6 ☆
風が強く吹いている。
雪山の頂上から下ってきた凍てつく冷気が、一人の魔術師の元に集結し、立ちはだかる剣術士へと向けられる。
かつての友同士であった二人の、少年同士による一騎討ち。同じ学舎で育ち、同じ理想を抱いていたはずの二人の行く道は、降り積もった白い雪によって、いつの間にかに見えなくなってしまっていたのか。
闇夜の雪原の上で繰り広げられていたその戦いは、剣術士誠次を連れ戻そうとする魔術師志藤が放ったオリジナルの複合型属性魔法によって、戦局を大きく変えることとなる。
「……っく!」
吹き飛ばされそうになる風を前に立っていられず、おまけに足場は雪の上。誠次は分離させたレヴァテイン・弐の片側を足元に突き刺し、それを支えに握りしめ、どうにか立っていた。
「天瀬……。最後の忠告だ。ここでやめて、戻ってきてくれ」
「……断る」
「クラスメイトだって待ってるんだ! 香月は、泣いていた……お前が守るんじゃないのか!?」
そう叫んだ志藤の目に映る誠次の表情は、激しい吹雪によって、よくは見えない。
しかし返ってきたのは、ともすれば周囲の雪のように、冷たく感じる誠次の声だった。
「そうだ志藤。俺は全てを守るんだ。だからその為に、行かなくてはいけないんだ。ヴィザリウスには、いられない」
「言ってる意味が分からねーんだよ! なんでそうなっちまうんだよ!? 俺が香月をとっちまっても良いのか!?」
志藤がそんなことを言うが、誠次が動じる様子はない。
「俺を動揺させようとしても無駄だ、志藤。俺の行動は、人類を救うためだと信じている。よって、香月の名前を出されようが、行く行くは彼女を守るために繋がる行動を、止めようとは思わないでくれ」
「ああそうかよ……わかったぜ、天瀬――」
眩しい光を伴う風の中、誠次に立ち塞がる志藤は残念そうに、肩を落とす。
「どうやら一発殴らねーと、お前の頑固さは解けないようだ!」
例えなんと言われようとも、是が非でも、誠次を連れ戻そうとする志藤は緑色に反射する目を見開き、周囲の風を自在に操り、誠次へ向けて送り込む。
目に見えない疾風の攻撃。気がつけば、誠次の両足には切り傷が奔り、誠次は驚いて目を見開く。
「見きれない……っ!?」
このまま踏ん張ったところで、負傷するのはこちらだ。誠次はたまらず、雪の上に突き刺したレヴァテインを引き抜く。そうすれば、耐え難い風圧が襲い掛かってきて、誠次は大きく後方へ吹き飛ばされる。
「ぐあっ!」
誠次の身体は背中から木の幹に直撃し、雪を撒き散らしながら、地面の上に落ちる。木の枝からも纏まった雪が降ってきて、誠次の身に降りかかる。
「志藤……っ!」
誠次が目を見開くと、志藤はゆっくりと、こちらへ向かって歩いて来ている。目に見えない風の障壁が雪を巻き上げ、誠次へと降り注いでくる。
「付加魔法もない今のお前が、楽に俺に勝てると思うな!」
「ああ志藤……確かに、お前は強い……」
誠次はゆっくりと立ち上がると、深く息を吸い、レヴァテイン・弐を構え直す。
ぴしぴし、と冷気と共に痛みを感じる。それが単純に凍傷によるものではなく、志藤の魔法による風の切り傷であるのは、すぐに分かった。
「それでも俺は……負けられない。なんとしてでも、ヴァレエフさんの元へ行かなければならないんだ!」
「天瀬!」
大気がうねりを帯び、志藤の怒りに反応し、揺れ動く。相変わらず目に見ることが出来ない風の動きであるが、この悪天候の戦場が、時に誠次に味方もする。
(雪の動きを読み取れ……そうすれば、勝機はあるはずだ……)
誠次は雪の動きを見極め、志藤が操る風の軌道を読む。
雪の上を左右に転がりながら姿勢を直し、一瞬の溜めの後、誠次は風を背後にし、志藤の元へ突撃した。
「っち!」
志藤は再び自身の周囲に揺蕩う風たちを自在に操り、自身の目の前に衝撃波のような風の塊を、作り上げる。
