4 ☆
「幸運の女神様、ね。是非とも微笑んで欲しいところだ」
せりむ
塩素の匂いが鼻を通る、ヴィザリウス魔法学園の室内プール場。ゆらゆらと揺れる水面の隣、プールサイドの上では競泳水着姿の女子生徒たちが、室内に大きく反響する声量で会話をしていた。
大きな話題はやはり、数日後に迫る文化祭の事だろう。
「えー、祭田先生、岡本先生と付き合いだしたの!?」
「そーそー。なんか、男子サッカー部の大会で優勝したご褒美らしいよ」
「あれ、でも岡本先生、腹壊してたって……」
「なんか、魚の岡本が頑張ったらしいよ」
「魚の岡本? え、なにそれ……」
と言った会話をするひとつ上の先輩女子グループの隣に、もうひとつ、二学年生の白と青の水着を着た女子グループに、女子水泳部所属、本城千尋はいた。
怪我をしないように、柔軟をして身体をほぐしながら、千尋は自身のクラスの状況と、自分が実行委員になったことを伝えた。
「文化祭実行委員頑張ってね、千尋ちゃん!」
「はい。私たちのクラスはディナーショーをするのですけれど、なにかいい案はないでしょうか……?」
「本城さん、映画好きだもんね」
そう言いながら、反対側に座って来たのは、日焼けした肌が印象的な同級生、火村紅葉であった。彼女もまた、入水前のストレッチを行っている最中であったようだ。
「はい。ですので、それで何かを生かせればと思ったのですが……」
千尋は悩まし気に、長い足の指先で、プールに張られている水をつんとつつく。彼女の思い悩む顔が、水面の波紋によってゆらゆらと、揺れ動く。
「耕哉くんの恋愛映画、参考にするとかは!? 最近大ヒットしたあれ!」
大垣耕哉。火村大ファンである俳優でアイドルの事である。最近また写真集を発売したようだが、バイトをやめた彼女は残念ながら買えなかったようだ。
「さすがにもろパクリは駄目かと……」
「そっかぁ……」
「でもさ、期待して見てくれるお客さんもいるんだから、中途半端なものは出来ないよね?」
っと、別の競泳水着姿の同級生が言ってくる。女の子が会話の蕾に華を咲かせば、たちまち満開の花びらが咲き誇るかのように、次々と輪が広がっていった。
「じゃあ、デ○ズニ―は?」
「それこそ絶対駄目ですよ!? クラスの存在そのものが魔法で消されます!」
「ははっ!」
「その笑い声いけませんよ!?」
水泳部員の中でも真面目であるが、あまり自己主張はしないタイプである千尋がこうして声を出すのも、文化祭実行委員として真面目に取り組もうとしている表れなのだろう。
「いっそのこと、オリジナルの脚本考えるとか?」
「オリジナルの脚本……。一から全てを考える、ですか」
火村の提案に、千尋はなるほど、と顎に手を添える。
「確かに映画でも、監督さんが、脚本と両方を担当していると言うこともありますね」
「そうそう。だからいっそのこと、自分だけの物語を作ってみるのもいいんじゃない?」
火村が腕を交差させて、ぐぐっと伸びをしながら言う。
「参考までに、火村さんだったらどんなお話を想像しますか?」
「へ、私?」
ぴたっ、とストレッチの腕を止めて火村が考える。
そして、そうだな……と呟いた彼女の赤い髪の先から、ぴた、と水滴が一粒、落ちていく。
「……田舎に帰ったら、大嫌いな男がいて、なんか知らないけど、なんか仲良くなる話……とか」
「なんかって、なんでしょうか……そこ、重要では……?」
「なんかはなんか、だと思う……」
火村がそう言いながら、水面に映り込んだ自分の顔を見て、ぶんぶんと首を横に振る。
「こ、この話はもう終わりで! でも、応援はしてる。頑張って、本城さん」
「ありがとうございます、紅葉ちゃんさん! 紅葉ちゃんさんのクラスの出し物も、成功するように願っていますから!」
「本城さんにお祈りされたらもう、盛り上がることは決まったも当然かも」
