13 ☆
「このメダル……少し消毒液の匂いがするな。……抗菌仕様か!」
るーな
早朝から始まった魔法学園同士による体育祭も、最終種目を終え、閉会式を迎える。各競技の合計点。勝者と敗者という、大会の結果が、いよいよ発表されるのだ。
夕暮れの空の彼方に、カラスたちが飛んでいく中、鳥の巣の緑の芝上では、白と黒のジャージ姿の魔法生たちが、整列をしていた。開会式の時でもあったが、改めて。本来は緑色の芝が広がるスタジアムには、総勢千を優に超える白と黒の魔術師たちが、綺麗に整列している様は、観客席から見れば圧巻である。
スタジアム内に浮かび上がるホログラムには、両校の合計獲得点が、これから表示される予定だ。
「最初からハイペースで得点を重ねてきたヴィザリウスに対し、棒倒しで怒涛の巻き上げを見せてきたアルゲイル! そしてそこに最終種目の獲得得点も加算された結果、勝者は――!」
ミシェル山本が、用意された壇上の上に立ち、結果を発表する。
「総合点は16'257点ヴィザリウス。15'985点アルゲイル。よって今年度体育祭は……ヴィザリウス魔法学園の勝利だぜッ!」
「「「よっしゃーっ!」」」
自学校の勝利を知り、白い学園指定ジャージに身を包んだ魔法生たちが喜び合う。男子はガッツポーズを決め、女子は友だちと手を取り合い、歓喜する。
「ま、負けた……」「悔しいけど、仕方ないか……」「みんな、よくやったよ」
アルゲイル側も、悔しそうにではあるが、負けを認めていく。中には泣いてしまっている生徒もいたが、周りが支えてやっていた。
「諸君。今年は例年にない接戦であった! 見事な戦いを繰り広げてくれた者同士、握手をして欲しいッ!」
感極まって涙ぐんでいるダニエルの言葉は、流石に微妙な表情をされていたのだが。
「それでは、諸君の中でもさらに活躍をした、栄えあるMVPのみんなを紹介したい! 各学園の為に活躍をしてくれた者たちを、どうか温かい拍手で讃えてほしいっ!」
面白かったで賞や、頑張ったで賞や、よくやったで賞。それら全てもポイントとなり、両校のポイントとなって加点された。中でも、最優秀選手賞、すなわち、真の意味でのMVP賞に輝いたのは、ヴィザリウス魔法学園所属のルーナ・ヴィクトリア・ラスヴィエイトであった。
「例年通りならば表彰状に立ってもらうのであるが、今年は事情があり、表彰状とメダルの授与は省略させて頂く!」
閉会式に参加している魔法生の中では、一体なぜだろうか、と思う者が大半だろう。最終種目で起きた一幕を知るものは、そう多くはない。
会場のアナウンスが微かに聞こえるスタジアム内のロッカールームでは、数名の教師と魔法生、そして元国家実力組織の面々が集まっていた。
「――以上が、最終種目で起きていたことの実幕です」
競技から生還し、長谷川翔が代表として、教師陣へ事の天幕の説明をしていた。彼の背後には神妙な面持ちを浮かべる誠次も立っていた。
「つまり、特殊魔法治安維持組織が一般人を使い、魔法学園の学生を傷つけたってことか……。下手をすりゃ、もっと負傷者が出てもおかしくはなかった」
正義と秩序を司る国家公認の組織が、悪事を働くようなものであると、報告を聞いた林もさすがに絶句をしているようだった。
「元テロリストと特殊魔法治安維持組織が手を組んで魔法学園の体育祭にちょっかいかけるとは、いよいよ終わってんな……」
「しかし事実として奴らはいよいよ、こちらに仕掛けてきました」
「具体的な狙いはなんだ?」
「やはり、反抗勢力の壊滅かと。今の新崎率いる特殊魔法治安維持組織に反対する者の弾圧が、奴らの狙いでしょう」
フレースヴェルグリーダー、影塚が言う。
「奴らの考えを考察するに、直接手出しは出来ない立場にある以上、戸賀彰を利用して、俺たちに警告、或いは宣戦布告をしてきたのだと思います」
「……まさか、関係のないヴィザリウスとアルゲイル魔法学園の魔法生をも巻き込むつもりなのか……っ」
誠次が歯軋りをし、右手で握りこぶしを作る。
「アイツなら……新崎なら、やりかねません……。そんな男です……」
