8 ☆
日本各地に設置されている緊急避難シェルターとは、夜間での帰宅が困難になったときの為に”捕食者”から逃れるために用意された、地下施設だ。夕方の時刻になれば誰でも入ることが出来、中には数十人が一夜を明かすためには十分すぎるほどの設備や食料が備わっている。あくまで緊急時の運用に限り、使用可能な施設なので、それ以外での利用は法律で罰せられる。
「天瀬……」
二人組の特殊魔法治安維持組織隊員に連れられ、横浜中華街付近の緊急避難シェルターまで徒歩で向かう誠次へ、同じく護送されている篠上綾奈がそっと声をかける。
憧れの組織の目指すべき隊長である日向に、自身の思いの丈を叫び、やや俯いていた誠次は、顔を上げる。
「どうであれ、特殊魔法治安維持組織が人のために必要なことに変わりはないはずだ。今は、信じるしかない」
誠次の言葉は、少年と少女を連れている二人の特殊魔法治安維持組織隊員にももれなく通じているはずだ。
そんな二人組の隊員たちは、硬い表情を変える事もなく、黙々と歩き続ける。
むすっとした表情を見せる篠上は、夜の暗闇の中だというのに、何と大声を出していた。
「本当っ、アンタ絶対に特殊魔法治安維持組織になるべきよ!」
「し、篠上!?」
本人たちを前に、そんなことを言い出す篠上に、誠次は慌てる。
しかし篠上は大きな胸の下で腕を組み、得意気な言葉を続ける。
「魔法が使えなくたって、関係ないわよ。なんだったら……いや、私が一緒にいれば、問題ないでしょ!?」
「特殊魔法治安維持組織はそんなに甘くは……」
「将来的に、よ。それがアンタの夢だったら、私は絶対一緒にそこを目指す。約束」
篠上はそう言いながら、左手をこちらに差し出す。
暗いせいで、篠上の表情はよく見ることは出来ないが、何となくどんな表情をしているのか分かる気がした。
「もし、私が一緒に特殊魔法治安維持組織になれなかったとしても、アンタの傍にはちゃんといるから。その……私、料理とか得意だし、アンタの帰るところに……いれるはず……だから……」
最後の方には、やや語気をなくしていた篠上の白い手を誠次はそっと握り返していた。
「あ……」
「ありがとう篠上。未来がどうなるか、今は想像もつかないけど、俺がやることは変わらない。その先に篠上がいてくれると言うのなら、俺はその期待に応える」
「馬鹿……一々格好付け」
ぎゅっと、こちらの左手を握り返しながら、苦笑する彼女の嬉しそうな表情が、輝いて見えた。
「……青春か」
「……青春だな」
今まで無言を貫き、状況上二人の会話を聞いていた特殊魔法治安維持組織の隊員たちが、初めて口を開いた瞬間だった。
やがて間もなく、緊急避難シェルターに二人は無事送り届けられる。シェルターのすぐ近くの横浜中華街の看板を見上げ、篠上はここが横浜であることを知ってたいそう驚いていた。
「夜が明けるまで、この中に避難していなさい」
特殊魔法治安維持組織の隊員たちは、そう言い残し、再び夜の闇の中に向かっていく。”捕食者”がもう怖くはないのか、或いはその脅威をまだ体感したことがないのか。学生ながらすでに、何度か”捕食者”と戦闘を繰り広げていた誠次は、闇に溶ける彼らの後ろ姿を、篠上と共に見つめていた。
シェルターへは、電子キー操作で中に入ることが出来た。地下鉄駅の入り口に似た階段を降り、重厚そうな鋼鉄のドアが、緊急事態かもしれないと言うことを加味してか、一瞬で開く。中に入ると、安心できる量の灯りが煌々と点いており、人二人を通し終えたと判断した後方のドアはすぐに閉まる。
「みんな!」
通路を駆け足で進み、篠上と共に二つ目のドアを開けると、そこにはここが地下であることを忘れさせる広大な大自然の光景が広がっていた。
「うわ……」
「これは、バーチャルリアル……?」
驚嘆する篠上と誠次。
地下に避難したと言うストレスを解消するためか、ホログラムの立体映像技術等を駆使した広い公園の映像を見せつけられてる。地下である以前に、現実である事も忘れさせられるようだ。