その真っ只中に突入した誠次であったが、志藤の魔力を帯びた風の障壁を破れず、逆に吹き飛ばされてしまう。
「ぐあああああっ!?」
上空へ吹き飛んだ誠次へ更に、志藤は雪を纏った風の弾丸を、四方から浴びせようとする。
緑色の夜空の下、誠次は目を見開き、迫りくる風の弾を斬り裂く。上空で身体を大きく捻って回転させ、落下しながら地上で待つ志藤へ向けて、剣を振るう。
「志藤っ!」
「天瀬っ!」
上空から強襲してきた誠次の動きを読んでいたのか、志藤は油断なく身構えており、再び風の障壁を頭上に展開し、誠次の攻撃を防ぎきる。
そのまま自身の左右より質量を持った風の弾丸を送り込み、上空で不安定な姿勢となっている誠次へ襲いかからせる。
「くっ!」
誠次は空中で宙返りをし、迫りくる風からどうにか逃れると、自身は再び志藤から大きく距離をとって着地する。そこにも、志藤は容赦なく風を注ぎ込み、誠次の足――機動力にダメージを与えようとする。
志藤の目論見通り、誠次の両足には切り傷が奔り、白雪の上に赤い血が飛ぶ。
「……っ!」
両足の激痛に顔を歪ませる誠次は、血走った目で志藤を見る。
――ほんの一瞬だけ、複雑そうな表情を見せていた志藤は、首を左右に振り、冷静な目で、誠次を見下ろす。
「これでもまだ、聞く気はないようだな……っ!」
志藤が怒鳴る。
誠次はレヴァテイン・弐を支えに立ち上がると、口で荒い呼吸を繰り返しながら、志藤を睨み返す。
「志藤。その程度では、俺は止まらないぞ」
「っ!」
志藤は悔しげな顔のまま、両手をすくい上げて、前へと突き出す。
これでは剣を投げつけようにも、風に阻害され、到底届くまい。誠次の得意技の一つである剣の投擲を完全に防いだ志藤は、あとは誠次を寄せ付けぬように、遠距離からの攻撃を徹底する。
彼の移動力を侮ってはいけないが、この大雪に足をとられる状況では、まともに接近することも叶わないだろう。
そんな状況なのに、彼は、誠次は諦めることはない。むしろ、こちらへ向けて、進み続けてきている。
(来るな天瀬……。もう、やめてくれ……)
そんな志藤の心の中も、今の誠次には、読み取れることはなかったのだろうか。
身体や顔に切り傷を奔らせながらも、誠次は志藤の操る風を突破しようと、真正面から立ち向かう。
――一迅。
凄まじい勢いの突風が吹き寄せ、誠次が構えたレヴァテイン・弐ごと、誠次の事を吹き飛ばそうとする。
しかし、志藤の魔力にも限界はあった。
誠次が思いきり振り下ろしたレヴァテイン・弐が、志藤の操る風を切り破り、逆風を起こす。
今度は志藤に向かい風が吹き、彼の背後に立つ木々が、微かにざわめいた。
「なん、だと……!?」
「見きれてきたぞ、志藤!」
風を切り裂き、誠次はレヴァテイン・弐を連結状態で構えて、志藤へと向ける。
「くそ、もう魔素が残り少ねえ……!」
今目の前にいるアイツを止めることができる、最後のチャンスだと言うのに!
本気で、息の根を止めるつもりでしか、もう彼は、止まらないのか。
想像だけでもかつての友を手に掛けようとした己を否定したく、志藤は凍てつく顔を左右に振りかける。《フレースヴェルグ》が切れてしまえば、負けるのは確実にこちらだ。
「その前にケリをつける!」
「迎え撃つ!」
誠次が雪の中を突き進み、志藤の元へ向かう。
彼が振るう刃を至近距離で一度二度躱し、雪を撒き散らしつつ、志藤は反撃の風を送り込む。
志藤の手元で発生した風の刃が、誠次の身体を斬ろうと降りかかるが、近接戦闘では誠次に分がある。
風の刃をかい潜り、誠次は下からすくい上げるようにしてレヴァテイン・弐を振るい、志藤の上半身を斬ろうとする。
志藤は風を足場に起こし、自身の身体を上昇させると、誠次の背中の方に着地する。そのまま誠次へ回し蹴りを行おうとするが、誠次は志藤の足を片手で受け止めて、逆に引き寄せる。
お前の狙い通りにはさせない!
