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姉妹‐2

 

 ――二日後。


 朝日は差し込んでくるが、まだ夜の冷たさを残す魔王城の庭。

 キルシェは一人噴水の側に佇んでいた。傍らには愛用の剣、手には一通の手紙を持っている。

 噴水の水面は、朝日を反射して輝いているが、それを見つめるキルシェの表情は暗く曇っていた。


 昨日、意を決しリコリスのもとに向かったキルシェ。だが、リコリスは面会を拒否した。

 覚悟を決め、ようやく一歩が踏み出せたと思っていた。それゆえに、リコリスの拒絶は大きな衝撃だった。自分が蒔いた種だと理解していても、それは悲しく苦しいことだった。結局、拒絶するリコリスに無理強いすることもできず、キルシェは何もできずに戻っていた。

 しかし、二度と会えずに、後になって後悔を募らせることはしたくないと、こうやって早朝から待っているのだ。


太陽の温かさが身体を包み始めた頃、蒼竜魔導団のローブを着たミディが外に出てきた。


「キルシェ様、おはようございます」


「おはよう。ミディ」


「ずいぶん、お早いんですね」


「ははっ。ちょっとな」


 キルシェは、ふと辺りを見回した。


「そういえば、あれからレザン殿の姿を見てないが……」


 この数日間、キルシェは鎧を脱ぎ、ミディも蒼竜のローブではない軽装の装いで過ごしていた。その姿が当たり前になり始めた今、久し振りに蒼竜魔導団のローブ姿のミディを目の当たりにし、滞在中にレザンの姿を一度も目にしていないことに気が付いたのだ。


「…………レザンですか」


 一瞬、ミディが歪んだ笑みを浮かべる。しかし、それにキルシェが気付くことはなかった。


「彼なら、もう山を下りましたよ」


 ミディの金色の髪がざわっと揺れる。これにはキルシェも気が付いたが、外だということもあり、風だろうと別段気にすることもなかった。彼の歪んだ笑みと、蠢いた髪の本当の意味を、キルシェはこれから先も知ることはないだろう。


「挨拶もなしに……」


「事情が事情ですから、会いにくかったんじゃないでしょうか」


 残念そうに言うキルシェに、いつも通りの様子のミディは笑顔で答える。


「……そうなのか」


 何の挨拶もせずに別れてしまったことを悔やんでいるように言うが、内心は安堵していた。

 今の今まで存在を忘れていたように、キルシェ自身は積極的にレザンに会いたいとは思っていなかった。本人が知らなかったこととはいえ、リコリスにした行いは許されるものではなかった。そんな感情が残ったままレザンと会えば、現在のリコリスと自分の状況を彼のせいだと無理やりに責を押し付け、下手をすれば斬りかかってしまったかもしれない。

 それでも今回の任務の礼は、ガルデニアの騎士としてしなければいけないという気持ちもあった。しかし、すでにこの地にいないと教えられると、意外とあっさり諦めることができた。


「ミディは、これからもガルデニアで蒼竜魔導団として仕えるのか?」


「はい、そのつもりですけど」


「だったら、少し頼み事をしていいか?」


「構いませんけど」


 キルシェは表情を明るくし、愛用の剣と手紙をミディに託した。


「これを白狼騎士団のセードル将軍に届けてもらえないか」


「白狼のセードル将軍ですね。たしかに、承りました」


「すまないな、面倒なことを頼んで」


「いえ、これくらいのことなら、お気になさらないでください」


 ミディは受け取った手紙を丁寧に鞄に仕舞い、大事そうに剣を抱えた。


 それから間もなく、黒衣の女性に連れられリコリスが出て来た。

 久し振りに見るリコリスは、顔色こそ戻っているが、若干やつれているように見える。しかし、足取りは弱々しいものではなく、誰の手を借りずに自分の足でしっかりと歩いていた。

 やつれた姿に一度は驚かされたが、華麗に石畳の上を歩く姿を見てキルシェは安心した。しかし、彼女の安堵とは逆に、リコリスはキルシェの姿を見つけると、一瞬怯えたように身体を強張らせた。


「――――っ」


 それを見てしまったキルシェは、ここに自分がいてはいけないと悟った。

 リコリスに顔を見せないように歩き出し、その場を離れようとする。

 すれ違いざまに、ため息に似た吐息がキルシェの耳に届く。自分がいなくなることに安堵していると感じたキルシェは、涙が流れそうになるのをぐっと堪え、小さな声で「申し訳ありませんでした」と囁き、走り出した。


