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蒼竜‐1


 不穏な夜が明け、朝日が顔を覗かせる。

 その朝日の光は眩しいほど爽やかに城に射し込んでくる。しかし、城内はその光でも消せないほどに、夜のような闇を引きずったままでいた。


 ――リコリスの誘拐、魔王城の出現。


 これらのことが、城内にいる使用人たちの間にも知れ渡ったからだ。

 あまりにも異常な事態に、ほとんどの者は固く口を閉ざし、その話題に触れようとしない。しかし、不穏は言葉で伝えなくとも空気感染するように城に広がっていく。感受性豊かな若いメイドたちのなかには、事態を恐れてしまいパニックに陥る者もいた。

 前日までの華やかさが嘘のように、城内全体が暗く沈んでいた。


 リコリス救出の任を受けたキルシェは、城内にある仮眠室にいた。

 昨夜、任を受けすぐに同行させる騎士を二名選び、出発の準備などを整えていたのだが、キルシェは一睡もできないでいた。昼まで少しでも仮眠を取ろうと仮眠室に来たものの、目を閉じるとリコリスが恐怖で怯える姿が浮かび、眠ることができないでいた。眠れない頭は不要なことなどを考え、ますます冴えてくるのだった。

 キルシェは高い天井を見つめ、昨夜の王の姿を思い返す。

 溺愛するリコリスが攫われたにも関わらず、異常なほどに落ち着き払っていたアルベロ王。

 姫付きの騎士であるキルシェでさえ、こんなにも気が荒ぶり苛立ちを隠せないでいるのに、肉親でありながらそれを見せない王の姿は誰の目から見ても異常だった。あの場に居た者なら誰もがそう感じただろう。

 しかし、それを言及する者はいない。もちろんキルシェも、それを口にすることはできない。

 キルシェのなかに、アルベロ王に対して小さな不信感が生まれる。だが、キルシェは頭を必死に振り、それを否定しようとする。

 そんなことを繰り返しているうちに時は過ぎ、昼を告げる鐘が鳴り響く。

 キルシェは身体を休めることもできないまま、ゆっくりとベッドから起き上がった。


「……無用なことは考えるな。今は任のことだけを考えろ……」


 自分に言い聞かせるように呟き、鎧を身に付けると、王の間へ向かうため仮眠室を後にした。

 途中、任務に同行させる部下の騎士と合流する。二人とも今回の任務の重要性と危険性を感じているのだろう。二人とも緊張した面持ちだ。上官として、二人の緊張を解そうと話しかけるが、キルシェ自身も普段とは異なった気持ちでいるのだ。そう簡単に気持ちが解れる訳もなく、緊張を引きずったまま、王の間の扉の前まで着いてしまう。

 目の前にある重厚な扉を開ければ、もう後戻りはできない。キルシェは大きく深呼吸し、扉を開いた。

 そこにはすでに蒼竜魔導団の蒼い魔導服を着た若者二人と、各団の将たちが揃っていた。アルベロ王と、王が呼んだレザンという傭兵の姿はまだないようだ。

 依頼自体が緊急なうえ、内容も危険なものだ。まともな思考を持つ者なら依頼を受けることもしないかもしれない。

 昼の鐘が鳴り終わり、いくばくか経った。未だに姿を見せない傭兵レザンは本当に来るのだろうか……。口には出さないものの、この場に居る騎士たちは一様にそう考えていた。それはキルシェも同様だった。

 キルシェは閉じられたままの扉に背を向けると、主の居ない玉座に視線を向けた。しかし、こちらもいつ姿を現すのか分からない。再び視線を動かし、今度は普段見ることのない蒼竜魔導団の方にやった。その時、一人の若い魔導師と視線がぶつかる。その蒼竜の若者はニッコリと微笑むと、キルシェの方に歩み寄ってきた。

 若者は中性的な顔立ちに、肩まで伸びた艶のある金色の髪。キルシェよりも幾つか若いように見える。そして、薄茶の長い髪を三つ編みで纏めた幼さの残る女性が、その容姿とはちぐはぐな大きな胸を揺らし、後を追うようについて来た。


