1 ☆
「なぜ、私の刀は炎が出るのだろうな? ……不思議だ」
しゅり
ヴィザリウス魔法学園の深部、天高く聳える中央棟の地下施設から、男は目を覚ました。
息も吸うことができる。身体も動かせる。物事を整理し、深く考えることもできる。随分と長い間眠ってしまっていた為、全身は怠く重たいが、いつまでも眠っているわけにはいかない。
「――草鹿。ありがとうな。俺を信じて、ここまで治療してくれて」
「それが私の仕事ですから。元気そうになって、なによりですよ」
ベッドの上に腰掛けていた男性、志藤康大は身なりを整え、立ち上がる。
「人を助けるのが仕事のはずが、多くの人に助けられて、今の俺がいる。恩返しをしなくては」
「なるべくでいいので、もうこれ以上医療ベッドに寝かせるような人を増やさないようにお願いします」
口角を上げる草鹿の前を通り過ぎ、幻影魔法による重体状態から回復した康大は、とある人物に連絡を入れる。
「――俺です。ええ、もうすっかり元通りです。話をしておきたいことがあるので、近々合流しましょう」
『時間ならばいくらでもあります。私も一旦は、表舞台から降りましたからね』
「なるほど。――では、今すぐに会いに行きます」
長く皆を待たせすぎた。もう、待たせるわけにはいかない。雌伏の時を待ち続けた人々が、ついに反旗を翻すときが来たのだ。
「あ、そうでした。ご息子さんも随分と心配していましたよ。連絡を入れてみたらどうでしょう?」
壁に寄りかかり、タバコを口に咥えた草鹿は言う。
父親は少々照れ臭く、当時の息子の様子を述懐する。
「実は数日前に話していたんだ。少しだけ、アイツも立派になったと思ったよ。立派な高校生だ」
「……そうですか」
草鹿は瞳を瞑ってほくそ笑み、慣れた動作で魔法で手元に火を起こし、タバコに煙を起こした。
※
日本の二大魔法学園による体育祭は終わり、秋も深まる一〇月。学園の一階中央昇降口の通路沿いにある棚には、金色に輝くトロフィーと優勝旗が新たに、飾られていた。道行く魔法生はそれをバックに写真撮影をし、各々勝利の余韻を味わい、SNSにピクチャーをアップしたりするなどしていた。
「――つまりは、この俺の棒倒しでの二学年生男子組唯一の勝利がなければ、ヴィザリウスは負けていたんだ!」
「キャプテンすげーっ!」
「そうだろう!? あはははははっ!」
フィールド上の魔術師と北久保が、誇らしげに廊下を歩いている。エースと補欠であるが、なんだかんだ、サッカー部同士の中でも友情が深まりだしている二人である。
そんな二人たちが歩く廊下の真下、地下演習場の脇に併設されてある、主に魔法戦の授業前に教師が生徒たちへ講義を行うための場の簡易教室で、志藤颯介は椅子に座り、顎に手を添えて首を捻っていた。
「ちくしょう……うまくいかねーもんだな……」
ぶつぶつと呟く視線の先には、机の上に広げたノートがある。
「形成魔法の配分率を高くしても、魔素不足だもんな……。かと言って属性魔法を強くしても、図式がぐちゃぐちゃになる……」
金髪をがしがしとかき、志藤は呻いて机の上に突っ伏し始める。かれこれ自分が行っていることが全くもって進展を見せず、ため息を零す。
いっそのこと、やめてしまおうか。そんなことを考えてしまった志藤は、机の上にある自身の電子タブレットが起動したことに気がつく。
『メールが一件、着信しています』
自動で浮かんだホログラム画像には、つい先日撮ったクラスメイトたちとの、体育祭の勝利を祝った集合写真が。神山と笠原を中心に、みんなが笑顔で映っている。体育祭が終わり、渋々スペインへと帰っていったティエラの姿も、もちろんそこにはあった。
「……ああ、負けてらんねーよ。少なくとも、自分にはさ……」
そんな彼ら彼女らの表情をひとしきり見つめ、最後に自分と肩を組み、ピースをして笑う誠次の姿を見つめ終えた志藤は、ホログラム画像をタッチして、机に突っ伏したままアプリを起動した。
