14 ☆
「食べ物はスタッフが後で処理いたします!」
せいじ
異変が起きたのは、午後に入ってからだった。
生徒会室にて、ネットセキュリティを任されていた水木が、寄りかかっていた椅子から思わず背を放す。浮かび上がるホログラム画面に釘付けとなり、水木はしばし、硬直していた。
「どうした水木? 異変か?」
同じように、生徒会室で異常事態に備えていた志藤が、チョコ棒を口に含んだまま動かない水木の後ろにやって来て、同じように画面を覗き込む。監視カメラのように、学園の至るところが映し出された画像が目の前に並んでいれば、目がいくつあっても足りないと思う。
正直、志藤にとっては目眩がしそうな光景であったが、学園の安全の為には見守る必要がある。
「……異常を探知してる。もしかしたら、やられているかもしれない」
水木は一気に真剣な表情になって、キーボードを操作する。
「外部からの攻撃か?」
「うん多分。……どんどん乗っ取られてる」
「マジか……。対抗できるか?」
「やってみる」
水木は首周りにまで下げていたヘッドホンを、耳に装着する。すなわちそれは、彼女が本気モードになったということであり、迂闊に邪魔はできない。
その間に志藤は、自身の電子タブレットを起動し、共にアフマドの攻撃を警戒している誠次へと連絡を送る。
「天瀬。やっぱ来やがったみたいだ。ネットで攻撃を受けている」
間もなく、誠次からの返信はあった。
『了解した。こちらも警戒する』
「頼む」
手早く連絡を終えると、水木の方でなにやら動きがあったようだ。
志藤が背中越しに彼女の様子を見つめると、彼女の横顔は時より苦し気に、呻いているようにも見える。
「……なにこのウイルス……」
独り言も、聞こえていた。志藤には相変わらず、なんのことなのかがよく分からないが、苦戦しているようだ。
――ダンッ。急に机を叩いた彼女に対し。志藤はビビって、思わず身構える。
「一体何が……」
あの冷静なはずの西川でさえも、作業をする手を止めて、水木を見つめる。
「止められない。なんなの、こいつ……」
水木の目の前にあるホログラムには、しきりに砂嵐が奔り、ケタケタと、変な笑い声をあげる奇抜で奇妙なキャラクターが浮かび上がっている。
それが、水木の言う相手が送り込んできたウイルスと言うものなのだろう。
※
侵入は上手くいった。
……いや、こちらの心情では、上手くいってしまったと言うのが、本音だ。
(怜宮司さん、どうして……)
Eは目の前に広がる、魔法学園の電子制御を司るシステムモニターから目線を逸しつつ、心の中で嘆く。
最終的には駐車場で追い詰められ、捕まってしまったが、その際。Eは咄嗟の判断で、怜宮司にとある事を伝えていた。
自分が作ったネットウイルスに唯一対抗できる、アンチウイルスソフトを、怜宮司に託したのだ。それを使えば、現在自分が行っているハッキングも、確実に止められる。
しかし、いつまで経っても向こうからの反撃は来ない。このままではすべてがアフマドの思い通りとなってしまう。
「――おかしな真似はするなよ?」
「わかってるさ」
常にアフマドの配下が見張りとなっている以上、こちらからハッキングを止めることはできない。
頼みの綱は、怜宮司が所持しているはずのアンチウイルスソフトなのだが。
Eは、表向きはアフマドらへの協力を行い、ヴィザリウス魔法学園への攻撃に加担していた。
(セリム……。どうか君は、無事でいてくれ……)
中東の王子との数奇な運命は、大学で彼と出会ったときから始まっていた。
