アンタの本当の相方は ~My Dear~ ☆ (小話)
「匂い、はさすがに変態かな……?」
あやな
一一月後半ともなれば、本格的な冬のシーズンに突入する。魔法学園では暖房設備が至るところでフル稼働し、コタツに温もりを求める猫の如く、多くの魔法生が集まって暖を取る光景が目立つ。
二人の男子魔法生が、会話をしている。
「あー寒……」
「女子ってスカート寒くないのかな……」
「寒いわよ。あと、ジロジロ見んな!」
ちょうど後ろの方からやって来た、通り過ぎる女子に言われ、男子は二人ともぎょっとする。
「別に見てねーし……」
「実家の猫とか、コタツに急に足を入れると噛んでくるんだよな……。それと一緒かよ……」
その直後、チャイムが鳴り、休み時間の終わりを告げられ、次の授業へと移る。廊下等へ出歩いていた魔法生たちは、次の授業を受けるために、各々の教室へと戻っていく。
2―Aの教室にも、クラスメイトたちがみんな集まり、それぞれの席へとついていく。
「次なんだっけ?」
「英語ー」
中央の席に座る誠次は、隣の席に座る桜場に授業の確認をして、机備え付けの教材用電子タブレットを起動する。
「球技大会、今年も俺らは負けたな」
「それよか、修学旅行でしょ!」
「普通に冬休みが楽しみだわー」
チャイムが鳴り終わっても、ざわざわと話し声が聞こえるクラス内。球技大会が終わり、迎えるはクリスマスや修学旅行に冬休み、年末年始と、一気に行事や楽しみごとのオンパレードとなる師走。寒さから男子は制服の腰下の丈を足に絡ませ、女子はブランケットを太ももの上に広げ、貧乏ゆすりが目立つ教室内。そして暖房が効き、妙に生温かい空間となった教室内では、いつもに比べて、お喋りが蔓延する状況となってしまっている。
「はーい。授業始めますよーエブリワン」
普通科科目である英語担当のふっくらおばちゃん先生、河原先生が2―Aの教室にやって来る。お決まりのジャージ姿で、お決まりの挨拶で。
「わーわー!」「がやがや……!」
先生は来たがしかし、止まらないクラスのお喋り。気づいていない者も多かったが、やはり恐るべきは、イベント盛りだくさんな12月へ向けた浮かれ模様の空気である。
「……」
教壇の前にまでやって来て、河原先生はじっと黙りだす。そう、クラスがうるさい時に先生がやりがちな、黙るまで睨む作戦の実行である。今頃、河原先生の頭の中では、クラス全員が黙るまで何分何秒か、数えている最中なのだろう。
「皆さん、もう少しお静かに……」
「もう。うるさいわよ、みんな」
教室内廊下側前方の席に座る千尋と綾奈が、そんな先生の様子に気がついて、周りに注意の声を促すが、燃え盛る火種を完全消化するには至らず。
「まったく……」
教室内中央の最前列に座る聡也も、呆れ果てるようなため息をつく。
やがて、その時は訪れてしまう。
だんっ! 思いきりに教壇を叩く音が、クラス内を一瞬にして静寂に包み込むと、彼ら彼女らの視線が恐る恐るに、前方へと向けられる。
堪忍袋の緒が切れた。そう言わんばかりの眼差しと怒りの感情を無言の圧力で漂わせ、河原先生は踵を返し、教室を後にしてしまう。
……始まってしまった。これこそまさに、先生が怒って職員室に帰ってしまうイベント、である。
「うわぁ……」「え……」「ちょっと……」
これには流石に、あれ程うるさかった教室内も、静かにならざるをえない。
一気に不穏な空気が漂い始めてようやくクラスメイトたちは、自分たちがしでかした事の大きさを身に沁みて実感する事となる。
緊急ミッション発生。至急先生の機嫌を取り戻し、授業を再開させよ、である。
「ねえ、どうすんの?」
クラス内の女子が、うるさくしていたクラスメイトたちを非難するような声を出す。
「とにかく、謝ろーよ……」
「学級委員?」
「学級委員……」
「――いやちょっと待ってくれ!」
次第にクラス内に飛び交う言葉が一気に、学級委員なるものへと変わっていき、誠次が慌てて席を立つ。