「親父から連絡……。って、ええ!?」
びっくり仰天し、慌てて立ち上がろうとした志藤は、机に脚を強打し、悶絶する。
「痛たたたた……っ」
あの人は相変わらず、突然連絡を入れてくる。以前はそれに苛立つこともあったが、もうそんな感情も沸かない。むしろ――。
「気を引き締めねーと……」
ようやく、全快したのだろう。志藤は深呼吸を一つしてから、メールを開く。
喜んでばかりではいられない。反撃の狼煙となりえる人物の全快とは、それすなわち、反撃の準備が整ったという事。戦いは、もう間もなくだ。
フレーズヴェルグ各員の特訓も、それぞれ佳境を迎えていた。
※
「――98、99、100ッ!」
剥き出しの割れた腹筋に、自身が流した透明な汗がつたう。秋なのに部屋の気温は一気に上昇し、全身が発熱をしているようだった。
下半身にズボンをはき、上半身は裸と言う格好で、日課の筋トレを終わらせた悠平は、のどの渇きを潤す為に冷蔵庫へと向かう。いつものルーティンであり、運動後の牛乳は格別だ。
「ふぃー……」
「はい、プロテイン入りの牛乳。こっちの方が効率いいでしょ?」
実家の冷蔵庫を開けようとした悠平の真横からさっと、プロテインシェイカーに入った白い液体が差し出される。こちらが筋トレを終える時間を予め察知して、用意してくれていたのは、義理の妹である帳結衣であった。
「お、ありがとうな、結衣。つい面倒くさくて、いつも牛乳だけで済ませちまうんだ」
悠平はタオルで汗を拭きながら、笑って言う。
「筋トレと牛乳にプロテイン混ぜて振るの、どっちが面倒臭いのよ……」
「はっはっは! もう筋トレの方は日課だしな。誠次とは寮室でもよくやりあってるぜ」
「それ汗臭そう……」
結衣は苦笑し、そこまで嫌そうにはしていなかった。
「フレースヴェルグ、だっけ。南雲さんとの特訓は、大丈夫?」
「おう。お陰でだいぶ強くなったはずだ」
「私は個人的にあの人には嫌な思い出しかないけど……ま、お兄ちゃんの為になってるんならいいか」
兄妹の会話の途中から、悠平はごくごくと喉ぼとけを鳴らし、プロテイン入りの牛乳を飲み干す。
なんであれ、自分がせっかく用意したものを飲んでくれるのは嬉しく思い、結衣は悠平の姿を見つめていた。
「ぷはっ。旨かった! よっしゃ、特訓仕上げないとな!」
「もう行くの? もうちょっと休めばいいのに」
「そうこうしてらんねーって。俺だけ足引っ張るのは嫌だしな。みんなだって頑張ってるんだ。気張っていくぜ」
ささっとシャツを着て、パーカーを羽織った悠平は、ユエとの特訓の為に、魔法学園の演習場へと向かう。
その途中、電子タブレットが振動し、悠平はそれを確認した。
「志藤から連絡か」
自身が所属するフレースヴェルグリーダーの友人から、連絡が来ている。同時に感じるのは、いよいよ決戦の時が近づいていると言う予感であった。
「――ちょっとお兄ちゃん! 学生証忘れてる! これないと演習場入れないでしょ!?」
「あ」
後ろの方から聞こえた結衣の声に、ズボンのポケット等をぱんぱんと叩きながら、悠平は慌てて振り向く。
はっはっはと、大きな笑い声が閑静な住宅街に響き渡った。
「悪い結衣! 窓から投げてくれねえか? キャッチする!」
「こんな大事なもの投げられないでしょ!? どっか行っちゃうわよ!」
「はっはっは! 俺たちはフレースヴェルグだぜ!? 心配すんな! 風を巻き起こすんだ!」
「屁理屈言ってないで、怪我しないで帰ってきなさい!」
「……なんか、だんだん俺の母親に似てきてる気がするな……」
かつて彼女を孤児院で救った自分の母親の面影を微かに感じ、悠平はまさかなと、冷や汗をかきながら、一時帰宅する。
※
間もなく迫った国家実力組織との戦い。自分たちはレジスタンス、フレースヴェルグに所属している。フランス語で抵抗を意味する言葉であるが、その活動とは、武力によって抵抗運動を行う、一歩間違えれば、テロリズムと間違われてもおかしくはない組織だ。
