さよならの始まり3
「一緒に逃げましょう」と言ったマーガレットは本心だろう。
彼女はきっとどこまでも一緒に居てくれて、私に何かあれば身を呈して守るのだろう。
彼女の瞳に偽りはない。だからこそ、私は頷くことはできなかった。
「ありがとうマーガレット。でも、やっぱりダメよ」
「サクラ様?」
私が断るとは思っていなかったのだろう。マーガレットは目を瞬かせた。
「今の私たちに戦う術はないわ。もし一緒に逃げて貴方に何かあったら、私は本当にダメになる」
それは偽りのない本心だった。今の私の拠り所はマーガレットだけだ。その彼女にもしもの事があれば、今度こそやっていけない。
「ですが…」
戸惑うマーガレットに私は笑いかけた。
「もちろん、今までみたいにいいように利用されるつもりはないわ。私は役目を果たしたんだから、ある程度好きにさせてもらう。なんなら報酬をいいだけ踏んだくってやるわ」
わざと言葉を崩して言い放った私を、マーガレットはきょとんと見つめる。
一瞬、くしゃりと顔が歪んで泣きそうになったけれど、マーガレットは無理やりに笑顔を作る。
「一生遊んで暮らせるだけ、踏んだくってやりましょうね」
お互いを支え合うように、私たちは笑いあった。
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「サクラ」
赤く腫れた顔を冷やしていると、部屋の戸を叩く音と私を呼ぶ声が聞こえた。
咄嗟に私は身構える。私をサクラと呼ぶのは一人しかいない。身を硬くした私の代わりにマーガレットが立ち上がる。
「なんでしょうか」
マーガレットの声音は硬い。王族だからと容赦はしないとその声が語っている。
「オリヴァーから話は聞いた。頼む、開けてくれないか」
マクシミリアンの懇願にマーガレットは私を振り返った。その瞳がどうしますかと聞いている。
私は一瞬躊躇ったが、すぐに通して欲しいと頷いた。断る事も出来たが、オリヴァー以外からも話を聞きたかったからだ。
何よりも、彼がどういう対応をしてくるのかが気になった。
マーガレットが戸を開けると、マクシミリアンが暗い表情で立っていた。
「入ってもいいだろうか」
「…ええ」
ベットで身を起こした私の顔は未だに涙の跡が残っているだろう。けれどそれを隠すつもりは無かった。
マクシミリアンは部屋に入ってくると、先ほどまでマーガレットが座っていた椅子に腰かける。
重い沈黙が落ちた。でもそれは一瞬で、私は彼が何かを言う前に口を開いた。
「貴方は知っていたの」
「ああ」
「いつから」
「一週間前に。最後の浄化が終わる前に、オリヴァーから知らされた」
切り捨てるような私の問いかけに、マクシミリアンは静かに答えた。
「一週間…」
思っていたよりも、彼がこの事実を知ったのが最近だったようだ。だが、警戒心は拭えない。
「私が故郷に帰りたいって、知ってたわよね」
「ああ」
「じゃあどうしてその時に教えてくれなかったの?私が最後の浄化を投げ出すと思った?」
ドロドロとした感情に顔が歪む。マクシミリアンはその問いに否と答えた。
「君は絶望しても、きっと浄化をしていた。……でも言えるわけがない。君が帰りたがっていた事を私は知っていた。それなのに、帰れないなんて、言えっこない」
優しい彼の顔が歪む。苦しそうなその表情は縋るように私を見据えた。
「この国の為に頑張っていた君に、そんな残酷な事を言う勇気が無かったんだ」
言葉に、ヒュッと息が詰まる。無意識に手が震えた。そんな私を見て、マクシミリアンは静かに立ち上がる。
「ーー本当に、すまない。この国が君にした事は裏切りでしかない」
マクシミリアンは深く、深く頭を下げた。
これには私もマーガレットも驚いて、思わず慌ててしまう。王族からここまできちんとした謝罪をされるとは思っていなかったからだ。
それでも私は許します、とは言えない。恐縮して引くわけにはいかないのだ。
「私はもう、今までのようには頑張らないわ」
「ああ」
「報酬が欲しいの。ボランティアじゃないのだから、やった事への対価があってもいいでしょう」
「分かっている。君がこの先、困ることがないように計らうと誓う」
全てに是と言うマクシミリアンに、私は瞠目しながらも問いを重ねた。
「ーー平民として生きることはできるのかしら」
「それはーー」
「嘘はやめてね」
言葉を詰まらせたマクシミリアンの逃げ道をすかさず塞いだ。マクシミリアンは苦しげに顔を歪めて、静かに首を振る。
「表に出る数は減らせると思うが、恐らくこれからも君は聖女として生きていく事になる。浄化の旅で君の顔は知れ渡ったたし、知らなくてもその黒髪ですぐに分かってしまうだろう。君の功績は偉大すぎた」
「……そう」
分かっていたが胸が軋んだ。私は俯いて唇を噛んだ。これからどう生きたらいいのかを、考えなければならない。
未来の事を、考えなければいけない。
「サクラ」
マクシミリアンの呼びかけに、私は顔を上げた。マクシミリアンの透明な碧眼に見据えられ、体が動かない。
帰るから、恋に重い蓋をした。裏切られたから、彼に見切りをつけた
ああ、でもやはり私は彼のことが好きなのだろう。
誠実でいようとする彼を、私は嫌いになりきれない。
「サクラ、私と結婚してくれないか」
ああ、どうして。
簡単に答えを出せない事ばかりが、続くのだろう。