4 ☆
「スリザ○ンは嫌だ……スリザ○ンは嫌だ……!」
そうすけ
薄暗い部屋の中で、火花が散る。甲高い音が至る所から響いては、空気を激しく斬り裂いた。
目にも止まらぬ速さで迫るのは、自分が振るう得物と、同じ形状をした刃。
しかし、圧倒的なまでに違うのは、それが自分の得物と接触した際に生じる、力の強さの違い。
重く、鋭く、それでいて素早い。
目の前に立ち塞がる朝霞の振るう日本刀の連続切りは、一希のレーヴァテインを楽に弾き飛ばしていた。手元から離れたその漆黒の剣は、宙を回転しながら舞い、やがて演習場の天井に突き刺さる。
そして、汗ばんだ首筋に添えられる、銀色の刃。その瞬間、全身はぞくりと、粟立つものだった。
「勝負あり、ですね」
目の前で日本刀を軽く振り払い、私服姿の朝霞は満足気に微笑みながら、それを腰の鞘に納刀する。
「……また、負けか……」
ここは大阪のアルゲイル魔法学園の演習場。
星野一希はふうと、大きく息を吐き出し、大量にかいた汗を拭う。
一希もまた、フレースヴェルグの一員として、特訓の日々を開始していた。そんな一希の特訓相手は、かつての師であり、敵対者でもあった、朝霞刃生である。
――付加魔法に頼らない剣術を極める。
それが、朝霞から告げられた、一希の特訓内容の概要であった。
確かに朝霞の言うとおり、レーヴァテインを使った戦いでは、ほぼ毎時付加魔法の圧倒的な力に頼った戦いをしていた。それだけではなく、戦い方に幅をもたせるという意味で、付加魔法を使用しない状態でも、剣技を身につけることとなった。
そして、概要はもう一つ――。
「僕がいかに付加魔法に頼りきっていたのかが、よくわかる。同じ条件であったら、やはり僕は、誠次には勝てていなかっただろう」
「フフ。ではこの特訓で、天瀬誠次くんを越えられるよう、頑張りませんとね」
「言われるまでもありません」
――天瀬誠次を越える事。
一希は自信を含んだ笑みで朝霞に応えると、頭上へ向けて手を伸ばす。
天井へ向けて伸ばした手から発動した眷属魔法。その魔法式から飛び出した二体の妖精が、天井に突き刺さったレーヴァテインを引き抜き、一希の手元まで運んでくる。
「ありがとう、ベイラ、ビュグヴィル」
「いえいえ! それにしてもご主人様ー。すっかり丸くなられましたね? ってちょっと、まだ閉じないで――!」
ベイラに茶化され、微笑んだ一希は眷属魔法をそっと閉じる。
「うるさい妖精には、お仕置きさ」
再び右手に握り締めた、自分の身体よりも長い刀身を誇る剣を、一希は朝霞に向ける。
「まだやりますか、一希くん?」
腰にある日本刀の柄に手を添え、朝霞は試すようにして尋ねてくる。
答えはもちろんだ。
「もっと強くなる。そして、友として、同じ力を持つライバルとして――アイツを越えます」
「その意気ですよ、一希くん」
朝霞もまた、左腰にある日本刀の鞘にそっと手を添え、何時でも抜刀できるよう、構える。
互いの得物が高速で接触し、激しい音と火花を散らしていた。
※
迫りくる野獣の気配に、対抗する脆弱な人の身の鼓動は、警告を起こすかのように小刻みに鳴り続ける。
木の葉をかき分け、枝が折れる音。
背後に獣の気配を感じた悠平は、咄嗟に振り向き、攻撃魔法を放つ。
「《エクス》!」
構築速度は並み程度。同い年の魔法生の構築平均速度からすれば、やや速い程度だ。
――しかし、その程度では、奴を迎撃など出来ない。
「くっそっ!」
大森林の中、瞬く間に距離を詰められた悠平は、仰向けとなって草木の上に倒される。
態勢を整えようと、咄嗟に起き上がろうとする悠平であったが、獣はすでに、悠平の身体の上にのしかかって来ていた。
「うわっ!」
大きな口を開けた獣から、伸びてきたのは、ざらざらの舌。それが思わず目を瞑った悠平の頬に接触した時、悠平の頬をざらざらとした生暖かい感触が、剃り上げる。
「ガルルルルッ!」
「――噛み付くなよフェンリル。舐めるだけにしとけっつーの」
「クーン」
「はっはっは、く、くすぐったいですって!」
悠平の上に乗っかっていたのは、銀色の美しい毛並みを持った使い魔の狼、フェンリルであった。