両者を分け隔てる定義は実のところ、曖昧なところがある。分かり易い分け方と言えば、民間人を巻き込むかどうか、大衆が認める大儀と正義があるか、である。
しかし、そうは言われても、どちらもどちらであるような気もする。戦いが起これば決まって誰かが傷つき、勝者と敗者が生まれる。意図せぬところで誰かが傷つき、憎しみを抱くこともある。
敵にだって守るべき家族があり、友がおり、信じるべき正義がある。こちらへ向けて憎しみを抱いて発動した魔法の光の奥底では、向こうにも、引けない理由が必ずあるのだ。
「気になることがあるんです、影塚さん」
「なんだい、小野寺くん?」
人並み以上の好奇心があり、それを知識として蓄えるのが好きだと言う自覚もある真が、フレースヴェルグ特訓相手である影塚に問う。ここは、魔法学園の演習場だ。
「今の特殊魔法治安維持組織に務めている隊員さんの事です。その方たちは、新崎さんのその……本当の姿と言うのを知ったうえで、在籍しているのでしょうか……?」
慎重な口調の真の問いに、影塚は真剣な表情となって、答える。
「おそらく、大半は知らないんだと思う。新崎がかつての志藤局長を失脚させて、無理やりに隊長の座に就いたことも、彼が裏で味方を平気で切り捨てるような人だという事も。一部は知っている人もいて、その上で彼についているのもいるだろうけど……」
新崎の真の姿を知りえる人物に心当たりがあるのだろうか、影塚がやや遠くを見据えていた。
「……では、その大半の特殊魔法治安維持組織の人は、なんの疑いもなく、新崎の命令を聞いていると言う事ですね」
「そうなるね。おそらく大半は、ただ局長が変わっただけで、なんの疑いもなく任務を行っているんだろう。でもそれを聞いて、一体どうする気なんだい、小野寺くん?」
影塚が問うてくる。
真は自分の、周りの男友達と比べればやや小さな右手をじっと見つめてから、それをぎゅっと握る。
「その人たちからすれば、自分たちフレースヴェルグは、平和を脅かすテロリストと言う事になりますよね……」
「……確かに、小野寺くんの言う通りかもしれない。僕たちは、一歩間違えればこの国の平和を脅かすテロリストかもしれない」
影塚も気がかりとしていたようで、やや気落ちした様子で、頷いていた。
そこでどうするべきか、博識である真は、すでに答えを自分の中で決めていた。
「無意味な犠牲を出さないで、特殊魔法治安維持組織を変える事が出来れば……。誠次さんの戦い方のように、致命傷を避けることが出来れば、少なくとも一方的に傷つけるよりは……」
そう言う真であったが、次第に、その語気は弱いものとなっていく。
「――なんて、簡単に出来れば苦労はしませんよね……」
とほほと、真は肩を竦める。
「それを出来るようにするのが、この特訓さ」
影塚が自信を持って言う。
「今のままの特殊魔法治安維持組織が正しいなんて、そんなのは絶対に間違っている。間違った正義を正すのも、僕たちの役目のはずだ」
「例えフレースヴェルグたちの方が、世間からテロリストと呼ばれても、ですか」
「残酷な話をすれば、勝った方が正義、と言ったところかな。今のところは特殊魔法治安維持組織が勝っていて、僕たちは悪だ。それをどうにか覆す為にも、勝たないとね」
影塚が決意を込めて言う。
「柔軟な発想の転換、でしょうか」
「時としてそういう考えが必要な時もある。……て、なんだかこれじゃあ僕が、日向みたいだね」
所詮、似たもの同士か、と影塚は自嘲の笑みを零していた。
勝った方が正義なのだ。物語の悪役が言いそうな言葉であるが、今はそれにあやかるしかないと言うのも、フレースヴェルグの実情である。
問題にすべきは、その勝利の仕方であると言ったところか。
「やってみせます。信頼に値する仲間と共に、勝って正義を取り戻します」