「初めまして。キルシェ様ですよね。僕は蒼竜魔導団 第一部隊のミディです」


 外見からは男女の区別を判別しにくかったが、少し低めの声と「僕」という一人称から、金色の髪の愛らしい魔導士は男性なのだろう。ミディは続けて隣に立つ女性を紹介する。


「彼女は同じ隊のフィーネです」


「はじめまして、キルシェ様。フィーネと申します。宜しくお願いします」


フィーネと呼ばれた女性は微笑み、女性らしい柔らかな動きで会釈をする。


「私は白狼騎士団 第四部隊のキルシェだ。彼らも同じ隊のシーダーとリンデンだ」


「はじめまして。シーダーです。よろしくお願いします」


 シーダーは自身の内にある緊張を隠しつつ、爽やかに挨拶を述べる。


「は、はじめまして。リンデンです。よ、よろしくお願いしますっ」


 シーダーよりも若いリンデンは、緊張を隠すこともできず、しどろもどろに挨拶をする。そんな少し情けなさを見せる姿に、二人の魔導士は悪意のない笑みをこぼす。それから二、三言葉を交わしていたが、その僅かの間で騎士たちを蝕んでいた緊張は解れたようだ。


 落ち着き始めた彼らの様子に安堵を覚えながら、キルシェは目の前に立つ蒼竜の二人に強い関心を抱いていた。

 年齢的に言えば、キルシェも部下である二人の騎士も二十代半ばほどと、若い部類に入る。だが、騎士としての経歴は十年近くある。そんなキルシェたちでも、今回の任務には多大な重圧を感じ、負けそうになっていた。

 だが、蒼竜の二人からは、そのようなものは微塵も感じられなかった。二人はどう見ても二十代前半。フィーネにいたっては十代かもしれない。そんな二人が全く臆する様子も見せず、堂々とした態度でこの場にいるのだ。

 そして、なによりキルシェを驚かせたのが、彼らの所属する部隊だ。


 蒼竜魔導団 第一部隊――この部隊は有事の際、前線に赴き戦い傷付いた兵を治療する専門部隊だ。戦闘が激しい場所に彼らも行くため、自らを護るためにかなりの攻撃魔法も操るとキルシェは聞いていた。つまり、第一部隊は魔法のエキスパート集団だということだ。


 この世界で魔法修得は、一定の年齢までに純晶石じゅんしょうせきと呼ばれる魔力を持った無色透明の石を所持していればいいだけだ。すると、所持者の性格や自身の意思の影響を受け、自然と特定属性の魔法が使えるようになるのだ。とても簡単で、誰にでも容易に魔法は修得できる。

 ただ、テネブライ大陸のなかでも辺境の地にあるガルデニア国には、今でこそ多少は流通が増えたが、以前は魔法修得に必要な純晶石がなかなか届かないでいた。そのせいで、魔法を得られないまま適正年齢を過ぎてしまう者が多かった。キルシェも得られなかった者の一人だ。

 ゆえに、ガルデニアは魔導師が少なく、騎士の力の強い国になっていたのだった。

 運良く純晶石が手には入り魔法を修得できたとしても、それだけで魔導団に入団し戦争などで即戦力になるわけではない。

 魔法の力を強くするには、修得しただけでなく個人の努力がかなり必要となる。魔法の力を理解し、自身の魔力を高める。騎士の剣の稽古と同様くらいの鍛練が必要だった。

 魔法を持たないキルシェには、どのような鍛練が必要かもは理解できない。しかし、彼女自身は魔法の力を嫌というほど知っていた。

 『蒼竜魔導団』は、先の戦争では戦況をひっくり返すほどの力を持った魔導団だ。今は戦争もなく活躍の場はないが、そんな魔導団の精鋭部隊に、この若さで所属するミディたちに感服するほかなかった。そして、そんな彼らが同行してくれることを、とても心強く思った。


「挨拶は済んだようだな」


 蒼竜の二人と会話を続けていると、広間の奥にある扉から穏やかな様子のアルベロ王がやって来た。遅れてきたことを気にする素振りも見せず、ゆったりと玉座に腰をおろした。

 部屋にいた一同が一斉に深く頭を下げる。アルベロ王は軽く頷き、その場にいる者たちに軽く声をかける。その様子は普段と全く変わらず、自身の焦りや苛立ちを隠そうと、取り繕っているようには見えなかった。

