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9/13

契約

 晩餐会も終わり、夜も更けたガルデニア城。宴の余韻も消え、城内には静けさが戻っていた。


 アルベロ王は自室にて寝間着に着替えると、すぐに従者を下がらせた。

 年齢のせいもあるのか、今日のような自身が主賓となり式典などを行うことは、かなりの疲労を感じるようになっていた。普段以上の客人の相手も、気疲れしてしまう。それがこれから数日続くとなると、憂鬱さも感じため息も漏れて出てしまう。

 大きく息を吐き、アルベロ王はベッドに潜り込んだ。いつもなら寝酒にワインを飲みながら、軽く読書をして床につくのだが、今夜はそれをする気力もない。疲れきった身体を横にし、サイドテーブルに置かれた明かりを消そうと手を伸ばす。


「…………ん?」


 伸ばした手が止まる。サイドテーブルに置かれた水差しの中の水が、僅かだが揺れているように見えたからだ。

 疲れ目で視野がボヤけているかと思ったが、よくよく見ればそうではないようだ。しだいに水の揺れは大きくなり、海の波のように揺れだした。しかし、揺れているのは水だけ。水差し自体や周囲をにある物は微動だにしていない。

 何事かと不審に思うが、異変の原因はすぐに判明した。

 月明りさえない暗い窓辺に感じる、何者かの気配。何もない薄暗い空間が、いびつに歪む。そして、水の揺れと同調するように、何もない空間に波紋が浮かび上がる。

 アルベロ王は、その不可解な現象を動じることなく静観していた。

 波紋はさらに大きく広がる。人間一人分くらいの大きさになった頃、波紋の中央に黒い空間が広がり始める。黒い空間が広がるごとに波紋の揺れは薄れ、部屋には黒い空間がぽっかりと開いていた。

 そして、そこから闇を纏った人影が現れた。


「夜分に失礼する」


 目深に被ったフードを脱ぐと、男はアルベロ王に向け会釈をした。

 深夜、闇を纏い王の寝所に現れたのは、魔王ザカートだった。


「やはり、そなただったか」


 口元を少し歪めながらベッドから下りたアルベロ王は、窓際のソファに向かい腰を下ろした。部屋に常備されているワインを用意し、来訪者である魔王ザカートに一応向かいの席に座るように勧める。しかし、ザカートはそれを拒否した。


「……そなたの姿を見るのは久しぶりだな。先の戦争のとき以来か」


 アルベロ王は横に佇むザカートの姿を、足下から頭の先までじっくり眺めた。


「そなたは、あの時と全く変わっていないな」


「貴方は随分と老いたな」


「ははっ。あれから二十年も経つのだ。人間ならば誰でも老いる。……わしも、いつまでも若いつもりだったが、最近は疲れやすくてかなわない。若い姿のままの、そなたが羨ましい……」


 久方ぶりの再会を喜んでいるのか、アルベロ王は饒舌に言葉を投げかける。だが、ザカートの方は特に感動もなく、差し障りのない言葉を返すだけで、自分から話しかけるようなことはなかった。



「アルベロ王よ、契約の件だが……」


 アルベロ王の饒舌さに何かを察したか、ザカートは突如それを遮り、簡潔に要件だけを述べた。

 『契約』という言葉に、アルベロ王の視線が泳ぐ。しかし、すぐに何事もなかったかのような姿勢を取り戻す。


「……契約か。そなたが寄越してくれた魔族の者たちは、本当によくやってくれている。蒼竜魔導団は戦争の勝利だけでなく、国の復興にも多大なる貢献を残してくれた。本当に感謝している」


「そうか、それは良かった。我々も、民の移住を了承してくれたガルデニアには感謝している」


 口では感謝を述べるアルベロ王だったが、その言葉とは裏腹に彼の指先は忙しなく動き、テーブルに爪の先が当たり耳につく音をたてていた。どんなに体裁を整えても、内心に抱く苛立ちは隠せないようだ。


「アルベロ王よ。貴方の娘は今年、成人を迎えるらしいな」


「――――っ!!」


 静まり返った夜の室内に、カツカツと音を響かせていた指先がピタリと止まる。動きを止めた指先はわなわなと握られていき、テーブルの上に拳を作る。

「た、確かに……私は戦争に勝つために、そなたと契約を交わした。だが、それは魔族の民を、この国に受け入れることで完了したのではないのか」


 震える声での訴えを、ザカートは抑揚のない声で退ける。


「民の受け入れは、この国の復興とこれからの脅威に備えてのもの。戦争の勝利に対しての契約はまだ完了していない」


「――何故だっ! 何故、私の娘なのだ!」


「人間の娘なら誰でも良かった。私は人間の伴侶を求めていただけだから。だが、人攫いのような真似はしたくないのでな。契約という形をとらせてもらったまでだ。その契約者が、たまたま貴方だったというだけのことだ」


