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事件

 晩餐会、式典など公式の宴が無事終了し、数日が経った。


 街も祭の陽気に浮かれる人や観光客も減り、それに伴い行商人たちの出店も無くなり、街の姿もいつもの穏やかな様子に戻っていた。


 あれほど慌ただしかった城内も、街と同じように静けさを取り戻している。

 しかし、キルシェの生活は式典以前から変わってはいない。いや、正確に言えば彼女の日常は、以前より忙しくなっているかもしれない。

 普段のキルシェは姫付の騎士としてリコリスを護衛する任につき、公務の際などにリコリスに付き従っている。そして、僅かに空いた時間を利用し、剣の稽古に励む。そんな日常だ。

 だが、ここ数日は本来の仕事に加え、祭りの期間中に捕らえた賊などの処罰、街で起こった問題の処理などを手伝わされていた。今年は式典などの規模が例年にないものだったため、後処理の仕事の量も比例して多くなっているのだ。結果、通常この常務にあたっている者だけでは処理しきれなくなり、多数の若い騎士が所属の垣根を越え、それらの処理に借り出されているのだ。

 全く違う部署の仕事という不慣れさと、仕事の多さに愚痴を溢す者がいるなか、キルシェは淡々と仕事をこなしていた。多忙だが、キルシェにとってはその多忙がいつも通りの日常なのだ。


 しかし、そんな日常を脅かす事件が、ガルデニア城で起こってしまう。


 ◇ ◇ ◇


 誰もが深い眠りにつく深夜。起きているのは見張りの兵士くらいだ。

 静かな城内を異常がないか点検しながら、二人の兵士が見回りながら歩く。一見、真面目に仕事をしているように見えるが、二人の目はボンヤリとし、どこか眠そうだ。

 数日間の緊張から解き放たれた解放感は、兵士にいくらか気の緩みを与えていた。他者の眠りを妨げない程度の小さな会話のなかに、「退屈」という言葉さえ漏らしてしまうほどに。

 ダラダラと緊張感のないまま、リコリスの部屋の近くに差し掛かった時だ――


「キャァァーーッ」


 目が覚めるほどの悲鳴が、リコリスの部屋から響いてきた。兵士たちは眠気も吹き飛び、慌てて部屋の前まで走る。

 しかし、扉の前まで来て二人は躊躇ってしまう。兵士のなかでも最も地位の低い自分たちが、王族の部屋に入室してよいものかと……。二人の脳裏には重い厳罰が思い浮かんでいた。扉に手をかけながらも、入室を躊躇っている間にも、部屋の中からはリコリスの切迫した声と共に、何かが暴れているような音も聞こえてくる。

 この状況は明らかに異常だ。そう判断した兵士たちは、処罰覚悟で扉を開け放った。


「リコリス様、夜分に失……れ……――!!」


 扉の向こうでは想像以上の出来事が起こっていた。あまりのことに兵士たちは酷く混乱し、自分がするべき対応を起こせなくなっていた。


 そこには、人とも獣とも言えないものが佇んでいた。


 シルエットは大柄な人間に近い。しかし、顔は獣のような形をし、頭上には牛や羊のような角が伸びている。おまけに大きく裂けた口からは、鋭い牙が顔を覗かせている。肌は浅黒く、とても筋肉質な体つき。背中には蝙蝠のような大きな翼が生えている。


 ――その姿はまるで、物語に出てくる魔物のようだった。


 その魔物のようなものはベッドの上に立ち、その重みでベッドは深く沈んでいる。そして、深く沈んだ魔物の足下には、すでに気を失っているリコリスの姿があった。

 リコリスに覆い被さるように顔を覗き込んでいる魔物は、鋭い爪の伸びた指で彼女の身体をつついている。そして、意識が無いことを確認すると、その太い腕でリコリスを抱きかかえた。


