希望への歩み
「貴方はなにを言ってるの?」
自分でも驚くほど冷たい声が出ていた。
マクシミリアンはその冷ややかさに息を飲みながらも、やはり私をじっと見据える。
「君が聖女である事は変えられないが、要素を増やす事は出来る。まだ先だが私は次期がくれば国王になるだろう。君の功績を讃えて王妃として迎えたい」
「そんなものを私が望んでいると?」
思わず握った手に力がこもる。もし彼がそう考えているのだとしたら、私の事を何一つ理解していない。
刺すような視線にマクシミリアンは身を硬くして、それでも言葉を重ねた。
「そんな事は思ってない。だが、君が私の婚約者になれば、君を守ることができる。権力は邪魔かも知れないが、盾にも武器にもなる。君には私を利用する権利がある」
私は目を見張った。
「私はこの国の人間じゃないわ。反対されるに決まってる」
「どうしてだ?君がこの国を救った事実は国内どころか他国にも知れ渡ってる。歓迎こそすれ、反対なんて有り得ないだろう」
それに、とマクシミリアンは言いにくそうに言葉を続けた。
「君の存在を脅威と考える国もある。狙われる事もあるかもしれない」
「そんなーー」
「本当にすまない」
無意識に胸の前で両手を握った。ザアッと血が下がるのがわかる。
他国からも狙われるかもしれない。
マクシミリアンの言葉が頭の中で繰り返された。
思考が停止して考えがまとまらない。
「少し考えさせて」
1日の間に結論を出すには今日は重すぎる。昼間に帰れないと知って倒れ、マーガレットと話して、最後がマクシミリアンの求婚である。これ以上はもう無理だ
「分かった。時間はいくらでもある。ゆっくり考えてほしい」
踵を返したマクシミリアンの気配を感じたが、その背中を見る事は出来なかった。
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ベッドに再び転がって、私は深いため息をついた。マーガレットも今日は休んでもらった。今は流石に一人で考えたかった。
結論を急ぐつもりはない。とりあえずしばらくは休めるだろうし、お金にも困らなさそうだ。
けれど、同時に思う。それが何なのだろうと。いっそお金や物に執着する性質なら良かったのに、とひとりごちた。
自分がどこまでも人の愛情を求めてしまう人間だとよく分かっていた。
この国は嫌いだが、この国で懸命に生きている人たちは好きだ。
マーガレットも言っていたが、この国の人々は本当によくしてくれた。行く先々で感謝の言葉と誠意を示してくれた。労ってくれた。
聖女だからだろうと思っても、やはり嬉しかったのだ。
人がどうしようもなく好きで、関わっていたいと思う。
そしてそれは聖女としてではなく、私として向き合ってほしいのだ。
これは変えるのは難しい。日本にいた時に、家族からも友人たちからもそんな愛情をもらっていたから。世界にはそんな愛情があると知っていたから。
価値観が違う世界に馴染めるかはその人間の性質に寄るのは仕方がないだろう。それでも生きていかなければならないのなら、無理やり合わせるしかない。
期間限定だと思っていたから割り切れた。だけど今は違う。完全に諦めてはいないけど、この先何も考えずに家畜のように生きるのだけは嫌だ。
考えると引きずり込むように絶望が覗き込む。だが、マーガレットという理解者がいる事は心に安定をもたらした。
あんな風に、あそこまで思ってくれていたなんて知らなかった。燻る激情を抱えている事も知らなかった。
マーガレットと築けたように、他の人とも関係を築いていけたなら。
受け身ではなく、自分からもっと歩み寄っていけば何かが変わるだろうか。いなくなる身だからと距離を置かず、互いを見せたなら。
そう、マクシミリアンとも。
全てを誠意と受け取るわけにはいかない。ここは日本と生き方も暮らし方も違う。身分が高ければ高いなりの代償があるのだ。誠意だけではやっていけない。
求婚は打算もあるかもしれないが、彼なりの償いなのだろう。優しすぎる彼の良いところでもあり、悪いところでもある。
だが結婚が絡むなら話は別だ。義務で結婚されて幸せになる自信はない。育む愛情があったとしても、後ろめたさで育ったものはどこか歪だ。
私は少なからずマクシミリアンに好意を抱いている。だけど義務感に駆られた人間なんてごめんだ。
私はキツく目を閉じると静かに息を吐いた。感情が短い間に幾重にも揺らいでしまう。たまに訪れる激情を抑えるのは気力が必要だった。
私は今の自分が酷く不安定だと自覚していた。
絶望と怒りで目がくらむのに、それだけに支配されるのが嫌だった。怒った分だけ、悲しんだ分だけ、絶望した分だけ、負けた気になってしまう。
「負けないから」
掠れた声音は夜の闇に溶けていく。私はもうそれ以上考えられなくて、思考を投げて眠りについた。