「見て! 蝶々が飛んでる!」
「本当だ。ずっとここにいたくなってしまうな」
風も感じるし、それに合わせて木々が揺らぐ音や、鳥の鳴き声もする。実際は狭い地下空間なのだろうが、奥行きは果てしなく広がっているようだった。
「――天瀬! 篠上!」
雄大な景色を前に、しばし動けないでいると、草原の方から悠平が駆け寄ってくる。
「本当に良かったぜ。二人とも無事で!」
「悠平……こっちこそ」
誠次もまた、みんなの無事をこの目で確認することが出来て、ほっと一安心する。
「誠次先輩! 綾奈先輩!」
「せーじ! 綾奈せんぱい!」
結衣と心羽も、草原の方から駆け寄ってきた。
「やってくれましたね! 誠次先輩!」
「ああ。俺はやると言ったらやる」
「せーじっ!」
「うわ!」
心羽に抱きつかれ、誠次は思わず体勢を崩し、草原の上に倒れる。激しい戦闘を終え、足は棒のようになっていたのだ。背中に受ける草の感触まで見事に再現されているこの技術力は、三一年前にピークを迎えていた科学技術の産物だ。
「無事で良かった! あれ……ちょっとしょっぱい臭いする!」
倒れた誠次に馬乗りなった心羽は、倒したことを少しだけ申し訳なさそうにしながらも、心から安心したようで、誠次を見下ろす。
「海の中に入っちゃったからかな」
擬似草原の上に寝転んでいると、今日一日の疲れが一斉に出たようで、誠次は心羽に見下ろされたまま大きなあくびをする。
「ここ、お風呂もあるんだよ!?」
「そうか。塩でベタベタだし、入りたいな」
ふと、遠くの方へ視線を向ければ、銀髪の青年が歩いてやって来ているところだった。
ノア・ガブリール魔法博士。若き天才とまで言われたその偉大な魔法博士という称号は、残念ながらマフィアたちが資金源の為に作り上げた虚像の存在であった。
それでも彼は一人の人間であり、守るべき大切な家族がいたことに違いはない。
女性ファンが多いことにも納得の顔立ちは、彼がずっと被っていたシルクハットを手に持っていたことで、より明るく鮮明になる。それに、マントもなかった。
「剣術士……。やはり君は、狐娘とそのような……」
「だから変な誤解は勘弁してください!」
何かを察した様子の心羽が慌てて立ち上がり、誠次も重たい身体を今一度起こす。
「失礼。君には最大級の敬意を払わなくては。これを、差し上げよう」
ノアは両手に持っていたシルクハットを、誠次に差し出す。
「こ、これは……」
「私のサイン入りだ」
得意気に微笑むガブリールに、誠次は受け取ったシルクハットをまじまじと見つめて、
「い、いらない!」
「何と失礼なっ!」
オークションで売れば一万ドルは下らないと言われたが、誠次はそれを心羽に被せてやる。
最初はびっくりしていた心羽だったが、すぐに嬉しそうに微笑む。
「心羽もよく頑張ってくれた。これは心羽が受け取ってくれ」
「ありがとうせーじ! ガブリール魔法博士!」
「……もう、私は魔法博士ではないよ」
彼が言うとおり、シルクハットもマントもない今の彼の姿は、ただのイギリス人青年そのものであった。何をもってイギリス人とするかは人それぞれであると思うが、肩の荷が降りたような、すっきりとした表情をしている今の彼の姿は、間違いなくそうだと、誠次は直感していた。
「妹さんはご無事でしたか?」
「特殊魔法治安維持組織によって病院に搬送されたよ。命に別状はないようだ。明日、その病院まで向かう」
「護衛はつけなくて大丈夫ですか?」
「マフィアたちはもう、私たちを捕まえにはこないさ」
それに何より、とガブリールは周囲を見渡して、再び誠次に視線を戻しながら、こう言う。
「この国は平和だ。君のような存在がいてくれる限りは」
「大袈裟ですよ。俺には、身近なものを守るだけの力しか、持っていないです」
「私はその誠実さこそが、誇るべきものだと思うのだ」
ガブリールは素手を差し出す。
