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騎士

 その日、ガルデニア王国は人々の笑顔と活気で満ちていた。


 男たちは朝から酒場を賑わせ、女たちは着飾り様々な店を巡り歩いている。露店商なども今日が稼ぎ時とばかりに、道行く人に声をかけ、必死に気を引き自分の店の商品を売り込んでいる。

 毎年、建国記念日の前後二、三日を合わせた約一週間は、このようなお祭り騒ぎで王都は賑わっている。長く続いた戦争の傷も癒え、年々華やかになってはいるが、それでも今年は例年にない賑わいを見せていた。

 その理由は、この国の王位継承権を持つ王女にあった。

 この国では、十八歳が成人の年齢になる。終戦の年に生まれた王女が明日、その成人の歳を迎えるのだ。その祝い事も重なり、王国の賑わいは例年以上のものになっているのだ。


 そんな祝福に満ちた街に、一人の男が立っている。

 背が高く、広い肩幅という特徴から、かろうじて男だと判断はできる。しかし、男は黒いローブを目深に被っており、その下にある表情や年齢までは窺い知ることはできなかった。

 男は何をするわけでもなく、ただ街の一角に立ち止まっている。その出で立ちも相俟って、彼の存在は街の賑わいには不釣り合いで、異質なもののように映る。

 だが、街の人たちは、時おり訝しげに男の姿を見るだけで、大体の人間は特に気にする素振りも見せなかった。おそらく異質な男の存在なんかよりも、今を楽しむことを優先しているだろう。

 しばらく街に溶け込むように動かなかった男が、不意に動き始める。

 どこに向かっているかは分からないが、ゆっくりゆっくりと静かに歩き始めた。黒いローブが歩みに合わせ揺れ、その姿は深い闇を連れた禍々しいものにも見えた。

 男は歩く速度も変えず、そのまま人混みのなかへと消えていった。


 ◇ ◇ ◇


 街を見下ろせる小高い丘に、真っ白な外壁の城がある。ここが、この国の王の住む『ガルデニア城』だ。

 普段以上に強化された警備のなか、城には絶え間なく馬車が着いている。馬車の中からは身なりの良い人たちが降り、次々と城の中に入って行く。彼らは近隣の王族や貴族の人間。今宵、開かれる晩餐会の為に集まっているのだ。

 質素な外観と違い、城内は煌びやかだ。高価な装飾品が至るところに飾られ、色とりどりに活けられた花がその美しくさを引き立たせている。そして、客人を迎える従者たちと、警備にあたる騎士の多さで、国の持つ力も見せつけていた。

 しかし、客人たちの殆どはそんなものには興味を示さない。

 客人たちは謁見の間で主賓となるこの国の王に挨拶を済ませると、晩餐会が始まるまでの時間を各々の自由に過ごしていた。


 長旅の疲れで、客間で休む者。

 国の為、家の為、思索に動く者。


 そして、独り身の若い男たちは、こぞって一人の女性のもとへ向かって行く。


 その女性とは、この国の王女であり、王位継承権を持つリコリス姫だ。

 男たちがリコリスに近付いていく理由はただ一つ。ガルデニア王家と婚姻関係を結び、より強い関係を得るためだ。

 そこに恋愛感情などは一切存在しない。

 ただ、自分の一族の地位向上だけを目的としている。男たちは、リコリスを見ているのではなく、彼女の先にある大きな地位を見ているのだ。

 その場の当事者であるリコリスは、そういう事情を承知の上で大人の女性らしく王家に恥じない態度で、言い寄ってくる男性たちに接していた。

 しかし、すぐに男たちに変化が現れ始める。最初は先にある地位だけを見ていた男たちだったが、彼らの視線はしだいにリコリス本人の姿を見るようになっていた。

 その変化を作ったのは、誰でもないリコリス本人だった。

 王女としての毅然な態度もだが、もっとも大きな要因となったのはリコリスの美しさだ。

 淡い栗色の艶のある髪に、美しく輝く灰がかった蒼い瞳。そして、大人びてはいるが、時おり見せる少女のような愛らしい表情。男たちは、その愛らしい笑顔に心奪われていったのだ。


