3 ☆
「スーパーアルティメットファイナルマジシャンズグリーンは無くなったのか……残念だ……」
そうや
九月の初旬を過ぎ、太陽は高く、次第に涼しい風が吹くようになってきた。
青空の下のグラウンドに、拡声器の声がよく響いている。
茶褐色のグラウンドの上に立つのは、上は白、下は青のヴィザリウス魔法学園二学年生カラーをしたジャージに身を包んだ、ヴィザリウス魔法学園二学年生の魔法生たちだ。
平日ならばこの時間は午前の授業中。しかし近づく、魔法学園の威信をかけた体育祭の為に、合同練習の時間割が組み込まれていた。
『えー、騎馬戦選抜メンバーの二学年生の皆さん、これから学級毎の合同練習を行いたいと思います』
拡声器を手に、他クラス体育実行委員の男子の声が、グラウンド上に響く。
騎馬戦や棒倒しの団体競技になれば、個人種目よりも練習重量は多く必要になる。
『ご存知の通り、校内クラス対抗ではなく、学園対学園の戦いになります。よって、学園の中では同じチームであり、仲間ですので、団結して勝利を目指しましょう。あと、怪我のないように注意して――』
パタパタパタパタ――!
校長先生が挨拶に使うような朝礼台の上に立つ体育委員会の言葉の途中から、ヘリコプターの羽の音が響いてくる。その音は徐々に大きくなってきて、近づいてきているようだ。
グラウンド上に整列せずとも集合していたヴィザリウス魔法学園二学年生騎馬戦出場選手たちは、険しい表情をして、台上に立つ実行委員の言葉に耳を澄ましだす。そうでもしなければ、頭上を旋回しているヘリコプターの羽の音によって聞こえないのだ。
……頭上を、旋回している……?
「あのヘリコプター! なんか、着陸しようとしてね!?」
『静粛に! ヘリコプターが学園に着陸するなんて、よくあることですので!』
「いや、そうそうねーよ!?」
風が巻き起こり、顔を抑えながら叫ぶ選手たちと、拡声器を意地でも離さずに口元に添えて話す実行委員。冗談ではなく、突如飛来したヘリコプターは、魔法学園の敷地内に着陸しようとしている。
隣のグラウンド上で同じように合同練習を開催している棒倒し出場選手たちにも、突如として空を飛んで来たヘリコプターの姿はよく見えていることだろう。
「……来てくれたんだ」
慌てふためく周囲の魔法生たちの中、手で日差しを遮って空を見上げていた誠次は、その機体に乗っている女性の姿を、隔壁越しに確認した。
向こうからも、こちらを見つけた彼女の表情はやはり、太陽のように情熱的で眩しくて、美しくて綺麗な姿だった。
「あんなことしてるから、国家予算がかつかつになるのではなくて?」
香月が冷静に、ぼそりと告げる。
仰る通りである、としか言いようがない誠次は苦笑しながら、彼女を迎えに行った。
合同練習を一時的に離脱し、一人だけで理事長室前にやって来た誠次は、ちょうど彼女が八ノ夜と共に理事長室から出てくるところと遭遇する。
「――ティエラ!」
「あ、誠次っ!」
金髪に紫色の瞳をした、クエレブレ帝国の皇女、ティエラ・エカテリーナ・ノーチェが、長い長い航空を終えて、遠路はるばる再びこの国まで来ていた。
駆け寄った誠次と左手を合わせ、ティエラは変わらない笑顔を見せてくれた。
そんな二人の様子を、腰に手を添えた八ノ夜が見守っている。
「手続きは済ませてある。彼女の体育祭の参加は認められた。さすがに偽名は使うけれどもな」
「偽名?」
「マーシェ・カーマ。マーシェと、皆の前で呼んでください誠次」
ティエラは誠次の手をぎゅっと握ったまま、そう告げてくる。
「もちろん、二人きりの時は……いつものようにティエラで構いませんわ」
「来てくれてよかった。嬉しいよティエラ。体育祭に参加してくれてありがとう」
「私も、こうして再び貴男に会えてとても嬉しいですわ……。別れてたったの数週間ほどですけれども、貴男がいない日々が寂しくて……私……まるで地中海の青い海のように青な気持ちとなりましたわ……!」
