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魔法世界の剣術士 中  作者: 相會応
天微睡むギンヌンガガプ
182/189

2

 航空機内で魔法を用いた国際魔法教会幹部のギルシュ・オーンスタインを追い、レヴァテイン・(ウル)を握る誠次(せいじ)は、航空機内後方へと向かっていく。

 乗客たちは激しく揺れ動きだしている機内で座席に座り、悲鳴をあげて頭を抱えている。

 そんな中で、ギルシュの配下は至るところに点在していた。


「剣術士! お前を国際魔法教会(ニブルヘイム)本部へと向かわせるわけにはいかない!」


 通路上で英語でなにかを叫ばれながら、迫るこちらへ向けて、ギルシュ配下の敵は、攻撃魔法を発動してくる。

 攻撃を回避しようにも、流れ弾が機体か乗客に命中し、新たな災害を起こしかねない。よって誠次は、レヴァテイン・(ウル)を構え、迫る攻撃魔法を全て、斬り裂き弾く。


「ここは航空機の中だぞ!」


 日本語でそう叫び返すが、相手が理解している様子はない。

 誠次はレヴァテイン・(ウル)を振るい、男の左肩を浅く斬り、通路上に押し倒した。


「治癒魔法で治療しろ!」


 そう叫ぶ誠次の視線の先には、こちらを睨んで立つギルシュが、ビジネスクラスへと至る通路の上で立っていた。


「忌々しい魔女の召し使いめ……お前を再びヴァレエフ様に会わせるわけにはいかない!」

「なんだと……?」


 ギルシュの言葉に、誠次は顔を(しか)める。

 ギルシュは手早く魔法式を組み立てると、誠次へ向けて攻撃を放つ。

 誠次は横にローリングをしてギルシュの攻撃を(かわ)すと、すぐに顔を上げる。


「この騒動を食い止めるのは貴様ではない、この私だ! 私はもう、失敗は許されないのだ!」

「かと言って、航空機内で魔法の使用は禁止されているはずだ!」

「全てはお前が元凶だ、剣術士! 貴様さえいなければ、私は今頃、ヴァレエフ様の寵愛を受けていた!」


 怨みつらみを込めたギルシュの魔法が、誠次目掛けて襲い掛かる。骨折をしている誠次は驚き鈍い痛みに顔を顰めながらも、飛来する魔法を次々と切り刻み、無力化する。


「何が剣術士だ……なにがヴァレエフ様に恩ある身だ! 自分が特別だとは思うな!」

「ギルシュ、待て! っく!?」


 誠次の呼び止めの声を無視し、ギルシュはさらに奥へと、向かっていってしまう。

 機体がまたしても大きく揺れ動き、誠次は身体を揺らされ、思わず座席に手をつく。


(機体の高度が下がってきているのか……!?)


 いつの間にか、雲海上にいたはずの機体は雲の中に突入しており、真っ白な光景が窓の外には広がっている。このまま戦闘が長引けば、多くの命が犠牲となってしまう。

 焦る誠次はすぐに立ち上がり、ギルシュの後を走って追う。

 ギルシュが逃げた先はプレミアムクラスの方。隔壁で他のクラスとは仕切られており、専用のカードがなければ入れないブロックであるが、ギルシュは無理やりにここを突破したようだ。