 アルベロ王は挨拶を終わらせると、穏やかさを一変させ眉間に皺を寄せ広いこの部屋を見渡した。


「レザンはまだ来ておらぬのか?」


騎士たちが、王に気づかれぬように顔を見合わせる。


「まだのようです。彼は本当に……」


 セードルは言葉を途中で切った。「来るのでしょうか」と続け、誰もが思っていることを尋ねたかった。しかし、昨夜のように謎の逆鱗に触れてはいけないと思い、寸前のところで思い止まったのだ。

 アルベロ王はレザンの姿がないことに、少しばかり苛立ちの感情を露にする。指先を忙しなく動かし、カツカツと爪が椅子の肘置きに当たる音が静かな広間に反響している。

 しだいにその音が早く大きくなる。

 そこに、一人の従者やって来てアルベロ王に耳打ちをした。


「――おお、ようやく来たか。すぐにつれて参れ」


 アルベロ王の指の動きがピタリと止まり、口許に不敵な笑みを浮かべる。

 初めて見るその表情に驚いたキルシェは、もう一度見直した。だが、そこに座るアルベロ王はいつもの穏やかな表情だった。

 自身の不安に加え、王に対し色々と考えすぎていたせいで見間違えたのだろう。……そう考え、キルシェは自分を納得させ、深く探るようなことはしなかった。

 しばらくの後、重厚な扉が開き従者に連れられ一人の男が広間に現れた。

 その男は広間に足を踏み入れるなり、鋭い目つきで室内にいる者たちを睨み付けた。それは野生の獣のような眼光だった。

 男は遅れてきたことを詫びることもせず、堂々と歩きキルシェの横に立つ。装備は軽装だが、腰には立派な剣を携えている。年齢は二十代後半くらいか。キルシェの隣に立つ彼の姿は、遠目から見てもかなりの鍛えられたものに見えたが、実際はそれ以上だった。日々、鍛練を重ねる騎士団の若者たちにも引けを劣らないだろう。そして、露になった腕などの素肌が見える場所には所々に傷痕のようなものが見え、彼が幾多の戦場を経験しているのも分かる。

 自信に満ち溢れた立ち姿に、傭兵という仕事で名が知れ渡っているのも頷けた。


「レザンよ。急な用件にも関わらず、よく来てくれた」


「あんたがアルベロ王か。突然、依頼料を倍額にしたり、すぐに来いって言ったり……。一体何なんだ?」


 遅れてきたことを咎めることなく受け入れるアルベロ王に対し、レザンは全く尊敬も謙譲もない態度で接する。その態度は、周囲の人間を凍りつかせた。誰もが固まるなか、真っ先に我に返ったキルシェがすぐに、無礼な男の態度を咎める。


「――貴様! 王の御前だぞっ! その態度は何だっ!!」


 いきり立つキルシェをよそに、レザンは腰に手を当て鼻で笑うような素振りを見せる。


「俺は傭兵だ。誰にも仕えていない。そして、どこにも属していない。金さえ貰えれば、誰の依頼でも受ける。それがどんな悪党でもな。そう……この国の敵国でもな」


 傭兵としての揺るがない精神。レザンは視線をアルベロ王に移し続ける。


「それに、俺は元々この国の人間じゃない。この国に消された国の人間だ。いわば、俺にとっては仇の国だ」


 この場にいる者は、誰一人言い返すことをしなかった。

 戦争をすれば、勝利する国もあれば負ける国もある。どちらも代償はあるが、敗戦し国そのものが消えてしまえば、その国に住む国民の消失感や絶望間は計り知れないものになるだろう。

