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魔法世界の剣術士 中  作者: 相會応
大鷲の雛たち
113/189

5 ☆

「若い娘でなくて悪かったな。しかし、これでも昔は凄かったのだぞ? 着物の下は綾奈に負けず劣らずさ」

                     しゅり

 自分の特訓相手としてヴィザリウス魔法学園に現れたのは、本州から遠く離れた島、蛍島に住む女傑、篠上朱梨しのかみしゅりであった。クラスメイトの篠上綾奈しのかみあやなの実の祖母である。

 よわい七〇を超える、決して若くはないはず身であるが、和装にて正座から立ち上がる仕草や、こちらまで歩み寄ってくる動作は全て、優雅で品があり、洗礼されていて軽やかだ。

 まるで初めて会った時と同じように、誠次せいじは背筋をぴんと伸ばして、彼女を見つめていた。


「え……」

「どうした? 私がボケていなければ、最後に会ってそこまで日は経っていないはずだぞ。それが狐につままれたような顔をして」


 旧篠上家を模した道場となった演習場の中で、二人は真夏の日以来、再び相まみえる。

 蛍の住まう島で初めて会った日と異なるのは、今のところは、互いの物腰が柔らかくなっていることだろうか。


「い、いえ。あの、またお若くなられたと言うか、元に戻っていると言うか……」


 誠次に言われた通り、朱梨は最後の戦いの際の時よりも、若くなっているような印象を受けた。

 朱梨は自身の頬をそっと触り、薄く微笑んだ。


「一つ言えることがあるとすれば、私にもまだこの魔法世界で生きている意味を見出した、かな。そなたのおかげさ、剣術士」


 笑みを含んだ朱梨の言葉を聞き受け、誠次も嬉しく、頷いていた。

 

「貴女が、俺の特訓相手となるのですか?」

「なんだ? 私では不満と言いたいのか?」


 朱梨は目立たない小ジワのみを寄せ、微笑みかけてくる。


「いえ、そんなことはありません! し、しかし、どうして、どのような繋がりで……!?」


 未だ心は落ち着けず、誠次は改めて朱梨に問う。はるばる本州のここへ来て、フレースヴェルグの指導者の一人として、こうして誠次に特訓を行うことになったのか。その縁の理由わけを、誠次は知りたかった。

 

「蛍の知らせさ」

「なるほど、さすがですね」


 蛍の意思が読み取れると言う朱梨に、本気で誠次は感心して、相槌をうつ。

 すると、朱梨が一瞬だけきょとんとした表情を見せたのち、くすりと、微笑んだ。


「さすがに冗談だよ剣術士。なぜ島の蛍が本州のそなたらの事を知っている」

「え……」


 朱梨に茶化されたことを悟った誠次は、急激に気恥ずかしくなり、後ろ髪をかいていた。

 こんなやり取りができるのも、あの決戦の夜の日には考えられなかったことである。


「素直なのは良いことだ。実の事を言えば、そなたへの借りを返したかったのさ。そなたには大いに恩を感じている。こんなババアでよければ、協力しようと思ってな」


 なによりも、と朱梨は一旦、何かを感じ取るような仕草で、頷いてみせる。

 ――あの日、朱梨が自分の手で命を絶つ事を止めさせた際に引き絞った弓のしなりの音と火が燃える音と共に聞こえた、彼と彼の声を聞いているのだろうか。


「そなたを強くする事こそが、最終的に私の大切な綾奈あやなやそなたらを守ることに繋がると、思ったのさ」

「光栄です。ありがとう、ございます」


 終始その圧倒的な実力で、誠次を圧倒していた蛍火の女傑の師事を受けられることは、誠次からしてもプラス以外のなんでもないだろう。

 しかしそうとなれば、別の意味で緊張を感じて来た誠次の声音が、微かに高くなる。

 きっとそんな些細な感情の変化を、朱梨は読み取っていることだろう。


「しかし、運命の悪戯とも言うべきか、巡り合わせとは酔狂であるな。まさかとは思ったがそなた、本城ほんじょうの娘さんとも付加魔法エンチャントとやらを受け賜わっている関係とは」

