傭兵‐1
日が登り、朝日が部屋に射し込む。
キルシェは固いベッドの中で、その光を浴びていた。
この村には客人は滅多に来ない。ゆえに、宿屋などの宿泊施設もなく、キルシェたちは村の住人の家に厄介になっていた。家主が用意してくれた朝食を食べ終えると、キルシェとレザンは船が漂着した海岸へと向かった。そこで、まだ使える食糧や薬などの物資を集めるためだ。
林を少し歩くと、すぐに木々の隙間から海が見え始める。
夜の月明かりの光とは違う、明るく眩しい光を反射しながら波打つ海。眩しさに目を細め見ると、岸壁に寄り添う形で停泊する船の姿が見えた。
キルシェは船の姿を見て驚愕した。
あまりにも酷い状態だったからだ。あちこち穴が開き、帆も破れ、黒く焦げたような跡もある。
「こんな状態で、よくここまで着けたな」
「ああ、そうだよな。船底を傷つけられて海水が染み出してたから、一時はこのまま沈没かよって死を覚悟したが……奇跡的にここまでは辿り着けた。本来の目的地のナグロまでは無理だったがな。帰りをどうするが知らないが、この船はもう使えないだろうな」
「そうだな。報告も兼ねて、伝令の鳩は飛ばさないといけないな。数日後には迎えの船が来るだろう。しかし……鳩が無事なら使えればいいのだが」
船長を含めた船員たちには、キルシェたちがグリシーナ島に来た本来の理由は伝えていない。あくまで島の調査という名目で依頼をしていた。どこから他国に話が漏れるか分からないゆえの対処だった。たとえ、リコリス救出したとしても、不特定多数が利用する民間の船に乗せるのは避けたいことだった。
「……しかし、魔獣とは本当に恐ろしい生き物だな……」
改めて船を見上げ、小さく呟く。
今にも壊れてしまいそうな階段を下り、荷物などを置いていた下層の倉庫に向かう。倉庫には、あるはずのない潮の匂いで満ちていた。船底に空いた亀裂から海水が染み込み、床には踝が浸かる程度の浅い池が出来上がっていた。魔獣の攻撃で大きく揺れたせいで、固定してあった荷なども崩れて散乱してしまっている。だが、幸いにも比較的無事な物が多そうだった。
荷の中には、伝令用に連れてこられた数羽の鳩もいた。突然のことでよほど驚いたのだろう、狭い籠の底には暴れた際に抜けた羽根や餌などが散らばっていた。鳩たちがどれだけ混乱していたか分かる。だが、今は落ち着を取り戻しているようだ。
二人は海水に浸かっていない食糧などを集め村に戻ると、ミディと合流し、これからのことについて話し合いを始めた。
「さて、これからのことを説明する」
この任務のリーダーのようにレザンは振る舞い、机の上に地図を広げる。
グリシーナ島は、それなりに面積のある大きな島だ。ほぼ中央に高い山がそびえ、そこから深い森が島の大半を覆うように広がっている。
人々は必然的に海岸沿いに集落を作り生活をしている。大きな集落は、西に港町の『ナグロ』、南に『リース』。そして、北西にも一つ村がある。他にも小さな集落が二、三ある。島の東側は硬く足場の悪い岩場が多く、土地が荒れていて人は住んでいない。人や物の流れは港町のナグロを中心に行われ、道もナグロを中心に整備されている。
本来なら船でナグロの港町まで行き、そこから山に登るルートで行く予定だった。しかし、魔獣に襲われ船が破損し、流れ着いたのは南の集落リースだった。
レザンの説明によると、リースの村から魔王城へ行くには、海岸沿いを東に向け進み、途中にある山から流れる川の河口から上流に向け遡っていくと、城のある山に安全に辿り着けるらしい。村から森を進んでも行けるが、森は目印になるものが無く迷いやすく危険だという。
地図を見ながら説明を受け、キルシェは感じた疑問を尋ねる。
「見たところによると、ここからナグロまでと、その河口までの距離は同じぐらいに見えるが……。同じ距離なら道の整備されたナグロへの道を行った方が、安全で楽なのではないか?」
レザンは一度キルシェに顔を向けると、ふぅと息を吐き出した。
「まあ、距離的には同じぐらいだけどな。そこから山を登るとなると、ナグロ方面は傾斜もキツめだし、道も悪い。こっちの方は比較的緩やかで、道もそれなりにあるから楽なんだ」
「そうか。ならば、レザン殿の言う道を行こう」
土地勘のあるレザンが言うのだからと、キルシェは素直に納得する。元々、レザンはこの島の道案内も兼ねて呼ばれたのだ。この地を知らないキルシェに反対する意思はなかった。
