19話
「ナナキさん、起きてますか……?」
二人が同じベッドで横になってからしばらく。
ヘルヴィニーナは毛布からひょっこりと顔を出すと、小さな声で隣にいる少年に呼びかけた。
「……」
返事はない。翻訳機を外してるとはいえ、起きていれば名前を呼ばれたことは聞こえたはずだ。しかし耳に届く寝息は規則正しく、不意の呼びかけに乱れた様子もない。
ならばと慎重に彼が被っている毛布をはがし、その下にいる七希の姿を見る。窓枠から僅かに入り込む月明かりの中に浮かぶその横顔は、完全に寝入った少年のものだった。
そんな七希の姿を見て、ヘルヴィニーナは心の中で安堵の息を吐いた。
(無事に眠れたのならまずは一安心ですね)
彼が眠るのを見届けること。それはヘルヴィニーナが部屋を訪れた目的の一つだ。
七希が極めて高い道徳と倫理観を持っていることは、以前から察していた。普段の何気ない言動もそうであるし、倒したMCの中にパイロットがいたと聞いて動揺したこと、訓練でレガンとクラートに怪我がないか気遣ったこともそうだ。
そのため彼が次の実戦でどう行動するかを、ヘルヴィニーナは注視していた。結果は撃墜数0。ブライとの戦いで援護に徹し、ジャガーノートを追いこむも見逃した、というものだ。
失望はしなかった。恐らくはそうなるであろうと予測していた。それは大なり小なり、闘うことを選んだ人間がぶつかる壁だからだ。
後は七希がどう壁を乗り越えるかだが――そのためには重要なことがある。彼が抱えているであろう大きなストレスの対処である。
当時は知らなかったようだが、彼はヘルヴィニーナ達を助けるために人を殺してしまっている。そして今回の戦いで、彼が開き直ることができずにいることも解った。ならば彼の中で渦巻いているであろう自責と葛藤は相当なもののはずだ。それこそ、眠ることすらできないほどに。
人にとって眠ることは重要だ。ストレスは眠りを阻害し、それがさらにストレスを加速させる。放置しておけば自傷行為にまで及びかねない悪循環は断ち切らねば。
(最善なのは私の身体に溺れてくれることでしたが……まあいいでしょう)
ぷにぷにと彼の頬を指先で軽く突きながらヘルヴィニーナは一人納得する。
ストレスのはけ口を異性に求めるのはよくあることだ。そうなるのがヘルヴィニーナとしても都合が良かったが、拒まれてしまったのならば仕方ない。
それとなく飲み物に軽い睡眠導入剤を混ぜ、他愛のない話で気を逸らす。さらに道徳ではなく実利の問題を提示して矛先をずらし、一緒に眠ることで自分を意識させ、戦いのことを考えさせないようにした。――どこまで効果があったかは不明だが、ともあれ、彼はこうして眠っている。
(でも、あまり夢見が良くなさそうですね)
眠っている七希の顔は、悪夢でも見ているのか、どこか苦しそうに感じられる。
ヘルヴィニーナにとって、七希は謎の機体を操り、凄まじい能力を発揮する謎のパイロットだ。
けれどこうして眠る姿は、苦しみを抱えたただの少年でしかなく――だからだろうか、衝き動かされるようにヘルヴィニーナは彼の頭を胸元に抱き寄せた。
この行為に意味があるのかはわからない。
けれどこれで少しだけでも彼の夢が穏やかになれば。
(……明日、もう少しストレスを解消させる手を打ちましょう)
そんなことを思いながら、ヘルヴィニーナは七希の頭をしばし撫でさすり、やがて自分もまた眠りの中に落ちて行った。