「え。本城さんを、ご存知なのですか?」


 朱梨から出た、誠次と綾奈も知るまさかの人の名に、誠次は驚いていた。

 そう言えば話していなかったか、と朱梨は言う。


「知っているとも。先日は今度はあ奴がそなたに大変をかけたと言っていた。罪滅ぼしと言うわけではないが、その点でも、私がこうしてここまで来て、そなたに教えを授ける気になったのさ――」


        ※


 夏に魔法学園で起こそうとした革命未遂の責任を取る形で、後任を副大臣に任せ、魔法執行省大臣の座を辞した本城直正は、自宅にて身辺整理を行っていた。

 大臣と言う身分がなくなり、身分的には一国政議員となったことで、魔法執行省にあった自分の荷物を全て自宅へと運び終えたところだ。


「お疲れ様です、あなた」


 ふうと一息をつくと、そっと肩に手を添えてくる、伴侶の女性が。本城五十鈴ほんじょういすずであった。

 直正は、肩に添えられた彼女の手の甲に、そっと手のひらを添えていた。


「苦労をかけてしまったな、五十鈴……。大義名分を掲げ、理想を追求したあまり、目の前が見えなくなってしまうとは……」

「あらあら。謝るのは、私にではないでしょう?」


 五十鈴に囁かれ、ハッとした直正は、自嘲の笑みを浮かべて静かに頷く。


「そうだったな……。また一から千までやり直しだ。五十鈴。不甲斐ない私であるが、また支えてくれると有り難い」

「ええ。どこまでもお供いたします、あなた」


 優しい彼女の手をそっと取れば、直正と五十鈴は、微笑み合う。

 魔法執行省庁の自室に飾ってあった家族写真も、今は家へと戻ってきて、再スタートを切った直正を笑顔で温かく見守っているようだった。

 ――なに、全てがぜろとなってしまったわけではない。今は雌伏しふくの時だが、いつか必ず再び立つときは来ることだろう。だから今は、立つ鳥跡を濁さずだ。

 家族写真の隣にある、アンティークの古時計の黄金の針が指し示している時刻を確認し、直正はほくそ笑む。


「どうやら篠上さんは、彼と再び相まみえたようだな」

「千尋のお友だちの綾奈ちゃんのお祖母さん、ですね」

「ああ。そして、私の政治学の師でもあり、蛍島の島開発の際では互いに譲り合わずに押し問答になっていたよ」


 当時を懐かしむようにして、直正は言っていた。

 

「その子たちがこうして集うのも、ある意味宿命なのかもしれない。そして同時に、この国を変えようとする若き彼に魔法ちからを尽くすこともまた」


 まこと面白い、と直正は未だ信念を宿し続けるその精悍な顔立ちに、笑みを浮かべていた。

 