それはそれで結構綺麗だと思うのだが……。
「おーい。まだ合同練習中だ。早く用意した体操着に着替えて、練習に参加せんか。私に是非とも優勝トロフィーをもたらしてくれ」
こほんと咳ばらいをした八ノ夜に言われ、誠次とティエラは気まずく、視線を合わす。
「まだ右手は……」
「ええ……全快はしておりませんわ。ですので誠次。再び、この国にいるあいだの私の護衛、再びお願いできますでしょうか?」
「もちろんだ。任せてくれ、ティエラ」
「嬉しいです……。では誠次、早速ですが、また着替えのお手伝いを……」
ティエラが胸に手を添えて、そのような事を言ってくる。思い出すのは、光安からの逃走中のアパレルショップでの更衣室の出来事。
お互いに顔を赤く染め、誠次はこくりと、頷いた。
魔法学園の体操着と、上から羽織るジャージ姿に着替えたティエラと誠次は、再びグラウンドへと向かう。
「そう言えば誠次。私は一体、どのような競技に参加するのですか?」
「騎馬戦だ。右腕が使えなくても、ちゃんと活躍できるから安心してほしい」
「ええ。初めて経験する競技ですけれども、貴男とでしたら私、どのようなものでも、きっと楽しめますわ……」
誠次の横顔を見つめ、うっとりとした表情で言うティエラであった。
――が、しかし。太陽のような彼女の笑顔に、土砂降りの雨が激しく叩きつけられるような事態になるのに、そこまで時間はかからなかった。
「――いやあああああっ!」
グラウンドに轟き渡る、竜の鳴き声のような悲鳴。
グループ毎に分かれて始まった一時間ほどにわたる騎馬戦の練習時間。その最初の最初で、ティエラが悲鳴を上げていた。
「うるさいですよ、偽ルーナ」
「偽ルーナとはなんですの!?」
ジト目を向けるクリシュティナに、ティエラがツッコむ。
そのほかにも、周りの騎馬戦出場選手たちが、突如やって来た謎の美少女海外助っ人転校生の姿を、遠巻きに見つめていた。
「どういうことですのルーナ! なぜ、なぜ貴女が、誠次の上に乗るのでして!?」
「当然だろう。私は姫であり、竜騎士だ。つまり騎士は馬に乗るものだ」
ふんと、勝ち誇ったかのようなどや顔を浮かべながら、銀髪をロングポニーテールで束ねているルーナはティエラに告げる。
「あ、ありえませんわ! 私と誠次が別のチームだなんて!」
ティエラが紫色の視線を、そうして誠次へと向ける。
その他からも、視線を痛いほど感じながら、誠次は気まずく後ろ髪をかいていた。
「す、すまないマーシェ。誘ってくれたのが、ルーナの方が少しだけ早かったんだ……」
「まったく。体育祭をなんだと思っているのだ。学園の誇りと威信を賭けて競い合う、誇り高き学園行事のはずだ。……そこに、やましい思いなんて、決して抱いてはいけない……」
「貴女が言わないでくださるルーナ!? 後半にやましい思いダダ洩れですし!」
西の姫が北の姫を罵倒している。
「って言うか、マーシェさんの右腕、動かないんじゃ……。それなのに出来るの?」
桜庭が不思議そうに尋ねてくるが、心配無用、と言わんばかりにティエラは微笑む。
「心配無用ですわ、桜さん。私もルーナと同じく竜に乗る身。片腕が使えなくとも、そんじゃそこらの一般人とは違って、バランス感覚抜群ですわ」
「そ、そんじゃそこらの一般人……。お姫様に言われると、なにも言い返せない……」
「なによりも私は――」
ティエラはそう言って、誠次の隣まで歩み寄り、直立していた彼の腕を絡めとる。
運動に適した通気性のよい白い生地は、さらさらで心地よい感触で以って、誠次の腕を包み込んだ。
ぞわりとした感覚が身体を駆け抜け、誠次は背筋をピンと伸ばす。
「この私の唯一無二の騎士と、バイクで一緒に日本国内を駆け抜けたのです。実力も経験も、ありますわ」
ですよね、と誠次に上目遣いを行い始めるティエラを見て、慌てたルーナが逆の腕を取り、誠次を引っ張り出す。
