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姉妹‐3

 それは、キルシェがリコリス付きの騎士になった十年前。キルシェが十六歳、リコリスが八歳のときだ。


 その日、まだ姫付きの任に就いたばかりのキルシェを、幼いリコリスは夜中に呼び出していた。そして、肖像画でしか知らない母に会いたいと、泣いて訴えてきたのだった。

 もちろん、亡くなった人を連れてくるなんてことはできない。かといって、自分が母親の代わりになれるわけにもいかない。どうしたらいいか分からなかったキルシェは、リコリスが泣き疲れて眠るまでずっと傍にいた付き添っていた。腫れた瞼を閉じ、寝息をたて始めたリコリスを起こさないように、キルシェは静かに場を離れようとする。だが、それはできなかった。リコリスの小さな手は、傍らの椅子にに座っていたキルシェの服を力強く掴んで離さなかったのだ。


 結局、その夜、リコリスの手はキルシェから離れることはなかった。


「あの日のことは驚きました。後でメイドたちから、今までそんなことはなかったと、聞かされたので」


「あの頃、母がいない寂しさは感じていたけど、会えないことくらいは、幼いながらに認識し理解していたわ。けれどね、キルシェと出会って、少し変わってしまったの」


「……私とですか?」


「そうよ。私ね、キルシェと初めて対面した時、すごく嬉しかったの。なんだか、姉ができたみたいで」


「姉……ですか」


 リコリスは真っ直ぐキルシェの瞳を見つめて頷いた。キルシェは真っ直ぐな自分を見つめる蒼い瞳と、「姉」と、呼ばれたことに少し気恥ずかしくなってしまう。


「だって、キルシェの瞳は私や父と同じなんですもな」


「……瞳?」


 たしかに、キルシェの瞳はリコリスと似た灰がかった蒼い瞳だが、この色は別に珍しい色ではなかった。ガルデニア城内という敷地内だけでも、探せば何人かは似たような色の瞳を持つ者はいるだろう。リコリス個人に仕えているという、とても身近な場所にもいるかもしれない。

 それでも、はっきりと『同じ』だと、リコリスは断言した。他者との違いが分からないキルシェは、思わず首を傾げる。


「私は、キルシェを姉のようだと思ったわ。当時の私は、ずっと傍にいてくれる姉妹が欲しく思ってたの。でも、それは望めないことだとも理解していた。そんな時に同じ色の瞳のキルシェが現れて、嬉しさで心踊らせたわ。もしかしたら、頑張ってお願いすれば、母にも会えるんじゃないかって、とんでもない発想に至ってしまった」


 リコリスは幼い自分が抱いた無茶な願望に、恥ずかしそうにする。


「……でも、やっぱり無理なお願いなんだと気付いたのが、あの日の夜。本当に突然、目が覚めたの。……気付いた時は、とても悲しかった。それで、私はキルシェを呼んでしまったの。我が儘なことだけと、自分の悲しみを誰かにぶつけたかったのかもしれない。でも、嬉しかった。キルシェは私の我が儘を、黙って聞いてくれていた。そして、ずっと傍にいてくれたことが……。とっても嬉しかった」


 自分の存在が、リコリスのなかで大きな存在としてあることは、キルシェにとって喜びであり名誉なことだった。

 しかし、キルシェの心とは逆にリコリスは表情を暗くした。


「……本当なら、今日はキルシェに会わずに、ここを出ようと思ってたの」


 思わぬ発言に、キルシェは手にしていたハンカチを落としてしまう。そして、浮かれて忘れてしまっていた、自らが犯した過ちを思い出した。

愕然とし、落としたハンカチを拾おうとしないキルシェの代わりに、リコリスがゆっくりとしゃがみ拾い上げる。


「私ね、キルシェに会うのが怖かったの」


 その言葉は、キルシェの胸に重く突き刺さった。青ざめていくキルシェの顔を見て、リコリスは悲しそうに微笑む。


「……違うの。キルシェのせいじゃないの。……たしかに、避けられたのは悲しかった。けれど、そうさせてしまったのは、私が原因。私がキルシェを傷付けてしまったせい。私は恐れてしまったの。こんな時にキルシェに会ってしまえば、あの日みたいに自分の感情をぶつけしまい、困らせてしまうのではないかって……。だから、顔を会わせずに去ろうと思っていたの。でも……結局、こうやって全部吐き出してしまったけど……」


