エピローグ
『衝撃的なニュースをお知らせ致します。アメリカのニューヨーク州マンハッタンに本部をおく、国際魔法教会の長官、ヴァレエフ・アレクサンドルが殺害されたとの情報が、入ってきました』
そんな衝撃的なニュースが、世界中を駆け巡ったのは、あれからグリニッジ標準時の翌日の話だった。
世界の魔術師の長が死亡した。死因は老衰でも病気でもなければ、戦死でもない、殺害。世界を揺るがすその第一報の後、日夜連続、ニュースはその報道で溢れていた。
世界中の多くの人類は、魔術師の父でもあったその偉大な人物の死を嘆き哀しみ、哀悼の意を捧げる。
――同時に、殺害と発表された以上、ヴァレエフを殺害した者の名もまた、全世界に公表されることなった。調査には数日かかったようで、それまで様々な憶測も流れていたが、それに終止符を打つ報道も、なされていた。
【ヴァレエフ・アレクサンドルを殺害したのは、日本の男子魔法生。彼に同行したと思わしき総理大臣も失踪】
そんな一報が、日本はおろか世界中に駆け巡る。
【日本の魔法生の名は、天瀬誠次。国際魔法教会本部にて、ヴァレエフ殺害の罪で即刻の処刑された】
世界の多くは、国際魔法教会を崇拝しており、またその王であるヴァレエフ・アレクサンドルは、偉大な人物だ。彼がいなければ国際魔法教会は存在せず、魔法の秩序も定められず、"捕食者"の脅威にも怯えるような生活を強いられていたことだろう。
そんな偉大な人を殺した少年への憎しみの声は、処刑されたと国際魔法教会によって公表されても尚、膨れ上がっていった。
ヘイトはそんな誠次の母国である極東の島国、日本にも向けられることとなる。当然、多くの日本人は、誠次によって引き起こされたいわれのないバッシングに、天瀬誠次個人への恨みを募らせる。
「魔法学園を辞めてまでしたかったことってのが、国際魔法教会の長官殺しかよ!」
魔法生が口々に、除籍処分となった誠次へ、怒りの声を上げる。もはや剣術士と言う言葉は、魔術師たちの間から禁句となって、忌み嫌われる事となっていた。
「ま、待ってくれよみんな。天瀬が、そんなことするわけが……」
中には、彼を庇う声もあるにはあったが、それも少数だ。
処刑された一介の魔法生天瀬誠次よりも、日本国内にとって重大なのは、同時に内閣総理大臣までいなくなってしまったと言うことだ。中には陰謀論と言うよりは、状況を鑑みて、誠次が二人ともに殺害したのではないかと言う見解まで浮かび上がった。
そんな、世界各国から疑念と憎悪の目を向けられることとなってしまった極東の島国に手を差し伸ばしたのは他でもない、国際魔法教会であった。
『偉大なる王にして魔術師の父を失った今、憎しみに呑まれることなく、手を取り合い、今一度団結する事が重要なのです』
そんな声を上げ、首相なき島国のトップに立ったのは、ヴァレエフの代わりとして、暫定的に国際魔法教会の長官となった女性、スカーレット・バーレンツ。
国籍はアメリカ。三二歳となる失われた夜の日生まれの女性であり、魔術師であり、国際魔法教会幹部の一人であった。
幹部たちからの人望も厚く、故人ヴァレエフからしても、自身の後継者のNO.2であった。
首相不在の日本における暫定トップとして、彼女は国際魔法教会の長官と兼任をして、魔法発展途上国でもあった日本を統治していくことになる。
必然的にこれにより、薺政権では実現することのなかった国際魔法教会日本支部の設立も、行われた。
場所は旧首相官邸。日本の古城を模した施設に、薺不在の今、国際魔法教会支部が設立されることとなった。
日本の最高指導者が、外国人である。そんな異常事態であるが、世界各国から向けられた敵意の雨――日本の男子高校生がヴァレエフを殺害したこと――から傘を差すことができたのは、他でもない、被害者たる国際魔法教会を除いて他にはなかった。
そうして、国家存亡の危機とまで言われた日本の混乱は、一応のところでどうにか収まろうとしていた。
――今日は、新たに国際魔法教会の長官として、ヴァレエフの意思と信念を継いだスカーレット・バーレンツその人が、日本に初来日する日だ。
