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レヴァテイン・弐の最後の付加魔法を解放した誠次により、かつて旧魔法世界を滅ぼしたとされる存在、スルトは永い眠りから目覚めた。
天瀬誠次のものであった肉体を依り代に、その男は、仇敵であるロキと対面する。
「今でも僕は覚えているんだ。君と愛し合った日々を、君と殺し合った日々を」
ロキは頬を赤く染め、うっとりとした表情をする。
「俺も昨日の事のように覚えている。貴様を討ち取る為に、刃を振るったあの瞬間を」
スルトはレヴァテイン・弐を握り締め、その剣先をロキへと向ける。
(剣先が震えていない……これが、覚悟の差なのか……?)
スルトが見る光景を同時に見る誠次は、息を呑む。
スルトが握るレヴァテイン・弐の刃は凛として伸び、斬るべき敵の姿を捉えていた。
――しかし今は、別だ。
(スルト! 後ろを見てくれ!)
「……気安く俺に命令してくるなど、先にも後にもお前だけだ」
(ヴァレエフさんを救わなければっ!)
相手が誰で、今はどんな状況かも定かではない。それでも今誠次が分かるのは、背後にいるであろう両親の育ての親を救わなければならないことであった。
「悪いな小僧。俺からすればあの老いぼれなどどうなってもいい。それよりも優先するべきは、目の前にいるあの神だ。あの神をこの手で切り殺すまでは、俺は退かない」
スルトは誠次の叫びを聞き入れず、尚もロキへと向かおうとする。
(駄目だスルト! ヴァレエフさんを助けるんだ!)
対し、誠次は反抗しようとするが、身体はすでにスルトによって掌握されていた。
「覚悟しろロキ。俺を目覚めさせたこと、後悔させてやる」
「やって見せてくれるんだね、スルト。その魔剣で、僕を殺すつもりなんだ」
ロキは微笑むと、スルトへ向けて幾つもの破壊魔法の魔法式を向ける。
(スルト! 魔法で狙われているぞ!)
「わかっていることを一々言うな。気が散る」
スルトはレヴァテイン・弐を構えたまま、破壊魔法の照準をもろともせずに突撃する。
ロキが手を振り下ろし、破壊魔法から次々と高威力の光弾が射出されていく。
眼前に迫る余りの魔法の数に、誠次が思わず悲鳴をあげかけるが、スルトはもろともせずにその中を掻い潜って進んでいく。
草が焼け焦げ、大地が穿たれようが構いはなく、スルトはロキの元にまで到達すると、レヴァテインを再度構える。
「焼き尽くせ、レーヴァテイン!」
スルトの叫びに共鳴するかのように、レヴァテインの剣には黒色混じりの炎が纏わりつき、周辺をその炎で染める。
(レヴァテインに炎が!?)
「その炎は……そうか、僕の友だちたちを黒き灰の姿に変えた、罪の炎」
驚く誠次と、興味深げに呟いたロキの青い目に映る、スルトのレヴァテインに纏った炎が、意思を持ったかのように大きくうねり動き、ロキへと襲いかかる。
咄嗟に防御魔法をロキは発動したが、その表情は驚愕している。
展開したはずの防御魔法に、剣から吹き出る火の粉が掠めた瞬間、半透明の障壁に炎が燃え広がり、穴を開けていく。
「《フロスト》」
ロキは咄嗟に氷属性の魔法を発動し、スルトの右腕ごとレヴァテイン・弐を、氷浸けにしようとする。
スルトの右手に巨大な氷の結晶が纏わりついていく。
「――無駄だ」
しかし次の瞬間。スルトの右手に纏った氷の結晶が、灼熱の炎によって溶かされ、一瞬で蒸発する。
「変わらないみたいだね。君の操るその炎は、触れたものを焼き尽くすまで燃え続ける、消すことの出来ぬ、呪い。人の怒りや憎しみの感情のように、一生消えることのないものだ」
そう言ったロキの視線の先には、スルトが握るレヴァテイン・弐から飛び出た火の粉が足元の草花に掠めた瞬間、そこから炎が燃え広がっていく光景があった。
(消せない炎……?)
