4 ☆
「最近、香織がまた嬉しそうにしていたが、なにかあったのか?」
あかね
午前の部最後の第二種目、障害物競争。前の競技の100メートル走が、シンプルに純粋な脚力を競争する競技であるのならば、障害物競争には多くの搦手が必要となる競技だ。スタジアムのトラックを一周分使い、道中様々な障害を乗り越えて、一位を目指す。
志藤と聡也がそれに出場するため、誠次と悠平と真が観客席から応援を送る。
「どんな障害物が出てくるんだろうな?」
「パン食いとかか?」
「飴玉探しもありますね」
「なんで食べ物系ばっかなんだ……?」
悠平と真が言い合う隣で、誠次がそっとツッコむ。
「お、いきなり志藤の出番か」
誠次が空中に浮かぶホログラム画像を確認して、呟く。第一走者から、いきなり志藤の出番であったのだ。
その志藤は、スタジアム内の選手用控室で、自身の出番を備え付けのテレビで知らされることになる。そう、障害物競争はその競技の目玉でもある障害物を予め知られ、対策されないように、出場選手はまず全員控室に集められ、実際に自分の番になるまでどんな障害が待つのか分からないようになっている。
「お、ヤベ、いきなり俺か」
館内放送でも自分の名が点呼され、志藤はジャージを脱ぎ、それを共にいた聡也に一旦預けた。
「じゃ、さくっと行ってくるわ、夕島。お互い頑張ろーぜ」
「ああ、志藤。必ず勝ち上がって来い。……決勝で待ってる」
横を通り過ぎる瞬間、聡也にそんなことを言われる。
志藤は手首を軽く振りながら、通路と階段を進み、スタジアムへと向かう。その傍ら、どうしても、聡也に言われた言葉で引っかかることがあったのだ。
「いや……。決勝って、なに……?」
緊張すら感じるほどの大歓声を浴びながら、志藤は数名の魔法生らと共に、レーンへと進む。
「頑張れーっ! 志藤ーっ!」
2―Aのクラスメイトたちがいる方を見れば、みんなが応援を寄越してくれていた。
比較的席におとなしく座っている女子の前の方では、男子たちが陣取り、中でも目立つ友人たちの姿が、最前列にいた。
「うぃす」
志藤はそれに応えて軽く片手を上げ、スタート位置につく。
(取り敢えず目につくのは……平均台か。なんだ、ひょっとして、結構ショボ目か?)
その場で屈伸をしつつ、志藤は内心で思う。隣に立つアルゲイルの魔法生選手も、何処か流すかのように、軽く手首をふらふらさせていた。
『さあ野郎ども! 準備は良いか!?』
アルゲイル魔法学園の養護教諭、ミシェルの声が鼓膜を震わせる。あれでは見学に来ている親が心配しないのだろうか。
そんな些細な疑問を頭の隅に追いやるようにして、志藤は微かに息を吸う
『障害物競争、始めっ!』
ミシェルの掛け声の直後、スタートのサイレンが鳴り響く。
歓声を背に、走り出した志藤は、難なく平均台の上を走り抜ける。バランス感覚は抜群であった志藤が、いきなりトップへと躍り出た。
(次はなんだ……っ!?)
