18話
「これって酒か何か?」
「ただの果実飲料です。アルコールがよければそちらもありますが?」
「いや、こいつでいいよ」
ヘルヴィニーナから受け取ったグラスに口をつけ、一口飲む。
口の中に広がるのは爽やかな柑橘類の香りとかすかな酸性を伴う甘味。液体の色彩も橙色で、オレンジジュースに似ているが、こちらは後味がより甘い。
「それで俺たちの話をするって?」
「はい。私達はこれまでただの雇用関係でしたが、せっかくお友達になったのなら、お互いの理解を深めようではありませんか」
「それはいいけど……気に入ったのか。友達ってのに」
「ハマりました」
ハマッたらしい。
「というわけで、ナナキさんからどうぞ」
「どうぞって言われてもな。俺は前に言った通り、田舎から出てきただけで」
「それ嘘ですよね?」
「…………」
さらりと踏み込まれ、七希は返答に窮した。
もちろん、看破されていることは予想していた。しかし契約時に触れられなかったため、この件については触れない方針だと思っていたのだが――甘かったか。
「ナナキさんが経歴を隠そうとしてるのは解りますが、私としてはやはり興味がありますね。――そこでどうでしょう。私の推測と合致していれば正解だと認めてくれませんか?」
「俺のメリットが無くないか?」
「そこはほら。お友達割引ということで」
「……一回だけなら」
迷った末に七希は彼女の提案を受け入れた。考えてみれば、異世界から機体ごと転移してきたなど当てられるはずもない。むしろ当てられるなら、そのような事例が他にあることも考えられる。ならば自分がここにいる経緯が判明するかもしれない。
「ではお言葉に甘えて」
こほん、とヘルヴィニーナは咳払い。
「――ズバリ、ナナキさんは仙人に育てられた!」
「ぶっ」
予想外すぎる言葉に七希は噴き出した。
「……違いました?」
「全然違うぞ。ていうか仙人ってなんだよ仙人って」
「火の国の秘境にはまだ仙人が暮らしてるそうですから、ナナキさんが常識知らないのとあの機体のことを踏まえて、仙人に育てられて武者修行として下界にやってきたのかなと」
「いるのか、仙人……」
自分の世界でもそういう迷信の類は残っていたが、この世界でも同じなようだ。あるいは、この世界には本当に仙人がいるのかもしれないが。
「とはいえ外れたのなら仕方ありませんね」
食い下がられるかと思いきや、思いのほかあっさりとヘルヴィニーナは手を引いた。
「今度は私のことを話しましょう。何か私について知りたいことはありますか?」
「んー……そういわれるとな」
「スリーサイズとかでもいいですよ。最近測ってないので、ナナキさんの手で実測してもらうことになりますが」
「遠慮しとく。……じゃあそうだな、なんで軍人になったのかとか」
それは七希が以前から抱えていた疑問であった。
ヘルヴィニーナは見ての通り女性――それもまだ少女だ。ここが日本なら高等学校なりに通っている年齢である。そんな彼女がなぜ命のやり取りをする場所に立っているのか。
この基地内を見回しても、軍人はやはり男性が多い。この世界でも戦いは男の仕事という側面は強いのだろう。ゆえに七希は彼女が何か特別な事情を持っていると考えているが――
「国を守るためです」
意外なことに、彼女の口から零れたのはありふれた理由だった。
「愛国心ってやつ?」
「正確には郷土愛ですね。私の故郷の文化と平和を維持するために、それを抱えるこの雪の国を守る――という順序です」
ヘルヴィニーナはグラスの中の液体をゆっくりと回しながら続けた。
「私の故郷はまあ長閑な田舎町でして。街並みは整わない。草は生い茂る。住民の一日は畑と家畜の世話ばかり。起きる事件といえば、家畜が帰ってこないとか、どこそこのお爺さんが腰を痛めたとか、その程度です」
ヘルヴィニーナの故郷の牧歌的な雰囲気を想像し、七希は小さく笑った。
「当然そこで育った私ものほほんとした人間でしたが――八歳の頃、所属不明のMC部隊に町が襲撃されました」
「襲撃って……」
「おかげで私の故郷の半分近くが焼野原。死傷者も出て酷い有様でしたよ」
「……」
「幸いにも私は生き延びましたけどね。ただ、一段落した後、あることを知って驚いたんです」
「それは?」
「この国の現状。……行政の手が届きにくい地方の町で、喰い詰めた傭兵や軍人崩れの無法者が暴れ回るというのは、私の故郷の話だけじゃなかったんです」
ヘルヴィニーナは続けた。
「少しだけでいいんです。悪意のある人や力のある人が、少しだけ『やろう』と思う。たったそれただけで、簡単に平和な日々は崩れる。そしてそれは、私が思った以上にありふれたことだったんです」
「だから軍に?」
「そうです。ありふれたことを、この手で一つでも減らすために」
「なるほどなぁ……」
真摯な語り口に聞き入っていた七希は、思わず感嘆の吐息を漏らした。
その様子に少し真面目がすぎたと思ったのか、ヘルヴィニーナは照れ笑いを浮かべた。
「まあ、私が軍役にある内に戦争が起きるのは予想外でしたけどね。故郷の家族からは危ないから軍を辞めて帰って来いとせっつかれて大変で――」
その時、ヘルヴィニーナは七希が表情を硬くすることに気が付いた。
「どうかしました?」
「ああ、いや……」
七希はしばし言葉を濁した後、絞りだすように言った。
「……戦争するってなった時、ヘルヴィは怖くならなかったか?」
「なりましたよ。現実的に考えれば高い確率で死にますしね。けれどそれは戦争に参加する以上、お互い様みたいなところがありますから」