誠次が呆気にとられるが、スルトは冷静沈着に、しかし燃える魔剣をロキへと向ける。
「この炎に例え指の先少しでも触れれば、貴様の身体は灰と化す」
「焼きつくすつもりなのかい? 僕を"捕食者"のように」
「ああ。お前もすぐに仲間に入れてやる」
「それは出来れば遠慮したいかな。何故ならば僕はトリックスターだからね」
ロキは微笑むと、空高くへジャンプをしながら、魔法式を展開する。
夜空に瞬く星のように、幾つもの魔法式が煌めき、そこから無数の魔法が放たれていく。
魔法の流星が降り注ぐのをちらと見たスルトは、レヴァテイン・弐を頭上で軽く振るう。
刃に纏った炎が弧を描いて上空で放たれ、ロキの繰り出す魔法に刃向かう。
頭上の至るところで爆発が起き、火花が散るが、スルトは動じずに、直進する。
押し寄せる熱も、魔法の衝撃も、もろともしないようだ。
(炎に直撃した魔法が、全て消滅していっている?)
スルトの視界越しに、魔法が消し炭となっていく光景を見た誠次は驚く。
「よく見ておけ、剣術士。この炎に触れたら最後、ありとあらゆる生命を燃やし尽くすまで、燃え続ける」
(そんな……レヴァテイン・弐に、そんな凶悪な力があるなんて……!)
唖然となる誠次が見守る中、スルトは高く跳び上がり、上空にて待つロキの元へ向かう。
「覚悟しろ、ロキ」
「僕の所へ来い、スルト」
支離滅裂なロキの言動。言葉では誘うが、その手元では、スルトの接近を拒むように、新たな魔法式を構築している。
(スルト!)
「――っ!」
誠次の叫び声に反応するように、スルトはロキへの再接近を途中で止め、代わりに、剣を手元に引き寄せ、地上から天を見上げた。吸い込まれそうな漆黒の景色の先で、ロキがこちらを見下ろしている。
「ひどく醜い天だ……。見上げたところなにもなく、いるのは傲慢で、まるでこの世界を手中に治めていると言わんばかりの神。お前は、作り物の天で嗤うか」
ここは国際魔法教会本部の地下である。作り物の天を忌々しく睨んで言った言葉に、かつて自分が初めて自分の手で救った少女の言葉に重なる。
そして、ファフニールも言っていた。スルトが自分の背に乗って、天を眺めることが好きであったこと。
(スルト……お前は……)
「――沈めっ!」
誠次が声をかけた直後、眩い光が視界の果てから、放たれる。
まるで魔法のように、剣から放たれた炎の光線が、一直線に上空のロキへと向かう。
「ああ……それが君の答えなのか、スルト……」
ロキが幾つもの防御魔法を発動し、迫り来る炎の光線から身を守ろうとする。
一つ、二つと防御魔法の障壁が貫かれていき、スルトが魔剣から放った攻撃は、ロキの防御魔法をもろともしないようだ。
やがて魔剣の炎が、ロキの元にまで到達する。
スルトの炎は、ロキの身体を掠めて、夜空へと果てていった。
「そん、な……」
驚くのは、ロキの方だ。
指先の一部に赤い炎が灯り、それがじりじりと、白い身体を焼いていく。
「一体どうしてだいスルト!? 僕は、私は……貴方を蘇らせたと言うのに! 私の愛情は……っ!」
自分の身体を焼きつくそうと、広がっていく炎を見て、ロキは焦ったように叫ぶ。
上空にはおられず、地上へと落ちてきたが、すでに火だるまの状態となっていた。
「スルト、スルト……! 嘘だ……こんなの……嫌だっ!」
ロキは燃える腕を伸ばし、這いつくばりながら、懸命にスルトに手を伸ばしてくる。すでに焼け焦げた部位は、黒く変色し、まるで"捕食者"のようになっていた。
「……」
スルトは、そんなロキを無言で見下ろしていた。
「スルト……どうして、僕はまだ、死にたくな、い……」
掠れた声を振り絞るロキに、スルトはおもむろにレヴァテインを掲げると、それを一息で振り下ろした。
肉を切り、骨を断つ。ロキの首は両断され、人の生命が途絶えた瞬間を、誠次はスルトの視点越しにまじまじと見せつけられる。
「……」
(殺した、のか……)
一迅の風が吹き、スルトの前髪を揺らして、後ろの方へと吹いていく。
黒く焦げたロキの亡骸は、胴体と頭部とで分かれ、地面の上に転がっている。
ロキとの激しい戦闘の後、緑や花で豊かであった大地は、ひどく荒れ果てていた。
(そうだ、ヴァレエフさんは!?)