そう言ったのは、霧崎であった。
彼はどこか残念そうな顔をし、それを伏せ、振り向いて行ってしまう。
「……っち」
林もまた、悔しそうに俯き、行き場のない怒りをどうにか鎮めようとする。
当然、大切な後輩を嵌められ、そして殺された彼にも、今の特殊魔法治安維持組織に対して怒り心頭であろう。それをあくまで最小限の感情として表に出さないのは、ニヒルな彼らしいところである。
そんな彼を慰めたのは他でもない、共に大切であった人を失った影塚であった。
「林先生……。お気持ちは察し致します。僕も、大切な人を失って、自分すらも見失っていました。しかし今度は間違えません。林先生、あと少しの辛抱です。僕たちに、任せてください」
影塚の言葉を聞き、林はハッとなり、胸元の赤いよれよれのネクタイをそっと触る。
そして、自嘲するような微かな笑みを浮かべて、顔を横に振る。
「……なに、待つのには慣れてるさ。今じゃもう先に進むこともなくなった……。お前らが影で何をしているのかは分からねえが、信じるさ。アイツの部下なんだ。少なくとも、俺よりは真面目だろうしな」
林はそう言うと、影塚の肩をぽんと叩き、背を向けて行った。
「……っ」
思いを託された影塚は、青い目を微かに見開き、それを細める。
「怪我をしてしまった魔法生たちの治療へは、今は茜や澄佳さん雨宮さんたちがやってくれている」
「俺たちは特訓を仕上げないとな。こうなったら予定よりも早く詰め込まないと、間に合わないっつーの。決戦の時はそう遠くはないはずだ」
南雲が両手を頭の後ろに回して、何気なく言っていると、翔がきょとんと首を傾げて、誠次を見る。
「凄腕の彼らでも、まだ特訓が必要なんだな」
「え、あ、それは。えーと……」
答えに困る誠次を見て、影塚と日向が肩を竦め、南雲がしまったと、バツが悪そうな顔をしていた。
「まったく貴様は、現役時代から機密保護がなっていないな……」
「ついうっかりだっつーの……」
日向に睨まれ、南雲は苦い表情を浮かべていた。
部屋の外に出ると、通路脇に設置されてあるベンチに、霧崎が座っていた。
「霧崎さん」
「天瀬くんか。途中で退席して悪いね」
霧崎は顔を上げると、誠次を見た。
「先ほど、新崎の事をアイツと言っていましたよね? まさか、知り合いだったのですか?」
「知り合いもなにも、アイツとは同期だからね。自慢みたいになるけど、学生の時は、東の新崎、西の霧崎ってちまたでは言われていたこともある……らしい」
「ら、らしい……」
「ははは、二人ともサキだからね。Wサキでもいいか」
霧崎はのほほんとそんなことを言ったかと思えば、次には、神妙な表情をした。
「知っての通り、その後は僕も新崎も特殊魔法治安維持組織に入った。でもその前に、僕たちはすでに顔を合わせていたんだ。……そう、この体育祭の最終種目で、ね」
「まさか、当時アルゲイル魔法学園の学生だった貴男も、ヴィザリウス魔法学園の学生であった新崎も、あの最終種目に出場したのですか」
「うん。君は出場したから話しても平気だけど、競技内容は同じ、バトルロワイヤルだった」
霧崎は当時を思い出すようにして、スタジアム周囲を見渡して言う。
「その時に敵として遭遇した彼の実力は、圧倒的だった。それと同時に、狂気にも満ちていた」
「狂気?」
「味方をも構わず攻撃し、場を一人で蹂躙していた。助けを求める者さえ、一切の容赦はせず。間違いなく、彼は最強の魔術師であり、最恐の存在だった。そんな彼と特殊魔法治安維持本部で再会した時は、驚いたよ。彼の本当の姿を知っている身としては、尚更ね」
「貴男が特殊魔法治安維持組織を脱退した本当の理由とは、新崎が関係しているのでしょうか」
誠次は訊けば、霧崎は微かに瞳を大きくする。
「察しの通りさ。僕もまた、新崎を前にして逃げたんだ。もしも僕が特殊魔法治安維持組織に残って、新崎を止めていれば、こんな悲劇が続くこともなかったはずだ……。少なくとも、防げることもあった……」
霧崎は過去を悔やむように、唇を噛み締めていた。