「ありがとう剣術士。この魔法世界で君と出会えたこと、私の生涯の誇りに思う」
「こちらこそ。みんなを助けられて、嬉しいです。今ならはっきり分かるんです。俺はみんなを守るために特別な剣を持って、戦うんだって」
「戦いの先に待つ未来が、夢と希望に満ち溢れたものであるよう、願ってやまないよ」
「必ず実現させます。誰一人欠ける事ない平和な魔法世界で、みんなの笑顔が、俺は見たいですから」
自分のよりは大きく見えるその手を取り、誠次はガブリールと握手を交わしていた。
「これから、どうする気ですか?」
せっかくマフィアたちの呪縛から解き放たれたのだ。昨日より辛い明日を迎えてもらいたくはなく、誠次はガブリールに問う。
「幸いにも私の貯蓄は大きく残っている。シアと共に、この国で自分の身の振り方は考えるよ。なに、もう私は一人ではない。大切な妹が居てくれるからな」
ガブリールは少しだけ恥ずかしそうに視線を逸らしながらも、その表情には絶望の色が全くないことを、知らしめてくれた。
普段ならば絶対にヴィザリウス魔法学園の中にいるはずの時間である夜の八時過ぎ。ここが地下室であることも忘れるほどの広大な草原空間は、太陽光の調整も可能だ。
今は昼間に調整されている空間の中で、悠平はシェルター備え付けのサバイバル飯を用意していた。
「おっ、これも美味そう! こう言っちゃなんだが、サバイバル飯ってテンション上がっちまうな」
「フム。やはり日本のこの様な保存技術は、目を見張るものがあるな」
ガブリールも横に立ち、ホログラムの立体画像によるメニューに目を光らせる。パネルをタッチすれば、地下室に保存されていた食品が自動で作られ、提供されるという仕組みだ。
「男の人ってこういう時、頼りになるんだか、ならないんだか」
結衣はさっさとパネルをタッチして、草原の間から料理が上がってくるのを待っている。
「ハッハッハ。風呂には入ってきたか、結衣?」
悠平がドリンクを差し出すと、湿った髪をワイヤレスドライヤーで乾かしている結衣は「ありがとう」と言って受け取る。
「とても広かったわ。お兄ちゃんたちも早く入ったら?」
「俺はどっちかっていうと、飯優先なんだよな。でも、後で誠次と一緒に入るか」
迷うぜ、と呟きながら、メニューをスクロールしている悠平である。
結衣は桃色の髪を摘まんで離し、悠平の隣に座っていた。
「……今日は、助けに来てくれてありがとう、お兄ちゃん。私の中でお兄ちゃんって呼ぶの、まだ何だか変な気分だけど、それもすぐに慣れてみせるから。天下無敵の私だからね」
思わず笑った悠平は顔を上げ、張り切る結衣の横顔を見つめていた。
「そっか。まあぶっちゃけ、俺も桃華ちゃんが妹になったってことが、まだ不思議なんだ。でも、責任感って言うのかな、それはきちんと、俺の中で沸いてるんだ。家族ってのは、命を懸けてまで守るべき価値のあるもんなんだって」
悠平は横に並んで立つガブリールに、ハッキリとした緑色の目を向ける。
「アンタもそうなんだろ? ガブリールさん」
ガブリールは、うむ、と深く頷いていた。
「妹は良いものだ」
「……いや、そういう意味じゃない……」
悠平はげんなりと肩を落とす。
「まあ、桃華ちゃんの事は、悪いけどアイドル時代のスクープ記事で聞いていた。両親に捨てられて、芸能事務所お抱えの孤児院で育てられた偶像アイドル、ってな。酷い見出しだよな」
「別にいいわ。そんなの、あの世界ではよくあることよ。……事実だし」
結衣は太股近くの草原の草を摘まんで引き抜こうとしたが、あくまで映像なのでそれは出来ず、触った、と言う感触が虚しく手に残るだけだった。
そんな結衣の仕草をじっと見つめていた悠平は、ため息を溢し、遠く真っ直ぐを見つめていた。
「本当の家族ってのにはなれないかもしれないけど、家族ごっこにするつもりもない。兄貴として、困ったことがあったら何だって頼ってくれ。それが、”結衣の兄貴でいる俺”と、”桃華ちゃんを守る誠次”との約束だからな」