そう言う真の頭の裏には、それと同時に思い浮かぶことが一つあった。それは迫る戦いの前に、必ずしておかなくてはいけないことだ。
両親を含めた、家族への報告だ。
※
春休み以降久し振りに、実家に帰ったような気がする。何だかんだ夏休み中はシーズン中と言う事で、所属している水泳部の活動も忙しく、結局帰れなかった。季節は目まぐるしく変わり、温かったあの日は遠く、今はもう肌寒い。
「お帰りなさい、聡也」
マンション住まいの実家のドアを開けると、出迎えたのは母親であった。
「ただいま、母さん」
「ご飯食べる?」
「あまり時間がないから、すぐに行かなくちゃ」
荷物も持たずに、手ぶらで帰ってきたのも、霧崎との特訓がまだ控えているからだ。こうして半年ぶりに帰ってきたのも、自分の事を伝えておくためだ。
フレースヴェルグの一員として、国家実力組織に戦いを挑むこと。流石にすぐには切り出せずに、聡也はなんともないふうに、見慣れた家の中を歩いた。
「お父さん、帰ってきてるよ。話でもしていったら?」
「父さんが……?」
玄関を整理する母親の後ろからの声に、聡也は立ち止まって驚く。仕事の関係で家にいることの方が少ない、よくありがちな、放任主義の父親であった。
たまたま家へと帰ってくるタイミングが同じなど、なんて偶然もあるものだと、聡也は感じていた。
聡也の父親は、リビングのテーブル席に座り、英字ホロ新聞を読んでいるようだった。あと、一応言っておくと、眼鏡をかけている。
「聡也か。久しぶりじゃないか」
「ご無沙汰しています、父さん」
聡也はテーブルを挟んで父親の前の席に座る。
やや遅れて母親がやって来て、インスタントのブラックコーヒーを差し出してくれた。すでに父親の手の横には、半分ほど飲まれた同じものがある。
「日本にはいつ帰ってきたのですか?」
「昨日だ。来週にはまたしばらく家を開ける」
父親のそんなことにも慣れているのだろう。自分も寮生活となり、家をずっと一人で守っていると言ってもいい母親は、せっせと家事を行っている。
一見、冷え切った家族関係とも見えなくはないが、別にそんなこともないと思う。各々が家族の一員として、するべきことを効率よく、淡々と行っているに過ぎない。両親が喧嘩をしているところも見たことがないし、お互いがお互いを尊重しあっているので、不要な干渉も必要ないし、することも無いのだろう。
「そうですか。話がしたいです、父さん。時間はありますか?」
「話か。進路のことか?」
「……そうなります」
「そうか」
父親はちらりと時計を確認すると、ホロ新聞を閉じ、代わりに聡也を見つめる。
「久し振りに、チェスでもしないか? そうしながらでも、話はできるだろう?」
「は、はい。俺が用意します」
聡也は立ち上がり、一旦母親の元へと向かう。
「母さん。チェス盤は俺の部屋にまだある?」
「変わってないはず」
キッチンから顔を出した母親の言葉通り、子供の頃から父親とやっていたチェス盤は、自分の部屋の棚にきちんと置かれたままだった。
やや埃を被っていたそれを聡也は持ち出し、リビングで待つ父親の前に広げる。
なんだかんだで、父との対局も久しぶりだ。こちらの勝率の方が低いが、毎度惜しいところまではいっている。今回は勝てるかもしれないと、毎度の希望を抱いて対戦するが、父親というのは偉大なものでもある。兄同様、どうしたって追いつけず、追い越せず、負けてしまう。
どうやら今日も、そんな流れだった。対戦も中盤。徐々にこちらが押され始めていた頃になって、ようやく聡也は、本来の目的を果たさんとする。
「父さん。話と言うのは他でもないです。俺、実は今、とあることをしていまして……」
「……」
父親が無言で次の手をうち、聡也は内心で慌てて、防衛策をうつ。
「近い先、特殊魔法治安維持組織と戦うことになりそうです。なにもそれは学園の方針ではなく、所属しているとある組織の一員として、です」