「……そんな、困らせるなんて……。私は、リコリス様の騎士です。リコリス様の全て……を……」


 キルシェは途中で言葉を止めた。

 自分がしてきた行動とは矛盾することを、口にしようとしていたからだ。全身で拒絶しておきながら、こうも簡単に忠誠を口にする自分。自分の持っている忠誠心とは、こんなにも薄っぺらいものなのかとキルシェは打ちひしがれた。


「キルシェが苦しむことではないわ。私のしたことの事実を知れば、誰でも同じように振る舞うわ。近しい人間ならなおさら」


 気遣うようにリコリスは言う。だが、その優しさがキルシェには辛かった。


「ダメね、私。いつまで経っても、キルシェに甘えて困らせてしまう。あの日、誓ったのに……。キルシェを困らせない姫になるって」


「…………え?」


「私、誓ったの。あの朝、キルシェが見せてくれた笑顔を見てから。お仕事で疲れているのに、一晩中傍にいてくれた。ベッドでゆっくり眠りたいはずなのに、あんな硬い椅子に座って、一晩過ごしてくれた。そして、目を覚ました私を笑顔で迎えてくれた。その時、誓ったの。もう、こんな優しい人を困らせてはいけないと――」


 二人の目から、止まったはずの涙が再び溢れだしていた。

 キルシェの記憶のなかのリコリスも、あの日を境に変化をみせていた。子供らしく接して来ることもあったが、その頻度は目に見えて減っていった。そして、泣き言を言うことは一切なくなっていた。

 リコリスの心根など知らなかった当時のキルシェは、子供らしからぬ大人びた姫だと感じていた。そして、そんなリコリスの姿が、自分の持つ理想の姫で、理想の女性になっていた。


「けれど……こうやって、また困らせてしまった」


 リコリスは拾ったハンカチをキルシェに握らせ、精一杯の笑顔を向ける。

 キルシェが一方的な理想を向けていたときに、リコリスは誰にも助けを求めることもできずに苦しんでいた。そして、今も自分が苦しいはずなのに、一介の騎士であるキルシェのことを気遣っている。

 キルシェの胸は、いたたまれない気持ちでいっぱいになった。同時に、愛おしさも強く感じていた。声にして出すことのできない感情は、自然とキルシェは片膝をつかせ敬意を表す形として体言させていた。


「――キルシェ!」


 片膝をつき頭を深く下げようとする姿を見て、リコリスが咄嗟に声を上げる。

 それは、その姿勢を拒否するかのような声で、キルシェは中途半端な姿勢のまま顔を上げた。見上げた先には、強い意志で何かを決意したリコリスいた。


「白狼騎士団 第四部隊 キルシェ・サルバシオン」


「はっ!」


 今まで所属隊やフルネームで呼ぶことのなかったリコリスが、強い口調でキルシェの名を口にする。不可解なことではあったが、キルシェ身に付いた習慣から、直立し姿勢を正す。


「――本日を持ち、貴女から騎士の称号を剥奪します。同時に、姫付きの任を解きます」


「……リコリス様?」


「貴女は、今から騎士ではなく一人の普通の女性になるの。これからは私や国ではなく、愛しい方と一緒に何にも縛られることなく暮らしてほしいの」


「――リコリス様っ!!」


 突然の宣言。

 それは、ガルデニアに仕える騎士という呪縛から解き放つための、リコリスの姫としての精一杯の優しさだった。その気持ちが痛いほどに伝わってきた。キルシェは感謝の気持ちと同時に、リコリスという名の『姫』ではなく、リコリス自身に一生仕えたいという忠誠心も強くなった。