 この部屋に現れてから、一切感情の変化を見せなかったザカートが、ふいに寂しげな表情を浮かべる。


「人攫いがしたくない? はっ、魔族がそんな綺麗事を言うとはなっ!」


 興奮し、体裁など気にせず苛立ちも隠そうともしなくなったアルベロ王は、王らしからぬ荒々しい言葉を投げつける。


 ――二十年前、隣国との戦争で窮地にたたされていたアルベロ王は、偶然現れた魔王ザカートと契約を交わしていた。

 内容の一つが、戦争に勝利する為に魔族の力を貸す。その対価としてアルベロ王は自分の娘を魔王に差し出す。

 二つ目の内容が、国の復興の援助と今後の脅威に備え魔族の力を貸す。対価として、ガルデニアに魔族の民を移住させる。……という二つの契約だった。

 当時、王妃との間に子供のいなかったアルベロ王。追い詰められ切迫した状況のなか、『戦争に勝つ』という目の前の出来事しか頭になく、先のことなど深く考えず契約を交わしていた。

 結果として、人外である魔族の大きな力の加護を得て、ガルデニアは戦争に勝利した。

 そして終戦の年、何の因果か初めての子どもリコリスが生まれたのだ。

 しかし、王妃はリコリスを産んでしばらくして、流行病に倒れそのまま亡くなってしまった。アルベロ王はリコリスを王妃の忘れ形見として、大いに可愛がり大切に育ててきた。もちろん、リコリスが成長と共に、アルベロ王の愛情も大きく育っていった。が、それと同時に、契約に対する不安も大きくなっていった。

 一人娘ゆえに、リコリスがいなくなれば王家の血筋も途絶えることになる。それ以前に、日に日に愛した王妃に似てくる娘を、手放したくない気持ちが大きくなっていった。どうにか契約を破棄できないものかと思考を巡らすが、城には常に魔族の目がある。それに加え、人間とは異なる強大な力を見せつけられていたアルベロ王の心の内には僅かな恐れが生まれ、彼らを欺くような妙案が浮かぶことはなかった。


 ――そして今宵、契約を完了すべく魔王が当時と同じ姿で目の前に現れたのだ。

 アルベロ王は人外の者との契約を簡単にしてしまった、過去の自分の行いを悔やんだ。

 だが、そんな危機的状況でも、なおアルベロ王は打開策がないかと、思考を張り巡らせる。無意味にに視線を動かし、僅かな希望を見つけ出そうとする。


「――――!」


 アルベロ王の視線がある物を捉える。

 それは壁に飾られた地味な剣だった。これは昔アルベロ王が愛用していた物で、戦争が終わってからは部屋に装飾品として、飾られているだけだった。それに何かを思い付いたアルベロ王は、口許に歪んだ笑みを浮かべた。


「私の娘なら良いのだな」


「……? そうだが」


 あれほどまでに契約の執行を拒絶していたのに、急に人が変わったように落ち着き払う。僅かに笑みまで浮かべるその姿に、ザカートは言い知れぬ不気味さを覚えた。


「そなたには、リコリスではなくキルシェを差し出そう」


「――キルシェ!? 騎士のか?」


 思いがけず出たキルシェの名に、今まで感情を見せなかったたザカートに、人らしい感情の色が露骨に現れた。ザカートがキルシェを知っていることにも驚いたが、この感情の現れ方には何かあると踏んだアルベロ王は、これ幸いと話しを進めようとした。


「知っているのなら話は早い。誰も知らないことだが、あれも正真正銘、私の娘だ」


「どういうことだ? キルシェは城下で育ったと聞いたが」


 キルシェの過去も知っているようで、さらに驚かされたが、その言葉がアルベロ王の勘を確信へと導かせた。


「あれは、私が若い頃に贔屓にしていた酒場の女が産んだ娘だ。当時は先王から王位を継いだばかりで、私は精神的にも肉体的にも癒しを求めていたのだよ。時々、城を抜け出しては城下の酒場に行っていた。結婚が決まってからは足を運ぶことはなくなったが、戦争が終わり視察に赴いたときには、酷く驚いかされたよ。代金の代わりに渡した指輪を幼いキルシェが持っていたからな」