 お洒落なバーも、今は割れた酒瓶が至るところに散乱している惨劇の場となって、来訪者を待ち受ける。灰色のカーペットにも、ワインの染みが色濃く広がってしまっている。

 徐々にだが、傾いてきている機体で、誠次は座り込んでいるCAを見つけ、しゃがみながら声をかける。


「ここを通った男は何処へ!?」


 最低限会話が成り立つレベルの英語で、誠次がCAに尋ねると、彼女は階段の下を指差した。

 誠次はCAに礼をすると、すぐに階段を駆け降り、機体下部へ。


「ギルシュ! このままでは民間人と共に死んでしまうぞ! ヴァレエフ様はそんなことは望んでなどいないはずだ!」

「お前ごときが、ヴァレエフ様を語るな!」


 ひたすら激昂するギルシュは、追ってきた誠次めがけて、攻撃魔法を放つ。

 魔法が直撃した航空機の無人の座席が折れ曲がり、プレミアムクラスにいる上品そうな人も、悲鳴をあげていた。


「もうやめろギルシュ! このままでは航空機がもたない!」

「構わないさ!」

「なんだと!?」

「お前のような者をヴァレエフ様の元へ行かすぐらいであれば、もろとも命すら絶ってみせよう! これ以上、ヴァレエフ様の気苦労を増やすわけにはいかないのだ!」


 自爆行為すら辞さないギルシュの言葉に、誠次は信じられないような面持ちで、黒い目を見開く。


「ヴァレエフ様のひとしおの愛情を受け取って起きながら……お前はその愛を無下(むげ)にした……。その報いを受けるのだ、剣術士、天瀬誠次(あませせいじ)!」

「っち!」


 もはや話ができるできる相手ではない。

 焦る誠次はそうと判断し、ギルシュへと突撃を開始する。

 階段を降りきった先は、貨物室だったようで、付近には乗客のものや、業者が使うと思わしき大小様々な荷物が、箱に積まれて置いてある。

 ギルシュが放つ魔法がその箱に直撃する度、破片が飛び散り、白い煙を充満させる。


「おのれ!」


 機体がまたしても揺れ、誠次は横によろめいて、咄嗟に荷物に掴まる。こうなってしまえば、有利となるのは楽に遠距離から攻撃が出来る相手の方で、ギルシュはその通り、魔法を用い、揺れ動く機内で満足に動くことのできない誠次を狙う。


「どうにかして近づかなければ……!」


 骨折している自身の身体を忌々しく睨んだ後、誠次は顔を上げ、ギルシュを見据える。


「落ち着けギルシュ! 国際魔法教会が野蛮な真似を行えば、先程のように反旗を翻す者も出て当然だ!」

「野蛮な真似だと……? そうやって貴様は、ここでの手柄を独り占めにし、ヴァレエフ様に気に入られようとしているのだろう!?」

「そう言うわけでは――ハッ!?」


 気がつけば、ギルシュが遮蔽物を通り越した誠次の向かい方面から、魔法式を展開していた。

 その攻撃魔法が誠次に襲いかかり、煙を纏った誠次は床の上を転がり、どうにか攻撃を(かわ)す。直撃は免れたが、傷は負った。

 立て続けに機内が揺れ、誠次は身体を止めきれず、機内の横壁に激しく全身を叩きつけられる。


「なぜここに貴様がいるかは知るまいが、ちょうどいい剣術士。私が魔剣を回収し、ヴァレエフ様への手土産としてやろう」

「まずい……か!」


 床の上に両手をついた誠次は、自身の頭上で光る魔法式を察知し、立ち上がる。

 直後、機体がまたしても激しく揺れ、誠次は立っている事が出来ずに、横に倒れては魔法を回避する。

 しかし、ギルシュの放つ攻撃魔法を、この民間機の装甲がいつまでも耐えきれるという保証はない。


「このままでは機体に穴が開く……!」


 回避したはいいものの、激しい火花を散らした魔法の威力を目に、誠次は呻く。


「剣術士! お前だけは、お前だけはっ!」


 怒りに狂うギルシュは、満足に自身の機動力を生かすことが出来ないでいる誠次に向けて、さらに魔法式を組み立てつつあった。そんなギルシュは、激しく揺れる機体の中で、片手で付近の手すりを握り、どうにか姿勢を維持していると言う状態であった。

 どうにかして、こちらと同じ状態に持ち込めば、或いは――。


「一か八か、やるしかない!」


 意を決した誠次は、まず荷物が大量に積まれているコンテナを見て、その下側に視線を移す。そこからコンテナに向けて伸びていたのは、荷物を固定する為に結ばれた、頑丈なロープであった。