「俺は静かにしていたぞ!? なぜ俺に矛先が向けられる!?」
「そりゃあ、学級委員だから……」
「クラスの代表だし、ねえ……」
次々と、なし崩し的な雰囲気が漂い始める。
「ええー……」
嗚呼、こういう時の便利屋、学級委員……。誠次は途方に暮れていた。
当然、同じ学級委員である綾奈にも、どうかどうにかしてくれ的な視線は集まってしまう。
「嘘でしょ……勘弁してよ……」
呆気に取られる綾奈と、教室内中央の席で立ち上がっている誠次は目を合わせ、共に肩を竦め合っていた。
「うるさくしていた奴が悪いんだぞ! 名乗り出ろ!」
誠次が反抗するが、そうホイホイと名乗りを上げる者もいない。みんながみんな、周りもうるさかったしな……と責任転嫁を図っているのである。
よって、誰一人して、手を挙げる者はいない。
「俺たちも後から謝るからさ。取り敢えず、職員室まで行ったほうがよくね?」
「よくね? ってなんだ!? よくね? って! こっちはちっともよくないぞ!?」
男子クラスメイトの言葉に、誠次は腕を振り払って反論する。それほどまでに、どうしても職員室に行きたくはない。よりにもよって、他の者の尻拭いのためなどに。
「もうみんなで謝りに行こうぜ。みんな悪かったんだしさ……」
生徒会長、志藤が気乗りしない面持ちであるが、周りに向けて言う。彼自身も静かにしていた組なので、納得はしていないのだろう。
「う、うわーん!」
そして泣き始めてしまう、女子生徒。
すると今度は、なんと志藤に不条理な非難の目が向けられてしまう。
「志藤サイテー」
「なんで俺のせいなんだよこんチクショウっ!」
両手で頭を抱えた志藤が撃沈する。
「ってか、そもそもうるさかったの女子じゃねーか! なにが修学旅行の行先が映画の京都のロケ地巡りだよ! 知らねーよそんな話!」
「男子こそ! いつまでも球技大会の結果でメソメソしてんじゃないわよ!」
冬場の乾燥した空気が、一気に発火したようだ。阿鼻叫喚の責任のなすりつけ合い会場と化した教室内で、男子と女子が言い争う。
「はっはっは……こりゃあいよいよやばいかもな……」
一つ後ろの席の悠平も、お手上げ状態のようだ。
「修学旅行前に、クラスのみんながバラバラになってしまうわけには……!」
誠次は目を瞑り、決心したように大きく息を吸う。
「わかった! ここは俺が職員室に向かおう! そして、河原先生をここに呼び戻す!」
「「「おおー!」」」
同時に、クラスの英雄的な扱いを受ける学級委員であるが、ただ職員室に向かって教師に許しを乞うだけである。
さながら、まるで戦場に向かう兵士を見送るように、そんなクラスメイトたちからの熱い視線を感じる。……何度も言うが、ただ謝りに行くだけである。
「わ、私も行くわよ。学級委員だし……」
ドシドシと、わざとらしく足音を立て、あくまで納得していない雰囲気をプンプンと出しながら廊下に向かおうとする誠次を、綾奈が慌てて追いかけていた。
廊下に出て、二人は横並びで歩く。
「ついて来なくていいぞ」
「なに格好つけてんのよ。学級委員だったら、私もそうなのよ」
「……別に格好つけてなど……」
ムスッとした表情のまま歩く誠次の横顔を見つめ、綾奈はくすりと微笑み、ついてくる。
他の教室はどこも授業中であり、なおかつ廊下と教室内を仕切る壁は透明なガラスで出来ているので、二人の姿はよく目立っている。
「これじゃあまるで私が怒られているみたい……」
「だから来なくていいと言ったのに……」
「繰り返させないで。私も学級委員なんだから」
綾奈が不機嫌そうに唇を尖らせてきたので、誠次が折れる形となり、小さく息をつく。
「すまない綾奈。一緒に来てくれて助かる」
そう言うと一転、綾奈は機嫌が良さそうに笑顔を見せた。
「初めからそう言えば良いのよ。素直じゃないんだから」
(……素直じゃないのは、そっちでは)
