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魔法世界の剣術士 中  作者: 相會応
彼女が少女に戻るとき
105/189

4 ☆

「かずくんのお姉ちゃん……久しぶりに見たけどすごく美人になってる……。きっと、大人で素敵な女性なんだろうな……。って、なんでそんな苦笑いしてるの、かずくん?」

                 はるか

 ちゅん、ちゅんと、鳥のさえずりが、朝日差し込む窓の外から聞こえてくる。

 湯沸かし器から白い煙が音を立てて上がれば、お湯が湧いた合図だ。エプロンを纏い、金髪碧眼の少年は、急いで湯沸かし器を魔法で浮かし、テーブルの上にまで持っていく。

 繊細な魔法の技術で湯沸かし器を傾け、テーブルの上に用意しておいたティーカップにお湯を注げば、紅茶の良い香りが一気に漂ってくる。

 そして、ティーカップからも上がる、白い煙。その先にあった二階へと続く階段の方より、降りてくるパジャマ姿の女性の姿があった。


「おはよう姉さん」


 フライパンとトングを手にもち、せっせと朝食の準備をしていた星野一希ほしのかずきは、遅れて起きてきた姉に、笑顔を見せる。


「おはよう、一希」


 寝ぼけ眼を擦っていた星野百合ほしのゆりは一瞬だけ驚いたような表情も見せたが、人間の生理現象の一つである目覚めのあくびによって、ほわあと、口に手を添えていた。


「なになに? 朝ごはん作ってくれるなんて、できる男ね、一希?」


 百合はテーブルの椅子に座りながら、るんるんと鼻歌でも歌い出しそうに、嬉し気に言ってくる。

 再びキッチンへと向いていた一希は、やや恥ずかしく、フライパンに卵を片手で割って落としていた。


「別に……。ただ、小学生の頃、帰りが遅い父さんと母さんに変わって、姉さんがやっていたことを思い出したんだ。それに、一人暮らしだってずっとだったから」


 テーブルの上にはサラダとパンが置いてあり、一希の言葉を聞きながら、百合はそれを感慨深く見つめていた。

 ただ、よく見ると、切ってあるトマトやきゅうりなどは、不格好な断面ではある。

 そして、フライパンを慎重に扱う一希の指には、絆創膏が貼られていた。


「……でも、()()()()は誠次くんが一枚上手だったみたいね?」


 誠次。その男の名を聞き、一希は一瞬だけ眉をピクリと動かすが、やがて柔和な表情となって、自身の失敗の傷を見る。わざわざ治癒魔法で治すこともない、大したことのない切り傷であったため、絆創膏を貼っていたのだが。


「……うん。僕はどうやらまだまだ、剣術では誠次には遠く及ばないようだったよ」


 一希はそうして微笑み、百合の待つ方へ出来立ての目玉焼きを持っていく。中学生の頃から一人暮らしはしていた為、それなりに自炊の腕もあるが、はっきり言って、まだまだ人様に張り切って出せるほどの腕じゃない。

 それでも、姉である百合は美味しいと言ってくれた。


「でも、僕も紛いなりに魔剣を持った責任はある。そして、新たにやらなくちゃいけないこともできたんだ」

「聞きたいな。愛しの弟くんの、新しい決意を」


 寝癖が残る金髪の百合は、目玉焼きを乗せたトーストを、口でふーふーと熱を冷ましながら、美味しそうに頬張る。さくっ、と言う音は、聞いているだけでお腹が空いてきそうだ。

 百合に問われ、一希はやや恥ずかしそうに、うつむく。しかし、顔を再び上げるのに、そう時間は掛からなかった。


「僕も彼と……誠次と同じく、今度は命を奪うのではなく、誰かの命を守るために、戦いたいんだ。それがかつて過ちを犯し、強大な力を持った人の責任なんだと思う」


 一希は自分の傷が入った右手を力強くぎゅっと握り締め、そして優しく離す。


「あの魔剣がこの魔法世界にある意味だって、きっとそうなんだ。傷つける為じゃなく、誰かを守るためにあるんだって……」


 そう言って項垂れかけてしまう一希の目の前で、金髪の長い髪がふわりと舞う。

 すぐに鼻に感じるのは、甘く芳しい香り。そして、柔らかく温かい感触が、震えかける一希の全身を包んだ。


「一希だけのせいじゃないわ……。大丈夫。今度はお姉さんがついているから。一希がその責任を果たし終えたらそのときは、きっと平和で穏やかな日々が待っているわ。貴方が殺めてしまった人の分まで、頑張って生き続けないと、怒られちゃうよ?」