「もう……紅葉ちゃんさんまでそのようなことを……」
水の中でお互いにタイムを競い合うライバル同士。しかし一たび水から出れば、これ以上ない最高の相談相手であり、互いを認め合う友人ともなる二人。
もちろん、千尋に綾奈が、火村にはもう一人、親友と呼べる存在がいるのだが。
「えー。最近水木付き合い悪いー。生徒会終わったんだし、遊べるはずなのに……」
完全防水使用の腕時計型デバイスから出力されたホロ画像。そこに流れるタイムラインを見た火村は、頬を膨らめていた。
「水木ちゃんさんもきっと、自分のクラスの文化祭関係でお忙しいのでは? 真面目な方ですし、賢いですし、クラスの皆さんから頼りにされているのでは?」
「でもアイツ、ゲームやってる時は性格変わるよ? 毒とか吐きまくり」
「そ、そうなのですか」
「マジマジ!」
……と、時より他人に対する愚痴や悪口で盛り上がってしまうのも、女の子同士の会話の特徴であろう……。
「――おい! いつまでストレッチしてる!? 早くメニュー始めなさい!」
いつの間にか、水泳部顧問の祭田女性教師が上はTシャツ。下はジャージ姿でプールサイドにおり、鬼のような顔を浮かべていた。
向かえる文化祭を前に、お喋りに華を咲かせていた水泳部員たちは、きゃあきゃあと声を上げながら、水の中に入っていった。
お疲れー。
部活動を終え、更衣室でシャワーを浴び、制服姿に着替え終えた水泳部員たちが、次々と更衣室から出てくる、放課後。長時間水の中にあって、全身を使っての運動をこなせば、感じる疲労感は運動系の部活の中でも上位に位置するだろう。すっかりくたくたの身体であるが、千尋が向かうのは自分の寮室ではなかった。
「大変だね千尋ちゃん。今から文化祭実行委員のお仕事あるんでしょう?」
「いえ、自分で進んでやろうとしたことですので、全然大変ではありませんよ」
それに、と千尋は廊下の真正面を見て、顔を綻ばせる。
「誠次くん!」
「千尋」
部活終わりに待ち合わせをしていたクラスの相方、天瀬誠次が、指定した場所で待っていてくれていた。読書をして待っていたようで、持っていた本をぱたりと閉じる。
「部活お疲れ様。お腹は空いていないか?」
「お恥ずかしいのですけど……やっぱり、スイミングの後はちょっぴりと……」
「ならば、まずは食堂に行こう」
そう言いつつ、誠次がやや照れくさそうに、千尋の後ろの方をちらと見る。
はっとなった千尋が振り向くと、つい先ほどまで一緒にいた水泳部女子たちが、くすくすと微笑んで立っており、こちらを凝視していた。
「は、早く行きましょう、誠次くん!」
「失礼した!」
「健闘を期待しているよー」
慌てた様子の誠次と千尋の背中を曲がり角の先で見えなくなるまで見送っていた水泳部女子たちは、はあとため息交じりに天を仰ぐ。
「あれって完全に……」
「完全、だよねえ……」
「彼氏かぁ。いると思う?」
「いらないっしょ。付き合うとか無理そう」
などと言いながら、あーでもないこーでもないと言い合う二人の女子の進行方向から、今度は見慣れないいで立ちをした、銀髪の男性が歩いてきていた。
「失礼、お嬢さんたち」
褐色色の肌に相反するような、真っ白な歯を覗かせて微笑んできた異国の青年に、二人の女子は硬直して立ち止まる。
「は、はひ!?」
「んな、なんでしょうか!?」
目の前で立ち止まり、声をかけてきた見知らぬ青年は、困ったような表情をしていた。近づけば香る、エキゾチックな香水の香りが、日本人には嗅ぎなれないものであると感じたが、それも彼の太陽のような笑顔によって、どうでもよくなる。
「ごめんよ、驚かせるつもりはなかったんだ。ただちょっと、場所を尋ねたくて。待ち合わせなんだ」
青年にとある場所を尋ねられ、それに素直に答えた二人の少女は、すっかり上気した赤い顔で、彼が片手を掲げて通り過ぎる横顔と、服越しでもわかる筋肉のついた逞しい背中を見送っていた。