「貴男のせいではありません……。全ては新崎が引き起こしている惨禍です。それに貴男は今、こうしてここに戻って、皆の為にその力を尽くして下さっています」
「……ありがとう天瀬くん。僕も責任を果たすために、夕島くんを最後まで面倒みて、鍛えるよ。そして、新崎との決着をつけないとね」
首を横に振る誠次に、霧崎は微かに微笑むと、立ち上がる。
「さて、僕はお手洗いに行ってくるよ。何をしようとしていたか思い出そうとしたらそうだった、友人に預けているペットの様子も聞いておかなくちゃ」
「は、はい」
やはり、どこか霧のように掴みどころがない性格をしている霧崎であった。しかし、彼もまた、信念を抱いて現場に舞い戻った、れっきとしたフレースヴェルグの一員である。全ては、この世界を変えるために。
「閉会式、終わったみたいか?」
霧崎と入れ替わるようにして部屋から出て来た翔と共に、誠次はスタジアムの通路を歩く。
「そのようですね。今頃スタジアムでは、両校の魔法生がバラバラに集まって、話でもしているのでしょう」
「正直、学校行事の式は退屈だからな。ばっくれられて良かったかもしれないな」
隣を歩く一つ年上の先輩である翔は、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「その対価が激しい戦闘では、どちらが良いか分かりません。それに、今の発言は生徒会元会計の優等生失格ですよ、翔先輩?」
誠次がジト目で問えば、翔はそれを受け流すように笑っていた。
「お互い様だな、剣術士。さ、安藤のおごりで飯でも食うぞー。せっかくの愛知だし、親子丼がいいな」
一息ついた翔は軽く伸びをしながら、愛知県名物の食事を楽しむそうだ。誠次もまた、名古屋コーチンの甘美な誘惑に惑わせられるが、黄金の輝きの誘惑を断ち切るようにして、首をぶんぶんと左右に振る。
「俺はルーナさんとティエラさんの容態を診に行かなければ。二人の事が心配です」
「そうか。守るものが多すぎるのも、考え物だな。あまり気負うなよ、誠次」
「ありがとうございました、翔先輩。先輩として、頼りにしています」
誠次は今一度翔に頭を下げ、彼を見送っていた。
その足で医務室へ向かった誠次は、部屋の入り口に立っている小さな少女の姿を見つける。少女と言うのは見た目だけで、その実こちらより一〇歳は年上のアルゲイル魔法学園の養護教諭、ミシェル・山本だ。
「お久しぶりです、ミシェル先生」
「ん。おー久しぶりだな。お前、結構有名人なんだな」
こうして直接会うのも、昨年のアルゲイル魔法学園の演習場以来であった。
ミシェルは一息つくようにして壁に寄りかかり、ガムらしきものをくちゃくちゃと噛んでいた。ついさきほどまでずっと、負傷した魔法生の治療を行っていたのだろう。
「中には入らない方がいいぞ。お前にやられたって思ってる奴らがいっぱいだ」
「そうですか……」
気落ちした様子で誠次が言えば、ミシェルは軽く微笑んで、誠次の肩を小突く。
「オレが言っておいてやるよ、心配すんな。それに、お前にはアルゲイルの奴を助けてもらった借りもあるしな」
「ありがとうございます。ところで、ルーナさんとマーシェさんは、ここにいますか?」
「あの二人だったら先に部屋に戻ってるぞ。治癒魔法が効いていて、軽症で済んだ」
そこまで言うとふとミシェルは、なにかを思い出したように、明らかに子供サイズの白衣のポケットに手を突っ込み、なにかをがさごそと取り出す。
「丁度いいや。お前、騎馬戦でルーナって奴と一緒に出場してたよな?」
「はい」
「アイツ、MVP賞のメダルをまだ貰ってなかったはずだ。お前、渡しに行ってくれないか?」
ミシェルが私服でもある白衣のポケットから取り出してみせたのは、黄金色に輝くメダルであった。丁寧にも、今年度のMVPを表彰する言葉と、ルーナのフルネームが刻まれている、精巧な作りのものだ。それがポケットからひょいと出て来た事実に、誠次はやや、驚いていた。
「わ、わかりました。ルーナさんの元へはお見舞いに行くつもりでしたので、渡しておきます」
ミシェルからメダルを受け取った誠次は、電子タブレットを起動し、ルーナへ連絡をかけた。