話し合いという名の説明が終わり、キルシェたちは出発の準備を整える。そして、フィーネに部下たちのことを頼み、村を後にした。
集落を一歩出たキルシェは、島の中央にそびえる山の方を眺める。山頂が不自然な白さに染まる山の姿に、ふいに不安にかられてしまい、無意識に胸に手をあてる。
「キルシェ様。リコリス様は大丈夫ですよ」
まるで心でも読んだかのように、ミディが励ましの声をかける。
「まだ、大丈夫です。早く城に向かい、リコリス様をお助けしましょう」
「……そうだな。早くお助けしなければな。想定外のことが立て続けに起こって、弱気になっていた。ありがとう、ミディ」
ミディは照れたように微笑み、キルシェの二、三歩前を歩き進んでいく。
「そうだ。早く行かなくては」
キルシェは気弱になっていた自分を捨て、騎士として任務を遂行するため気を入れ直し歩きだした。
昨日歩いた道を進んでいくと、見覚えのある場所に出た。
昨日となんら変化の無い海岸。穏やかな波が静かに砂浜に打ち寄せている。
キルシェは立ち止まり海を眺める。波は穏やかだが、少し遠くに目を向けると、水面には大小様々な岩がいくつも顔を覗かせている。落ち着いて眺めてみると、ここは意外と入り組んだ海岸のようだ。
「どうしたんだ?」
立ち止まり海を眺めるキルシェに気づき、レザンも足を止める。
「いや、こんな岩だらけの場所なのぬ、よく無事に流れ着くことができたなと思って」
「えっ? お前らここに流れ着いたのか?」
「ああ、そうだが」
レザンは不思議そうに眉間に皺を寄せる。
「変だな。海流の具合で、ここには流れ着くことはないはずなんだがな。流れ着くとしたら、村の側かもう少し行った先の海岸なんだがな」
「……そうなのか?」
レザンはそう言うが、ここに流れ着いていたのは事実。昨日見た景色と同じ場所。小舟や網などもそのままある。ミディにも同意を求め、確認している。だが、この地で育ったレザンが『流れ着かない』と、言うのだから、それも事実なのだろう。キルシェたちは本当に運が良かったとしか言いようがないのだろう。
「本当に、運が良かっただけなのか……」
死んでもおかしくない状況だった。いや、キルシェはあの時、確実に己の死を間近に感じていた。しかし結果として、ほとんど無傷の状態でグリシーナ島に流れ着いた。『運が良かった』ということで終わらせて良いものなのだろうか?
自問自答していると、ふいに海の中で感じた温もりを思い出した。自分を優しく包み込む不思議な温もり。あれが何だったのかも、キルシェには理解できない現象であった。
奇跡的なことが続くが、いくつかのことは不可解な出来事で、得体のしれぬ人外の力が介入したようにも思えるほどだった。
海を見ながら考え込んでいると、突然背中を強く叩かれ意識が現実に引き戻される。
「おい、いつまで海見てんだ? 早くしないと、日が暮れるぞ」
「……あ、ああ。すまない。急ごう」
返事を待たず先に進み始めるレザンの後を追い、キルシェは疑問を残しながら再び歩き始めた。
三人は道のない砂浜や岩場をひたすら歩いく。
村を出てしばらくは砂浜や緩やかな岩場の海岸が続いていた。しかし、東に向け進んで行くと、岩場は目に見えて多くなっていった。岩場も様々で、巨大だが滑らかな岩の場所もあれば、ゴツゴツと角があり鋭い面を見せるような場所もあった。
グリシーナ島の東側は岩場が多く荒れている。切り立った崖のようになっている場所もあり、島民も好んで東側には行かないし住むこともない。
そんな場所だが、やはりレザンは慣れたものだった。一見、歩けそうもないような場所でも、もっとも歩きやすい場所を即座に判断し、普段の歩調と変わらず進んで行く。背負っている荷も、彼が一番重いにも関わらずだ。キルシェも鎧の重さで多少は苦労しているようだが、問題なくレザンの後を付いていっている。
問題なのはミディだった。魔導士ゆえ体力もないミディは運ぶ荷も少なくしていたが、前方にいる二人からはかなり後方にいた。その原因は体力の差もあるが、彼の着る蒼竜魔導団のローブのせいでもあった。ロングスカートのように裾がふわりと広がったローブが、尖った岩などに引っ掛かり歩行の足枷になっているようだ。
キルシェは背後から時おり聞こえてくる小さな嘆き声にいたたまれなくなり、レザンに提案をする。