「ありがとうな、お嬢さんたち」
「「彼氏、ほしい……っ!」」
恋せよ、乙女。
※
2―Aがディナーショーの会場として使用許可を貰ったのは、魔法学園の地下にある第三演習場だ。言わずもがな、VR機能を使えば、劇の舞台も演出しやすくなるという考えからである。
文化祭の出展場所として演習場は、地下にあると言うことで目立ちはしないが、その分広大なスペースを活用できると言うことで人気のスポットだ。当然他クラスとの競争率も高いものであったが、千尋の圧倒的な豪運の元、今年も確保に成功していた。
ネタバレを極力防ぐ配慮のため、文化祭準備期間に魔法生が使用できる演習場は第一のみとなっており、第三は現在2―Aの魔法生のみが使用できるように、設定とロックがされていた。
会議が上手く行かなったその日の放課後に、学生証をかざして、その静寂と暗闇の空間に入る魔法生が、二人いた。
文化祭実行委員の、誠次と千尋である。
「真っ暗で、なにも見えないです……」
「すぐに明かりはつく。人が入って来ると察知して自動的に動いてくれるよ」
「まあ」
演習場の構造を熟知している誠次と、普段からあまり演習場を使用しない千尋の意識の違いだ。
ぱっ、と言う音が本当に聞こえるように、演習場に白光が差し込む。視界が良好となれば、遥か向こうに壁はあり、VRで脳に錯覚を送り込まなくとも、演習場は二階席の無い体育館のように、とても広い造りとなっている。
一介の学生たちが行うディナーショーの舞台としては、不自由ない、寧ろ贅沢な舞台であろう。もちろん、VR機能に頼りきりではいけない。あくまで主役は科学ではなく、魔法である。
「今日の日のようなこともある。まだまだ文化祭まで期間はあるし、焦らないで行こう」
演習場の中央に向かって歩きながら、片手を掲げて誠次が言う。
隣を歩く千尋は、誠次の歩幅について来ていた。
「はい。……でも、クラスの皆さんを纏めるのは、私が想像していたものより、遥かに大変そうです」
途中で立ち止まってしまった千尋に、誠次も同じく立ち止まって顔を向けた。
「常日頃から学級委員として皆さんを纏め上げてくださっている誠次くんと綾奈ちゃんには、頭が上がらない思いです」
「そんな大袈裟な。それに、今は学級委員よりは生徒会の方が大変だろうし」
今頃は文化祭の開催へ向けて奔走している親友の姿を思い、誠次は答えていた。
そうすると、千尋は微笑む。
「誠次くんと志藤くんの友情は、変わりませんね?」
「そうだろうか。まあ、そうだといいな。しかしそれを言うのであれば、千尋と綾奈だって、変わらない友情を結んでいるだろう?」
誠次がそう言うが、千尋は申し訳なさげに、頬に手を添えていた。
「今はまた少し、喧嘩中ですけれど……」
「ああ……そう言えば……」
これについては誠次も申し訳がなく、後ろ髪をかく。
綾奈の協力は必要不可欠だ。どうにかして機嫌を取り戻してもらわないと。
「誠次くんのせいではありません。ですので、そうお気になさらずに」
「気にはするさ」
誠次はそう言いながら、VR機能用のパネルを操作する。
今はまだ題名無き演劇の舞台監督に、現場の下見をしてもらいたいのだ。
コピー機の上に立っているように、白い線が円形を描いて拡がっていき、世界が変わっていく。
そこは薄暗いが幅広く、観客席とステージが広がった、ホールと呼ばれる場所だ。パイプオルガンも奥にあり、オーケストラやミュージカルの場としても使用できるような場所だった。
誠次と千尋は板張りのステージの上に立っており、ここからでは、赤いシートの座席が扇状に拡がっているのがよく見える。
「わあ……」
作り物の景色ではあるが、千尋は感動しているように、遥か彼方までを見渡している。