 そして、国に仕える身分の自分たちは、敗戦国の民であるレザンたちにとっては憎むべき相手なのだ。


「まぁ、俺は仕事に私情は挟むようなことはしない。誰からの依頼だろうと、与えられた依頼は最後までやりとげるから心配するな」


 レザンの言葉は自信に溢れたものだった。よほど自分の腕に自信があるのだろう。


「ハハハッ。それは頼もしいな」


 アルベロ王が不穏な場の空気を一掃するように笑い声をあげる。だが、すぐに威厳ある王の姿に戻る。


「では、改めて任務を申す。そなたたちは直ちにグリシーナ島に向かい、魔王城へ向かってもらう。そして、攫われたリコリスを救出してもらいたい」


「魔王城!? 俺がガキの頃に現れたって聞いたが……。もう、出てきたのか?」


「ああ、事実だ。グリシーナ島からの報告も上がっておる」


「つまり、俺は道案内って訳か」


 自身の剣の腕を買われた訳ではないと知り、レザンつまらなそうに舌打ちをする。


「それは勿論あるが、そなたに依頼したのは剣の技量も頼りにしてだ」


 明らかに不機嫌になったレザンに対し、即座に取り繕う言葉を並べる。そして、アルベロ王は背後に立つ従者に何か指示をし、重そうな袋をレザンへ渡させた。


「それは前金だ。残りは無事帰還した際に渡そう」


 レザンはそれを受けとるやいなや、中身を確認し満足そうに笑みを浮かべる。金さえ貰えれば道案内でも構わないのか、すぐさま背負っていた使い古された皮の鞄に仕舞った。


「では、さっそく港に行き、用意した船でグリシーナ島へ向かってくれ。今回の任務は、あくまでリコリスの救出だ。間違っても魔王を退治しようなどとは考えるな。難しい任務だが、お前たちなら遂行できると信じておる」


「はっ。必ずや、この任務遂行させてみせます」


「うむ、実に頼もしい言葉だ。……それと、言うまでもないが、この任務については、決して口外せぬようにな」



 改めて任務を受けたキルシェたち六人は、馬車に乗り込み港へと向かった。



 港では早馬で昨夜のうちに連絡を受けていた港町常駐の兵士の指示のもと、船の手配や当面の間の食料などの荷物は積み込みは終了していた。あとはキルシェたちが乗るのを待つだけだった。

 港に到着後、船長に挨拶をし、航路や日程などの説明を受け終わると、各々与えられた部屋へと向かう。

 キルシェは部屋に入るなり、鎧を脱ぎ身軽な服装に着替えた。そして、ベッドに腰を下ろし、小さくため息をついた。


「……二日か……」


 船長の話しでは、ガルデニア領内のこの港からグリシーナ島は少し距離があるうえ、危険な岩礁地帯を避けて行くため到着まで最短で二日はかかる、とのことだった。

 一刻も早くリコリスを助けたいキルシェは、船長に「もっと早くならないか」と懇願したが、これが最短ルートだと言われ即座に拒否されていた。

 すでに港まで馬車で一日費やしている。時が経てば経つほど、リコリス救出の成功率が下がってゆく。


 異例の魔王城の出現――

 

 いつ現れたのかも定かではない。最悪、グリシーナ島に到着した時点で、魔王城が消えている可能性もある。

 飛んで行けるなら、すぐにでも魔王城まで飛んで行きたい。しかし、そう願ってもキルシェはただの人間。船を使わなければ島に行くことさえできない。なんとも言えないもどかしさが、キルシェの胸に溢れる。

 キルシェはネックレスを掴み、青く輝く石の指輪を握りしめ祈る。


「母さん。どうか、リコリス様をお護りください――」


 まぶたを閉じ、亡き母にリコリス無事を祈る。

 祈り終えると、キルシェはそのままベッドに倒れこんだ。気が高ぶり睡眠不足となっていたことに加え、移動の疲れもあった。倒れ込んだベッドから全身に伝わるほどよい揺れに、重い身体と同様にまぶたが自然と閉じていく。キルシェはゆっくりと眠りに落ちていった。




「…………んっ……」


 目を開けたはずなのに、そこは暗闇に包まれている。一瞬、ここがどこなのか思い出せず、ぼんやりと暗い宙を見つめる。しだいに暗闇に目が慣れ、ここがグリシーナ島に向かうための船の中だと言うことを思い出す。