「なぜだ?」
父親の短い間の問に、聡也は盤面を見つめてから、口を開く。
「そうしなければならないと、自分で考え、判断を下した結果です。今の特殊魔法治安維持組織のままでは、この国の将来は危ういです。それを変えるために、俺も戦わなければと、思ったのです」
「そうか。聡也がそう思ったのなら、好きにするんだ」
放任主義、ここに極まれり。あまりの返答の呆気なさと素早さに、聡也はナイトに伸ばしていた手を、空中で静止させてしまっていた。
対面する父親は、無表情のまま、聡也の次の手を待っているようだ。
「と、父さん……?」
「どうした聡也?」
「あの……今俺は、重大なことを言った気がするのですが……」
息子にそう言われ、父親はしばし、上を向く。
「自分がそうするべきだと思ったんだろう? それとも、望まないことを誰かに無理やりやらされているのか?」
父親にそんなことを言われ、聡也はハッとなり、眼鏡の奥の赤い瞳を大きくする。
「……いえ。勉強と同じです。将来の為にも……やって損はないことと思います」
同時に、と聡也は少々照れくさく、それを誤魔化すためにも、手元の母親が淹れくれたホットコーヒーに口をつける。
「俺の友だちたちの為にも、俺が戦う意味はあると思います」
「友だちたちの為、か」
父親は微笑み、うんと頷く。
「だったら、信念をもってやり遂げるんだ。例えその結果が良くなかったとしても、やり遂げたことには変わりはない。聡也。俺はお前の味方だ。母さんだってそうだろ?」
父親がキッチンの方を見ながら言うと、母親が「そうだよー」といささか軽い感じで返事をする。やはり淡々としているようだが、これが実に実家らしい。
「ありがとうございます、父さん、母さん。少しだけ、あなた方には迷惑をかけてしまうかもしれませんが」
「伸也で慣れているよ。なんだかんだで、やっぱり兄弟なんだな」
「兄さんと一緒、か……」
確かに、そうなのかもしれない。血の繋がりとは時に難儀なものだ。父親の苦笑に、聡也も肩を竦めて応じる。それに、いつもはテストで高得点を出しているので、たまには迷惑をかけることぐらい、許してくれるのかもしれない。
「あ、チェックメイト……」
「おー。お前の勝ちだ聡也。いよいよチェスの腕でも俺を追い越しそうだな」
気がつけば、盤面は一気にこちら側有利に傾いていた。
父親に止めを刺し、聡也は勝ちを手にする。まさか勝てるとは、思ってもみないことだった。
「ありがとうございました、父さん、母さん。学園に戻らないと。特訓がありますから」
「頑張れよ、聡也」
「気をつけてね、聡也」
数時間の滞在で、聡也は再び、今の寝床があるヴィザリウス魔法学園へと戻っていく。
聡也の父親はテレビを何気なく眺め、母親は料理を作り始める。
「なにか手伝おうか?」
「んーん。平気よー」
「そうか」
聡也の父親は、息子が残していったコーヒーを見つめてから、自分のコーヒーを飲み干した。ちょっぴりほろ苦い、大人な味だ。
「なあ、一つ訊きたいんだ」
「なあに?」
「特殊魔法治安維持組織ってなんだ? 日本にいなさすぎて、分からないんだ」
「警察みたいなもの。どっちかって言うと、魔法犯罪が専門かな。最近はあまりいい噂も聞いてないかも」
「へー。そんなところと聡也は戦おうとしているのか。大人になったな」
「本当ね」
穏やかな日常を、どうかそのまま、続けるためにも。聡也は学園へと戻り、演習場にて特訓の総仕上げを行う。
※
フレースヴェルグの特訓用活動拠点となっている魔法学園の地下演習場。
五つあるうちのその一つの中では、紅葉が舞い落ちる中、剣術士と蛍火の女傑が、互いの得物を携えて、斬り合いを繰り広げていた。
風が吹き、木の枝から舞い落ちた紅葉が、刃に渡り、真っ二つに斬れ落ちる。
