5 ☆
"捕食者"がかつての旧魔法世界の住人や神の成れの果て。そして、それらを生み出していたのが他でもない、魔剣を振るっていたスルト自身であったことを知らされた誠次。
ロキの策略に嵌まり、目覚めたスルトによって身体の権限を掌握されたこの状況は、まさに悪夢であった。
そして、目の前で対峙するのは、ヴァレエフの姿をしたロキ。この二名こそが、現代の魔法世界に纏わる全ての事を、知っているはずだ。
答えはすぐ傍にあるのに、そこへはあと一歩、自分の足ではたどり着くことも出来ない。
救うべき人が目の前にいると言うのに、自分でこの手を伸ばすことすら、叶わない。
「喰らえ」
スルトが放った赤黒い炎が、ロキへと向かう。
ロキは大きく天へと跳び、その攻撃を躱すと、再び天の上からこちらを見下ろすようにして立ってみせる。
「ははは。いいのかいスルト。僕を殺そうとすれば、この身体ごと、中の老いぼれも死ぬ」
「悪いが、俺からすれば貴様を殺せれば、他のことなどどうでもいい」
「素晴らしい考え方だ。さすがは、戦争に勝つために、全ての人類を犠牲にしただけはある。その残虐さと非道さは、僕は大好きだったよ」
(もう、やめてくれ……スルト……)
度重なるショックが重なった結果、誠次は放心状態となりかけつつも、どうにか自我を保ち、スルトにぼそりと訴える。
「っち、耳障りだ! 少し黙っていろ!」
「どうしたんだいスルト? 焦っているのかい? 君らしくないな」
天を自由自在に飛び回るように動くロキを、スルトは忌々しく睨み上げる。
「まさか、珍しく情でも沸いたのかい? かつての人類全てを滅ぼした君が、他者を思う権利が、あるとでも思っているのかい?」
ロキは堪えきれないように、口を大きく開けて、笑い声をあげる。
「――そんなこと、赦されるわけがないよね?」
気がつけば、ロキはスルトの背後に回り込んでおり、スルトはロキによって、至近距離から全身を吹き飛ばされる。
「ぐはっ!」
(!?)
スルトが受けたと思わしき痛みと衝撃が、誠次にも伝わってきて、スルトと共に悲鳴をあげる。
スルトはすぐに体勢を立て直し、レヴァテイン・弐から炎を放った。
消せない炎は、大地を焦がし、また神を討たんと、大気を穿って突き進む。
「僕の防御魔法をもってしても、その魔法は止めることが出来ないよ」
ロキはほくそ笑みながら、身体を軽やかにしならせ、スルトの炎を躱す。
炎の残滓である火の粉が周囲に撒き散らされ、草花を焼き焦がしていく。
「スルトの中にいる剣術士くん。良いのかい? このままでは、君の両親を育て、君と言う存在をこの魔法世界に生んでくれたヴァレエフ・アレクサンドルは死んでしまう」
ロキの言葉に、誠次は微かに反応し、スルトに訴える。
(スルト……もういい……やめるんだ)
「この期に及んでまだあの神の言うことを信じるつもりか? 敢えて言うが、あの老人はもう手遅れ――」
(俺が、やる……)
誠次の言葉に、スルトは微かに肩を竦める。
「すでにこの身体は俺のものだ。悪いが、お前はもう意識だけの存在と化している。時期にその意識すら途絶え、いなくなるだろうがな」
(それでも、今だけは……せめて今だけは、俺に身体を返してくれ)
「無駄だと言っている。それに元より、お前の身体は限界を迎えている。そんな状態でこの炎を纏えば、お前では耐えきれまい」
(ふざけるな!)
誠次が思わず怒鳴り返す。
(この身体は俺のものだ……守るべきものを守り続けてここまできた……それをみすみす、人類を滅ぼしたお前なんかに明け渡してたまるものか!)
家族を"捕食者"に殺され、剣を握り、戦い続けてきたその身体。それが今になって、勝手に赤の他人に奪われていいわけがない。
「……」
スルトは誠次の叫びを受け、そして、そっと黒い瞳を閉じる。
「まったく……。ずっと見てきたが、お前はつくづく、愚かだ……」
(お前が言えることじゃないだろ……スルト?)