「……リ、リコリス様を離せっ!」


 やっとの思いで声を上げる兵士たち。しかし、声も身体も恐怖で震え、その場から動くことはできず声にも力がない。

 その声に魔物は僅かに反応を示したが、恐怖に震える兵士たちを一瞥しただけで、ゆっくりと背を向けた。そして、彼らの存在は無視するかのように、翼を羽ばたかせ始める。


 ――カチャリ。


 小さな金属音。兵士が震える手を押さえ、剣に手をかけた。その音に魔物の耳がピクリと動き、鈍く光る目を兵士へと向けた。人とも獣とも違う目に睨まれた兵士たちは、その視線の先に死を感じ心底恐怖した。だが、その恐怖が兵士に剣を抜く力を与えた。その行動は魔物にとって、自分に向けられる敵意の現れ。口元をニヤリと歪め、剣を構える二人の兵士に体を向き直した。


「――うわあぁぁぁっ!」


 剣を手に、目の前の魔物に立ち向かってゆく兵士たち。だが、そこに『リコリスを救出する』という忠義や責任はなかった。

 自分が向けた敵意が、殺意となり返ってきたことに恐怖していただけだ。『死にたくない』という、強い願望だけが兵士を動かしていた。 しかし、そんな感情だけの攻撃は魔物に通じるはずもなく、あっさりと避けられてしまう。

 魔物は統率の取れていない二人の兵士の動きを見て、つまらなそうに目を細める。そして、リコリスの身体を抱いていない方の腕をを兵士に向かい振りかざし、小さな黒い靄を幾つも創り出した。靄は徐々に鼠のような姿に変わり、個々が自分の意思を持っているように兵士に向かい一斉に襲いかかる。

 ひとつひとつの攻撃は軽いものだった。しかし、数の多さと、攻撃された場所から広がる痺れで振り払うことさえできず、兵士たちはなすがままだった。ものの数分で兵士たちは全身に広がった麻痺で、その場に倒れてしまうのだった。

 兵士が動けなくなったことを見届けると、魔物は黒い靄を腕へと回収し、リコリスを抱えたまま窓から暗い夜空へと飛び去っていった。


 この真夜中の事件が知れ渡るのに、そう時間はかからなかった。


 交代の時間になっても戻ってこない兵士たちを不審に思い、後番の兵士が探し始めたのだ。正式な交代をせずに見回りのルートを順に歩き、開け放たれたまたのリコリスの部屋の扉の向こうで、倒れている兵士の姿を発見したのだ。そして、部屋の主であるリコリスが居ないことにも気づいたのだった。

 同僚の兵士は何があったか問い詰めるが、倒れていた兵士は全身が麻痺し上手く喋ることが出来ず、自分の目で見た非常事態の全貌を伝えることができないでいた。

 急ぎ、医務室に運ばれ投薬や魔法での治療を受けるが、なかなか麻痺は消えない。そして、すぐに部屋には報告を受け起きてきた、キルシェやセードル将軍などが集まり始めた。


 キルシェは落ち着かない様子で室内をうろうろとする。

 現在はっきりとしていることは二つ。『兵士が何者かに襲われた』、『リコリスの姿が見あたらない』と、いうことだけだ。犯人の姿も意図も分からない。しかも、事態が発覚しすぐに大半の兵を捜索に向かわせているのにも関わらず、一向に報告が入ってこない。

 キルシェは、この状況に唇を噛み締める。そして、ふいに立ち止まり自分の苛立ちをぶつけるように壁に拳を叩きつけた。


「……キルシェ、落ち着きなさい」


 セードル将軍がたしなめるように言う。年長者としての経験の差か、騎士を纏める長としての責任感か、セードルはこのような状況でも落ち着いていた。


「ですが将軍。このような状況、落ち着いてなどいられません! リコリス様のお姿がないのですよ。兵もこのように攻撃を受けている。確実に城内に賊が入り込んでいるんです! ……いや、こうしている間にも賊は城を……ガルデニア領内を抜けようとしているかもしれませんっ」


 声を荒らげ、再び壁を叩きつける。彼女の苛立ちが部屋に響く。室内は険悪な空気になり、静まりかえる。

 そんな時だ、シンとした部屋に苦しそうな男の声が微かに聞こえてきた。その唸り声はしだいに意味を持つ言葉の形になっていく。声すら出すことができなかった兵士の麻痺が、僅かにだが回復の兆候を見せ始めたようだ。