その銀色の刀身に映る誠次の目元には、この特訓でずっと使用し続けた黒い目隠しの紐が巻かれている。紐の端の方の糸はほつれ、汚れも目立つようになり、幾回もの特訓を続けてきた証となっている。
「……」
目隠しをした状態でレヴァテイン・弐を構える誠次に対する朱梨は、無言のまま、鞘を付けた状態の不知火・蛍火を構える。
直立不動をする誠次の背後に一瞬で回り込み、音もなく、呼吸もせずに、その手に握る太刀を振り下ろす。
「……っ」
暗闇の世界の中、背後から迫る殺気と刃の圧を感じ取った誠次は、咄嗟に前へとステップし、攻撃を躱す。
続き、朱梨が足を踏み込んで突き攻撃を繰り出してきたのを、誠次はレヴァテイン・弐を傾け、刀身でそれを受け止める。
そのまま朱梨の攻撃を受け流し、相手の体勢を崩すと、誠次は今度は自ら刃を振るい、敵へ向ける。
「っ!」
「っ!?」
誠次の攻勢に、朱梨は表情を歪ませ、後退を選択したようだ。
敵の気配が殺気から不安感へと変わったのを誠次は察知し、敵の動きを見切り、猛追を行う。
「そこだ!」
敵の得物の所在の確証を抱き、誠次は足を踏み込み、思い切りにレヴァテイン・弐振るい上げる。
甲高い音と、右手に奔る確かな感触。
「――見事」
「ハアハア……っ」
目隠しを下ろすと、得物を失った朱梨が棒立ちをし、目の前にいる。遅れて、誠次の背後に、鞘に収まったままの不知火・蛍火は、落下した。
紅葉舞い落ちる日本庭園の世界が終わり、周囲はタイル床と壁の景色へと戻っていく。
汗を垂らし、口で大きく息を吸い込んだ誠次は、レヴァテイン・弐を背中の鞘に納め、自身が切り弾いた不知火・蛍火を拾い上げる。
「勝てた……」
「まだまだ荒削りな部分はあるが、見事だ剣術士よ。まさか一ヶ月ほどでこれほど上達するとは」
見事に目隠しをした状態で、朱梨の得物を斬り弾くことに成功した誠次は、決して小さくない感動を味わいつつ、朱梨へと刀を返した。
「お怪我はないですか?」
朱梨の容態を気遣い、誠次はそんな声を掛けるが、女傑に対しそれは無用な心配だったようだ。
不知火・蛍火を受け取った朱梨は、それを手元で軽く回すと、次の瞬間には、誠次の首筋へと突き出す。
「なに、まだまだ弟子に心配されるまで衰えてはいないさ」
「そ、そうでした」
喉ぼとけに感じる微かな感触に、誠次はおっかなびっくりに言う。孫娘の綾奈同様、随所に負けず嫌いなところが見られる、朱梨であった。
「次はいよいよ、真剣での勝負といこうか?」
「果たして、どこまで通用するものか……」
誠次は息を呑み、目の前で鞘から刀身を引き抜く朱梨の姿を見つめる。
目線の先にまで、ある種なにかの儀礼の動作のように持ち上げた刀を、朱梨が引き抜く。一迅の風が駆け抜け、それが誠次の身体にかかるのと同時に、黒い瞳には赤い炎が逆巻いて見える。
「本気で行くぞ、剣術士よ」
「負けない……!」
降りかかる火の粉を斬り払い、誠次は朱梨と真っ向から対峙した。
二回りほど年の差が開いた剣士同士の戦いの後、演習場に訪れた一人の来客者は、まず周囲に漂う焦げ臭い匂いに、顔を顰める。
「なにこの匂い……」
決していい匂いとは言えない刺激臭に、少女は鼻に手を添えながら、大きな部屋の中央へと向かう。
「天瀬!?」
ところどころ黒ずんでいる床を学園指定の上履きで歩き、少女は部屋の中央で大の字となって倒れている少年を、見つけた。
「桜庭……」
天を見つめるように、天井を見上げていた誠次は、声だけで誰が来たのかが分かり、怠い身体の上半身をどうにか上げる。
「どうしたの!? 大丈夫!?」
誠次の周囲には、抜刀された一対のレヴァテイン・弐が転がっており、この焼け跡の中でもそれらは、傷一つも燃え痕一つもついてはいない、綺麗な姿形を保ったままであった。
「大丈夫だ……。ただ、大丈夫どころじゃないところが多々ある……」
「それって大丈夫じゃないでしょ!?」
駆け寄ってきた桜庭がレヴァテイン・弐を持ち上げ、誠次に手渡す。