学園備え付きのPCを前に、てんやわんやしていた彼に声をかけたのが、すべての始まりだった。国籍も言葉の拙さも関係ない。そして、生まれや身分だって。
彼が中東の国の王子だと知ったのは、大学で知り合ってすぐのことであった。驚きも戸惑いもあったが、あまりにも浮き世離れしていた為か、あまり気にすることでもなかった。むしろ、彼のする言葉がどれも、ありきたりなものとは違っていて、面白くて、好きだった。
そして、同時に沸いたのが、彼の故郷であるクーラムの事。セリムの口から出るクーラムの歴史は、決してすべてが華やかなものではなかった。戦争や流血、謀略や軋轢のことなど。
ただインターネットで調べただけではわからないことばかりの世界が、そこにはあった。紛争地に直接取材をしにいくジャーナリストも、たぶん同じような気持ちだったのではないだろうか。
――故に、気づくことができなかった。
自分は、深入りをしすぎてしまったことを。
ただ、友のために。セリムの為にクーラムのことを調べているうちに露わになった、あの国と国際魔法教会の関係。それをセリムに伝えようとしたときにはすでに、自分はアフマドらによって目をつけられていた。もともと、親しい友人という関係性から、彼らにとっては早い段階で標的となっていたのだろう。
そして逆に自分のことを調べられ、家族を人質に、現在、アフマドに従わざるをえない状況になっている。
それでも、セリムのことを恨む気になど、いっさいならなかった。友だちである以上にも、同い年ながらにして彼の歩んできた来た人生とは、生まれながらにして恵まれた環境にいた自分のものとは、まったくもって真逆のもの。そんな彼をもう、一人にはさせたくなかった。電脳の世界にしか居場所がない、自分でも――。
「アクア……」
ふと浮かんだ、もう一人の友にして、女性であった姿。
いや、彼女はもう関係ない。迷いを振り切るように、首を左右に振ったEはヴィザリウス魔法学園への攻撃を再開する。
「で、次は何をすればいいのです?」
「停電を起こせ。その混乱の際に、アフマド様らが突入する」
「停電、ですか。でも、文化祭には関係のない子供や老人だっている。彼らを巻き込むつもりですか……!」
Eが耐えきれずに、口答えをすると、アフマドの部下らはそんなEの背に、攻撃魔法をあてがう。
「お前は黙って我々の命令に従うだけでいい。どうせ王国の金や地位目当てでセリムに近づいたのだろう? それの報いさ」
「違う! 僕は決して、そんな考えでセリムと友だちになったわけじゃない!」
少なくとも、それは本当のことであった。思わず反論するが、この状況に変わりはない。
攻撃魔法の光度がより一層増し、Eはやむを得ず、ハッキングを続けた。
※
そうして、目に見えぬ毒牙により、次第に蝕まれつつあった白亜の魔術師の城に、その毒の効果が効き始める事となる。すでに全身に回っていた毒は、一斉に魔法学園へと攻撃を開始した。
「裏切ったのか――っ!」
地下演習場では、そんなセリムの演劇の言葉の終わり、急にVR機能が終わりを迎え、砂漠の世界が消え失せる。
そして、微かに灯っていた照明もすべて消え失せ、響くのは観客のどよめき声。
「停電……?」
「演出……じゃないよね?」
これも演劇の演出によるものではないかと、疑うものもいたが、多くは純粋な停電であると理解していた。クラスメイトたちも、驚いたように騒然となってしまっている。
(アフマドが仕掛けてきたのか……!)