誠次が内心でツッコむが、声には出さず、ジト目の表情でどうにか押し止める。
「じゃあ気を取り直して、一緒に職員室まで行きましょ?」
「ああ。だいたい先生はそこで待っていて、生徒が謝りにくるまでは出てこないはずだ」
こういうときは、逆転の発想である。自分は悪いことはしていないし、そこまで怒られることはないだろう。むしろ、まず自分から進んで謝りに来たと言うことで、寛大な対応をされるのではないだろうか。嫌々ではない、自分から名乗り出た優等生だ。
――一方その頃、学級委員の二人が先生を呼んで帰ってきてくれることを待っている2―Aの教室では、不意に教室のドアが開く。二人が出ていって間もなく、教室にやってきたのは他でもない、なんと河原先生であった。
しかもその表情は怒ってなどなく、逆に、申し訳なさそうな表情すら浮かべている。
「ソーリーエブリワン。前の授業で使っていた教材を取りに戻っていました。さあ気を取り直して、レッスンスタートです!」
「「「ええーっ!?」」」
なんと、ただ単に教材を取りに一瞬だけ戻っていただけだったらしい。しかも戻った先は職員室ではなかったようで、二人とはすれ違わなかったようだ。
「やべえ。急いで天瀬に連絡しねーと……!」
志藤が先生が戻ってきたことを伝えようと、電子タブレットを起動して誠次に連絡を入れようとするが、
「はいそこ! 何しているの!? まさか、授業中にデンバコを使う気なのかしら?」
授業中のデンバコの使用は一切許さない河原先生の目を欺くのは、困難である。
「せ、先生! 実はですね――っ!」
ならばと言葉で直接二人のクラスメイトが職員室に向かったことを伝えようとする志藤であるが、その行動すらも河原先生によって釘を刺されてしまう。
「ミスター志藤くん! 英語の授業中に先生に声をかけるときは、英語での質問という決まりです!」
「なんて言えばいいんだー!?」
再び頭を抱えて絶叫する志藤に、さらに周りのクラスメイトたちが小声でこんな声をかけてくる。
「よせ志藤! ここで学級委員が先生が怒ったので職員室に向かっていますなんて言ったら、逆に怒られちまうかもしれねえ!」
「そうよ! それに河原先生は今、星野百合先生っていう若くて美人で強力な英語の先生枠の敵がいるから、躍起になっているところなのよ!? そんな状況で河原先生の株を下げるような真似をしたら、今度こそこのクラスはお終いなのよっ!」
「いや知らねーよ!? なんだその英語の先生枠って!?」
哀れな学級委員二人を救おうとする志藤であるが、その他多くのクラスメイトたちは、自分たちが学級委員を送り出した手前、呼び戻すに呼び戻せない絶妙かつ最悪な状況に陥っていた。まさに負の連鎖である。
クラスの後ろの方では、英語が話せるルーナやクリシュティナがいるが、彼女たちですら、この場の重苦しい雰囲気に呑み込まれ、声を出せずにいた。
この状況で一番良い解決策……すなわち、誰もが傷つかない最高の結末を迎えるためにはまず、河原先生が二人の学級委員の不在に授業終了まで気がつかないこと。最悪、最初から体調不良等を理由に、いなかったことにして押し切るまでもある。
そして、あの二人が授業途中で戻ってきてしまうことがないようにすること。すなわち、河原先生と鉢合わせをすることなく、授業が終わってから教室に戻るように祈る他ない。
前者は教室組の頑張り次第であるが、果たして後者は――。
教室が地獄のような状況に陥っているとは露知らずの誠次と綾奈の二人は、首尾よく学園の中央棟の職員室に辿り着く。辿り着くというのは大げさな表現ではなく、やはり広い学園なので、移動だけでもそれなりの時間を要するのだ。
「すみません。失礼します」
職員室前のドアをノックし、それを開け、綾奈を先に通してやり、誠次自身もそこへ入る。いつもの教室とはまた違った匂いもする職員室は、現在授業中と言うこともあり、教師の姿もまばらであった。
