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侍女の決断

本日二回目の更新になります。

サクラがその言葉を告げるまでマーガレットは怒りに燃えていた。


最後まで守ると誓われた感情はサクラが求めたものではなかった。

マーガレットも実を言えばよく分からない。

ただ主人に抱く想いが恋なのかと問われればはっきり否だと断言できる。それでも抱く愛情は本物だと言えた。

サクラの想い人は、真実サクラに愛情を抱いていた。それは彼が恋した今も変わらない。けれど目の前でサクラが涙を流している事実がマーガレットに重くのしかかっていた。


幸せにすると婚約の時に誓ったのではないのか。なぜ自分の主人に恋をしてくれなかったのか。


感情がままならないものだと知っている。それでも責めずにはいられなかった。

そしてとうとう決別を決意したサクラは抜け殻のようになった。


どうして、サクラ様ばかりこんな思いをしなければならないの。


行き場のない感情がもどかしくてマーガレットは自室で枕を殴った。けれどどれだけ枕を殴ったところで怒りはおさまらない。

翌日もマーガレットは胸に怒りを抱いたまま、サクラの部屋を訪れた。


寝ていなかったのか、サクラは椅子に座って惚けていた。しかし昨日の様子が嘘のように、晴れやかな表情を浮かべている。目の下のクマも気にならないほど、スッキリとした表情だった。


「マーガレット。私、元の世界に帰れるみたいなの」


そうしてサクラはマーガレットに異世界からやってきた同郷の少女と黒猫の話を始めた。

あまりにも荒唐無稽な話にマーガレットはサクラの気が触れたのではないかと疑ったが、自分は正気だとサクラはキッパリと言った。

それでも疑いを隠せないマーガレットに、サクラは拗ねたように口を膨らませた。


「じゃあ次はあなたを呼ぶか、ダメなら何か証拠を貰うわ」


サクラの言葉通り、一週間後に答えは出た。


サクラが朝に差し出したのは見たこともない奇妙な道具だ。薄っぺらくて硬い。見たこともない材質でマーガレットは首を捻る。

しかしそこから聞いたこともない音楽が流れ出し、思わず床に叩きつけて距離を置いた。そんなマーガレットにサクラが笑い出して、マーガレットは顔を真っ赤にしたのだった。

しかしこれでさすがにマーガレットも信じることができた。


サクラは、帰ってしまうのだ。


それを理解した瞬間、喜びと同時に言いようのない寂しさがこみ上げてマーガレットは戸惑う。

故郷への帰還はサクラの悲願だ。

使える者として喜びこそすれ、行ってほしくないと思うなどもってのほかだ。


なのにサクラと共に過ごした4年の月日が頭を過ぎる。おめでとうございますと言いながら、相反する感情が芽生えた。

それでうっかり言ってしまったのだ。サクラの世界に共に行けたらいいなどと。


身の程を弁えない台詞にサクラは寂しそうに「そうね」と笑う。けれど行けるとは言わなかった。マーガレットはそれが悲しくて、少しだけ心でサクラを恨んだ。


しかしその数日後に、サクラはマーガレットも一緒に行くことができると言い出した。胸が踊ってどうしようもなかった。

すぐに返事をしようとすれば、返事は帰還の二日前に聞かせてほしいと言われた。

考える事などない。マーガレットが不満を露わにすれば、サクラは「それじゃフェアじゃないもの」と笑った。


この意味を知ったのはさらに数日後、オリヴァーに会った時だった。

人気のない場所に連れ出されたものの用件を言わないオリヴァーをマーガレットは睨みつけていた。


実はもうオリヴァーに対して怒りはほとんど抱いていなかった。この数年でオリヴァーの人となりは理解している。


意に添わぬ命令に従っていたオリヴァーも、最近は腹を括ってどうしたらやらずにすむのか、など楽しそうに話すようになっていた。

マーガレットが避けているにも関わらず、自然と話す機会が多いため嫌いにはなれなかった。それどころか、好感すら抱いていた。


態度が悪いのは単に条件反射である。

それでも一向に話し出さないオリヴァーに苛立ってマーガレットが立ち去ろうとした瞬間だった。

オリヴァーはマーガレットの腕を強く握った。


「俺はあんたが好きなんだ。ずっとずっと好きだった。だからどこにも行ってほしくない」


苦しげに告げられた言葉をマーガレットはすぐには理解できなかった。

けれど振り返ってオリヴァーを見上げれば、彼は見た事がない程に顔を赤くしていた。


「熟れたリンゴみたいに真っ赤よ」

「言うな! 分かってる!」

恥ずかしそうに返されて、マーガレットはようやく意味を理解した。

その途端、伝染したようにマーガレットの顔が赤くなる。


「あ、あ、あ、あなたななななにを言って……! す、え、待って!」

「言っとくが冗談じゃないからな! 俺はあんたを浄化の旅をしてた頃から好きなんだ! あの事があってからは資格がないと思ってたから黙ってたけど、あんたがいなくなるかもしれないのに、言わないでいられない」