志藤は前方に見える障害物に目を凝らす。
『さあトップに出やがったぞヴィザリウス魔法学園の志藤颯介! 次の障害は、なぞなぞだっ!』
待ち受けていた座席に、志藤は大人しく着席せざるを得なかった。
「なぞなぞって、テンポ崩れるなおいっ!」
やや息を切らしながら、志藤は目の前に浮かんだホログラム画像を睨む。
『じゃあ問題だ! 葉ものと呼ばれ、主に鑑賞目的で栽培される植物の種類をカタカナでなんと言うか――!?』
「刃物だと!?」
志藤への出題に、観客席に座る誠次がピクリと反応する。
「それはちょっと違うんじゃねえか……?」
悠平がツッコむ。
「植物の種類の名前だなんて、難易度高すぎませんか……?」
博識な真までも首を傾げる難問だった。確かにこれでは、とても志藤もわからないであろう問題だ。最近流行りの音楽のことならともかく、ガーデニング関係のことなど――。
「――カラーリープランツ」
『せ、正解だっ! テメエそんな風貌でガーデニング好きとか、やるじゃねえか!』
「余計なお世話っスよ!」
まさかまさか、志藤は即答し正解。頭上から降り注ぐミシェルの野次にも答え、次の障害物へ向けて走り出す。
※
「……ふ。世間話も、たまにはするものだな」
三階席に座っていた日向が、大型モニターに映るトップの志藤の善戦を見つめ、ほくそ笑む。
「ああなるほど。日向の入れ知恵と言うわけか」
自分も分からなかった難問を見事言い当てた志藤を見つめ、感心したように影塚は呟く。
二人は相変わらず、隣同士に座っている。先に立ち上がるつもりなど、毛頭ない。その瞬間に、二人の無言の戦いのうちの勝者と敗者は決まるのである。
「……」
「……」
そうしてまんじりともせずに隣同士に座る、かつての魔法学園時代の同級生であり、同期二人の後ろ姿を、やや離れたところから、二人の女性が見守っていた。
私服姿の波沢茜と雨宮愛里沙であった。一応二人共、政府直属の組織である光安に命を狙われたと言う前例があるので、サングラスに帽子とマスクと言う変装はこなしている。
「あの二人、本当に仲直りしたのか……?」
茜がぼそりと呟く。
つい先程は、妹の選手宣誓を一番近くで見ようと、最前線の席までカメラを片手に特攻してきたばかりだ。彼女曰く、とても立派で、逞しくて、輝いていたとのこと。茜が幸せそうなら、それでいいのかも知れない。
そんなことを思いながら、彼女の隣に座る雨宮は、内心でとある葛藤に苛まれていた。
(私の出身はアルゲイルだし、小野寺理さんと雛菊はるかさんに恩があるから、そっちを応援したいけど、同時にヴィザリウスのみんなにも助けられた……私は一体どちら側に立てば……)
一人思い悩む雨宮は、次第に俯いていく。
「また悲劇を繰り返すわけにはいかないのに……」
「何を言っている、雨宮……?」
「あ、いえ何でもありません、波沢さん……」
「まさか、どちらを応援すれば良いのか、迷っているのか?」
ぎくり。茜の鋭い眼差しと言葉を受け、雨宮は慌てて顔を上げる。
「は、はい。私は一体、どうすれば良いのか……」
「案ずることはない。自分の心に素直に従えば良いんだ」
「波沢さん……」
はっとなった雨宮が、波沢を見つめると、ずいと、なにかを押し付けられる。
それは波沢が手に持っていた、ヴィザリウス魔法学園側の白を基調とした応援グッズの数々。
――貴様も白に染まれ。
とでも言うような、茜の有無を言わさぬ迫力に、雨宮はごくりと息を呑む。
「私の真理が、行方不明……」
雨宮が天を仰ぎかけたその時、何やら会場で動きがあったようだ。
ヴィザリウス魔法学園二学年生代表として、トップをひた走る志藤の善戦を見て、日向の後ろ髪が風と本人の動きを受けて揺れ動く。
自身の教えを受けた少年が活躍している姿を見て、喜んでいるのだろう。彼のパートナーとして、相方として多くの任務を乗り越えてきた自分には、わかった。
「それにしても、学生時代を思い出すな」
隣に座る茜は腕を組み、微笑んで言う。
「今でも思い出します。一つ上の先輩だった貴女が、最終種目で無双していたのを」
「そう言えばそんなこともあったな。お互い、最終種目に選ばれた身だったか」
「あれは本当に怖かったですよ……。今でもあの時の波沢さんの姿は夢に出てくるんです……」
雨宮は身体を擦りながら、怯えるようにして言っていた。
「私はヴィザリウスの為に戦ったまで。保護者参加の部があれば、いつでも行けるのつもりなのだが……」
「保護者って、香織さんは妹ですよね? 立派な選手宣誓を行っていたような気が……」
雨宮が唇に手を添えながら、呟く。
「甘いな雨宮。私からすれば香織など、まだまだ子供だ」
うんうんと頷きながら、茜は得意げに言っている。
(この人あって、今の香織さんがいるのかな……)
手厳しいようであるが、その表情の裏にある愛情を雨宮はひしひしと感じ、微笑んでいた。
「……はっ。いけない。私たちは何のためにここにいる? 後輩たちを応援するためだ! 気は抜けないぞ雨宮!」
「は、はい!」
一転、鬼軍曹と呼ぶにふさわしい気合と覇気を身に纏い、茜は声を張り上げる。
一つ年下として彼女を慕う雨宮もまた、売り上げは全額寄付される応援グッズを両手に、グラウンド上で熱闘を繰り広げる魔法生たちを見守っていた。
※
一方で、志藤トップのまま、障害物走競技は続いていた。
(お次はなんだ!?)
