15
「正直、声をかけるかどうか、迷ったけど」
ゆい
画面越しに戦場を見守る青年の目には、奮戦する二人の男の姿が鮮明に映っていた。
争いにおいて勝敗を十二分に別かつ要素でもある戦場。そこの支配権は今や、自分の手のひらの上にある。それでも、彼らならばこの戦いを切り抜けられるかもしれない。
わかっている……これは本来、ハッカーがするべきではない、希望的観測によるものだ。高度なAIコンピューターにより予測された指数ではなく、まさに人が起こす奇跡のようなもの。完璧な計算式による答えを求められる頭脳にはおおよそ介在させてはいけない、アバウトで、不確定要素を孕んだ、不確かなもの。
これらを起こせる人間がいるとすればそれは、今画面の先で奮戦をしている二人だろう。
「――なぜ俺たちが負けている!?」
「戦場を変えろ! 次は航空機の中だ!」
背中に破壊魔法の魔法式をあてがわれ、Eはやむを得ず、言われたとおりにVRを遠隔操作する。ヴィザリウス魔法学園全体に回った、電脳の毒。これを解毒するには、別れ際に怜宮司に渡しておいた、自家製のアンチウイルスソフトを用いるしかない。しかし、肝心の怜宮司からの反撃は未だにない。
その代わり――。
「僅かながら、抵抗を受けている。ほんの僅かだけど」
「お前ほどの技術力ならば、ねじ伏せられるだろう? さっさと潰せ」
「わかっています」
どこの誰かは知らないが、ヴィザリウス側にも優秀なプログラマーがいたようだ。こちらの仕掛けている攻撃に対し、壁を作るかのように、次々と阻止性のあるプログラムを組み込んできている。
出鱈目ではない。こちらの手を組まなく読み、適切な対処法をしている。
Eはキーボードに手を走らせ、次の手を打つ。……気がつけば、Eは熱中をしてしまっていた。この未知なる相手との、電脳を使った戦いに。
※
サイバーテロ対策本部と化している生徒会室では、一人の少女が、目に見えぬ凄腕のハッカーと対峙していた。
「パソコンって、こんなに熱くなるのか!?」
「触らないで!」
すでに熱暴走を起こしかけている最新型のパソコンに近づいた志藤に、水木が釘を刺す。椅子に座ったまま彼女は、再び目の前のスクリーンに映し出される文字や数字と対峙している。
PCやネット周りには疎い志藤にも、その画面が凄まじいことになっていることは、なんとなくわかる。
水木の顔は赤く染まっており、汗もかいている。秋なのに部屋は冷房もつけているほどで、おそらくPC同様、彼女自身の脳も熱暴走を起こしているのだろう。
「今この学園を守っているのは、このパソコン一台だけ。もしもここで私が手を止めれば、この学園の全てが乗っ取られる!」
水木が呻き声を混じらせて、言う。
「先生にはすでに連絡した。ただ、やはり目に見えない敵に対しては、対処のしようがない。いくら優秀な魔術師でもな。水木、お前が頼りだ」
「言われなくとも……!」
こうやって受け答えが出来る限りは、まだまだ余力はあると言うことか。水木は火照った顔に冷えピタシートを貼り、汗で貼り付く青い髪にヘアピンを差し、巻き上げる。
「天瀬と連絡が取れねえ……。一体どうなってやがる!」
「第三演習場のセキュリティシステムは、より強力なハッキングを受けている。電波障害が起きていてもおかしくない」
「やっぱ、狙いはあそこってわけか。にしても解せねえな。敵の狙いがヴィザリウスなら、職員室とか理事長室を掌握するのが筋なんじゃねえのか……?」
