3
楽園、と呼ばれた緑豊かな平原の中で、血を流す剣術士、天瀬誠次と、大樹に磔にされているヴァレエフ・アレクサンドルの前に、ヴァレエフを演じていた青年はやって来る。
銀髪に青い瞳。顔立ちは不自然なほどに整いすぎており、ある種、作り物のような不気味な雰囲気を感じる。
それは、この異常な状況の中でも、彼だけは唯一、笑みを絶やさず続けていることも、そう言った思いを助長させている。
「やはり貴様も、旧魔法世界について知っている身か!」
――スルト。その名を口にした以上、油断は出来ずに、誠次はヴァレエフを守るように、謎の青年に向けて魔剣レヴァテイン・弐を向ける。
(剣先が定まらない……俺の力がはいっていないのもあるが、どうしたんだ……!?)
こちらを見つめて微笑む青年から焦点を剣先に向ければ、銀色の刃は小刻みに震え、上手く構える事ができない。
(恐れているのか……あの、男を……魔剣が!?)
まるでレヴァテインが意思を持ち、あの男に向けて刃を振るうのを拒むかのように、剣先が定まらない。今までにどんな強敵と遭遇しても、このようなことはなかったはずだ。
「どうしたんだい、スルト?」
まるでこちらの焦りを見透かしているように、謎の男は棒立ちのまま、微笑んでいる。
「貴様がヴァレエフさんを磔にしたのか!?」
「ああ、そうだよ」
「ならば、この鎖を今すぐにほどけ! 自分がなにをしているのかわかっているのか!?」
「分かっているさ。この魔法世界の魔術師の王を瀕死にして、その大樹に縛り付けた。全ては天瀬誠次……君の為にさ」
どこか嬉しそうなのは、相手の方だ。
すぐ後ろにいるヴァレエフの体力が残りわずかであることも手伝い、誠次は内心でひどく焦り、一刻も早くこの状況を打開しようとしていた。
「誠次……。僕は君の幸せを願っている。嘘じゃない」
青年は誠次を迎え入れるように、両手を伸ばしてくる。
「貴様の名は?」
誠次は動じず、尋ねる。
すると相手は、伸ばしていた手を、胸元に添え、会釈をしてきた。
「ヴィル・ローズヴェリー。覚えてくれると、嬉しいな」
「ヴィル……まさか、ヴァレエフさんが保護した、世界で初めて魔法を使った子供……」
一年前、ここより上層階の聖堂を模したような議会場でヴァレエフと話した際に出てきた子供で、名前以外は記憶喪失であり、しかし初めてヴァレエフの目の前で魔法を扱った人物だ。
彼は結局、ヴァレエフの元を去り、代わりにヴァレエフが魔法を扱えるようになっていた。
――すなわち、一介の天文学者であったヴァレエフ・アレクサンドルを、一夜にしてこの魔法世界の王へと崇め奉られる要因となった、運命の子である。
「ワォ、知っていたんだね。その通り。子供としてこの魔法世界に生まれ落ちた僕に最初に触れた、僕の大切な父さんさ」
銀色の髪を宿す顔を上げたヴィルは、口端を吊り上げながら、大樹に磔にされているヴァレエフを見て、言う。
「誠次くん……君だけでも、逃げてくれ……!」
「話は後です! 今はこの場を突破しなければ!」
後方のヴァレエフに背を向けたまま、誠次は言う。
「ヴィル! なぜこのようなことをする!? 貴様にとってヴァレエフさんとは、命の恩人ではなかったのか!?」
焦る誠次が問い質すと、ヴィルは次には、少々苛立ったように、誠次の背後に磔にされているヴァレエフを睨む。
「違う、違うんだよ誠次。君はヴァレエフによって偽りの記憶を植え付けられているんだ。どうして魔法世界となったこの世で、唯一君だけが魔法を使えずに生まれてきてしまったのか。その答えこそ、君の背後に縛り付けられている老人のせいだよ」
「なに……?」
ヴィルは、そよ風を浴びながら、向かって横へ少しずつ歩きだしながら、言う。
一切の油断もなく、誠次はレヴァテインを構えたまま、ヴィルを睨んでいた。
「どう言うことだ!?」
「ヴァレエフ・アレクサンドル。すでに魔法が使える年齢にあらず、それでも強大な魔力を保持し、魔術師たちの王に立った。そんな彼が扱う魔法は……本当は君が扱うはずだったものなんだ、天瀬誠次」
そよ風が一瞬、強く吹く。それは黒い目を大きく開ける誠次の茶色の髪を揺らし、傷だらけのヴァレエフの銀髪をも、揺れ動かした。
「ひどい話だよね……僕は君に同情するよ、誠次。その老人が君の魔法を奪っていなければ、もしかすれば君は家族を失わずに済んだ。周りから剣術士と変な目で見られることもなく、それどころか世界最高峰の魔術師として、栄光を掴みとる事だって出来たはずだ」