「私たちと、あの子たちにも幸運の女神様はついています。きっと大丈夫ですよ」


 にこりと、若々しく微笑む五十鈴にそんなことを言われてしまえば、直正も頷くほかない。

 幸運はすぐにでも、風に乗ってこちら側にもやって来ることだろう。再び飛翔するときは、そう遠くない。


       ※


 所は戻って、ヴィザリウス魔法学園の地下演習場。道場を模した中での、誠次と朱梨の会話。


「さて、大きく話を戻そうか剣術士。私の最初の問いの答えを、聞かせて貰おうか」

「人間をやめると言う事でしょうか」

「そうだ。まあスローガン、のようなものだな」


 スローガン。それはちょうど、今準備を行っている体育祭にもあるものであった。


「それが貴女の言う強さと、大切なみんなを守ることに繋がるのであれば、貴女の特訓を受けたいです」


 はっきりとした表情でそのような事を言う誠次の返答を聞いた朱梨も、真剣な表情をそのままに、深く頷いた。


「良くぞ言った剣術士。ならばこの篠上朱梨、私の全てをそなたに授ける思いだ」


 朱梨は満足気にそう言うと、自身が身に纏っている袴から、紐をしゅるりと音を立てて、引き抜く。

 身体に巻かれていた黒い紐が優雅に風に靡いたかと思えば、朱梨はその紐を、誠次へ向けて投げ渡していた。

 突如飛んできた黒い紐を、誠次は左手でキャッチして、それをまじまじと見る。


「紐……?」

「それをはちまきのように顔に巻くんだ、剣術士」

「は、はい」


 体育祭の青いはちまきは今のところ、騎馬戦の特訓などで毎日のように巻いている。まさかここでも巻くことになるとは思わなんだと、誠次は黒い紐を額に合わせて、長い前髪をかき上げるようにして頭に巻いていた。


「よし。ではそれを、目元まで降ろせ」

「目元までって……。前が見えなくなりますよ?」


 誠次が訊き返すが、朱梨は無言で立ったまま、微動だにしない。

 視界を塞いで、いったいなんの特訓になるのだろうかと思ったが、今は大人しく朱梨の言うことに従うことにした。

 目元まで紐を降ろせば、予想通り、視界は真っ黒に染まる。五感のうちの一つ、視力を完全に絶たれた世界に迷い込んだ誠次は、やや落ち着かない素振りで、その場に立ち尽くす。


「――何も見えはしないな?」

「……はい」


 ……不思議な感覚だ。遠く離れた位置に立っていた朱梨の言葉が、いつの間にか、すぐ近くで聞こえているようだ。もしかすれば彼女は、この一瞬の間に間合いを詰めてきていたのだろうか。

 そうとさえも錯覚していた誠次であったが、実際のところ、朱梨は一歩も動いてなどいなかった。


「よし。ならば剣を抜け、剣術士」

「この状態でですか?」

「そうとも」


 一切の視界を確保できていない状態で、誠次は背中に腕を回し、右腕にてレヴァテイン・ウルを抜く。手探りの感触で、柄を両手で持ち、それを一応は構えてみせた。


「――さて。では、そなたの特訓の最終的な目標を告げたいと思う」

「はい」


 盲目の状態でレヴァテイン・ウルを構え、ゴクリと息を呑む誠次は、朱梨の言葉に耳を澄ます。


「目が使えぬその状態で、本気の私に無傷で勝ってもらう」

「は、はあ!?」


 思わず素っ頓狂な声を出してしまい、手に握っていたレヴァテイン・ウルを落としかけ、誠次は慌ててそれを握り締め直す。


「む、無茶苦茶です! ただでさえ貴女には勝てないでいると言うのに、目も使えない状況でなんて、勝ち目がありません」

「それを勝てるようにするのが特訓であろう」

「そ、そうかもしれませんが!」


 この状態でなど全くもって勝てる見込みが沸かず、それこそお先真っ暗な状況で、誠次は思わず尻込みをする。それも、相手は紛いもなく武人としての実力が自分より上である女傑だ。それはかつて、蛍火の中で見た彼女の年齢を感じさせない異常なまでの強さを味わった身であるが故に、感じる恐れでもあった。

 

「……あ、まさか……っ」


 と、同時に。ここへ来て誠次には、思い当たる節があった。

 それは蛍島での戦闘時に、朱梨が言っていた言葉だ。


「確か貴女は、家の中のどこにいようとも俺の行動、及び心を読み取ることができると仰っておりましたね?」

「左様だ。覚えていたか」


 朱梨はこくりと頷く。


「一般的には空間認識能力とも呼ばれているこの力を、そなたに授けたいと思うのだ」

「空間認識能力……」


 聞き覚えのない言葉を言われ、誠次はレヴァテイン・ウルを構えたまま、首を傾げる。

 ……しかし、空間認識能力と言う言葉の響きは、カッコいい。


「すごく格好よさそうだろう?」

「すごく格好よさそうです」


 朱梨は誠次の心の底を見透かしたように言い、事実見透かされていた誠次は、目隠しした状態のままうんと頷く。


「この技術を習得すれば、そなたにとっての欠点であった、通常時での戦闘にいて、比類なき力となり得るだろう。相手の行動を予め読み取り、先手を打つ。気配を察知し、死角からの攻撃ですら回避するすべ。……だが、それを扱いこなすには当然、想像を絶する努力がいるぞ?」