大森林のフィールドとも呼ぶべきここは、ヴィザリウス魔法学園の地下演習場が作り出す幻想の空間である。
悠平に跨っていたフェンリルは、主人である南雲ユエの命令に忠実に従い、倒れた悠平の上から退く。
ユエはと言うと、木の上に登り、枝の上に座って悠平を面白気に見守っていた。
「なるほどな。確かにお前の体力、基礎運動能力は、もしかしたらすでに現役特殊魔法治安維持組織レベルかもしれねえ」
「ど、どうも」
木の葉をはらいながら、身体を起こした悠平は、頭上からかけられる言葉に少しばかり恥ずかしそうに頬をかく。
「ただ、問題の魔法戦だが、パワーは一級品だ。けど、それ以外が実戦レベルには達していない。咄嗟の状況判断力、魔法式の構築速度、命中精度はまだまだ鍛錬の余地ありだな」
「……うす」
ゲーム談義のおちゃらけた姿の時とはうって変わり、神妙な表情をする今のユエの姿は、仮にも特殊魔法治安維持組織の副隊長という経歴を持つ彼に相応しい姿であった。
「んま、これで特訓目標は明確になったんだっつーの。気合入れすぎないように頑張ろうぜっつーの」
ユエは軽やかな動作で木の枝から飛び降りると、ニヤリと笑う。
「しっかしフェンリルが他の奴に懐くとはな。お前、周りから好かれる良い奴なんだな」
「ありがとうございます」
そう言った地面に倒れている悠平のお腹が、ぎゅうっと鳴る。
目を見開いたユエは、なるほどなと頷いた。
「ま、腹が減ってはなんとやらだ。まずは最初に、腹ごしらえしようぜっつーの!」
「はっはっは。賛成です!」
なぜか二人して、大自然の川のせせらぎが聞こえる側で、食堂からテイクアウトしたカレーライスを食べる。風情たっぷりの場で食べるカレーライスとは、とても美味しいものだ。
ユエからご飯を貰っていたフェンリルも、前足を枕にしてうたた寝をしだし、大きな牙を見せてあくびをしている。
「なんでお前さんは、一緒に戦う気になったんだっつーの?」
「え?」
カレーライスを半分ほど食べ終えたところで、丸太の上で隣に座るユエが訊いてくる。余談だが、ユエはカレーとライスを最初に混ぜずに食べるタイプ。悠平は最初に混ぜて食べるタイプであった。余談だが。
「話聞く限りじゃ、将来的に特殊魔法治安維持組織に入るってわけじゃねえっつーし? こう言っちゃなんだけど、関わらない方が安全な将来だったんじゃねえっつーの?」
ユエが赤いバンダナをスプーンの柄でくいと持ち上げながら、青い視線を向けてくる。
人工的な風がそっと吹き、悠平は軽く空を見上げた。
「確かに、南雲さんの言うとおり、関わらない方が自分の為だったかもしれない。でも、みんなの為にはならないですよ」
悠平はがつがつとカレーライスを食べながら、真正面を見据えて答える。
「俺の親父、とある会社の社長やってまして。俺は言ってしまえば、所謂、御曹司って奴なんですよ。おふくろは身寄りを失くした子どもたちを預かる孤児院の経営者でした」
「……はあっ!? 御曹司って、ヤバっ!」
ユエがびっくり仰天したようで、カレーが入ったままの皿をきれいにひっくり返してしまっていた。作り物の地面なので、見た目は悪いが土付きで体内に入っても問題はないが、落として土まみれになったものを食う気は起きず、フェンリルが代わりにがつがつと食べていた。
「ボンボンってことかっつーの?」
「はっはっは。まあ、そうなりますね。だから、親父の跡を継ぐって将来の夢も決まっているようなもんで、いまいちなんの目標もなかったんですよ」
気を悪くしたらすみません、と悠平が気まずそうに髪をかくが、ユエは気にしてねーよと、白い歯を見せて笑う。
「でも今はあります。友だちと一緒に、この魔法世界を変えてみる。それは一見ぶっ飛んだ話ですけど、俺の両親も相当ぶっ飛んでるんで、別におかしくはないですよ」
それに、と悠平は右腕を持ち上げ、二の腕に張った筋肉をぱちんと叩く。
「せっかく持って生まれたこの魔法と人生。他の人とは違うぶっ飛んだことしてみたいってのは、当然じゃないですか?」
「おいおい……そりゃゲームのやりすぎだっつーの」
「南雲さんには言われたくないんですけど……」