 その様子を少し離れた場所から、初老の男性二人が感慨深そうに眺めていた。

 一人は細身だが貫禄があり、華美な装飾の椅子にゆったりと腰をおろしている。男の前には、何度も人が来ては挨拶をして去っていく。彼はその誰にも嫌な素振りも見せず、軽く声を返していた。この貫禄ある初老の男は、ガルデニア国の王であるアルベロ・ガルデニアだ。

 椅子に座るアルベロ王の横で、もう一人の男は彼に仕えるように立ったままでいる。恰幅があり、豊かな髭を蓄えたこの男は、王族と縁戚関係にある上流貴族の当主だ。名をカイラスと言う。

 アルベロ王たちは、謁見の間での挨拶が一通り終わり、人の集まる大広間へと移動してきたようだった。


「リコリス姫は、亡くなられた王妃様にますます似てこられましたな」


「ああ、そうだな。本当に……、最近は王妃が戻ってきたのかと勘違いしてしまうほどに……」


 そう言うと、アルベロ王は黙り目を潤ませた。


「カライス殿には、本当に申し訳ないことをしたと思っている。まだ若かったフォーリアを、……そなたの妹を、あんなにも早くに死なせてしまうとは……」


 アルベロ王はカイラスの方へ向き頭を下げようとする。それを透かさずカライスは制止した。


「お止めください、アルベロ王。妹……フォーリア王妃は幸せだと仰っておりました。慕っていた王様に嫁ぎ、子どもを産むことが出来たことを……」


 カライスも声をつまらせ目頭を押さえる。

 二人はしんみりとした空気を周りに悟られないように話題を変え、周囲の雰囲気に合わせるように軽く談笑し始めた。

 だが、しばらくして広間のある一角がざわついていることに気がつき、アルベロ王は慌てて立ち上がった。

 そこは先程までアルベロ王たちが見ていた場所。リコリスが居る場所だった――

 アルベロ王はリコリスに何かあったのかと、慌てて駆け寄っていく。真っ青な顔で客人である男たちの群れを払いのけ、状況を確認しようと必死だった。

 掻き分けた人だかりの中心には、女騎士に支えられなが踞るリコリスの姿があった。


「……おぉ、リコリス。どうしたのだ」


 声を振るわせながら、アルベロ王がリコリスへ手を差しのべる。

 聞き慣れた声に気付き、リコリスはゆっくりと顔をあげる。青白くなった顔色から体調の悪さが見てとれる。


「……あ……、お父様……大丈夫です。少し、目眩がしただけなので……」


 弱々しく呟き、微笑むリコリス。

 その姿が亡くなった王妃と重なるのか、アルベロ王の顔はさらに青くなった。


「すっ、すぐに部屋で休みなさい。キルシェ、リコリスを部屋まで送ってやってくれ」


 キルシェと呼ばれた女騎士は、深く頭を下げ返事をすると、リコリスを労るように支え、ゆっくりと人の溢れる広間から出ていった。


 長い長い廊下をリコリスの歩調に合わせゆっくりと進む。

 先程まで居た大広間とは違い、廊下には人がほとんどおらず窓も開放されていたため、空気が澄みヒンヤリとしている。その綺麗な空気を吸ったおかげか、リコリスの顔色は少しばかり良くなったように見えた。しかし、キルシェの手に添えられている柔らかく白い手は、冷たく力がないままだった。

 部屋に戻るなり、途中から付いてきたメイド達によって、リコリスのドレスは脱がされ、締め上げられていたコルセットも外されていく。寝間着に着替え柔らかなベッドに横になると、ようやく落ち着いたのか、リコリスは瞼を閉じると深く長い息を吐いた。


「リコリス様、すぐに医師が参ります」


「……キルシェ、ごめんなさいね。お父様には、夜の晩餐会には必ず出席しますって伝えてくれる?」


「大丈夫なのですか?」


「人に酔っただけだから、少し休めば大丈夫よ。……それに、今夜の晩餐会は私の成人を祝うものでもあるのよ。私が欠席したら駄目でしょ。……これ以上、お父様に心配はかけられないわ」


