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魔王‐2

 キルシェは広い庭を、門に向かい歩いていた。しかし、門まで行き手をかけるが、重い石の扉が人間の女であるキルシェに開けられるはずもなかった。ここから出ることもできず虚ろに空を眺めると、キルシェは再びゆっくりとした足取りで歩き始めた。

 噴水の側で寛いでいた魔族の男は、虚ろな表情でこちらに近付いて来る人間の女の姿に首を傾げた。ついさっき見かけたのは、驚嘆もあったが強い意志の瞳を持った女の姿だった。しかし、今この噴水の側に佇む女は、魂が抜けたような空っぽな姿をしている。

 キルシェは歩み寄った噴水の縁に手を置き、水面を覗き込んだ。絶え間なく流れる水で、水面はゆらゆらと揺れている。水面に映し出される姿は、自身の感情を現すように揺らめき実体を捉えることはできない。キルシェはしばらくその揺らめきを、虚ろに眺めていた。

 そんなキルシェに不穏な空気を感じた魔族の男は、迷いながらも側に近寄り声をかけようとした。

 ――その時だ。キルシェは携えていた剣を抜き取り、銀色に輝く刃を自身の首に押し当てた。


「――――っ!!」


 魔族の男は突然の出来事に声も出せず、慌てて手だけを伸ばし止めようとした。

 しかし、彼の手が届くよりも前に、剣は音をたて砕け散った。剣の破片は、その場にいる者を避けるように地面に散らばっていった。


 キルシェは何が起こったのか把握しようともせず、手にしている刃の折れた剣をぼんやりと見つめていた。魔族の男も唖然としていたが、キルシェの背後に現れた人影に気付くと、慌てて膝をつき頭を垂れた。


「……魔王様」


 ザカートは魔族の男に場から離れるように促し、キルシェの傍まで行くと地面に落ちた剣の欠片を拾った。


「自ら命を絶とうとしたのか」


 キルシェの視線がゆっくりと動く。夕焼け色の髪を靡かせ立つ魔王の姿に、消えかかっていた感情が戻り始める。


「……貴方に……何が分かる……」


 深く沈んだ声で呟く。

 キルシェに突きつけられた現実は、自ら死を選んでしまうほどに、受け入れがたいものだった。


「……私はアルベロ王に救われたあの日から……、ガルデニアに忠誠を誓って生きてきた……」


 王に救われた日、正式な騎士として認められた日。そして、姫付きの騎士として対面した時の、あどけないリコリスの笑顔が甦る。

 キルシェの頬に涙がつたう。

 信じていたものが、たった数分の間に全て壊れてしまったのだ。キルシェの心は絶望と後悔で満たされていた。


「何故、涙を流すのだ」


「…………私は、……王に……売られたのだ。私は……帰る場所を失ったのだぞ……。――貴方のせいでなっ!」


 憎しみの込められた目で睨みつけ、刃の折れた剣をザカートの胸に突き立てる。やり場のない感情をぶつけるように、何度も何度も剣を叩きつける。胸にジワリと赤い染みが広がるが、ザカートは微動だにせずキルシェの怒りを受け止めていた。

 ふいにキルシェの動きが止まる。

 ゆっくりとザカートの胸から剣を離すと、俯き剣を下ろした。両目から溢れる涙と共に、手から剣が離れ地面に落ちる。


「……私は、リコリス様にあのような態度をとってしまったのだ。たとえ、ここで貴方を殺しても、私には戻れる場所なんてない……」


 感情のない笑みを浮かべる。


「姫を拒絶したことか」


 『拒絶』と、いう言葉がキルシェの心臓を締め付ける。


「……拒絶……。私は拒絶してしまった……。あんなにも私を信頼してくださってた方を……。あんなにも敬愛していた方をっ!!」


 キルシェは自分のしたことを責め、苦しんでいた。しかし、感情的なキルシェとは逆に、ザカートは抑揚のない言葉で追い詰めるように続ける。


「穢れていると思ったか」


 キルシェは大きく目を見開き、震える身体を抑えザカートを見上げた。


「なっ、何を……」


 言葉が上手く声にならない。それほどまでに、その言葉はキルシェを動揺させた。


「『女』というものが恐ろしいのか」


「――――っ」



――全て、見透かされている――



 そう感じたキルシェの口から、乾いた笑いが漏れる。


「……以前会った時にした、母の話を覚えているか?」


「噴水の天使像に似た母親か」


「ああ。……私は、女手一つで私を育ててくれた母が、大好きだった」


 キルシェは無意識に、ネックレスとして首から提げる青い石の指輪を握り締める。


「あの時代、女が一人で子供を育てるのは楽なことではない。それでも母は私と遊ぶ時間も作りながらも、昼夜働き養ってくれていた。当時は戦争をしていた時期だ。仕事といっても、ろくなものはない。……それでも、女が短時間でそれなりに収入を得る仕事はあったんだ」


