ!」
誠次は手元でレヴァテインを翻し、突きの要領で男の右膝を斬り飛ばす。
「ぐうぅっ!?」
連撃により瞬く間に得物と身体の一部を失った男は、マウンドの上で膝をついていた。
「なんと……」
「治癒魔法で治療しろ。貴様ほどの男が、無駄に死ぬこともない—―っ!」
そう告げる誠次だったが、攻撃魔法の飛来を察知し、マウンドの上を転がって回避する。盛大に泥が付いた半そでシャツをその場で脱ぎ捨て、上下黒の軽装の身で、乱入者たちを睨む。
身を翻した誠次が後方を確認すると、教徒たちがスタンドから降り、こちらに一斉に向かってきていた。
「異端者が!」「四季紫様の為に!」「死ねぇーっ!」
「無駄だ!」
誠次は再びレヴァテイン・弐の出力を高め、教徒たちへ向け斬り払うようにして放つ。展開された魔法式は次々と消滅していった。魔法以外の攻撃手段を持たぬ彼らでは、魔法を封じられてはどうすることも出来ないだろう。
ふと誠次は、スタジアムの照明に照らされた影が蠢く気配に気づく。それが立体的な動きをし始め、小型の”捕食者”が、まるで地底から這い上がるように、長い腕を折り曲げて浮かび上がってきた。
「”捕食者”だ!」
「とうとう来てくれたんだ!」
怯えるのではなく、歓喜。待ち焦がれていた怪物の登場に、教徒たちはあろうことか、喜んでいた。
「貴様ら、正気か!?」
誠次は周囲の人々を半眼で見つめるが、彼らは”捕食者”を崇めるかのように、その場でひれ伏していく。喰われるのもいい、と言うことだろうか。
「……っく!」
誠次は歯ぎしりをして、逡巡する。
ここにいれば、間違いなく”捕食者”に喰われる。それを見捨てるべきか、否か。
誠次は高みの見物を決め込んでいる四季紫がいる四階を睨み上げ、首を横に振る。全てをコントロールしていると言わんばかりの彼女の微笑が脳裏に浮かび、それを否定したのだ。
「人間であることに変わりはない……。これ以上目の前で、怪物に人を喰われてなるものか!」
踏み止まり、戦う事を決意した誠次は、黄色い刃を新たな乱入者、”捕食者”へ向け構える。
「何をする気だ!」「やめてー! ”捕食者”を虐めないで!」
背後から降りかかる理解しがたい言葉には耳を貸さず、誠次は突撃する。
『皆さん! 彼を止めなさい! 彼はあの剣で、”捕食者”を殺すつもりです!』
「でも四季紫様! 私たちは魔法が使えなくなっています!」
千尋のレヴァテインへの付加魔法能力下にいる教徒たちが何度手を伸ばそうとも、何度念じようとも、魔法式が新たに生まれることはなかった。
『何を言っているの? 貴方たちには腕や足があるでしょう!? 力尽くで止めなさい! ”捕食者”を殺されてしまっては、今まで捧げた供物が無駄になります!』
はっとなった教徒たちは、我先へと誠次へ殺到する。
「くそっ! 邪魔をするな! 俺は゛捕食者゛を!」
振り向いた誠次が威嚇の為に地面を切り裂くが、構いはしないようだ。
”捕食者”と教徒たちに挟まれる形となった誠次の背後に、半壊した斧を担いだ男が立つ。いつの間にか、負傷は治癒魔法で治療したようだ。
「貴様は!? どういう気だ?」
思わず立ち止まった誠次は、血だらけの男の背に声をかける。
「俺は八仙花会の人間ではない。四季紫の命令には従わない」
だからと、男は威嚇するように斧を振り回し、教徒たちを下がらせる。
「お前は”捕食者”を始末しろ。この場に不要な存在だ。博文様の娘を失えば、俺の報酬も減る」
男から出たまさかの言葉に、誠次は゛捕食者゛を睨みがらも、軽く頷く。
「まだ剣による痛みはあるはずだ。無理はするな」
背中越しに男に語り掛けると、男の背中が大きく動く。スタジアムの移動式照明が、背中合わせの二人の姿を大きな影を作って照らしていた。
不意に、男が笑う。
「ついさきほどまで戦っていた相手の身の心配をする男が何処にいる」
「お互い様だ。俺の背中、今はお前に預けるぞ!」
差し迫った時間を感じ、誠次はレヴァテイン・弐を分解し、その片方を男の足下に向け投げる。誠次が投げ付けたレヴァテインは、男の立つすぐ後ろの芝に突き刺さり、そこからまた黄色の光を拡散させた。