 自分の体調のよりも、国と王のことを考え微笑むリコリスを前にし、キルシェはいたたまれない気持ちになった。しかし、自分が医師ではないうえに、王族に仕える騎士という身分ゆえ、リコリスに反し意見を言うことは憚られた。


「……分かりました。では、王にはその様にお伝えいたします。リコリス様は夜までお身体をお休めください」


「ありがとう、キルシェ」


「それでは失礼いたします」


 深く一礼し、キルシェは部屋を出た。

 

 部屋を出るなり医師を連れたメイドとすれ違う。さらに、その後方から険しい表情をした初老の騎士がこちらへ向かって来た。それは上官のセードル将軍だった。


「リコリス様のお具合はどうだ?」


「おそらく人に酔われたのかと思います。自室に戻られ、気分も少し落ち着かれたようです。……夜の晩餐会には出席すると仰られていましたので」


「そうか。……で、急ですまないが、キルシェはこれから城下の警備に向かってくれないか」


「城下ですか? 見回りの兵は十分に配置しているはずですが」


 普段ならキルシェに城下の見回りなどの仕事は任されない。それはキルシェが姫付きの騎士で、主であるリコリスから離れず護衛することが仕事だからだ。ゆえに、セードルの唐突な命令の意図が分からず、疑問を感じ尋ねた。


「まあ、そうなのだが。今日は高貴な方々が多数みえられている。そこを狙い、よからぬことを企む不届き者が潜んでいるかもしれないからな。……それに、お前も行きたい場所があるだろう……」


 そう言い、キルシェの肩に軽く叩くように手をおいた。

 セードルの言葉と態度から、ようやくキルシェはその命令の意図を理解した。そして、その不器用な優しさに甘えることにした。


「分かりました。それでは行って参ります」


 キルシェは、リコリスの身を案じ青い顔のまま客人の前にいるアルベロ王に伝言を伝えると、その足で城下町へと向かっていった。


 城下へ向かう途中、キルシェはおもむろに自分の手のひらを見つめた。ゴツゴツとしていて、剣の稽古で出来たマメや傷などが所々にある。お世辞にも女らしいとはいえない手だ。

 そんな手を見て、キルシェは自嘲気味に微笑んだ。



 城下へ着くとキルシェは、同行させていた部下と一旦別れ花屋へ寄った。そこで、落ち着いた色合いの花束を二つ買うと、今度はその足で街の外れにある教会へと向かった。

 キルシェは教会の建物内には入らず、真っ直ぐ墓地へと足を運ぶ。灰色の小さな石碑の並ぶその場所は、街の賑わいからは隔離されたように静寂に包まれていた。

 しかし、今日みたいな祝いの日でも、墓地には死者を弔うために人が訪れている。……いや、今日のような日だからこそ訪れているのかもしれない。今、ここに立つキルシェのように。

 キルシェは墓地の奥にある慰霊碑に花束を手向ける。そこにはすでに真新しい花束が幾つも捧げられていた。キルシェはその花束の群れを悲しげに見つめ、静かに祈りを捧げた。

 そこで祈りを捧げ終わると、そのまま別の墓の前まで行き、もう一つの花束を静かに置いた。


「…………」


 キルシェは墓に刻まれた名を見つめ、首に下げるネックレスを手に取った。そして、それを両手で握り締めると、墓の下に眠る故人に対し深く祈りを捧げた。

 祈りが終わり、墓地を後にしたキルシェはセードルに深く感謝をした。城下を警備するという名目で、今日という日に城下へおりる口実与えてくれたことに……。



 墓地を離れ街の中心部に着くと、キルシェの心は絵の具で塗り替えられたように一変した。先程まで死者を弔う悲しみに満ちていた心は、街の賑わいに合わせるように興奮していった。

 時々、街に来て買い物などをすることはあるが、姫付きの騎士として生活のほとんどをリコリスの傍で過ごしている。そんな彼女にとって、今日のように街全体が浮かれた陽気に包まれているのを目の当たりにするのは、初めてに等しかった。