志藤は咄嗟に身体を宙に浮かすと、零距離で誠次へ向けて、風の刃を送り込む。
それを見た誠次は、咄嗟に志藤の足を離し、自身は後方へ跳躍。迫りくる風の刃たちを、常人ならば目視することすら叶わない透明な刃の数々を、雪の動きを捉えるという空間認識能力にて、次々と斬り裂いていく。
「コイツを喰らえ!」
遠くから志藤が風をかき集め、誠次が着地した場所めがけて、撃つ。
雪の上で滑り、態勢を崩していた誠次は、迫りくる巨大な風の塊を、見開いた黒い瞳で目視する。
「っち!」
誠次もろともを巻き込んだ巨大な爆発が、緑の雪原上で発生する。ダイヤモンドダストがきらきらと舞う中、強力な一撃を放った志藤は、ぽっかりと穴が開いた目の前のクレーターを見る。
「ハアハア……!?」
いない、どこへ消えた!? 血の跡が微かに滲む雪原上で、志藤は必死に周囲に向けて目を凝らす。
「――俺はここだ!」
突如、真下から声が聞こえたかと思えば、雪の中から両腕が伸びてきて、志藤の足を絡めとる。
「うわ!?」
視界が無理矢理に変わり、背中一面にひんやりとした冷たい感触を味わえば、それは自分が倒された事を意味する。すぐに起き上がろうとした志藤であったが、その前に、黒い影が、志藤に覆い被さった。
「ぐあっ!」
「志藤ーっ!」
レヴァテイン・弐を片手に握った誠次が、志藤に馬乗りとなって、その刃を首筋の横に突き立てる。
「ハアハア……!」
「ハアハア……!」
互いに血走った目を向け合い、誠次と志藤は至近距離で、互いの今の姿を見合う。
「俺は知ってるんだぜ……天瀬。お前が、その剣で、俺を殺せないことはよ!」
志藤が指を動かせば、上空で待機していた意思を宿した風たちが、一斉に志藤に馬乗りとなっている誠次に襲い掛かってくる。
誠次は咄嗟に左右に視線を送ると、志藤の上から離脱し、バックステップを行う。
「志藤、魔素は保つか?」
「なに……?」
迫りくる風を両断しつつ、誠次がぼそりと尋ねれば、志藤は額から冷たい水を垂らす。それが冷や汗によるものか、それとも髪に付着した雪が溶けて水になったのか、誠次にはそのどちらかが、分かるのだろう。
「魔素が潰えれば志藤――いや、魔術師の敗北は決まる。そうなる前に俺を仕留めなければ、俺は貴様を斬る」
「……っ!」
「《フレースヴェルグ》。見事な魔法だ。俺が叶えられない魔法を、お前は、難なく扱って見せてくれる。やはりそうだな……魔法は、夢を叶えてくれるものだ。俺には決して扱うことの出来ない、代物だ」
「何言っているんだ、天瀬……」
遠距離で向かい合い、棒立ちとなって片手をそっと胸元まで上げる誠次に、志藤は、眉をひそめる。
「志藤……やはり俺は、友を斬ることは出来ない。そんな弱さを持つ俺が、時にこんな魔剣を使うことの矛盾を、感じてもいたんだ。それでも俺は、友を守るために、戦ってきた」
戦闘の最中、俯き、微笑んだ誠次は、自身の目の前にレヴァテイン・弐を突き刺し、志藤へ向けて、微笑んだ。
「なんで、そんな顔をしてやがる……天瀬!」
吹雪の中、こちらを見つめる志藤は、困惑に満ちた表情をしていた。
誠次が突き刺したレヴァテインの黒い柄には、しとしとと、今も雪が降り積もってくる。その先に立つ誠次は、志藤へ向けて、手を指し伸ばしていた。
「撃ってくれ、志藤……。俺の夢を、今ここでお前が、断ち切ってくれ」
「……っ!」
ハッとなった志藤は、しかし冷静に腕を伸ばし、誠次へと魔法式の照準を向ける。
腕が、震えている。決してこれは、寒さによるものが理由ではない。光り輝く魔法式の向こうで、レヴァテイン・弐と、誠次が、こちらを見つめている。