「レザン殿、この岩場はいつまで続くんだ? 無理にここを通らなくても、森を行けば良いのでは」
レザンは足を止め、呆れたように振り返る。
「言ったよな。森は海岸を通るより危険だ。ほとんど手入れされてないから、どこに何があるか分からない。地面に空洞があって、そこに落ちて死んだヤツもいる。おまけに、どこも似たような景色で迷いやすい。それに、人里には来ないが森には獣もいる。下手したら魔獣もいるかもな。そんな場所で魔獣と戦闘にでもなってみろ。おそらく方向が分からなくなるだろうな」
このことは出発前の説明で、きつく言われていた。キルシェは返す言葉もなかった。
「まあ、この岩場も、もうすぐに終わる。そうしたら森の中に入ってくんだがな」
レザンはようやく追い付いたミディの姿を見て、呆れ混じりのため息をつく。
「お前、何でそんなヒラヒラした服着てんだ? 俺は言ったよな。これからの足場の悪い海岸を行くって。木々の生い茂る森にも入るって。そんな格好だと動きにくいことぐらい、考えなくても分かるだろ」
レザンの口調はキツいものだった。しかし、言っていることは間違ってはいない。ミディはレザンからの叱責を受け、不服そうにしている。
「……ほっといてください。これは僕たちは蒼竜の正装なんです」
ミディはそっぽを向き、岩に引っ掛かった裾を引っ張っる。ローブの裾はボロボロになり、今しがた引っ張った場所も大きく裂けてしまった。
ミディの服装がいくら蒼竜の正装だとはいえ、こういう場所の移動に適していないのは明白。キルシェはミディを擁護することもできず、二人の間に立っているだけだった。
「ふんっ。何があっても、俺は助けないからな」
「レ、レザン殿、そんな風に言わなくても」
キルシェの言葉を聞くことなく、レザンは苛立ったように先に進んで行く。
「さっ、キルシェ様。行きましょう」
険悪な空気に戸惑うキルシェをよそに、何事もなかったかのようにミディも続く。
一人、不安に戸惑うキルシェ。
レザンとミディ。この二人は、当初から仲があまり良くない。
今回の件は、明らかにミディの我が儘であるが、それがなくとも二人の間はギスギスとしていた。ここに向かう船の中でもそうだった。シーダーたちがミディを男か女かで議論していた時でも、ミディ自身から話しの輪に入り、にこやかに談笑していた。しかし、そこにレザンが入り軽くからかうと、ミディは露骨に嫌悪の色を出した。そこにいた者たちは、からかわれてご機嫌斜めな素振りをみせたくらいにしか思っていなかったようだった。遠くから眺めていたキルシェも、その時は同じように感じていた。だが、似たような場面を何度か目にするうちに、その考えが違っていると感じ始めていた。
レザンがミディに向ける言動は、単純な
嫌味ではない。なんだかの感情が含まれた言動だ。
そして、ミディの態度も、その言動に対する反射的な反応のようではなかった。
どちらが先で、何が切っ掛けなのかは分からないが、二人は互いに嫌悪しあっている。
キルシェは頭を抱えた。二人の関係がこのままだと、いざという時に連携がとれなくなる懸念がある。部下の騎士たちや蒼竜のフィーネがいれば、それらをフォローすることができるかもしれない。しかし、今はその三人は離脱している。二人の間をどうにかできるのは、キルシェ一人しかいないのだ。
自分一人で、どうにかできることなのかと悩み、足取りも重くなってしまう。
そんな時だ。追い討ちをかけるように強い向かい風がキルシェたちに吹き付けてきた。
「……ん?」
ようやく嗅ぎ慣れてきた潮の香りに混じり、異様な臭いが鼻に届いた。前を進む二人も気付いたようで、臭い元を辿ろうと周囲を見回している。
臭いの発生源が分からないまま先に進んで行くと、臭いはどんどん強くなっていくようだった。そして、久し振りに現れた砂の海岸に黒く大きな物体が見え、この異様な臭いの原因を知ることとなった。
「――何だよ、これ」
先頭を行っていたレザンが、喫驚の声を上げる。
「な、何だ……この生き物は」
駆け寄ったキルシェも同様に驚く。
海岸に横たわっていたのは、黒い皮膚のトカゲに似た姿をした巨大な生物の死骸だった。
人など簡単に飲み込めそうな大きな口には鋭い牙が並んでいる。体の肉付きもしっかりとしており、そこから伸びる腕は人の頭位なら軽く握り潰せそうである。その手の爪も、歯と同様に鋭く伸びている。しかも、その生物の下半身は海に浸かっており、見えている上半身だけでも人間数人分のの丈はありそうだった。見えない下半身を合わせた全長など知りたくもないほどだ。