 ドキドキと高鳴る胸を抑えつつも、表向きとはいえ自分に与えられた命を思いだし、気分を入れ替え歩き出す。

 怪しい動きをする者がいないか、注意をはらいながら街を歩く。しかし、視線は自然と今を楽しむ街の人たちへ行ってしまう。騎士といえどもキルシェも、まだ若い女だ。同世代の女性の姿を見ると、その心は揺らいでしまう。


「……楽しそうだな」


 そう寂しそうに呟いた時だ。キルシェの視線の先に、真っ黒なフードを目深にかぶったいかにも怪しげな男の姿が映った。その男は広場の噴水を背に立ち、何かを見ているようだった。

 キルシェは騎士としての勘か、その男の動きが気になった。そして、男が見ているであろう方角を確認し、その勘が正しいことを認識した。


 ――そう、その先にあったものはガルデニア城だった。


 だが、キルシェは悩んだ。たしかに男の風貌は怪しいが、城を見ているだけで賊と判断するべきか……。今は遠方からの観光客も多く、彼のように丘の上にある城を眺めている人たちはたくさんいる。なにより、賊にしては人目のつく街のなかで堂々とし過ぎている。しかし、それでも男の雰囲気は明らかに街の空気とは異なっている。


「どうしたものか……」


 一人悩みながらも、このまま悩んでいては埒が明かないと、キルシェは複数の兵で接近せず、まずは自分一人で男に接触してみることにした。


「ここで何をしている?」


 その男は自分に声がかけられていると気づいていないのか、しばらくキルシェの声に反応しなかった。何度目かの声かけで、それが自分へ向けられたものだと気付き、ようやく視線をキルシェの方へと移した。


「ああ……すまない。懐かしく思い、見ていたのだが……」


 そう言いながら男はフードを外す。


「――――っ」


 フードの下から現れた姿に、キルシェは目を奪われてしまった。

 男は若く、とても整った顔立ちをしていた。そして、初見の雰囲気とは全く印象の違う、優しい目をしていた。だが、それ以上に目を引いたのが、柔らかく風に靡く赤い髪だった。


「……夕焼けみたいな色」


 思わず、思ったままの素直な言葉を漏らしてしまう。


「この髪のことか?」


「こんな色の髪は初めて見た。すごく綺麗な色だ」


「そんなことを言われるのは初めてだな」


 柔らかく微笑まれ、キルシェは思わず顔を逸らしてしまう。それは街に入った時に感じた胸の高鳴りとは違う、別の感情を感じたような気がしたからだ。

 普段は素直な感情を発することのない自分が、すんなりと言葉として出してしまったほどの興奮。そんな初めての妙な感情に戸惑いつつも、すぐに騎士としての本来の自分が勝り始める。


「そう言えば『懐かしい』と言っていたが、貴方はこの国の民ではないのか?」


「ああ、私は別の国の人間だ。この国には二十年近く前に来て以来だ」


「……二十年前?」


 『二十年前』という言葉にキルシェは引っ掛かる。

 二十年前といえば、この国は戦争の真っ只中。男の年齢はハッキリとは分からないが、その容姿から二十代後半から三十代前半くらいだと判断できる。となると、この国に幼少の頃に来たことになる。

 しかし、そんな戦争の最中に王都であるこの街に入ることができたのは、決められた行商人や国に属さない宗教関係者などの、一部の人間だけだった。どこに敵国のスパイがいるか分からない状況で、当時の検問はとても厳しく、そのうえ行商人の家族だろうと通行許可証はなかなか発行されなかった。

 そんなことを以前誰かから聞いていたキルシェは、目の前に立つ赤髪の男がやはり賊ではないのかと不信感を抱き始めていた。

 一方、男の方は傍に立つ勇ましい女騎士にに疑われていることも露知らず、本当に懐かしむように街を眺めている。


「本当に、よくここまで復興したものだな」


 男は振り返り、後ろを目をやる。そこには水瓶を掲げる天使の像が中央に立つ、立派な噴水があった。


「…………」


 キルシェは男の視線に釣られ噴水を見ると、墓地で見せたような悲しげな表情を浮かべた。

 彼女にとってこの噴水は『悲しみ』と『苦しみ』の象徴だった。だが、それと同時に『喜び』の象徴でもあった。



 約二十年前、テネブライ大陸の南東に位置する小国ガルデニアは、領地を広げようとする周辺の国との長い長い戦争で弱りきっていた。

 元々、テネブライ大陸は土地の起伏や環境が劣悪で、人の住める地が少ない。それゆえ人の住める領地を求め、大陸の至るところで戦争が起こっていた。しかも、その劣悪な環境ゆえに、一部の地域では純度の高い魔法鉱石などの特殊な資源が取れ、それを巡る戦争も多発していた。