 百合の抱擁を受け、一希はうんと、深く頷く。


「……分かってるよ、姉さん。ありがとう。こんな僕を見捨てず、愛してくれて……」

「残念でしたー。貴方の事を愛しているのは、なにもお姉さんの私だけじゃありません。たくさんのお友だちが、一希を待ってるわ」


 そうでしょ? と百合は確認をするように、小首をかしげる。差し込んだ朝日の光が、彼女の顔をきらきらと輝かせていた。


「うん……。そうだね……」


 百合が背中に回していた手を戻していき、一希の両手をとり、ぎゅっと握る。

 穏やかな笑みを浮かべる姉を前にして、一希もまた、優しく微笑んでいた。

 実に数年ぶりに見た気がする、最愛の弟の優しい再び笑顔を見ることが出来た百合もまた、ずっとあった胸のつっかえが降りたような気がして、優し気に微笑んでいた。

 

 大阪の高級住宅街の一角に、一希の家はある。傍目から見てもお金持ちそうな、庭付きの一軒家。玄関先には門があるが、残念ながら悲劇の夜のときには、その門を開けてしまったのは他でもない、善良な市民であった両親の方であった。そんな一希宅の隣に建っているのが、一希の幼馴染である雛菊ひなぎくはるかの実家、雛菊一家の家だった。

 屋根付き玄関の前に立ち、一希は呼び鈴を鳴らす。家の中からの応答は、すぐにあった。

 足音が近づいてくるにつれ、腹の底から緊張感が押し寄せる。まだまだ夏の暑さが厳しい気候ではあるが、きっとそれだけではない理由で、汗も噴き出てしまう。


「こんにちは、雛菊さん」

「星野くん……。はるかから、話は聞いたわ。上がって頂戴」


 幼少期からの顔見知りであったが、ここ最近はだいぶ顔も見ていなかった、雛菊はるかの母親が、一希を迎えた。優しそうな顔立ちをした、看護師の女性である。


「い、いえ……。僕のせいで、はるかさんが大変な目にあってしまったのです……。僕には上がる資格はありません」

「でも……」

「良いんです。学園も、しばらく休むつもりですから。ただ、雛菊さんへはどうしても謝罪をしたくて……。子供のころから世話になっていたと言うのに、その恩を、(あだ)で返すような真似をしてしまったんです……」


 一希はそう言って、玄関を跨ぐことなく、深々と頭を下げる。職場の関係もあり家族ぐるみでの付き合いもあったので、幼いころからよく知り合っている関係だ。


「私も貴男のことをずっと心配していたのよ、一希くん。小さな頃に両親を失ってしまって、大変だったと思うわ。私たちが貴男を引き取るという話もあったけれど、それでも貴男は一人で生きていく道を選んだの。本当に強い子だと思ったわ」

「僕は強くなんてありません……。力に溺れ、その力の使い方を誤ってしまいました。結果として、はるかさんを傷つけてしまいました……」


 一希は微かに頭を上げ、視線を落として言う。


「詳しいことは私もわからないけれど、星野くんにもちゃんとした理由があって、そうなってしまったのだと、私は思うわ。だって貴男は、本当は心優しい男の子のはずだもん」

「人を傷つける正しい理由なんて……」


 あるわけがない。自分で言っておきながら、しかし実際に自分がしでかしたことを鑑みて、一希は悔しく、口端を噛む。そんなことにすら、自分は気がつけていなかったのかと。


「私たちは魔法が使えないし、どうにもならないのだけれど。それでも今の魔法世界は決していいものなんかじゃないと思うわ。それを変えられるのはきっと、星野くんやうちの娘なんだって、思うし」