しかし、それは横たわり無惨な姿を晒している。
もう閉じられることのない口からは舌がだらりと垂れ、濁った瞳には光がない。 体中あちこちに斬られた跡があり、所々骨が見えている部分もあった。特に腹部の傷が酷く、大きき裂けた皮膚の下からは内臓がはみ出していた。砂には流れ出た血が染み込み、生物の影のように黒く染まっていた。周囲を漂う異様な臭いは、この生物の死骸から発せられるもので違いないようだ。
初めて見る生物に茫然としてしまうキルシェだが、辺りに立ち込める強い腐敗臭
に眉をひそめ、鼻を覆う。だが、彼女の横でレザンは息を呑んでいた。
「こいつ……船を襲って来たヤツだ」
「――なにっ!? これが襲ってきたのか」
言われ、船から見た魔獣の影を思い出す。だしかに、あの影は目の前の死骸と似ている。だが、キルシェは信じられなかった。
「だが、これは魔法も使うような魔獣だったのだろう。そんなものが、たった数日でこんな姿になることがあるのか……」
「……分からない。けど、見間違いじゃない。たしかに、こいつだ」
自身の目で魔獣の姿を見ていたレザンは、強く断言する。
「こいつ、体がやたら硬くて剣の攻撃が全然効かなかったんだが」
そう言いながら、レザンは自分の剣を魔獣の体にあてた。そして、斬るようにスッと剣をひく。レザンの言葉通り、皮膚には剣が通った跡が僅かに残るだけで、切り裂くような傷は残らなかった。
キルシェはためらい無く皮膚に触れてみた。表面は滑らかだが、指で押し付けるとある程度の硬さを持った弾力がある。妙な感触の皮膚をだった。
「……ん? なんだ、これ?」
何かに気づいたレザンが急にしゃがみこみ、魔獣の傷口に手を入れた。傷口から出てきたレザンの手には、キラキラと日の光を反射する金色の長い糸が絡まっていた。
「糸? なんでこんな物が?」
糸はとても長く、人の背丈の倍はありそうだった。
横たわる魔獣の死骸をよく見ると、至るところに同じような輝く糸が絡みついている。キルシェも間近に見ようと、魔獣に絡まる糸を手に取ってみた。その糸は思いの外に脆く、少し強く引っ張っただけでプチプチと音をたて簡単に切れてしまった。
「意外と脆いな。まるで髪の毛みたいだな」
この糸が人工物なのか天然の物なのか分からない。そして、この死骸との関係性もだ。ましてや、自分たちを脅かしたこの魔獣が、こんな有様になっている原因など分かるはずもなかった。
「……あの。いつまでここに居るんですか? 早く行きませんか?」
目の前の死骸に疑問を抱く二人と違い、ミディはとても冷めた様子だった。
彼はこの死骸が恐ろしいのか、それとも全く興味が無いのか、二人よりも二、三歩後ろに無表情で立っていた。
「……ああ、そうだな。いつまで、ここにいても仕方がないな」
「そうだな……。すぐそこに河口があるだろ。そこから森に入るぞ」
キルシェは魔獣の死骸よりも、それに絡み付く金色の糸の方が気になっていた。揺れる船の上で足場が悪かったとはいえ、ガルデニアの騎士に凄腕の傭兵、そして、蒼竜の魔導士。それなりの戦力を保持しながら敵わなかった魔獣。そんな魔獣を殺してしまうほどの何が、この近辺には棲息しているのだ。気になるに決まっているし、これからの警戒も重要になってくる。しかし、ふいに振り向いた際に見えた太陽が、西に傾き始めていることに気付き、早く進まなければと焦りも出てきた。
キルシェは手にしていた金色の糸を捨て、見え始めた河口へと向かった。
突き当たった河口から、川に沿って森の奥を行く。
奥に目をやると、木々は人の侵入を拒むように生い茂っている。レザンの言う通り、目印になるもなさそうで、森を突っ切って抜けるのは難しそうだった。だが、全く手入れのされていない森とは違い、今キルシェたちが進んでいる川沿いの道は適度に道としてならされている。何度もここを人間が往復しているような感じだ。そのお蔭で、これまでの道のりで苦戦していたミディの足取りも、幾分軽くなっているようだった。
日が沈むにはまだ早いが、キルシェたちの歩く道は、木々に遮られ日の光が届きづらくなってきた。周囲の薄暗さが不安を煽り始めた頃、一行は開けた場所に出た。
「おい、今日はここで休むぞ」
「まだ明るいではないか。先に進まないのか?」