「……ありがと、お兄ちゃん。私は、お兄ちゃんの家族になれて、本当に良かったって思ってる。魔法生生活は思った以上に大変だけど、私も頑張るから」
結衣は悠平を見つめ、笑顔で言っていた。
「おう! ……あ、あと一つお願いがあるんだ」
「なに、お兄ちゃん?」
「もしも、もしもだぞ!?」
「う、うん……?」
急に慌て出す悠平に、結衣は訝しげに首を傾げる。
「もしも、誠次と、その……”くっつく”ような事があったら、せめて俺には連絡をいれて欲しい!」
「く、くっつく?」
「そうなったら、俺は、誠次の義理の兄貴にもなる……。アイツまで弟になるのは、ちょっと、覚悟がいる……」
「は、早とちりすぎっ!」
結衣は左右の髪を逆立て、顔を真っ赤にして叫んでいた。
「……それに。今はまだ、あの人があの場所にいる事が相応しいから」
結衣は赤い眼鏡に光を宿し、遠くに見える木々の下にいる二人の姿を見守っていた。
仲が良さげな小鳥たちのせせらぎの中、大きめな四角く分厚い弁当箱を、誠次と篠上は引っ張り合っていた。
「だから、ちゃんとしたの作り直すから! 我慢してってば!」
「まだ食える! せっかく作ってくれたのに勿体ないだろ!?」
本当は昼頃に食べる予定だったはずの篠上の手作り弁当は、心羽が預かっていた誠次のリュックサックの下の方に埋まっていた。普通の弁当箱だったので、当然料理は冷めてしまっており、戦いの動きによって端の方に寄ってしまってもいる。
「嫌よっ! せっかくだったら、もっと美味しいものをアンタに食べて貰いたいのっ!」
「見た目はあれだけど、食えば仏かもしれないだろ!? 限りある食料を大切にするんだ!」
「住めば都みたいに言わないでよ!」
「ど、どうしてせっかく一緒に助かったのに、喧嘩してるの!?」
弁当箱を奪い合う二人の前で、心羽ははらはらとしながら、髪の耳と尻尾をぴんと立てていた。
最終的には折れた篠上が、誠次に弁当箱を差し出す。
「馬鹿……。美味しいの、ちゃんと作り直すって言ってるのに……」
「篠上がせっかく作ってくれたのを、無駄にはしたくない」
お腹と背中がくっつきそうになるとはこの事か、と言わんばかりに、朝から何も入れていなかった誠次の腹は悲鳴を上げていた。
「……不味くても、文句言わないでよね」
「不味いわけがない」
形は確かに残念な事になっているが、その味に大きな変化はないはずだ。
くちびるを尖らせる篠上が見つめるすぐ隣で、誠次は「頂きます」と言い、おかずと米を交互にたいらげていく。
無言で弁当を頬張る誠次に、やがてそわそわとし始めた篠上が、赤い髪の毛を触りながら訊き始める。
「……どうなのよ?」
「……美味い」
「でしょっ!?」
篠上はすこぶる嬉しそうに、やった、とガッツポーズまでしていた。
「本当はもっと美味しいんだから! 今度また、絶対に食わせてやる!」
張り切る篠上を隣に、これは本当に自分と同い年の人が作ったものなのか、と感じるまでに、誠次は弁当と共に感動も味わっていた。
――ぐーっ。
明らかに男のものではない、その可愛らしいお腹の音は、目の前で羨ましそうに弁当を見つめる心羽から聞こえた。
「い、今のは! 違うよ!?」
お腹の鳴る音を聞かれた心羽は、恥ずかしそうにお腹を抱え、髪の尻尾と耳を丸めて蹲る。
それを見た誠次と篠上は、同時に口を開いた。
「心羽も食べるか?」「心羽ちゃんも食べる?」
はっとなった二人は、見つめ合い、これもまたおかしく不思議なもので、篠上がくすりと微笑み、誠次は吹き出す。二人はしばし、ここが今どこであるのかと言うことも忘れて、笑い合うのであった。
「さっきまで喧嘩してたり、急に仲良くなったり、二人とも面白いっ!」
誠次が箸で摘まんだ料理をパクリと口に入れてもぐもぐと。心羽もまた、篠上の弁当を美味しく頂き、にこりと微笑んでいた。
※