 資源で財をなし国としての力を強大にし戦争に勝ってゆく国がある一方で、資源も財もない国は戦争に敗れ敵国に領土を奪われ、国として存続できなくなることが常だった。

 そして、このガルデニア国は後者の方だった。

 戦争初期においては、屈強な騎士団の兵力で何とか持ちこたえることができていたが、魔法という大きな戦力を持っていなかった為に、騎士と魔法兵の力を十二分に持つ国からの攻撃に勝てるわけもなかった。戦争中期になる頃には、戦場はガルデニアの王都寸前まで迫ってきていた。


 そして、それはキルシェが六歳の頃の出来事だ。


 当時はまだ安全だと言われていた王都で、キルシェは毎日のように友人と噴水の側で遊んでいた。

 ――それは突然だった。耳をつんざくような音と共に凄まじい数の魔法弾が王都に降り注いできたのだ。この魔法弾は、敵国の不意打ちによる遠隔魔法攻撃だった。

 突然の出来事に立ちすくむキルシェ。当時の彼女は、まだ六歳の少女。『戦争』という言葉知り、意味を理解していても、それはどこか遠くで行われているものという認識しかなく、現実感のないものだった。

 しかし、彼女の眼前に戦争の現実が降り注いでいた。

 あちこちで悲鳴が聞こえ、大きな音をたて建物が破壊され崩れる。キルシェのいた中央広場の噴水の天使像も打ち砕かれ、水が地面へと流れ出した。

 そして、自分の隣りで同じように立ち尽くしていた友人の身体を魔法弾が貫いた。一瞬、小さな身体が跳ねるように宙に浮き、そのまま叩きつけるように地面に倒れた。

 地面に倒れる友人の身体はピクピクと微かに痙攣し、すぐに動かなくなってしまった。動きを止めた身体からはじわりと血が流れ、石畳の地面の筋に沿って赤い色が広がっていった。

 ここに来てようやくキルシェの身体は動いた。全身を恐怖に支配され友人を助けるという判断もできず、その場から逃げることしかできなかった。

 声をあげることもできず、一心不乱に走り、街の中心部から離れた場所にある家に逃げ帰った。そして、母の腕の中でこの恐ろしい出来事が収まるのを震えながら待った。


 次の日、キルシェは静かだが恐怖の残る街を歩き、噴水の場所に向かった。そこには昨日と同じ光景が広がったままだった。崩れた噴水の天使像と同じように、友人の体も昨日と同じ場所に倒れたままだった。恐る恐る触れると、その体からは温もりが消え、悲しいほどの冷たさだけが伝わってきた。その手から友人の死を感じ、初めて人間の死を実感したキルシェは、その場に立ち尽くし大声を出して泣いていた。


 その後、何度か王都は襲撃され、国民の間にも『敗北』という絶望が現れ始めた。


 しかし、ガルデニア国はその苦境から這い上がった。

 今までの出来事が嘘だったのではないかと思えるほどに、ガルデニア国は敵国を押していき、最終的にガルデニア国の圧勝という形で近隣諸国との戦争は終結したのだった。

 そして、その戦争を機にガルデニア国は大国とまではいかないものの、それなりの力を保持する国として存在できるようになっていた。


 ――そして、現在。この街は当時と同じ姿に戻り、それ以上の輝きと賑わいを放っている。

 キルシェは美しい噴水を見つめながら、甲冑の下に仕舞っていたネックレスを取りだし握り締める。

 辛い記憶の残るこの場所……。しかし、この噴水があるからこそ、今の自分があるともキルシェは思っていた。


「…………」


 ふいにキルシェの頬に男の手が触れる。


「――なっ、何をっ」


 驚き、身を強張らせ、頬に触れる男の手を払いのける。だが、そこでようやく自分の頬が涙で濡れていることに気がついた。男の手は、その涙を拭ったのだ。

 俯き、慌てて手の甲で涙を拭うが、見ず知らずの男に弱さを見せてしまった恥ずかしさと、男の優しさを無下にしてしまったことを悔やむ感情でなかなか顔を上げることができないでいた。