 慌てて兵士に近寄り、何があったかを問い詰めるキルシェ。兵士は絞り出すように声を出し、自分の見たことを伝える。


「……ば…けも…のが……リコ…リスさ…ま……を…さら……って……」


「……化け物?」


 途切れ途切れではあったが、意味が理解できないものではなかった。しかし、『化け物』という非現実なことを言う兵士の言葉には困惑した。賊に魔法で幻覚でも見せられたのか、はたまた自分の失態を認めたくないゆえの妄想かと、キルシェは考えた。しかし、セードルをはじめ数人の古株の騎士たちは、一様に険しい表情を浮かべている。彼らの表情や兵士の身体に残る無数の異常な傷痕から、賊がただの賊ではないことくらいはキルシェにも感じることはできていた。

 もう少し特徴などを聞き出せないかと、再度問いかけるが、それまでだった。兵士はそれだけ言うと、ガタガタと身体を震わせ「申し訳ありません」と謝罪を繰り返すばかりになってしまった。二人の兵士が同様に腕で頭を抱え込み、胎児のように身体を丸め震えている。それは、許容範囲を越えた恐怖からくる震えだった。

 自分の眼前で異常なほどに怯える兵士たちに、これ以上この件に関し問いを投げ掛けることは憚られた。

 リコリス誘拐を防げなかったのは、兵士の失態でもある。しかし、彼らだけでは防ぐことはできなかっただろう。一般兵といえども、国を護る兵としてそれなりに訓練は積んでいる。そんな彼らが、ここまで恐れを抱くのだ。彼らが言う『化け物』という比喩が、あながち間違っていないのかもしれないと、キルシェは姿の見えぬ賊に身を震わした。それと同時に、こんな場所で何もできぬ自分に苛立ちを募らせた。

 ここに居ても何も変わらないとキルシェは思い、部屋を出ようとノブに手をかけた。

 その時だ。目の前の扉をノックする音が聞こえてきた。探索に向かわせた兵士かと勢いよく扉を開けるが、そこにいたのは兵士ではなかった。


「皆、お揃いですか」


 目の前に立っていたのは、王直属の騎士だった。騎士は部屋の中にセードルたちが居ることを確認すると、短く用件だけを言う。


「王がお呼びです。至急、いらしてください」


 それだけ言うと、騎士はすぐさま背を向け歩き去っていった。

 セードルは神妙な面持ちのまま立ち上がると、キルシェと場にいる騎士を連れ王のもとへ向かうことにした。



 広間に着くと、すでに数人の騎士達が集まっていた。

 セードルは王直属の騎士に兵士が言った内容や状況などを報告し、そこから近い場所に立つ立派な口ひげの初老の騎士の隣に向かった。その初老の騎士は不機嫌そうにセードルを一瞥したが、口を真一文字に結んだまま声もかけず立っている。その様子を見ながらキルシェは入口近くに集まる若い騎士達の集団の中に入っていった。

 その集団の奥に入りながら、キルシェはある一角に視線を向けた。

 それは鎧を身につける騎士が大半を占める空間で、唯一ローブ姿という浮いた存在の数人の魔導士の姿だ。彼らは蒼く裾の長いゆったりとしたローブを纏い、フードを被り表情をみせない。

 魔導士たちは普段、部屋に籠り魔法の研究などをしているという。ゆえに同じ城内にいながらも、その姿を目にすることはあまりなかった。そんな物珍しさに、キルシェを含めた若い騎士たちは、このような場でありながらも興味深そうに魔導士の方へと視線を向けていた。



 この国には大きく分けて三つの戦力が存在する。


 国の剣となる『黒獅子騎士団』

 国の盾となる『白狼騎士団』

 国の魔となる『蒼竜魔導団』


 騎士団の双方の力はほぼ同等だが、その役割は全く異なる。

 有事の際『黒獅子』は前線に立ち攻撃を担い、キルシェたちの所属する『白狼』は国を守護する役目を担っている。『蒼竜』は魔法での広範囲の攻撃、後方支援や救護など攻守に長けた集団だ。