続いての障害物まで、志藤は到着する。ここに至るまで、ネット潜りもこなしていた。
『次のお題は……借り物競走だーっ! 箱の中に入っているお題から、指定されたものを持ってこられたら、次に進めるぜ!』
「借り物競走か……!」
レーンの途中で、目の前の台座にある白い箱を前に立ち止まり、志藤は迷うことなく腕を突っ込んだ。ガサゴソと、箱の中から一枚の紙を取り出し、それを広げて見る。
空中撮影を行っていた小型ドローンも近づいて、志藤の手元を覗き込めば、その紙に書かれた文字がスタジアム内の大型スクリーンに映し出される。
『さあ現在トップを走る志藤への出題は……なんと――』
「す、好きな異性だぁっ!?」
志藤は絶叫する。確かに紙には、【好きな異性】と容赦なく書かれていた。
それに対し、スタジアム内では笑いやどよめきが巻き起こる。今は観客席にいる誠次であったが、自分があの立場であるのならば、地獄のような瞬間であろう。
そして志藤は今まさに、地獄を味わっていた。
「む、無茶苦茶だろこのお題! 引き直しはっ!?」
『無理に決まってんだろ。お前もついてるもんついてるんだったら、観念して連れて来いっ!』
「いねえんスけどっ!?」
『好きな女もいねえのか!? じゃあリタイアだな。このヴィザリウスのタマ無し男が!』
親御さんが確実に引くレベルの罵詈雑言を浴びせる、ミシェルである。
そして志藤もまた、進退窮まった状態に、両手で頭を抱えだす。
「このままじゃヴィザリウスが負けちまう! こうなったら誰か適当な女子……いや、そんなことしちまえば、その娘が傷ついちまうかも知れねえ……!」
『マズイぞ! 後方が追いついてきたっ!』
ダニエルの声を聞き、そして確かに迫る足音を背中に感じ、志藤は苦し気な表情のまま、顔を上げる。
「マジでマズイ……っ! これ以上迷ってられねえっ!」
切羽詰まった様子で志藤は、レーンから外れ、クラスメイトらがいる観客席の方へと向かう。
「お、男じゃだめか!?」
「「「マジかお前……っ!」」」
衝撃発言を繰り出した志藤に、クラスメイトの男子たちが自分の胸元を抑えて引く。
『馬鹿野郎! 異性だって言ってんだろ!』
「小野寺! もう一度女装してくれ! 頼む!」
「む、無茶苦茶言わないでくださいっ!」
最前列にいた真は、顔を真っ赤にして、自分の座席へと縮こまっていく。
「選んだのか、俺以外のヤツを……」
その隣に座る誠次が、やや寂しそうな顔でそんなことを言えば、志藤は「お前はなんだよ!?」とツっこみ返す。
「このままじゃ負けちまうって!」
「――あらやだわだーりん。わたしをわすれちゃったのかしら」
そんな凄まじい棒台詞を言いながら、女子応援席から階段を降りてくる少女が、一人いた。
呆気にとられかける志藤の前に、名乗り出た少女、香月詩音が立つ。白地の体操着姿が、彼女の白い肌と銀色の髪の美しさを際立たせていた。
しかし、その両手にはお菓子を大事そうに持ち、もぐもぐと口を動かしている。
「こ、香月っ!?」
見上げる形となっている志藤が驚く。
「クラスとヴィザリウスの為だったら、平気よシンドウくん。もぐもぐ」
「いやだから志藤な!? 仮に好きな人だったら名前間違われてショックだからそれ!」
志藤がツっこむ中、香月はちらりと、すぐ横にいる誠次を見る。
誠次はうんと頷いて、香月を見送った。
「でもサンキュー香月! マジで助かった!」
「お菓子食べながらだけど……大丈夫かしら」
「ああ……もうこの際何でもいいぜ!」
「お菓子こぼさないように、行くわよ……もぐもぐ」
スタジアムへと形成魔法を使って降りた香月は、志藤と共に、レーンまで向かう。
「そら、これでどうだ! 俺の好きな異性だ!」
再びレーンにまで戻った志藤が、顔を真っ赤に染めて、大声で叫ぶ。そんな彼と、その傍らに立つ香月の姿が、巨大スクリーンには映し出されていた。