「あら、天瀬くんじゃないですか。授業中にどうしたんですか?」
職員室にやってきた二人の姿にいち早く反応したのは、1―A担任教師の向原琴音であった。今は受け持つ授業がないのか、職員室にいたようだ。
「すみません向原先生。河原先生は、ここにいますか?」
きっといるのだろうと、内心で確信じみたものを持ちながら、誠次が問う。
しかし返ってきた言葉は、お約束な流れを裏切るものであった。
向原は職員室内を見渡し、河原先生の机がある方を見たようだった。
「ええと、いないみたいね。どこかのクラスの授業に行ってるはず」
「そんな。私たち、河原先生がここにいると思って来たのに……」
綾奈もまさか、いないとは思っていなかったのだろう。驚いて、青い目を見開く。
「なに? こういう時って普通、職員室に戻ってるものじゃないのか……?」
顎に手を添えてぶつぶつと呟く誠次に、「ど、どういう時……?」と向原が首を傾げていた。
一方で、誠次の隣に立つ綾奈が、向原が手に持っていたとあるものを見つけていた。それは、ちょうど自分たちが修学旅行で向かう先である、京都の旅行パンフレットであった。
「あれ、向原先生。京都旅行ですか?」
綾奈が尋ねると、向原は首を横に振る。
「違います。私、一応クラスの担任を引き受けるのは初めてですので、来年の修学旅行のために、下見で同行するんです。あなたたちの修学旅行にね。ほら、林間学校も一緒に行ったでしょう?」
「あ、そんなことするんですね」
「ええ。来年の修学旅行に備えて、私もお勉強をするという事なのです」
向原は人差し指をぴんと立てて、誇らしげにして言っていた。
「くれぐれも、修学旅行は学習の為の学園行事の一環です。ですので、あまり羽目を外しすぎないようにしてくださいね? いくら京都が魅力的な場所でも、です」
向原がそう言うが、一番楽しみにしているのは、ある程度の自由が与えられており、なおかつ受け持つ生徒も現地ではいない向原ではなかろうか。事実、観光名所パンフレットを片手に、自身の席に戻る際には「きょうと、きょうと〜」と鼻歌を歌っている様である。
「参ったな……。職員室にいないとなると、河原先生は一体どこで俺たちを待っているのだろうか……」
廊下に出て職員室を背に、誠次は悩みだす。
「理事長室、とか?」
綾奈が何気なく言った一言に、誠次はぎょっとする。
「か、勘弁してくれ……! もしも八ノ夜さんに告げ口されていたら、俺はもう終わりだ!」
理事長室にて待ち受ける育ての親の魔女の怒った顔を想像し、誠次は一気に勇気を失い、身体を震わせる。
「あくまでもしもだから……。でも本当にどこにいるのよ……」
「どうにか河原先生見つけて呼び戻さないと、クラスに戻るに戻れないぞ……」
大見えを切ってクラスを飛び出した手前、成果を上げなければ、戻ることもできない。
「あ、誠次。デンバコ今持ってる?」
「授業中だったし、机の中に置きっぱなしだ」
「私も。職員室行くまでだと思ってたし、持ってきてない」
綾奈がお手上げ、と言わんばかりに両手を掲げていた。
先程も言ったとおり、魔法学園は広い。移動だけでも大変だ。悪戯に間違った場所に行ってしまおうものならば、時間と労力を容赦なく奪われる。
「体育館、か?」
「なんで?」
「お前らがやってくるのを、ずっと待っていたよ……、って流れかも」
「ラスボスか!」
綾奈には伝わる、ゲームネタ。こちらが軽くボケれば、綾奈はツッコんでくれる。……ってそうじゃない。
「じゃあ、体育館行ってみましょ?」
「さすがに難易度が高いぞ、河原先生……」
途方に暮れる綾奈と誠次はその足で体育館へと向かう。しかし、他のクラスがそこでは授業中であり、河原先生がいるはずもない。第二、第三も、同じく。
「もー、本当にどこ行っちゃったのよ!?」
次第に綾奈の心が荒み始める。このままではいつ爆発してしまうか、時間の問題だ。
