16話
「――――疲れた」
基地に用意されている部屋に戻った七希は、それだけ呟くと着替えもせずにベッドに突っ伏した。
無事に戦いに勝利し、基地に帰還した七希達四人。戦勝の空気に基地が包まれる中、レガンはすぐさま医務室に運ばれた。検査の結果、打ち身などはあるものの命に別状はないということで、明日にでも目覚めるだろうとのことだ。
その知らせに一同が安堵する間もなく、ヘルヴィニーナに呼ばれる。
「――今回の鉄の国の装備、練度、目的などについて、色々と検証しなくてはいけません。報告書を作成してください」
とのことなのだが、そもそも七希はこの世界の文字など書けない。なのでヘルヴィニーナから口頭で戦闘の質問を受け、それに答えるという形になったのだが――微に入り細に入り、一体そんなことまで知ってどうするんだと思うほどに様々な質問をされ、戦いの疲れもあってもはやKO寸前である。
ちなみに、七希が飲んだ毒薬についてだが、
「ああ、あれは嘘です」
けろっとした様子で、ヘルヴィニーナは言った。
「戦闘がどれだけ長引くかも解らないのに、そんな物を飲ませるわけがないでしょう。中身はただの栄養剤ですよ」
とのことである。
毒だと言われた時の焦燥を思えば、一言文句ぐらい言っても良い気がするが、それも疲労という重荷の前に挫折し、かくして七希は報告書を作成した後、ふらふらとした足取りで自分の部屋に到着したわけである。
時間ももう夜中だ。眠るには丁度いい。
丁度いいのだが――
「……ダメだな」
疲労もあって、横になればすぐに眠りに落ちるかと思っていたが――どうにも、気が昂っていた。
戦いの興奮によるものだろうか。全身が火照り、このままでは寝付けそうにない。
少し気分を落ち着けようと、七希は置き上がった。幸いにもこの部屋には簡易なシャワールームがついている。冷水を浴びれば多少はマシになるだろう。
その時、部屋の扉がノックされた。
「うん……?」
誰だろうか。来客の予定などないし、時間も時間だ。それでもなお誰か訪れたということは、何か緊急を要することだろうか。そんなことを思いながら七希は扉を開いた。
「こんばんは、ナナキさん」
七希は思わず目を見開いた。
外に立っていたのはヘルヴィニーナだった。
それ自体は驚きではない。この部屋を訪ねる者は今のところヘルヴィニーナとウェインぐらいだ。
七希が驚いたのは、ヘルヴィニーナの格好である。
普段身に纏っている軍服ではない。年相応の少女が着るような色鮮やかな私服であり、それだけでもガラリと印象が変わるのだが――どういうわけ、かやけに胸元や太もも、端正な体のラインを強調する代物で、控えめに言って非常に煽情的な姿だった。
「えっと……ヘルヴィニーナさん? その……何の用?」
「夜這いにきました」
「は?」
咄嗟に彼女の言葉が理解できず、七希は目を瞬かせた。
それから数秒ほど、ヘルヴィニーナが告げた目的を頭の中で租借し、七希は聞き間違いであることを祈りながら恐る恐る言った。
「……ごめん、もう一回」
「夜這いにきました」
「…………」
聞き間違いではなかった。
得も言われぬ焦燥感が胸の奥から沸き上がり、逃げ場を求めるように視線が動く。しかし彼女の姿はどこを見ても目のやり場に困るという有様で、自分が袋小路に追い詰められているような感覚を七希は抱いた。
「……その、そうなる理由がまるで思い浮かばないんだけど」
「気になるようでしたらご説明しましょう。ですがまずは部屋に入れてもらっても?」
「…………」
七希はしばし黙考し、よし、と小さく呟いてから言った。
「ヘルヴィニーナさん」
「はい」
「お休み!」
七希は扉を閉じた。
そしてすぐさま鍵をかけ、やりきった顔で額を拭うと、何も見なかったことにして踵を返した。
ガチャリ、と後ろで扉の開く音がした。
「……」
