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魔法世界の剣術士 中  作者: 相會応
梅雨のドンキホーテ
30/189

8

『そうか……。まさかここまで強引な手を使ってくるとは……』


 理事長室を背景に、ホログラム画面に浮かぶヴィザリウス魔法学園理事長、八ノ夜美里はちのやみさとは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。


「学園にも、相村博文あいむらひろふみ氏から何度も相村佐代子あいむらさよこさんを強制退学させるよう、催促が来ていたんですね」


 ホテルの千尋ちひろの部屋へと訪れた誠次せいじは、靴の靴紐を結び直しながら、通信相手と自動で目線を合わせあうことが出来る機能を使い、八ノ夜と会話をしていた。

 相村とも、八ノ夜は何度も会話をして、数日間に渡り意思確認をしていた最中だったという。その最中での、誘拐だったようだ。


『ああ。実の父親からの要請ではあるが、判断をうやむやにしていてな。本人の意思も確認してどうにか出来ないかと考えていたところで、この誘拐劇だ。不測の事態であったとはいえ、きっぱりと否定しておくべきだった私の責任でもあるな……』


 しかし、どれも難しい判断だっただろうと、誠次は八ノ夜に同情していた。自分と同じ、八ノ夜もまた幼いころに両親を亡くした身だ。


「今は一刻を争うはずです。俺と本城千尋ほんじょうちひろさんで、相村佐代子あいむらさよこさんを救出します」

『二人でする気か? 無謀だ。態勢を整えて、万全の策を練るべきだ』


 靴紐を結び終えた誠次は、ゆっくりと顔を上げる。


「それは……そうなのかもしれません。でも、俺はもう言ってしまいましたから。確かに準備を整えるのは必要で、急ぎすぎた行動が全て上手くいくとは、俺も思いません」


 長谷川はせがわに殴られた胸にそっと手を添え、誠次は言う。


「……でも、相村先輩はきっと今の俺たち以上に今苦しんでいる。今苦しんでいる人が、こちらが足踏みをしている間に、手遅れになってしまう前に、俺たちが行動しなければならないと思っているんです。少しでも可能性があるのに、それを手遅れにはしたくないですから」


 誠次は有無を言わさぬ思いを込めて、あの日に自分を救ってくれた八ノ夜に告げる。


「すみません、八ノ夜理事長。俺は独断専行をします。相村先輩を助けることが出来た後で、罰は受けます」


向こうの沈黙は、長かった。サファイア色の瞳を閉じ、熟考した様子の八ノ夜は、微かに頷いたようにも見えた。


『……あー。今から言うのはー。私の独り言だー』


 サファイア色の瞳をいったん閉じ、八ノ夜はわざとらしく口を大きく開けて、言い出す。


『博文氏の後ろ盾には、八仙花はっせんか会と言う宗教団体があるそうだ』

「八仙花会?」


 初めて聞く宗教団体の名に、誠次は首を傾げる。


紫陽花アジサイの別名だな。表沙汰にはならないが、その手の界隈かいわいでは有名なカルト宗教団体ってやつだ。街を出歩けばすれ違う人の一人は必ず信者だと言われるほど、規模も大きい』