「わ、悪いが、誠次は私の騎士だ。下手に触らないで貰おうか」
「お、おのれルーナっ!」
「フ。残念だったなマーシェ!」
「そもそも騎士って騎馬役も兼ねるものなのだろうか……」
ぼそりとそんなことを言う誠次への、周囲の人々からの殺意の籠った視線が止まることをしらない。
このグループの中では唯一の男として、彼女らを纏めなければ、チームワークどころではない。
こほんと咳ばらいをして、誠次は声をかける。
「みんな、一致団結してくれると助かる。体育祭で狙うべきは、この学園の勝利と、皆との団結力の向上だと思う。だからマーシェ、出来れば力を貸してほしい」
誠次の言葉を聞き、ティエラは納得したように、微笑んで頷いてくれた。
「貴男にそう言われてしまえば、もうなにも言えませんわ、誠次。私は今はゲストのようなもの。この学園の為にも、力を尽くしますわ」
「ま、よろしくね、マーシェちゃん。来てくれてありがとう」
暫定的にBチームのリーダー的役割を担っている綾奈が手を差し伸ばし、ティエラと握手をする。こういう時にリーダーシップを発揮してくれる彼女には、いつも助けられていた。
「ありがとう、綾奈」
「……別に。言っておくけど、同じ学級のチームでもアンタたちより活躍してやるんだから」
ふん、とそっぽを向きながら、綾奈には言われてしまっていた。
「お互いに頑張ろう。怪我しないようにな」
誠次がそう声をかけ、自身が所属するAチームのメンバーの元へ向かっていく。
「……っ」
「しのちゃん! 早く来て!」
「う、うん! わかってる!」
桜庭に呼ばれ、誠次の後姿を見つめていた綾奈もまた、自身が率いると言っても過言ではないBチームの元へ向かう。
「私たちは、マーシェちゃんが上に乗るのは確定ね。後は下の騎馬役の配置だけど……」
「あ、あたしは後ろで良いかな……」
「私も先頭ですと、なにかの手違いで偽ルーナを落としかねません」
「なにかの手違いってなんですの!? 私もの凄く怖いのですけれど!?」
ティエラがぞっとする中、綾奈もおでこに手を添えてため息交じりに頷く。
「じゃあ私が先頭ってことで」
綾奈が先頭を担い、早速、ティエラを後ろ桜庭、クリシュティナで持ち上げようとする。
――だが、しかし。
「ちょ、ちょっと!? 暴れないでよマーシェ!」
「貴女の持ち方が下手くそなのでしてよ、綾奈! それにクリシュティナも、やる気がありませんわ!」
「勝手なことを言わないでください。私はきちんと支えています。ああ――貴女が重たいのでは?」
「み、みんな協力しようよー……」
ぐしゃぐしゃに折り重なった三人の少女を見て、桜庭は前途多難そうにため息をついていた。
前置きとして、基本的にはみんな、体育祭ないしは騎馬戦という競技において、やる気は人並み以上にはある。ただ、いかんせん互いの連携がなっていない。
唯一全面的に協調性を見せているのが斜め後ろの桜庭だけであり、綾奈とティエラはゲームの時から根本的に相性最悪であり、クリシュティナもまた、七夕の日からティエラ相手へのわだかまりを完全には解いてはいなかった。そうなれば、完璧な連携などあってないようなものである。そして何よりも、決定的な亀裂となったのは、先程のティエラによる誠次への過度なスキンシップであると言うのは、言うまでもない。
「もう無理―っ! 助けて誠次ーっ!」
「助け求めるの早すぎじゃないしのちゃん!?」
「大変そうだな、Bチーム……」
彼女らの苦戦の様相を見守っていた誠次が、思わずそう呟いていると、ルーナに詰め寄られる。
「誠次。私たちもレベルアップをしなければ。ティエラには負けたくない」
誠次はルーナの期待するようなコバルトブルーの目を見つめ返し、うんと頷く。
「勝ち負け気にせず楽しもう……とも言っていられないのが、体育祭だしな。頑張ろう」
そして、Aチームのもう二人。香月と千尋にも、誠次は声をかけていた。