今から部屋に向かう事を伝えると、返信はすぐにあった。
「待っている、か……」
「お前、アイツと出来てんのか? ロシア美女とは、やるじゃねーか」
気がつけば、ミシェルがちんまい背丈をめいいっぱい背伸びさせて、誠次の手元の電子タブレットを覗き込もうとしていた。
誠次は顔を赤く染めて、慌てて身を引く。
「た、大切な人、です」
「あ、悪ぃ悪ぃ。野暮な真似だったか」
ミシェルはバツが悪そうに笑うと、誠次の背を押していた。
「オレがアルゲイルを代表して礼を言うぜ、剣術士。犯人を見つけてくれて、ありがとな」
「俺の一人の力ではありません。皆のお陰です」
「そっか。早くお姫様の所に行ってやれ」
お姫様。おそらくミシェルは、ルーナの出自を知ってはいないが、騎馬戦での姿でそう捉えたのだろう。
誠次は「はい、行ってきます」と返事をして、彼女が宿泊しているホテルの部屋へと向かった。ティエラも、ルーナと同じ部屋にいるとのことだ。
綺麗な茜空を背に、スタジアムを後にした誠次は、ヴィザリウス魔法学園側の選手が宿泊しているホテルへと戻る。すでにスタジアムからホテルへと戻って来ている魔法生もおり、2-Aのクラスメイトもエントランスロビーで集まっていた。
「だから、勝てたのはみんなのお陰だ。ありがとうな」
そこではクラスの体育祭実行委員の神山が、共に戦ったクラスメイトたちに礼をしているところであった。
彼が、横を通る誠次に気づく。
「お、天瀬。この後みんなで打ち上げするけど、お前も来いよ」
「すまない。ルーナさんとマーシェさんの所に向かわなければ。最終種目で、ちょっと怪我をしてしまって」
「最終種目って、結局なんだったのー?」
クラスメイトの女子が訊いてくる。
うっかり口を滑らせかけた誠次だったが、軽く首を横に振り、微笑んで誤魔化す。
「巨大迷路に閉じ込められてしまった」
「それまんまアレじゃん。ウケる」
笑われながら、クラスメイトの集団を通り過ぎそうとした誠次の背後に、ぼそりと、神山が声を掛ける。
「ありがとうな、天瀬。俺よりもきっとお前は、ヤバい体験をしてきたんだろう。俺にはこれくらいがちょうどお似合いだよ」
やや立ち止まりかけた誠次は、口角を上げて、答える。
「でも、クラスメイトのみんなが喜ぶ顔を見られるのも、悪くはないだろう? みんなの為に何かが出来たら、やり甲斐はあったはずだ」
「やり甲斐か……。確かにそうかもしれない」
神山も軽く微笑み、改めて、クラスメイト達の元へ向かう。
誠次もまた、体育祭を共に戦った仲間の元へ、急いで向かっていた。
ルーナとクリシュティナとティエラが共に宿泊する部屋の通路に、ティエラが一人で立っていた。
「ティエラ」
誠次が声を掛けると、彼女はこちらに気が付き、駆け寄ってくる。
「誠次。ルーナが、ルーナがっ!」
どこか切羽詰まった様子のティエラに、誠次も慌てる。
「ルーナがどうかしたのか!?」
「私にマッサージサービスを予約してくださったのです! あのルーナが、私を労おうと!」
「え……」
初日に自分が受けることが出来なかったホテルのマッサージサービスを、ルーナがわざわざ予約して、それをティエラに受けさせようとしている。そのことに、ティエラは感動しているようだ。
とりあえず容態が悪化したことではなかったことに、誠次が内心でほっと安堵していると、部屋の中からクリシュティナも出てくる。
しっかり者の彼女がいるのであれば、ルーナもティエラも共に安心だろうと、誠次がさらにほっとするが、当のクリシュティナの表情はどこか、してやられたかのように苦虫を噛んだようなものだ。
「やりますね姫様……。私と偽ルーナにマッサージを受けさせて、誠次と二人きりの時間を作るとは。やはり、初日の事を根に持っているようですね……。ご厚意を無下には出来ませんし……」
ぶつぶつと呟いているクリシュティナは、どこか妥協するようなため息を一息つくと、ティエラの隣に立つ。
「誠次。ルーナの看病をお願い致します。私とこの偽ルーナは、今から共にマッサージサービスを受けに行きます」