 誠次はそのロープ目掛けて、レヴァテイン・(ウル)を振り下ろす。

 ピン、と言う固定装置が外れた音に、コンテナが傾き、それが揺れる機体によってまるで意思を抱いたかのように、動き出す。


「……!? なにをした、剣術士!?」


 貨物室後方に陣取っていたギルシュは、次々と動き出した大小様々なコンテナを見て、怒鳴る。

 いくら軽量化がされているコンテナと言えど、中身が大量に積まれている状態で、その質量がそのまま航空機のGを受けて生身の身体に直撃すれば、ただでは済まないだろう。

 誠次の目論み通り、拘束装置を失い、自由の身となったコンテナの数々は、機体の中を滑るように、まるでホッケーのパックのように、動き出した。


「小癪な真似を! 私を舐めるな!」


 ギルシュは冷静に、物体浮遊の汎用魔法を発動する。その魔法の光はコンテナに浴びせられ、コンテナは宙に浮かび上がる。

 その真下を、斜めとなった床の上を滑るようにして駆ける、誠次がいた。


「しかしこれで魔法は使えまい、ギルシュ! 覚悟しろ!」

「舐めるなと言ったはずだ!」


 ギルシュは接近する誠次を狙うと、そこへ向けて、自身が浮かび上がらせたコンテナたちを、頭上へと落としていく。


「甘い!」


 迫り来るコンテナを次々と(かわ)し、直撃仕掛けるものは次々と切り裂き、誠次はギルシュに肉薄した。

 あと数センチで、ギルシュに刃が届くその瞬間、機体がまたしても大きく動き、今度は誠次がいる方、落下していく。


「まだだ!」


 落下しかける誠次は、宙に浮かぶコンテナを利用して、そこを足場として、落下を防ぐ。


「化け物め!」


 ギルシュは誠次を一時的に見失い、急いで彼を捉えようとするが、その瞬間にはすでに、誠次はギルシュの頭上に到達していた。


「真上!? 魔法が――っ!」

「使えないだろう! 貴様はすでに物体浮遊の魔法を使用している。反撃の術などないはずだ!」


 ギルシュの頭上へと剣を構えながら落下し、勝利を確信した誠次であったが、その表情が驚きに染まる。

 ギルシュの足元で、別の魔法式が、光輝いていたのだ。


「罠にかかったな、愚か者が!」


 ギルシュが、誠次を見上げてほくそ笑む。ギルシュは予め、誠次の接近に備えて、設置型の魔法式を発動、構築していたのだ。それを、誠次がコンテナの陰に隠れている時に、一瞬の判断で――。


「馬鹿な……っ!」


 落下地点にちょうどあった魔法式が光輝いた時、誠次へ向けて高威力の属性魔法が、注ぎ込まれた。

 それは黒い目を見開いた誠次の目の前で爆発を起こし、誠次はまともにその破壊力に巻き込まれる事となる。


「ぐわーっ!?」

「直撃したな!」


 黒色の煙が発生した中、それが形を保っていた時の残骸――破片が、周囲に飛び散る。

 黒い煙がうねり、その中から、頭部から血を流す誠次が、再び剣を構えて出現した。


「な――っ!?」

「覚悟、ギルシュ!」


 彼の元に肉薄した誠次は、剣を袈裟斬りの要領で、ギルシュ目掛けて振り下ろす。


「ぎゃあ!?」


 ギルシュの悲鳴が耳朶(じだ)を打つ。

 彼の左肩から胴分に至って斬り傷が(はし)り、赤い血飛沫が舞った。


「剣、術士……っ! なぜ、だ……っ!?」

「もうこの魔剣を、隠すことも必要ない!」

「ハ!? 鞘を、咄嗟に囮にしたのか!?」


 血が噴き出す視界でよく見ると、傷だらけの誠次を縛るように巻かれていた二本のベルトと、レヴァテイン・(ウル)を収める鞘がなくなっている。先程の破片は、囮として使われ、破壊された鞘の破片であったのか。