「香月、千尋。よろしく頼む。一緒に頑張ろう」
「ええ。頑張りましょう、天瀬くん」
「私たちのチームならば、優勝間違いなしです!」
そう答える香月と千尋との結束力ならば、特訓も上手くいきそうだ。
……そう思っていた時期が、誠次にもあった。
「きゃっ!?」
「詩音ちゃんさん!?」
三角形の先頭に立ってルーナを支えていると、右側後方の香月の腕が悲鳴を上げて、そこから崩れてしまう。
その他にも、
「ご、ごめんなさい……。やっぱり私のスタミナ不足で……」
斜め後ろを走る香月が先にバテ、そこから姿勢を崩した騎馬であったが、ルーナは軽やかに地面の上に着地していた。
「こうなれば、詩音ちゃんさんが上になった方が。ルーナさんには申し訳ありませんが……」
「そうした方がいいか……」
ルーナもそうして、場所を変えようとするが。
「い、いいえ。私が上に乗ったとしても、それこそ満足に戦えないわ……。だったらまだ、可能性があるルーナさんを上にしたほうがいいと思うから」
まだまだ暑さは残る初秋の朝、日が高く昇り始める頃。額に滲んだ汗を拭いながら、香月が言う。
一方で、誠次は顎に手を添えて、真剣な表情で考えていた。
「ルーナ。多少バランスは崩れても、ルーナならば耐えられると思うが、どうだろうか?」
誠次に問われたルーナは、腰まではある長い髪をロングポニーで束ねた運動用の頭を、うんと頷かせる。
「ああ。両足だけでも少しの間ならば、私ならば空中でもバランスは取り続けられるだろう」
現状として、ルーナの臀部を支える香月の右腕が、先に耐えられなくなっているケースが多い。そこからルーナが姿勢を崩し、ずるりと落ちてしまうのだ。
「ならばルーナ。もしも香月の腕が支えられなくなってしまったら、俺にもたれ掛かって来てくれて構わない。少しの間ならば、俺もルーナを受け止められるだろう」
「「「……!?」」」
真剣な表情のままそんなことを言い放った誠次に、三人の銀髪と金髪の少女たちは、思わずあっけにとられ取られているようだった。
「ん? なにか、変なことでも言ったか、俺?」
豹変した空気にきょとんとする誠次にはわけがわからず。ただただ騎馬戦に香月を含めた全員で、あくまで香月がいらない娘のような扱いをされたくはない思いで、そんなことを言ったのだ。
「そ、そうか。誠次っ。君が私を、その……背中で受け止めてくれるの、だよな?」
少しそわそわした様子で、ルーナが身体を前屈みの姿勢で傾きかけながら、尋ねてくる。
「ああ。大丈夫だ。俺が必ずルーナを支える」
目指すべきは、騎馬戦での勝利と、それに連なるクラス及びヴィザリウス魔法学園の勝利だ。そこに至るには、力を合わせなくてはいけない。それ以外に一体全体なにを思う事があるのだろうか、と。
そんな生真面目な返答をする誠次を、今度は香月と千尋が、どこか面白くなさそうな表情で、ルーナの胸元の白地を押し上げる大きな塊を見つめながら、交互に見ていた。おおよそ、お互いには持っていない、偉大で立派なまあるい代物である。
「みんな、気合を入れるぞ!」
もう一度誠次を先頭にした三人で騎馬を組み、ルーナがそれに跨がる。
誠次の指示の元、騎馬の形はすでに完璧である。それはやはり、上に跨がるルーナの運動神経の良さと、連携の良さがあるのだろう。
「きゃっ!?」
そしてやはり崩れてしまうのは、騎馬の中央部。誠次の左肩に添えられていた香月の右腕がすっぽりと抜け、ルーナが態勢を崩す。
予め言っていた通り、先頭を行く誠次へ、ルーナは身体の前面を押し付けるようにして来る。両腕を咄嗟に誠次の身体の前に回し、ぎゅっとしがみつく。
最初に感じたのは、体操着を引っ張るルーナの痛いほどの指先の圧力。そして、直後に背中に直撃したのが、それこそ三人の女子が危惧していた、ルーナの女性らしさの象徴の圧倒的な主張であった。
「へ……っ」