志藤が首を捻ると、西川が口を開いた。
「クーラムについて調べました。彼らの王国は古来より、争いが絶えない戦乱が続いた国。国土の境界も曖昧なものが多く、正確な面積でさえ記録には残っていません。そんな部族同士が争い、主導権を握る方法とは――」
「なるほどな。砂漠にいちいち境界線なんて引いてもすぐに消えちまう。要は単純にして、大将首を取った者こそが、国を取るってやつか」
「はい。国土など彼らにとっては二の次です。上に立つ者の首をとれば、それはすなわち、あの国では勝利を意味します。敵にとって、場所などは関係ないのでしょう」
西川の説明に合点がいき、敵がセリムを狙う意味合いもわかった。
同時に、もう一つわかったことも。
「……つまり、ヴィザリウスを本気で潰そうとしているのは、クーラムを影で操る国際魔法教会ってことか」
「……」
志藤の言葉に、西川は何も言わず、遠くを見つめているようであった。
「自らの手は汚さずに、他の奴を操ってやる、か。そんな連中がこの魔法世界の大部分を掌握してるって思うと、ぞっとするな」
志藤はそう言い残し、再び生徒会室を後にしようとする。
「どちらへ?」
西川が尋ねると、志藤は視線をそちらに向け、答える。
「第三演習場まで行ってみる。これ以上俺がここにいても、できることはねえ。西川は引き続き、水木のサポート頼むわ」
「え、しかし、PC周りのことは俺もあまり……」
「わかってるよ。要するに、身の回りのお世話、だよ」
志藤は軽く微笑み、片手を飄々と上げて、生徒会室を後にしていた。
その足で向かうのは、今現在、ハッキングによって完全に外部との接触が絶たれている、第三演習場の
だ。
2―Aの出し物があった為、クラスメイトたちやお客さんの身の危険もあったが、誠次たちフレースヴェルグのメンバーが上手く誘導してくれていたようだ。事実、生徒会室からほど近い地下通路の通路には、ディナーショーを見に来ていたと思われる観客や、クラスメイトたちが集まっているようであった。
「ねえ、再演はまだなの?」「早く続きみたいー」「あのイケメン色黒主人公くんの詳細はよ!」
避難した人々からは、そんな声が聞こえてくる。志藤はその間を縫うようにして、歩いていた。
(みんな非常事態だって思ってねえな……。そりゃあそうか。ハッキングを受けて攻撃されているなんて、実情を知らなくちゃ俺もただの停電だって思うわな)
戦場となっている個所は演習場のみ。おまけに、予め避難をさせたのだから、その中で戦いが起きていることを知る者は少数だろう。
そんなことを思いながら、志藤は第三演習場のドアの前まで到達する。そこにはその少数名であるフレースヴェルグメンバーの他にも、誠次に魔法を与える女性陣も集まっていた。
「みんな、状況はどうなってる?」
「名簿帳に記入してあるみなさんの避難は完了済みです。誠次さんは一人で、セリムさんと共にこの中にいます」
真が不安そうな面持ちで答える。
「中には入れないのか?」
「学生証をかざしてもうんともすんとも言わない」
「無理やりこじ開けようにも、日頃魔法戦だってする場所だ。そりゃあ頑丈で、びくともしねえよ」
完全に閉ざされたグレイの扉を前に、聡也と悠平も悩まし気な表情を浮かべていた。
ぶ厚い扉の先からは、防音も施されているため、何も聞こえてきはしない。しかし確実に、この中では激しい戦闘が行われているのだろう。