誠次もまた、千尋の隣に立って、同じように周囲を見渡す。本番ともなれば、座席の一つ一つにお客さんが座り、もれなくステージ上に立つ人に注目する。そこに失敗は許されないし、また、人がそこに大勢座ってくれるかどうかも、自分たちが出す出し物に懸かっている。
そうと考えれば、今のうちから緊張感は高まっていき、誠次は人知れず生唾を呑んでいた。
それは隣に立つ千尋も同じようで、彼女の息遣いが硬いものになっているのを、誠次は感じていた。
「どうだ千尋。なにかインスピレーションは浮かんだだろうか?」
千尋は少しだけ、間を開けて口を開く。
「映画と劇は似て非なるものだと思います。映画は場面場面で切り替わり、背景も全く異なる場面に移動できます」
「このVR機能も完璧ではない。例えば座席部分はそのままで、いきなり境界線を作って、例えばステージ側に海を作ったりすることは出来ないんだ。まあ、ある意味それは、現実っぽいか」
誠次の説明に、千尋はなるほどと頷き、どこからともなく取り出したメモに言われたことを書いていく。
「ディナーショーですから、座席は変えないといけませんよね?」
「確かに。そこは設定で変えられるだろう」
等と二人して言い合っていると、突然、誠次が咄嗟に顔を上げる。
「? どうしました、誠次くん?」
誠次を見ていた千尋が、何事かと緑色の視線を送る。
誠次は、無人のはずの座席の方を見つめていた。
「誰かいるのか?」
静寂のこの場では小さくともよく響く声。
堂々と入ってきているクラスメイトならばともかく、気配を消してまで、この空間に誰かが入ってきていることに、警戒心は抱かなくては。誠次が腕を横に伸ばし、どういう事かとすぐに理解した千尋は、誠次の後ろに隠れるようにして立つ。
返答はすぐにあった。男の、聞き覚えのない声であった。
「――凄いな。獲物を仕留めるために気配は隠していたはずだけど、バレてしまうとは」
手元の拍手とともに、座席の影となっているところから立ち上がったのは、浅黒い肌をした、中東系の顔立ちの男性だ。目鼻立ちははっきりとしており、緑色の目に、銀色の髪が、褐色の肌と相反しているようだ。やはり見たことはない顔立ちで、歳はこちらよりは僅かに上だろう。長身でもあった。
「貴男は一体……?」
「始めまして。俺の名前はセリム」
日本語はすらすらと話せるようだ。セリム、と名乗った異国風の青年は、徐々にステージへと向かい、誠次と千尋のもとへ近づいてくる。スポットライトが差し込めば、彼の精悍且つ優美な顔立ちが如実に顕になる。
「俺はヴィザリウス魔法学園2―A所属、天瀬誠次だ。ヴィザリウスの魔法生ではないな? ここは部外者立入禁止のはずだが」
突如としてこの場にいた正体不明の異国の男に、警戒心をむき出しに誠次が告げるが、セリムは気にする様子もなく、歩み寄ってくる。その佇まいは、威厳すら感じ、まるで劇の主役が満を持して現れたようであった。
「おっと失礼。まだこの国のしきたりには慣れていなくて」
それよりも、とセリムは、誠次の後ろに立つ千尋をじっと見つめる。
「え……」
千尋が戸惑う姿を見つめ、セリムはどこか満足そうに、白い歯を覗かせて微笑む。
「気に入った。君、名前は何と?」
「私ですか……? 本城千尋と言います」
セリムの問に、千尋は素直に答える。
そうすると、セリムは益々喜びに満ちた表情を浮かべ、ステージを駆け上がる。
何事かと全身を強張らせる誠次をスルーし、セリムは彼の後ろに立つ千尋へ、片手を差し出す。
「本城千尋さん。君の美しい姿と佇まいに、俺は釘付けとなってしまった」
誠次が唖然となっている中、セリムは立ち尽くす千尋の手を取り、握った手に力を込める。
「わ、私ですか!?」
「まるで君は、砂漠に咲いた一輪の花。故に、この俺の側室となることに相応しい」
「そ、側室って……」
「ちょっと待ってください!」
困惑する千尋の表情を見て、誠次はセリムとの間に割って入る。