何らかの形での攻撃はあると思われていた。志藤から予め敵の攻撃が来ていると情報を受け取っていた誠次は、厨房で起きた停電への驚きも少々に、誠次は咄嗟に電子タブレットを起動し、ライトアプリを使用する。
「みんな、落ち着いてくれ! これはただの停電だ!」
「いやその停電が怖ーんだけど!? なんだただの停電て!?」
共に厨房で働いていた神山が、ツッコんでくる。
一方で誠次は、ステージ上にいるセリムへ向けて、合図を送っていた。
(……わかった)
セリムも全てを悟ったように、ステージ上に立ったまま、静かに頷いて返事を返す。
「みんな、予め言っていた通り、お客さんを安全な場所へと誘導してほしい」
次に誠次が声をかけたのは、フレースヴェルグの面々であった。
「おいでなすったか。任せてくれ」
「みんな、こっちに来てくれ」
「誠次さんも、お気をつけて」
悠平、聡也、真らは早速、停電で戸惑うお客さんらの元へ向かい、安全な場所への避難誘導を開始する。あらかじめシュミレーションはしていたので、不測の事態を装った避難誘導はスムーズに進み、演習場には、劇の舞台となる空間に誠次とセリムの二人だけとなっていた。
そのさなか、停電はすぐに収まる。何事かと思ったが、志藤からのメッセージにより、水木が即刻復元させたとのこと。
「流石だ、水木さん」
ひとまず光が戻ったことに安堵し、誠次は改めて敵襲に備える。
お客さんたちやクラスメイトたちの避難誘導は順調に行われていた。
「セリム! 敵側の思惑は!?」
「間違いなくこの俺だろう。アフマドは俺を討ち、アブラハム家の血を絶やしたいはずだ」
お客さんらの食べ残しがある幾つもテーブルの前、誠次はそれらを見渡し、背後に立つセリムと応答する。
大勢の殺意を宿した気配が、やがてどこからともなく地下へと集まってくる。おそらく、一般客に紛れ込まさせて、すでにアフマドの部下はいたのだろう、
「大勢の部下が迫ってきている。奴らが学園中に散らばり、暴れ回らないのは好都合だった」
「……アイツがうまく、誘導してくれたんだろうな」
「信頼しているんですね?」
「当たり前さ。友だちだからな」
セリムはそう言うと、今度は誠次へ向けて、質問をしてくる。
「お前にもいないのか? 心から信頼するような、大切な友ってのはさ」
セリムからの問いに、誠次は逡巡し、うなずく。
「いるさ。かけがえのない存在で、いつも頼りになる、大切な友が。今はその人と共に、この学園を守るために戦う」
正門。いや、演習場のゲートが開かれ、大多数の敵兵がなだれ込んでくる。おそらくとも言わずこれでアフマドの部下は、全員が演習場に集結した事となる。
それを迎え撃つのが、ヴィザリウス魔法学園の、魔法世界の剣術士と、砂漠の王子である。敵は、瞬く間に誠次とセリムの二人を取り囲んだ。
「愚かなセリム・アブラハム。国を失い、土地を失い、配下をも失い、今ではたった一人の兵のみか!」
こちらを取り囲む敵の一人が、誠次とセリムとを交互に見て、声を出す。
「兵? いや違うな……こいつは俺の、大切な友だ。そもそもこの国に、兵なんて概念はない」
セリムはステージ上から飛び降りると、誠次と横並びで立ち、親の形見である槍を向ける。
そんなセリムの叫びに触発され、誠次はレヴァテインを握る右手に力を込める。
「王族としての誇りすらも失ったか。もはやクーラムを語る資格すらもない!」
「クーラムのこれからをどうするかなんて決めるのはそもそも、俺たちじゃないだろ。あの国の未来はあそこで生きる人々が決める。俺たちは、その選択が正しいのか間違っているのかを、見届けるんだ。王族って言うのは、そういうものだろ」