「ここで指咥えて見守っててもなんにもならねえ。帳、夕島、小野寺、俺たちは学園中に散らばって、敵の協力者らしい奴を見つけるぞ。上手くいけば、ハッキングをしてる馬鹿野郎をとっ捕まえられるかもしれねえ」
志藤の言葉に、一同は頷く。
「志藤くん、私たちはどうすればいいかしら?」
女性陣の中から、香月が訊いてくる。
「香月たちは念の為、ここの扉の前でスタンバっててくれ。いつ開いてもいいように待機して、お客さんたちやクラスメイトを頼む。そして、天瀬への付加魔法もな」
「わかったわ」
「……って言うか、俺の名前間違えるシリーズはどうした? 香月のお家芸じゃないか?」
志藤が口角を上げながら問えば、香月はやや顔を赤くして、思い出したかのようにハっとなる。
「わ、忘れていたわ……私としたことが……緊急事態でつい……」
「できればそのままで頼みたいんだけどな……」
志藤がとほほとため息をこぼし、髪をかきあげる。
「よし。俺たちもやれることをやろう。行こうぜ」
※
「うぉぉぉぉぉっ!」
正面方向から放たれた攻撃魔法を、誠次は気合の声を上げながら切り裂く。
「行け! セリム!」
「任せろ!」
そうして攻撃を防いだ誠次の真横を、槍を握ったセリムが走り抜き、迎え討つ二人の敵兵を立て続けに無力化。高速で動く列車両の屋根の上から突き落とした。
大海原と雪山を乗り越えた二人が次に送られたのは、山間部に敷かれたレールの上を高速で走る蒸気機関列車の屋根の上であった。立っているのだけでやっとの速度であり、しかも進行方向上に敵の軍勢は陣取っている。当然、不利なのは最後尾側に転送されたこちらだ。
誠次とセリムは、人が横並びで三人が立つぐらいが限度な細い足場の上で、必死に先頭車両を目指していた。
「怯むな! 押し返せ!」
「ここから落ちても死ぬことはない! 覚悟を決めろ!」
敵兵らは車両の上で陣を組み、攻撃魔法や破壊魔法。そして弓矢による攻撃を浴びせてくる。
「セリム! 魔法は節約するぞ! 先程の雪山のときのように、起死回生の鍵として使うかもしれない!」
「アンタの起死回生の付加魔法とやらも、節約か? ずいぶんな余裕だな、誠次!」
「そういうつもりではない! 彼女たちをこの戦場に巻き込まさせて、危険な目にさらすのが嫌なだけだ!」
「つまりは、付加魔法を使わなくても余裕で勝てるってことだろう!?」
「ならば、そう考えてくれて構わない! たとえ強がりでも、絶望よりは希望を抱いて戦うほうが遥かにマシだ!」
誠次とセリムは剣と槍をそれぞれ正面へ突き出し、それらを振るいながら、突撃をする。
激しい風を浴びながら、飛来する遠距離攻撃を切り弾き、二人共に敵陣へ突入。陣形を組んでいた敵兵らを同時に列車の左右へと吹き飛ばし、突き落とす。ちょうど桟橋の上を通っていたため、車両の上から落とされた敵兵は、奈落の底へと落ちていく。VR空間なので、死にはしないだろうが。
「……っく。ハアハア……身体が、重い……」
今に始まった事ではないが、ここ数日は戦闘に文化祭の準備と、戦闘と……と言ったことを繰り返していた為、疲労はどうしても蓄積される。
剣を車両の上に突き刺し、誠次はそこへもたれ掛かるようにして、荒い呼吸を繰り返す。風に揺れ動き、彼方から差し込む朝日が照らす茶色の髪の先端からは、汗がしきりに落ちていく。
そんな誠次目掛けて、正確な軌道を描いた矢が飛んでくる。その風音に気がいたとき、誠次はその矢じりを見据え、黒い目を大きく見開いた、
「く……っ!」
直撃する――っ!