「その剣の周囲で戦え! そうすれば、奴らも魔法は使えない!」
誠次が投げつけ、グラウンドに突き刺さったレヴァテインからは、周囲へドーム型の幕を作るように、黄色い魔素が溢れ出る。
「……不思議な剣だな。お前は良いのか? 手数が減るぞ」
「俺は元より片手剣の方が扱いやすい」
会話の途中から、”捕食者”の腕が迫ってきていた事に気づき、誠次は身体を翻して掴み攻撃を回避する。
雨水を握り締めた”捕食者”は、片手でレヴァテイン・弐の片方を持った誠次を付け狙う。
「゛捕食者゛! 貴様はここで俺が仕留める! 貴様と人間の共存の夢など、俺が断ち切る!」
人々の怒声や悲鳴が交錯する中、誠次は目の前に佇む黒い怪物のみに意識を集中させ、レヴァテインを振るう。
※
誠次をグラウンドに残し、千尋は供物とされかけていた数名の男女を引き連れ、スタジアム内のストリートを走っていた。車にはぎりぎり乗り込める人数ではあった。
「ハアハア! 皆さん、こちらです!」
「千尋、ちゃん……」
撤退の途中、千尋の後ろを走っていた相村が、意識を取り戻し始めた。
「佐代子先輩さんっ!? 良かったです。おそらく、セイジ様のレヴァテインの効果で幻影魔法も吹き飛ばしたようですね」
「様って、ウケる……本当……」
相村は苦笑いをすると、急にその場に崩れ落ちる。
「佐代子先輩さんっ!?」
「ごめん千尋ちゃん……。せっかく助けてくれたのに、力が入らなくて。最悪……私置いて、逃げちゃって良いよ……」
駆け寄った千尋が相村の上半身を起こしてやるが、相村は自分から身体に力を入れることもなく、項垂れたままだ。
「何を仰っているのですか!? 一緒に逃げますよ!」
「私がいると、またみんなに迷惑かかっちゃうから……。このままヴィザ学に戻っても、また絶対に迷惑かけるから……っ!」
雨ではなく、相村は目元からぼろぼろと涙を流していた。
「ヴィザ学でみんなと魔法を学んでるときは、私だって魔術師なんだって実感できて、自分を忘れられた。でも、やっぱりアイツらからは逃げられなかったっ!」
「そんなことはありません! ヴィザリウス魔法学園のみなさんは、佐代子先輩さんが帰ってくることを待って――!」
千尋の叫び声の途中、背後から攻撃魔法の光が到来し、千尋の背中に直撃する。
「きゃあっ!?」
衝撃的な痛みを感じ、千尋はツインテールの髪が逆立つほどの勢いで、佐代子の真横に倒れてしまった。
「……っく!」
「千尋ちゃんっ!?」
「――魔術師どもの考えることなど、つくづく理解に苦しむものだ」
しんと冷たい声が、千尋の後ろの方からする。
立ち上がり、身構える千尋の目の前に現れたのは、相村博文であった。
そして、彼の真横では、ラビットキャッスルで戦った少年が魔法式を展開していた。
~アルゲイルの先輩と後輩~
「もしもし、宗司先輩」
ユエ
「俺です、南雲ユエ」
ユエ
「ユエ、久しぶり」
そうじ
「どうしたんだい?」
そうじ
「ゲームの相手なら結構」
そうじ
「違いますよ、先輩……」
ユエ
「助言頂きたいっつーか」
ユエ
「最近、捨て犬預かったんですけど……」
ユエ
「狼が犬を引き取ったのかい?」
そうじ
「預かったのはいいんですけど」
ユエ
「めっちゃ噛んでくるわ,言うこと聞かないわで」
ユエ
「なんか、いい躾方法とかないっつーもんですか?」
ユエ
「大抵の捨て犬は心に深い傷を負ってるケースが多い」
そうじ
「むやみやたらにスキンシップをとろうとはせずに」
そうじ
「餌やりや身の回りの世話をこつこつやっていけば、自然と心を開くと思う」
そうじ
「でも、ただ餌をあげるだけじゃ、良いパートナーにはなれないよ」
そうじ
「……俺もそう思うっつーんですけど」
ユエ
「なぜか、澄佳の言うことは素直に聞くんすよ」
ユエ
「女性繋がり……なのか……?」
ユエ
「ユエ、おそらくだけど……」
そうじ
「?」
ユエ
「……ただ単に君が嫌われているだけの可能性がある」
そうじ
「痛っ!?」
ユエ
「また噛みやがった! って、澄佳のところ逃げるなっつーの!」
ユエ
「……話の聞かなさ具合じゃ、どっちもどっちかな……」
そうじ