セリムの返しに、一瞬だけ怯む素振りを見せる敵たちであったが、すぐに態勢を整える。
そして、研ぎ澄まされた緑色の目を鋭く、セリムは遥か彼方へと向けて、言葉を続ける。
「だからさ……お前らなんかに、俺の祖国を……簡単には好きにはさせねえよ!」
決戦の火蓋は、そんなセリムの叫び声によって切られた。まるでテーブル上に残されたグラスが割れてしまうかのような大声と振動を撒き散らし、敵兵たちが一斉に突撃を開始する。
「最後まで悪かったな、誠次。こんなことに付き合わせてちまって」
敵が一斉に迫りくる中、セリムがぼそりと、誠次のすぐ隣で声をかけてくる。
「構わない。それよりも嬉しかったさ。友と言ってくれて」
ならば、と誠次は迫り来た男の剣による一撃を躱し、レヴァテインを振るい上げ、手に持つ剣を弾き飛ばし、早速一人を無力化する。
「だから俺は、友の為にも、この刃を振るおう!」
「行くぞ誠次! やられるなよ!」
「そちらこそ!」
セリムもまた、迫り来た男の槍をくるりと躱し、反撃に自身の槍の柄を手元で素早く回転させて、男の顔を思い切り殴り、倒す。
そんな誠次とセリムの頭上から山なりとなって降り注ぐのは、大量の弓矢であった。クーラムでは主に遠距離武器として、弓矢が使われているのだろう。
誠次とセリムは同時にその場から動き出し、食べかけの料理が残るテーブルの下に身を潜ませ、矢による攻撃を躱す。
だだんと、白い布が纏った木製のテーブルに次々と音を立てて矢が突き刺さる。人体に突き刺さればただではすまない――致命傷になる威力を誇る弓矢の数々は、白いテーブルを埋め尽くすほどの量であった。
「貰った!」
誠次とセリムが身を隠した、ハリネズミ状態のテーブルへ向けて、敵兵が大きな斧を振り下ろす。
兜割りの要領で、重たい一撃がテーブルを真っ二つにするが、その下にいるはずの誠次とセリムはすでにその場にいなかった。
「なに!? どこだ!?」
「後ろだ!」
慌てふためく敵兵の後ろに、誠次は回り込み、その右手に握られている斧を、レヴァテインで両断する。
「――俺はここだ!」
一方で、後ろの方にいた弓兵たちの元へ、セリムは特攻していた。
「いつの間に!?」
近接戦闘への備えをしていなかった弓兵たちは、セリムの特攻に対処しきれず、瞬く間にその得物たちを失っていく。
ギュウギュウ詰めとなっているこの場においても、セリムはダンスを踊るかのような軽やかな動きで間合いを詰め、敵に近づき、無力化を行っていく。
「やるな、セリム!」
「砂漠で足腰は鍛えている。こんな真っ平らな床の上じゃ、逆にやり辛いかもな!」
誠次が声をかければ、セリムは軽く笑って応じる。
「さて誠次、悪いが俺は、みねうちって言うのは上手くできなくてな! 任せていいか!?」
「ああ! 任せてくれ!」
誠次は迫りくる二組の敵の間を、レヴァテイン振るいながら突進し、一気に二人共の腹部を斬り捨てる。
「ぐはっ!」
「なにっ!?」
「治癒魔法で治療しろ」
背中の二人にそう声をかけてから、誠次は続け様に来た敵兵の攻撃を捌き、回し蹴りをして、敵兵を吹き飛ばす。
「本当に、敵は、二人だけなのか……?」
歴戦の戦士であるクーラムの兵士でさえ、目を疑うほどの実力を誇る、誠次であった。
「悪いが、俺も相当の戦いは乗り越えてきた。東洋の小さな島国の出と侮ってもらっては困る!」
誠次とセリムは押されるどころか、敵兵を次々と斬り伏せ、むしろ押し返してもいる。
圧倒的なまでの兵力差を、次第に巻き返しつつある二人は、今もまた、敵兵を一人ずつ斬り倒す。
「なんか、このまま行けそうな気がしてきたな!」
「油断するなセリム! まだ敵は大勢いるぞ!」