 男は何も言わず、俯いたままのキルシェを見ていた。

 キルシェはこのまま俯いたままでは、相手に失礼だと考えた。……それよりも、このままでは自分の中に、何か別の感情が生まれでそうな感覚を覚え、恐れた。心の中で『自分は騎士だ』と何度も何度も繰り返し唱え、規律に従う威厳ある騎士としての自分の姿を取り戻そうとした。

 次に顔を上げたキルシェは、他に弱さを見せることのない凛とした騎士の姿に戻っていた。


「恥ずかしいところを見せてしまったな。それに……あんな態度をとってしまって……すまなかった」


「いや、私も何も言わずに触れてすまなかった。……しかし、時には我慢せず吐き出さねば辛いだろう」


 キルシェは目を大きく見開き、目の前に立つ赤い髪の男を見上げた。

 この男は初めて会ったにも関わらず、キルシェの性格を掌握しているかのような口振りで言う。そして、なぜかその低く優しい響きの声は、心の奥にあるわだかまりをすくい上げてくれるような、不思議な力があるように思えた。

 しばしの沈黙の後、キルシェは男の言葉に導かれるように口を開いた。


「今はこんなにも美しいな街だが、あの戦争の時は酷い有り様だった。多くの国民が死んだ。私の友もここで死んでしまった……。それも、私の目の前でだ……」


 騎士としての自分を取り戻したはずのキルシェの灰がかった蒼い瞳に、再び涙が溜まる。


「その指輪は友の物か?」


 男が指したのは首に下がっているネックレス。そこには青い石はめられたの男物の指輪があった。


「いや……これは母の形見だ」


「母も戦争で亡くしたのか?」


「……戦争で受けた傷のせいでな。母も終戦を待たずに亡くなってしまった。友も死に、母も死に、私の好きな人はみんな戦争で死んでしまった。気が付くと私は独りぼっちになっていた……」


 表情が暗く重いものになる。

 この場所はキルシェにとって『哀しみ』を象徴する場所。だが、ふいに噴水の天使像を見上げ笑顔を見せる。


「私はこの噴水の天使像が好きで、幼い頃からよくここで遊んでいた。母が生きていた頃は気づかなかったが、独りになって気づいた。この天使像は母によく似ていると……」


 キルシェの脳裏に、優しい微笑みを浮かべる母の姿が甦る。


「街の復興が始まり、この噴水と天使像も修理されていった。街はどんどん元の姿にを取り戻し、沈んでいた人々の心にも生きる気力が戻っていった。だけど、活気が戻っていく街とは逆に、私の心は辛く苦しい気持ちでいっぱいになっていった」


 再び深く俯く。


「私は以前と変わらぬ姿になった街を見ながら、『どうして、母たちは元に戻らないんだ!』って、ずっと思っていた」


 指輪を強く握りしめ、肩を振るわす。

 男は何も言わず、静かにキルシェの話を聞いている。


「あの頃、私は毎日のようにここに来て泣いていた。辛い記憶の残る場所だけど、母に似たこの天使像を見ていたくて。……生まれたときから父のいなかった私には、母の存在だけが全てだったからな……」


 キルシェが顔を上げ、悲しみの残る笑みを赤い髪の男に向ける。


「……だが、辛いことばかりじゃなかった。私はこの場所で王に救われたのだから」


「どういうことだ?」


 男が、しばらくぶりに口を開く。


「そのままの意味だ。街の視察に来られていた王は、孤児たちも声を掛けられていた。そのなかに私もいただけだ。しかし、どういう訳か王は私を城へ連れ帰り、ある貴族の養子にしてくださった」