そうなれば、会場にはより一層のどよめきと歓声が広がっていくことになる。
『Ok! よくぞ呼んできた! 通過を許可するぜ!』
ミシェルの許可が降り、志藤は香月に改めて礼を述べ、頭を下げる。
「悪かった香月! でも助かったぜ。ありがとうな!」
「平気よ。それよりも頑張って。一位になってね、もぐもぐ」
微かに微笑んだ香月は軽く手を振り、志藤を見送っていた。
「ああ。いっちょ頑張るわ!」
ここまでの疲れすら吹き飛ばした様子で、志藤は再び走り出す。しかし、借り物競走の最中にアルゲイル魔法学園の男子選手に抜かされてしまい、二位となってしまっていた。
志藤は顔をぴしゃりと叩き、レーンの上を再び全力疾走する。
『なんだ!? 志藤のヤツ、足速ぇじゃねえかよ! 瞬く間に距離を詰めてきたぞ!』
『吾輩も大興奮であるッ!』
二人の実況と解説を背後に、志藤はぐんぐんと加速していき、最終障害物にまで同時にたどり着く。ここをいち早く切り抜けたほうが、一位になることに違いない。
『障害物競争最終種目は、魔法戦だーっ!』
「ここへ来て魔法関係かよ!」
「どうでもいい! 何を倒せばいいんだ!」
律儀にツっこむ志藤の隣で、アルゲイル魔法学園の選手は声を張り上げる。
『二人共にグラウンド中央に向かってくれ。そこに現れるモンスターをいち早く倒した方が、先へ進めるぜ!』
ミシェルの説明の直後、サッカーコートである芝の上に、使い魔で生まれたモンスターが現れる。
小型の翼竜のような使い魔は、志藤とアルゲイル魔法学園の頭上を飛び立ち、大空で旋回をする。
「あれを撃ち落とすのか」
「なるほど。周りの観客に流れ弾の魔法が行かないように、安全な空へ向けた魔法を撃てってか」
早速攻撃魔法の魔法式を発動したアルゲイル魔法生に対し、志藤は一旦落ち着き、呼吸を整えながら周囲を見渡す。
「闇雲に撃っても当たらねえぞ。それに、無駄にスタミナを消耗するだけだ」
「黙れ。俺のコントロールならば当てられる」
ボソリとアドバイスのようなものを送ってみる志藤であったが、返ってきたのは敵対心に満ちた言葉だった。
汗を乾かすような風が吹く中、隣で攻撃魔法を連発する男子の姿を、志藤は横目でじっと見つめる。彼が発動する攻撃魔法は、確かに正確なコントロールの元発動されているようだが、肝心の空を自由自在に飛び回る使い魔には、掠りもしていない。
「クソっ! 避けやがって!」
「直線的な軌道のやつはいくらやっても躱されるみたいだ。だったら……」
志藤は上空へ向けて、風属性の汎用魔法を発動する。当たらずともいい、せめて、奴らの飛行能力を奪う。
一陣の風が吹き、鋭く空中を抉る。空中が歪んだかとも錯覚したような勢いの風は、空を舞う翼竜の飛行能力を、大きく削いでいた。
「よくやったヴィザリウス!」
隣に立つアルゲイルの魔法生が、それを好機と見て攻撃魔法を発動。志藤の風属性の魔法を利用し、翼竜を見事に撃ち落とした。
「あ、テメェ!」
「馬鹿めっ! すべて俺の作戦だ!」
「嘘つけーっ!」
「最後に勝つのは俺だーっ!」
走り出したアルゲイルの魔法生を目で追いながら、志藤は攻撃魔法の魔法式を切り替えて発動する。志藤の攻撃魔法も翼竜に命中し、翼竜は悲鳴を上げて消滅した。
「あの野郎……ぜってぇー負けねえ!」
志藤は追いつこうと、すぐさまレーンへと戻り、一位の男子の背を追う。
「ハアハア……っ! くそっ!」
予想通り、アルゲイルの選手は魔法の連発で体力を消耗しており、息切れを起こしていた。
そんな彼の背を捉え、みるみるうちに加速する志藤は、横にまでつく。残されたレーンの距離は、もう僅かだ。追い抜くには今しかない。
「負けられるかよ……っ!」
「クソがーっ!」
隣から発せられる悔しそうな声は、もはや背中の方で聞こえていた。
