第三楽章 〜coming close〜
荒井の行き先は音楽室だった。
宏紀は荒井の音・姿に衝撃を受ける。
あの音楽室での一件以来、僕はますます荒井を意識するようになってしまった。
授業中もいつの間にか視線を向けているし、放課後も彼の行き先に思いを馳せた。
またあのピアノが聞きたい。あの姿を見たい。
その思いは日に日に強くなる一方だった。
そして一週間経ち、とうとう僕は行動に出る決意を固めた。
「荒井!」
今日もいつものように教室から出て行こうとする荒井を、僕は決死の覚悟で呼び止めた。
「あ、あの、あのさ。」
声が上ずる。手は汗まみれだ。
こちらを振り向いた荒井は、かすかに首を傾けた。
「きょ、今日、行っても良いかな?」
「……」
沈黙。
やっぱりダメか、と肩を落としていると荒井が口を開いた。
「昼飯食べてから来い。」
僕は大きく2・3度首肯し、声を弾ませて言った。
「うん、ささっと食べてすぐ行くから!」
荒井は少し驚いた顔をし、舞い上がっている僕を見て苦笑したようだった。
また後で、と挨拶を交わして、弁当を食べるために西村と結城のところまで行った。
「なぁにニヤついてんだよ?」
僕がお弁当を持って近寄ると、西村が声をかけてきた。
「へへへー、ないしょー。」
弁当の蓋を開けると、珍しく手作りだった。今日は良い日かもしれない。
「荒井と話してたよね?」
「ん?まぁね。」
よく見てるなぁ、と思いながらも結城の質問を受け流す。
「仲良かったの?お前ら。」
なにやら質問攻めだ。僕は仲が良いってほどじゃない、と言いながらご飯を掻き込んだ。
さっさと食べて音楽室に行くんだから。
もしゃもしゃと食べる僕を見て、二人は首をかしげた。
「内緒なの?アヤシーなぁ。」
薄く笑いを浮かべて、言いたくないなら良いけどさ、と繋げながら結城はパンをかじる。
「アヤシーって、おい。」
そんなことはないと弁解をし、おかずに手を伸ばしたが、二人はまだ何か言いたそうだ。
――だって仕方ないじゃないか。言って良いことなのか分からないし、荒井の許可も取ってないし。
胸のうちで言い訳じみたことを並べても意味はないし、本音はそこじゃないことは既に分かってた。
ただ単に、二人だけの秘密みたいで、それを壊したくなかったんだ。
「で、今日は荒井と昼休みを過ごすの?」
西村が嫌な言い回しをする。なんだか心のうちを読まれてるみたいで落ち着かない。
「うん、今日は、ね。」
言いながら、食べたお弁当箱を片付ける。
片付けている僕を見て、少し落ち着けば?と西村が笑った。
そんなに浮き足立ってるのかとちょっと恥ずかしくなりながら、僕は二人とわかれ音楽室へ向った。
音楽室のドアノブに手をかける。前よりも緊張してるみたいだ。
相変わらず重たい扉を押し開くと、今日もよく冷房が効いていた。
荒井の邪魔をしないようにと静かに入ったつもりだったのに、曲が止まってしまった。
「ごめん、お邪魔します。」
荒井が僕を見て、軽くうなずいた。そしてまた指は鍵盤の上を躍りだす。
一週間ぶりの荒井の音はやっぱり素敵で、僕の心を静かにさせる。
僕はこの前と同じ席に座って彼の弾く姿を見ていた。
どうしてか、ピアノなんて女子が弾くものだ、という変な偏見が僕にはあった。
でも、荒井のその姿はそんな偏見を一瞬にして吹き飛ばす。
性別とか、体格とかそんなものは関係なくて、大事なのは好きなものに真摯に向き合ってるかどうかなんだな、って思える。
ちょうど僕の剣道のようなもの。
小さくても筋肉の付きが悪くても、剣道が好きだって言う気持ちと努力があれば、しっかり上達できるのだ。
僕が荒井の音楽に惹かれたのは、こういうことも原因の一つなのかもしれない。
三曲ほど弾き終わると、荒井はこちらを見た。やっぱり邪魔だったかな、と不安になる。
「退屈じゃないのか?」
思いがけない質問に僕はドギマギした。そして首を思いっきり振って否定する。
「そんなことないよ!聞いてるだけでいいんだ。」
パタパタと手を顔の前で振る僕を見て、そうかと呟くと、彼は何かを思案してるような顔つきになった。
そしておもむろに口を開く。
「弾いて欲しいものはあるか?」
「え!?いいの?」
彼の予期せぬ質問に僕は立ち上がりかけた。衝撃だ。
でも、僕は音楽には疎くて、ピアノの曲なんてよく分からない。
しかしここで、やっぱりいいですなんて勿体無くて言えるわけがなかった。
どうしようかと逡巡して結局ディズニーの曲にした。悲しいかな、僕の貧相な頭ではこれが精一杯。
荒井は一瞬、嫌そうな顔をしたような気がしたけど、それでも弾いてくれた。
たまに間違えながら。
あれ?って顔をしてる荒井を見てるのが楽しくて、僕はあれやこれやと次々に弾いてもらった。
予鈴がなるまでの間、荒井は僕に振り回され続け、チャイムを聞いてホッとした顔をした。
音楽室の鍵を掛け、職員室に鍵を戻す。そして教室に続く階段を上っているとき、荒井が口を開いた。
「毎日あそこにいるから。」
暇なときは来い、と。
思わぬ言葉に僕は、立ち止まってしまった。
階段を上っていた荒井が、僕が立ち止まったことに気付いて振り返る。
視線が交差する。
「行くぞ。」
そう言って、荒井は僕の頭にポンと手を置いた。
大きな手。この手であんな綺麗な音を奏でるのか。
僕の頭から離れたその手を、僕は名残惜しい気持ちで見つめていた。
どうでしょう…少しは近づけたかと思います。
一楽章づつ距離を近づけていきたいです。
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