一瞬にしてその感触に気がついた誠次は、顔を真っ赤にして、ルーナをおんぶしたまま、直立していた。それでもがっちりとルーナを支えられている体幹と足腰の強さを誇るべきか、否、それ以上に感じる圧倒的すぎるルーナの体操着越しの柔らかい感触に、顔を真っ赤に染め上げた誠次は一歩たりとも、その場から動けなくなっていた。
「だ、大丈夫か、誠次……。君が、支えてくれると言ったから、その……」
「は、はい……大丈夫で、す……」
真っ赤になったお互いの顔立ち。そんな中でもルーナが、誠次の耳元に顔を寄せて言って来たため、誠次は掠れ声で答えていた。
「あの、いつまでそうしてしがみついているつもりなのかしら。一瞬で偏差値が低くなったわね」
「そ、そうです! くっつきすぎです! わ、私が上に乗ると言う案はどうでしょうか!?」
香月の冷たい言葉と、千尋の落ち着かない言葉に、誠次はハッとなり、ルーナを地面の上に降ろしていた。
「ルーナちゃんのが頭に乗っかった……。羨ましい……」
「なんで、アイツばっかり……!」
同じ志を胸に、騎馬戦に挑んでいるはずの他クラスの少年少女たちは、アルゲイル魔法学園に向けるはずの闘志を、今は剣術士へ向けることになっていた。
これでは今のところ、きちんとした競技にすらならず、騎馬戦組は前途多難である。
朝練が終われば、待ち受けているのは通常授業だ。体育祭が終われば待ち受けているのは中間テストであり、まさしく気の抜けない日々が続いている。
「――じゃあ次のページ……って、志藤と帳はどうしたんだ……?」
数学教師が訝しげに眼鏡をくいと持ち上げ、中央の席で突っ伏す二人の男子を見る。
「あ……が……」
「か……は……」
……日に日に損傷具合が酷くなっている気がする、二人である……。
「き、極度の腹痛だそうですっ!」
そんな彼らに挟まれた席に座る誠次は、ノートを三冊分、自分の机の上に広げていた繰り広げていた。左右にあるのは志藤と悠平のもので、後で見せるために、誠次は通常の三倍の労力を使い、必死にホワイトボードの文字をノートに書き写していた。
そんな誠次の止まることのない手元の形相など知る由もない教師は、首を傾げたまま、再びホワイトボードに文字を刻む。
「そ、そうか……まあ……無理そうだったら天瀬、保健室に連れて行ってやれ。ところでここは……小野寺、答えられるか?」
教師が次いで、小野寺真を指名すれば、なんと彼は、突如起立をする。普段、教師に指されても着席したままの回答でいいのにも関わらず。
「はい! 問題なく、自分は覚悟しています!」
「お、おう……。いや、そこまで回答に気合いれなくとも……」
教師がおっかなびっくりに言うが、真の目はなんというか、メラメラと燃えている。それは普段、授業中も真面目で変に目立つことの決してなかった彼にすれば、異常な姿でもあった。
「このクラス、定期的に生徒が発狂してる気がするんだが……」
数学教師はかつてのこのクラスでの女性陣の発狂の記憶も思い出し、戦慄していた。普段の授業態度もすこぶる真面目な男子すらも、何やら様子がおかしくなっている……。
昼休み、誠次は志藤と悠平と聡也と真と共に、食堂で昼食をとっていた。
「マジでありえねー……。日向さんの特訓、鬼すぎるっての……」
「こっちもだ……。南雲さん、意外と厳しい……」
身体中ボロボロだが、食べるときは食べる。それがまだまだ育ち盛り、食べ盛りの男子の特権だ。
授業中の静けさとは打って変わり、大盛りの定食をガツガツと食べながら、志藤と悠平が愚痴を零し合う。
一方で、対照的にあまり食が進んでいないのが、真の方であった。
「自分からすれば、お二人が羨ましくも見えてしまいます。まだまだ全然、特訓のとの字も出来ていませんですし……」
「前途多難そうだな……」
三人の男子がそれぞれ消耗していく様を、今のところは誠次は、まだ対岸の火事のような目で見ることができていた。もっとも、影塚や朝霞たちが指定した自分の特訓相手がまだわからない以上は、戦々恐々していることに変わりがないのだが。