 キルシェの声が詰まる。優しい母の記憶の奥に隠していた、もう一人の母の顔を覗かせる。


「……母は……娼婦だったんだよ……」


 深く項垂れ、肩を震わすキルシェを、ザカートは触れることもせず静かに見つめるだけだ。


「遊んでくれる時や、昼間の酒場て働いている母は大好きだった。キラキラ輝き、自慢でもあり憧れでもあった。……だけど、夜の『女』の顔をした母の姿は大嫌いだった。怖かった……」


 幼いキルシェと母は、酒場の上階にある部屋に住んでいた。そこは親子の家であると同時に、夜の母の仕事場でもあった。夜の仕事は大抵、キルシェが別室で寝ている最中に行われていた。だが、時おりキルシェはその声と気配に起こされ泣きながら夜を明かすこともあったのだ。


「母は私が幼いから気づいていないと思ったかもしれない。だが、意外と子供は親を見ているものなんだ。最初は分からなかったが、しだいにそれが恐ろしいもののように思えてきた。……そして、何度か見ていたんだ。母の仕事仲間が苦しんでいる姿を……」


 古い記憶と共に、先程の苦しむリコリスの姿が思い出される。


「不思議なもので、それが何か理解できなくとも、あの行為の結果が“それ”なんだと、何となく感じることができていた……。私は、幼いながらに感じていた。あの行為は汚いことだと。……でも、理解はしていた。それが自分を養うためだと。けど、それでも私は夜の母を受け入れることができなかった」


 キルシェの呼吸が荒くなる。


「母が怪我で亡くなったとき、悲しかった。だが、私のなかには安堵と嬉しさもあった。もう、あんな嫌な思いをしなくても良いんだって……」


 キルシェの両目から溢れる涙が、地面を濡らしてゆく。


「……だがな、一人になると急に寂しくて怖くなった。私は、このまま一人で生きていけるのか? 生きるために、母と同じように自身を売らなければならないのかと……。私は母の『女』の姿が怖かった。同じようになるのは、もっと怖かった。しかし、私は王に救われ、貴族の娘として生きることができるようになった。自分を売る必要はなくなったが、なぜか娘として生きることにも抵抗が生まれていた。養父は私に娘になることを望んだが、私は娘ではなく騎士を選んだ。……国を護るなんて、立派な心構えなんてなかった……。私は、女である自分から少しでも逃げたかっただけだから……」


 キルシェが顔を上げ、泣き腫らした瞳でザカートを見つめる。少し前までそこに居た、強い意志を持った女騎士の姿はすでになかった。


「しかし、私の中にも確実に『女』の自分はいる。同じ年頃の娘が皆と楽しそうにしていたり、子供を抱き幸せそうに笑っている姿を見ると、胸の奥が苦しくなるんだ……。隠している感情が溢れ出てきそうになる。……けど、それを必死に抑えようとしているる自分もいるんだ……。……私は……」


 何かを躊躇うように、キルシェは声を詰まらせる。


「……私は……いつの間にかリコリス様に……自分の願望を委ね始めていた。リコリス様は私に無いものを全て持っておられた。女性らしい姿、気品、愛らしさ……全てだ。私の理想とする女性の姿」


「その幻想が崩れてしまったか」


 しばらく黙って話を聞いていたザカートが核心をつく言葉を放つ。その言葉が、キルシェの感情を逆撫でさせた。


「――――っ!」


 キルシェは自分が傷付けたザカートの胸を、拳で何度も叩きつけた。拳には傷口から滲み出た血がベッタリと付いている。しかし、そんなことなど気にも止めず、キルシェは拳を叩きつけていく。