志藤は瞬く間に、アルゲイルの魔法生を置き去りにし、ホログラムで作られた一着専用のテープを通過していた。
途端、沸き起こる歓声と、スクリーン上に映し出される志藤の一着を知らせる、彼の詳細画像。
「ハアハア……っ。なんか、恥ずかし……っ」
「くそっ。まさか、俺が負けるなんて……」
二着でゴールをしたアルゲイルの魔法生は、膝に手を添えて顔から汗を垂らし、ぜえぜえと下を向いて息継ぎをしていた。
「悪いな。ここは俺の勝ちだ。」
苦笑しながら、自身もかいた汗を腕で拭い、志藤は手のひらを差し出す。
「……」
アルゲイルの魔法生は、志藤の手を握り返し「やるな……」等と言って健闘を讃え、大人しく二着の旗の元へと向かっていくのであった。
景気よく志藤の一着で始まった、第二種目の障害物競争。アルゲイル魔法学園側も当然勝ちに来ており、その後も、一進一退の攻防が繰り広げられることとなる。
「みんなサンキューな」
しばらく経てば、首にタオルを回した志藤が、スポーツドリンクを片手に、2―A応援席の方まで戻ってくる。
「お疲れ様です、志藤さん。一位おめでとうございます。とても格好良かったですよ」
真と手を合わせてタッチをしあい、志藤は彼の前を通って自身の席につく。
もう片側の隣には、悠平が座っていた。
「んで、総合点はいまどれくらいだ?」
「頑張っているが、後続が続いていない……。抜きつ抜かれつと言った状況だ」
志藤の隣の席に座る悠平が、スクリーンを睨んで言う。
「マジかよ……。夕島に頑張ってもらうしかねえか」
志藤は大きく息を吐き出し、背もたれに深く座る。ジャージを纏い、タオルをかけたその姿はまさに、試合からベンチに下がったスポーツ選手のようであった。
「そう言えば、天瀬は?」
「ついさっきまでいたんだけど、急に席を外した。結衣に呼ばれたとか」
「結衣って、お前の妹のか」
そんな二人の会話をぶつ切りにするように、大きなアナウンスが始まる。
『さあ競技の途中だが朗報だ野郎ども! 特に男子っ! チア部の応援が始まるぜ!』
「「「いぇええええい! 待ってましたーっ!」」」
本当に突然鳴り響いたミシェルの声と共に、鳴り響くアップ系のBGM。男子生徒たちの熱狂は、競技ではなく、それによって今日一番の盛り上がりに達する。
リアルでカラフルな紙吹雪が舞い散る中、ボンボンを両手に持つチアリーダーたちが、観客席に綺麗に可憐に美しく、登場する。彼方を見渡しても、一定の感覚で整列する彼女らの姿は、努力の賜物によるものなのだろう。
最前席に座る志藤たちの前にも、チアダンス用の服を得たチアリーダーたちが、やって来た。
「お疲れ様、志藤先輩、小野寺先輩。一位おめでとう! 悠平先輩も、この後の競技、頑張ってくださいね?」
ふふ、と微笑み、チアリーダーはにこにこと微笑んでいる。
名指しをされた三人の男子共、やや顔を赤くして、微妙に微笑んだりしていた。
「それじゃあ心を込めて応援しますね! ヴィザリウスの勝利の為に!」
ウインクをした後輩女子の言葉と共に、ヴィザリウス、アルゲイルの合同応援が始まる。言うなれば、チアリーディング部にとっての体育祭第二の戦いが、ここに始まったのである。
流れているBGMは、偶然か、桃華のアイドル時代の応援ソングであった。
はっきり言ってそれは、チア部所属の彼女からすれば、水を得た魚のような状態だ。
……そう、一人だけ明らかに動きが違う少女が、生まれてしまったのだ。これぞプロだと言わんばかりに、ダンスやステップの動きが、素人目から見ても明らかに他と違っている。
――よって。
「――はあ、それで、みんなの前では踊れないのか……」
「私の曲なのに、わざとレベルを落としてだなんて踊れないわ……」
チアリーダー服の彼女、桃華と誠次が現在いたのは、スタジアムの用度品を保管しておく、学校の体育倉庫のような倉庫であった。