 雛菊母はそう言うと、にこりと微笑む。強い女性であった。

 一希はそんな彼女の顔を、じっと見つめていた。


「だから、めげずに頑張って! それでもどうしてもまた辛くなっちゃったら、いつでも帰ってきていいんだから。貴男が帰る場所は、ちゃんとここにもあるんだから」

「ありがとう、ございます……」


 雛菊母の優しさにも触れ、一希は再び胸の底から込み上げる、熱いものを感じていた。

 結局最後まで家の中には上がらず、雛菊家を後にしようと、背を向けて歩いていた一希に、家の方からかけられる大きな声があった。


「かずくーん!」

「え、はるか?」


 振り向けば、彼女の部屋がある二階の窓から身を乗り出して、元気そうな笑顔を向けてくるはるかがいた。


「あ、危ないぞ、はるか! まだ身体が痛むはずだ!」

「だ、大丈夫だよ! お見舞い来てくれてありがとう、かずくん! アルゲイル魔法学園で、絶対また会おうねっ!」

「はるか……ありがとう……こんな僕に……」


 ぎこちなかった一希の腕は、やがてしっかりとした形を作って、大きな手のひらで返事をする。

 雛菊家を後にした一希は、父と母が家とともに残してくれた車の助手席に、乗り込む。残してくれたのだが、自分は結局未だに運転席には座っていない。幼い頃に運転してくれていた両親の代わりに、今は姉が運転席に座ってくれていた。


「日本車は久しぶりに運転するわ。もしかしたら、変な事故しちゃうかも」

「姉さんの場合は本当にしそうだから怖いんだ」

「もう! お姉さんに任せなさい!」


 一希が茶化せば、百合は膨れ面となり、車のエンジンをかける。

 

「それじゃあ、姉弟水入らずの旅に出発進行ー!」

(むー。ご主人様! この女、わざとらしくてあざとい感じがして、かまとと臭がします! わかりやすく言えば、糞○ッチです!)

「ベイラ……。姉さんの悪口は言うな」


 頭の中で使い魔である口の悪すぎる妖精少女の声が聞こえ、助手席に座る一希は思わず反論する。


「あー。まーた一希の使い魔の妖精ちゃんがなにか言ってるの? 私はベイラちゃんとも仲良くなりたいって思ってるんだけどなー?」

(なにが仲良くなりたいですか……。この私と仲良くなろうなんて、百万年早いんですよ! この○ッチ女!)

「ベイラ……。いい加減にするんだ」

(はーい。ご主人様ー)


 主としてこちらの言うことは素直に聞く、口の悪い妖精さんである。自分で言うのもなんであるが、()()()()()自分に比べれば、まだまだ棘だらけである。おそらくだが、この棘が抜けきることはないのだろう。


「一希も。お姉さんに隠し事してるなら、早く言いなさい?」

「え、なんで僕が悪いことしてみたいになるんだい!?」


 運転席でハンドルをぎゅっと握り締める百合が不満気にしている。そんな彼女の胸元にどうしても食い込むシートベルトに視線を奪われかけ、一希は慌てて前を見据える。


(言ってやってくださいご主人様! 決闘ならいつでも受けて立つと!)

「ベイラちゃんもかかって来なさい! そんなに私が嫌いならば受けて立ってあげる!」

(なにおう!?)


 お互いに変なところで通づるところがあるのだろうか、自分を介していなくても口喧嘩を始める一人と一匹である。まるで自分の左隣にも席があって、言い合う二人の女性に挟まれているような気分だ。


「……ビュグヴィル。ベイラを頼む」

(ん……任された)


 こういう時、もう一人の妖精、ビュグヴィルがベイラを抑えてくれる。ダウナーな性格ではあるし、ぐうたらな妖精でもあるのだが、どちらかと言えば頼りになる方だ。


 東京都内某所――。

 未だ人の目から逃れるようにして、本城直正ほんじょうなおまさが持っていた私兵とも呼ぶべきレジスタンスの面々は、地下アジトで潜伏生活を続けていた。

 特殊魔法治安維持組織シィスティムや光安による取り締まりで、多くの人員を失い、殺害もされた。残された者たちは未だに、栄える日本の街に住む一般人とは隔絶された世界で、力強く生き残っている。