「――待って、キルシェ!」


 走り去るキルシェを、リコリスは呼び止めた。

 その声はとても大きく、長年仕えていたキルシェも初めての聞く声だった。その声に思わず足は止まるが、振り返ることはできなかった。

 どうすれはいいのかと立ち止まり悩んでいると、背後から近づいてくる足音が聞こえてきた。


「――キルシェ」


 息を切らせ少し苦しそうな声が、すぐ後ろから聞こえてくる。

 懐かしく優しい声。ずっと、聞きたかった声。

 キルシェが振り返ると、そこにはいつもの優しい微笑みを浮かべたリコリスの姿があった。


「リコリス様……。申し訳ありませんでした」


 様々な思いのこもった謝罪を述べ、深く頭をさげる。


「キルシェ、顔を上げて。謝るのは私の方だわ。……私は、自分の立場を知りながら、軽はずみなことをしてしまった。そして、貴女を酷く傷付けてしまった。本当に、ごめんなさい……」


 ゆっくりと頭を上げると、灰がかった蒼い瞳に涙を溜めたリコリスの姿が映った。


「ごめんなさい、キルシェ……。本当にごめんなさい……。……私、怖かったの」


「……怖かった?」


「私はガルデニアの王家に生まれ、ガルデニアの『姫』として今まで生きてきたわ。皆に愛されて、なに不自由なく暮らしていた。それが当たり前で、当然の権利だとも思っていたわ。……でもね、公務などで城の外に出た時、いつも思っていたの。『皆、凄く楽しそう。心から笑っている』って……」


 リコリスが寂しそうに微笑む。


「その笑顔は、裕福層の独自のものかと思っていた。でも、そうでもない人たちにも、その笑顔はあった。最初は笑顔の理由が分からなかった。でも、何度か見ていると、その理由は自ずと分かるようになっていたの……。それは、家族や友人などの思いやる相手のいる人が見せる、愛情のある幸せな笑顔だって……。でもね、不思議だったの。私は皆に愛されている実感はあるのに、あんな風に笑ったことがなかったから」


 リコリスは微笑む。人形のように整いすぎた笑みで。


「それで、ようやく気が付いたの。皆は『リコリス』という名の娘ではなく、『ガルデニア王家の姫』を愛しているんだって。そして、何より自分自身が誰も愛していないということを……」


 リコリスの蒼い瞳から涙が溢れる。

 拭われることなく流れる涙は、頬をつたい胸元を濡らしていく。

 キルシェはかける言葉を見つけられず、ただ黙って話を聞くしかなかった。


「私は急に怖くなったの。もしかしたら、このままずっと誰も私という存在を見てくれず、私自身も愛することを知らず、作り物の笑顔で生きていかなければならないのかなって……」


 声には出さなかったが、キルシェは心のなかで何度も懺悔していた。傍にいながら、リコリスの苦しみに気付かないどころか、自分自身も苦しみの一端になっていたからだ。自分だけは違うと思いたかったが、もしかしたら自分が一番、リコリスをリコリスとして見ていなかったかもという思いがあった。

 ――キルシェは思う。

 おそらく、自分がリコリスに理想の女性像を思い描き、そうなるように願っていたことも、リコリスは気付いていたかもしれない。そして、それもリコリスの大きな負担になっていただろうと。

 キルシェは自分が情けなく思え、涙の溢れる瞳を直視することができなくなった。

 キルシェの視線が自分から逸れたことに気付たが、リコリスは己の感情を吐露することに拍車がかかり、さらに続けた。


「そんな時に見つけたの。秘密の道を」


 リコリスの言う秘密の道。それはガルデニア城内にある隠し通路のことだ。王族の部屋やその他一部の部屋には、万一に備えの城外に抜ける通路があるのだ。


「それを偶然見つけた私は、時々城下に行っていたの。最初は一人で歩く街が怖かったわ。けど、親切な人に会って色々なことを教えてもらったの。その人の紹介で、酒場の仕事も始めたわ。働いたことなんてないから、すごく大変だった。だけど、すごく楽しくて充実した気分だった。そこでは皆、私を『姫』ではなく、一人の娘として見てくれていたから……」


 常にキルシェへと向けられていた視線がふいに落ち、恥ずかしいような寂しいような複雑な表情を浮かべた。


「……そして、そこでレザンと出逢ったの。彼は強引なところがあって怖かったわ。けど、何故かそんな彼に惹かれていったの。彼が私をどう見て、どう感じていたかは分からない。だけど、私は彼を好きになっていた。私は初めて人を愛する気持ちを知ったの……」