「どうしてそれが、表沙汰にはならないんでしょうか」

『政府や報道機関のお偉いさんにも信者がいるようだ。警察にも、特殊魔法治安維持組織シィスティムにも、な』

「なるほど。だからこそ、博文氏は通報しても無駄だと言えたのですね」


 根回しは完璧、と言うわけだろうか。思った以上に強大だった敵の存在に、誠次は背筋に冷たい何かが走るのを感じていた。


『そうなのだろうな。そして、八仙花会の代表を務める女性の名は、四季紫京香しきむらきょうかだ』


 八ノ夜は『おおっと手が滑ったー』等と言いながら、自分の顔の横に別の端末で起動した四季紫の写真画像を浮かび上がらせる。

 黒いドレスを身に纏った壮年の女性で、化粧で若くは見えるが、魔法は使えない年代だろう。


「……この人は」


 誠次は、ラビットキャッスルで会ったこの女性の事を思い出していた。博文は確実に、四季紫の、八仙花会の力を使っていたとみて間違いはない。


『四季紫はさらに、個人経営の中学校も所有している。そこに入学させるような家族も軒並み、信者なんだろう』

「そもそも、なんなんですか八仙花会と言うのは。そこまでの規模をてるなんて」


 誠次が尋ねると、画面の先の、八ノ夜のいる理事長室のドアがノックされる音が聞こえた。


『ナイスタイミングだな』


 八ノ夜がほくそ笑み、『どうぞ』とドアの方へ声を掛ける。ドアが開いた音と、遠くで男性の声がしたかと思えば、足音が近付いてきている。


『やあ剣術士。俺は相村佐代子の担任教師の森田もりただ。面と向かって話すのは初めてだな』


 八ノ夜の隣に立ったのは、眼鏡をかけた茶髪の男性教師だった。彼はこちらの担任教師で同い年であるはやしと共に、ヴィザリウス魔法学園創設一期生でもあった。この魔法世界で俗に言う、失われた夜生まれロストナイトバースデイの一人だ。

 三十路なのに見た目の爽やかさは、林とは真逆である森田は、真剣な表情で手元の資料に目を通す。


『八仙花会の活動目的。それは、”捕食者イーター”を恐れる弱い人の心の浄化と、夜の世界に紫陽花のような色をつける、と掲げられている』

「……ちょっと意味が、よく分かりません……」

『国から認められてないカルト教など、こんなもんだよ。常人には理解できない事で、引き込まれてしまう人もいる』


 呆気にとられる誠次の目の前で、八ノ夜は肩を竦める。


『相村の件を理事長から聞き、俺は敢えてここに入会して、奴らの活動を少し前から調べていた。……しかし月会費一万とか高すぎるだろ……』


 森田はため息をついて、くせっ毛である跳ねた前髪をくるくると指で絡ませる。


「きちんと払ったのですか?」

『調査の為にやむを得ずな。支払いは林の名義口座で引き落としで、もちろん無断』

「林先生をわけも分からない引き落としが待っている!?」


 さすがに勝手に宗教団体に登録されてしまった担任教師を哀れむ気持ちが沸くが、森田は、林とはこんな関係だ、と言っている。


『話を戻すが、老若男女信者は満遍なくいるようだ。月に何度か集まって、全国各地で集会も行っている』


 森田が全国地図を見せつければ、北は北海道、南は沖縄と、至る所で八仙花会の集会は行われているようだ。


『開催する時間は決まって夜間。そして、その殆どが屋外会場なんだ』

「屋外? ”捕食者イーター”が出現するかもしれないというのにですか」

『まだ集会には行けてないので、奴らが夜に外で何をしているのか俺も分からない。きっとろくでもない事だとは思うがな』


 森田は吐き捨てるようにして言っていた。


『そして今日、集会が開催される場所が千葉県だ』

「っ!? 場所が一致している……」

『みたいだな。偶然ではないだろう』


 誠次の現在地である千葉ラビットパークから海岸伝いに西に行ったところに、集会の場はあるようだった。

 誠次はマッピングされた赤い点を、睨みつける。


「ここは?」

『千葉ベースボールスタジアム。昔の屋外野球場だ。昔はナイターゲームと言って、夜もそこでプロ野球をやっていたんだ。今は使われなくなって、解体作業の最中だと聞いたけどな』