「体育館にもいないのか……。もうこの際、先生が怒ったときにどこに行くのか、学級委員向けにマニュアルでも欲しいな」
「局地的にしか使えないわよね、そのマニュアル……」
食堂に演習場、図書棟に多目的室。手当たり次第に行ってはみるが、どこも外れだ。授業時間も残り半分ほどになっている。
「あとはどこだ……流石に反対側に行く気力はないぞ……」
窓の外から除く向かいの棟の圧倒的な存在感に気圧され、誠次は言う。あれ、あの棟、あんなに高く立派に見えただろうか……。
「……もういいわ」
ぼそりと、綾奈が言う。
「綾奈……?」
「もうこうなったら、職員室にいない河原先生の方が悪いわ。私たちもサボっちゃいましょ?」
「サボるって……授業をか?」
「うん。やれ学級委員だとか、クラスのみんなも私たちに責任を押し付けて……やってらんないっての!」
ぷんすかとご機嫌ななめとなっている綾奈はそう言って、誠次の制服の袖を掴んで歩きだす。
「ち、ちょっと待ってくれ綾奈。どこにいくつもりだ? サボるって言ったって……」
口では否定的な誠次ではあったが、内心では綾奈の意見にも同調していた。綾奈にひきずられるようであった歩幅は次第に、彼女に合わせたものになる。
そのままの流れで、綾奈に連れてこられたのは、彼女の寮室であった。当然、千尋を含めた他のルームメイトは授業中であり、華やかな女子部屋には綾奈と誠次しかいない。
「なーにそわそわしてるの?」
「し、してない!」
誠次をリビングまで連れてきたところで、綾奈が振り返ってそのような事を言うものだから、誠次は慌てて首を横に振る。
「何をするつもりだ?」
「丁度いいしあんたに借りた物を返したいの」
「貸したものなんてあったけか?」
「うん」
綾奈はそう言って、リビングのさらに奥、個室へと一人で入っていく。
誠次はリビングにて立ち止まり、しかしここは女性部屋であることもあり、下手に周囲のものをあまり見るわけにはいかず、黒い瞳の視線を真正面にじっと向ける。心臓が小刻みに振動しているが、これはきっと、授業をサボると言う背徳的な行為によるものなのだろうと、自身で納得をさせる。
「まだか?」
数分であるが、それがとても長いことのように、この場では感じ、誠次は思わず訊いてしまう。
「せっかちすぎ」
案の定、綾奈には文句を言われてしまいながらも、部屋の奥から出て来た彼女の姿に、誠次は思わずあっとなる。
「あ、それってまさか……!」
「そう。去年の夏、アンタに投げ渡されたパーカー」
綾奈がわざわざ着用して姿を披露したのは、一学年生時代の夏、みんなとプールに行ったときに、誠次が綾奈に投げ渡していた男性用パーカーであった。
それが今や、彼女のはちきれんばかりのスタイルの良さの胸元に圧迫されつつ、彼女の身に纏われている。
「な、懐かしいな……。そう言えばそうだった」
誠次が過去を思い出しつつ、しかし綾奈の立ち姿に釘付けとなってしまいかける。
下半身はパーカーの裾より下は、黒いニーソックスがあるだけで、わざわざ制服を脱いで身に纏ったのだろう。やはり胸のサイズ的な意味で上がり切らないファスナーの胸元からは、彼女の艶めかしい鎖骨が見え隠れしている。ワイシャツも、脱いだのだろうか。
そんな姿でこちらをじっと見つめる綾奈から、顔を赤くした誠次は視線を逸らしつつ、なにかを誤魔化すように頬を軽くかいて、ぼそりと言う。
「返すって言ったって……わざわざその……着てみせなくても……」
「なによ。一応借りたものだし、ちゃんと返そうと洗濯もしてアイロンもかけたのよ? しばらくは私の部屋着になってたけど。これ、着心地がよくて便利ね」
「そうじゃなくて、その……っ」
「くす」
同じように頬を赤く染めていた綾奈が、くすりと微笑んで、誠次に近寄る。
「それになにより、アンタの匂いが微かに残ってる」
「せ、洗濯したならさすがに匂いは……」
「確かに、今はすっかり私の匂いかも」