「リコリス様。やはり、私もガルデニアに戻ります。そして、リコリス様にこの身を捧げ、仕えていきたく思います」


 リコリスは必死に感情を抑え、首を横に振る。


「それは、駄目。キルシェが憎くて言ってるのではないの。私だって、貴女と別れるのは寂しくて悲しい。ずっと傍にいてくれた姉のような存在だもの。……でも、だからこそキルシェに幸せになってほしいの。ミディから色々聞いたわ。ここに、愛しい方がいるのでしょう。ガルデニアに戻れば、もう二度とその方とは会えなくなるのでしょ。それに、騎士に戻った貴女は自分の幸せを放棄してしまう。幸せになれる権利があるのに、貴女はそれを捨てるつもりなの? 私は、キルシェに幸せになってほしい。愛する人と同じ道を歩んで、幸福な自分の道を進んでほしいの」


 リコリスのその願いは、自分が叶えることのできなかった幸せをキルシェに託しているようだった。

 キルシェが自分を拒絶し、内に秘めた理想をリコリスに望んでいたように、リコリスも自分が望むことのできないささやかな幸せを、キルシェに託していた。その望みは、『騎士』という呪縛に自ら縛られようとした以前のキルシェと同様で、自ら『姫』という呪縛に縛られようとする決意の表れでもあった。


「リコリス様。私のような者に、このような暖かな御慈悲をありがとうございます。このように深い愛を私に与えてくださるのです、やはりリコリス様は御自身だけを愛するような人ではありません。リコリス様の前にも、全てを与えたく思え、その全てを受け入れ、幸せに導いてくださる方が現れるはずです」


「ありがとう、キルシェ」


 リコリスは静かに微笑むと、キルシェに抱きついた。キルシェもそれに答え、優しく両腕で包み込んだ。

 それは姫と騎士としてではなく、ただの娘……姉妹として別れを惜しむ抱擁だった。二人はしばらく何も言わず静かに抱き合っていた。


「キルシェ、今まで本当にありがとう。幸せになってね」


「はい。私の方こそ、ありがとうございました。リコリス様もお健やかにお過ごしください」


 二人は、なお惜しむように一度強く抱き締めあうと、ゆっくりと離れていった。


「それじゃあ……私、もう行くわね」


 リコリスは静かに歩き、キルシェから離れて行く。二人から離れた場所で待機していたミディたちが、リコリスの方に寄ってくる。


「お待たせして、申し訳ありませんでした」


「いいえ。お気になさならいでください。もう、よろしいでしょうか?」


「ええ、大丈夫よ。行きましょう」


 ミディの後ろにいた黒衣の女性が巨鳥の姿へと変わり、背に乗りやすいようにと姿勢を低くする。


「キルシェ様。リコリス様はガルデニアまで無事にお送りいたします。お預かりした荷も、必ずお届けいたします。短い間でしたが一緒に旅ができてよかったです。ありがとうございました」


「こちらこそ、礼を言う。ありがとう。リコリス様のこと、くれぐれも頼むぞ。それと、部下のリンデンとシーダーのことも。……このような任に同行させて、すまなかったと言っておいてくれ」