 斬られ、血走った目を向けるギルシュは、右手を動かして魔法式を組み立てようとする。


「容赦はしない!」


 その動作を見切った誠次は、すぐに回り込み、ギルシュが伸ばした右腕を斬り上げる。

 ギルシュに与えた二度目のダメージ。しかしそれでも、ギルシュは抵抗し、左肩を斬られたはずの左腕で、魔法式を組み立てた。


「全てはヴァレエフ様の為……死ならばもろともだ!」

「な――っ!」


 ギルシュの決死の反抗に、あと少し、僅かに間に合うことが出来ず、機体下部の床が、攻撃魔法を受けて吹き飛んだ。

 真下にぽっかりと穴が空いた機内で、誠次はその穴に吸い込まれそうになり、咄嗟に床にレヴァテイン・(ウル)を突き刺し、どうにかその場に踏ん張ろうとする。


「ぐうっ!?」


 暴力的な風の中、空の彼方に吹き飛ばされかけるギルシュの服を掴み寄せ、誠次は吹き飛ばされぬように、引っ張っていた。


「なにをしたのか分かっているのか!?」

「全ては、ヴァレエフ様の為に! 全ては、ヴァレエフ様の為に!」


 呪文のように叫びだしたギルシュを、誠次は骨折の痛みが残る左腕で引っ張りあげ、機内へとどうにか引きずる。


「ハアハア……! このままでは本当に墜落する!」


 機体下部に大きな穴が空いた状態で、正常なフライトなど出来ようはずがない。

 激しい運動の後、酸素濃度が薄い箇所に晒された為か、息も苦しかった。


「コックピットに向かわなければ……!」


 誠次はギルシュを近場にあったロープで縛り付けると、びくりとも動かなくがんじがらめにさせていた。


「ヴァレエフ様の元へは行かせないぞ剣術士……共にあの世に向かうのだ……」


 階段を駆け上がりかけていた誠次は手すりに手を添え、ギルシュを睨む。


「俺にはあの人に伝えなければならない事があるんだ。それを伝えるまでは、死ぬわけにはいかないんだ!」


 数多くの大切なものを振りはらい、それでも信じて進んだ道だ。突き進まなればなるまい。


「地獄に墜ちろ!」


 憎しみを込めたギルシュの言葉を背に、誠次は階段を駆け上がる。


「地獄になら、もう片足を踏み入れているさ」


 右腕には、もう収めるものがなくなった剥き出しの魔剣が。その剣先からは、ぽたぽたと赤い血が垂れている。

 上では先程のCAが、何が起きたのか、心配そうな表情でこちらを見つめていた。


「飛行機に大きな穴が空きました。ここから下は危険ですので、通らないようにしてください」


 拙い英語とジェスチャーで、誠次はCAに危険を告げていた。

 CAは真剣な表情でこちらを見つめたまま、うんうんと無言で頷いていた。

 左右に揺れながら傾いている機体の通路を、誠次は座席に手をつきながらゆっくりと、着実に移動していく。

 コックピット前の通路では、芹澤が一人で国際魔法教会の敵と魔法戦を繰り広げている最中であった。


「援護します!」


 芹澤の背後から、誠次はレヴァテイン・(ウル)を構えて飛び出し、芹澤に攻撃魔法を放とうとした敵を強襲する。

 

「ギルシュ様がやられたのか!?」

「我々は最後の一人になろうと使命を全うする!」


 敵は魔法式の照準を芹澤から誠次に変更し、迫り来る誠次を迎え撃とうとするが、誠次は攻撃をことごとく回避する。


「沈め!」


 誠次が振るった刃が敵の胸元を斬り、倒す。


「援護感謝します剣術士。コックピットはこの先です」

「はい!」


 芹澤と誠次は呼吸を合わせ、コックピットに至る障壁を開ける。


「やらせるか!」


 コックピットの中からは敵が魔法式を向けて待ち構えており、ドアが開くなり攻撃魔法を発動してきた。

 その魔法はいずれも、芹澤が予め発動していた防御魔法によって防がれ、目の前で塵となる。

 そんな芹澤の防御魔法の中から飛び出した誠次は、右手に握ったレヴァテイン・(ウル)を投げつけて、立ち塞がった男の足に命中させて機動力を奪うと、自身は右腰から抜刀したもう一つのレヴァテイン・(ウル)を握り、コックピットに座る男を背後から襲う。


「そこを退()け!」

「もう遅いぞ剣術士……。機長も副機長も負傷させた。どちらにせよこの機体は墜落する」


 英語でぶつぶつと呟く国際魔法教会の男の足元には、血を流して意識を失っている二人の男がいた。機長と、副機長だろう。


「《ナイトメア》」


 背後から追い付いた芹澤が、幻影魔法を使用してコックピットを占領していた男を眠らせる。

 男が手動で操縦していた航空機の操縦桿が、男が意識を失って身体を前のめりとさせて倒れかけることで、前に押し倒され、機体が急激に前のめりの姿勢となってしまう。


「まずい!」


 誠次はすぐにシートベルトをレヴァテイン・(ウル)で切断すると、眠る男を座席から引きずり降ろし、傾いた操縦桿を思い切り引き上げる。

 重く、激しい振動が全身に襲い掛かってくる。けたたましい警報(アラーム)が鳴り響いており、墜落に至るまでの死へのカウントダウンを、誠次へと伝えてくる。


「芹澤さんは、機長と副機長の治療を治癒魔法でお願いします!」

「操縦できるのですか?」

「出来るわけないでしょう!? 踏ん張っているだけです!」


 芹澤の言葉に思わず語気を荒くしかけながらも、誠次は命一杯に力を振り絞り、操縦桿を引き上げる。


「駄目だ! ギルシュらが開けた穴が、機内の気圧を大きく変えて機体の制御を困難にしている。どこかで隔壁を閉鎖しなければ!」


 そう叫んだ誠次はコックピット内上部を目を凝らして見るが、何がなんだか分からないスイッチやレバーばかりだ。


「……高度を、三千フィートほどまで、降ろししてください」

「え……?」


 ぽつりと、芹澤の口から出たそんな声に、誠次は思わず振り向きかける。

 見れば、芹澤の治癒魔法によって意識を取り戻した様子の機長が、芹澤に向けて声をかけていた。


「機体に穴が空いたのであれば、気圧を一定に保つために、敢えて高度を下げるそうです」

「言うは安い、が……!」


 誠次は機長席に座り、目線の先にある緑色をしたメーターを確認する。

 