 そうして身を寄せ合う、この魔法世界を変えようと集った人々の元に、一人の少年がやって来ていた。

 

「――ここまでで十分です、朝霞あさかさん」


 現地集合をし、車から降りてから、付き添いとしてここまで共に歩いていたかつての恩師に、金髪の少年は声をかける。


「本当に良いのでしょうか? まあ、言わなくともわかるとは思いますが、この先には光安によって家族を殺された人だっています。そんな人たちはきっと貴方の事を――」

「だからこそ、です。大丈夫ですよ」


 目の前を通り過ぎる一希の横顔を見送った朝霞あさかは、腰に手を添えて立ち止まる。


「彼らには貴男がこの場へ来ることはすでに伝えてあります。まあ、予想通り大勢の方が否定的な意見でしたよ。この場にいない人も多くいます」

「それでも、行きます」

「では、私はここで待っていますよ」


 綺麗な顔立ちをした横顔を綻ばせ、一希は素手のまま、大広間の中へと入っていく。

 僅かな明かりが差し込む地下室の中にて、星野一希ほしのかずきは、多くのレジスタンス構成員たちの前に姿を現していた。


「……っ」


 日の当たらぬ影の下、彼らはそれでも、力強く身を寄せあって生きている。

 かつては憎き相手として敵対していた一希は、呼吸を一つ、深くつき、そっと青い目を開ける。


「みなさん……」

「何しに来た……」


 怒りや憎しみを込めた声が、そこかしこから聞こえてくる。それを全身で受け止める一希は、表情を一切変えることもなく、立ち尽くす。


「すみませんでした……」

「ふざけんじゃねえ!」

 

 体格のよい男が進み出て、大きな足音を立てて、歩み寄ってくる。

 向かってきた勢いはそのままに、立ち尽くす一希の顔に右手の拳を打ち付ける。

 衝撃で数歩下がったものの、一希は動じることもなく、前を、男を見据えた。


「お前のせいで仲間は大勢死んだ! 殺された! 今更謝られたって、奴らは戻って来ねえ!」

「……っ」


 ハアハアと、口と肩で荒い呼吸を繰り返す男を前に、殴られた赤い痕を頬に色濃く残した一希は黙ったまま、立ち続ける。

 頬に殴られた痕をつけ、鼻からも赤い鮮血が垂れていく。


「……」

「……くそ」


 一希を殴ったレジスタンスの男も、立ち尽くす彼の姿を見て、静かに拳を抑えていた。


「お前を殴ったところで、死んだ奴は戻ってこねえ……」


 男がそう言って、項垂れる。

 重苦しい空気が漂う中、一希はひりひりする口をそっと開く。


「かつて僕は強力な力を宿す魔剣を持ち、その力の使い方を誤ってしまった。……信じてくれないかもしれません。けれども僕は、これからはあの力を正しいことのために使うつもりです。人を守る為に、僕はあの力を使うことを約束します」

 

 一希はそうして、殴られた頬をそっと触り、そこに感じた確かな痛みを、感じ取るように目を瞑る。ぴりりと、感じた鋭い痛みに、思わず手は引いていたが。


「これから僕は可能な限り、皆さんの為に戦うことを誓います。そして、すべてが終わったその時には、僕は必ず、自分が犯した罪と向き合います。……ただ、今はまだ戦わなくちゃいけない。僕たちを、こんなことにさせた真の敵を倒す為に」


 一希はそう言いながら、数多の人を斬った右手を、ぎゅっと握り締める。流石にその時、身体は震えかけていたが、新たな信念はもう揺るがない。

 共に歩むことは、もう出来ないかもしれない。それでも辿り着く場所は同じはずだから――。

 希望を抱き、手を差し伸ばしてくれた彼の顔を思い出せば、身体の震えはなくなっていた。


「……約束します。必ず僕は、僕が絶ち切ってしまった夢の続きを叶えます」

「夢の続き、か。その前に俺たちがお前の夢を終わらせてやることだって出来るんだ」


 この場の代表格であろう、一希を殴った男はそう言って、一希の目の前で破壊魔法の魔法式を展開する。


(ご主人様! コイツ、生意気にもご主人様のこと殺すつもりですよ!? 殺られるまえにぶっ殺しましょうっ!)