「突然現れて。千尋さんを側室にするだなんて……。貴男は一体何者なのでしょうか?」
真剣な表情で誠次が問いただすと、セリムは自分が一体なぜ、このように怒られているのか訳がわからないと言ったように、きょとんとした表情を浮かべていた。
「おや、これは失礼。この国のしきたりは理解していなかったのだが……どうやら一つわかった事があるよ」
セリムは後ろ髪を軽くかき、目を瞑って爽やかに笑う。
そして、次には緑色の目を開けて、鋭い眼差しとなって誠次を睨む。
「俺の国と同じだな。欲しいものは戦いで勝って手に入れる、言わば、弱肉強食の世界というわけだ」
「俺の国……? 弱肉強食……だと?」
セリムと言う男から一瞬にして放たれた、凄まじい気迫に、誠次は思わず背中のレヴァテイン・弐の柄に、手を伸ばす。
その背中を見た千尋は、驚いた様子で誠次とせリムを交互に見る。
――この男は普通ではない。間違いなく、多くの戦闘をこなした、歴戦の勇士でもある。
セリムは赤い魔法式を展開し、それを誠次へと向けた。
「失礼だが君の名前は聞き流していた。剣使い。改めてもう一度名前を教えてもらおうかな?」
「なんだと!? 天瀬誠次だ!」
無礼極まりない行為であると思ったが、それすらも相手の策か。
セリムは一瞬で炎属性の攻撃魔法の魔法式を完成させ、それを誠次へ向けて放つ。
「っ! 千尋っ!」
誠次は咄嗟に後退し、千尋を抱き抱えながら、ステージ上から離脱する。座席の背中を踏みつけ、スロープ状となっている通路の上に着地した。
「貴様、正気か!」
「正気だとも。俺は君から力づくで、本城千尋を奪い取る!」
ステージ上に立つセリムは、高らかな声で宣言すると、再び炎属性の魔法式を展開する。
「誠次くん! 私の付加魔法を使ってください!」
座席の後ろに身を潜ませながら、千尋が言ってくる。
誠次は「頼む!」とすぐに返事をすると、レヴァテイン・弐を背中から抜刀し、それを千尋に向ける。
千尋はすぐに両手を伸ばし、付加魔法の魔法式を発動した、が。
「きゃあっ!?」
千尋が悲鳴を上げる。
何事かと思えば、自分と千尋を中心に、円形の光の線が、拡大していく。――VR機能が再び作動し、場面を強制的に切り替えているのだ。
「権限は俺が持っているはずだ! 一体誰がこんな時に!」
誠次がデバイスを操作しようとするが、ホロスクリーンがいつまで経っても起動しない。
それどころか、周囲の映像全体が、荒い砂嵐を起こし始め、強制的にこの空間が変えられているということを理解する。
「誰かがVR機能をハッキングしているのか……?」
疑念を抱く顔つきは、厳しく鋭い日光により、大いに歪む。誠次の視界に襲いかかってきたのは、地平線の果てまで続いているかとも錯覚するような、黄金の砂漠と、雲ひとつとしてない青い空。ここが草木豊かな原っぱの上ならばともかく、日光をそのまま反射させる灼熱の陽気は、誠次へと容赦なく襲いかかる。
「砂漠……っく! 千尋! どこだ千尋!?
「誠次くん! こっちです!」
千尋の声が、砂丘を一つだけ越えた向こうから聞こえてくる。
誠次は慣れない砂の上を踏みしだき、砂丘を駆け上がった。冬服且つ急激な気温変化に身体は追いつけてはおらず、すでに大量の汗をかき、疲労すらも感じてしまう。
「千尋!」
千尋は四方を砂丘に囲まれた、まるで蟻地獄の狩猟場の中心にいるかのように、こちらを見上げている。彼女も冬服であり、手で陽射しを遮りながら、こちらへ向けて懸命に声をかけていた。
「今そちらへ行く!」
誠次はレヴァテイン・弐を右手に装備したまま、両足を踏ん張らせ、砂の上を滑るようにして、降りていく。一切の水分を含んではいない砂漠の砂は、抵抗も少なく、誠次の身体を滑らかに運んだ。その最中、反対側の砂丘から、太陽を背に現れた男――セリムの姿を捉える。
「《フレア》!」