「海沿いの野球場ですか。そこを貸し切って、屋外で集会を行っているんですね」

『ああ。もしかしたら、攫われた相村もそこにいるかもしれない。いなくとも、何か手がかりは掴めるはずだ』

「分かりました。では、俺と千尋さんで、至急現地に向かいます。情報を収集し、可能ならば相村先輩を奪還します」

『頼む天瀬。こっちは相村の実家の会社をあたる』


 森田はそう言うと、八ノ夜とアイコンタクトを交わす。


『私は特殊魔法治安維持組織シィスティムに掛け合おう。正直、今の特殊魔法治安維持組織シィスティムに期待は出来ないが、やるだけやろう』


 元特殊魔法治安維持組織シィスティムである八ノ夜も、画面の向こうで上着を羽織る。

 二人の教師との通信を終えた誠次は、すぐ後ろで準備をしていた千尋に声を掛ける。千尋はベッドに腰掛け、何やら呼吸を整えて深呼吸をしているようだった。


「お話、終わりましたか誠次くん?」

「ああ。相村先輩を攫った連中の集会が、近くで行われるそうだ」

「そうですか。私は準備万端です!」


 千尋は両手を肩まで上げ、ぎゅっと握りこぶしを作り出す。


「千尋……。おそらく激しい戦いになる。それでも、一緒に来てくれるか?」


 窓の外の夜の闇は深く、潮風にあおられた雨はこの時間になって激しさを増し、どしゃ降りの様相を見せている。

 誠次の確認に、千尋は迷いを見せることなく頷く。


「危険は承知です。それでも、行きます。佐代子先輩さんをお助けするのも、誠次くんと共になら、きっと出来ます!」

 

 千尋から信頼の眼差しを受け取り、誠次は全身の緊張を呑み込み、頷き返す。


「本当にいいんだな?」

「私のお父様も、こんな時は本城家の娘として、逃げ帰る選択など許しはしません。誠次くんと共に戦う、それが最良の選択だと、きっと仰るでしょう」

直正なおまささんは……尊敬できる父親だな」


 尋ねるようにして言うと、千尋は微笑みながら首を横に振る。


「私からすれば尊敬できる立派なお父様です。……佐代子先輩さんは、決してそうとは言えなかったのでしょうけども……」


 千尋は相村を思い、視線を落としている。


「ヴィザリウス魔法学園の意思としてでも、相村先輩を取り戻す。あんな強引な誘拐がまかり通っていいはずがない」


 誠次は背中と腰に鞘に入ったレヴァテイン・ウルをそれぞれ装備し、千尋の手を取る。


「はい。一緒に頑張りましょう!」


 千尋も立ち上がり、力強く頷いていた。

 

          ※


 どしゃ降りの雨の中、千葉ベースボールスタジアムにたどり着いたのは、相村佐代子を乗せた車だ。ヘッドライトが照らす少し先には、光に照らされた太い雨粒が幾つも墜ちている。


「降ろせ」


 先に助手席から外に出た相村博文のスーツ姿の肩を、雨は瞬く間に浸食していく。


「嫌だってばっ! 離せっ!」


 後ろ手で紐に両手を縛られた姿勢の相村佐代子は、長いポニーテールを振り回し、抵抗する。彼女の私服の両肩をがっちりと掴んで、車から引きずり降ろしたのは、博文の部下の大男だった。


「お待ちしておりました、博文さん」


 使われなくなり、照明も灯ってはおらず、暗く錆びたスタジアム入り口方面から姿を現したのは、数名のお供を連れた四季紫だった。傍にいる女性魔術師の発動している汎用魔法の傘により、頭上の雨は弾き飛ばされている。