「だから偽ルーナと言うのはやめていただけませんか!? この意地悪メイド!」
「ちょっと待ってくれクリシュティナ。マッサージサービスって普通嬉しいものだよな? なんでそんな乗り気ではなさそうなんだ……?」
「してやられた、と言いましょうか。ルーナには一本取られました。ともあれ、体育祭には勝利出来て良かったです」
よく分からない言葉をクリシュティナは告げてから、それでも、クラスの一員として勝利出来たことに、喜びを感じているようだ。
「ティエラ。俺の到着まで、ルーナを守ってくれてありがとう」
続いて誠次がティエラに礼を述べると、彼女は嬉しそうに、胸に手を添えた。
「大国クエレブレ帝国皇女として、当然の義務を果たしたまでですわ。何よりもルーナには、あんなところで倒れてもらっては困りますもの」
いつの日にか、きちんと決着をつけるために。
ティエラはロシア時代から続く因縁の友情による義理を、果たしていた。
そんな彼女の誇り高い横顔をじっと見つめていたクリシュティナは、彼女に声をかける。
「さあマッサージに行きますよ、偽ルーナ。借りにもあなたが一国の姫を名乗るであれば、12時間耐久マッサージで、はしたないよだれを垂らしながら寝ないで下さいね?」
「何を仰っしゃりますか、意地悪メイド! あなたこそ、だらしのない寝息をたてないでくださいませね!?」
やんややんやと言い合いながらも、二人の仲は、練習初日当初よりは深まっているはずだ。
二人は横並びで歩きながら、通路の先へと向かって行った。12時間耐久マッサージなるメニューがあるということに、驚いていたのは内密だ。
一人残った誠次は、ルーナが待つ部屋のドアをノックしてから、中へと入った。
「ルーナ。俺だ、天瀬誠次だ」
部屋の中は薄暗いが、温度は適温だ。すぐ先程までクリシュティナとティエラがいたので、当然といえば当然だろうが。
「誠次」
部屋の奥の方から、ルーナの声が聞こえた。いつの間にかに日は完全に沈んだのか、締め切られたカーテンの奥は青黒く染まっており、仄かな月光のみが差し込んでいた。
誠次はルーナの声を頼りに、部屋の奥の方へと歩いて向かう。寝ている彼女のため、電気はつけなかった。
「すまなかった、ルーナ……。俺がもう少し早くに駆けつけていれば、君が傷つくこともなかったはずだ……」
謝罪をしながら、誠次はベッドの上に横たわるルーナの真横で立ち止まる。
布団を被る彼女は寝返りをうって、こちらを見つめ上げた。コバルトブルーの瞳は、薄暗くても綺麗に輝き、また鮮明な印象を受ける。
「平気だぞ、誠次。それに、事情は長谷川先輩から聞いた。アルゲイルの後輩を救助したのだろう?」
ルーナの声音は優しげで、苦しそうではない。ひとまずはそのことに安堵した誠次は、彼女が横たわるベッドの横に椅子を持ってきて、その上に座る。
「翔先輩が話してくれたのか……」
「ああ。いつもの君らしく、守るべきものを守った結果なんだ。どうして私がそれに不満に思おうか」
「だがそれで、守ると誓ったものを傷つけさせてしまった……。翔先輩の言うとおり、全てを守ることは、難しいものだ……」
誠次がやや俯きながら言葉を発すると、横たわるルーナは軽く微笑み、こちらへ向けて左手を伸ばしていた。
「誠次……私はこうして今も君の傍にいる。それは私の望みでもある。君が私の事を守ってくれるからこそ、私はこうしてここにいられるんだ。大切な、ヴィザリウス魔法学園の友だちたちと共に」
笑顔となったルーナがそう言えば、誠次は申し訳がなく、頷いていた。
「君の容態を気遣うはずが、逆に気遣わされてしまうとは。つくづく俺は、まだまだ未熟だと痛感させられる」
誠次はそう言って、ルーナへと手を伸ばし、月光を浴びて淡く輝く白銀の髪を、そっと撫でていた。彼女の髪は絹のように滑らかで、手入れも行き届いている。触っているこちらの方が心地よいとすら感じるものだ。
「ありがとうルーナ。礼を言うのは俺の方だ。君がこの体育祭で俺を競技へと誘ってくれた。そのお陰で、こうしてまた一つ素晴らしい思い出ができたし、強くもなれた」
「誠次……私こそ……」