 『蒼竜魔導団』は、先の戦争の際に創設された新しい組織。どこから集められた分からない魔導士の集団だったが、彼らの出現により劣勢だった戦況は一変した。それほどまでに、彼らは強力な戦力なのだ。この国の救世主だといっても過言ではない。だが、戦争が終わり彼らの戦力がほとんど不要になった今、彼らの日常を知る者はあまりいない。

 一方、騎士団は歴史が古く、名門貴族も多く在籍し名を連ねている。彼らは自身の所属する騎士団に誇りを強く持っている。それに加え、両団の性質の違いもあり、互いの関係はあまり良いものではなかった。特に『黒獅子』のカクタス将軍は『白狼』を目の敵にしていて、セードル将軍の顔を合わせるたびに小言を言ってくるほどだ。それは、王の前でもあっても変わらない。

 そんな二人の不仲を知っているキルシェには、先程のカクタス将軍の態度が妙に映った。

 しかし、そんなものなど些細なことと感じてしまうほどの違和感が、先程からキルシェの視界に映っていた。


 ――それはアルベロ王だ。


 アルベロ王は玉座に深く座り、騎士からセードルの報告を聞くと、椅子の肘おきに頬杖をついたまま小さなため息をついた。

 キルシェは王を目の前にし、先日リコリスが倒れた時のことを思い出していた。

 客人の前でも、あれほどまでに取り乱していたアルベロ王。他国の人間が多く集まっている場で、一国の主である王があのような姿を晒すのは、とても危険なことだとキルシェは認識していた。それは他国にガルデニアの弱い部分を晒しているのに等しいからだ。それでも、王は大勢の前で弱さを見せた。――リコリスのために。

 そんな先日のこともあり、リコリス誘拐犯はその場面を見た何者かの犯行だとキルシェは考えていた。そして、この無駄な会議を抜け出し、少しでも早くリコリスを救いたい気持ちでいっぱいになり、先程以上に強い苛立ちを覚えていた。

 しかし、アルベロ王は恐ろしいほどに落ち着ついている。先日の姿が、幻だったかのように感じられるほどに……。非常に冷静で、普段見せる姿と変わりがない。『どんなことにも冷静に対処する』それが王としての本来の姿だといってしまえば、それで終わりかもしれない。王という立場なら、それが正しい。キルシェ自身もそう考えている。しかし、今の王には微かな違和感を覚えてしまう。

 そして、その違和感が彼女の苛立ちを強くさせていく。


 ――パンパン。アルベロ王が両手を軽く打ち鳴らし、皆の意識を自分に集中させる。そして、ゆっくりとした口調で現状を語る。


「皆も知っての通り、我が娘リコリスが何者かに攫われた。……しかし、犯人は既に分かっている」


 緊張感が張り巡らされた静かな部屋に王の声だけが響く。だが、次に発せられた言葉にキルシェだけではなく、この場にいる大半の人間が自分の耳を疑うことになった。



「それは――魔王だ」



 静かだった部屋が、にわかにざわめき立つ。

 キルシェを含めた若い騎士達は、王の言葉の意味が分からず困惑し、私語禁止にも関わらずヒソヒソと声を漏らしている。しかし、年配の騎士などは彼らとは違い、確信しながらも疑問が残るような複雑な表情をしていた。その疑問の答えを、セードルは王に求めた。


「しかし、魔王城は二十年近く前に出現したと聞きます。伝承では百年に一度、数日のみ出現するとあるのですが」


「わしも、そう伝え聞いていた。しかし、グリシーナ島に魔王城が出現したという報告を昨夜受けたのだ。そして、先程セードルからの報告にあった、リコリスを攫ったという化け物の存在……。信じがたいが魔王としか考えられん」


「そんな……」


「まさか……魔王とは」


 古株の騎士たちは、現状を理解し青ざめてゆく。

 だが、その一方でキルシェを含めた若い騎士たちは呆気に取られてしまっていた。おとぎ話のような話を王や将軍たち真剣に話し、恐れているのだ。若い騎士たちの困惑は大きくなるばかりだった。