 目の前で煌めく白い魔法式を映した青い瞳の奥で、妖精が声をかけてくる。

 それでも一希は、立ったまま、その白い魔法式が完成していく様を見届けた。逸らすことなど、出来なかった。

 やがて、よりひときわの輝きが、目の前で光る。凄まじい風と共に、殺意と憎悪を込めた破壊魔法は、一希の顔のすぐ横を通過し、なにもない壁に命中。虚しく、光だけが舞っていた。


「……」

「……っ」


 右腕を掲げたまま、汗を流す男は、その手の平をぎゅっと握り、拳を収める。

 やがて口を開いたのは、そんな男であった。


「……死んでしまった奴の分は、守ってやれなかった俺たちにも責任がある。そして、この今の魔法世界にも。俺たちは元々、そんな魔法世界を変えたいって思いで集まった組織のはずだった。……それがいつか、ただただ怨念返しをするためだけになっていたような気がする……」

「……」


 誰かが遠くで言った言葉に、一希を殴った男もまた、俯きだす。


「人と人とが戦う。……こんな魔法世界なんて、誰も望んではいなかった。君だって、そうなのだろう?」

「僕は……。……すみません……それでも今は、また戦わなくちゃいけない……」


 同情や情けを受けるために、この場に来たわけではない。

 ……それなのに。

 気づけば、目頭に熱いものがこみ上げてきて、一希はそれを咄嗟に腕で拭う。


「すみません……もう少しだけ……待っていてください。多くの人を殺めた僕は……彼らの無念を背負って、責任を持って、この魔法世界の為に生きていきます……」

「が、頑張って、お兄ちゃん……!」


 女の子の不安そうな声が、優しく一希の耳朶をうつ。

 ハッとなった一希は、こちらを見守る三者三様の目や表情を見渡してから、頷いていた。


「……頼んだぞ」「俺たちが力を合わせれば、やれるはずだ」「変えよう、この魔法世界を!」


 彼ら彼女らの声を胸に、一希は今一度お辞儀をし、この場を後にした。

 地下アジトから、再び外へ出た一希は、待っていた朝霞と合流する。


「……おや」


 腕を組んで壁に寄りかかっていた朝霞は、やって来た一希の顔を見て、どこか面白そうにほくそ笑む。


「お話、終わったようですね?」

「ええ」


 一希は前を向いたまま、答える。


「これからどうするか、まあ、一々訊かなくとも、わかるような気がしますが」

「……」


 一希は無言で頷き、駐車場に停まっている一台の車を、じっと見つめる。

 そこの運転席に乗っており、こちらを優しく見守る女性の顔を見て、一希はややぎこちなく口角を上げる。


「乗りますか、朝霞さん?」

「いえいえ。私はこれでも()()()()()()()から。別の便で行きますよ」

「そうですか」


 一希は最後にぺこりとお辞儀をすると、見つめていた車のもとまで向かい、助手席に乗る。


「お待たせ、姉さん」


 運転席にいたのは、一希から四つ上の歳の姉だ。

 