「まだ分かりません……。それは、視界を奪っての特訓で習得できるようなものなのでしょうか」

「さてな。ただ、そなたの腕は見込んでいる。私はこの力を使いこなすのに数十年という長い歳月をかけたが、そなたならば数週間での習得も夢ではないだろう。無論、やはりそなたの頑張り次第であろうがな。なに、そなたはまだ若い。その分多くを効率よく学べることだろう」


 どこか朱梨に期待されているような物言いを受け、自然と、誠次の身は引き締まる。


「……やります。貴女との特訓を成功させ、今度こそ、貴女に勝ってみせます」

「良き威勢だ。さあ剣を握れ、天瀬誠次。私の居場所、私の息遣い、私の思考を、感じ取って見せよ」


 誠次は改めて、レヴァテイン・ウルの片割れをぎゅっと握り締め、向かいにいるであろう朱梨へと向ける。

 しかし、無言となった彼女の息遣いは愚か、思考など全くもって読み取ることなど不可能であった。

 いつの間にかに背後に立っていた朱梨は、誠次の背中を難なく掴むと、それを思い切り前へと押し倒す。

 倒された誠次は咄嗟に手をついて、起き上がりながらレヴァテイン・ウルを振るうが、朱梨はすでに元いた場所から移動していたようだ。

 虚しく空を切ったレヴァテイン・ウルを振るう右手に、朱梨の両手が組み込まれ、関節技を決められた誠次は悲鳴をあげる。


「ぐあっ!?」

「生まれたばかりの雛鳥のようだぞ、剣術士」


 何が起こっているのか、視界で得る情報を遮断された脳内では、右腕に奔る痛みという感覚だけでしか知ることができなかった。

 そこから生まれる痛みと知らぬ恐怖という感情を味わってしまえば、最早まともに反撃することなど不可能で、誠次は悲鳴をあげ続けることしか出来ないでいた。


「ああっ!?」

「痛みに喚いたところでこの特訓は終わらん」


 先程までは微かにあった柔和な雰囲気も、すでに朱梨の声音からはいなくなっていた。


「どうだ、恐ろしく怖いだろう?」


 朱梨の声が耳元で聞こえ、ぞくりと、誠次の背筋に悪寒が奔る。


「視界を失ったことにより、己の身へ降りかかる痛みという感覚は、意図せず急に来ることになる。人間は反射と言う生理作用を持っており、自分へ降りかかる痛みがある程度分かる瞬間、身構えることをする。目の前で急に拳を向けられたときに目を瞑る仕草、腹部へ拳を突きつけられた際に生じる、腹部を守ろうとする動き。だが、視界を失った今では、音もなく迫りくるそれらに対する術などなく、こうして甘んじて受け入れるしかあるまい」


 朱梨は容赦なく、誠次の制服の胸元の袖を引くと、熟練された動きで誠次の身体を一瞬だけ宙に浮かせ、思い切り道場の木の板の床の上に背を打ち据えた。

 すでに平衡感覚がぐちゃぐちゃになっている誠次は、突如として身体が浮かんだかと思えば、次の瞬間にはすでに背中への激痛を味わっている時であった。


「どう、すれば……っ!?」

「私の動きを読み、感じ取ってみせよ。さもなければ勝機はないぞ」

「わかりました! うおおっ!」


 すぐに起き上がった誠次が、闇雲に声のした方へ向けて突撃するが、朱梨に簡単に手をとられてしまい、またしても背負投げをされてしまう。


「まだまだ!」


 しかし誠次は諦めず、再び朱梨の元へと突撃する。

 朱梨は闘牛士の如く、誠次の突撃をひらりと躱しては、微笑んでいた。


「さて。先にそなたの体力が尽きるか、意志が挫けるか」

「諦めるものか! ――そこだ!」


 彼女の居場所を見切った!