「高度五千……。あと二千ほど下げるのか……」

「油圧計の異常はありませんか? 上部ランプを確認してください」

「オールグリーンです」


 誠次はバクバクと鳴る心臓を落ち着かせるために深呼吸をして、改めて操縦桿を握る。

 ギルシュが開けた穴のせいで、自動操縦は行えず、自分の手でどうにかする他ない。


「振動が、激しくなっている……?」


 緊急事態は重なる。

 芹澤の指示通り、順調に機体高度は下げてきたのだが、ここへ来て、操縦桿に伝わる振動が激しくなってきているのだ。


「これは……?」


 続いて、コックピット内に再び警報が鳴り響く。


「エンジン系統のトラブルだそうです」

「対処法は?」


 汗ばむ手で操縦桿を握りながら、誠次は尋ねる。顔を上げ、視線は前の方へ。


「破損箇所を教えてほしい」


 誠次はコックピット内の、航空機のシルエットを模したオブジェクトのようなものをじっと見つめる。白い点線で描かれているそれのうち、エンジンがついているらしき箇所が赤く点滅していた。それも、右翼と左翼、両方だ。

 生唾を飲んだ誠次は、慎重に呟く。


「両翼、共に異常が発生しているようです……!」

「落ち着いて、操縦桿を確りと握って。ピッチ、ヨー、ロールは区別できますか?」

「わかります」


 いつか読んだ小説で、そのような話を見たことがある。


「落ち着いて聞いてください。今現在、航空機はエンジン出力が不安定な状態で、低高度で飛行しています」

「はい」

「操縦桿を用いての手動操縦で、機体を水平に保って、飛行を継続させてください。管制塔からの応答を待ちます」


 機長の言葉を翻訳する芹澤の声に返答しつつ、誠次は目を凝らす。


「この霧はいつなくなるんだ……」


 依然、雲の中かと見間違えるほどの濃い霧は、向かう先に広がっている。

 機体の高度を下げなければ成らなくなった以上、この霧の中を、自分の両腕の操縦で飛行し続けるしかないのだ。

 

「最寄りの空港は、ニューヨークであるとのことです。そこまで保ちそうですか?」

「どちらにせよ行き着く場所でした」


 激しい振動が継続している操縦桿を握り締めながら、誠次は答える。


「機体を左側へ向けてゆっくりと旋回させてください。管制塔からのレーダーでこの機体は誘導されています」

「わかりました」


 芹澤の指示通り、誠次は操縦桿を傾けて、霧の中で向きを変えていく。


「燃料が急速に下がっている……燃料が漏れているのか……?」


 機体を映すレーダー端末の下部数値が急速に下がっているのを、誠次は確認した。おそらくとも言わず、魔法戦の際に燃料タンクが損傷したのだろう。着陸のチャンスはそうそうない。一回で成功させなければなるまい。


「角度調整、完了です。そのまま機体を水平に保ち、フラップを一段階下げてください」


 管制塔からの通信を受けとるヘッドギアを耳元に当てがう芹澤の指示通り、誠次は右手の手元にある掌で覆えるサイズのギアを一段階、手前に引いていく。

 微かな起動音を耳に、機体が微かに減速しているのが、分かった。


「現在機体は徐々に下降中で、高度二千フィートに差し掛かっています」

「空港周辺に大きなビルはありませんが、着陸に失敗してしまえば、再び高度を上げるのはほぼ不可能です」

「一発勝負と言うことですね」


 汗を滲ませる顔をそのままに、誠次が背後の芹澤に向けて確認する。

 