「ところで、体育祭の方は、みんなはどうなんだ?」
「俺は棒倒しの大将になっちまった……。どうせなら下で暴れてえんだけど……」
悠平がそんなことを言う。
「お前が大将なら、簡単には陥落しねえだろうな。俺は障害物競争だ。他にやりたがる人がいなくてさ、神山に直接頼まれちまった」
大好きな食事と、得意な運動のことになれば、志藤はやや明るさを取り戻し、周囲に向けて言う。
「自分は定石通り、100メートル徒競走です。陸上部の短距離専門ですからね。頑張りませんと」
「俺も志藤と同じ、障害物競争だ。なんであの競技は、あまり人気がないのだろうな」
ラーメンを啜りながら、聡也が首を傾げている。湯気がもくもくと漂えば、彼の黒縁メガネのレンズが真っ白に曇っていた。
「さあ。単純に見た目のダサさ、とか? 俺は面白そうだけどな」
志藤が頭の後ろに腕を回して、背もたれに寄りかかりながら言っている。
「騎馬戦は楽しそうだよなあ。棒倒しはやる気がある男子と女子と、反対にやる気がない男子と女子が集まってさ、団結力皆無なんだよ」
悠平が言う。
「ああ……容易に想像できますね……。皆さん後ろの方に回って、やる気がある人たちの奮闘を見守る会、でしょうか」
「そーそー。どうせなら、一緒に楽しんだもん勝ちだと思うんだけどな」
パスタをスプーンの上でくるくると巻く真の言葉に、パンをもぐもぐと咀嚼する悠平は肩を竦めていた。
「騎馬戦の俺たちは、なんというか、連携力不足だ……。唯一の男である俺が、上手くみんなを纏められれば良いと思うけど」
誠次はタピオカ入りの緑茶をストローで吸っていた。
「こふっ!?」
一部の活きの良いタピオカが喉に襲撃してきて、誠次はけほけほと胸を叩いて呼吸を正常に戻そうとする。
「タピオカほど現実は美味しくも甘くないもないってか」
苦笑する志藤が誠次の背中をとんとんと叩きながら言っていた。
「謎の最後の一つの競技も気になります。順当に行けばありがちなのは、全員参加リレーでしょうかね?」
真が小首を傾げながら、不思議そうにしている。
「それなんだが、卒業した水泳部のOBの先輩に尋ねてみても、箝口令が敷かれているらしく、何も話してはくれなかったんだ」
「箝口令って……。今どき聞かねーぞそんな言葉……」
聡也の言葉に、志藤がぞっとしていた。
こうして、謎に包まれた最終種目への興味半分、憂い半分を含め、フレースヴェルグの活動と共に体育祭へ向けた特訓と準備は進んでいく。
「そう言えば聡也。今日はいよいよ、聡也の特訓相手がやって来る」
「ようやくか。昂ってきた」
「お、おう……」
誠次と聡也の二人は、席を立っていた。
放課後、誠次は夕島聡也と共に演習場まで向かうため、廊下を歩いて向かう。
「体育祭も重要だけど、それが終わればテストだってある。勉強も両立させないとな」
「う……。そうだよな。体育祭が終われば、テストか……。次も低い点を取ろうものなら、いよいよあとがない……」
頭が痛くなりそうな発言を聡也から受け、誠次は廊下を歩きながら、とほほと肩を落とす。
体育祭が終わった一〇月には、テストがある。そこへ向けて、勉強もきちんとやらなければならないのだろう。
「……」
隣を歩きながら、そんな誠次の様子を見つめていた聡也は、口角を軽く上げる。
「まあ……俺も今やらなくちゃいけないこと、優先すべきことの分別は出来る。未来のためにも、戦うための備えはする。……もちろん、勉強もな?」
「俺に訊くようにして呟かないでくれ……」
「勉強も、な?」
「あー分かったよ! お前は俺の母親か!? ちゃんと勉強もやる!」
誠次は腕を振り払い、聡也の前で宣言する。
「それで、俺の特訓相手をしてくれるのは誰なんだ?」