「安心しろ」
スルトがそう言いながら振り向くと、大樹に磔にされているヴァレエフのすぐ傍で、炎が燃えていた。
"捕食者"だったものだろう。
(いつの間に……)
「俺からすればあの老人の命などどうでもいいが、頭の中で喚かれ続けられるのは迷惑だ」
スルトは吐き捨てるようにして言うと、ヴァレエフの元まで歩み寄っていく。
(スルト。話したいことは多々あるが、今はヴァレエフさんと共に、ここから逃げてくれ)
「……先ほども言ったが、誰に向けて口を利いている?」
(お前のことはよく知っているつもりだ。同時にお前も、俺のことを知っているのだろう?)
「……」
スルトは肯定も否定もせずに、夜空の下の草原を歩き続ける。
ただ一言だけ、声を発して。
「――シンモラたちは、元気そうだな」
(シンモラ。調べた事がある。スルトの伴侶の女性で、色を意味すると……)
色。そこまで来て、誠次は今までレヴァテインに女性が付加魔法を施した際に生じる、色の変化の事について思い出していた。
色々と話したいことはあるのは山ほどだが、今はそれよりも一刻も早く、この場からヴァレエフと共に脱出しなければ。
スルトの意思のもと、勝手に動く自分の身体の気味の悪さを今更ながらに感じていると、大樹に磔にされているヴァレエフが、ゆっくりと顔を上げた。
「倒したのか、ヴィルを……」
「……」
スルトはヴァレエフの目の前で立ち止まると、何かを考えているように、じっと無言になる。
「この鎖を、早く、解いてくれ……もう、身体が、限界なんだ……」
苦しそうな呻き声で、そう訴えてくるヴァレエフに、スルトの中の誠次はスルトを急かす。
(スルト! ヴァレエフさんが苦しそうだ! なんとかできないか!?)
対して、スルトはあくまでも冷静であった。
「ロキの鎖……っち、遅かったか!」
聞こえたスルトの舌打ちに、誠次の心は大きくざわめく。
(どう言うことだ、スルト!?)
スルトが咄嗟に飛び退き、ヴァレエフから距離をとる。
(スルト! 何をしているんだ!?)
「これでもまだ判らないか? アイツはもう手遅れだ」
(手遅れなものか! ヴァレエフさんは目の前にっ!)
自分の身体を自由に動かす。そんな当たり前の事が当たり前に出来ていれば、今すぐヴァレエフのもとに駆け寄るのに、それすらも許されない。
スルトのものとなった身体が、ヴァレエフの元から遠退いていく。
(駄目だスルト……! せっかく、ここまで来たののっ!)
「愚か者め!」
スルトの怒鳴り声が、誠次の耳朶を打つ。
ハッとなった誠次が気がつけば、ヴァレエフを縛り付けていた鎖が、ひとりでに、するすると解かれていく。
白い前髪をだらりと垂らしたヴァレエフは、くつくつと、小刻みに身体を震わせて、嗤っているようであった。
(ヴァレエフ……さん……?)
誠次が声をかけようとするが、当然、その声が届くことはない。
「老人――いや、ロキ!」
「残念だよスルト……君の答えは何時まで経っても変わらないなんて……」
大樹からそっと降りたヴァレエフ――ロキは、スルトに向けてそう言う。
(どう言うことだ……あのヴァレエフさんですら、偽物だったのか!?)
「スルトの中にいる剣術士、天瀬誠次くん。君には器としての役割をここまでよく全うしてくれた。まったく、感謝するよ」
蘇った、と言うよりは、未だ生きていたロキは、スルトの中に未だ誠次の意識があることを知ってか、そう語りかけてくる。
「そして、残念なお知らせを一つ。――ヴァレエフ・アレクサンドルはすでに死んだ」
(っ!? 嘘だ……嘘だっ!)
首を必死に横に振るうが、身体は動いてはくれない。
「嘘じゃないさ。厳密には、今の君と同じ状態にいる。つまり、意識はあるけど、身体は別の者によって動いている、言わば、この魔法世界からの存在の抹消さ」
(抹消だと……そんなことが、出来るのか!?)