夜の不安はあるが焦る気持ちが強いキルシェは、進すむことを提案する。が、その意見にレザンは大きくため息をつき、空を指差した。そこにはまだ青さの残る空と、目的地である山の姿があった。
「あの山の一部分が白くなってる所があるだろ、そこに魔王城がある。ここからだと、あと半日はかかる。こっから先だとまともに休める場所はないからな。それに、出発前に言っただろ。今日はどんなに早く着いても、ここで一泊するって」
「……ああ、そう言えば、そうだったな。しかし、潜入するなら夜が良いのではないか」
「確かに、潜入するんだったら夜がいいだろうな。だけど、そこに辿り着くまでのことを考えろ。夜は獣が活発になるからな。今なら魔獣もでるかもしれないしな」
「そうだろうが……」
「そう、焦るな。焦れば、いらんヘマをするぞ。お前も言ってたろ。休める時に休んでおけって」
「……そうだな、分かった」
目的地である魔王城まで、さほど遠いようには見えなかった。少し頑張って行けば、すぐにでも辿り着けそうな気がしていた。
キルシェは焦りに囚われ、早く進みたい感情だけがあった。しかし、レザンの言葉と、暗闇に包まれ始めた森の奥のお陰で、冷静さを取り戻すことができた。
キルシェは背負っていた荷物を、その場に置き夜を迎えるための準備に取りかかった。
ここは人の手によって開かれた場所のようだった。木は適度に切り倒されており、川岸も邪魔な岩などは撤去され、歩きやすいように平らに均されている。そして、少人数が寝泊まりできるくらいの、小さな小屋まである。
「ここは、野営地点として作られているのか?」
「ああ、村の人間が山に登る為に作った。一日じゃ、あの山まで行けないからな」
「山に何かあるのか?」
「ああ。魔王城の影響か知らないが、あの山には珍しい薬草とか採れるんだ。売れば結構良い値になるから、それを村での生活の足しにしてる」
レザンは会話をしながら魔法を使ったかのように、いとも簡単に火をつける。
「器用だな」
「まっ、慣れてるからね」
食事の為の火を準備していると、ミディが自分の荷物から数本の銀色の杭のような物を取り出した。杭には赤色で何か文字のようなものが書かれている。
「僕、念のために魔獣避けの結界張ってきますね」
そう言い、野営地の周辺に杭を差して歩いた。その様子を冷めた目付きで見ていたレザンは、独り言のように呟いた。
「なんで、船には結界を張らなかったのかね……」
偶然、呟きが耳に入ったキルシェは、そのキツい声に対し思わずミディを擁護してしまう。
「船で襲われたからではないか? これ以上の被害を出さないため、という意味ではないのか」
「…………」
その言葉に、レザンは返事をかえさなかった。
レザンはミディに対し嫌悪感というよりも、警戒心や不信感に近いものを抱いているようだった。
ガルデニア国には魔導士があまり多くはいない。
魔法の力を得ることのできる人間は、純晶石を手に入れることができた者だけだ。
昔、この国に入る数少ない純晶石は、そのほとんどが莫大な資金を持つ貴族や一部の商人などによって買い漁られていた。ゆえに、金を持たぬ庶民に純晶石が渡ることは、殆どと言っていいほどなかった。
さらに魔力を高めたり、研究するための施設もガルデニアには無く、向上心のある者は個人で師を探し学ぶしかなかった。それにも、それなりの資金が必要となる。
それらのことから、ガルデニアに住まう庶民にとって魔法とは身近な存在ではなく、金持ちの象徴と考える人もいた。しかも、戦争などの影響で『魔法=悪』という図式を描き嫌悪する者も多い。
キルシェ自身も幼い頃の記憶から、魔法に対して恐怖心を抱いていた。しかし、騎士となり城に仕えていると、自然と魔法に触れる機会も増え、必ずしも悪ではないと知ることができた。それと同時に、恐怖心ましだいに克服されてきていた。
だが、そういう機会に恵まれない庶民にとっては違った。終戦から十八年経った今でも、一部の人間には『魔法=悪』という図式が根強く残っている。それが純晶石が滞りなく届くようになった現在でも、魔法修得者がなかなか増えない要因になっていた。おそらく、ミディに対するレザンの態度も、これらが要因になっているのかもしれない。
庶民の持つ魔法に対する拒否反応は強い。だが、キルシェには二人の間には、それとは別の感情があるようにも思えた。