振り向くと、合鍵を片手ににっこりと笑うヘルヴィニーナの姿がった。
「……ずるくない?」
「いいえ、ずるくありません」
ヘルヴィニーナはそのまま問答無用で部屋に入ると、カギを手近なサイドテーブルの上に放り投げ、七希の手を取った。そして流れるような動作でベッドに七希を倒れ込ませると、その上に覆いかぶさった。
「それでは早速始めましょうか」
「いやいやいやいや!」
七希は慌てて叫んだ。
「だから意味が解らないって! なんで急に夜這いだなんて話になるんだよ!」
「端的に言えば、契約不履行のお詫びです」
「け、契約不履行……!?」
ヘルヴィニーナは頷いた。
「ナナキさん、契約する時に私は言いましたよね? 傭兵として雇用されている限り、この基地での生活と安全は保障する……と」
「あ、ああ、確かに言った」
「ですが今日、私は貴方に毒を飲ませました。これは安全の保障という契約を侵害していると思いませんか?」
「え? いや、それは……」
「もちろん、中身は毒ではありませんでした。ですが、毒と称することでナナキさんを脅したことに変わりありません。貴方自身は最初から戦う意思を示していたにも拘わらず、です」
そう言われれば、確かにそう言えるかもしれない。
僅かに揺らいだ七希の心を見透かしたようにヘルヴィニーナは続けた。
「ならば雇用主として、ナナキさんに誠意を見せる必要がありますよね? もちろん金銭を積むという方法もありますが、脅されようとも傭兵として確かな戦果をあげたナナキさんに対して、それではあまりにも無機質でしょう」
「……それで、夜這い?」
「はい」
ヘルヴィニーナはにっこりと笑った。
すぐ間近に浮かぶ華やかなその表情に、七希は思わず魅入りそうになった。さらに先ほどから七希の腰の上にヘルヴィニーナは座っており、柔らかな臀部の感触が如実に伝わってくる。
(ま、まずい、これは……とにかくまずい……!)
一秒ごとに理性が削られていくのを感じながら、七希は呻くように言った。
「は、話は解った……けれど、俺は薬を飲まされたことを気にしてないし、詫びなんて必要ない。だから帰って――」
「必要ない? そうでしょうか」
ヘルヴィニーナが僅かに、撫でるように腰を動かした。
「づっ―――」
甘い痺れのような感覚が脳髄に走り、その様子にヘルヴィニーナは我が意を得たとばかりに囁いた。
「ナナキさんのお体の方は、私のお詫びを必要としているようですよ?」
「こ、れは……その……戦いのせいで、気が昂ってるっていうか……」
「そうでしょうとも。もっとも、それだけではありませんが」
「……? それだけじゃないって……」
「お薬の効果が出てきた、ということです」
「……」
茹りそうになりつつある頭をフル回転させ、七希は声をあげた。
「ちょっと待て、あれは栄養剤って言ったよな……!?」
「下半身の、と言い忘れていましたね」
「こ、こいつ……!」
「大丈夫ですよ、ちゃんと用法用量を守ったお薬ですから。害はありません」
「そういうことじゃない……! ていうか、あの時点でこうするつもりだったのか……!?」
「常に二手三手先を見据えて布石を打つ。戦いならば当然のことだと思いませんか?」
ヘルヴィニーナはそう言いながら、七希に自らの体を柔らかく押し付ける。
「大丈夫ですよナナキさん。ナナキさんは何も悪くありません。薬を盛ったのは私。不義理をしたのも私。押しかけたのも私。提案したのも私。全て私の責任です」
だから、と耳元で甘く囁いた。
「ナナキさんは何も考えず、何の責任も感じず、私を好きにしていいんですよ?」
「ヘルヴィ……ニーナ……!」
「ふふ。今はヘルヴィと呼んでください」
ヘルヴィニーナは目を閉じ、七希に顔を近づける。
一度はその感触を味わったヘルヴィニーナの唇が、すぐ目の前に。
そして、七希は――