髪を優しく撫でる誠次の手を堪能するように、ルーナは心地よさそうな表情を浮かべる。
「お疲れ様。今はゆっくり休んでくれ、ルーナ」
誠次がぼそりと告げると、彼女の目の前に、そっと、ミシェルから預かったメダルを差し出す。
「誠次それは……?」
コバルトブルーの瞳を輝かせ、ルーナは金色のメダルをじっと見つめている。
「おめでとうルーナ。これは君のものだ。これは君が頑張った何よりもの証であり、努力の結晶だ」
「嬉しいな……。まさか私が、このような物を貰えるなんて。名誉だ……でも」
ルーナはメダルをそっと触ると、次に、誠次を見た。
「本来これは、私よりも君が貰うに相応しいものではないか?」
「何を言うルーナ。騎馬戦や最終種目の君の活躍があってこその、ヴィザリウスの勝利だ。君こそがMVPだ」
誠次はそう言って、ルーナの首にメダルを下げてやろうかと思ったが、ここへ来てようやく気がついた。
それはルーナが、一糸纏わぬ姿で、布団の中にいたという事であった。綺麗な白肌のうなじがある首の下から続くなだらかな稜線に、思わずピタリと止まった誠次は、咄嗟に身を引いていた。
「誠次……? どうしたのだ……?」
「い、いや、なんでも、ない……っ。その……本当におめでとう……」
「あ、ありがとう……」
ルーナが不思議そうにしているが、一体どうして裸なのだろうかと、後退った誠次はしばし考えに考えていた。
「クリシィもティエラも、夜明けまでは帰ってこない。今日はずっと一緒に居てくれるのだろう、誠次?」
このタイミングで、ルーナからはそのような事を言われ、誠次は頷く以外に出来なかった。
話の内容は、襲撃してきた戸賀のことについて、移り変わる。
「テロリストの構成員であった戸賀を預かったのは新崎和真、今の特殊魔法治安維持組織局長だ。となればやはり、戸賀は特殊魔法治安維持組織についているのだろう……」
「あそこまで君を執念深く狙っていたのは一体なぜ?」
ルーナにコバルトブルーの瞳を向けられ、誠次はやや気まずく、後ろ髪をかく。
「戸賀も昔は香月と同じ巨大収容施設で暮らしていたんだ。東馬迅が運営と管理をしていた、テロリストの構成員を生む場所で」
「そうだったのか……」
「それで香月に惚れていたらしくて、大阪で出会ったときには、俺が香月を守ると言ったら、怒ってきたんだ」
誠次が真剣な表情で説明をしていると、ルーナが興味津々そうにして、当時の事を詳しく訊いてきた。
誠次も誠次で、懐かしく感じながら、一年前の戦いのことをルーナに話していた。その後の、特殊魔法治安維持組織本部で再会したことや、文化祭での出来事のことも。
「――文化祭にも来てくれて、戸賀にだって自由に生きることができる権利はあるはずだ。テロの呪縛から逃れたのに、今度は特殊魔法治安維持組織につくだなんて……」
「誠次……」
ルーナに声をかけられ、うつむきかけた誠次は「分かっている」と言い、すぐに顔を上げる。
「もちろん、ヴィザリウス魔法学園のみんなや、君を傷つけたことは許しがたい事態だ。しかし、なまじ同じ剣使いとしては、同情する気持ちもどうしても生まれてしまう。本心ではなく、彼が操られているのならば、なおさらだ」
「迷うことはない、誠次。私は君が必要としてくれれば、いつでも魔法を貸そう。君が剣を振るう理由は、いつだってきっと正しい事なのだから。それが、あの男と君の、剣を持つもの同士の明確な違いではないのか?」
「傷つける為ではなく、守るために剣を振るう、か。ありがとうルーナ。確かにルーナの言うとおり、俺と戸賀の違いはそうなのだと思う」
先程からルーナには励まされてばかりだ。それが一国の長たる姫君として生まれ持った素質と言われればそうだと納得せざるを得ないが。
「影塚さんや本城さんも言っていた。僕たちは、十分すぎるほど待ったと……。これ以上の犠牲を生まないためにも、俺たちはやられる前にやる必要も、出てきた。いよいよ、戦いの時は近い……」
椅子の上で両手を握り締め、誠次は呟く。
「戦士にも休息は必要だ、誠次。今はこの体育祭の勝利の喜びを、共に分かち合おう」