 振り向きながら叫び、ひた走る誠次であったが、待ち受けていたのは……。

 ――ガンッ!

 道場の、硬い壁であった。鈍い音をたて、顔面でそれと正面衝突した誠次は、フラフラと数歩ほどふらついてから、背中から倒れる。


「……大丈夫か、剣術士……?」

「が……は、はい……」


 蛍火の女傑の奥義を授かれるのは、当分先になりそうだった。


         ※


 見上げた青空の中では、綺麗な白い雲がいくつも流れている。

 通い慣れた魔法学園のグラウンドでは、今日も同じ白と青の体操着を着た男女たちが、騎馬戦の特訓を行っているところだ。

 現在は通常授業時間割に組み込まれた、合同練習の時間。

 まだまだ()()()()()()である為、どこの組も競技というレベルにまで達していないのが現状だ。そんな特訓の休憩時間になれば、疲れ果てた魔法生たちは、日陰へと我先に避難する。

 そう、九月も半ばになりかけているのに、今日は灼熱の陽気であったのだ。


「す、すまなかった誠次……。上に乗っているにも関わらず、わ、私が先にへばってしまうだなんて……。情けない話だと思うが、やはり暑いのは苦手で……っ」


 暑さに飛びきり弱いロシア北端生まれのルーナが、すっかり熱気で上気して赤く染まった顔で言う。日陰の花壇のへりの上に、腰掛けて身体を冷ましている。

 すでにジャージなどグラウンド上の魔法生はだれも着ておらず、男子も女子もお互いに体操着姿であった。


「だ、大丈夫だ……。正直俺も、スタミナが尽きかけていた……」


 朱梨との特訓が始まってからよく分かる。他のフレースヴェルグのメンバー同様、普通の学生生活に個別指導と言うオプションが加わった日々が、どれほどキツいと言う事も。


「ですが、少しは進歩したかと……」


 手の平ではたはたと、微弱な風を自分とルーナにも送ってやっている千尋が、やんわりと笑顔で言ってくる。


「気になったのだけれど。ルーナさんのファフニールは炎を吐くのに、乗ってて熱いと感じたことはないのかしら?」


 香月が不思議そうにルーナに尋ねる。

 するとルーナは、汗を一筋流して、白状する。


「もの凄く我慢してるし、極力上に乗っているときは、炎吐かないようにお願いしてる。ファフニールは優しいから、わかってくれる……。うん、とても感謝しているぞファフニール」

「俺が乗った時は躊躇なく炎連射しまくってたけどな……」


 体操着の袖で汗を拭う誠次がぼそりと言っていた。


「今日は暑いから、みんな水分補給はこまめにしよう。熱中症で倒れてしまっては元も子もない。みんなの分の飲み物、自動販売機で買って来るよ」


 この面子の中で唯一の男として張り切る誠次が言うと、千尋が立ち上がっていた。


「あ、私もお供します!」

「自分のものは、自分で買うわ」


 香月も立ち上がろうとするが、誠次は二人ともを座らせていた。ルーナはもう、しばらく立ち上がれない。


「大丈夫だ。みんなは少しの間、しっかり休んでいてくれ。無難にスポーツドリンクで良いよな」


 そう言いながら、誠次はすでに振り向いて日向へと出て、走りだしていた。

 ありがとう、と三人分の少女たちの感謝の声を背に受ければ、身体の疲れも吹き飛ぶような気がしていた。

 ご察しの通りこのような時の自動販売機前は大盛況であり、コーヒーや温かいもの、果てにはおしるこがしぶとくラインナップに残っている中で、次々と水やお茶、スポーツドリンクが飛び出ていく。