 そんな雰囲気を察してか、アルベロ王は簡単に魔王城について語った。


「お前たち若い騎士が知らぬのも無理はない。魔王城が出現するのは、百年に一度。時期が合わなければ、生きている間に遭遇することさえない存在だ。しかも、この世界には姿を見せるだけで人に害をなすことはほとんどないと言われている。ゆえに直接的に害のない魔王城の存在を知らぬ者も多い。だが、数少ない伝承のなかにも、魔王の驚異が記されている物もある。それは一晩で国を壊滅させるほどの力を持つ異形だと言われている」


 アルベロ王の語りを聞きながら、傷付いた兵士の発した『化け物』と言う言葉を思い出す。


「報告によれば、前回現れたのは二十年前。お前たちはまだ幼少の頃だろう。しかも、当時は戦争中でグリシーナ島は、我が国の領土ではなかった。ゆえに、我らも噂話で耳にした程度であった。この城内でも、前回の出現を知っている者は少ないだろう」


 アルベロ王は魔王について知らない若い騎士たちを咎めることはしなかった。

 だが、キルシェは魔王の伝承を知らなかった自分の知識の無さを恥じていた。日々の日課である剣の稽古にあてている時間を、ほんの少しでも知識を得る時間にあてていたなら、もっと別の対応ができていたかもと考えていた。そして、話しについていくこともできない自分には、もう何もできることは無いのかもしれないという、諦めの感情が現れ始めていた。


「さて、これからのことだが……」


「それでは我が黒獅子騎士団が姫の救出に向かいましょう」


 アルベロ王の言葉を待たず、ここぞとばかりにカクタス将軍が声を上げる。そして、ニヤリと小馬鹿にしたような笑みでセードルを見た。

 しかし、アルベロ王はその申請を静かに拒否した。


「カクタス将軍。黒獅子騎士団は城に留まってもらわねばならん」


 周囲が再びざわめく。カクタス将軍も予想外の返答に、普段は見せることのない面食らった表情をしている。

 そして、アルベロ王はさらに続ける。


「黒獅子だけではない。白狼も蒼竜も残らねばならぬ」


「――――!?」


 その場にいる騎士たちは、王の発言の意図が理解できなかった。

 キルシェも同様に理解できず、混乱した。その困惑は、この場から離れかけていた意識を呼び戻し、何かを掻き立たせた。その湧き上がる感情は、自身が発言できる身分ではないと理解しつつも、王に対し問いただすという行動で現れてしまう。


「……それは、リコリス様を見捨てられるということですか?」


 騎士達の視線が一斉にキルシェに集まる。


「キルシェ!!」


 セードル将軍がキルシェを制止しようとするが、暴走を始めた感情は止まらなかった。一歩一歩アルベロ王に近づき問う。


「相手が魔王だからですか? 魔王を恐れているのですか?」


 アルベロ王は興奮するキルシェをまっすぐ見据え、ゆっくり目を閉じた。そして、静かに口を開く。


「キルシェよ。いくら魔王が人間に害を与えた伝承が少なくとも、その力は強大だ。我々、人間の力で太刀打ちできるかも定かではない」


 王は静かに答える。


「仮に軍を率いて魔王城に攻めたとしよう。そうすれば、魔王も自分たちを攻撃してきたガルデニアを自身の敵だとみなすだろう。おそらく魔王たちの攻撃の矛先は救出に向かったら軍だけではなく、この国全体に向くことになるだろう。その際に国の攻撃と守備が万全でなければ大きな被害を被るだろう。……いや、下手をすればこの国は滅びてしまうかもしれない」


 そして、強い意志のこもった口調で言う。


「キルシェよ。私はリコリスの父であると同時に、この国の父でもある。この国と民の命は守らねばならない」


 王の答えに、キルシェは何も反論できなかった。先の戦争で多くの命が消えた、あの日の光景が鮮明に甦ってきたからだ。

 アルベロ王はさらに続ける。


「そして、もう一つの理由が魔王城の出現した場所だ」


「……場所ですか?」


「魔王城が出現したのはグリシーナ島。今でこそガルデニアの領地だが、元は戦争で我が国に敗北した国のものだった島だ」


 ここでアルベロ王は従者に一枚の大きな紙を持ってこさせ、皆に見えるように広げさせた。それは、一つの島が記された地図だった。地図は大雑把に森や川などが記されているだけで、ほとんど情報のない簡素なものだった。