「……同じ、か」
スルトは、どこか納得したように、力を抜いた。
「無駄だよ、剣術士くん。もう君ではどうすることも――」
そう、途中まで呟いていたロキの目が、スルトの手元を見て微かに細くなる。
一瞬の光がレヴァテイン・弐に奔り、スルトが、立ち止まっていた。
「……まさか、一体、どうして……」
驚き戸惑うロキの視線の先では、
「ああっ、ぐあああああっ!」
紅蓮の炎を出すレヴァテイン・弐を握り締めたまま、両手で顔を押さえるスルトが、悲鳴をあげていた。
「俺は……ヴァレエフさんを、救うんだっ!」
レヴァテイン・弐の炎の色が、その叫び声に触発されて、青白く変色する。
「ハアハア……っ! ロキっ!」
その青白い炎に身体の約半分を焼かれながら、スルトから身体を奪い返した天瀬誠次は、ロキを睨む。
感覚はある。自由に身体も動かせるが、レヴァテイン・弐から放出されている炎は、容赦なく全身のうち右半分を焼いている。
「まさか……無理やり身体を取り戻したのか……? でも一体、どうやって……」
「ぐっ、ぐあああああっ!」
全身を焼き焦がす勢いの凄まじい熱の痛みに、誠次は金切り声悲鳴をあげるが、倒れることはなかった。
――長くは保たない。
青白い炎をその身に纏いながら、レヴァテイン・弐を構え、ロキの元まで突撃する。
「うおおおおおーっ!」
「そこまでの執念があるなんて……でも、その青い炎は扱えきれてはいないようだ」
興味深そうな視線を向けるロキは、迫り来る誠次へ向け、破壊魔法を連続して放つ。
誠次はレヴァテイン・弐を振るい、破壊魔法を両断しながら、突き進んだ。
「僕の破壊魔法を全て焼き尽くす。スルトのものと同じ炎……だけど、色が違う……」
「ロキーっ!」
叫びながら誠次は、とうとうロキの目の前まで到達し、レヴァテイン・弐を高々と両手で持ち上げる。
「……甘いよ!」
ロキは破壊魔法を目にも止まらぬ速さで発動。誠次の腹部を貫く威力の白い槍を放つ。
その槍は、誠次の腹部を抉りながら貫通するが、もはや炎に焼かれ続けている状態の誠次からすれば、そこの痛みなどあってないものだった。
「一体どうするつもりだい、天瀬誠次くん。このままこの老いぼれを殺すつもりなのかい? 君の両親の育て親を、君の手で!」
瞳孔を開いたロキが笑いかける。
その直後、大地から伸びてきた鎖が、誠次の手足を拘束する。ヴァレエフを磔にしていたものと同じ、ロキの魔法の鎖だ。
鎖でがんじがらめにされた誠次は、顔の半分を鎖によって締められ、目を潰されながらも、吠えた。
「貴様だけは、貴様だけはーっ!」
「無駄さ。君のその変色した炎では、僕の鎖は断ち切れないよ」
そう言った直後、ロキは違和感に気がつく。
誠次を縛り付けていた鎖に、次々とヒビが入っていく。
「これは……炎じゃない……」
鎖を破っていく誠次の姿を至近距離で見つめ、ロキはそう呟く。同時に、彼は微笑んでもいた。
「君は一体、何をしているんだ? トリックスターの僕でも、君には驚いているよ」
「ただ人を救う……守っていくだけだ!」
青白い炎のようなものを噴出し、それを立ち尽くすロキの目の前で掲げる。
あともう少しで、この刃が奴に届く。身体がじりじりと焼けていき、頭の芯から爪の先までが、感覚としてなくなっていく。それでも、剣を握る両腕の力は最後まで潰えず、誠次の意思もまた、最後まで乗せようとしていた。
だがしかし、あと一歩、いやあと数CM。ロキの頭頂部にまで到達しかけた刃は、急停止してしまう。
「……」
身を焼く炎を纏いながらも止まり、誠次は黒い瞳を、その男に向けた。
「誠次くん……」
「ヴァレエフ、さん」
遥か天高くを思わせる綺麗に澄んだ青い瞳が、こちらをじっと見つめている。
物心がついた頃には、すでに会うことはなかったはずの人物であると言うのに、不思議と、ずっと傍で自分の事を見守っていてくれていたような気がする。
「申し訳、ございません……俺が、俺が傍にいれば……こんなことには……っ」
ぽたぽた、と片方の瞳からは水の雫を流しながら、誠次はヴァレエフに謝罪する。
「謝らないでくれ……。それよりも私こそ、君には謝らなければ。穏やかで、心優しい少年であった君を、こうしてしまったのは、私の責任でもある」
半身を青い炎によって燃やされ尽くされている誠次をじっと見つめ、ヴァレエフは力ない声で謝罪をしてくる。
「誠次くん。私の、願いを聞いてくれるかな?」
「……はい」
次には、まるで幼い孫と遊ぶような朗らかな老人の、年相応な笑顔となって、ヴァレエフは、言ってくる。
その言葉を聞き届けた誠次は、自分の意思で、右腕を降ろす。