隣同士に再び立ち、誠次とセリムは敵陣を共に睨む。
流れが変わったのは、その直後であった。流れとは、戦場の空気ではなく、空間そのもの。VR機能がハッキングの影響を受けて、強制的に作動したのだ。
ディナーショーの会場であった世界が光の線を隔てて変わっていき、誠次とセリムの足場が一瞬で消え失せる。平らであったはずの床が抜け落ちたように、誠次とセリムは同時に吸い込まれるようにして、真下に落ちていく。
「なんだ!?」
「うわっ!?」
次に感じたのは、足元へと衝撃と、全身への冷気と水気。どぼん、と言うような鈍い音と全身に奔る衝撃に悲鳴をあげようとする二人であったが、声は出なかった。
なぜならばここは水の中。群青の世界がどこまでも広がっている、塩の水の海の中であったのだ。
「ぷはっ!」
誠次はすぐに浮上し、揺れ動く水面から顔を突き出し、新鮮な空気を吸う。
海水が染みる黒い目を開けると、なんと、目の前に浮かんでいたのは、大量の弓兵を乗せた小型の船であった。
「いたぞーっ!」
誠次を見つけるなり、小型の船に乗り込んでいた敵兵たちは一斉に弓矢をつがえる。息つく間もなく、顔だけを水面から出している誠次へ向けて、矢を放った。
誠次はそのうちに、自身に直撃するコースで迫る矢を、水中から水飛沫を上げて持ち上げたレヴァテイン・弐で切り弾く。
「セリム! セリムどこだ!?」
水を滴らせた茶髪を振り払いながら、誠次は青一面の世界を見渡す。
確か、共に近場で落下したはずなので、そう遠くにはいないはずだ。
二射目が来る――! 船の上からこちらを狙う、弓矢の殺意を察知し、誠次は立て続けに二度目の射撃を斬り弾く。揺れ動く波の上に、誠次によって両断された矢が散らばっていた。
やがて、槍を持ったセリムが、水面にまでようやく上がってくる。
「ぷはっ! 悪い誠次、海は慣れてないんだ!」
「無事でよかった! しかし、さてどうする!」
誠次とセリムは足場を失い、今やただ水面を漂う矢の的だ。
焦る誠次の隣から、セリムは槍を持ち上げると、それを敵兵が乗る船へと向けて投げ飛ばした。
セリムが腕の力だけで投擲した槍は、敵兵が乗る船に突き刺さると、敵兵は驚いて尻もちをつく。
「足場がないなら奪うまでだ! 行くぞ、誠次!」
「了解した!」
セリムは不慣れな水の中を、持ち前の運動神経で泳いでいき、一気に船に取り付く。
「セリム! これを使え!」
誠次は手に持っていたレヴァテイン・弐を、船の外壁にしがみつくセリムへと向けて投げ飛ばした。
セリムはそれをキャッチ。槍と同じようにレヴァテインを船の外壁に突き刺し、2つのそれらを足場に、軽やかに飛んだ。
「水から出られればこっちのもんだ!」
船の甲板に着地したセリムは、すぐさま魔法を発動する。狙われ、放たれた矢を全て防御魔法で防ぐと、反撃の攻撃魔法を放つ。
「時代は魔法だってな!」
「こちらも忘れてもらっては困る!」
セリムと同じルートをたどり、足場となった槍とレヴァテイン・弐を回収していた誠次もまた、甲板の上に立ち、再び戦闘態勢をとる。
「E!」
敵兵のうち、誰かが叫ぶ。
すると再び、船の中心に光が奔り、世界が切り替わっていってしまう。誠次とセリムは下手に身動きもできず、地の利を敵に握られたままの戦闘を強いられることとなっていた。
「Eに完全に掌握されているのかっ!」
「これをどうにかしない限り、永久に振り回されるな!」
「友だちのハッカーは!?」
「やってくれてるんだろうけど、向こうが今は勝ってるんだろう。だったら今は俺たちが踏ん張って、勝ちの芽を潰さないようにしないと……!」
「同感だ!」
「俺はアイツを信じる。何が起きても、最後は必ず逆転をしてみせるさ!」