「…………」
黙り込む七希に、ヘルヴィニーナは言った。
「ジャガーノートを逃がしたことを気にしてますか?」
「……してる」
僅かに迷った後、七希は素直に頷いた。
ヘルヴィニーナは真剣な眼差しを七希に向ける。
「やはり人を殺すのは苦しいですか」
それはあの日、自分が人を殺したこと知った時から、ずっと悩んでいたことだ。
最初の時は意図したわけではない。あの時の自分はゲームだと思って戦っていた。
けれど自分は傭兵として雇われた。そして今度は照準を向ける先に人が乗っていることを理解した上で、引き金を絞らなくてはならない。
出来るのか、と何度も自問自答を繰り返した。
自分はただの高校生だ。人を殺したことも人を殺す覚悟を教えられたこともない。
これまではそれでよかった。地球の日本という国にいる間は。
しかし今の自分がいる場所は、全容も定かでない異世界だ。唯一頼れるのはアーキヴァイスと、CCCで磨いたMCパイロットとしてのスキルのみ。
これを活用しない手はない。――否、活用するしか道は無い。
だから自分は殺さなくてはいけないのだ。自分のために、自分が生きるために。
そのはずだったのに。
「先程までならその心の隙間につけ込むところですが……友達にすることではありませんね。ナナキさん、私は命の価値について安っぽい説教や講釈をするつもりはありません。だから一つ、参考になるような現実的な話をましょう」
「現実的……?」
「まず、人を殺さずに戦い続けられるかという点は横に置きます。その上で――人を殺せない傭兵の市場価値は低いと言わざるをえません」
ヘルヴィニーナは続けた。
「MCは高度かつ多彩な運用が可能な戦闘兵器ですが、所詮は道具でしかありません。運用する人間次第で木偶にも英雄にもなりえます。そのため熟練したパイロットの首は、時にMC十機分よりも価値が生まれるわけですが――ナナキさんは、これを捨てると言ってるわけです」
「……まあ、そういうことだよな」
「当然雇用側から足元を見られますし、殺せないパイロットと評判が根付いたらそもそも雇ってもらえないかもしれません。雇用者が傭兵に求めるのは、人道的であるよりも成果をあげることですから」
滔々と語られるヘルヴィニーナの言葉が七希の肩にのしかかる。
「私の利益と感情を抜いて言うなら、一番無難なのは傭兵を辞めることですね。本人の能力と気性が合致しないなんてザラにあることですし、命の奪い合いだけが道ではないでしょう。ですが……その場合は、アーキヴァイスを所有し続けるのは難しいかと。なにせMCは金食い虫ですから」
「……」
「ちなみに売却するつもりがあるなら、人生が三回買える値を付けます」
「――それは、できない」
その言葉だけはしっかりと、七希は断言した。
「アーキヴァイスは俺の相棒だ。誰かに売ることも渡すこともない」
「……でしたら、その意思を尊重しましょう」
それっきりヘルヴィニーナは黙り込んだ。言うべきことはすんだ、ということなのだろう。
彼女から突きつけられた現実に、どう対処するべきか。
七希は考え込み、そして時計の長針が一周した頃、おもむろに立ち上がった。
「――よし、今日は寝る!」
その現実逃避感溢れる力強い言葉に、ヘルヴィニーナは肩を揺らして笑った。
「まあそうですね。たとえ殺せなくてもナナキさんの戦闘能力には十分雇用価値はあると私は思っていますから、私の元にいるつもりなら、そんな結論を急ぐこともないかと」
そう言うとヘルヴィニーナはころんとベッドに倒れ込んだ。
「それじゃ夜も更けてきましたし、横になりましょう。――どうぞ」
ヘルヴィニーナは、自らの横をぽんぽんと叩いた。
「……一緒に寝ろと?」
「ベッドが二つあるように見えますか?」
「……床で寝るわ」
「だめです。ナナキさんは傭兵であり客人。それを床で眠らせたら私の沽券に関わります。どうしてもというのなら、私が床で寝ますよ」
「いや待て、女の子を床で眠らせるわけには」
「なら一緒に眠るしかありませんね?」
「…………」
なにか性質の悪い詐欺に直面したような、そんな顔になった七希だが、押し問答を繰り広げても埒が明かないと判断すると、渋々ヘルヴィニーナの横に寝転がった。
「……変なことするなよ」
思わずヘルヴィニーナは噴き出した。
「普通ならそれも私のセリフですよね」
「今までの経緯からすれば俺に言う権利はあるはずだ」
「仕方ないですね。そこまで言うなら何もしないであげましょう。あ、でもいつでもそっちから手を出して良いですよ?」
「出さないつってんだろ……!」
七希はヘルヴィニーナに背を向けて、毛布を頭までひっかぶった。
「ナナキさん」
「なんだよ」
「お休みなさい」
「……お休み」
明かりが消された。
七希はつけっぱなしだったヘッドセットを外し、毛布の隙間から手を出して枕元に置く。これでもう、彼女の言葉は聞き取れず、自分の言葉も伝えられない。
後は眠るだけだなのだが――頼っているヘッドセットを外したせいだろうか。全身の感覚が鋭敏になっている気がする。
おかげで、毛布越しに部屋の暗さと静けさ。そして背中側の僅かな衣擦れの音と息遣い、さらにはヘルヴィニーナの体温を感じてしまう。
これを意識するなという方が無茶な要求だ。振り向き、手を伸ばせば抱き寄せられる距離に、彼女がいるというのに。
(……ああもう!)
毛布の中で頭を振ると、七希は固く瞼を閉じた。
そうしていればいつか睡魔が、この意識を刈り取ってくれると信じながら。