「あの変な男の人は乗らなくていいの?」

「大丈夫。迎え、ありがとう姉さん」


 一希はシートベルトを締めながら、真横に座る百合に感謝する。


「ふふ。一希がもう少しだけ大人になったら、今度は私が助手席ね?」

「そうだね。男としては確かに、女の人に運転してもらうのはこそばゆいかな」

「お姉さんの前で男がどうとかだなんて、生意気よ一希?」

「どっちなんだい……?」


 にこりと微笑む百合に、一希も微かに笑う。やがて、車は自動運転で出発した。冷房も効いており、中はとても涼しい。


「……」


 無言で前を見つめる百合と、横を向き、窓の外の街並みを見渡す一希。やがて、一希の方から、口を開く。


「……話をしてきたよ、姉さん。赦してはくれないかもしれないけど、僕は、僕なりの方法で赦されるまで戦っていくよ……」


 一希は神妙な面持ちで、顔を前へと戻しながら言う。


「ごめんね、姉さん。僕はずっと、姉さんを悩ませてしまって――」


 一希がそう言いかけると、百合はわかりやすく、大きなため息を口でしていた。


「堅苦しいなあ、もう。私は貴男の頼りがいのある立派な立派なお姉さんよ? それくらいじゃ全然凹みませーん」

「……」


 一希は青い目を大きく見開き、そして安心したかのように、そっと、目を瞑る。

 ――ぼくの姉は、本当に強い年上の女性だ。小学生の時からたった一人で家族の元を離れて海外に行き、魔法を学んだ。多くの苦労も当然あったはずなのに、それを表に出さずに、明るく振る舞う。それはきっと、並大抵のことではないのだろう。

 だから、少し、訊いてみたい気もする。一希は目を開け、見慣れた大阪の街を見渡しながら、隣に座る百合に尋ねてみる。


「姉さん。質問してもいいかな?」

「なに一希?」

「姉さんは、後悔していないのかい? 自分が海外に行ったこととか、過去とか。もちろん、責めているわけじゃないよ」


 一希はそうして視線を、隣の年上の姉に向ける。

 百合は自動運転に任せた車のハンドルから、そっと手を離していた。明るく綺麗な顔立ちに、ほんの少しだけ、寂しさが混じっているようには見えた。


「そうね……。全てが全て、後悔していないと言ったら、それは嘘になっちゃうかも」


 でも、と言う百合の自分と同じ青い瞳は、真っすぐ前を見据えている。

 

「泣きたいときもあったけど、それでも。めそめそしてたって、ますます落ち込んじゃうだけだから。だから私は、いつだって明るく前を向くって決めたんだ。あとはそこに、一緒に進んでくれる友だちや家族がいてくれたら、それはきっと、とても素敵なことなんだって、お姉さんは思うの」


 えへへ、と照れ笑いを浮かべながら、百合は言う。

 

「……そうか。うん、きっとそうだと、思うよ……」


 姉の逞しい姿を見た一希は、急激な睡魔を感じて、重たくなった瞼を閉じようとする。


「……眠たいの?」

「うん……。ごめんね、姉さん。運転してもらっているのに……」

「平気よ。着いたら起こしてあげるから、おやすみなさい、一希」

「ありが、とう……」


 そして、そのまま一希は、幸せそうな表情で、眠りにつく。行き先はすでに、二人で決めてある。だから、迷うこともなかった。年上の姉に今は任せ、すやすやと、ようやく取り憑いたものを降ろした軽い身体で、頬に殴られた痕を残した一希は眠りにつく。

 揺りかごに揺らされ、二人がやって来たのは、大阪。寄ったのは、その大阪にある星野家の墓だった。


「むしろ、お礼を言うのは私の方かもね……」


 百合の足取りは、ここへ来て、分かりやすく重くなってしまっている。ずっと、来ることができなかった分、後悔を感じているのだろうか。

 そうであるのならば、それは無駄な心配だ。一希は百合の肩にそっと手を添え、彼女を促してやっていた。

 一瞬だけ身体を震わせた百合であったが、一希と目を合わせると、うんと頷いてみせる。


「お父さん、お母さん……」


 百合は穏やかな声で、墓石に語りかける。


「おかげさまで、私たちはこうして生きていられています。星野の名を持って生まれて、立派だった二人に育てられた恩は、ずっと忘れていません」


 百合に続き、一希もまた、両親が眠る墓に頭を下げる。


「間違えてばかりいた僕を、あの世からでも、きちんと叱ってほしいです。そちらに行くのは、僕が全ての役目を果たし終えてからになりそうです……」

「もう。そこは普通に、お父さんお母さんありがとうございます、でいいんじゃない?」

「先に姉さんが細かく言うから……」


 一希がぼそりと、恥ずかしそうに言えば、百合はくすりと笑う。今のこの一瞬だけ、二人が小学生の頃に戻ったようであった。そんな純粋無垢な頃があった二人も、こうして成長し、また出会うことが出来た。