悲しそうに言われてマーガレットは胸が痛んだ。鼓動が早まって汗が浮かぶ。しかしある事に気付いた。


「ま、待って! あなたサクラ様のこと知ってるの?」

「サクラ様を連れてく奴らとも会ったよ。その時に聞いたんだ。あんたを連れてくかもって」

「なにそれずるい」


マーガレットから出たのは無関係の台詞だった。マーガレットは常々サクラの同郷に会いたいと願っているが、未だに会えていない。

それなのに側付きでもないオリヴァーが会っていると知り目がすわる。


「待て! 俺は単に演者として駆り出されただけだ! そこに感想を持っていくなよ、頼むから!」

懇願されてマーガレットは我に返った。確かに今はそんな事はどうでもいい。


「俺はあんたに嫌われてるって自覚はある。でも言わないでさよならは嫌だ。あんたと話せないなんて嫌なんだ」

「べ、別に嫌ってはいないわ」

マーガレットが答えるとオリヴァーは驚いたようにマーガレットを凝視する。

間近で見つめられて落ち着かず、マーガレットは僅かに身じろいだ。


「嫌われてはいないのか……」

ホッとしたように、心底嬉しそうにオリヴァーはくしゃりと笑った。

見た事のない歓喜に満ちた笑顔に、オリヴァーの気持ちが本当なのだと悟る。マーガレットは咄嗟に言葉が出ず、自分の中で芽生えた気持ちに戸惑っていた。


浄化の旅でマーガレットもオリヴァーに微かに好意を抱いていた。あの時は旅に必死で恋情だとは思っていなかった。

しかしサクラに対する裏切りを知った時に、思った以上にショックを受けた。その時に自分がオリヴァーを心底信用していたのだと悟り怒りに変わった。


けれど真正面から好意をぶつけられて、やはり自分がオリヴァーに好意を抱いてると気付いてしまう。

サクラは言っていた。マーガレットがしたように、サクラもマーガレットの気持ちを優先すると。

サクラが言っていたチャンスはオリヴァーへのものだったのだ。


「返事は復活祭の前日までとっておいてくれ。夢だけでもみたいんだ」


オリヴァーは満足したように立ち去った。


「なによ、自分は言うだけ言って、満足して…ずるいわよ」


マーガレットは唇を噛んだ。嫌われてると思っていた事にも、断られると信じきっている事にも腹が立った。

それでもマーガレットには芽吹こうとしている感情の名はわからなかった。


その後マーガレットは嘘のようにミスを繰り返した。何もないところで転び、洗濯物を破り、食器を割った。

呆れたサクラに休みを勧められ休んでも、落ち着かず部屋の中を彷徨くしかできなかった。


しかもあの日をきっかけにオリヴァーは頻繁にマーガレットの前に現れて愛を囁いた。

花を持って現れたと思えば、菓子を持って現れる。そしてその度に「そういうあんたが好きなんだ」と言ってくるのだ。


それなのにオリヴァーはマーガレットがサクラに着いて行くと信じている。それがたまらなく嫌だった。

だけどマーガレット自身、どんな言葉をオリヴァーにかけるのか予想がつかなかった。


そしてとうとうサクラに返事をする日がやってきた。

サクラと向かい合いながらマーガレットは訳のわからない焦燥感に駆られて俯いていた。


そんなマーガレットをサクラは穏やかに見つめている。


「ねえ、マーガレット。実は私、答えを聞かなくてもわかっているの。あなたは残るべきよ」


優しい声音にマーガレットは顔を上げた。


「なぜ……私が嫌になったのですか!? お皿を割るような不出来な侍女だから……!?」

「そんなわけないでしょう。私が側にいるのを許すのはマーガレットだけ。お皿を100枚割ってもそれは変わらないわ」

「それならどうして……」

「だってあなた、恋してるもの。オリヴァーはあなたを大事にしてくれる。だから残るのよ」

「そんなこと……」


マーガレットは否定できなかった。オリヴァーに対して膨らんだ気持ちは、告白される前から少しずつ育っていたものだ。

告白を切っ掛けに誤魔化していた気持ちが膨らんで、どうしようもないほど苦しい。


「あなたは私が好きだから、行けないなんて言えないと思ったの。だからこれは最初で最後の命令よ。この世界に残って、オリヴァーと幸せになって。私はあなたの幸せを誰よりも祈っているわ」

「サクラ様っ……!」


マーガレットは溢れる涙を止められず両手で顔を覆った。サクラの優しさが嬉しくて、サクラとの別れが辛くて涙が止まらなかった。


「どんな時も味方でいてくれてありがとう。あなたがいたから私は頑張れたの」


サクラの声もまた震えていた。恐らく彼女も泣いているのだ。その夜は結局二人で泣き明かしたのだった。


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