悠平が眉を寄せてツッコめば、ユエは「確かに」と笑っていた。
「よし。飯食い終わったら、特訓の再開だ。フェンリル?」
しばし後、ユエが振り向くと、そこでは日向の下、すやすやと眠る狼がいた。尻尾を丸めて身体にくっつけ、完全にお休みモードである。ユエが溢してしまったカレーも綺麗に片付けたようである。
「おーい。起きろフェンリル」
「ガブ」
「痛っ!?」
寝ていたフェンリルに指を噛まれ、ユエは絶叫の悲鳴をあげる。
本当に彼は使い魔に好かれているのだろうか。作り物の冷たい水が流れる川で指を冷ますユエの後ろ姿を見つめ、悠平は甚だ疑問を抱いていた。
※
迫りくる攻撃魔法の光の弾。それらはもれなく、一つ一つに意思があるかのように、逃げ惑うこの身に襲い掛かってくる。
立体的な起動だ。目の前で拡散するように広がったのち、収束するかのようなコース。
直前まで逃げ道はなく、かと言って、突破できることもない。
この場合はシンプルではあるが、防御魔法が最善の策だろう。
――頭の中で咄嗟に計算を終えた志藤颯介は、手元で防御魔法を発動する。
拡散した黄色い光の膜が、迫りくる攻撃魔法を全て防ぎきり、魔法を塵へと変える。
満足している間もなく、防御魔法を解除した志藤は、咄嗟に上を向く。
「マジかよ……!」
黄色の瞳が捉えたのは、まるで雨のように降り注いでくる攻撃魔法の群れ。
冷や汗を流し、タイル天井を背景に迫りくる魔法攻撃から逃れるように、志藤は前方に飛び込むようにして、回避をする。
「逃げているだけでは、勝てる戦いも勝てないぞ」
「分かってますッスけど……!」
逃げ惑う志藤の特訓相手を務めるのは、自分から名乗り出て相手となった日向蓮であった。
特殊魔法治安維持組織を離脱して以降、随分と丸くなったとは、周囲の人々からの評であったのだが。
「戦場で悠長に立ち止まっている暇などない。口を動かす前に身体を動かせ」
間違いない。あの人は鬼だ。まるで丸くなどなく、尖った角があの長い髪の下では生えているに違いない。
魔法が演習場のタイル床に着弾するたびに、激しい爆発と、突風が吹き寄せ、それらがもれなく志藤に襲いかかる。
両手で顔を覆っていた志藤の目の前に立っていたのは、格闘戦に身構える日向であった。
「えっ!?」
「ふん!」
日向が志藤の手を取れば、一瞬のうちに志藤の体は宙を舞い、背中から床の上に叩きつけられる。
透明なつばを吐き、悲鳴を上げる志藤を見下ろし、日向はスーツのネクタイを締め直す。
「が、は……っ」
「魔法の強さだけで優劣が決まるわけでもない。時には最適な戦闘方法を選び抜き、その都度選択し、実行する柔軟な対応も必要になる」
「ご鞭撻、どうもッス……」
痛む背中をさすりながら、志藤は立ち上がる。
「はあ……。ちょっとは通用するかと思ったんスけど、壁は高いみたいッスね……」
志藤はげんなりとしながら、肩を竦める。
そんな志藤に水の入ったペットボトルを投げ渡していたのが、日向であった。
「……正直言って、内心では俺も驚いている」
「水どうもッス――て、ええ!?」
クールな表情で驚いているなどと急に言われたものなので、志藤はペットボトルをキャッチし損ない、慌てて足で蹴り上げて宙に浮かし、どうにか落下は防ぐ。
「その顔で言われましても、いまいち信憑性ないッスよ……」
「失礼。中々感情を表に出せなくて」
日向は申し訳無そうに、眉を寄せていた。
「しかし、言ったことは本当だ。戦闘の基本すらままならないとも思っていたが、思いの外レベルの高い訓練をこなせている。経験があるのか?」
「まあ……自主練っぽいのは、何度かしてきましたッスけど……」
「そうか」
日向はこつこつと音を立てて歩き、志藤から距離を取る。
「だが、未だ特殊魔法治安維持組織には俺や影塚レベルの魔術師が多くいる。休みの時間も惜しい」
「了解ッス」
志藤も気合を入れ直し、息を吐き出しながら、起立する。
互いに攻撃魔法の魔法式を右手で展開し、構築していく。
(やっぱ向こうのほうが速え……。これが差ってやつか……)
たとえ同じ魔法でも、構築速度の段階で日向には負けており、これならば単純な魔法戦での勝機は薄い。