 アルベロ王はグラスに注いでいたワインに口をつける。


「指輪とキルシェの存在は、当時の私を酷く動揺させたよ。この娘の母が自分を買っていた男が王だと知れば、金の無心や脅しをかけて来るのではないかとな。なにせ、酷く貧しい姿だったからな。生活に困っているのは目に見えて明らかだった」


 手にしたグラスを掲げ、紅く歪んだ視界越しに壁に掲げられた剣を見つめる。彼の口許からは不安や苛立ちは完全に消え、醜い感情が現れていた。


「……だが、あの女は死んでいた。私は安堵したよ。私の過去を知り、脅かす者はいないのだと。しかしな、不思議なもので脅威が無くなると、今度は苛立ちが生まれた。王族の血が流れる娘が、あんなにもみすぼらしい姿でいることに。異常なほどの不快だった。私はキルシェを子供のいない貴族に養子に迎えさせた」


「何故、指輪だけでキルシェが娘だと言い切れる?」


「たしかに、指輪だけでは説得力はないかもしれない。冷静になれば『本当に自分の娘なのか?』と、私自身にも疑問が湧いてきた。だから、徹底的に調べさせた。その結果、本当に自分の娘だと証明されてしまっただけだった。当時、あの女の客は私一人だったようだ。かなりの額を払っていたから、客が私一人でも生きていけたのだろうな」


「…………そうか」


 アルベロ王はチラリとソファの横に立つザカートの顔に視線をやった。ここに来たときと比べ、キルシェの名が出てからは、微妙に表情が緩んだように見えた。

 普通の人間から見れば、ザカートの表情は最初と変わらず感情のないもののように映るだろう。しかし、アルベロは二十年以上『王』として、この国の政を行っている。政などは、結局のところ政治家や権力者などの腹の探りあいで動いていく。自分は僅かな隙も見せず、相手見せる僅かな隙を突いていく。

 アルベロはザカートが見せた僅かな隙を利用し先の契約だけでなく、ある計画をも実行することを思い付いた。


「……だが、ここで今すぐにキルシェをそなたに差し出すことはできないだろうな」


「どういうことだ?」


 アルベロ王は僅かな抑揚の変化も聞き逃さない。


「あれは、私に忠誠を誓い、騎士として生きる道を選んだ娘。宛がわれた見合いも何度も断っている。女としての喜びを知らずに、男の世界に生きることを選んだ娘だ。魔王の伴侶となれと言ったところで、素直に行くとは思えん。それどころか、敵になる前に倒してしまおうとでも言いかねん」


「…………」


 ザカートは何も言い返さなかった。なぜなら、キルシェと出逢った時の印象から、同じような姿が容易に想像できたからだ。


「そこでだ。そなたには、一度リコリスを攫ってもらいたい」


 静かに立ち上がり、真剣な面持ちでザカートを見据える。僅かな変化も見逃さず、相手を自分の舞台に立たせ、己が主導権を握る為に言葉を繋ぐ。


「キルシェはリコリス付きの騎士だ。ゆえに、リコリスが誘拐されたとなれば、自分の失態を責め、自らそなたのもとへ向かうだろう」


「しかし、それでは敵意を持ち私のもとに来るのではないか」


「キルシェの場合、どのような状況下だろうと、好意を持ってそなたのもとへ向かうことはないだろう。ならば、自らの足で赴かせ、そなたたちが魔界へ帰るまで留まらせるしかあるまい」


 雄弁に語るアルベロ王に、ザカートは疑問を感じ始めていた。

 リコリスに対してあった執着に近い愛情が、同じ娘であるはずのキルシェには全く感じられないのだ。それどころか、キルシェの母を害悪のように蔑んでいた雰囲気が、現在のキルシェにも向けられているようだった。そして、時おり垣間見せる不敵な笑みの裏に、まだ何かを企てていることも感じ取れた。


「おそらく、そなたの城にはリコリス救出と魔王討伐を名目に向かうことになるだろう。その部隊にレザンという傭兵を同行させる。……そこで一つ頼みがある」


 やはりなと言わんばかりに、ザカートがため息をつく。


「この男を、始末して欲しい」


「――――なっ!?」


 企みが有ることには気付いていたが、その要望が一人の人間の始末だとは予想もしていなかった。人間の世界では残忍だと恐れられている魔王でも、この望みには驚きを隠せなかった。一国の王が、自国民の死を望む。それが信じられなかったのだ。