 三人分のペットボトルを確保した誠次は、自身も水分を補給するために、上向きにも回転する蛇口が並んだ水飲み場にやって来る。日差しを受けて熱くなってしまっている銀色の蛇口の先を上向きにさせて、蛇口を捻って出て来た美味しい水をごくごくと飲んでいると、すぐ隣に無言でやって来る女子がいた。他にも空いているところがあるのにも関わらず、である。


「……ぷは。あ、綾奈か。お疲れ」

「……どうも」


 曲線を描いで流れ出る水から口を離して、顎に盛大に透明な水をつけながら声をかけた誠次に、赤髪をポニーテールで束ねた綾奈は返事をする。現在彼女は、同クラス騎馬戦出場組のもう一つのチームで特訓に励んでいるところだ。

 しかし……なんだろうか、妙にとげとげしいような、なんと言うか……。

 すぐ隣に立つ彼女はきゅぴきゅぴと蛇口を回すと、手を洗ってから、こちらと同じように蛇口の先を上へと向けて、水に口をつける。

 

「しっかし、今日は暑いな。この暑さも敵になっているし。お互い、頑張ろうぜ」

「……ん、そうね」


 ……。いや、しかし妙に気まずい。

 前屈みの姿勢のまま、垂れる横髪を手で支え、一瞬だけ水から口を離して返答してきた綾奈に、誠次はうっと、続く言葉も行為も失う。

 やむなく、誠次は片手で水をすくって顔に当てて、汗ばんだ顔を冷たい水で洗っていた。気分がさっぱりする。

 一方で水を飲み終えた綾奈は、手を軽くはらい、濡れた口元を拭う。そして、同じく水を飲み終えた誠次へ、満を持したように、詰め寄っていた。


「ねえ、私になにか言う事、あると思うんだけど?」

「言う事……? お疲れ様……」

「それはそうなんだけど……それ以外にも」


 水気を含んだ彼女の体操着姿に視線を奪われそうになりながらも、濡れた顔立ちの誠次は必死に考える。


「それ以外……。ええと、朱梨さんをお借りしてますとか」

「私、お祖母ちゃん貸し出してるの!?」


 綾奈は驚いたように、青い目を大きく見開いている。

 どうやら、朱梨がここへ来た詳細な理由は、綾奈にも知らされてはいなかったようだ。彼女は今は綾奈の実家に寝泊まりしている。


「……あれじゃないか? 綾奈、お祖母ちゃんだよ、遊びに来たんだっ。……って、逆にあの人がやりにき来たとか。綾奈を喜ばすために」

「万が一にも想像出来ない真似しないでくれる……ちょっと笑っちゃうじゃない」

 

 先ほどまでぴりぴりとしていたのが一転、綾奈はくすりと、手の甲で口元を抑えながら笑っていた。


「俺の特訓のために魔法学園に通ってくださっている。感謝してもしきれない」

「あんたの為になってるんだったら、私も嬉しいわ。なにより、どんな形でもこうしてまたあんたと私のお祖母ちゃんが話してくれていると、余計にね」


 水を飲み終えた綾奈は、振り向いて支えに腰を乗せると、そのまままっすぐ前を見つめる。嬉しそうだが、どこか恥ずかしそうに、口角を上げているようだった。


「……うん。改めてありがとう誠次。お祖母ちゃんを助けてくれて。今思っても、あの蛍島で貴男と過ごせた日は、私のとても大事な思い出の一つ……」


 胸に手を添えてそんなことを呟いた綾奈が、ふと、何かを思い出したかのように顔を上げて口を開く。


「でも、騎馬戦の特訓は大変なんだけど……」

「す、すまない。綾奈には苦労をかけてしまっている」

「学級委員の相方なんだし、任せてって言いたいんだけど、正直しんどいー……」


 綾奈は座ったままそう言って、誠次の方へ、顔を傾けてくる。

 それがなにを意味しているのか、これもまた朱梨との特訓で微かに身に付いた人の気を読む能力なのかと、そこはかとなく思い至りながら、誠次は綾奈の頭に手を添えてやっていた。そのまま、綾奈の頭をそっと撫ででやる。