「天瀬……!?」
「唯一の家族に、会いたい……」
「天瀬……お前の居場所は――っ!」
意を決めた志藤の手元で、破壊魔法の魔法式が光り輝き、完成を迎える。
放たれた眩い光が、立ち尽くす誠次の茶色の髪を揺らし、その全身を包み込んだ。
※
しばし後、ヴィザリウス魔法学園の1学年生の男子、西川晴斗が、二人の同級生が戦っていた現場に現れる。
もう目の前が見えないほど雪は激しく、防寒具に身を包んでいても、身体は震えるほどだ。
木々の間を抜け、幹がひん曲がって倒れている歪な木が目立つようになる。抉られているような傷や、綺麗な断面で輪切りにされている傷。――激しい戦闘の後なのだろう。
「あれは……」
折れた木の上を越えた先に、両膝を雪の上について、呆然となっている人影が一つあった。
「……」
西川は軽く雪をはらってから、膝立ちで呆然とするその人物のもとに、歩み寄る。
「志藤、生徒会長」
「……」
まるで元からそこにあったオブジェクトのように、白い雪と霜を纏って動けないでいる志藤の前には、一直線上に抉られた雪の道のようなものと、そこから横に逸れ、足跡を残して、スノーモービルらしき重機に乗り込んだ痕跡のようなものがあった。
(志藤生徒会長の元から放たれた魔法の軌道は直線……。防がれた形跡もないことから、志藤生徒会長が、わざと外したのか……)
西川は状況を一瞬で分析し、改めて志藤を見る。
「やはり、彼だったのですか」
吹きすさぶ風の音に混じり、西川は志藤に視線を落として問う。
「アイツが……オレの、夢を、終わらせてくれ、って……」
それは寒さによるものか、或いは――。
震え、今までに聞いたこともないような、か細い声で、志藤は呆然としたまま呟いた。この気温で水はすぐに氷と化す。それでも、彼の目元からは、決して凍ることはない熱い水の粒が、ぼたぼたと、流れ落ちていた。
「俺は、アイツに、夢を叶えてもらった……。特殊魔法治安維持組織を、取り戻すって、夢を……。それなのに、アイツの夢を……俺が、終わらせるなんて、出来、なかった……っ」
前に倒れるように、両手を雪の上につき、志藤は嗚咽混じりに咽び泣いていた。
「わざと、行かせたのですね」
「……っ!」
同情する余地も、こちらを責め立てると言う様子もなく、ただ零の感情で西川が言ってきて、志藤は思わず顔を上げて、彼を睨んだ。
吹き寄せる雪を顔に浴びながら、西川が遠くを見据えている。
志藤はぐしゃぐしゃになった顔を抑え、ゆっくりと立ち上がった。
「コテージに戻りましょう。これ以上ここにいても、貴方は死ぬだけです」
「わかってる……」
「では行動しなければ。貴方はここで無意味に死んでいい人間ではないはずです。彼はもう、完全にヴィザリウスとは決別したのでしょう」
西川が志藤の腕を掴みあげて引き寄せ、無理矢理にでも立たす。
よろよろと、ニ三歩その場で立ち往生してから志藤は、西川の腕を掴み返して、歩きだす。
「悪い……。コテージには必ず戻る……先に一人で――」
「いいえ駄目です。この吹雪の中で今の貴方を一人にはしておけません。中岡さんたちも心配しています。共に行きましょう、ヴィザリウス魔法学園の生徒会長」
「……っ」
――志藤……ヴィザリウス魔法学園の魔法生たちのことを……どうか頼む。
目と鼻の先で吹き寄せる雪の結晶に混じり、誰かの、そんな声が、ふと聴こえた気がした。
顔を微かに上げた志藤であったが、身体の奥から湧き出る熱い衝動と、身体の外より吹き寄せる凍てつく雪たちが、全ての思考を忘却させる。
「ちく、しょう……」