「すまない四季紫。やはり君の言うとおり、この娘には再教育が必要だった」

「っぐ!」


 男によって口を塞がれ、また両手を背中で掴まれている相村は、打ち付ける大雨に抗うかのように顔を上げ、四季紫を睨んでいた。


「相村佐代子さん。覚えていますわ。中学生の時からとても反抗的で、私たちの素晴らしい考えを理解せず、教室でも一人浮いていた存在」


 四季紫はまるで美しい彫刻品を眺めるかのように、うっとりとした目つきで、拘束されている相村を眺める。

 相村は眉根を精一杯寄せて、四季紫を睨み返していた。


「四季紫。君の言う再教育が済めば、佐代子は私の言うことを聞いてくれるのだろう?」


 顔に無数の水滴を流す博文がすがるように、四季紫に尋ねる。


「ええ勿論ですとも。八仙花会を信じる人は、必ず報われます」


 四季紫は微笑むと、三人をスタジアムの中へと誘う。

 グラウンドに入るまでの通路には屋根があり、静寂の中、雨風は取りあえず凌げる。しかし老朽化し、何処かからか雨漏りでもしているのだろうか。不気味なほど静かなスタジアム内では、ポタポタと、至る所で水の雫が落ちる音がしている。


「安心して下さい佐代子さん。貴女は、本当の自分と出会うことが出来るのです。今宵の、もよおしによって」


 一体、何をされるのだろうか。四季紫の横顔を見た全身の肌がぞくぞくと粟立あわだち、相村を得体を知らない恐怖が襲った。


「さあ、生まれ変わるときは今です!」


 生き生きとした表情の四季紫が相村の前に立ち、暗闇の中、両手を天高く掲げる。それが合図だったのか、まだ起動できるスタジアムの照明が一斉に点く。

 あまりにも眩い光に、相村は思わず顔を伏せる。聞こえてきたのは、この魔法世界の夜には不釣り合いの、大量の人々の歓声だった。


「なんで、みんな夜の外にいるの!?」


 男の手が口から離れ、しかし身体は拘束されたままの相村は、周囲に広がる光景に、絶叫する。

 異様としか言い様がなかった。どしゃ降りの雨の中、スタジアムの観客席には、グラウンドにいるこちらを見つめる人々が大勢いた。さすがに満員ではないが、野球場でいう内野席には、空きがないほどだ。


「八仙花会は、夜の世界の支配者たる”捕食者イーター”こそが、人間の良きパートナーになれることを信じているのです!」


 照明の光が高らかに吠える四季紫に注がれ、その中心で、四季紫は両手を掲げる。


「何、言ってるの……?」


 再び雨風に打たれる相村は、四季紫の背を見つめ、問い質す。


「人間の身体は弱く、例え丈夫でもいつかは死に至る。魔法世界となった今、新たな生命体である”捕食者イーター”こそが、人間の代わりたり得る存在なのです」


 夜の中でも爛々と光る四季紫の双眸そうぼうは、じっとりとした目つきで相村を見つめる。


「世の中には”捕食者イーター”を恐れる人が多くいますが、それは誤りなのです。私たち人間は、夜の世界の支配者たる”捕食者イーター”に感謝することで、初めて報われることが出来るのです」


 そう宣言する四季紫の言葉を、彼女に寄り添うようにして立ち、自身は雨に濡れながらも四季紫の頭上に魔法の傘を差し続ける信者は、感服して聞いているようだ。


「人と”捕食者イーター”は、夜の世界でも自由に共存すべきなのです」

「馬鹿げてる……。人を食う化け物と共存なんてできっこない!」

「なぜそう言い切れるのです? かつてより私たちが言葉も通じぬ動物をペットとして飼え、共存出来たように。人間と”捕食者イーター”も良き理解者となれるとは思いませんか?」

「無理に決まってる! ねえパパ! おかしいとは思わないの!? こんなの狂ってるっ!」


 相村が振り向き、立ち尽くす博文に問い掛けるが、博文は何も言うことをしない。

 そっと顎に長い爪の手が触れたかと思えば、四季紫に強引に顔を掴まれ、相村は四季紫と至近距離で向き合う。


「私たち人間がかつてペットとなる動物と共存出来た一番の明快な方法。それは餌付けです。どんなに言葉が通じずとも、動物は所詮生き物。欲求には抗えないのです」

「餌付けって……まさか!?」

「そのまさか。”捕食者イーター”にとっての餌とは、人間。そうして私たちは”捕食者イーター”に餌付けをすることで、良きパートナーになることを目指しているのです」


 八仙花会の真の活動を聞かされた相村は、怯え、雨による寒さよりもの恐怖により、身体を震わせる。


「なれるわけない。アンタ、本当に狂ってるよ!」


 そして同時に、怒りもこみ上げ、相村は叫ぶ。


「ウフフ。どちらが本当に正しいか、じきに分かります」

 