 何度も何度も打ち付け、そのままその場に膝から崩れ落ちていった。


「――分かっている。分かってはいるんだっ! 私がリコリス様を神格化しすぎていたことは……。私の委ねていた気持ちや、一国の姫としての重圧が、リコリス様の負担になっていることも。自分自身から逃げている私なんかが、リコリス様に『逃げないでください』なんて言えるはずもない。……しかし、私は姫でないリコリス様の姿を知り、幻滅してしまった。苦しまれているリコリス様の姿を、母の仕事仲間と重ねてしまった。リコリス様自身が、嫌いな母の姿に見えてしまった。私はもう、リコリス様を純真な姫の姿で見ることはできない」


 今まで押し隠していた感情が溢れ、キルシェはザカートの足下で子供のように大きな声で泣いていた。


「キルシェ。そろそろ、自分の心に素直になり、女である自分を受け入れてはどうだ」


「…………えっ?」


 ザカートが膝を折り、キルシェの視線に合わせる。髪と同じ夕焼け色の瞳が、本当の自分を取り戻し始めた女騎士を優しく見つめる。


「キルシェは、私にもう一度逢いたいとは思わなかったか?」


「……逢い……たい?」


 泣くことを止めたキルシェは、自分の気持ちを問いただした。

 『逢いたい』という気持ちはあった。今までは、それが何処から出てくる感情か理解できていなかった。いや、理解しようとしていなかった。

 しかし、蓋をしていた感情を開け放ったことで、この感情がどこから来るものなのか理解できるようになっていた。


「私は、キルシェにもう一度逢いたいと願った。ずっと、傍にいたいとも想った。あの日の僅かな時の出逢いに、私の心は大きく動かされていた」


「――――私は……」


 キルシェは、ようやく確信できた。

 この感情が何処から湧き出てくるのかを。


 これは、キルシェがずっと抑えていた『女』の部分から出てくる感情。

 目の前にいる異国の男を恋慕うという『女』の感情。

 全てを吐き出すことで、目覚めることができた。今まで会ってきた男たちには感じなかった気持ち。正確には感情を拒絶し、気づかないようにしていた気持ち。

 おそらく、あの出逢いでザカートが心を動かされたように、キルシェにもこの気持ちは芽生えていただろう。だが、『女』を拒絶していたキルシェには、それが分からなかった。こんな極限の精神状態に陥らなければ、気付くことさえできなかったかもしれない。


 しかし、自分の気持ちに気付きながらも、キルシェは迷い恐れていた。



 自分の気持ちを伝え、魔王に身を委ねて良いのか。

 ――大嫌いな『女』の姿をした母と、自分の姿が重なる――



 自分の気持ちと、魔王の気持ちを拒絶し、さらに逃げ続けるのか。

 ――子供を連れた女の姿に、大好きな『母親』の姿が重なる――




「やはり、怖いか? お前の気持ちを無視し、無理強いすることはできない。姫と共にガルデニアに戻っても良いのだぞ」


 そう気遣うが、ザカートは切なそうな表情を浮かべていた。

 アルベロ王に売られた絶望やリコリスにしてしまったことへの後悔よりも、手で触れることができるほどの近さにいる魔王ザカートに会えなくなるという寂しさがキルシェのなかで大きくなっていく。


「私は……」


 しかし、一歩踏み出すことができなでいた。

 ザカートの手がキルシェの髪に触れる。そして、優しく撫で、柔らかく微笑みかける。


「キルシェ。私は初めて逢った時から、お前に惹かれていた。強い意志を持ち輝く瞳。だが、どこか自分を拒絶し恐れる。そんな弱い自分を必死に隠そうとしている姿。全てが美しいと感じた。お前は、自分のなかにあるものを恐れているかもしれない。しかし、この世に生を受け生きる者は、誰もが心に恐れや弱さを持つものだ。だが、それを受け入れるか否かで、その者の運命は大きく変わる。――キルシェ、私はお前にそれを受け入れてもらい、私の傍にいてほしいと願う。私は、お前の全てを受け入れ、永遠に愛し続けるだろう」


 その告白はキルシェの心に広がり満ちた。先程とは違う、温かな涙が流れる。


 キルシェはザカートの胸に顔を埋め、聞こえてくる鼓動に耳をすました。トクン、トクンと、心安らぐ音を聞きながら、幼い頃に感じた母親の優しい温もりを思い出していた。



「……私も、貴方を――――……」





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