 無表情で話を聞いていた男に、僅かだが驚きの色が現れる。


「……まあ、驚くだろうな。実際、私自身も驚いた。突然の出来事で自分にも何が起きているのか、しばらく分からなかったからな。かなり戸惑ったものだ。……もしかしたら、孤児の仲間にも入らず、ずっと一人でいた私を憐れに思われたのかもしれないな……」


 キルシェは自嘲ぎみにはにかみ、腰に携えている剣に手を置いた。


「王や養父は、私を貴族の娘として育てたかったみたいだが、私は騎士の道を選んだ」


 先程までの弱々しい女の顔が消え、キルシェの表情は強い意志を持つ騎士のものになっていた。


「こんな私を救ってくださった王の為に。そして、私のような思いをする子どもを作らない為にも、強くなって国を護れる騎士になると誓ったんだ」


「お前の心は強いのだな」


「そんなことはない。……今も時々、先程のように挫けそうになってしまう時がある」


「お前は、強く美しい」



「――はっ!? な、何を言って……」


 突拍子もないことを言われ、柄にもなく慌てふためくキルシェ。

 そんなキルシェの顔に触れようと、男はそっと手を近づける。あと僅かで、その手が触れるという時、無情にも夕刻を報せる鐘が街中に響き渡った。

 自分を見つめる髪の色と似た赤い瞳。その瞳に吸い込まれていくような感覚で、キルシェの灰がかった蒼い瞳も男を見つめていた。

 だが、鐘の音で我に返ったキルシェは、その視線を逸らし、空に視線を向けた。空は男の髪と同じ赤い夕焼けから、紫がかった夕闇に変わり始めていた。


「……もう、こんな時間に。すまない、こんな時間まで私の独り言に付き合わせてしまって」


 キルシェは騎士らしい丁寧で深い礼で、自分の非礼を詫びる。


「気にするな。元々、私が尋ねてしまったことなのだから」


「しかし……」


 キルシェが何かを言おうとした時だ。遠くの方から「キルシェ様」と、兵士が呼ぶ声が聞こえてきた。


「呼ばれているようだな」


「ああ、そのようだ。私はこれで失礼する。今日は本当にすまなかった」


 再度、頭を下げ謝罪の言葉を述べると、キルシェは場を離れていった。

 しかし、その場から数歩離れると、キルシェはふいに後ろを振り返った。視線の先に映る男は、夕焼け色の髪を涼しくなり始めた風に靡かせ、同じ場所に立っている。彼の視線は遠くなっていくキルシェの背を見つめたままだった。

 キルシェはその姿に、なぜか後ろ髪引かれる気持ちを感じていた。



「あの方は、お知り合いですか?」


 合流するなり、兵士は興味津々に尋ねてくる。


「いや、初対面だが」


 それを聞くと、兵士は驚きを隠さず声をあげる。


「えぇっ! あんなに親しそうされていたので、てっきり恋人の方なのかと……」


 おそらくこの兵士は、二人が見つめあっていた最後の場面しか目にしていなかったのだろう。その様子に恋人同士が見せる独特の雰囲気のようなものを感じ、キルシェとその男が恋人同士だと勘違いしたようだ。


「……ったく。ふざけるんじゃない。さっさと城に戻るぞ」


 キルシェは兵士の言動に呆れつつ、ため息をついた。しかし、第三者から見ても、そう思わせるような態度をとっていた自分にも改めて驚かされていた。

 不思議と素直になれる……、そんな雰囲気を漂わせた男。

 もう、二度と会うことはないだろう。だが縁があり、もう一度会うことができたなら……。

 キルシェは乱暴に頭を振り、心の奥に出来た小さな思いを無理矢理に打ち消していく。そして、丘の上にあるガルデニア城を見つめ、自分の想いを断ち切るように街を後にした。



その夜、万全とはいえなくとも体調を回復させたリコリスは晩餐会赴き、ガルデニアの王女としての責務を全うした。その後、滞りなく晩餐会は終了し、賑わいに満ちた夜は過ぎていった。



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