「この地図を見れば分かるように、グリシーナ島の情報は我らにはほとんどない。大陸からも遠い孤島で、魔王城の現れる島ということもあり、以前から積極的には調査が行われていなかったようだ。情報がないということはとても危険だ。危険な場所も有るだろう。こことは風土も違い、知らぬ風土病なども有るかもしれん」


 たしかに未開の地には踏み込むのは大きなリスクがある。例え救出が成功しても、多大なる被害も付いてくるだろう。そして、それはこの国の守備力の低下に繋がる。それが理解できるからこそ、キルシェはただ俯き王の言葉を聞くしかなかった。

 そんなキルシェを見つめ、アルベロ王は僅かに口角を上げ言う。


「……しかし、リコリスを救出しない訳にはいかない」


 王の言葉にキルシェは顔を上げる。


「グリシーナ島には少数の隊で行ってもらおうと思う。蒼竜から数名、両騎士団から数名……」


「私に行かせてください!」


 言い終わるか終わらないかのうちにキルシェが名乗り出る。しかし、すぐに反対の声があがる。その声はセードル将軍とカクタス将軍からだった。珍しく両将軍の意見が一致した。二人の思うとこは違うが、結論としては若いキルシェに任せるには荷が勝ちすぎるということ。

 だが、キルシェの決意は固い。どれだけ反論されても、一向に折れる様子はない。そこまで頑なにさせるのは、姫付の騎士として自らが救出しなければならないという強い責任感からだろう。


「私に行かせてください。必ずリコリス様を救出して戻ります」


 結果、折れてしまったのは両将軍の方だった。キルシェの意志は両将軍の心を折るほどに固かった。

 鬼気迫る様子で自分を見据えるキルシェに、王は確認するように問う。


「キルシェ。この任務は、お前が思うよりも危険なものだ。生き再びこね地に戻れる保証などないのだぞ」


「はい、分かっています。この命に代えましても、必ずやリコリス様をお助けいたします」


 はっきりと強い口調で決意を述べる。王は納得したように静かに頷いた。


「……では、キルシェは信頼できる者を二、三人選び準備を整えよ。そして、蒼竜。お前たちからも同様に優秀な術士を選び準備させよ」


「はい、直ちに……」


 この場にいながら、今まで一言も発言することのなかった蒼竜魔導団の将が深く頭を下げる。そして、傍らに立つ部下を一人を近くに呼び、ゆったりとしたローブの袖で口元を隠しながら何かを指示した。部下は一礼し部屋を音もなく出ていった。


「そして、一人案内役として、ある者を呼んでおる」


「ある者とは?」


 セードルが尋ねる。


「城下で傭兵をしているレザンという男だ」


 場が騒然とする。


「まさか、民間人ですか?」


「ああ、そうだ。お前たちも聞いたことがあるだろう、凄腕の傭兵の話を。その者はグリシーナ島出身だ。この城にはグリシーナ島の者はおらぬからの」


 その傭兵の話はキルシェも耳にしたことがあった。それは他の騎士も同様で、カクタスに至っては騎士団に引き入れようとしていたほどだ。


「本来なら近々グリシーナ島の調査を行う際の案内役として依頼しておったが……。これも致し方ないことだ。報告を受け、すぐに使者を送っておいた」


「しかし、出身の者とはいえ民間人をこのような危険で重要な任務に同行させるのは……」


「黙れっ! これは決定事項だ。反対は許さん」


 セードルの言葉に対して、アルベロ王は不自然なほど激昂した。先程まで威厳ある態度で騎士達を指揮してきた王の突然の変貌に、この場にいる騎士達は動揺を隠せなかった。


「レザンは昼には来るだろう。キルシェはそれまでに準備を整えておけっ」


 王は感情剥き出しで言うと、この議題を断ち切らんばかりに無理矢理終わらせ、立ち上がり部屋から出ていった。

 キルシェは立ち去る王の後ろ姿を見ながら小さく返事をした。


 必ずリコリスを助けるという強い決意と、拭いきれない妙な違和感を感じながら……。



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