 スタジアムの移動式照明が遠隔操作で動き、ベースベールで言うピッチャーがボールを投げる場所、マウンドの位置を照らし出す。

 そこには、雨が降りしきる中、目隠しをされ、腕は鎖で繋がれて身動きが出来ないでいる複数人の人間の姿があった。


「彼らは何と嘆かわしいことか、八仙花会を抜けようとした愚か者たちです。当然、罰は受けて頂かなければ」


 四季紫は相村の肩に手を添え、同じ方を見て言う。

 手と口を拘束され、目隠しをされている人々は、皆一様に身体を震わせている。おそらくきっと、これから自分の身に起こるであろう事を知っているのだろう。

 相村もすぐにそのことを想像し、四季紫を睨み上げる。


「こんなのやめさせて!」

「いいえ。彼らには私たちが”捕食者イーター”と友好的な関係を築くための、餌となってもらいます。そして……貴女にも」

 

 四季紫は相村を見つめ、ほくそ笑む。

 その言葉にぞっとしたのもつかの間、今は、ただ目の前に立つ女の異常さにひたすら腹が立っていた。この女は、人の命を軽視していると。


「私はアンタの考えなんかに惑わされない! みんなも目を覚まして! こんなの絶対におかしい!」


 スタジアムの座席に集う信者たちに向け声を荒げるが、それはことごとく雨の音にかき消され、はなから聞く耳を持たない人には届くはずもない。


「目の前で人が喰われる瞬間を見れば、貴女の心もきっと変わります」


 四季紫は確かな自信を抱いたまま、相村の後方で立ち尽くす博文に声を掛ける。


「では、よろしいのですね相村さん?」

「ま、待て四季紫……こ、これは……」


 さすがの博文でも、絶句しているようだった。

 不覚にも相村は、そこに一縷いちるの望みを抱いてしまうが。


「お忘れですか? 貴方の会社を立て直すためには、私たち八仙花会の力が必要だと」

「……」


 四季紫に諭され、雨に打たれる博文は、大男に拘束されている実の娘を見つめる。


「私は、お前を愛している」


 白髪交じりの髭の口元が、雨粒の果てから、そう微かに動いていた。


「—―だがそれ以上に、私は私の会社、私が今まで築き上げたキャリアが重要なのだ。ここで全てを失うわけにはいかない! いかないんだっ!」


 だから佐代子、と博文は冷酷無情の目を、娘に向ける。


「すまない……がせめて、私の為となれ」

「パ、パ……?」


 まだ心の何処かで、父親を父親として信じていた自分の存在は、ここで脆くも崩れ去る。


「どうすれば、良かったの……私は……?」

「魔法学園なんてところには行かず、社長令嬢として、取引先との交渉材料に使われれば良かったものを……」

「そんなの、絶対に嫌だ……。私は、ヴィザリウス魔法学園にいたかった……」

「この後に及んでまだ言うか。頼むからこれ以上、私に恥をかかせないでくれ」


 博文は冷酷に言い切ると、踵を返してスタジアムの内部に戻っていってしまう。彼の部下の男も黙ったまま、それについていく。


「後は頼む四季紫。せめてもの娘への情けだ。観客席から見ておこう」

「はい。きっと素晴らしい光景が見られますとも」


 がっくりと項垂れる相村の両肩を、四季紫の側近が掴んで持ち上げる。


「ご安心を佐代子さん。貴女のような生贄がいることで、いつか八仙花会の崇高な教えは全国に響き渡り、人は理解します。”捕食者イーター”と果てない戦いを続けるよりは、”捕食者イーター”に餌を捧げる事が、最良の策なのだと」