「…………」


 深い眠りだったのだろう。頭はぼんやりとするが、身体の方は髄分と軽くなっていた。

 キルシェは身体を起こし、壁にある小さな嵌め込みの窓に目をやった。外はここと同じように暗いようだが、時おりフッと青白い光が部屋に差し込んでくる。


「月が出ているのか」


 どれほど眠っていたかは分からず、取り敢えず部屋の外に出てみる。通路にはランプの明かりが灯り、暗い船内を明るく照らしている。


「ずいぶん、眠っていたようだな」


 昼間の喧騒はすっかりと消え、静まり返った船内。僅かに聞こえてくる楽しげな笑い声を頼りに、通路を歩く。すると、どこからか漂ってくる良い匂いが届く。その匂いに反応するように、キルシェの腹が鳴る。食欲をそそる良い香り。どうやらの夕食の時間らしい。

 香りを道標に食堂に向かうと、部下の騎士や蒼竜の二人、そしてレザンが同じテーブルを囲み談笑していた。食事は大方すんでいるようだった。

 食堂の入り口に立つキルシェの姿に騎士のシーダーが気づき、食事を止め立ち上がる。


「キルシェ様っ! あの、申し訳ありません。何度かお呼びしたのですが、返事がなかったもので……。後ほど、お持ちしようかと……」


「ああ、気を使わせたようだな。すまない。どうやら眠り込んでいたようだ」


「お疲れなんですか? 僕が癒しの魔法をあてましょうか。多少は疲れが取れると思いますよ」


 ミディが心配そうに言う。


「ありがとう。でも大丈夫だ。充分に寝たからな」


 キルシェは彼らの居るテーブルから離れた場所の席につき食事を待つ。せっかく意気投合し始めた彼らのなかに、上官である自分が入れば要らぬ気遣いをさせると考えたからだ。

 間を置かず、目の前に温かい食事が用意される。スプーンを手に、透き通ったスープを掬おうとした時だ、キルシェは思い出したように二人の騎士に言った。


「そうだ、今夜の見張りだが私に任せてくれ。お前たちは、ゆっくり休んでおけ」


「よ、よろしいのですか?」


「ああ、私はもう休んだからな。島に着けばゆっくり休むことは難しいだろうから、休めるときに休んでおくべきだ」


「はっ、ありがとうございます」


 安堵したような表情で騎士たちは、再び蒼竜の二人と楽しそうに話し始める。それを確認すると、キルシェは微笑み食事を口に運んだ。



 食事を終え、夜はさらに深まっていく。

 一人、二人と眠りにつき、船のなかは深い静寂に包まれてゆく。

 その夜の静寂のなか、キルシェは鎧をまとい甲板に赴いていた。

 冷たい夜風に、嗅ぎなれない潮の香り。空には満天の星。そして、水面を照らす月明かり。

 月明かりのおかげで甲板は歩くには困らないが、波の揺れにあわせ僅かに揺れを感じる足下は、安定した固い大地しか歩いたことのないキルシェに不安定な感覚を与える。この船上という場所は、キルシェにとって、どこも新鮮な場所だった。

 警備のために甲板に出てきたのだが、空から降り注ぐ月明かりを眺めていると、その穏やかな明かりに惹かれるように、警戒心も薄まってしまうようだった。

 そして、彼もまた月明かりに導かれたのか、甲板に一人で佇む人影があった。


「眠れないのか?」


 キルシェの声に気付いた人影は、振り向きお小さく辞儀をする。金色の髪が月明かりに照らされ、絹糸のように輝いている。

 そこに居たのは蒼竜魔導団のミディだった。


「はい。ちょっと目が冴えちゃって。なんとなく外に出てみたら、月が綺麗で……。だから、瞑想でもしようかなと思いまして」


 そう言い、ミディは頭上に輝く月を見上げる。その際、彼の胸に輝く何かがキルシェの目に止まった。


「ミディ殿は『セラータ教』を信仰しているのか?」


 突然の言葉に一瞬目を丸くするが、すぐに自分の付けているブローチを見ての発言だと気付き、「はい」と爽やかに返事を返してきた。

 彼の胸にあるブローチには、二匹の蒼い竜が向かい合うような姿で彫られていた。それは、セラータ教の崇拝する神の姿だ。セラータ教自体は古くからある教えだが、ガルデニアには戦争末期頃から広がり始めた。この国にとってはまだ新しい教えだった。


「蒼竜の人間は、セラータ教を信仰している人が結構多いですよ。セラータ教の神は魔の能力に長けた神ですからね。僕たちのような魔導に司る者からしたら、憧れでもあります」