世界は再び、変わりゆく。
まるで神による天変地異が行われているかのように、普通ならばありえることのない変化だ。その時、人間の身では脆い。
「今度はなんだ!?」
今度は足場は継続してある。その代わり、踏ん張るために足腰に力を入れたところ、ずるりと、身体が抗えない力によって滑っていく。
そして、目の前に広がるのは、雪が舞う白銀の世界であった。白い傘を差したように、針葉樹林が雪を被る、雪の山。それが次に指定された、誠次とセリムの戦場であった。
「次から次へと、俺の苦手な場所だな!」
「先程の海水が冷凍されて、この服のままではマズイぞ……!」
水に濡れた互いの服が摂氏マイナス温度の気温で冷凍されていき、二人して白い息を吐き出す。すでに髪の先の水滴は白い霜となり、痛みすらも感じていた。
「VRってのは、ずいぶんと危なっかしいものなんだな……っ!」
「通常ならば問題はない。ただ、水に濡れている状況でこの場にいるのはマズイ……っ!」
猛吹雪が刃となって二人に襲い掛かり、肌が切れていく。
一寸先も見えない白銀の世界の中、暗闇を穿き、迫りくる弓矢の攻撃。
寒冷地用の装備を身に纏った敵兵たちが、降り積もった雪の中に紛れ、こちらを狙っていたのだ。
その殺意と実際の攻撃を即座に察知した誠次は、雪の上を転がり、矢の直撃を躱す。
「クソっ! なぜこちらの攻撃が読まれている!」
焦る敵兵であったが、誠次とセリムも、完全に地の利を掌握された状態での戦闘に苦戦を強いられていた。
「砂漠の戦士が寒冷地装備とは、ずいぶんと準備がいいな!」
「これも何もかも、全て敵の作戦どおりなのだろう。本気でやらなければ死ぬぞ!」
言い合う二人の頭上から、白雪に混じって矢が降り注ぐ。それすらも捉え、切り弾く誠次とセリムであったが、身体への影響は早くも出ていた。
「……っく。身体が重くなってきている……!」
「このままじゃヤバイか!」
呻く誠次のすぐ背後で、セリムは咄嗟に振り向き、雪山の遥か頂きを睨む。
猛吹雪が押し寄せる中、セリムは妙な既視感を味わっていた。
(この戦局……何かで見覚えがある……?)
セリムは咄嗟に周囲を見渡し、そして再び雪山の山頂へ。誠次と背中合わせの姿勢で立ったまま、とある作戦を、打ち明けた。
「誠次。少しだけ時間を俺にくれ。この戦局を打開する」
「出来るのか……?」
互いに震える体で、紫色の唇となりながらも、小声で会話する。敵の波状攻撃は今もなお続いており、誠次とセリムはその場で釘付けとなっているが。
「……ああ。それと一つ、もしかしたら、わかったことがあるかもしれない」
「わかったこと?」
「薄々そうじゃないかって思ってたけど、まさかな……。……これも俺のせいか」
「セリム?」
誠次が視線を後ろへとやりながら、セリムを気遣うと、彼は背を伸ばし、前を向く。
「雪山で雪崩を起こして、一網打尽にする。お前のことは、防御魔法で守るから、安心してくれ」
「上手くいくのか?」
「ああ、きっと上手くいく。シュミレーションじゃ完璧だった。何よりも、どうやら俺は、こういう所はどう足掻いても親父と同じらしい」
セリムはそんなセリフを残し、炎属性の魔法式を展開する。高威力の魔法を発動するらしい。相当の魔素を魔法式に注ぎ込んでいるようだ。
その間、当然敵兵らはセリムに狙いをつけるが、誠次がセリムの元に降り注ぐ矢を全て防ぐ。
「待たせた。ぶっ飛ばすぞ! 衝撃に備えろ!」
「ああ!」
振り向かずとも感じる、砂漠の太陽ののような輝きの背から、同時に激しい風が巻き起こる。
魔法発動の衝撃で吹き飛ばされそうになるセリムの背を、誠次は自身の背で抑え、滑る雪山の足場の上で一生懸命に踏ん張る。