「……」


 髪から雨を流し続ける相村は、歯向かう気力すら、もう失くしてしまっていた。


            ※

 

 雨がどしゃ降りになる少し前。

 誠次と千尋と千葉ラビットパークで別れた長谷川は一人、夜間外出禁止法の為に終電のリニア車に乗り、ヴィザリウス魔法学園がある東京へと戻っていた。


「……俺だって、自分の手で助けたいとは思うさ……」


 がらがらの車内には、人は他にいないようだ。数十分のうちには東京に着く速度で走るリニア車だが、長谷川にはその時間が今はとても長く感じられた。


「……でも、とても無謀だ。俺には、そんな力なんてない……」


 窓の外を走る雨粒と、その奥に写る屈折した自分の姿を見つめ、長谷川は小さくため息をする。

 誠次と殴り合い、ざわついた心情は未だに穏やかになってはくれない。自分がおよそ一年間仕えていた兵頭ひょうどう相手でも、あんなにまでも我を忘れて怒鳴り、ましてや殴り合った事などないというのに。

 あくまで自分の意見は押し殺し、表立つ人が掲げる正しいと思う意見に従い、ついていく。卑怯と言われればそうかもしれないが、処世術ではある。こんな俺になんて――。


「……相村」


 しかし、剣術士は、誠次は言った。それでも相村佐代子は、自分の事を好きなのだと。

 急に太股にあった棒状のものの感触が強くなったようで、座席に座る長谷川は、おもむろにズボンのポケットからそれを取り出す。誠次に投げ渡された、相村の電子タブレットだ。


「……相変わらず派手なんだな」


 つくづく、自分とは真逆だと思い、長谷川は呟く。

 指で押し、本体を起動すると、すぐさまパスワード入力画面が浮かび上がる。


「……相村の誕生日も知らないなんて、彼氏失格だよ、俺は……」


 ありがちな四桁の数字を入力しようにも、それすら知らないでいて、手が止まってしまう。

 まさか、と思いつつも、試しに自分の誕生日を押してみる。


「嘘、だろ……」


 疑心暗鬼だった胸の奥は、途端に羞恥へと変わっていく。まさかのパスワードは自分の誕生日であり、待ち受けに広がった画像も、自分が教室で居眠りしている姿を勝手に撮られたものだった。

 気恥ずかしさを堪え、長谷川は頭にそっと手を添える。


「何をやってるんだ、俺は……」


 この憤りは、彼女の電子タブレットを勝手に見てしまった事か? いいや違う。だったのならば、逆に相村にまた、いつも通り文句を言いたい。分かりやすすぎるパスワードにして、個人情報を軽々しく流失させようとしてくれるなと。いつも脇が甘く、自分以外の男子に構わず声をかけ、ふらふらしていて見て見ぬふりなどとても出来ない、大切な存在。


兵頭ひょうどう先輩……。貴方は、今の俺を見たら、きっと大きな声で叱責するんでしょうね……」


 もう片手で自分の電子タブレットを取り出し、長谷川はまだ連絡先に残されている偉大な魔術師の先輩に、連絡をかけていた。

~一五年分の仕返し~


「……なんだ、こりゃ……」

まさとし

           「どうした?」

             しんぺい

「いや……。なんか、身に覚えのない引き落としがされてんだよな……」

まさとし

            「……まさ」

             しんぺい

「? 急に昔のあだ名とか気味悪いからよせよ」

まさとし

「しっかしなんだこりゃ……?」

まさとし

「また俺酔っぱらってなんか変なサイト登録しちまったのか?」

まさとし

                「……今度、なんか飯奢ってやるよ」

                           しんぺい

「急に優しいのなんで!?」

まさとし

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