「ああ、蒼竜魔導団の紋章はそれが由来なんだな」


「ええ、そうです。蒼竜の創設者が敬虔なセラータ教の信者ですから」


「信仰か……」


 キルシェはこれといって決まった信仰は持っていなかった。家族の付き添いや、墓参りに教会に行くことはあるが、それでも自身が信仰をしている訳ではなかった。しかし、神を信じていない訳でもないし、何か大きな存在にすがりたいという感情を否定している訳でもない。

 キルシェは胸に手をあて、天を仰ぐ。

 その手の下には、いつもキルシェが首から下げている形見の指輪がある。

 この指輪は母の形見でもあるが、姿の知らぬ父の形見でもあった。正確に言えば、父の形見というのは間違っているかもしれない。

 キルシェの父は、彼女が生まれる前に姿を消していた。姿を消した理由が戦争で亡くなったからか、単に逃げただけか、キルシェは知らない。母は多くを語らなかったが、愛した男から贈られた指輪をいつも大切にしていた。その姿を幼い頃からずっと見ていたキルシェは、母が亡くなり一人になった後、その指輪に両親の温もりを求めるようになっていた。のちに、アルベロ王に救われ新たな家族の温もりを得た後も、不安なことなどがあると指輪を握りしめ、亡き母に祈るようになっていた。


「キルシェ様、ご存じですか?」


 天を悲しげに見つめるキルシェに、ミディが優しく声をかける。


「……何をだ?」


「古来から月には魔力があると言われています。新月に願ったことは、月が満ち満月になる時に叶うと言われています。もうすぐ満月で願い事をするには不向きな夜ですが、それでも満ちていく月の光には、人の魔力や精神に強い影響を与えます。魔力を高める反面、その光は心を落ち着かせます」


 ミディは空を見上げ月を仰ぐ。


「……キルシェ様。こうやって月を眺めていると、心が安らぎませんか?」


「……そうだな。確かに、この月明かりは心を穏やかにさせる……」


 キルシェはミディと共に、全身に月の光を浴びる。キルシェの横でミディは、とても男とは思えないような愛らしい笑顔で微笑む。が、突如思い出したかのように「あっ」と声を上げた。


「そうだキルシェ様。僕のことはミディとお呼びください。キルシェ様の方が地位も身分もずっと上です。貴女の部下のように接してください」


「では、私のこともキルシェと呼んでくれ」


「いえ、それは出来ません。立場はわきまえてます」


 ミディは提案を即答で拒否する。


「なんだお前ら、まだ起きてんのか」


 突然、声をかけられ驚く二人。

 声のする方に顔を向けると、そこには酒の瓶を持ったレザンがいた。レザンは瓶を口に運びながら二人に近づいて来る。


「お前ら、こんな夜更けに鎧やら魔導服を着込んで、何してんだ?」


「私は見張りだ。何があるか分からないからな」


「僕はこの服だと落ち着くんです」


「ふーん。まっ、何着てようが俺には関係ないけどな」


 自分で聞いておきながら、レザンはまるで興味ないような感じで、再び酒の瓶を口へと運ぶ。

 その様子に、半ば呆れたようにキルシェはため息をつく。


「レザン殿は休まなくていいのか?」


「俺はある程度酒を飲まないと、疲れが取れないからな」


 レザンの呼気からは酒の匂いがする。もう、すでに結構な量の酒を飲んでいるようだ。


「飲むのもいいが、明日に支障が出ない程度にしろよ」


「はいはい。分かってますよ、騎士様」


 馬鹿にするようにヒラヒラと手を振り、レザンは船首の方へと歩いていく。そして、船縁の座り心地良さそうな場所を見つけると、その場に座り夜風を気持ち良さそうに感じながら酒を飲んでいた。