そうと直感した誠次であったが、矢が眼球に突き刺さる直前、眩いフラッシュが発生。矢が火花をだしてひん曲がり、空中で折れ、散っていく。
朝方の空に微かに半透明な魔法障壁の壁が見え、誠次は思わず、傍らに立つセリムの背を見上げた。
「セリム……。魔法は節約しろと……」
「生憎、俺はお前ほどコイツを上手く扱えないからな」
セリムは右手に持つ槍を見つめて、薄く笑う。
「だったら、防御魔法を使ってでも守るしかない」
「すまない……。まだ戦える!」
誠次はレヴァテインを支えに再び立ち上がると、大きく息を吐き出し、血に濡れた顔を上げる。
セリムもまた、膨大な量の風を浴びながら、朝日を横顔に浴びつつ、前を向く。
「敵兵もだいぶ減った……あともう少しだ! 行けるぞ誠次!」
「その台詞、先程からずっと言っている気がするな」
「悪いな。でも、絶望を抱くよりは希望を抱いて戦った方がいいって、お前も言っていた!」
そんなセリムを狙う、敵の弓兵。弓に矢をつがえ、セリムを狙う動きを見た誠次は、咄嗟に左手を右腰のレヴァテイン・弐の柄に添え、引き抜きながら投げつける。朝日を受けて煌めく刃は、空中を切り裂くように回転しながら向かい、敵兵が構えていた弓を両断し、左肩を切り抉って通過する。
「ぐはっ!?」
「治癒魔法で治療しろ!」
誠次とセリムは、左肩を抑えて蹲る敵兵の両サイドを突破し、再び先頭車両へと向かう。途中、列車の屋根の上に落ちていたレヴァテイン・弐はきちんと回収した。
「く、来るぞ!」
「迎え討て! 斉射!」
追い風に乗り、敵兵の無数の矢が勢いをつけて、二人の元に迫りくる。対し、誠次はレヴァテイン・弐を連結させ、大剣となったそれを振るい、迫る矢を全て切り落とした。
「な、なんだと……!?」
「先頭車両まで到達されたぞ!」
誠次とセリムは、いよいよ最終到達点である先頭車両にまで、たどり着く。そこで待ち受けるのは、正真正銘最後の敵陣。
奴が、いる――。
「アフマドーっ!」
血を跳ね飛ばし、セリムが喉仏を顕にするほどに、叫ぶ。
セリムから国際魔法教会側へと寝返ったアフマドは、先頭車両の陣の奥に立っていた。
「この気迫……残された敵兵は全て精鋭か……」
「ああ。アプドゥル。ファイサル。ムスタファ……。みんな戦いで武勲を上げた精鋭たちだった。みんなアフマドについたようだ」
頬に一筋の汗を流す誠次の隣で、かつての味方の名を呟き、セリムは悔しげに、槍を向ける。
立ちはだかる敵兵たちも、一斉に腰からシミターと呼ばれる曲剣を引き抜き、セリムと誠次へ向ける。
「今からでも遅くはない! みんな、戻ってこい! クーラムを変えるんだ!」
「セリム殿下。我々は親の代より、戦場にて武勲を上げ、王家に仕えることを許された身分であります。戦いで褒美を貰ったものとしては、戦場でしか生きられぬのが宿命。ならば私たちは、戦う道を選びましょう」
「その結果クーラムはどうなった!? 民が育てた田畑は荒らされ、砂漠は広がり、家々は壊され、多くの人が血を流した! 争いで全てを解決するなんて考えは、もう捨てるべきだ!」
セリムが叫び返すが、敵に聞き受ける余地などはなかった。
「もういいでしょう、セリム殿下。やはり私たちは戦いでしか世界を変えられないと教え育った身同士。それともなんでしょうか? そちらの剣術士共々、武器を置いて話し合いでもする気ですか?」
アフマドの冷酷な眼差しが、誠次とセリムとを、交互に見る。
誠次は一瞬だけ、両手で握っている大剣状態のレヴァテイン・弐を見つめる。
セリムもまた、自身が持っている一族譲りの槍を見つめる。
列車が山中のトンネルを通過し、再び外へ。そのときに吹いた風が、両者の間を、強く違わせる。
「……守るべきものが、俺たちにはある。そんな人たちを、ものを、居場所を守るためには、言葉だけでは不十分な時がある。そんな時に俺たちは武器を手に戦う。守るべきものを確実に守るために、戦うんだ」
誠次がそう言い切り、再びレヴァテイン・弐を持ち上げ、構える。