 ――それはやはり、彼のおかげなのだろう。

 不意に夏の終わりを感じさせる枯れ葉が敷き詰められた地面の上を歩き、一希は胸にそっと手を添える。

 

「……ああ。今度こそ、共に歩もう、誠次」

 

 そう呟き、百合が待つ車の助手席へと、一希は乗り込む。どこか涼しい風が、背中を優しく撫でてくれていた。


 全てが色褪せているように見えた世界に、少年はある日、青い光を見た。その光はあまりにも眩しくて、綺麗で、憎くて、羨ましくて、残酷で、直視することなどとても出来なかった。

 だから、その色を否定したくて、認めたくなくて、少年は自分で全てを塗り潰そうとしていた。

 だけど、差し出された手を掴んだその瞬間、どうしても灰色だった自分の世界が、一瞬にして色彩を得たようだった。

 それこそまさに、たくさんの色を持つ彼だからこそ、出来た事なのだろう。自分が生んだ色など、精々自分の世界の中で作り出した、独りよがりのものだった。

 ――ただ、まだその光景は、完成していない。色濃くあるのは、すべての色を塗りつぶす、黒という存在。それを亡くさなければ、世界は本当の意味で完成しない。

 一希は今、誠次とともにその世界を完成させるため、再び戦う決意を胸に込めていた。

 帰りの車のテレビでは、ニュース番組で速報が流れている。


『速報です。たった今入った情報によりますと、魔法執行省大臣であった本城直正ほんじょうなおまさ大臣が、辞任を表明したとのことです。理由は明らかとなってはいませんが、詳しい情報が入り次第、お伝えしていきます』


 助手席に座り、その一報を見た一希は、眉間を微かに寄せていた。


(馬鹿ですね人間は。戦って戦って戦い続けて……これじゃあ同じことの繰り返しです。昔から学習もしません。だからこんなことになるんですよ)


 ベイラの言葉が頭に響き、一希は思わず頷きかけてしまう。


「それでも……守りたいものの為に戦うさ。家族然り、恋人然り、大切な人を守るために。ずっと昔から、みんなだって、きっとそうしてきたんだ。その積み重ねの一部になるのなら、僕にだってきっと、出来るはずだから」

(頑張れ、ご主人様。応援してる)

「ありがとう、ビュグヴィル」

(む……。どうせ私は口の悪い性悪妖精ですよーだ)

「ベイラも、これからもよろしく頼むよ」

(はーい。ご主人様ー)

 

 二体の妖精と約束を交わし、一希は微笑んでいた。


挿絵(By みてみん)

~医者か看護師の方はいませんか!?~


「そ、そんな……」

しおん

      「ん、どうした香月?」

            そうすけ

「しるば君」

しおん

「あれ、見て」

しおん

      「蝉が学園の廊下の上でひっくり返ってるな」

            そうすけ

      「物体浮遊の汎用魔法で」

            そうすけ

      「直接触らなくても外に投げられるんじゃね?」

            そうすけ

「そ、それは……」

しおん

「死者への、冒涜よ……」

しおん 

      「もう死んだことにされてんのな……」

            そうすけ

      「ワンチャン、まだ生きてる可能性あんじゃねーの?」

            そうすけ

「二人ともどうしたんだ?」

ゆうへい

      「帳か。蝉がひっくり返ってるんだ」

            そうすけ

「まだ生きてるか死んでいるかわからないの」

しおん

      「なるほど。なら、こうすればいいんじゃね? よいしょ」

            ゆうへい

「……持ってたペットボトルでなにするんだ?」

そうすけ

      「水をかける」

            ゆうへい

「あ、飛んでった」

そうすけ

      「はっはっは!」

            ゆうへい

      「まだ生きてたな! よかったよかった!」

            ゆうへい

「ああ、これでまた一つ命を救えたな」

そうすけ

      「死にかけの生命に水をかけて叩き起こす……」

            しおん

      「なかなかに容赦のない斬新な救助活動ね」

            しおん

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