砂漠の砂さえも焦がす灼熱の火球が、セリムの手元の魔法式から、誠次目掛けて襲い掛かる。
砂の上を滑り降りながら、誠次は右手に握ったレヴァテイン・弐を振り抜き、火球を両断。灼熱の熱気こそ感じるが、胴体への直撃は許さず、一直線に千尋の元にまで滑り向かう。
「ヒュー。まるで砂漠のネズミだ。すばしっこく、当たったと思っても逃げられてる」
セリムは砂漠のキャンバスに一筆の線を描きながら降りていく少年の姿を見つめ、口笛を吹く。
――だがしかし、元より砂漠は俺たちの狩場だ。少ない獲物は漏れなく、狩り尽くす。
「悪いが、俺は欲しいものは必ず手に入れないと気が済まないんだ。ましてやそれが、きらと輝きを放つものであれば、尚更な」
セリムがそう呟き、右手で汎用魔法の魔法式を発動する。
それを誠次と千尋の間の砂場に向けて、魔法を注ぎ込んだ。
誠次が異変を感じたのは、セリムが汎用魔法を発動した、その直後だ。進行方向上の砂が意思を持ったかのように蠢き出し、それが布団を広げるかのように浮かび、動き出し、誠次の頭上を覆う。
「俺もろとも砂漠の砂に埋めるつもりか!」
「いくら切れ味の良い剣でも、灼熱の砂には勝てまい。誠次って言ったか、日本人。それが硬い床の上を歩いているお前たちの弱点だ」
誠次の頭上を覆う分厚い砂にかかっていた魔法が切れ、質量と熱を抱いた無数の砂が、誠次目掛けて落ちてくる。
「《シェルプロト!》」
それを防いだのが、誠次の頭部と砂が接触する僅かな隙間を縫って出現した、千尋の防御魔法であった。
「今のうちに離脱してください、誠次くん!」
「助かった、千尋!」
誠次はすぐに砂の上から逃れ、魔法を発動してくれた千尋のもとまで向かう。
誠次が通った直後、防御魔法の傘は砂の重さに耐えきれずに崩れ落ち、凄まじい勢いの砂塵が誠次と千尋に襲い掛かった。
一見、校庭のグラウンドでよくあるような砂埃に見えないこともないが、砂漠の砂で起きる砂塵は直に吸い込んでしまえば、たちまち内蔵を傷付ける事だろう。
「千尋!」
誠次は千尋を守るため、迫りくる砂塵を背に走り、彼女をしゃがませる。
咄嗟に制服の上着を脱いだ誠次は、それを千尋の顔に押し当てて顔を守り、自身は千尋の身体を抱いて砂塵の盾になるようにして共にしゃがみ込む。
間もなく、褐色の煙が殺意を持って矮小な二人の人間に襲い掛かる。制服を脱いでワイシャツ姿となった誠次の腕や背中には、無数の切り傷が奔っていた。それらはすべて、音速に迫る砂漠の砂が凶器となって、襲いかかって来たからだ。
「ぐうっ!?」
「誠次くん!?」
胸元で千尋が心配そうに声をかけてくる。
「顔を上げては駄目だ! この風が収まるまでは、顔を上げないでくれ!」
「は、はい……!」
千尋は押し寄せる風に飛ばされないよう、細い腕で懸命に誠次の身体にしがみついていた。
やがて砂塵は収まり、埃っぽい気配だけが残った。ちりちりと、火傷したような痛みを背中と腕に感じたまま、誠次は口の中に入った砂利を唾とともに、横に吐いた。
「ハアハア……誠次、くん……っ!」
胸元を見れば、千尋の顔には汗が流れ落ちており、摂氏四〇度を越える灼熱の気候はすでに、千尋の身体を蝕んでいた。
「VR機能の安全装置も働いていないのか……。やはり、セリムの協力者がこの施設をハッキングしているに違いない」
誠次はそう言いながら、千尋に渡した自身の制服を、今度は頭の上で彼女に被せた。
「暑いかもしれないが、頭に巻いていてくれ。砂漠では直射日光を浴び続ける方が危険だ」
「はい……っ」
汗を垂らしながら、千尋は誠次の言いつけを守り、白い冬服の上着を金髪のツインテールを仕舞うようにして巻く。
「誠次くん、速く私の付加魔法を……!」
「この状態では駄目だ。千尋の体力を消耗するわけにはいかない。セリムは俺が自力でどうにかする!」