彼女の来日を出迎えようと、国籍豊かな多くの関係者がハネダ空港に集まり、また多くの報道陣も、空港には詰め寄せた。朝のニュース番組はどこも、来日滞在し、これから日本のトップとなるスカーレットの様子を、生放送で中継する。通勤通学の者も足を止め、ある者都会のパブリックビューイングで、ある者は手元のタブレットで、彼女が乗る深紅の航空機が、日本の空港の滑走路に到着する様子を見守っていた。
「それにしても、馬鹿なことを考えたものね、その天瀬誠次と言う少年も」
航空機の中でスーツを身に纏い、スカーレットは英語で呟く。自身を乗せた航空機はハネダ空港の滑走路に着陸し、徐々にスピードを落としているところだ。
窓の外には、どこか鬱蒼とした曇り空の下、こちらを見つめる数多の人の姿があった。
「一世紀以上前、セルビアの青年がハンガリーの皇太子を殺害した時は、全世界中を巻き込んだ戦争になったと言うのに」
「第一次世界対戦、通称サラエボ事件ですね」
そう相づちをうったのは、スカーレットの秘書を務める若い青年、国際魔法教会職員のエドモンドだ。
「今の日本の状況はまさしくそんな状態だわ。たった一人の少年のせいで、世界各国から恨みを買ってしまっている。私が直々にこの島国を統治することで、日本を守ることが出来るのです」
「と同時に、国際魔法教会の支配力も高められる。日本は経済大国でありながら、魔法発展途上国でした。薺紗愛は生ぬるかったですからね」
エドモンドは流し目をしながら、微笑むようにして言う。
「滅多なことは言わないで頂戴、エドモンド。偉大なるヴァレエフ様の後継者として、ただでさえ重たすぎる重圧を背負っているのですから」
「これは失礼を致しました、スカーレット様」
やがて完全に静止した機内で、エドモンドはぺこりと頭を下げる。
雨が降ってきそうだ。多くのスーツ姿の日本政府高官や、警察隊。国際魔法教会関係者が待ちわびる中、スカーレットはいよいよ座席から立ち上がった。
「なんの真似、エドモンド?」
そうして立ち上がったスカーレットの目の前に差し出されたのは、真っ赤なリンゴであった。エドモンドが手のひらの上に乗せ、見せつけるようにしてくる。
「お一つ、如何ですか?」
「馬鹿な真似はおよしなさい。誰が今この瞬間に、そんなものを食べるのですか」
「そんなもの、そうですか……。歯応えは人間の骨肉のように程よく、人間の血のように甘い果物だと言うのに……」
エドモンドは残念そうに肩を竦めると、真っ赤なリンゴを、魔法式の中に隠すようにする。
「……あなた、エドモンドじゃないわね? 一体誰なの!?」
これから共に日本で執務にあたる腹心の部下がすり変わっている。そんな異常事態に異国の地でようやく気がついたスカーレットは、咄嗟に魔法式を展開する。
「ああ……エドモンド君はこう言うことはしないんだね……では、キスでもどうですか、スカーレット?」
「ふ、ふざけないで頂戴! 貴方は一体誰なの!?」
「そう騒がないで、スカーレット。これから大事な大事なショーがあるんだから。お客さんが驚いて逃げてしまっては、元も子もない――」
エドモンドに変装していた人物は、そうして窓の外を、そっと見つめる。
『只今、エアステアが作動し、階段が出来上がりました。いよいよ日本の新しいリーダー、国際魔法教会長官の、スカーレット・バーレンツ氏が、降りてくると思われます!』
日本国内外の多くの報道機関が、一斉にカメラのレンズを向ける。
「降ってきやがった……」
カメラマンの誰かが鬱陶しそうに呟いて天を見れば、鼠色をした分厚い曇から、ポツポツと、大粒の雨が降ってきていた。
それが滑走路の上に次々と大きな染みを作っていく。黒く、じんわりと広がった雨の染みが、やがてぐんと、天を目指すかのように蠢いた。目の錯覚だろうか、いや違う。
『このまま空港より旧首相官邸、国際魔法教会関東支部に行かれますスカーレット氏は、そこで就任式を行い――』
――ズドーンっ!