「ありがとう綾奈。チームは違っても、一緒に頑張りたい。なにか困ったことがあったら、なんでも言ってくれ」

「うん……ありがと、誠次。せっかくだし、ちゃんとティエラちゃんにもクリシュティナちゃんにも、日本の体育祭を楽しんでほしいと思ってるから」


 綾奈は微笑むと、誠次の手からするりと抜けて、立ち上がる。

 そして、少しだけバツが悪そうな顔をして、こちらへ振り向く。


「あ、あと私、弓道部の部長候補になってたけど、辞退したから」

「は、はあ!? それでは全くもって蛍島のことが為になっていないではないか!?」


 思わず顔を上げて、誠次は綾奈を見るが、向こうは顔を赤くして横を向いていた。

 

「別に私じゃなくても、部長候補はいるし……。それでも実質的に私は副部長みたいなものよ。でも、何よりも部長になったら、その……学級委員の仕事が、おろそかになるじゃない」

「……っ!」


 自分も所属し、綾奈の相方となっている役職を言葉に出され、ハッと思いついた誠次は、蛇口を締めることも忘れて、しばし立ち尽くす。ちょろちょろと、水の流れる音と、遠くで懸命に騎馬戦の特訓をする同級生たちの声が、聞こえていた。


「……学級委員、これからもよろしく。もちろん、来年もね?」

「あ、ああ……。よろしく、お願いする……」


 完全に上手いこと、向こうのペースに乗せられるがまま伝えられた言葉に、誠次は生返事をしてしまっていた。

 誠次がそうなってしまえば、綾奈もこほんと、微かに咳ばらいをして、熱くなった身体を冷ます。


「じ、じゃあ、騎馬戦の特訓に戻るわ。アンタも怪我しないようにね」

「ありがとう。お互い頑張ろう綾奈」

「望むところよ、誠次」


 綾奈は不敵に微笑み、誠次の肩を軽く小突いて来ていた。


「――綾奈!? そちらで何をしていますの!? 打倒ルーナのためにも特訓あるのみですわ!」

「もう勘弁してよー……」


 遠くから聞こえる、真夏の陽気でも日差しの下で元気なティエラのこちらを探している声に、綾奈は早くも疲れ果てたように、ため息を溢している。

 そんな彼女の横顔を見つめた誠次は、彼女の背を、軽く叩いていた。先程のお返しである。


「頑張れ、Bチームリーダー殿」

「もう……っ。こうなったらやってやるわ! 私にも蛍島の人の血は流れてるんだから!」


 綾奈は誠次に力と気合を込められた様子で、歩いてティエラたちの元へ向かっていく。

 一方で誠次もまた、急いで自分の所属するAチームのメンバーの元へ戻っていた。

 購入したペットボトル飲料を、待っていた三人に手渡すと、


「「「もの凄くぬるくなってるっ!」」」

「ごめんなさいっ!」


 トレーニングと同じく、ヒロインたちへのペース配分(?)と言うものは、時に難しいものであった。


挿絵(By みてみん)

~男心と女心は秋の空~


「このぶいあーると言う技術は素晴らしいな」

しゅり

「この歳になってもまだ驚くことがあったとは」

しゅり

「長生きもしてみるものだ」

しゅり

        「それはなによりです」

              せいじ

        「俺も、読書が捗りそうです」

              せいじ

「秋穂もそなたのように」

しゅり

「縁側で読書をするのが好きであった」

しゅり

        「俺もあの人のように」

              せいじ

        「大切な人たちを守りたい……」

              せいじ

「そしてまた、秋穂はそなたのように」

しゅり

「島の色々な女性を口説いては」

しゅり

「その気にさせていた」

しゅり

        「さ、さすがにそこは見習うわけには……」

              せいじ

「ふふ」

しゅり

「それでも私は幸せであったよ」

しゅり

「あの人の傍に居ることができてな」

しゅり

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