『現在時刻午前八時を迎えました。今日の主なニュースです。昨夜未明、横浜のレンガ港にて、特殊魔法治安維持組織の活躍により、イギリスから潜水艦で密入国を行った犯罪グループを多数逮捕しました。大破していた潜水艦には、現代に甦ったカリブの海賊こと、イギリスマフィアのボスの男も搭乗しており、こちらも特殊魔法治安維持組織によって逮捕されたようです』
モーニングコーヒー、ではなく、モーニングティーの香ばしい香りが、白い病室の中に漂っている。
兄のマントやシルクハットに憧れて、兄に買って貰った大きな赤いリボンが頭の上からなくなっている事を感じながら、シア・ガブリールは病室のベッドの上で目を覚ました。
「リボン……蝶々みたいになって、飛んで行っちゃった……?」
上半身を起こし、その喪失感に苛む。大好きな兄が、まだ両親がいた子供の頃、お小遣いをはたいて買ってくれた、大切なものなのだ。決して裕福ではなかった一家で、自分のお小遣いをはたいてまで、プレゼントをしてくれた思い出は強く残っている。
両親を”捕食者”で失い、兄妹揃ってその身柄を”悪い人たち”に確保された後、兄がどんなに辛い日々を送っていたのかを知っていたから、せめて、自分の事で兄を悩ませたくはなく、欲しかった洋服も我慢していた。
「……悲しい」
「――シアっ!」
ベッドの上でしょぼしょぼしていると、兄であるノアの声が聞こえた。
顔を上げると、病室の入り口に、いつものマントとシルクハット姿ではなく、エプロン姿の兄がいた。手には洗濯物を持っているようだ。
「お兄さん……」
「ああ、良かった! ちょうどこれを洗っていたんだ! 洗濯機の使い方がよく分からなくてな」
ノアが差し出したのは、洗いたてのシアの赤いリボンだった。
「あ、良かった……」
「フッフッフ! 私が妹の大切なものをそう簡単に見逃すとは思うな!?」
「……ありがとうお兄ちゃん」
シアはリボンを受け取り、大事そうに胸に添える。
「しかし、怒らなければならない。どうしてこの国で逃げようとしたんだ、シア? 多くの人に迷惑をかけた」
「ごめんなさい……」
シアは申し訳なく、布団をぎゅっと握って項垂れる。
「……私がいなくなれば、お兄ちゃんは自由になれると思った」
「マフィアは甘くはない……。捕まったら、きっと殺されていた。遠く離れたこの国だから、逃げられると思っていたのか?」
「それもあるけど、ここは、怖い人が少ないから」
「怖い人? マフィアのことか?」
シアは俯いたまま、首を横に振る。
「それよりも、もっと……。国際魔法教会」
「国際魔法教会? 彼らは魔法の力を使って世界平和を実現させようとしている立派な組織だ。怖いところなんてないよ。それは、魔法が使えない人から見れば怖いとは思うけれども」
確かに魔法国家化に失敗したとも言える日本では、未だ世界から見ても国際魔法教会の支配力が強くはない部類に入るだろう。していることは、世界の平和と秩序を守るための活動。そんな国際魔法教会を怖がる妹に、ノアは首を傾げていた。
「そうじゃないの……そうじゃ……」
「シア……。君は幼い頃から不思議な女の子だった。そんな君の言葉を、ずっと信じてこなかったのは、誰よりも近くにいるはずのこの私だったのかもしれない」
ノアはシアの手を取り、ぎゅっと握っていた。
「君が怖かったと言うのならば、私も信じよう」
「……ありがとう、お兄ちゃん。……ごめんなさい、ちょっと、頭が痛い……」
「そうだった。すぐにナースを呼ぼう!」
シアは再び、ふかふかの枕に頭を添え、横になる。
「シア。剣術……天瀬誠次くんたちのお陰で、私たちは自由の身だ。そうだ。お洋服を何か買ってあげよう。もう何を着てもいいんだ。我慢も、しなくていい」
「お洋服、もういらないかも。楽なのが、いい」
「レディとしてそれは駄目だ! ちゃんと教養も身につけなくてはな」
「……」
シアはくちびるをぶー、と尖らせていた。
不貞寝をしようかとも思ったが、そこで何かを思いつき、青い瞳を輝かせる。