まるで太陽が打ち上がるように、セリムの手元から放たれた火球が、吹雪く雪山の頂上へ向かう。
セリムは続けて、防御魔法を発動。誠次と自身とを包む魔法障壁を震える雪の上に展開し、セリムは咄嗟に、誠次の身体を押し倒した。
「せ、セリム!?」
「伏せてろ! やべーのが来るぞ!」
「あ、ああ」
自身を包む雪が大きく震えている。誠次は衝撃に備えて、ぎゅっと目を瞑る。
「なんだ……!?」「逃げろー!」「雪崩だ!」
遠くの方では、敵兵たちのそんな悲鳴が聞こえてくる。雪山の雪崩という、想像を絶する迫力と驚異を前に、戦闘行為を続ける度胸を持つ者は流石にいなかったようだ。
動画で見るような、遠くから見る雪崩はさほど速くもないように思えるが、近場で見ればその迫力も、落ちる速度も、まったくもって違うもののように思えた。
誠次とセリムの二人を守るのは、セリムが発動した魔法障壁ただ一つのみ。それは迫りくる雪崩の前では、あまりにも脆いもののように思えた。
震動が激しさを増し、何もかもを飲み込む白い波が勢いを増して迫りくる。
「はは、やべーかもな!」
「セリムを信じるぞ! ――っ!」
猛スピードで迫った雪崩が、二人を呑み込む。
一瞬にしてドーム型の魔法障壁の周りに、岩石や氷の塊が押し寄せ、防御魔法がちかちかと点滅をする。いつこの障壁が破られてもおかしくない状況に、誠次は恐怖すらも感じていた、
「いけるか……!」
「耐えてくれよ!」
永遠に続くとも感じられた長い雪崩が、徐々に勢いを失っていったようだ。ようだと言うのは、二人はかまくらのように、魔法障壁の型によって形成された雪の下に、完全に埋もれていたからである。
「無事だな、誠次!」
「どうせ死ぬのならば、もう少しマシなところで死にたいからな……!」
雪の下から伸ばした誠次の腕をセリムは取り出し、引っ張り出す。ちょうど自分とレヴァテインの身体の型となっていた雪の中から、誠次は雪を纏いながら、立ち上がった。
「助かった、セリム!」
「ああ。けど、このアトラクションはまだまだ終わってないみたいだ!」
互いに凍傷を受けて赤切れが目立つ顔を向き合わせ、視線を下へと降ろす。
神の手が再び悪戯を行い、二人を次の戦場へと誘っていた。
「勝てるか? 誠次」
そして、緑色の目線を向けてくるセリムに、誠次は軽く笑って応答してみせる。
「俺には勝利の女神がついている。勝つさ」
「おおっと。是非とも俺もその加護って奴にあやかりたいもんだな。ところでその勝利の女神ってのは、俺にも微笑んでくれるのかい?」
真横のセリムに問われ、誠次は逡巡し、肩を竦める。
「悪いが、俺専属の女神様だ。ただ、セリムにもいるんだろう? そんな守るべき人たちが」
「その通りだ。故郷で争いのない時代を待ちわびている待っている人の為にも、俺を信じてついてきてくれるロシャナクの為にも……勝つぞ!」
~剣使いの矜持~
「セリム、気になることがあるんだ」
せいじ
「どうした、誠次?」
せりむ
「クーラムでは、剣を使うものはいないのか?」
せいじ
「対戦したところ」
せいじ
「近接戦は槍使いが多いようだ」
せいじ
「そりゃあ剣なんざ、槍に比べちゃむずいって」
せりむ
「リーチは短いし、取り回しもナイフに比べちゃ劣る」
せりむ
「使っている奴は少数だろうな」
せりむ
「ま、この戦いでの活躍いかんでは」
せりむ
「祖国クーラムでも剣使いが流行るかもしれない」
せりむ
「その時はご教授頼むぜ、剣術士?」
せりむ
「そんな事がないように、今戦っているんだろう?」
せいじ
「こっちから願い下げだ」
せいじ
「砂漠の剣術士ってのは駄目か?」
せりむ