「さあ、俺も正直見当がつかないんだ。影塚さんに日向さんに南雲さん以外にも、まだ相応しい人もいるのかな……」
「第一、誠次。お前の特訓相手だって、まだわからないんだろう?」
聡也に言われ、誠次もううむと唸りながら頷く。
「ああ。俺が知っている人だと言われてるが、皆目見当もつかない。朝霞刃生ではないはずだが……」
こんな時に、嫌でも彼の顔を思い浮かべてしまうのは、もう仕方のないことなのかもしれない。
「お互い、すべきことや学ぶべきことは、沢山あるようだな」
「嫌か、聡也?」
「まさか。勉強等で知識が増えるのは好きだ。お前の好きな読書だって、同じようなものなのだろう?」
「……そうかもしれない」
「だったら、やって損はない。そう思うさ、誠次」
ここより先、自分はまだまだ学べることがあり、強くなれる。そう思えば、不思議と、期待と希望を抱いた足の進みは早くなる。
やがて二人は、人気のない演習場に到着する。
「「よろしくお願いします」」
誠次と聡也が共に演習場に入ると、広い室内の中央に、立っている男性が一人いた。
「待っていたよ。天瀬くん、夕島くん」
そんな男の声は、誠次からすれば、微かに聞き覚えのあるものだった。連想するのは……梅雨の、激しい雨の音、だろうか。
「貴方は……」
「霧崎宗司。千葉県以来かな。一応、元特殊魔法治安維持組織だよ」
かつては八ノ夜と共に特殊魔法治安維持組織であった霧崎が、なんと聡也の特訓相手を務めるようだ。
「は、始めまして」
初対面の元特殊魔法治安維持組織を前に、流石の聡也も、若干緊張しているようだ。
「特訓相手、引き受けてくださったのですか?」
「ああ。現役を退いて結構経つけど、腕は衰えていないはずだ」
霧崎は人の良さそうな笑みを浮かべながら、自分の右腕をそっと触る。
「家の動物たちは、大丈夫なのですか?」
「知り合いに預けているよ。正直ちょっと寂しいけど、俺だって、半端者は半端者なりに、やることはやらないとな」
誠次の質問に答えた霧崎は続いて、直立する聡也を見る。
「君は、頭が良さそうだ」
完全に見た目だけで判断した霧崎の言葉であるが、あながち間違ってはいない。
「基本的な魔法はある程度扱えるとは思います。得意属性は雷で、幻影魔法に秀でています。特訓では、より高度な実戦に備えた魔法の戦い方を学べられればと思います」
「あ、ああ……」
自己分析をきびきびと告げる聡也に、霧崎はやや、面食らっているようだ。
聡也は同年代の中でも、魔術師としての才は優秀な方だとも言える。他の三名と比べれば、特訓もレベルの高いものがいち早く出来そうだが。
「ただ、どんなに優秀な魔術師でも、弱点は必ずある。悪いけど、基礎から行かせてもらおう」
霧崎はにこりと微笑み、面白気に聡也を見ていた。
「よろしくお願いします、霧崎さん」
「まあ……そう堅くならなくても……」
「いえ。本来魔法戦の訓練は危険が伴うもの。気を引き締めます」
きりっとした表情のまま聡也は笑うこともなく、霧崎に答えていた。
そして流れてしまう、やや気まずい空気のようなもの。
「……俺の特訓相手は、明日到着か」
電子タブレットの知らせを受けた誠次もまた後ろ髪をかき、簡単にはいかなそうな予感を感じていた。
~オポジション~
「チェックメイト」
そうや
「やるじゃないか」
そうじ
「今度は俺の負けだ」
そうじ
「へえ、夕島ってチェス出来るんだ」
あやな
「その歳では珍しいかもね」
そうじ
「子供のころから」
そうや
「父親の相手を務めていました」
そうや
「ルールや基本的な戦術はわかります」
そうや
「すっご……」
あやな
「私はお祖母ちゃんの影響で将棋しかわからないな」
あやな
「将棋を嗜む女性も中々珍しいかと……」
そうや
「ボードゲームの相手だったら」
そうじ
「いつでも受けて立つよ」
そうじ
「動物相手だと、限界があるしね」
そうじ
「「動物とボードゲーム……!?」」
そうや&あやな