いつの間にか、誠次の真横にまで来ていたヴィルは、そっと、誠次の頬を撫でる。
「わけが、わからない……。ヴァレエフさんが扱う魔法が、俺が使うものだった……?」
「その通りさ。あの老人は自分が魔法を使いたいなんて欲に目が眩み、君が扱う筈であった魔法を渡さなかった。僕と君を裏切ったんだ!」
ヴィルは極端に激昂し、ヴァレエフを睨み付ける。すると、ヴァレエフを縛っている鎖が白く光り、ヴァレエフが苦しそうな声をだす。
「よせ、やめろーっ!」
ヴァレエフの呻き声を聞いた誠次は、レヴァテイン・弐を片手に、ヴィルの元まで突撃する。
ヴィルは棒立ちのまま、誠次を待ち構える。
誠次の足によって踏まれた草木が、泥を帯びて舞う。
「――それで、その剣で、僕を殺すつもりなのかい、誠次」
「……っ!」
ヴィルの首筋に、レヴァテイン・弐を突き立てた態勢で、互いは至近距離で見つめ合う。
「わかっているよ誠次。君が人を殺したくはないと言うことは。マルコスの時だって、そうだったんだろう?」
「マルコス……いいや、ここ最近の国際魔法教会の異常は、全て貴様によるものか、ヴィル!」
「僕からすれば異常、と言うのは些か言葉の綾があるけれど、君の指摘は半分正解、かな」
「半分だと?」
誠次が尚も食い下がる中、なんとヴィルは、自分からレヴァテイン・弐の刀身を握り締め、嬉しそうにそれを擦りだす。
「国際魔法教会発足時から、あそこの老人はすでの僕の操り人形だった。よって、国際魔法教会の意思決定はすべて、僕によるものだったんだよ、誠次」
全世界に股がる巨大な組織を担っていたのは、目の前にいる青年。ヴァレエフは、偽りの王であった。ヴァレエフからもそれに対して否定の言葉は出てきておらず、誠次は驚愕する。
「どう言うことだ……貴様は一体、何者なんだ……?」
「ようやく僕に興味を持ってくれたようだね。嬉しいよ、誠次。でも良いのかい? 僕を殺さなければ、君のご両親の育ての親であるヴァレエフ・アレクサンドルは助けられないよ?」
「貴様……っ!」
「世界の真実を知りたいか、後ろにいる老いぼれを救うか、どちらかに一つだ。君が選べる、誠次」
ヴィルにそう言われ、誠次は血相を変えぬまま、目の前の青年を睨み続けた。
「家族を失い、魔法が使えないまま、俺はずっと生きてきた。そして答えを求めて、多くの物を捨ててまで、ここまできた」
「誠次……。とても辛かっただろうね。僕ならば、君の夢も叶えられる。誰もが笑顔な世界、人と人とが手を取り合う、栄光と繁栄の世界。すべてが僕と君の思いのままさ」
ヴィルが慰めるように、誠次に優しく声をかける。
「さぁ、手を取って」
そして空いている手で、誠次の顔に再び触れようとするが。
「――その世界に、お前はいらない!」
誠次が咄嗟に振るったレヴァテイン・弐の刃が、表情を無くしたヴィルの腕に命中する。
「……そっか、誠次。残念だよ、僕と戦う道を選ぶだなんて」
「今は貴様を倒し、ヴァレエフさんと共に、ここから出る!」
咄嗟に後退したヴィルを追い、誠次は突撃した。
ヴィルは後ろへと下がりながら、魔法を発動する。いずれも素早く、正確なコントロールで繰り出される魔法であるが、誠次はそれを全て切り裂いていく。
ならばと、今度は誠次の至近距離に魔法式を構築するヴィルであったが、その動作を読んでいた誠次は、レヴァテイン・弐を自身の周囲に向けて振りまくり、魔法式を全て切り裂き壊す。
最後に、自身の後方で光輝いた魔法式からはなたれ光線は、身体を横にずらしてやり過ごす。
「傷つき、そして女神たちの付加魔法なしでも、ここまでやるとはね」
「ヴィル! 貴様には知っていることを、洗いざらい吐いてもらう!」
「わかったよ誠次。僕は君の為にも、戦おう」
君の為に戦う。そんな矛盾を感じるような発言をしながらもヴィルは、複数の魔法式を展開し、やはり誠次へと照準を向ける。
青空であったはずの草原はいつの間にか夕暮れとなっており、橙色の夕日の閃光が、魔法式の向こうで差し込んでいる。
「《エクス》」
「無駄だ!」
連射で放たれた攻撃魔法を、誠次は次々と切り裂きつつ、離れ行くヴィルの元へと接近していく。
くるぶしほどの高さの草をかき分け、誠次は黒いコートを風に靡かせて、ヴィルに再接近する。
「うおおおおっ!」
飛び上がり、ヴィルの身体を右肩から切り裂こうと狙う。
当然、ヴィルは誠次の攻撃を防ごうと防御魔法を展開――しなかった。
(なに!?)