雷の音が、轟いた。一瞬の閃光が、煌めいた。人々の驚きの声や悲鳴。それを流すように、強い風も吹く。それはまるで、天から降り注ぐ涙の雨を、巻き上げるように。
「"捕食者"だーっ!」
誰かがそう叫んだ。
重なる人の悲鳴と怒声。
朝の日本の空港より、黒い物体が次々と形を作り、出現する。雨を弾き、風をもろともせず、異形の黒き怪物たちが、多くの要人が集う空港に、降臨していた。
「そん……な……っ! 今は朝の筈でしょう!?」
停止した航空機の中から窓の外を覗いていたスカーレットは、青冷めた表情で後退る。
「グリニッジ標準時、午前八時。正真正銘、今の日本は朝ですよ、スカーレット」
「――スカーレット様! 外に"捕食者"がっ!」
同乗していた他の国際魔法教会幹部の男が数名、スカーレットと謎の男がいるブロックに駆け寄ってくる。
「この男を捕らえなさい! ――きゃっ!」
スカーレットがエドモンドを指差して叫んだ直後、機体が大きく傾き、斜めになって宙に浮く。
「相変わらず力持ちだね、オーズ」
エドモンドは無重力空間を漂うかのように、傾き持ち上がった機体の中で、宙に浮かんでいた。
「"捕食者"が、機体を持ち上げている……!? 構造物に干渉しないはずじゃ!」
座席に必死にしがみつくスカーレットであるが、これでは魔法が発動できない。
雨が振る窓の外を見れば、黒い不気味な物体が、機体を押し潰すかのように、覆っている。みしみしと、金属が歪む音がして、電気が点滅を繰り返す。
「一度使ってみたかったんだよね、パラシュート。人間と同じさ。彼らも長い時を経て、学び、この魔法世界に適応しつつある。人が空を飛びたい夢を時間をかけて願い、叶えたように。僕たちも願いを叶えたんだよ」
エドモンドの声がした方を見れば、彼はリュックサック形式のパラシュートを背負い、航空機のドアを開けていた。
「さようならスカーレット。就任早々で申し訳ないけど、君には大役を引き受けてくれて、感謝するよ」
「大役、ですって……っ!?」
傾いていく機体の中、必死に座席にしがみつくスカーレットは、エドモンドを睨む。
「そう……新たな時代の幕開けの礎として、大役さ」
エドモンドは軽く手を振ると、膨大な量の雨と風を浴びながら、天へと羽ばたいた。
「ああ……幾ら君たちが足掻こうが、無駄なことさ。この滅びは幾億も前から決まっていたこと。ただ、先延ばしにされていたにすぎないんだ。もう、君たちに安住の場所も時間もない」
地上では、朝に突如出現した"捕食者"が、次々と人間に襲いかかっている。日本政府高官は一斉に逃げ出し、国際魔法教会幹部が魔法で応戦している。
パラシュートを開いたエドモンドは、スカーレットを乗せた航空機がすぐ近くで、巨大な"捕食者"によって丸飲みにされていく光景を見た。
「痛いかい? 僕も同じ苦痛を味わったんだ。この身を焼け焦がすほどの、途方も無い苦痛を。だから、今度は君たちの番さ」
窓から中を見れば、泣きながら悲鳴らしき事を叫んでいる、スカーレットの最期の姿があった。次の瞬間、"捕食者"が口を閉じ、新たな先導者を乗せた機体は、木っ端微塵となって捕食されていた。
「にーんげーん、なっぜ泣くのー? にんげんの勝手でしょー♪」
至るところで光る魔法の色と、立ち上る黒い煙を見つめながら、エドモンドは歌い嗤う。
国際魔法教会のトップが相次いで死し、夜ではない時間に"捕食者"が現れた。
世界はまたしても、三〇年以上前と同じく、混迷を極めようとしていた。