吹雪の彼方へと消え失せた友の背の姿が、いつまでも消えることなく、志藤の脳裏に焼きついていた。
※
『旧世紀の世界大戦以降、太平洋に跨がる両国の絆は、より一層の繁栄を約束することでしょう。日本と米国。この二大国は共に、今日に至るこの魔法世界において、世界の平和と秩序に必要不可欠な存在であります。本日私は合衆国首都ワシントンへと向かい、合衆国大統領と会談を行い、両国の同盟関係をより一層強固なものにして参ります』
テレビのニュース番組には、声高らかにそんな演説をする壮年の薺が、ぶら下がりと呼ばれる首相官邸での囲み取材に答えていた。
「ふふ。いつも思う。我ながら殊勝な事をよく言うものだと」
それを語る当の本人はすでに、政府専用機のジェット機の座席に座り、優雅に赤ワインを嗜んでいた。
薺沙愛。2月半ばの今日より一週間の期間で、合衆国へ外交へ向かう。
彼女の周りには芹澤と言う女性秘書の他に、警護らしき者は、一人しかいなかった。
「骨折の具合はどうじゃ、天瀬誠次?」
向かいの席に座り、窓の外に見える空港をじっと見つめる少年、天瀬誠次であった。外からはスモーク加工がされており、中の様子はわからず、合衆国大統領との会談の場にはおおよそ似つかわしくはない少年がこの政府専用機に乗っていることは、外部からは知られることはなかった。薺が報道機関に乗り込む瞬間を撮られるより先に、乗り込んでいたのである。
誠次は、顔と腕に巻かれている包帯をそっと触り、身体を動かす。
「まだ、若干の痛みはありますが、動かせないことはありません」
「そうでなければ困る。もはや光安も、敵も味方も分からない状況になっておるからな」
「貴女の盾であった光安を二分させてまで、貴女は国際魔法教会の支部を日本に作るおつもりなのですか」
「光安とお主。私が取捨選択を迫られるとすれば、選ぶのは、剣術士であるお主じゃ。それが、ヴァレエフ様の願いでもある」
薺は不敵に微笑み、赤いワインで朱に染まった唇に舌を這わせ、誠次を見つめて言った。
年頃の少年らしい反応も今はできずに、誠次は薺を見つめ返してからそっと、視線を窓の外に戻す。期待には応えたい。そんな、自分のアイデンティティとなっていた言葉も、今は頭にも思い浮かばかなった。
――ジェット機がいよいよ、翼を可変させて、上昇を開始し始める。
「それに、もう時間もあまり残ってはおらぬ。妾はどちらにせよ、次の総選挙で敗れるだろうしな。その点では、お主らフレースヴェルグに軍配が上がったな。よって、妾の最後の大仕事じゃ」
「……国際魔法教会支部が日本にできれば、日本には、さらなる平和がもたらされるのですか?」
通路を挟んで座席に座る芹澤が、電子タブレットで何かを記入している最中、誠次が問いかける。
「当たり前じゃ。逆に、今までこの国に無かったことがおかしなくらい、この国の魔法世界化は遅れていた」
薺は微笑し、空になったワイングラスを誠次に向けて傾ける。
湾曲したグラスの面に映る誠次の姿は、ひどく歪んでいて、赤く塗りつぶされていた。
「かつての友と雪中で決別したお主の矜持、とくと見せて貰おうか、剣術士よ」
「……」
――天に向けて上昇する機体の中、目を瞑れば、今でも思い出すのだ。
吹きつける雪の中で、自分を必死に止めようとしてくれた、友の姿を。最終的にその手は届くこともなく、いや、こちらが振りはらい、目を背けて、去った。
「止めて欲しかったのかな……俺は……」
そんな資格など、ないというのに。それは自然と頬をつたい、誠次は思わず、包帯に包まれた指を顔に添えていた。