「……じゃあお兄ちゃん。わがまま、聞いてくれる?」
「今まで私は魔法博士として、シアに頼りになってばかりだった。私に出来る事ならば何でも言ってくれ」
「じゃあ――」
※
GW最終日。
「へー。桜ちゃんと大垣耕哉くん、破局したのか」
ヴィザリウス魔法学園の購買にて、制服姿の誠次は雑誌の立ち読みをしていた。
「だから言ったんじゃけえ! 不釣り合い不釣り合い!」
相変わらず暇そうにしていたアルバイト店員の火村は、誠次の背後で小躍りする勢いで喜んでいる。
「そう言えば、眼帯取ったの?」
ずっと付けていた眼帯は誠次の右目からなくなり、誠次は両目を開け、活字を読むことが出来ていた。
誠次は右目の閉じたまぶたの上をそっと触り、今一度開いてみる。
「クリシュティナがもう取って良いって言ってくれたから、ようやく。……それに、これから会いに行く人たちに、あんな姿で心配はかけさせたくないから」
「誰かと会うの?」
「うん。GWには毎年必ず会いに行く、大事な人たちだ」
誠次は雑誌を閉じ、棚に戻していた。
「大事な人?」
「ああ。命をくれた分、命を懸けても守りたいと思えるし、いなくなったらとても悲しい存在だ」
「……」
火村も、何となく想像が出来たようで、誠次の事を見守るように立ち尽くしていた。
「ちわーっす、新刊でーす」
ちょうどその時、購買に新しい雑誌を持った配達員がやって来る。火村は慌ててそれを受け取り、確認のために差し出された、配達員の端末伝票をチェックする。
「うわ、ちょっと今日量多いかも……。GW明けだからかな……」
無人レジなので、もはや形式上となっている有人レジカウンターの上に山のように雑誌を積み、火村はため息を溢す。
「今時紙の雑誌なんて、どっかの誰かさんが立ち読みでもしない限り、普通は取らないわよ」
背後からわざと聞こえるような声量でかけられた言葉に、誠次はぴくりと反応する。
「デバイスが上手く使えないお年寄りのためや、元々ホログラムが苦手な人もいる。昔ながらのものを残しているのはその為だ」
「魔法が使えない人は関係ないと思いまーす」
「俺は紙を捲るのが好きなだけだ」
「何よそれ……」
言い張る誠次に、火村は苦笑をし、雑誌の並べ作業を行おうとする。
「魔法で運べばどうだ?」
横目でそれをちらと見た誠次が提案するが、火村は肩を落とす。
「ウチ、コントロール無いのよ。それに、何だかんだ自分が動いてやった方が早く終わる気がする」
「なら、魔法で浮かべてこっちまで運んでくれ。俺がそれを受け取って、並べるよ」
「はあ? バイト代出ないんよ?」
「立ち読みをさせて貰ったお礼でもある。まだ出かけるまで時間はあるし、二人でやれば早いだろ?」
何だかんだで、立ち読みがマナーが良いというわけでも無いという自覚を持つ誠次は、制服を腕まくりし、火村に告げていた。
鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしていた火村は、むっと口を結び、そっぽを向く。
「……あんた、やっぱ変」
「魔法が使えないからな」
「……」
言われる前に言ってやれの精神で言った誠次であるが、火村から何かを言われることはなく、代わりに飛んできたのは、言葉ではなく、雑誌の山であった。
「ちょっ!?」
戸惑いながらも慌てて雑誌類をキャッチしていく誠次は、火村を見つめる。
レジの方で、火村は誠次とは視線を合わせず、ぼそりと言う。
「手伝ってくれるお礼は言う。ありがとう、ございます……」
思わず苦笑した誠次は「構わない」と言い、棚に雑誌を陳列していくのであった。
「これは……」
運ばれて来た本の内、一つだけ目につくものがあり、誠次はそれをじっと見つめる。
「ちょっと!? いきなりサボる気!?」
「あ、ああすまない……」
ベルトコンベアよろしく次々と運ばれてくる本に頭をぶつけ、誠次は顔を顰めて髪をかく。
【ガブリール魔法博士によるなんと素敵な魔法世界】。