すでに多くの体力を奪われてしまっている千尋の容態を気遣い、誠次は彼女の付加魔法を受け取ることを断念した。
「そんな……」
誠次の上着を頭に巻いた千尋は、悲しそうに、また悔しそうに目を伏せたが、そのエメラルドの瞳は発見する。
「誠次くん、あの人です! 砂丘の上に!」
「セリム!」
ワイシャツ姿の誠次が、上を睨む。
なんと敵であるセリムは、どこから調達したのか、武装したラクダの上に跨り、こちらを見下ろしていた。その姿はさしずめ、砂漠の騎兵だろうか。
「大した奴だ。砂漠の嵐を耐えきるとは。まあ、本物はもっと凄いけどな」
「今すぐにこんなことはやめろ!」
ハアハア、と荒い呼吸を繰り返し、顎先から汗を滴らせながら誠次は叫ぶ。
対するセリムは、直射日光を浴びているにも関わらず、涼し気な表情で佇んでいた。汗すらも、滲んではいないようだ。
「じゃあ、砂漠に咲いた一輪の花、本城千尋さんを俺にくれるかい?」
「断る!」
誠次が即答すると、誠次の制服を顔に巻く千尋は、誠次のワイシャツの袖をぎゅっと握る。
「だったらお前に勝って、奪うしかないだろう。お宝って、そういうもんだろ?」
「まるで賊の考え方だな! いつの時代の話をしている!」
「正真正銘、今この魔法世界さ。もっともここは、現実じゃないけどな」
セリムは愉快気に笑い、ラクダの手綱をぎゅっと握り、腹部を足で叩き、命令を下す。
ラクダとは、イメージでは砂漠をのんびり歩いているような、ノロマな印象を抱くものだが、目の前で駆け下りてくるセリム駆るラクダの場合は、話が違った。砂漠を駆ける馬の如く、砂煙を巻き上げながら、猛スピードで駆け下りてくる。
その上でセリムは、嬉々とした表情を浮かべ、手に握りしめていた槍を振るう。
「受けて立つ!」
千尋をその場に残し、誠次は自分からも砂の上を走り、セリムに立ち向かう。
足には砂が絡みつき、スタミナの消耗も激しい。このまま砂の上で鍔迫り合ったとしても、一方的に押し負けるだけだろう。
迫る銀色の刃の軌道を見ながら、そうと判断した誠次は、セリムが槍を振るうのに合わせて、前転を行い、刃を躱す。
靴底の軌道を砂が追いかけ、孤の形を描いて太陽の光を浴びる、
「今のを躱したのか、やるな」
ラクダの手綱を引き、セリムは方向転換をし、初撃を回避した誠次を見つめる。
砂漠の砂の上を転がり、誠次は中腰の姿勢で、セリムを睨んでいた。
「貴様こそ、その槍捌きは素人のものではない。戦闘経験があるのか」
「戦闘経験……? あ、はははっ!」
ラクダの上でセリムは、額に手を添えて笑い声をあげる。
「そうだったそうだった。……ここは平和の国ってやつだったな……」
ぼそりと、セリムは視線を落として呟いている。
「なに……?」
誠次は一瞬だけ構えを解いてしまいそうになるが、相手がこちらに勝負を挑んできている現状に変わりはなく、気を引き締める。水分が急激に消費され、足りていないのか、気を抜けばふらついてしまいそうだ。
「おっと、俺としたことが。また行かしてもらう。今度は確実に仕留める――!」
兵馬用のラクダを蹴り、再びラクダを突撃させるセリム。
足元で発生する砂埃は、まるで彼の後ろに無限の軍勢がいるかのような錯覚を見せつけてくる。しかし、焦るな、動じることもない。
誠次は乾燥しきったパサパサの空気を吸い込み、セリムの槍捌きを見極めようと、黒い瞳を細める。
「同じ手が通用する相手ではない……。次の一手で、奴をどうにかしてラクダから引きずり落とさなければ、消耗して負けるのはこちらだ……!」
そう何度も動き回れるスタミナは、この命を蝕む灼熱の砂漠上では残されてはいない。
誠次は汗ばむ右手でレヴァテイン・弐を確りと握りしめ、空いた左手を右腰のレヴァテイン・弐の柄へと添える。
前髪をつたった汗の雫が目に入りそうになりながらも、誠次は顔を左右にふるい、砂埃もろともはらう。