エレーナとの特訓でそれなりに実力はついているつもりだったが、まだまだ乗り越えるべき壁はあるようだ。
――魔法戦では善戦はするものの、じりじりと追い詰められ、守勢に回っていき、最終的に倒される。そんなことが続いてしまっていたのが、日向と志藤の特訓の有様だった。
「ああ、クソ……! 何回やってもまるで勝てる気がしねえ!」
「少なくとも、特殊魔法治安維持組織を取り戻すと大口を叩くのであれば、俺に完勝して貰わなければ困る」
床の上に座り込み、悔しさから手でそこを叩きつける志藤に向け、日向は平然と言い放つ。
「今の中途半端な状態では、仲間を守ることも出来ないだろう。奴や俺たちの隣で戦うなど、もってのほかだ」
「奴って……天瀬のことっスか……」
金髪の髪をだらりと垂らした志藤の口から出た言葉に、日向はすぐに頷く。
「ああ。特別な力をアイツが持っていると言うのであれば、ある種同等の力を身に着けなければ、差は開いていく一方だ」
「……やけに説得力ありまスね。ああ、嫌味ってわけじゃないッスよ」
「構わない。……俺にも、そう言う存在がいたからな」
そう言いながら日向は、中腰の姿勢となりながら、志藤に向けて手を差し出す。
志藤はその手をじっと見つめてから、握り返し、立たせてもらう。
「……だったら、置いて行かれたくはないんで、必死に追いかけまスよ」
「……その意気だ」
日向は微かに微笑み、志藤の言葉に頷いてやっていた。
「お前はフレースヴェルグの魔法生側のリーダーのはずだ。ならばリーダーとして、皆を正しく率いる事だって必要なはずだ。お前の選択で誰かが死に、お前の選択で全てが終わる事だってあり得る」
「リーダーっスか。そうっスよね……」
改めて、神妙な面持ちとなる志藤は、深く息を吸う。
「俺は仲間を信じてます。友だちでもあるアイツらを守るためにだったら、なんだってしますよ」
「お前の父親にも出来たんだ。だったら、お前にだって出来るはずだ」
「親父も出来たって……」
志藤が驚いて、振り向いた日向の背を見つめる。
どこか憂いを帯びているようなその背に追いつきたくて、志藤は必死に跡を追っていた。
※
自分の特訓相手との約束の時間に、約束の場所にやって来た誠次は、まるで真夏日の外にいるように、汗をかいていた。
まさか、そんなはずは……。ふとなにかの気配を感じ、無機質なはずのタイル床を踏み込むと、VR機能が開始される。
演習場の景色は一変し、香るのは夏の思い出の、草木の香り。板張りの道場の奥に、彼女は正座をしてたたずんでいた。
この光景は、見覚えがある。美しくも残酷な、命の光。時に儚く、時に眩しいとさえ感じるその光の只中にいたのは、蛍の光を纏った女性であった。
「ま、まさか、貴女が――!?」
「一ヶ月ぶりだな、天瀬誠次」
きちっと和服を着こなした、威風堂々とした佇まい。そして、聞く者の背を無意識にでも正す凛とした女性の声。
「改めて自己紹介しようか。私は篠上朱梨。かつて、そなたと共に空を舞った女さ」
一ヶ月ぶりにあった彼女の右手には、錆びついた鞘に納まった、蛍火・不知火が握られていた。
「一つ訊きたい剣術士。そなたは、人間をやめる覚悟はあるか――?」
~雨上がって、傘置き忘れる~
「はぁ……」
れん
「どうしたんっスか、日向さん」
そうすけ
「ため息をついて」
そうすけ
「失礼。みっともない真似をした」
れん
「ため息がみっともないって……」
そうすけ
「特殊魔法治安維持組織を抜けて」
れん
「隊長の肩書がなくなったところで」
れん
「結局立場は変わらないんだなと思ったんだ」
れん
「特殊魔法治安維持組織史上最年少の隊長っスか」
そうすけ
「やっぱ隊長ってキツいんスか?」
そうすけ
「直属の部下には恵まれていた」
れん
「ただ、問題は同期の連中だ」
れん
「影塚に南雲……」
れん
「任務は真面目にこなすのに」
れん
「普段での寮生活はふざけたり」
れん
「突拍子もないボケをかましてくる」
れん
「ぶつぶつ……」
れん
「……ん? どうした、志藤?」
れん
「なぜ、嬉しそうなんだ……?」
れん
「凄まじい親近感が今ここに!」
そうすけ