「はい、分かりました。それでは、失礼いたします」


 ミディは深く一礼し、巨鳥の背に乗った。

 巨鳥は大きく羽ばたき、風をまとい地面を離れ舞い上がっていく。


「キルシェ! 元気でね」


「リコリス様も、お元気で!」


 二人を背に乗せた巨鳥が空高く舞い上がり、キルシェから遠ざかっていく。すぐに羽ばたく翼の音も聞こえなくなり、黒い姿も青空に消えていった。


 雲ひとつない真っ青な空。太陽の光が眩しい空。キルシェはリコリスの姿を追うように、しばらく天に広がる青い空を見つめていた。


「姫は帰られたのか」


 突如、背後からかけられる声。その一言だけで声の主が分かったキルシェの胸は大きく跳ね、自分の内側から溢れる感情を抑えきれず振り返った。


「ザカート殿。……今しがた飛び立たれました」


 久し振りに目にするザカートの姿。

 安らぎを覚えると同時に、すぐ傍から感じる温もりを意識してしまい、照れてしまう。それが妙にもどかしく恥ずかしかった。


「リコリス様には会われなかったのですか?」


 もどかしい感情は、すぐに顔に現れてしまう。それを隠そうと、キルシェは必死に取り繕う。


「いや。今朝がた、今回のことの非礼を侘び、挨拶もすませておいた」


 ザカートはキルシェの頬に手を添える。そして、初めて会った日と同じように、キルシェの頬につたう涙を拭った。


あの日は無情にも払い除けられてしまったが、今はその優しい手は素直に受け入れられていた。


「また、涙を流したのだな」


「…………」


 キルシェは何も答えようとしない。何か言葉を口にすれば、ようやく落ち着き始めたリコリスとの別れの悲しさが甦ってきそうだったから。そして、たった数日の間に、同じ男性に何度も涙を流す姿を見られている恥ずかしさもあった。別れの場面を見られたことが恥ずかしいわけではない。


 涙を見せることは、弱さの表れだと決めつけていた騎士としての自分。

 抑えていた感情を素直に出し始めている新たな自分。


 今のキルシェには、そんな二つが混じりあい複雑な感情を生んでいた。慣れない感情に、キルシェはこそばゆさを感じていた。


「別れが辛いか?」


 キルシェは小さく頷く。


「すまない。お前に辛い決断をさせてしまって。悲しい涙を流させてしまって。……今なら、まだ国に戻ることもできるのだぞ」


 一瞬、心が揺らいだ。

 慣れ親しんだ地、親しい人たちとの別離。未知の国でのこれから――

 不安になり、身体も震える。しかし、キルシェは大きく首を横に振り、その気持ちを振り払う。


「……これは、私が決めたことです。ザカート殿が悔やまれることではありません」


「キルシェ」


 ザカートの手が愛おしそうにキルシェの頬を撫でる。


「これからは、お前に悲しい涙は流させない。これからお前が見せるのは、喜びや嬉しさに満ちた涙。そして、心からの笑顔だ。――そう、約束しよう」


「ザカート殿……」


「キルシェ。もう、私のことを『ザガート殿』と、あらたまって呼ばないでくれるかい」


 ザカートの小さな望みに、キルシェは顔を赤く染め、視線を泳がせる。


「……ザ、ザカート……」


 口どもりながらも、キルシェはザカートの名を声にした。

 ザカートに心を開きつつも、『殿』と敬称を付けることで、今まではどこかで一線を引いていた。だが、その壁も今、消えていった。とはいうものの、すぐにそんな自分を受け入れられるほど、キルシェは器用ではなかった。顔を耳まで赤く染めると、思わず顔を逸らしてしまった。


「――――!?」


 次の瞬間、キルシェの身体はザカートに抱き締められていた。

 顔どころか、身体中が熱くなるのを感じ、戸惑う。だが、キルシェはその腕から逃げ出そうとはしなかった。


「キルシェ、ありがとう。私のもとに残ることを選んでくれて……」


 耳許でザカートが囁く。低音の落ち着く声が身体に染み渡る。


「ザカート。私は、貴方のおかげで、失いかけていた自分を受け入れることができた。ありがとう。……今なら、はっきりと言える。私は、貴方を愛しています。ずっと、貴方の傍にいたい――」


 それはキルシェの告白だった。

 ザカートはそれを聞くと嬉しそうに微笑み、腕に抱くキルシェを見つめた。キルシェも彼の瞳に答えるように、険の取れた穏やかな笑みで見つめ返す。


 見つめあう二人は、静かに唇を重ねる。



 魔王と女騎士は青い空の下、心を通わせあう。

 心地好い風が吹き、髪を優しく揺らす。


 そこにいるのは、魔王でも女騎士でもない。ただ一心に、目の前にいる者を愛おしいと恋慕う男と女だ。



 二人は、いつまでも強く抱き締めあっていた。




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