 リコリスが声を詰まらせる。


「……私は、その初めての感情に流されて、……犯した過ちの……重大さに気付いていなかった……」


 リコリスの手が無意識に下腹部に触れ、優しく撫でるように動く。


「子供ができたと気付いた時、私は恐ろしさと後悔で一杯になったわ。そんな時になって、ようやく自分の立場の重要さにも気付かされたの。私個人の愚かな行為一つで、自分だけでなく、父親である王や、ガルデニア王家の品や権威を落とし、辱しめてしまうことだって……」


 微かに震える手で口元を覆う。


「……どうしたらいいのか分からなかった。主治医は私の体調の変化に気付いていたはず。だけど、何も言ってこない。もちろん、自分から言うこともできなかった。けど、日が経つごとに命は成長していく……。成人の儀が終われば、すぐに婚姻の話も出てくるはず……。どうにかしなければと思う反面、時間が経てば経つほどに、好きな男性との子供を産みたいという気持ちも強くなってきたの……」


 細い指が服をきつく掴む。


「でも……でも……。この子は……」


 声が震え、嗚咽が混じる。

 立っているのが精一杯になり、ふらりと大きく身体が揺らぐと、そのまま倒れそうになる。キルシェは咄嗟に手を伸ばし、リコリスの身体を支えた。リコリスに触れた手には、声だけでなく苦しむように全身も震えているのが伝わってきた。


「……この子がいなくなって、とても悲しかった、苦しかった。……だけど、私は安堵してしまった……。もう、悩まなくていいのだと。そして、気付いたの……結局、あの感情はまやかしだったんだって……。私は、誰も愛せない。私は人を愛そうとしている自分を愛し、子を産み母になろうとしている自分を愛していたんだって……。私は、自分勝手な女で、他人を愛することなんてできない醜い女なんだって……」


 内に秘めていた気持ちを吐き出したリコリスは、キルシェの胸に顔を埋め泣き叫んだ。キルシェは何も言わず、あの日ザカートが自分にしてくれたように、静かに胸を貸していた。


 穏やかな微笑みの内側に、リコリスは様々な思いを抱えていた。

 姫として品格のある振る舞いをみせるが、それでも中身は十代の少女なのだ。立場上、相談できるような相手もいない。どんな小さな悩みでも、それが積み重なれば大きな悩みになる。些細なことでも重くのしかかってしまうだろう。そして、今回の件で、それらはさらに大きく、深く、リコリスの心に取り憑いた。そう思うと、キルシェは胸が締め付けられた。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


「リコリス様、それは違いますよ。人を愛する気持ちは、まず自分を受け入れ、自分自身を愛さなければ生まれないと思います。それに、リコリス様は御子を失われて『悲しい、苦しい』と、仰られていました。その気持ちは、御子に対して愛情がなければ感じることのできない感情だと思います」


「……でもっ、私は安堵してしまったのよ……」


「それは、国や王に向けられている愛情の方が、より大きかったからでしょう。……けれど、今こうやって感情をあらわにし涙を流されているのは、安堵してしまった自らを責めつつも、それ以上に御子を失われた悲しみが大きいからではないでしょうか」


 キルシェはリコリスの気持ちを受け止め、それに対し感じたことを囁く。そして、リコリスが落ち着くまで何も言わず抱き締めていた。


 しばらくして、泣くだけ泣いたリコリスはゆっくりと顔を上げた。目を真っ赤に腫らし、顔を涙でぐちゃぐちゃに濡らしたリコリスの顔は、どこかスッキリしていた。キルシェから渡されたハンカチを受けとると、少しかすれた声で「ありがとう」と言い、ハンカチで涙を拭いた。

濡れた頬を拭いながら、リコリスはキルシェの方を向き、微笑む。


「キルシェもハンカチが必要ね」


 そう言いながら、自分のハンカチを取り出し、キルシェの頬にあてた。


「――えっ!? リコリス様?」


「貴女まで泣くことはないでしょ」


 言われ、ようやく自分が涙を流していることに気付く。自分の涙に動揺し慌てるキルシェの涙を、リコリスは少し嬉しそうに優しく拭った。


「こんな風に泣いたのも久しぶりね」


「そうですね」


「あのときは、母に会いたいって我が儘を言って泣いたのよね」


 リコリスが懐かしそうに言い、あどけない少女の笑みを見せる。キルシェも当時のことを思い出し、釣られるように微笑んだ。




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