「狙いはなんだ、ロキ。すでにこの世はもう、俺とお前が居ていい場所ではないはずだ」
スルトがレヴァテイン・弐を構えたまま、ロキに問いかける。
ロキは両手を掲げると、夜空から何かを浴びるように、息を大きく吸い込んだ。
「もう一度あの世界を作るんだ。どこまでも果てのない天が広がり、僕たち神々が永遠に生き永らえていられたはずの、あの魔法世界を」
「旧魔法世界の再現か」
「そうとも。アスクとエムブラが出会ってしまったのは、僕たちにとっては不幸だった」
ロキはどこからともなく取り出したリンゴを、楽園にて噛ると、それを咀嚼する。
「そしてよりにもよってスルト……。僕と永遠の愛を誓った君が、僕と敵対するなんて……全ては君を誑かした女神どものせいだ」
「勘違いをされて貰っては困る、ロキ。そもそもお前など、俺は眼中にない」
「ああ、酷い……酷いよスルト。それもまた、君の愛の形なんだろうね……」
ロキは自身の胸に手を添えて、そんな解釈をして、深く頷く。
病的なまでの愛情を向けてくるロキに対しても、スルトは冷静なままであった。
「もう一度言う。俺もお前も、この世界には必要ない。今すぐに消え失せろ」
「酷いことを言うなぁ、君は相変わらずだ……」
ロキはさも残念そうに肩を竦めると、軽く指を鳴らした。
「来てくれ」
ロキの呼び掛けに呼応するように、足元の影がゆっくりと立体的に動きだし、形を作りだす。
("捕食者"。ロキが作り出していたのか……!)
誠次が歯軋り混じりに叫ぶが、スルトはもの憂いな表情をしていた。
「……半分正解だ」
(なに?)
「剣術士。お前にはアレが、何に見えるか?」
スルトに言われ、誠次は恐る恐る、目を凝らす。視線の先に佇むのは、"捕食者"のはずだ。どこまでも黒く、またどこまでも醜く、人を喰らう異形の化け物。
そんな奴からの視線を、誠次は感じていた。
「あ、あれは……」
人だ。暗いトーンこそかかっているものの、"捕食者"の中には、確かに女性が、棒立ちをして恨みがましくこちらを睨んでいる。
「……よく見ておけ。俺が灰に変えた、旧魔法世界の住人の成れの果てを。そして――」
スルトが一瞬だけ、視線を自身が右手に握るレヴァテイン・弐へと向ける。
「この魔剣を握った者の責任と使命、罪と功の辿る道末を」
そして再び、"捕食者"――スルトの罪の証を睨んだスルト自身は、そこへレヴァテイン・弐の剣先を向ける。
その動作に、微かに反応したのは、ロキであった。
「へえ。またしても君は、かつて君が守ろうとした人類を、君自身の手で殺めようとするのかい。君を信じ、君に希望を託し、君が守るべきものだったはずの、人類を」
(スルト……)
「……」
誠次が恐る恐るスルトに問いかけるが、スルトはなにも言わずに、レヴァテイン・弐から炎を滾らせる。
見れば、"捕食者"のはずであった女性が、スルトを見つめて、必死に何かを叫んで訴えようとしている。まるで、救いを求めるように。そう、かつて多くの人々が天瀬誠次に求めたときのような、守るべきものの顔。
「――赦せ……」
そうぼそりと呟いたスルトが剣を振るう寸前。
――赦さない。
涙を流し、魔剣から放たれた炎に再び焼かれる女性の口は確かに、そう形を作っていた。
(や、やめろスルト……。あの、人、は……かつてお前が守るべきものだったはずじゃないのか!? その魔剣は人を守り、神と戦うためのもののはずだ!)
誠次が必死にそう訴えるが、スルトは取り合わず、"捕食者"へ向けてレヴァテイン・弐を振るった。
女性が炎にまみれ、絶叫と共に焼き尽くされていく。思わず耳を塞ぎたくなるほど、凄惨な断末魔であったが、それすらも叶わなかった。
「……よく見たかい、天瀬誠次くん。君が今まで振るっていた魔剣とは、本来こんなものなんだ」
ロキはすぐ横で燃えている"捕食者"の残骸を、つまらないものを見るような目で見つめつつ、誠次に声をかける。漆黒の世界の中でも力強く燃える橙色の炎に、その顔を染めながら。
(そんなはずはない……! レヴァテインは、人を守るためにだって、その力を使えるはずだ)
「これが現実だ」
今度はスルトが、冷酷無慈悲な言葉を、誠次に浴びせる。
「守るべき人間を黒い灰に変え、異形の存在として、この魔法世界に生み出した。この魔剣は、そう言うものだ」
(だったらその力の使い道は、誤りであることを証明するまでだ! 俺に身体を返せ、スルト!)
身体の主導権を取り戻そうとする誠次であったが、どうすることもできず、スルトのものとなった身体の中で、必死に叫ぶことしか出来なかった。
「さあスルト。そろそろ終わらせよう。僕の中にいる老いぼれも、必死に身体を取り戻そうとしてきて、鬱陶しいんだ」
「奇遇だな。根本的な考え方が一から合わないと思っていたが、この時ばかりは、貴様の意見に賛同してやる」
スルトは再びレヴァテイン・弐に炎を纏わせ、それをロキへと向ける。