そして、目前にまで迫ったセリムの槍の穂先の軌道を見切り、右腕のレヴァテイン・弐で受け止める。当初の目論見通り、砂漠の上で踏ん張り切ることの出来ない身体は大きく仰け反り、また、レヴァテイン・弐は衝撃を受けて右手を離れ、宙を舞った。
そんな誠次の真横をセリムが通過する。その瞬間、誠次は左腕を動かし、腰の鞘からもう片方のレヴァテイン・弐を抜刀。セリムの手元めがけて、力任せにレヴァテイン・弐を振り下ろした。
「なに?」
セリムからすれば、予期していなかった攻撃。こちらは完全に相手の態勢を崩したはずだったが、どうやら誘い込まれたのは、こちらの方であったようだ。
どうにかして誠次の攻撃を受け止めたセリムであったが、ラクダの手綱を掴んではおられずに、落馬する羽目となる。視界が黄土色から青空に移り変わり、鈍い衝撃が、セリムに襲い掛かった。
背中から砂の上に落ちたセリムは、すぐに立ち上がり、槍を振るう。
誠次もまた、同じ土俵に引きずり降ろしたセリムと対峙する為に、彼に接近戦を仕掛けていた。
「やるな、お前! 名前はなんだっけ?」
「何度言わせる気だ!? 天瀬誠次だ!」
地上に降りたセリムの槍捌きも、素人のそれではなかった。
重たいはずの柄を片手で握り、誠次へ向けて横薙に何度も、攻撃を仕掛けてくる。
「失礼。日本人の名前は難しくて覚え辛いんだ。勿論、女性は例外だよ?」
「ならば、その身に刻みつけてやる!」
二度ほど斬り合った後、誠次はセリムの槍の軌道を掻い潜り、剣先を砂に接触させながらすくい上げるように斬り上げ、セリムの槍の柄を両断した。
自身の得物である槍を両断され、セリムは、二つに分裂したそれをまじまじと見た。そして、その二つを足元に落とす。
奥の手でもあるのだろうか、と誠次は油断なくセリムの動向を見守っていたが、彼は微笑みながら、両手を頭の上で掲げてきた。降参、の意だろうが、それとも。
「やるな」
「負けを認めるのか……?」
「ああ。俺の負けだ。弱肉強食の通り、煮るなり焼くなり、好きにしてくれ」
両手を挙げながら肩を竦め、セリムはあっさりと言ってくる。
汗を垂らした誠次は、レヴァテイン・弐を右腰の鞘に収めていた。
「殺しはしない。ただ、こんな真似はもうやめてくれ」
「敗者に情けをかけるなんて。俺の国じゃあり得ないぜ」
「だから、先程から貴男の言う国とは一体何なんだ? それに、砂漠の戦いについて熟知している。その地方出身なのか?」
誠次が問い質すと、セリムはそっか、と思い出したように、緑色の瞳を見開く。
「言わなかったっけ? 俺の名前はセリム・アブラハム。中東にある王権国家、クーラムの王子だ」
にこりと、白い歯を覗かせて、屈託のない笑みを見せる、自称王子。
「「お、王子!?」」
誠次も、後ろからやってきた頭に制服を巻く千尋も、声を揃えて驚いていた。
~掛け声大事~
「頭文字はA」
せいじ
「クラスは2―A」
せいじ
「フレースヴェルグのエース」
せいじ
「俺はAAAの天瀬誠次だ!」
せいじ
「なにしてんの、剣術士くん?」
さよこ
「相村先輩」
せいじ
「掛け声のようなものです」
せいじ
「敵を倒したときとか」
せいじ
「格好いいと思いませんか!?」
せいじ
(格好いいの……?)
さよこ
「じゃあお姉さんも考えた!」
さよこ
「おお!」
せいじ
「クラスは3―A!」
さよこ
「はい!」
せいじ
「頭文字はA!」
さよこ
「よいしょ!」
せいじ
「胸のサイズはAカップ!」
さよこ
「あらよっと――って、ええ!?」
せいじ
「やった、これで私もAAAじゃん!?」
さよこ
「ひ、人前で最後のはあまり言わない方がいいかと……」
せいじ
「うん……さすがに最後のは自分でもハずい」
さよこ
「取り敢えず、ちょっち頂戴! かおりん!」
さよこ
「私に飛び火する流れ!?」
かおり