普段はプロスポーツ競技が行われるときに使用する備品をしまっておく場所で、今ならばほぼ誰も訪れることはないであろう、スタジアム内で身を潜めるにはうってつけの場所だった。
元々桃華も、今回この日の為にチア部の仲間とともに練習をしていたのだが、いざ本番となってみれば、出てしまうわけにはいかない事態となってしまった。仲間には一応、腹痛だと伝えてあるとのこと。
そうして誠次が看病のために呼ばれ、共に逃げるように、この場に流れ着いたのだ。
若干のカビ臭さはあるが、それすらも彼女の今の魅力的な姿の前では、気にもならなくなる。
「せっかく練習したのに、みんなの前で踊れないのは、辛いな」
「ううん。別に平気」
赤と白のヴィザリウス魔法学年一年生のチアリーダーの衣装は、布地は少なく、幾つもの肌が露出している。それは前線で戦う人々を奮い立たせる、由緒正しきコスチュームだ。
ズシンズシンと、スタジアムの振動が地下であるここにも伝わってくる。この頭の上に幾つもの人々がいると思えば、どこか不思議な感覚だ。
「ねえ誠次先輩。目の前に後輩チアガールがたった一人ですよ? つまり今の私は、貴男だけのチアガールです」
桃華が茶化すかのような笑みを零す。ヴィザリウスの魔法生の証たる白いハチマキは、お洒落に髪留めにして巻いている。流石にそれで競技には参加できないだろうが。
「ありがとう桃華。応援された分、期待には応える」
「えへへ。それじゃあ誠次先輩。一生懸命応援するね」
はっきりとした表情で言い切った誠次を見つめ、桃華はおもむろに、ポンポン(正式名称)を両手に持って立ち上がる。
「ここで踊ってくれるのか?」
「そ、そうよ。せっかく練習したのに、誰にも見せられないのは悲しいじゃん」
「そうか……では合いの手を入れたほうがいいか? 現役時代の曲ならば、悠平とよく聞いていた」
「え……。い、いやそれは少し恥ずかしいから! いいよ、やらなくてっ! 見てるだけでいいっ!」
赤面した桃華は、顔をぶんぶんと横に振るう。なぜだろうか、恥ずかしがっているようだ。
「今はお願いだから、私のことをちゃんと見てて、誠次先輩」
「では、是非とも頼むよ、桃華」
ベンチの上に座る誠次の前で、桃華は大切な人の為に、踊り始める。
※
誠次が一人、甘い時間を味わっているちょうどその頃。
スタジアム内での障害物競争では学園の勝利の為に、頑張る夕島聡也が、志藤も地獄を味わった借り物競走の試練に、当たっていた。
「誠次はっ、誠次はどこにいるっ!?」
レーンを外れた聡也は、眼鏡をかけたままの出で立ちで、観客席にまでやって来る。
「どうした聡也? 借り物のお題か?」
2―Aの集団の中から、競技参加者の志藤が応答した。
「そうなんだ! 厨二病を連れてこい、ってお題なんだっ!」
「天瀬どこ行ったーっ!?」
障害物競争もやがて終わり、両高の得点は接戦を繰り広げたまま。
次は昼休憩を挟んで、一気に大量得点が見込める騎馬戦と棒倒しが続く。そして最後に待ち受けるのが、謎に包まれた最終競技だ。
~クラスに一人はいた気がする~
「障害物競争も、いよいよ佳境ですね」
まこと
「次は三ッ橋くんが出るようですね」
ちひろ
「こう言ってはなんですけれど……」
ちひろ
「あまり運動が得意そうには見えませんけれど……」
ちひろ
「あ、でも見てください本城さん!」
まこと
「彼、とても速いですよ!?」
まこと
「あのトップスピード……」
まこと
「まさか、自分以上では!?」
まこと
「あ、本当です!」
ちひろ
「とても速いです!」
ちひろ
「そっか……」
そうすけ
「アイツも所謂、そう言う称号ってやつか……」
そうすけ
「称号、と言いますと?」
ちひろ
「動けるデブ、ってやつだ」
そうすけ