「焦った……。会いに来たら、いきなり真っ黒こげの中で倒れている人がいるんだもん」
「朱梨さんが強すぎたんだ……。本気のあの人に、しばかれた……」
誠次は「拾ってくれてありがとう」と言いながら、レヴァテイン・弐を鞘に納刀し、とほほと言う。彼自身にはところどころ、黒ずみや埃の汚れがついてしまっていた。まだまだ特訓は完ぺきではない。
誠次は鼻の下を擦りながら、隣に座った桜庭に視線を向ける。
「あれ……桜庭」
「なあに?」
黒い瞳を瞬き、誠次は桜庭の頭部を見る。
「髪、伸ばしているのか?」
「あ……さすがに気づいた?」
一学年生の頃はショートヘアーであったはずの桜庭の髪型は、二学年生に入り、長く伸びているように感じた。
「イメチェン中かな……普通こう言うのって、髪をばっさり切ったりするものだけど……ね……」
紫がかった髪をそわそわとしながら触り、体育座りをする桜庭。こうして二人きりで話すのは、ずいぶんと久しぶりな気がしていた。
「どうしたんだ?」
「なんか話ししたくて」
「……そうか。俺も、桜庭とは話しておきたかった」
VR機能で夕日の砂浜等と言った、粋な空間にすることもなく、無機質なタイル床が広がる部屋の中で、声は程よく反響する。
最近の学園生活事情のあれこれや、近づくテストのことなど、世間話をする。そうして話の内容は、やはりと言うべきか、自然とそちらの話になっていた。
「付加魔法も最後の一人ってところまできたんだね」
「ああ。伝承通りならば、九人目で終わりのはずだ」
「最後が私って、今さらだけど、少し荷が重いよ……」
桜庭が膝の上に顔を添えて、こちらを見つめ上げる。
「それでも俺は、桜庭以外には考えられないと思っている。その、最後の一人は……」
「なんか言い方、厭らしい」
「確かに、厭らしいな……」
桜庭にジト目を向けられ、誠次はしまりがなく後ろ髪をかく。
「なんだか桜庭と話していると、普通の高校生の会話をしているようだ」
「なにそれ。別に私たち、普通の高校生同士だと思うけど?」
「少し違うさ。何よりも、俺は周りと比べても」
背中と腰にある剣。そして、多くの戦いを乗り越え、今また一つの大きな戦いを乗り越えようとしている者。そんな普通ではない男子高校生な自分であるが、不思議と隣に座る少女と会話をしていると、自分の素が出ているような気がした。気がするではなく、実際にそうなのだろう。
「でも、良いことだと思う。帰るべき場所があると言うのは、有難いものだ」
「クラスメイトとして、ずっと見ていたけど、まさか特殊魔法治安維持組織と全面対決することになるなんてね。昔の天瀬が聞いたら、そんな馬鹿なっ、って言いそう」
「憧れていたからな……。俺もこうなるなんて、思ってもみなかった」
少しばかりの寂しさと切なさを漂わせ、誠次は言う。
「他のみんなは?」
「今は特訓の最終調整をしている。そして、家族への報告も。俺には言うべき家族もいないし、いるとすれば八ノ夜さんだ。まあ、あの人がフレースヴェルグの発足人でもあるから、別にしなくても」
「そっか……」
桜庭はそこまで聞くと、自分の両脚を身体に寄せ、抱き締めるようにぎゅっとする。
「帰るべき場所、か……。私の付加魔法は、まだ出来ていないけど、せめて天瀬のそういう所には、なりたいな」
例えば、と桜庭がこんなことを言う。
「天瀬が剣術士じゃなくて、普通の男子高校生、天瀬誠次くんとしていられる場所、とか?」
「それってつまり、どういうことだろう?」
「ええ!? そっちが先に言ったんでしょう!?」
桜庭にツッコまれ、思わず二人して笑ってしまう。それは即ち、こういうこと、なのだろうか。
「あのさ、天瀬」
やや間を置いて、桜庭は青線の上履きをそっと触りながら、視線を落としてこのような事を言いだす。
「もしもだよ……本当にピンチの時とか、どうしようもない時は、お願いだから、私以外の娘から、付加魔法を受け取って」