 しかも、その望みは国のためでも民のためでもない。自分自身の欲から出た醜い望みだ。


「傭兵の一人くらい、自らの手で始末すればよいではないか」


「事は、そう簡単ではない。傭兵は基本どの国にも属さず、様々な国を渡り歩く者が多い。ゆえに我が国に敵意を持つ国の依頼で動いている者もいるだろう。仮にレザンが敵国の間者で、この国に滞在中に不審死でもしてみろ。我が国がその国の思惑に気づき、宣戦布告をしたと捉えられてしまうかもしれん。そうなれば、ようやく穏やかになってきた国同士の関係が、再び緊張状態になってしまうかもしれない」


 国を思う立派な王のように振る舞うが、アルベロ王の口かは吐き出される言葉にザカートは何の感情を現さない。それは単純に耳に届くだけの、言葉の羅列にすぎなかった。


「何故、レザンという傭兵を始末しなければならない」


「そんなことは、そなたには関係ないだろう」


「いや、契約として理由は、はっきりとしておかねばならない」


 理由を問われ、再び感情を高ぶらせたが、答えるとなるとアルベロは少し躊躇していた。


「…………あれは、リコリスを惑わせる人間だ。あれを始末しなければ、リコリスはリコリスでなくなってしまうっ!」


 アルベロの様子からレザンとリコリスにはただならぬ関係があることは、容易に想像できた。リコリスも父であるアルベロ王と同様に城を抜け出し、城下で傭兵であるレザンと逢っているのだろう。

 親が娘の素行を心配することは、ザカートにも理解できた。しかし、アルベロ王の執拗なるまでの愛情が、父が娘を思う愛情なのか子のないザカートには分からなかった。

 アルベロ王から感じるのは醜悪な感情だった。娘と関係を持つ男に嫉妬し、いとも簡単にその男を始末しようと考える。しかも、自分の体裁を優先し手を汚さないようにだ。

 ザカートは目の前にいる人間に嫌悪感しか抱かなくなっていた。


「……では、これは新たな契約とする。貴方は対価として、何を差し出す」


 ここに居ることすら煩わしくなり始めたザカートは、早々に契約を交わし立ち去ろうとした。しかし、アルベロ王の口からは思いもよらぬ言葉が吐き出された。


「何を言う。レザンの始末のそなたの望む女を差し出すことが対価となり、契約は完了するではないか」


「………………」


 ザカートはもう反論する気にもならなかった。

 二十年前の契約時のアルベロ王は、国や民の為に全身全霊で戦っていた。

だが、そんな勇猛果敢なアルベロ王の姿はここにはない。今、ここにあるのは己の欲望にかられ、私利私欲に動く醜い肉の塊。

 年月が変えたのか、権力が変えたのか、ザカートはすでにそれを一人の人間として見ることはできなくなっていた。


「……分かった。契約はそれで完了とする。後日、使いを送ろう」


 それだけで言うと、アルベロに背を向け歩きだした。進行の先に波紋が浮かび上がる。現れた黒い空間はザカートの身体を包んでいく。

 去り際、ザカートは少しだけ顔を振り向かせ、言葉を残した。


「貴方は変わった。昔は民に視線が向いていた。……だが、今は一体どこに視線が向いているのだろうな……」


 ザカートの身体は闇に飲まれ消えていった。


 魔王が消え、空間の波紋も消え、寝所には再び静寂が戻った。


「ふんっ。生意気なっ」


 最後に投げかけられた言葉に憤慨したアルベロ王は、乱暴にソファへ座り直した。

 傍らのワインをなみなみとグラスに注ぎ、一気に飲み干す。だが、苛立ちは収まらない。それどころか、ザカートの見せた憐れんだような表情を思いだし、さらに興奮させた。

 アルベロ王は手元にあった本を手に取ると、ザカートが消えていったた場所に向け投げつけた。本はどこへ当たるということもなく、力を失い虚しく床に落ちるだけだ。

 忌々しそうに舌打ちをしながら、アルベロ王は窓の外を見た。

 そして、ふいに笑みを浮かべた。


「――くくくっ。だが、これで良い。これで煩わしいものは全て処分できる。リコリスは私だけのものだ。私だけの……」


 薄暗い部屋にアルベロ王の不気味な笑い声だけが響いていた。




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