空中でその動きを察知した誠次は、咄嗟に太刀筋を横にずらす。
刃はヴィルの右腕を掠めて、振られていた。
そのまま誠次は、緑の草原の上に着地する。
「どうしたんだい誠次? 僕を倒すのだろう? 駄目だよ。僕と戦うのであれば、僕を殺す気で来なければ」
「言われなくとも!」
顔を上げた誠次が刃を振るうが、やはりヴィルには掠らない。
「世界の真実があと少しで明らかになる。そんな中で、君は究極の選択を迫られ、内心では焦っている。世界か、恩人か。君の虚勢は僕には丸分かりだよ」
「黙れ!」
誠次が回し蹴りを浴びせようとするが、ヴィルはいつの間にかに、誠次の後ろ側に回り込み、誠次の身体を押さえつける。
「――ねえ誠次。知りたくはない? どうして貴方が魔法を使えないのか、"捕食者"とはなんなのか、そもそも魔法とは、一体なんなのか、とは」
一転、ヴィルの声音が女性のものに変わり、体つきも丸みを帯びた、柔らかい女性のものに変化する。
「無駄だ!」
誠次はヴィルの身体を振りほどき、その場から離脱して、改めてレヴァテイン・弐を振るう。
「うっ!」
ヴィルは悲鳴をあげながら、今度は防御魔法を展開する。
半透明の魔法の壁は、振りかざされたレヴァテインの刃を受け止め、弾き返した。
「まだだ!」
しかし誠次は、衝撃で受けた反動を受け流し、左手で咄嗟に剣を割る。
レヴァテイン・弐の柄を確りと握り締め、居合いの要領で前へと踏み込み、抜刀の勢いをそのままに、ヴィルはへ向けて刃を振るった。
「誠次!?」
ヴィルは驚いたような表情を見せて、自分の身を掠めたレヴァテイン・弐の太刀筋を見る。
「貴様の言葉になど、惑わされるものか!」
「そんな……そうまでして、一体何が君をそこまで……」
ヴィルは誠次から距離を離そうとするが、誠次がそれを許さない。
頭上で合わせて連結させたレヴァテイン・弐を、勢いそのままに、ヴィルへ向けて振り下ろす。
「誠次……私は、貴方の事を……」
「たぶらかすなーっ!」
迷いを振り払った誠次は、ヴィル目掛けて、レヴァテイン・弐を投げつける。
風を切り裂き、ヴィルの元にまで高速で向かったレヴァテイン。
あと少しで、ヴィルに到達する刃を、ヴィルは青い目で見つめていた。
その綺麗な口元は、大きく歪んだ。
「――こんなにも愛していると言うのに!」
叫んだヴィルの言葉の終わり、甲高い音が、夜の草原の下で響く。
「夜……」
あっと驚く誠次が周囲を見渡せば、星ひとつない漆黒の世界が、地平線の彼方にまで広がっていた。
そして誠次は、黒い目を凝らして、見開く。
立ち向かうヴィルの足元から伸びた、黒い影が実態を伴って直立し、誠次が投げつけたレヴァテイン・弐を、受け止めていた。
「そん……な……っ」
時間の流れに置き去りに去れたのだろうか、それとも。
夜の世界へと豹変した大草原のただ中で誠次が投げたレヴァテインの刃は、とうとうヴィルに到達することはなかった。
「"捕食者"……っ!」
どうしてここに……と考えるまもなく、まるでヴィルの盾になるように生まれた"捕食者"は、立ち尽くす誠次目掛けて、無数の触手を伸ばした。
誠次は咄嗟に跳躍し、草木を踏んで、その場から逃れる。誠次が元いた場所に漆黒の槍が次々と突き刺さり、地面が抉られ、花びらが散った。
舞い散る草花の彼方で、誠次が見たのは、ヴィルが自身を守護する"捕食者"に向けて、恍惚とした表情を浮かべている姿であった。
「ヴィル……貴様は、一体……っ!」
「残念だわ、誠次。貴方は次々と、間違った選択をし続けてきたわ。その最終的な末路が、これなのよ」
ヴィルは出現し、自身のすぐ横に佇む"捕食者"に、なにか耳打ちをする。
ヴィルの耳打ちを聞いた素振りの"捕食者"は、くるりと、方向転換をすると、ある方へと向かっていく。