ハッとなったセリムもまた、うんと頷いた。
「……そうだ。守るべきものの為に、戦う。クーラムでみんなが待っている……。彼ら彼女らが待ち望んでいるものは、争いの歴史の続きなんかじゃない。新たなクーラムだ! それを作るためにならば、俺は戦う!」
「所詮、戦いでしか世界は変わらない、か」
アフマドの割り切った言葉に、誠次とセリムは揃って首を横に振るう。
「「そんなことはない!」」
アフマドが手を掲げ、彼の側についたかつてのセリムの側近らが、突撃を開始する。
誠次とセリムもまた、守るべきものの為に、戦いを挑む。
朝日を背に、互いの刃が接触する直前、世界は再び、変わりゆく。
※
「本当にありがとうございました……!」
「れーぐーじ! よくやった!」
「……いえ。今後はお気をつけてください。あと、子供からは目を離さないように」
迷子の女の子を無事に、ヴィザリウス魔法学園が用意していた迷子預かり所に送り届けた怜宮司は、一息つき、そっと眼鏡を掛け直す。
親は迷子預かり所のテントにおり、そこで迷子となった女の子の情報を流すアナウンスを頼んでいる最中とのことであった。
失礼極まりない女の子であったが、笑顔でこちらに手を降って来るその姿に、もう怒る気などなくなっていた。馬鹿馬鹿しい。これだから子供は嫌いだ。
「まったく。とんだ邪魔が入ったものだ」
子供が触ったとされる自身の服の袖から何までをくまなく手で払いのけ、怜宮司は自動販売機にまで向かう。買ったのは、缶コーヒー。それこそ、魔法生たちが出しているわけもわからない飲み物や食べ物など、頼む気にもならない。
「時間はまだ、あるか……?」
そう呟きながら、コーヒー缶を口につけ、怜宮司は腕時計で現在時刻を確認する。浮かび上がった四つ並びの数字を確認した途端、怜宮司は口から黒色の液体を、吹き出していた。
「ぶぐふぉ――っ!?」
大幅な時間オーバーである。怜宮司が口から出したコーヒーはスプレー状となり、彼の白いシャツに決して楽には落とせないシミとなった。
その場でニ、三回咳をした怜宮司は、缶コーヒーを放り投げ、急いでズボンのポケットに手を入れる。
しかしそこでも、自らがしでかした大きなミスに気がつく。
「ない……。私の折りたたみ式PCが、ない……!?」
潔癖症である事も忘れ(?)、シミだらけのスーツ姿のまま、怜宮司は急いで自分が歩いてきたルートを戻る。しかし、どこまで行っても人、人、人で、埋め尽くされている。
「まさか、馬鹿な……この私としたことが……落とし物をしただと!?」
にわかには信じ難いことに、怜宮司は絶句する。何よりも、あのPCにはすでに、予めEから渡されていたアンチウイルスソフトが内蔵されている。あれを起動しなければ、今頃……。今頃――?
怜宮司はふと立ち止まり、現在時刻をチェックする。もうすでに、Eによる攻撃は開始されているはずだ。にも関わらず、何も起きていないように見える。
「どういう事だ……? 奴らが攻撃を中止した……? いやそんなはずはあるまい……」
先程から一切変わってはない文化祭の光景に、怜宮司は呆気に取られつつ、中庭のベンチ前まで戻ってくる。
「やはり、ここにもないか……完璧に、落としたと言うことか……。いや、PCが勝手に落ちていったんだ。そうに違いない」
未だに自分の失態を理解しようともせず、ぶつぶつと、怜宮司は呟いている。
「――アンタ、何をしようとしてるの?」
立ち尽くす怜宮司に、不意に声がかけられる。
聞き覚えのある、少女の声だ。自分がどん底に落ち行った時に救われた、女神のような、歌声の持ち主でもある。
「と、桃華ちゃ……今は、帳結衣と言ったか」
彼女は怜宮司の背後に立っており、そっぽを向いていた。
「記憶、戻ったんですって?」
「ああ。……君からすれば、面白い話ではないだろうがな」
「……言いたいことはそれだけ?」
怜宮司は下を向き、不服そうに頬を膨らましている。
「……怒っているのか?」
「当たり前でしょう? 私の中学時代を滅茶苦茶にしておいて……」