「……彼って、本当に大丈夫なんですか?」


「ああ。噂ではかなりの腕らしい」


 レザンの様子を見て、ミディも不安になったのか心配そうに言う。キルシェも似たような不安を感じたが、王自らが依頼した手前悪く言うことはできず、そう言うしかなかった。


「……僕、そろそろ部屋に戻りますね」


 眠気が来たのか、ミディはゆったりとしたローブの袖で口許を隠しながら、小さく欠伸をした。


「ああ、ゆっくり休んでくれ」


「では、お休みなさい。キルシェ様もあまり無理なさらないようにしてください」


 ミディは一礼し、ゆっくりキルシェから離れていった。

 彼の後ろ姿を見送りつつ、本来の仕事に戻ろうとした時だ。


「――んっ? 何だ?」


 海を見ながら酒を飲んでいたレザンが前のめりになり、暗い海を見下ろす。その様子はただ眺めているだけではなかった。月明かりがあるとはいえ暗い夜の海。その暗さのなか、必死に何かを目で追っているようだった。


「どうかしたのか?」


 海に落ちてしまいそうなほどに覗き込むレザンの姿に、僅かな警戒心が生まれたキルシェは彼に駆け寄ろうとする。


「おいっ! 海の中になんかいるぞっ!!」


 突如、レザンが叫ぶ。


「――なにっ!?」


 その緊迫した声に、船内に戻ろうとしていたミディが足を止め、振り返る。

 先程までの人を小馬鹿にするような態度とは全く違う緊迫した雰囲気に、キルシェもただ事ではないと悟り海を確認する。

 月明かりを頼りに目を凝らし“何か”を探す。


「な、なんだ……あれは……」


 穏やかな波の流れに逆らう異質な波の揺れが現れる。その波の下に見える巨大な影。それは船とさほど変わらない大きさをしている。そして、魚とも違う姿かたちと泳ぎ方。それは、自分が知る海の生き物のどれとも異なる姿だった。


「……まさか、魔王の……」


 そう呟くと、ミディが慌てて駆け寄り海を覗き込む。そして、その影を目視すると、体を震わせた。


「……な、なんで……」


「ミディ! レザン! 今すぐ皆を起こし――っ!!」


 突如、船体が大きく揺れる。

 甲板にいた三人は落ちないように、船縁に掴まりその場に踞る。

 この揺れには、船内の人間も異変に気づき、船は静寂から一変、騒然とし始めた。

一度目の揺れからしばらくののち、船体の揺れも落ち着いてきた。このまま踞ってっている訳にもいかず、キルシェは慎重に立ち上がる。


 ――その時だ。


 再び大きな揺れが船を襲う。



「……えっ!?」



 キルシェの足が触れていた甲板から離れる。船縁から手も離れ、体全体が船から遠ざかる。何が起こっているのか判断できないまま、遠ざかっていく船に手を伸ばす。しかし、その手は何も掴むことはできず、そのまま冷たい海へと落下していった。

「キルシェさまーーっ!」


 ミディが慌てて手を伸ばすが、その手は虚しく空を掴むだけだった。すでにキルシェの身体は水飛沫をあげ海の中へ消えた後だった。


「……あぁ、キルシェさ……ま……」


 大きく揺れる波の跡を見つめ、青ざめたミディは震えていた。


「何やってんだっ! おいっ、やめろっ!!」


 そして、レザンの制止も聞かず、船縁に足をかけそのまま後を追い、海へと飛び込んだ。


 二人が海に消えた直後、再度大きな揺れが襲う。確実に攻撃の意思を見せる破壊音が、騒然とした船内に響き渡る――




(……苦しい……私は……死ぬのか? リコリス様をお救いすることもできずに……)


 這い上がろうと必死にもがくが、鎧の重さが邪魔をしてその場に留まることさえできない。自身の力ではどうすることもできずに、冷たく暗い海の底へと沈んでいく。しだいに身体が重くなり、考える力さえも無くなってゆく。

 脳裏にリコリスやセードルなどの顔が浮かぶ。そして、いつも優しい笑顔だった母親の顔も……。

 あんなに感じていた月の光も届かなくなり、キルシェの身体は海の冷たさえも感じなくなっていた。

 何もできなかった自分の無能さを呪いながらも、確実に近付いてくる死を自覚し、ゆっくりと目を閉じる。

 薄れゆく意識のなかで、キルシェは自分の身体が暖かい何かに包まれているような感覚を覚えた。


(……かあ……さん……?)


 その温もりが何なのか理解できないまま、キルシェの意識は完全に暗い闇に飲まれていった。




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