夜空を背景に立つ、ヴァレエフが縛り付けられている大樹であった。
「そんな……駄目だ、やめろーっ!」
愕然とした誠次は、考えるまもなく走りだし、片方だけのレヴァテイン・弐を右手に、"捕食者"を追いかける。
「ハアハア……っ! 待ってくれ、"捕食者"!」
おかしい! 全速力で追いかけているのに、一向に"捕食者"との距離が縮まらない。
"捕食者"はみるみるうちに大樹に磔にされているヴァレエフの元に近づき、その強大な手を伸ばそうとしていた。
このままでは、あの日と同じだ……。大切な家族を目の前で、なす術なく喰われてしまったあの日と、何もかも変わっていない。
「――ねぇ。待ってよ、誠次」
急に、横を素通りしようとしたヴィルに腕を掴まれ、誠次は脱臼しかけるほどの勢いで立ち止まらされる。
「離せっ! ヴァレエフさんを助けに行くんだっ!」
こちらの腕を掴むヴィルの手を離そうと、がむしゃらに振りほどこうとする誠次であったが、ヴィルの細い腕に宿る力は強く、頑丈で、全くもって動かなかった。
歯茎に血が滲むほど口を噛み締める誠次は、脇目も振らずに、ヴァレエフとそれに迫る"捕食者"を見ていた。
「魔法が使えない貴方が行っても、あの人は助けられないわ」
「だったら、俺があの人の代わりに喰われてやる! もう目の前で、手が出せないまま、大切な人を"捕食者"なんかに食われたくはないんだっ!」
瞳に涙を浮かべてまで誠次は、そんな考えすすら口にしていた。あの人は、この魔法世界に残された、最後の家族なんだ――っ!
「だったら、誠次」
「なんだ!? いいから離せ!」
甘く、誘うような声を聞き入れず、誠次は前へと進もうとするが、ヴィルは腕をぎゅっと掴んで離さない。
「良い方法があるの、聞いてくれる?」
「断る! 腕を離さないのであれば、貴様の腕を斬る!」
そう怒鳴った誠次がレヴァテイン・弐を構えると、そっと、その刃にヴィルが手を添える。
なにを、と思った誠次の黒い瞳のすぐ先、お互いの鼻先が触れ合いかけるような至近距離にまで、ヴィルは顔を近づけてきていた。
誠次の視界いっぱいに、あまりにも綺麗すぎるヴィルの顔が映る。
「――私の付加魔法。それは貴方の持つ魔剣が待つ最後の鍵。九番目よ」
どくん、と心臓が音を立てて鳴る。
ヴィルの口から出た言葉に、誠次ははっとなった。
震える身体と揺れる視界の端には、進撃をやめない"捕食者"と、今まさに喰われかけているヴァレエフの姿が。
「さあ、受け取って。最後の付加魔法を、私から」
傍らのヴィルは瞳を閉じながら、こちらへ向けて両手を差し出す。
全てはヴァレエフを救うため、ヴァレエフの為――。この魔法世界に唯一残された家族の肖像を追い求め、誠次は決断を迫られる。
「どうしたの、誠次? 早くしないと、ヴァレエフさんが食べられちゃうよ。私から付加魔法を受け取って、"捕食者"を倒すの」
まるで呪文のように、ヴィルの言葉が誠次の頭の中に響くように聞こえてくる。
それでも、躊躇していた誠次が片手で顔を押さえつつ、指の隙間から今一度ヴァレエフの方を見れば、"捕食者"の影に覆い尽くされそうになりながらも、ヴァレエフが必死に、こちらに向けて何かを叫んでいる。
その姿が、過去の自分の自分の家族の姿と重なり、誠次の頭は大きく揺れ動く。
激しい動悸と、鳴り止まない耳鳴り。かつての記憶の後悔が、誠次を衝き動かす。
「うわあああああっ!」
言葉にならない悲鳴をあげながら、誠次はヴィルに向けて、レヴァテイン・弐を差し向けた。
この瞬間を待っていた、と言わんばかりに、ヴィルは誠次のレヴァテインに、細く、しなやかな指を這わせた。
「ヴァレエフさんを救うためだ……!」