黒革の表紙には、そう書かれていた。内容は、ガブリール自身についてや、影武者であった名前は伏せてある妹の存在の暴露。それでも、この魔法世界で起こる不思議な出来事や、出会いの素晴らしさを描いている。
「……ゆ、有名人も、大変、なんだな……」
そうして何気なく飛ばし読みをしていた本の冒頭を再び見た途端、誠次は思わず苦笑していた。
【この本を、日本で出会えた偉大なる勇者にして、最高の友である剣術士に捧ぐ】
今後世界中で数百万部は発行されるであろう、世界的に有名な魔法博士の暴露本。日本の剣術士への献辞が、そこには書かれているのであった。
※
「はーい。みんな席について」
GWが明け、未だ初々しさが残る1-Aの生徒たちは、担任教師である向原の指示の元、朝のHRを始める。
魔法生生活が始まって一ヶ月。慣れていない環境に戸惑う魔法生が多くいる中、窓際の席で頬杖をつく眼鏡姿の女子生徒は、さすがの佇まいを見せていた。
朝のHRが始まる前は、誰かが誰かに告白したとか、嫌いな教師への悪口など、少女からすればどうでも良いことばかりな話題で溢れていた1-Aの教室に、お知らせが舞い込んできた。
「えーっと。GWは皆さん何処か行きましたか? 私は海に潮干狩りに行きました! お母さんと一緒に行ったんですけど、その時お母さんが黒くて大きなクジラと、赤と緑の蝶々を見たってうるさくて。浅瀬なのに見えるわけ無いじゃん?」
身内ネタをかます向原であったが、笑えないかもしれない内容に、どう反応して良いのかクラスメイトたちは分からず、お調子者の男子がひとり「へへっ」と笑うだけであった。
(へ、下手か……)
トーク力も磨いてきた少女からすれば、そう内心でツッコまざるを得なく、桃色の髪を震わしていた。
「――ううん。クジラはいたけど、元の場所に戻っていった。もう、悪いことはしない」
急に向原の横の扉が開き、見覚えのある少女が、ヴィザリウス魔法学園の制服姿で現れた。
「え、あ、ちょっと!? 私が紹介するまでは廊下で待機って言ったはずよ!?」
慌てる向原であったが、頭に綺麗な赤いリボンを巻いた少女は、構わずに教室内を見渡している。
「蝶々は、とっても強くて、とっても優しい、みんなの憧れの王様だった」
西洋人形のような可憐な容姿をした少女の登場に、色めき立つクラスメイトたち。しかし、唯一自分だけは、あまりの驚きに全身を硬直させていた。
そうして、呆気にとられるこちらの赤い目と、少女の深海を思わせる青い目が合った。
「ウタヒメちゃん、見つけた。」
「あ、あなた、シア!?」
「うん。お礼、ちゃんと近くでしないと。あと、アイスのお金、返すね」
「「「うたひめ? 知り合い!?」」」
帳結衣の正体を知らないでいるクラスメイトたちが首を傾げる中、ヴィザリウス魔法学園に転入してきたシア・ガブリールは、嬉しそうににこりと微笑んでいた。
「……よく分かりませんけど、教師の目の前で金銭取引は控えて下さい……」
先代から続くAクラスの呪いとも言うべきか、何やら大変な事になりそうだと感じた新米担任教師向原は、ため息混じりに頭に手を添えていた。
Wizard Club 略して――ヴィザクラ。これは、電子タブレットのコミュニケーションアプリ上でのやり取りである。
「アンタの髪って不思議ね」
あやな
「後ろ髪の三本の事か? いきなりだな」
せいじ
「まるで触ったことがあるみたいに」
せいじ
「い、いいからっ! どうなってるのそれ?」
あやな
「心羽知ってる!」
ここは
「切っても切っても生えてくる呪いの毛なんだよ?」
ここは
「なにそれ……」
あやな
「不思議だよねー?」
ここは
「心羽ちゃんの髪の不思議さには負けるけどね」
あやな
「はっちゃん先生にやってもらった、大切な髪型なんだ!」
ここは
「可愛いわよ」
あやな
「ありがとう!」
ここは
「な、なんだこの得も言われぬ敗北感は……」
せいじ