「はい。このまま墜落して死ぬのか、無事に着陸して貴方の使命を果たすのか、どちらかです」


 敢えて言ってきたのだろうか。ともすれば冷酷無慈悲とも言える囁きを、芹澤は背後からかけてくる。

 着陸の目印さえも、この濃い霧のせいで見えることがない。自分が進んできた道も、行くべき道も、たどり着く目的地でさえ、何も見えないのだ。

 ――例え行き着く場所が、地獄の果てであったとしても。


「着陸体勢に入ってください。フラップをさらに下げて、ランディングギアを下ろしてください」


 芹澤の指示通り、誠次はフラップギアをさらに手前に引き寄せ、ランディングギアのスイッチを押す。

 機影を映すレーダーにランプが灯り、着陸用の体勢が整った合図だ。


「私の声に合わせて高度を、徐々に下げてください。高度千、九百……」


 操縦桿を前に徐々に押し、誠次は機体を水平に保たせたまま、真っ白の霧の中を機体を直進させる。重さ500トン以上はある鋼鉄の鳥が、白い霧を裂いて、空気の線を描いて行く。


「っぐ!?」


 推進力をなくし、風の抵抗が強くなっていく機体では振動が大きくなり、それによって大きく機体が揺れ動く。

 乗客たちの悲鳴が背中の方から聞こえてきたがして、誠次は操縦桿に力を込める。


「駄目だ、機体の揺れが大きすぎる!」


 霧の中で強く吹く風に晒され、機体が揺れまくり、誠次は叫ぶ。

 着陸する他ない状況である以上、再チャレンジは出来ない。もはやこの不安定な状態のまま、滑走路への着陸を強行する他ない。

 骨折の痛みも大きく、両腕に奔る激痛により、顔を顰めた誠次が目を凝らす。


「なんだ……?」


 目の前。霧で真っ白であった前方の視界に、まるで剣で斬り抉られたかのような開けた箇所が生まれている。

 そこの空間だけの視界はとてもクリアであり、霧一つとしてない、晴れやかな光景が広がっていた。見えたのは灰色の滑走路でも、高くそびえ立つニューヨークの近代的な街並みのビルでもない。

 見えてきたのは緑の草と色とりどりの花が咲く、豊かな平原であった。

 もしかすれば、ここはすでに天国で、着陸にミスをして墜落したのだろうか。あまりに非現実的すぎる光景を前に、誠次はしばし、茫然としてしまう。


「ここは一体、どこなんだ……?」


 快晴の空の下、誠次は前をじっと見据える。

 機体高度はすでに、地表すれすれ。原っぱの上で、のんびりと咲いている色とりどりの花たちが、ジェット機の暴力的な風を浴びてしなり、華を散らす。

 

「っ!?」


 ちらと、フロントガラスから外を見れば、一面の野原の中で、たった一つの人影を黙視できた。

 その影は、高速で飛来してきたこちらをじっと見つめているようだ。黒い髪をした、少女の姿だ。


「まだ、死ねない……!」


 その視線から目を背けた誠次は、失っていたかのように思われた意識を、信念を、取り戻していた。


「――きゃあっ!」


 聞こえてきた芹澤の悲鳴と、激しい衝撃が、誠次の意識をさらに覚醒させる。

 ズドンと、下から突き上げてくるような一瞬の衝撃の後、ガタガタと振動を起こしながら、コックピットが揺れまくる。

 誠次の操縦するジェット機が、滑走路に着陸したのだ。


「フラップギアを限界まで下げてください!」


 誠次は咄嗟に手元のギアを限界まで引き寄せ、航空機の速度を落とそうと試みる。

 緊急事態用の赤い消防車や救急車が至るところにおり、サイレンを灯している。


「止まれーっ!」


 いくらなんでも速度が落としきれていない。

 このままでは滑走路を突っ切り、目の前にそびえ立つビルや、道路に激突する。

 滑走路上で、一向に速度を落とす気配をみせない機体のコックピットより、誠次はもはや意味もなく、操縦桿を引き絞っていた。


香月(こうづき)……っ」

 

 ぼそりと呟いた彼女の名。こんな時に、彼女がいてくれれば、時間停止の付加魔法(エンチャント)を使って、なにかが出来ていたかもしれない。

 それを突き放すような真似をしたのは、自分であると言うのに、なんと諦めの悪い。

 すでに誠次の意識は尽きかけていた。

 朦朧となる誠次の耳に、英語の会話が聞こえてくる。


「――負傷者多数! 操縦席のアジア人は重症だ! 一刻も早い治療を!」


 相変わらずなんと言っているのかはわからないが、きっと敵意はない。助かった……と実感するのと同時に、思い出す。


「――いいや、その必要はない。それよりも彼の身柄を国際魔法教会本部へと移させろ」

「正気か!? 傷だらけだぞ!?」


「これはヴァレエフ・アレクサンドル様の命令だ」


 ――本当は、自分の本当の家族など、どこにもいないのだと言うことを。

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