広く、それでいて味気ないタイル張りの演習場に響く声で、誠次は反論しようとするが、桜庭は悔しそうに口端を噛み締めている。
そんな事は無いと、言うのは簡単であるが、実際問題として誠次の中の意識では、あくまでも女性の感情を優先するべきと言うのが実情だ。こちらが無理やりに付加魔法を求めるなど、本来してはいけない事のはずである。
「もしもの時は、そうするしかない場合が来てしまうかもしれない……。その……桜庭以外の女性から、最後の付加魔法を受けとることになってしまう時が」
「うん。一番は天瀬やみんなの安全だから。それを優先してほしいんだ」
桜庭が笑顔を覗かせて言う。だが、その声音には、やはりどこか悲しいものを感じずにはいられなかった。
「……そんなことを起こさないようにするのが、このフレースヴェルグの特訓だ。大丈夫。俺、昔よりも更に強くなったんだ。桜庭のことも、みんなことも、守ってみせるよ」
「天瀬……」
桜庭が微笑む。今度の笑顔は、嘘偽りのない、ひたむきな感情によるものだ。
「気になることを一希が言っていたんだ。彼も魔剣の最後の力までは解放できなかったらしい」
「星野くんも、そうなんだ……」
大阪で出会った男子の事を思い出したようで、桜庭は思い出すようにしていた。
「だからやはり、桜庭がいけないわけではないと思うんだ」
「そう、なんだ……。あ、でも、私より後のクリシュティナちゃんやティエラちゃんは、すんなり出来てたよね?」
「あ、確かに。そう考えると、順番が問題と言うわけではなさそうだ」
桜庭の時より来る鋭い指摘に、誠次は顎に手を添える。例えばの話、香月が最初ではなく何番目か、それこそ最後の一人であったとしても、能力は解放出来る事だろう。一希のレーヴァテインの能力とすり合わせても、時間停止に空中歩行や空間切断や高速治療等、ここまでぴったり一致しているし、最後の能力だけがやはり、異質なのだろう。
「――って、自分で言っておきながらそれってやっぱり私が駄目ってことじゃん! 凹むなぁ……」
「ははは。でも、それだったら一希が言っていた通り、いっそのこと解放しない方がいいのかもしれない」
「私の事をそこまで思ってくれるのは、嬉しいけど……」
桜庭も誠次と同じように、悩み、考えている。
「もう一つの線としてあるのは、やっぱり私の魔力不足かな……」
「……」
誠次は微妙に否定しきれず、口ごもる。
そうすると桜庭は頬を膨らませ、誠次の背中をぽんと叩く。
「ちょっともう! そこは否定しないの!?」
「あ、ああ……。す、すまない……」
「まあ事実ですし! 凹んでませんし!」
桜庭はぷいとそっぽを向いてしまう。
誠次はそんな桜場の横顔をじっと見つめ、穏やかに微笑む
あははと笑う桜庭に、誠次も苦笑していた。
「……気分を変えて、また世間話でもするか?」
「うん。そうしよ? 私はどちらかと言えば、そっちの方が得意だし、好きだし」
決戦を前に、誠次と桜庭は他愛ない世間話をしていた。
しかし、その時間も、すぐに終わりを迎える事となる。
誠次の電子タブレットに着信が入ったのだ。桜庭と目を合わせ、誠次はその着信を確認する。
メールの相手は、フレースヴェルグの学生組リーダー志藤であった。
【天瀬。父さんが目を覚ました。――いよいよだ。一度みんなで集まって話をしたい】
と、書かれていたメール文を読んでいると、ホログラム画像越しの桜庭と目が合う。
「行ってくる。みんなを頼むよ」
「うん。頑張ってね。ファイト!」
「ありがとう、桜庭」
立ち上がり、演習場を後にする誠次を、桜庭は見送っていた。
~作者、総集編を見て今さらながら鬼〇の刃にハマる。尚、推しは今のところ、義勇さん~
「よし、全員揃ってくれたな!?」
そうすけ
「準備万端!」
なおき
「いつでも行けるぜ!」
ともひろ
「俺に任せろ!」
みきや
「いや誰だお前ら!?」
そうすけ
※志藤のルームメイトです。