見上げても先など見えない黒い天から、その時、一筋の流星が落ちた。そしてそれは、星屑の一つとなっていくのだろう。どれだけ手を伸ばそうとも届かない輝きを追い求めていたはずの右手は、いつしか魔剣を握り締め、そして今、目の前に佇む、夢を終えた老人の腹部に深く、突き刺さっていた。
「あり、がとう……。願いは、叶ったよ……」
「……は、い……」
それは自分が剣をとってから初めての、行為であった。心臓の中心を突き刺し、息の根を止めるための、行為。
それを、この魔法世界の魔術師たちの王であり、身寄りをなくした自身の両親の育ての親であったヴァレエフ・アレクサンドルに、誠次は行った。
青白い炎を滾らす刃から滴るのは、鮮血。傷ついてもまだ、命の鼓動を行おうと懸命にもがく心臓の鼓動が、両腕から誠次には伝わってくる。
そんな身体の反射的な動きに反して、ヴァレエフはどこまでも、深く納得した様子で、こちらの身を抱き締めてきた。
しわだらけの左手が、震え、炎に包まれる誠次の背に触れ、右手は母親譲りの茶色の髪を、優しく撫でていく。
「あ……あ……」
言葉にならない嗚咽を混じらせて咽び泣く誠次を、ヴァレエフはぎゅっと抱き締め、耳元でぼそりと口を開く。
「どうか自分を責めないで欲しい、誠次くん……。君は、正しいことをしたんだ」
「人を殺すことが……ましてや、両親の育ての親であるあなたを殺すことが、正しいなんて……」
「君がそうして、人の心と身体の痛みを気遣える、優しい心に育ってくれた事が何よりも、私は嬉しいんだよ。きっと、優徳と、明希奈も、安心して、君を見守ってくれているよ……」
「そんな、嫌だ……ヴァレエフ……さん……っ。貴方がいなくなると、俺は、一人だ……」
自分でした行為を、未だ現実には受け止めきれずに、誠次は涙でぐちゃぐちゃの顔を、ヴァレエフの腕に押し付ける。
ヴァレエフは口から吐血混じりの咳を溢し、最後に、今一度強く、誠次を抱き締める。
「さようならだ、誠次くん……。出来ればもっと、君とは、長い話を……――」
がくりと、落ちていくヴァレエフの身体と、するりと抜けていく、冷たい腕。
駄目だ、まだ逝ってほしくはない。
そうと願いを込めてヴァレエフに触れた誠次の右手から、赤黒い炎が燃え移り、ヴァレエフの身が出火し、役目を終えたその身体を焼いていく。
「そんな……ああ……っ!?」
目の前で燃え、灰となっていく自身が殺害した相手に、誠次はさらに涙を溢し、天を仰ぐ。
生まれた頃より渇望した、幼い頃から自分が見たかった夜空。記憶の中にしかいない両親が、いつも見たかった夜の天が、涙で霞む視界の果てで、広がっている。
――あの人もまた、そうであった。自分が終わらせた、偉大な命も、この偽りの夜空の下で、無惨に散った。
「俺のせいだ……俺が、ここへ来たから……俺が、剣を握っていなければ……こんなことには、ならなかった……っ」
両膝をつき、天を仰いだまま、涙を流す目を見開く誠次は、まるでうわ言のように、そう言い続けた。
虚しいそよ風がそっと吹き、誠次はそのまま動くことなく、項垂れた。目の前には、灰となった燃えカスが、小さな煙と火を放って、ある。
そして、誠次の身を焼いていた青白い炎が、ふっと消える。
月も炎もない夜空の下は真っ暗で、なにも見えなくなっていた。
それこそが、誠次が行った、最初の、人殺しであった。自身の親の育ての親にして、偉大なる魔術師の命を、この手で断った。
やがて項垂れる誠次の背中に光が射し込み、大勢の人々が、この楽園へとやってくる。
「ヴァレエフ様!」「ご無事ですか!?」「明かりを点けろ!」
怒声や悲鳴混じりの声がするのを、誠次は振り向いて見ることもできず、呆然としたまま、天を仰ぎ続ける。
「き、貴様っ!」
そんな誠次に近づいた、国際魔法協会幹部の男が、誠次の胸ぐらを掴んで、地面の上に引きずり倒した。
「一体何をしたんだ!? 答えろ!」
「おい、これを見ろよ……」
国際魔法協会幹部が、少し先の方を、指差している。
そこにあった、焦げ付いた黒い物体。辛うじて確認できる、制服であったものの中から出てきた残骸は、国際魔法協会の長官を示す紋章であった。
「ヴァレエフ様が……死んだ……?」
「そんな……そんな馬鹿なことが……」
「剣術士が、やった……!」
燃え尽きた灰を前に、そんな言葉が広がっていき、やがて全ての視線は、地面の上で幹部の男に馬乗りにされている誠次の元へ。
「……あの、天は……」
誠次は黒く焼け焦げた右手を命一杯に伸ばし、天を見上げ、掠れかける声で呟く。
「偽、ものの……作りもの……だから……っ」
「――殺せ」
国際魔法協会幹部の男の声が響き、楽園にて、破壊魔法の魔法式が一斉に輝いた。