結衣が怜宮司を睨んで言う。
腕も組もうかとも思ったが、その手は、両方とも身体の後ろに回す。
「一応、間違った方向でも、私を育ててくれたことに感謝はしてるわ。貴女のやったことを許すつもりは、ないけれど……」
結衣の掠れそうな声は、周囲の人々の喧騒に呑まれ、聞こえ辛いものだった。
怜宮司は結衣をじっと見つめ、そして、俯く。
「私にとって君は……正真正銘の歌姫であった。何をするにも無気力であった私を、君の歌が救ってくれた。君を、私だけのものにしたかったんだ……」
「うわ、それもうただの変態じゃん……」
流石に我慢が出来ず、結衣は自分の身体を自分で抱き締める。
「私の歌は、貴男の為だけにあるものじゃない」
「ああ。わかっているよ。皮肉にもそのことも、記憶を取り戻して思い出したことだ」
「わかってないっ!」
結衣が思わず怒鳴ると、周囲の人々が何事かとこちらを一瞬だけ見る。もう目立つのは勘弁してほしいと願う一方で、瞳を潤ませてまでこちらを睨む彼女の赤い瞳から、目が離せなくなっていた。
「十分身に染みてわかっているさ。だから私は、一人で放浪の旅に出て、砂漠で奴らに捕まり、また全てを失った……。もう私に残ったのは、奴らへの復讐の心のみだ」
「それじゃあ何も変わってない……。たくさんの人に迷惑をかけて、まだ貴男は偉そうにして……」
「偉そうにして……?」
「……私は貴男によって作られた地位も名誉も全てを捨てて、学生としてやり直してる。この魔法学園でね」
結衣は自分の右手を見つめ、握りこぶしを作ってみせる。
「貴男もやり直すべきよ。まだチャンスはあるはず。記憶を失ったことは同情するけど、私の気持ち、少しはわかってくれた?」
かつては自分が記憶や感情を奪い、自分だけのものにしようと弄った少女から諭され、怜宮司は顔を上げる。
「……ああ。君には申し訳ないことをした。人には皆、大事な思い出や記憶、気持ちや感情がある。君があの男……天瀬誠次を忘れられなかったことは、君の心の中に彼が強く残っていてからなのだろうな」
「なっ……べ、べつに、そういうわけじゃ、ない」
顔を真っ赤にして、結衣は俯く。
わかりやすい、素直で、相変わらず可愛い娘だ。怜宮司は心の中でそう思うに留めると、ふぅと、息をつく。
「私もまた、彼女に脚本を見せてもらって、思い出すことができた」
「彼女? 脚本?」
「私はもともと……ああ言うように人を感動させるような話が好きだったんだ……。君が私にとっての希望であったように、私も、誰かにとっての希望でいたかった……」
もう手遅れだがな……と、最後まで怜宮司は、自嘲するような言葉を呟いていた。
そんな男、怜宮司に対し、やはりというべきか、結衣は憤慨し、ずかずかと目の前に立ち、桃色のツインテールを揺らす。
「なんで私が諦めてなくてアンタが一人で諦めているのよ!? 情けないったらありゃしない!」
「あ、ありゃしない……?」
頬に一筋の汗を流し、目をぱちくりとする怜宮司であったが、結衣は止まらなかった。
「悪巧みする為に頑張るだけの力があるんだったら、今度は人助けをする為にその力をフル活用しなさいよ!」
「……」
「さっきも言ったけど、一応貴男には私をアイドルとして育ててくれた恩があるから、協力してあげる」
結衣はそう言って、怜宮司に手を差し出した。
歌声に救われ、今度はその手にも、救われようとしている怜宮司は、ぎこちなくであるが、その手をあげる。
「桃華さん……協力してほしい。この魔法学園を、守るために」
しかしその一方で、怜宮司は疑問に思う事があった。
……なんで、今の彼女は、メイド服を着ているのだろうかと。
~終わりなき戦いの道~
「これは凄い……」
いー
「計算を度外視して、圧倒的な数的不利の状況を覆しつつある」
いー
「今までだってそのような戦いは乗り越えて来た」
せいじ
「今度も、勝ち抜いてみせる」
せいじ
「ではキノコとタケノコの戦いはどうですか?」
いー
「キノコが劣勢っ!」
せいじ