自身にそう言い聞かせるようにして叫びつつ、誠次はとうとう、その言葉を口にする。
「ヴィル……! 俺に魔法を、貸してくれ……っ!」
「喜んで、誠次。貴方に最後の力を、あげるわ」
くすりと微笑んだヴィルの手元から輝いたのは、黒い光と、その色の魔法式。
見たこともない禍々しい光が、片方だけのレヴァテイン・弐に奔り、刀身が黒く染まっていく。
「――さあ起きて、スルト」
「スルトだと……一体何が……ぐあっ!」
微笑むヴィルの顔を見た途端、誠次の視界には黒一面の光景が広がり、光りも、何も見えなくなっていく。
(なんだ……ここは……声は……俺の、身体は……)
声が発っせない。身体が動かない。
あれほど感じていた苦痛も、血だらけの剣を握っていた感覚も、なにもない。虚無だ。
下を見ても自分の手足はそこにはなく、ただただ意識だけが、誠次のものとしてそこにはあった。まるでいつか想像したことのあるような、死後の世界にいるかのような、感覚だ。
(どうなっているんだ……!? 急いで、ヴァレエフさんを救わなければならないと言うのに!)
直前の記憶を思い出す。それは、最後の付加魔法をヴィルによって解放した瞬間だった。
あてを探して、誠次が周囲を見渡すと、正面方向に光があった。
ぼうっと、伸びた光の線の発生地点に、眩しい閃光が起きる。
顔を覆おうとしても腕は動かず、金縛りにあっているようだった。
「――無駄だ、剣術士」
声が、頭の中で大きく反響するように聞こえてくる。
聞き覚えのない、男の声だ。
「お前の身体の主導権はすでに、俺のものだ」
(お前は……?)
その時に誠次は気がつく。謎の声は、自分の口から出ている、と言うことに。
「お前、とはずいぶんな物言いだな」
かつて自分のものであった身体が勝手に動き、手がそっと伸びる。
間違いない、多くの人を救い、守るために刃を握ってきた、自分の見慣れた手だ。
しかし今、それは自分とは違う者の意思を抱き、勝手に動いていた。
その手は、暗闇の中で灯る、赤い炎にそっと突っ込まれる。熱くない、火に触っている感触すら感じない。
(なんだ、一体、どうなっているんだ……!?)
「喚くな。悪いがこの身体、貰うぞ」
(お前は誰だ!? いや、それよりも早くヴァレエフさんを助けなければ!)
ため息をひとつ、誠次の身体を操る謎の人物はする。
「スルト」
(え……)
「俺の名前だ。お前からすれば聞き慣れたものだろう?」
(本物、なのか?)
誠次の問いかけの途中で、目の前の視界が開く。
そこには先ほどまで自分がいた楽園の背景と、目の前に立つヴィルが、恍惚とした表情を浮かべている姿であった。
(ヴィル……っ!)
「偽名か、下らん」
(真の名があるのか?)
「やつの本名はロキ。これも聞いた事があるだろう?」
(ロキ……トリックスターか!)
一度は聞いたことがある神話の世界の神の名に、誠次ははっとなる。
「終わらせる者、と言う意味もある。この世界を終わらせるつもりなのだろう」
(なんだと……?)
「――久しぶりだねスルト。こうして君と会うのを、どれほど待ちわびたか」
再び性別的には 男性のものに戻ったヴィル――ロキは、一歩、二歩と歩み寄ってくる。
「ヴィル・ローズヴェリー。ヴィルとヴェリーとローズルの名を繋げたか」
「そうだよスルト。君になら、わかってもらえると信じていたんだ」
すでに天瀬誠次はこの場にはいない。いるのはスルトとロキ。かつて神話の世界と呼ばれていたもので存在していた、所謂、旧魔法世界と、今に至る世界の運命を変えた、二体であった。
「質問があるんだ、スルト。君にとって魔法とは一体なんだ?」
「決まっているだろう?」
スルトは、やや間を置いて、言い放つ。
「憎き神供を、殺し尽くす為のものだ」




