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女子高生と王子と

復活祭の二日前を迎えた夜、マクシミリアンは書斎の仕事机に向かっていた。

魔法で作った光をランタンに閉じ込めれば、魔力切れを起こさない限り使い続けられる。


この所どれだけ務めを果たしても足りた気がせず、こうして仕事を増やしてはこなす日々が続いていた。

それが己の罪から逃げているのだと自覚していたが、どうにもやめられなかった。


一心不乱にペンを走らせる。昼間は常に人の気配を感じるが、今は文字を書く音しか広い室内に響かない。

どれだけ作業していたのか、体の強張りを感じて大きく伸びをした。


その時ふと、何かの気配を感じてマクシミリアンは顔を上げた。

ぐるりと部屋を見回したが、特に異常は見当たらない。

「気のせいか…?」

「いや、気のせいじゃないよ」


漏らした呟きへの返答に、マクシミリアンは反射的に机の横に置いてある剣を握って立ち上がった。

声の方向に顔を向ければ、窓際に人影が見える。

「ーーっ!」

曲者だ、と外に控えている見張りを呼ぼうとしたが、それは叶わなかった。


気付いたらマクシミリアンは床に叩きつけられており、首には手をかけられていた。剣を握る手は足で押さえつけられている。

喉を圧迫され、上手く呼吸が出来ずに喘いだ。相手は片手だと言うのに、その力に抵抗出来ず足掻くしかできない。


「叫ばないなら、離してあげるよ?」

笑いを含んだ中性的な声音だった。

「このまま落としてもいいんだけど、あなたと話をしに来たからさ。できたら騒がないでほしいんだけど」

脅すように首にかかる力が増して、「カハッ」と潰れたような音しか出ない。


「ねえ、騒がない?」

マクシミリアンが思わず微かに頷くと、手はそっと首から離れた。

その瞬間ヒュッと一気に肺に空気が入り、軽く咳き込む。

「そんな強くしたつもりなかったんだけど。鍛え方が足りないんじゃない?」


バカにしたような声音だった。マクシミリアンは呼吸を整えると、ようやく侵入者を見る事ができた。

ほんの一瞬前まで目の前にいたはずなのに、

今は窓の桟に腰掛けている。

月の光と、僅かに離れた仕事机のランタンがほんのりと侵入者の姿を象った。


侵入者は見た事もない衣服に身を包んだ少女だ。青い襟元に白の上着、スカートはこの国ではあり得ない丈だったが、見える足を気にした様子もなく組んでいる。

素地は悪くないが、特徴的な顔つきではない。しかし瞳に宿る力強さが、不思議と印象に残る。


「こんにちは、婚約者くん。闇の王、ハールニッヒです」

揶揄うように少女は笑ったが、マクシミリアンは思わず息を呑んだ。

冷静になれと己に呼び掛けて、動揺を悟られまいと口を開く。


「なにを言う。闇の王は噂では黒髪黒目の青年の筈だ。容姿がまるで違うだろう」

薄暗いが、少女と髪色は茶に近い。それに加えて女性である。挑むように言えば、少女は面白そうに笑った。

「さっきは私の気配に気付けたし、馬鹿ってわけでも、底抜けに鈍いってわけでもないようだ」

薄暗い室内で、少女の目がキラリと光った気がした。


「あっちが変装でこっちが本当の姿だよ。だってせっかく囚われの聖女を救いに行くのに、格好つかないじゃない?」


囚われの聖女、という言葉にマクシミリアンは無意識に拳を握った。

「ーー本当に、君はサクラを迎えに来たのか?」

「そうだよ」

「どうやって。この国の特級魔術師ができなかった事だ」


少女は小馬鹿にしたように笑みを深めて、大仰に肩を竦める。

「世界って広いんだよ、婚約者くん。桜さんの世界があるように、この世界がある。それだけじゃない。数え切れないほど…それこそ無限に世界は平行してるんだって。無限の中には、ちっぽけな魔術師なんか比にならない魔女がいるんだよ」

「それが君だと?」

少女は首を傾げた。


「私は違うね。それができる魔女と知り合いなだけ。ーーでも魔力がなくても、婚約者くんみたいなか弱い青年を倒せるくらいの力はあるよ?」


他の誰かが聞けば、馬鹿なと笑っただろう。このグレイヒの上に立つ人間に必要なのは知性と武力だ。

武術に長け、魔力も高いマクシミリアンは大軍を率いる実力を持っている。

そのマクシミリアンが魔力も持たない年下の少女に負けるわけはないのだ。

だがマクシミリアンはそれが嘘ではないと分かっていた。


先ほどのやりとりで、少女のスピードにも力にも叶わなかった。魔力の発動が無かったという事は、少女が己の身一つで自分を押さえつけたのだ。


「闇の神、というのが本当なのか?」

マクシミリアンの問いかけに少女は噴き出した。

「闇の神は演出だよ。私は桜さんの同郷で、普通の人間なんだけど」

「それはおかしい。君の強さは普通じゃない」

「そうかな? 婚約者くんの力が弱いだけじゃない? 力は生まれつきだけど、スピードは訓練で磨いたんだよ。努力が足りないんじゃない?」

不遜に言いやる少女にマクシミリアンは眉根を寄せた。

「努力は怠っていないつもりだ」


マクシミリアンの言葉に少女の瞳が冷たく光った。

「じゃあつもりでしかないって事だね」

切り捨てるように少女は笑う。窓の桟から降りた少女は今度はゆっくりとマクシミリアンに近付いた。

マクシミリアンは思わず身構えて床に落ちた剣を見やる。


「やめときなよ、かなわないんだから。あと、婚約者くんを殺すつもりはないから安心して」

少女はとうとうマクシミリアンの目の前に立った。長身のマクシミリアンよりも少し低い少女は、女性にしてはかなりの長身である。この国の一般男性と同じか、少し高いくらいだ。

程よく筋肉のついたしなやかな体つきの少女は、背丈が高くても均整が取れている。


だが、それでもマクシミリアンを倒せる力やスピードが出せるとは思えない。

先ほどの事が無ければ、こうして目の前に立たれても警戒すらしなかっただろう。

少女は僅かにマクシミリアンを見上げた。


「私はね、桜さんほど甘くはないんだよ。ちょうどそこに、座り心地の良さそうな椅子がある。少し、お話をしようか」

それは問いかけではなかった。諭すような脅すような声音で、少女は平然とマクシミリアンに笑いかける。上に立つ者が、下の者に呼びかけるように。


マクシミリアンは息を詰めた。

怖れていたのか、望んでいたのか、自分でもよくわからない。

それでもマクシミリアンには逃げ場も無ければ、拒否権もないのだろう。

召喚された聖女のように。


団欒用の長椅子に腰を掛けた少女は足を組んでマクシミリアンに微笑んだ。

「まずは、そうだね。婚約者くんには早々に王位についてもらおうかな」


ーー長い夜の始まりだった。


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