綾奈はそう言って、ポニーテールの髪を縛っている黄色いリボンも、手に取って解く素振りを見せていた。
「ねえ誠次。私、アンタに貰ったものばかり、今身に着けてるの」
「確かに、その黄色いリボンも、去年の文化祭で綾奈にあげたんだっけか」
誠次はしまりきらないファスナーから覗く彼女の谷間からどうにか視線を持ち上げつつ、しかしそれは重たい重力がかかっているように、男の目線を引き寄せるほどのものだが、それでも持ち上げて、綾奈の顔を見る。
「返して欲しい?」
「いや。綾奈が好きで使ってくれているのならば、本望だ。そのパーカーも、あげたつもりだったし、上手く使ってほしい」
「……相変わらず、気取るのね、アンタは」
「仮に返して欲しくとも、無理やり引き剥がすなんて出来ないだろ!?」
顔を真っ赤にしつつ誠次が叫べば、綾奈はどこか寂しそうに、そっぽを向いていた。
「……私は別に、構わない、けど……」
「はっ!?」
「じゃあ、服とアクセサリーをプレゼントされたってことは、いよいよ次ね、次!」
なにかをぼそりと呟いた後、綾奈は急に大きな声で、わざとらしい口調となって言う。
「さすがに宝石などは無理だと思うぞ……」
「はあ……あのさ、私そんなものに興味あると思う?」
綾奈はそう言って、その場でくるりと一回転をしてみせる。
運動神経もよく、そして彼女自身の機嫌も良いのか、赤いポニーテールがふわりと、彼女の動きに合わせて舞う。
そんな彼女の姿に見惚れていた誠次の目の前で、綾奈が青い瞳をぐいと近づけて、囁く。
「……下着、かな?」
「した……っ!?」
「……アンタが選んだ好きな下着、着てみせてあげる」
「っ!?」
彼女のそんな姿を想像した誠次の頭の中はいよいよ、過熱を起こし、なにも考えられそうにもなくなる。思春期の過で想像した女性の身体に対するあれやこれやの妄想が、一気に頭の中で溢れ返るのだ。
――チャイムが鳴った。それは退屈な授業の終わりを知らせる鐘の音か、或いは、幸せひと時を迎えるための祝福の鐘の音か。
2―Aの教室でも授業が終わり、2学年生英語担当の教師、河原先生がるんるんと鼻歌を歌いながら、職員室へと戻っていく。
教室内でも授業が終わり、休み時間を迎えたクラスメイトたちがそれぞれの時間を迎えだす。河原先生が怒っていなかったとなれば、授業前半の騒ぎなどもう、頭の中には残っていないのだろう。
「なんとか、バレずに済んだか……」
「でも、天瀬もしのちゃんもまだ帰ってこないね」
ふうと安堵の息をつく志藤に、桜庭が心配そうにしている。
「確かに。流石に、遅くね?」
「どうしちゃったの……?」
教室内の時計を見つめ上げて、志藤と桜庭が首を傾げていた。
授業放棄という教師の最終手段より、クラスを救おうと出動した学級委員二人は今、竹箒を手に持ち、弓道場を中心とした学園内の落ち葉掃きに勤しんでいた。言うまでもなく罪状は、授業中に抜け出して寮室で遊んでいた罪、である。それの更生活動として、この冬溜まった落ち葉掃きを命じられていた。しかも魔法使用禁止である。
「不条理だ……不条理極まりない……」
「ごめん誠次……素直に私のせいだわ……これ……」
効率など微塵も考えず、横並びで立ちながら、とりあえずは罰を甘んじて受け入れる体で、誠次と綾奈は落ち葉を掃いていた。
先ほどまでの勝気なところが打って変わり、しゅんと沈んだ様子を見せる綾奈を横目に、誠次は軽くため息をつき、口角を上げていた。
「まあ、仕方がないか。俺と綾奈が力を合わせれば、すぐに終わるさ。なんたって頼りになる相方だしな」
さっさと落ち葉を掃き、誠次は呟く。
誠次を見つめ、綾奈は微笑む。
「ええ、そうね誠次。私の相方は、アンタだけなんだから」
木の葉がかさかさと音をたてて、彼女の言葉に華を添えていた。
ルーナを描けばクリシュティナが、千尋を描けば綾奈が描きたくなる現象。この対照的なものを描きたくなるのは、絵描きさんの中でなにかあるのだろうか……。




