第九楽章 〜disappointing〜
預かった手紙を荒井に渡した宏紀。
荒井は手紙の子と付き合ってしまうのだろうか。
その日の夜、夢を見た。
真っ暗な世界に、仲睦まじそうに寄り添う二つの影。
荒井があの女の子の肩を抱き歩いている姿が見えた。
手を必死に伸ばして、必死に走って、彼の名前を呼ぶけど彼は振り向かない。
絶望と孤独感の中で、僕は走るのをやめ、腕を力なく下ろした。
しとしとと止めどなく降り注ぐのは、雨なのか、それとも、涙なのか。
「最悪だ……。」
明け方5時。起きるには早すぎる時間だ。
気分の悪い目覚めに、僕はごろりと寝返りを打った。
枕には泣いた跡がある。
昨日は色いろなことがあった。思い出したくないことばかりだ。
心がキリキリと痛む。
目頭が熱くなってきた。
「学校行きたくない。」
枕に顔を擦りつける。
――夢の中のように、あの二人が寄り添う姿を見てしまったら、僕は普通にしていられるだろうか。
無理だよな、と自虐めいた笑いがでる。
――それに……。
手紙を渡した時に見せた、荒井の表情も気になる。何か言いかけたことも……。
あれは一体なんだったのだろうか。
答えの出ないまま、僕は布団の中にもぐりこんだ。
僕の心配をよそに、午前中はいつも通りの生活が待っていた。
ただ違うのは、僕が荒井を見れないこと。
どうしても目が合わせられない。
彼を好きになってしまったということが、僕に自責の念を与える。
――男同士なのに。
今まで経験したことのない想いに、僕は完全に押し潰されていた。
授業はろくに耳に入らないし、昼休みも僕の状態は相変わらず最悪だった。
荒井が教室を出たのを確認し、肩の力が抜ける。
しかし、胸の辺りにあるもやもやのせいで、ご飯もろくに喉を通らない。
仕方なく僕は早々に弁当の蓋を閉めた。
「宏紀、風邪か?」
西村が眉間にしわを寄せて僕の顔を覗き込む。
「え?違うよ。」
曖昧に笑って返すと、西村が僕の額に手を当てた。もう片方の手を自分の額に持っていく。
「熱は……ないかな?」
「大丈夫だから。」
と言っても西村も結城も聞いていない。
心配だからとりあえず保健室に行けと言われて、しぶしぶ立ち上がった。
本当は教室に居たほうが気が紛れるんだけど、二人に言われたら仕方がない。
薬だけもらってくる、と言って僕は教室を後にした。
心配性だなあ、と苦笑を洩らす。
でも、二人の気遣いが心地よかった。
保健室に行こうと階段を下りていると、見慣れた影が目に映った。
――荒井だ!
慌てて階段を上り、防火扉の裏に隠れる。
――頼むからこっちに来ないでくれ!
足音と話し声が聞こえる。荒井の声ともう一つは女の子の声。
嫌な予感がした。
緊張の中、二つの足音が階段を上に行くのを確認し、僕は恐る恐る階段へ視線を走らせた。
彼らはちょうど踊り場に居り、曲がった際に女の子の顔が見えた。
やはり、手紙の女の子だった。
彼女はキラキラと荒井に笑いかけている。
――そっか、荒井はあの子と……。
視界が霞む。
ゆっくり足を進める。
もう、どこに行ったら良いのかも分からなかった。
まるで今朝見た夢のようだ、と頭の片隅で思いながら僕は力無く足を動かす。
ふと気付くと上履きのまま校舎の裏側に来ていた。
僕は芝生の上に腰をおろした。
校舎に背を預け、ただ空を見上げる。
どんよりとした灰色の雲が校舎を覆っていた。
気づいた途端に終わる恋。あっけなく散る桜みたいだ。
――もう、音楽室に行くこともないんだ。あそこは彼女の場所になる。
目頭が熱くなり、雫がこぼれた。
僕の頬に水玉がつたう。
ぽつぽつと制服に染みができる。
嗚咽が込み上げる。
僕は膝を抱え、肩を震わせた。
遠くでチャイムの音が鳴った。
どのくらいそうしていたのだろう。
灰色だった雲は真っ黒に変わり、今では雨が降っている。
雨で張り付いたシャツが冷たくて、僕は身震いをした。
さっきの鐘は、始まりのものなのか、終わりのものなのかすら分からなかった。
「とりあえず、戻らなきゃ……。」
まだ視界は霞むけれど。
校舎の壁に手をついて身体を支える。
すっかり冷えてしまった身体をさすりながら、僕は教室を目指した。
降り注ぐ雨は止む気配が無く、僕の髪からは雫が落ちる。
シャツも絞ったら水が出そうだ。
校庭はすっかりぬかるんでいて、上履きとズボンのすそに茶色い模様をつける。
――こんなんで校内に入ったら、怒られるかな。
ハッキリしない意識の中でそんなことを考える。
校内に入り、教室を目指す。
授業中なのだろう、廊下には先生の声しか聞こえない。
階段を上り、自分の教室の後ろのドアに手を掛けた。
ドアにある小さな窓から、教室の中が見えた。
その窓際に荒井の横顔が見え、僕の心はまた痛みを覚えた。
いつも通りの風景。なのに、何故か違和感を感じる。
僕の心が普段とは違うからなのだろうか。
どうしようもない孤独感に襲われて、僕はドアから手を離した。
ここまでお読み頂き、有難うございました。
次回で最終話です。
最後までお付き合いいただけたらと思います。
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