あくまで穏やかなルーナの言葉に、誠次も疲労困憊となった身体を自覚する。あくびも、時より出るようになっていた。
「何から何まですまないルーナ。今は君の見舞いの為に、ここにいるんだ。夜が明けるまでは、傍にいるよ」
「その後もずっと傍だ。そうだろう、誠次? 大切な私の騎士」
「ルーナ……」
眠気と今のルーナの姿にあてられ、誠次は彼女が眠る布団に吸い込まれてしまいそうになる。
しかしどうにか己を律し、ルーナの髪を再び撫でるのに留まった。全ては、続く戦いへ勝利の為に。長く続いた因縁を、終わらせるために。
窓の先から微かな風がそよぎ、閉じきったカーテンを揺らし、誠次の髪を優しく撫で返した。
それが本当に風によるものか、或いは、目の前に横たわる女性の手つきによるものか、戦いを前に穏やかに微睡む剣術士にとっては、定かではなかった。
※
アロマの心地よい匂いが漂うエステルーム。そこには、女性マッサージ師から丁寧なマッサージを受けるクリシュティナとティエラが、間隔の開いたベッドの上で隣同士で寝転がされていた。
「だ、駄目です……。寝てしまうわけには、いきません……。起きて、お部屋に戻らなければ……っ」
メイドたるもの、主君の待つところに迅速に戻らずしてなんと言えよう。そうと考え意気込むクリシュティナであったが、背中や足に奔る快感に負け、うっとりと目を細めてしまう。
「そうですわ、メイド……! 今頃ルーナは、誠次を独り占めして、チョメチョメしているんです! 早く、戻ったらどうです!?」
ティエラもまた、全身を揉みほぐされながら、嫌な笑みをクリシュティナへと向けていた。
「ご冗談を……! 誰が貴女より先に起き上がるものですか。貴女こそ、そこでそのまま寝てしまって、夢で出てくる誠次に振られてしまえばいいのです!」
「なんて悪質な嫌がらせですの!? 」
等と言い合う二人の少女を、マッサージ施術者の女性たちは、どこか切ないものを見るような眼差しを向けて、全身のコリ解してやっていた。マッサージ師からすれば、二人の会話の情報だけによると、誠次という男が女性にだらしがないチャラ男だと、印象付けられるようなものだ。
そしてお互いに言い合えば言い合うほど、睡眠への時間が早くなるのは、目に見えており、結局。
「むにゃむにゃ……。白虎はお利口さんですね……」
「うう……もう、鰻は、結構ですわ……にゅるにゅる……」
クリシュティナとティエラは、お互いの顔を向き合わせ、うつ伏せの姿勢でぐーぐーと眠っていた。
~溢れ出る母性?~
「ったく、俺は別にお前に飯を奢るとは言っていないぞ」
あんどう
「しかもこんな高そうな店に行きやがって……」
あんどう
「コース料理の親子丼って、聞いたことあるか!?」
あんどう
「普通単品だろ!」
あんどう
「うるさいぞ、安藤」
しょう
「俺たちももう大人なんだし」
しょう
「食事の席での節度ある佇まいは持ち合わせるべきだ」
しょう
「優等生は言うことが違うな」
あんどう
「ま、美味い料理に文句はねえ」
あんどう
「さすがに餓鬼みたいだったか」
あんどう
「……」
しょう
「……そんな思いつめた顔するなよ」
あんどう
「えっ?」
しょう
「せっかくの美味い飯が不味くなる」
あんどう
「なに考え事してるんだ?」
あんどう
「いや、ただ……」
しょう
「昔憧れていた先輩のように、今の俺はなれたのかなって思って」
しょう
「後輩の為に、なにかしてやれたのかと、思ったんだ」
しょう
「これだから優等生は……」
あんどう
「馬鹿にするな。こっちは真剣だ」
しょう
「そう考えてる時点で、もうなれてんじゃねーの?」
あんどう
「俺なんかそんな事、考えたこともなかったわ」
あんどう
「……確かに、普通はそうかもな」
しょう
「親子丼を食っていたせいで」
しょう
「つい親と子のような目線になってしまってた」
しょう
「さ、食うぞ! 奢ってくれてありがとうな」
しょう
「なんで、親目線……?」
あんどう
「もぐもぐ……なんか言ったか?」
しょう
「な、なんでも!」
あんどう




